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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
15_Noxious Cuisine 〈サイドビジネス〉

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64 勤労と友情と迷宮探索と

「おお、……おお、おう。また来たのか」


 作業場の前にはバリーゼの姿があって、服装からしてこれから迷宮へ採集に出かけるのではないかと思われた。

 そばに二人、大きな籠を背負っている男たちがいる。戦いを想定している探索者とは違って軽装だが、肌の露出をできる限り控えているようで、口元も布で覆う用意があるようだ。


「ギアノだよ」

「そうだ、ギアノだ。昨日も来たんだって?」

「ああ、そうなんだ。薬草のプロに聞きたいことがあったんだけど」

「この通り、今日は採集に行くんだが、出発まではまだ時間がある。あまり込み入った話じゃないなら、いいぞ」


 他の二人に比べて、確かにバリーゼはまだ持ち物が少ない。下っ端は準備も念入りに、早めにさせられるものなのだろう。「紫」に挑むのだから、慎重になるのが当たり前だ。


 前と同じ小部屋へ通され、椅子をすすめられて、遠慮なく座る。

 途中でチャレドと間違われるのにももう慣れた。持ち場に戻るように言われたが、本人はちゃんといるのだろうから反応する必要もないだろう。


「なんだ、聞きたいことというのは」

「基本的なことなんだ。俺は、ごく普通の……、森なんかで採れる薬草なら扱いはわかるんだけど、迷宮で採れるものはどのくらいの量をどう加工したらいいのかはわからなくて」

「それは、作りたい薬によるな」

「そうだよね。多すぎると駄目だとか、そういうこともあるんじゃないかと思ったんだ」

「その通りだよ。量は大切だ。うちだけじゃなくて、薬草店が長い間いろいろと研究を重ねてちょうどいい作り方を探してきたんだからな」


 昨日、強青(ギンド)草を買っていったみたいだが、とバリーゼは言う。

 あの強烈な味でどうにかしようと思っているのかと。


「それに、落剥(キネス)草を採ってきたと聞いたが、大丈夫だったのか」


 アードウの店の人間は、きっちりと上司に報告ができる人材が揃っているらしい。

 薬草や毒草を取り扱っているのだから、間違いがあってはならないとか、そんな教育がされているのだろうとギアノは思う。


「大丈夫だった。びっくりしたよ、毒草だったんだね」

「あれは、普通の探索者には使い道のないモンだ。その辺に捨てたりしてないよな?」

「してないよ」

「毒草を間違って持ち帰った時には、引き取りもしているから。昨日、ちゃんと伝えなかったようだから。悪かったな」

「そうなんだ。サービスがいいんだね」


 ここで、バリーゼは突然、じいっとギアノの顔を見つめた。

 なぜだろうと、若者は悩む。


「どうかした?」

「いいのか、引き取らなくて」


 落剥(キネス)草は原材料として使うから、引き取りの必要はない。

 そんな答えは、ごく普通の探索者にはないものだったのだろう。

 なんと返そうか悩むギアノをぎりりと睨むと、バリーゼは勢いよく立ち上がった。


「お前、どこの店のスパイだ」 

「へっ、違うよ違う、そんなんじゃないよ」

「その顔ならどんな店でも紛れこめるだろう。最初から疑うべきだったな」

「ちょっと待って、違うって。魚料理に使いたいだけなんだ。本当だよ」


 「コルディの青空」とバルディの名前を出して、ギアノは出てくる限りの言い訳を並べていった。

 だがバリーゼの目は鋭く、疑惑は消えない。

 迷宮都市に来てからこれまで、何度人違いをされてきたことか。

 正確に覚えられにくいのだから、潜入捜査には向いているのかもしれない。天職の可能性が示されたが、ギアノはなんだか物悲しい気分になっている。


「わかった。全部言う。たまたまなんだよ、落剥(キネス)草が王都で高く売られてるきれいになれる薬の原材料らしいって話を聞かされたんだ。名前はわからないっていうから、わざわざ『緑』に採りに行った。教えてくれたヤツに案内してもらってさ!」

「王都で売られている?」

「そう、そう。お金持ちの奥さんたちが買ってる薬があるらしいって話を聞いて、それを料理に入れたら売れるかもって思ったんだよ」

落剥(キネス)草となにを混ぜる?」

「わかるでしょ、昨日買ったんだから」

強青(ギンド)草か」

「らしいよ! 俺に教えてくれたヤツも、そう聞いたってだけで本当かはわからないみたいだったけど」


 結局全部こんな風にぶちまける以外になくて、ギアノは吹き出してきた汗をぬぐって、大きくため息をついている。

 汗でびっちょりになったギアノの手は、バリーゼに強い力で掴まれ、額は更にどばっと濡れた。


「スパイなんて言って悪かったな」

「へ?」

「そうか、そうか、落剥(キネス)草と強青(ギンド)草だったんだな。ははは! お前は最高だ、ギアノ!」


 ぽかーんとしたまま手をぶんぶん振られているうちに、ギアノは気が付いた。

 アードウの店も、美容の薬のレシピを知りたかったのだろう。


「うわ、参ったな」

「なにが参ったんだ」

「いや、この店で薬を完成されちゃったら、魚料理に使えなくなるじゃない?」

「はは。そうかもな! はっはっは!」

「待ってよ。困るんだけど」

「そうは言っても、お前さんだけじゃ草の扱い方はわからないだろう」

「ああ、そうなんだよな、それなんだ、問題は」


 結局のところ、いずれかの業者の協力がなければ料理には活用できない。

 彼らに秘密でいいように操って開発させるなんて真似は、不可能なわけで。


「原材料を知りたかったってことだよね、バリーゼさんたちは」

「ふふ。そうだな」

「俺が大きなヒントを持ちこんだんだから、見返りというか、協力していくわけにはいかない?」


 頭をフル回転させて、ギアノは考える。

 魚料理に必要な原材料の扱い方について、教えてもらう。

 そのかわり、バルディの店で使う材料は、アードウの店から仕入れる。


「料理に使う量は控えめにして、薬よりも値段をぐっと抑えて提供するっていうんじゃダメかな。薬の方はもっと効果があるって宣伝をするようにするから」

「ああ、なるほど。料理と薬で差をつけるわけだな」

「同じ成分が入ってると言えば、食いつくお客もいるかもしれないだろう」


 高い値がつく薬には手が出ない層を相手にすればいいのではないか。ギアノは考え、バリーゼに提案していく。


「他にもないかな。いわゆる回復とか傷を治す以外に、体に良い効果が出る薬とか。薬を飲むほどじゃないけど、食事に入っていたらちょっと嬉しいかもしれないようなもの」


 迷宮都市で売られているのは、探索に役立つ薬ばかりだ。

 傷薬、止血、解毒、眠気覚まし、気力回復など、探索中に使用するものしか、探索者向けの店には並んでいない。

 そうではない、そこらの店で扱っていないだけの、役に立つものも業者たちは作っているのではないか。


「あるぞ」

「どんなものが」

「体からいい匂いをさせるとか」

「そんなの、薬でどうにかなるの?」

「飲むと汗の匂いが変わるんだよ。甘い匂いになるんだと」


 魅力的な効果だと思えたが、ギアノははっと気が付いて唸った。


「あんな臭い魚料理食べて、いい匂いがするようになるなんて思わないよな」

「ははは」


 バリーゼはうきうきしているようで、頬を緩ませ、ギアノが次になにを言い出すか楽しみにしていそうですらあった。


「きれいになる薬は女が喜ぶだろうから、男に受けるものがいいんだけど。なにかないかな」

「それならやっぱり、元気になるやつじゃないか」

「あっちが?」

「そうだ」

「でもあの草、専門に扱うところがあるって言ってなかったっけ」

「よく覚えてるんだな、ギアノ。なあ、うちの店で働かないか? お前さんは、なにを任せてもうまくやれそうだ」

「そんなことはないよ。でもま、ありがとう。褒めてくれてるんだよね」


 薬草業者の男は楽しげに笑いながら、二蜜(ネドリ)草以外にも似たような効果の薬があると話した。

 二蜜(ネドリ)草の蜜ほどの即効性はないが、内側から気力が沸き上がるような感覚になるのだと。


「即効性があるんだね、あの草は」

 バルディとリータに思いが及んで、ギアノは思わず顔をしかめた。

 そんな若者にバリーゼはまた笑って、その薬なら適度な価格の草で調合できると教えてくれた。


「なあ、料理に入れる薬草の調合をうちで引き受けるっていうのはどうだい。できればレシピは外に漏らしたくないんだ。同じ薬でも、店によって精度が違うからな」

「なるほど。むしろ助かるかもしれない。こっちは薬草のプロじゃないし」

「ただ、味に関しては保証できないんだ。味付けはそっちでやってもらうが、いいだろうか」

「いいよ。もう、味はいいんじゃないかって思ってるんだ。魅力的な薬効をつけたら、多少まずいのは我慢してもらえるかもしれないって考えてるんだ」

「なんだそりゃあ、ひどい話だ、はははは」


 魚自体はそれほど毎日多く獲れるものではなく、そもそも、この企画が当たるかどうかはまだわからない。

 ひょっとしたらすぐにこの話はなくなるかもしれず、それでもいいか確認すると、バリーゼは腹を抱えて笑い出した。


「構わないさ、そんなの。うまくいかなかったら、うちだけに良い話だったってだけだからな!」


 探し求めていた薬作りのヒントを手に入れただけ。

 確かに、アードウの店にデメリットはない。うまくいけば、毎日限定何食か分の薬をバルディに売りつけられるし、薬の宣伝にもなるのだから、笑いが止まらないのも無理はなかった。


「値付けに関しては、バルディさんを寄越すから。取り決めてもらっていいかな」

「それは確かに店主の仕事だな。わかった」

「バリーゼさんが窓口でいい?」

「ああ、構わないよ。アードウさんにも話を通しておくし、急いで調合を始めよう。話がある時はなるべく朝のうちに来てもらえると助かる。採集に行くのは午後からだから」


 あとは、薬が無事に完成するかどうか。

 なんだかんだ、正直に話してよかったと思いつつ、ギアノは「コルディの青空」の場所をバリーゼに説明していった。

 

「体の疲れをとる薬なんかも、入れてもいいんじゃないか」

 バリーゼの提案に、ギアノはなるほどと頷く。

「そうか、パンとか肉料理に入れてもいいよね。変な味の店だと思われるかもしれないけど、興味はもってもらえるかも」


 大きな目玉になるであろう「青」の魚料理は少ししか提供できないのだから、他にも勝負できるメニューは必要だろう。

 薬の製造に支障が出なくて、料理として出されても納得がいくもの。なんだろうと悩むギアノに、バリーゼはよほど気をよくしたのかこんなことを言い出した。


「調合の係の連中に聞いてみるよ。草の在庫の傾向も見て、うちから提案させてもらう」

「え、いいの」

「こっちも助かるんだ。薬草の採集はいつでも一定の量が採れるとは限らなくてな。余りがちなものを有効活用できたら、倉庫も空くし、売り上げにもなる」

「ありがとう、バリーゼさん」

「そのかわりと言っちゃあなんだが、ひとつだけいいか」

「なんでも言ってよ!」



 仕事のできる人間は、人を乗せるのも得意だ。

 バリーゼとのやり取りがうまくいったからといって、うかつな返事をしてしまったと、ギアノはひとり、深い反省の中にいた。


「全員、準備はいいか」


 今いる場所は「紫」の入り口で、これから何種類かの薬草を採集しなければならない。

 ギアノは業者と似たような毒草対策の施された服装をして、籠を背負わされていた。

 革でできた手袋はなかなかの付け心地で、厚みの割に動かしやすい。いつか自分用に買ってもいいかもしれないと思いながら、バリーゼに向けて頷いた。

「ギアノ、『紫』は何回目だ?」

「初めてだよ」

「そうか。『緑』はあるよな?」

「昨日行った」

「よし。そこまで深くは行かないから、心配しなくていい。気分が悪くなったらすぐに申し出てくれ。それだけは必ず頼む」


 なんでも言ってよという軽い返答に対し示されたのは、この後の採集を手伝ってくれ、だった。

 店に来た時に見かけた二人はそれぞれモールとテカンダという名で、もう一人来るはずだったリジャルドは腹を壊したらしく、どうしてももう一人、人手が欲しかったらしい。


「俺、素人だけどいいのかい」

「大丈夫だ。だが、指示には必ず従ってくれ。戦いはどうだ、少しはできるか?」

「できると思う。ここってそんなに強いのは出ないんだよね」

「ただの薬草業者でもなんとかできるようなヤツしか出てこない。安心してくれ」


 バリーゼは薬草の採集担当だというが、体は大きく、よく鍛えているように見えた。

 もとは探索者、それなりの実力があったのではないかと思わせる様子で、そんな男に「ただの業者」と言われてもな、とギアノは思った。


「給料はリジャルドと同じ額でいいかい」

「いいと思うよ」


 下っ端は「緑」から始めるという話なのだから、「紫」に行ける時点でそれなりの評価があるのだろう。

 ならば、リジャルドはそれなりの額をもらっている可能性が高い。



 入ってみると、薄暗くて、同じ草まみれでも「緑」とは大きく空気が違っていた。

 床を這いまわっている蔦の色も、禍々しい青みがかったものばかりで、いかにも毒を含んでいそうに見える。

 慎重に歩きながら、ギアノは口元を覆う布を鼻先まで上げて、ここで死んだらどうしようかな、と考えていた。

 急な迷宮行きで、バルディに伝える暇がなかった。アードウの店の誰かが気を利かせて知らせに行ってくれているかもしれないが、そこまでのサービスを期待するのもおかしい気がする。


 ギアノの少し前を、バリーゼが歩いていた。地図は腰の荷物入れにあるらしいが、低層はもう見なくても自在に歩けるらしい。こんなにも息苦しい場所に慣れるには、長い時間が必要だろうと思える。

 「紫」の最下層まで行きついた探索者はいない。薬草業者にもまだいないだろう。ナントカという商店の長男坊なら、行けるのだろうか。いや、探索は一人きりではできないだろう。眠らずに進むことはできないし、罠も敵も、少ないとはいえ存在するのだから。


「ギアノ、頼んだぞ」


 蔦が途切れて、蛇がにょろにょろと這いだしてきている。バリーゼも剣を抜いて構えており、ギアノも借りた剣を用意して敵の頭に突き刺していった。


「蛇からもいいモノがとれるのさ」


 歌うようにバリーゼが言って、背後の二人が手早く死骸を処理していった。

 毒の袋だとか、ぬらぬらと光る皮だとか。モールとテカンダの手際は良くて、ギアノは感心しながらしばらく解体の様子を見学した。


 二層目、三層目と降りていき、四層目。こっちだと導かれて行った先には、薄い桃色の葉をつけた草が生い茂っていた。

 どこを刈るのかを説明されて、ギアノも桃色の草の採集に参加している。

 膝をついた姿勢のまま作業を続けるのは辛くて、すいすいと草を刈る三人の姿に驚くばかりだった。

「慣れないとしんどい作業だろう」

 バリーゼに声をかけられ、ギアノは正直にそうだと答えた。

 業者のリーダーはふっと笑うと、不慣れな新入りに別の仕事を与えてくれた。

「じゃあ、見張りを頼む」


 採集場所は通路よりもぐっと広く開けたところで、ここで襲われたら困るだろうとギアノは考える。

 目的の草が生えているのはごく一部だけで、あとはただただ「紫」の迷宮のタイルが続いていた。

 青みがかった紫と、赤みがかった紫と。

 どちらもあまり好きな色ではないと考えつつ、ギアノは左へ、右へ、視線を動かし、魔法生物がやってこないか目を凝らしていく。


「ん……?」


 すると、人影が見えた。

 同じように薬草を求めて業者がやってくる可能性は高い。バリーゼからそういわれていたので、他所の薬草業者が現れたのだろうとギアノは思った。

 だが、様子がおかしい。人影はやけに小柄で、子供のような大きさに思える。それに、裕福な家の子供が着ているような、ふんわりと広がるスカートをはいているかのようなシルエットをしていた。

 女の子のように見える魔法生物など、存在しているのだろうか。

 それとも、あんな形のファッションをしているだけの小柄な探索者か、業者なのだろうか。


 じっと見つめていたが、疑問は大きくなるばかりだった。

 腰から下でふんわりと広がっているように見えるシルエットの誰かは、ひとりきりだ。後に続く影はない。こちらに近づいてもこない。ただ、ギアノたちから離れた場所で、小さく跳ねているように見える。右へ跳ねて、左へ跳ねて、そして回って。長い髪がふんわりと広がっているようにも見えた。


 毒の迷宮にはいつでも、うっすらと霧のようなものが立ち込めている。

 浅い層の間は目に見えないし、四層目ならまだ薄い。

 けれど明らかに靄のように空気をぼやけさせていて、遠く離れたところにいるひとりぼっちの誰かの姿ははっきりと見えなかった。


「ギアノ、どうかしたのか」

「え、いや、あっちに女の子みたいな影が見えて」


 バリーゼに声をかけられて見たままを答えると、業者の男はギアノのもとへ飛んできて、首元の布をつかんで床へ引き倒した。


「見るな」


 鬼気迫る言い様に、ギアノは体を強張らせている。

 頭を押さえられていて動けないが、視線を少しだけ動かしてみると、モールとテカンダもしゃがみこんでいるようだった。


 しんと静まり返っていた。迷宮の中はいつでもそうだが、ひどく重たい静寂だとギアノは思った。

 脂汗がだらだらと出ていて、頬をつたって落ちていく。

 鼻先に汗が溜まっていくのがひどく不快でたまらなかったが、長年仕事をしている熟練者に逆らう理由はなく、じっと動かないようにひたすらに耐えた。


「いなくなったようだ」


 久しぶりに音がした、と思った。バリーゼが動いて、布が擦れる音がする。靴が床と触れる音が響いて、やっと声が聞こえた。


「見ちゃいけないものだったの?」

「わからん。正体はわからないが、不吉なものだって話でな」


 業者たちの間で代々言い伝えられている話があるらしい。

 「緑」と「紫」で少女に出会ってはいけないのだと。


「怖いんだけど」

「見かけただけで、出会ってはいないだろう。だったら大丈夫だ」


 なんの根拠もない話だが、バリーゼがそう言うのなら、納得するしかないのだろう。

 謎の少女の行方はわからない。そのあたりにまだいるのか、こんな迷宮を徘徊しているのか、不安が渦巻いて落ち着かない。


「今日はこれで切り上げだ」


 何種類か採ると言っていた草は、まだ桃色のものしかない。なのに帰るのは、あの少女のような影のせいなのだろうか。


 すぐに荷物をまとめて、採集場所から引き揚げていく。

 あっという間に三層へ上がって、途中で出会った業者の集団に、バリーゼが声をかけている。


「あれがいる」


 これで話は通じるらしく、他所の業者は礼を言うと踵を返した。

 もう一組、別の業者にも出会って、同じように伝え、一緒になって地上へ向かって進んでいく。

 

 せっかく「紫」に入ったのに、薬草を採らずに戻ることもあるらしい。

 二組の業者たちは神妙な顔をして去っていってしまい、ギアノもバリーゼたちに付き合ってアードウの店に戻っていった。


「驚かせたな」

 ほんの少しの今日の成果を、モールとテカンダが運んでいく。

 ギアノにはもう仕事はないようで、借りた装備品はすべて返して、バリーゼとともに奥の小部屋で話をしていた。

「まあね、でも、理由があるんだろうから」

「話が早いやつだな、お前は」

 バリーゼは満足そうに笑って、今日の分だと小さな袋をギアノに手渡してきた。

 中身は金なのだろうが、想像していたよりも重い。

「多くない?」

「リジャルドと同額だ。今日は確かに途中で切り上げるような形になったが、あれは不可抗力だから、給料は決まった額を出すんだよ」

「そうなんだ。じゃあ、ありがたく頂こうかな」

 腰のポーチにしまって、ギアノは服がびっしょりと濡れていることにやっと気が付いていた。

 ごく普通の女の子のような形で、禍々しくは感じなかった。だからこそ恐ろしい。毒の吹き出す迷宮の中で見るはずのないものじゃないかと。


「その、業者たちには有名な話なのかな。あの不思議な……女の子みたいな感じのやつって」

「そうかもしれないな。俺たちは探索者じゃあない。迷宮の恵みを頂いて暮らしているだけで、あんな激しい渦の底を目指そうなんて思いはないから」


 バリーゼがなにを言わんとしているのか、ギアノにはよくわからなかった。

 確かに、迷宮は探索者を嬉々として受け入れているように思える。だからといって、ただ利用するだけの業者とは受け入れ方が違うとでもいうのだろうか?

 

 改めて薬草の取り決めについて簡単に確認をすると、ギアノはバルディの店へと戻った。

 忙しく歩き回っている間に夕暮れ時になっていて、街はまた、夜の準備を始めて騒がしくなっている。


 あちこちに用意されたたいまつを行きすぎながら、ギアノは納得を深めていった。

 迷宮が入ってくる者を区別しているのかはわからないが、長年薬草のために入り続けた業者が感じるのなら、その感覚は完全に間違いなどとは言えないのだろう。


 バリーゼの身のこなしは、単なる薬草屋のものではないと思う。

 探索者として歩いた日々と、業者として潜る日々で、感じるものが違うのかもしれない。


 今日はあかりのついていない寂しげな「コルディの青空」の扉を開けると、バルディは厨房で忙しそうに調理をしている真っ最中だった。

「おう、お帰りギアノ。随分遅かったな」

 昼食を作って待っていたんだぞ、とバルディは言う。

「従業員がいなくなっちゃったから、寂しいんだね。俺が恋しかった?」

「バカ言うな! 一生懸命働いてくれてるから、気をつかってやったっていうのに」

「ごめん、冗談だよ。いい感じに話がまとまってね、説明するよ」

「ちょっと待ってくれ。今、肉を焼いているから。一緒に食べながら話そうじゃないか」


 店主が腕を奮って作ってくれた肉料理はかなりのおいしさで、なんでこれが流行らないかなあとギアノは素直に口に出している。

 バルディは目を潤ませており、中年男を泣かせる趣味のないギアノは顔をしかめながら、バリーゼとの間でまとまった話について報告をした。


 レシピが完成するかどうかは賭けだが、既存薬を使ったメニューはいくつかできるだろう。

 あとは、どんな味付けにするか、魚の臭みをどう抑え込むか、どうやって宣伝していくか。

 考えることはたくさんあったが、明るい報告のおかげでバルディの表情は晴れやかだった。


 明日からのスケジュールについても確認しあって、ギアノは宿へと戻っていった。

 部屋に入る前に立ち止まり、バリーゼからもらった小袋の中身を確認し、ぴゅうっと口笛を吹いて中へと入る。


「どうしたギアノ、ご機嫌じゃないか」

 バルジに声をかけられ、ちょっといいことがあったんだ、とギアノは答えた。

 正直な反応に、同室の男たちも笑みをこぼしている。

「薬草の料理、できそうなのか」

「まだだけど、薬草のことは専門の業者にまかせて、協力しあっていくことにしたんだ。うまく話がまとまったのはデントーのおかげだよ。ありがとうな」

「あの話、役に立ちましたか」

「めちゃくちゃ役に立った。本当に感謝してるよ」

 ひょろ長い男はほっと安心したような表情を浮かべ、いつものように神への感謝を口にしている。

「でも、料理人の仕事はもう少し続きそうだな。ちゃんとメニューを作って、安定できるようにしないと終われない」

「そういえば、なんという店なんですか」

「言ってなかったか。ここから南の方にある『コルディの青空』って店だよ。冴えないバルディって親父がやってる」

「ははは、ひどいですね。雇い主なんでしょう?」


 ひどいと言いながら、デントーも朗らかに笑っている。バルジもニヤリと笑って、いつか行ってみようかと話している。


「デントー、明日から『橙』に行くか」

 昨日はまだ先と言っていたのに。心変わりしたのだろうかと考え、ギアノはバルジに問いかける。

「行くのかい」

「少し早いかもしれないが、ダンティンもよく頑張ってるし、うるさいし、はやいとこ最下層まで行っちまいたいからな」

 

 結局は実際に探索に行った方がいいんだと、バルジは言う。

 確かに、どれだけ訓練をしても迷宮に入れば想定外のことばかりが起きる。地上では突然敵に襲われないし、ベッドだってあるし、罠は仕掛けられていないのだから。探索に行く以上に有効な鍛え方など、存在しない。


「魔竜に会えるかどうかはわからないが、とにかく底にたどり着ければ、今のわけのわからない状態も終わりだからな」

「ダンティンがそれで納得するでしょうか」

「あいつが行きたいのは最下層なんだろう? 魔竜に会いたいのか、ダンティンは」


 とにかく明日、何度目かの「橙」へ挑むと決まったらしい。

 バルジは立ち上がると、隣に滞在している残りの三人へ決定事項を伝えに行ってしまった。




 「橙」へ挑む者たちは朝が早い。

 ごそごそと音が聞こえたからか、ギアノも目を覚ましていた。

 同じ部屋にいるバルジとデントーは静かに作業をしているが、隣から聞こえる音がやかましい。

 きっとダンティンのせいなのだろうと思いつつ、ギアノは体を起こしていく。

「すみません、起こしてしまいましたか」

「隣からだよ。二人のせいじゃない」

 ギアノがこう言うと、バルジは荷物を抱えて部屋を出て行った。はっきりとは聞こえなかったが話すような音がしたので、静かにしろと注意をしているのだろう。

 

 今日は探索に無関係のギアノが笑っていると、デントーがすぐ目の前にやってきた。

「大丈夫だよ、後でまた寝るから。俺は今日は少しのんびりするよ」

「そうですか。よかった」

 デントーは手で祈りの形を作り、ささやくような声で神の名を称えた。

 そして膝を曲げ、ギアノと目の高さを合わせて、まっすぐに見つめた。

「ギアノ、あの……」

「なんだい」

「僕は鍛冶の神に仕えています。本当の名は、デルフィ・カージンと言います」


 すぐにバルジが戻ってきて、扉が開く。

 薄暗い部屋の中に、廊下の明かりが入ってきてひどくまぶしかった。


「おっと、ごめんなギアノ」

「大丈夫だよ」


 もう、すぐに「橙」へ行くのだろう。

 無事に帰るよう声をかけて、ギアノは二人の後ろ姿を見送ってやる。

 

 五人組が宿から出て行って、ギアノはまた少しの間眠った。

 今日もまた「コルディの青空」へ行って、いくつかメニューを考えていかなければいけない。



 三日後、バリーゼから調合がうまくいきそうだと知らせが入り、バルディと喜んでいるところにバルジとデントーが姿を現した。

 「橙」の探索は前回よりもずっとうまく行って、十八層目までたどり着いたらしい。


 試しに作っていた薬草料理を出すとひどく文句を言われたので、ギアノは厨房に入り、勝手に熟成中の鹿肉を使って二人にささやかな祝いの料理を作った。

 

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