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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
14_Spirit of Compassion 〈あと、もうひとり〉

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58 名士の歩き方

「大丈夫だ、十二層までで帰る。もっと下に行っているかもしれないと思っただけだ」

 キーレイは笑っているが、同行する四人の心は落ち着かない。

 昨日の夜入った薬草業者が十層で見かけたのが本当にピピならば、ひょっとしたら今も、たった一人で進み続けているのかもしれないわけで。

「とても戦いができる雰囲気じゃなかったけど……」

 ティーオはしょんぼりとして、肩を落としている。


「並び方はどうする?」

 キーレイは神官なのだから、後列に、コルフの隣に入るのが妥当だろう。

「わかった。今回はただ進むだけではなく、人を探しながら進まなきゃいけない。誰か他の探索者と会った時には、神官を見かけなかったか必ず聞くようにしよう」

 歩きながら、呼びかけるようにも言われた。少し進むたびにマスター・ピピの名を呼んで、見落とさないようによく見なければならないと。

「声をあげながら進むのは危険だ。普通ならやらない。戦いの回数が多くなるかもしれないから、覚悟してくれ」


 「緑」の入り口の前には一組のパーティが探索の順番待ちをしている。

 キーレイはその五人組にも声をかけて、人探しをしていて、もしも見かけたら地上へ戻るように働きかけてもらえないか、皿の神殿に伝えてもらえないか話した。なにを面倒な、と五人組は思ったようだが、謝礼を用意していると言われると急に笑顔を浮かべて、まかせておけと胸を叩いた。


 前の五人組が扉を開けて迷宮へ飛び込んでいく。

 少し前に進んで、キーレイは四人の初心者に向けて問いかける。

「神官モルディアスはどんな人物だった? どんな行動をしていただろう」

「基本的にはついてきてくれていたけど、けが人を見ると飛んでいってました」

「そうか」

 やみくもに捜索をするのは危険だから、ある程度はどう進むべきか決めておくべきだとキーレイは言う。

「癒したいんだったら、人が通りやすい道を進んでいるかも」

「そんなの全部わかるのかな?」

「ひょっとしたらあのケープの中に地図を持っているかもよ。すごい数のポケットがついていたし」

「持ってないかもしれないじゃないか。地図を正確に読めるかもわからないし」

「でも、夜には十層まで進んでいたんだろう? ある程度は最短のルートをわかっているのかもしれない」

 四人で意見を出し合って考えていくが、やはりヒントが少ない。

 モルディアスについてわかっているのはとにかく優しそうだということと、独り言が多いくらいしかない。


「そうだ、キーレイさん、ハクスはどうなったんですか」


 他人の傷を癒したくて仕方がない神官という点で、マスター・ピピとハクスは同じだ。

 神官であってもそんな行動をする人間は少ない。カミルもコルフもフェリクスも、そんな神官に出会ったことはなかった。


「ハクスは、探索初心者たちから救世主と呼ばれるようになった。偶然に出会って癒された者は多くいて、随分噂になったんだ。同じ頃にカッカー様も随分活躍していたけれど、慈愛の心に満ちたハクスはカッカー様よりも上、神官として最上の存在だと言われていたよ」


 キーレイは穏やかに語っているが、表情はいつもよりも暗い。伏せられた目が、ハクスの未来にも影を落としているようだとフェリクスは感じている。


「そんな風に大勢の為に迷宮へ行っていたけれど、ハクスにも仲間がいた。ハクスの名声が高まったから、仲間たちにも期待が集まったんだ。あの頃はまだ最下層まで踏破されていたのは『橙』だけでね」


 「橙」の踏破以降、他の迷宮の最下層へたどり着く者は永らく現れていなかった。

 調査団以来の英雄の登場を街の大勢が待っていて、無責任な噂話が駆け抜けていく。

 二つ目に踏破されるのは「緑」。誰が言い出したかはわからないが、いつの間にか間違いないと確信されていた。

 「緑」は薬草を採るための業者も数多く入るので、かなり正確な地図が出来上がりつつあるというのも理由として大きかったようだ。下へ続く最短の道だけなら三十一層までわかったのが大きな話題にもなっていたという。


 「緑」といえば?

 罠も少ない、通路は明るい、回復のための薬も取れるし、他の迷宮ほど凶暴な敵も出ない。


「いろんな理由があって、そろそろ『緑』が踏破されると大勢が噂していた。効率的に探索を進めるために必要な技術や魔術もわかって、知られるようになっていたから。だからみんな、誰かに最下層にたどり着いてほしかった。それが『博愛のハクス』ならどれだけいいだろうと考え、口にしていたんだ」


 樹木の神官の語りに、背後に並ぶ見知らぬ五人組も聞き入ってしまっている。

 キーレイはここで大きくため息をつくと、祈りを捧げる形に手を組んで、絞り出すように話した。


「ハクスたちは自分たちの実力を見誤ってしまった。おだてられたのかもしれないし、期待に応えなければと考えてしまったのかもしれない。ハクスの名は街中に知られていたが、五人組としての実力は足りなかった。それなりの力と経験はあったのだろうが、最下層への道は探索者が思うほど簡単ではない」


 たとえ「橙」であっても、最下層への道は険しい。渦の底へ続く旅は、探索者の想像を必ず超えていく。

 キーレイの声は小さいが、長年神官をやっているだけあって、よく通る。


「大勢に見送られて、ハクスたちはこの扉の中へ入っていった。何日かして、そろそろ戻ってくるのではないかと人々が集まっては様子を確認するようになった。私の家で働いている者も気になって見に行っていたんだ。業者たちもハクスたちの探索の間は入るのが躊躇われたというから、早く戻ってきて欲しかったんだろう」

 誰かが唾を飲み込んだ音が大きく響いてきて、ティーオがびくりと体をすくませている。

「一番大勢が集まったのが、七日目だった。ハクスに助けられた者や、採集に行きたい業者、噂好きの野次馬たちがたくさんこの辺りにやってきて、そろそろじゃないかと待っていた。穴の上に大勢並んで覗き込んでいたら、とうとう扉が開いた。歓声があがって、何人もこの穴の底に落ちた。私の家の者も一人、押されて扉の前に落ちて、見てしまったんだ」

「なにを?」

「『博愛のハクス』をだよ。彼はたった一人で、全身に傷を負った血まみれの姿で這い出してきた」


 震えながら出てきたハクスに悲鳴があがって、街中大騒ぎになったという。


「探索は失敗だった」

「ハクスはどうなったんですか」


 キーレイは悲しげな表情を浮かべたまま、なかなか続きを話さない。

 けれどとうとう心を決めて、小さな声で結末について語った。


「……噂に聞いただけだが、それまでとは人が変わってしまったらしい。奇妙なことを言うようになり、街を彷徨い歩いては神殿に保護されるようになったとか。そのうち誰も姿を見かけなくなって、語られることもなくなった」

「迷宮の中で、なにがあったんでしょう」

 フェリクスが問いかけると、キーレイはきりりと表情を引き締め、四人を順に見つめた。

「ハクスが探索に行った期間は七日。奇跡的に助かったが、一人で歩いて戻ってこられたのだから、そこまで深くは進んでいなかったんだろう」


 ハクスのたどった過酷な道のりについてはしばらく議論がなされていたが、まだ地図が完成していない頃の話だから、どんなに深くとも二十層が限界だろうと考えられている。


「『緑』は勘違いされている。十八層目から敵は急に強くなるし、罠も悪質になっていくんだ」

「そうなんですか?」

「これは『緑』に限らないが、浅いところに気紛れに強い敵が出てくることもある。気が触れてしまうほどの恐ろしい思いをしたのなら、熊か狼に襲われてしまったのかもしれない」

「狼?」

「『緑』には滅多に出てこないよ。私もここでは二回しか見ていない」

 だが、確実にいるのだとキーレイは話した。犬とはくらべものにならないほど機敏で、鋭く、倒れたら最後全身を食い荒らされてしまう恐ろしい敵なんだと。

 

 いろいろと語られ過ぎて、カミルの頭は混乱していた。

 背後にいた五人組が、そっと地上へのはしごを上っていくのは見えた。


 狼型の魔法生物というもの自体、初めて耳にしていた。

 これまでにいろんな探索の物語が語られ、謳われ、人々の耳に届けられているが、狼と戦うものがあっただろうか。

「キーレイさんは狼と戦ったんですか」

「戦ってなどいないよ。さあ、入ろう。少し話しすぎたな」

 確かに、おしゃべりに時間がかかってしまった。今日来たのは、行方のわからない神官の捜索のためなのだから、急がなければならないだろう。



 一行は、とりあえず下層を目指していこうと決めていた。

 キーレイの話がすべて真実ならば、「博愛のハクス」ことマスター・ピピにとって、この迷宮は深い因縁のあるところだ。


 ここで起きたなんらかの悲劇について覚えていて、突き動かされて下層へ向かっていたのだろうか。

 六層の泉についたら戻るという約束は、彼の中に残らなかったのだろうか。

 カミルは考えたが、答えは出ない。昨日、共に歩いた短い時間の中で、彼をしっかり見つめていなかったのだから、どんな答えも出ないだろう。マスター・ピピは、悪い人間ではなかったのに。


 誰も見捨てない、と呟いていた。


「マスター・ピピ!」

 一層目にいるだろうか。いないだろうと思いながらも、カミルは行方のわからない神官の名を呼んだ。

「本名でも呼びかけた方がいいかな?」

「マスター・ピピと呼んでくれないと嫌だって本人が言っていたんだから、必要ないんじゃないかな」


 本当の名前を、なぜ拒むようになったのだろう。

 あまりにも過酷な旅の、悲惨な結末。すべての仲間を失い、傷つき、たった一人で迷宮の道を上っていくうちに、自分自身についてすらわからなくなってしまったのだろうか。


 地図を片手に、言葉を交わしながら、四人の若い探索者たちは大きな丸い影を探した。

 緑色の通路には敵の姿もなく、穏やかな花の咲いた景色が続いている。

 この色こそが危険なのだと、探索のベテランたちは言う。

 初心者たちを脅かし、油断しないで歩くように何度でも同じことを語ってくる。



 三層目のちょうどいい休憩場所について、五人は喉を潤すために水を飲んでいた。

 声を張り上げて来たから、ひどく乾いている。

 カミルが大きく息を吐き出す隣で、フェリクスも深刻な顔をしてため息をついていた。


 一方、後列に並ぶ二人は雑談に興じている。

「コルフはもう脱出の魔術を覚えたのかな」

 キーレイに問われ、駆け出しの魔術師はそんなわけがないと答えている。

「あれを習得するには、力と時間とお金が必要なんです」

「そうなのか。もしも習うことがあったら、魔術師たちはどうやって脱出の練習をするのか教えてもらえないか?」

「練習ですか」

「ああ。失敗すると大変なことになるだろう。どうやったら正確に出られるようになるのか、興味がある」

「失敗すると大変なことになるんですか」

「位置がずれてしまう場合があると、ニーロも言っていたから」

 コルフは首を傾げて、少し考えるようなそぶりをしてから、キーレイへこう答えた。

「それなら、ニーロさんに聞いたらわかるんじゃないですか?」

「ニーロが教えてくれるわけないじゃないか。説明があったとしても、理解できないと思う」

 この反応に、四人の若者は思わず笑ってしまった。

「アデルミラが教えて欲しいと頼んだ時、そんな風に言われていましたよ」

 あの時も「緑」に来ていたと、フェリクスは懐かしく思いながら話していく。

「なるほどねえ。俺が聞いてもわからないのかな、ニーロさんのやり方って」

 コルフが不満げに話す姿に、キーレイは優しげに目を細めている。

「君たちと交流があるんだな、ニーロは」

「一度頼まれて、一緒に『藍』に行ったんです」

「そうか。あの子は本当に特別な育てられ方をしたから、この街に来た時にはどうなるかと心配したんだよ」

「大魔術師ラーデンに育てられたんですよね」

「ああ、十歳の時に連れてこられたんだ。二日か三日後にはもう迷宮に探索に出て、脱出も使えたというから。一体どんな暮らしをしてきたんだろうな」


 少しだけ軽やかな会話を交わして、五人はまた緑の道を歩き始めていた。

 短い休息ではあったが、ここでもまたキーレイの話の情報量が多くて、カミルの頭はぐるぐるしてしまっている。


 脱出の魔術の難しさについて、コルフが話していたことがあった。

 迷宮から一息で飛び出すために、自分が今いる場所と、出口の方向と距離をできるだけ正確に把握できていた方が良さそうなのだと。

 何度も歩いて、道のりを把握している迷宮ならば、人数や荷物の重さをより自由にして移動できるようになると言っていたはずだ。


 初めて来た迷宮都市で、できるものなのだろうか。

 岸壁の旧い友、「偏屈なラーデン」の為せる業だったのだろうか。

 

「カミル」

 考え事をするスカウトに、フェリクスが声をかけてくれた。

「疲れているだろうが、頑張ろう」

「すまない、ありがとうフェリクス」


 夜遅くに帰って来たのに、早朝に叩き起こされ、怒鳴り込まれ、慌てて迷宮へやってきた。

 いつもより集中できていない。先頭を任されているのだから、道の先をよく見つめなくてはいけない。


「マスター・ピピ!」

 呼びながら歩いて、鼠や兎と戦って、今日は戦利品のすべてを諦めて。

 六層まで進んで、回復の泉で疲労を癒していく。


 ちょうど戻って来た五人組がいて声をかけたが、怪しげな神官には遭遇していないらしい。

「君たちは何層まで下りたのかな」

「十二層まで行ったよ。一か所道を間違えたらしくて、戻って来るのに時間がかかったんだ」

 十一層目で特に迷ったと五人組は言う。


「戻っていてくれたらいいんだがな」

 キーレイの呟いた通り、そんな奇跡が起きていればいい。

 いつの間にやら一層目へ辿り着いていて、今頃神殿でタグロンに迎えられていればいい。

 この探索が無駄足だったとしても構わないから、あの善き神官を自分の家へ戻してほしい。

 四人はそれぞれ、違う言葉を皿の神に捧げていく。


 回復をした後、ちょうどよい行き止まりへ移動して手早く食事を済ませると、五人は再び下層へ続く道を歩いた。

 鼠のかわりに兎が増えて、小型の犬が駆けてくるようになった。

 ティーオとフェリクスは一生懸命戦っていて、カミルも短剣を抜いて迎えうっている。

 

 探索以外の仕事をしたり、訓練をしたりする日もあるけれど、迷宮に行かない日を続かせないように過ごしてきた。

 神官がひとり仲間にいて欲しいところだが、そううまくいくものではない。

 癒し手がいないのならばそれなりの計画を練って、四人で成長するための挑戦を続けてきた。

 

 コルフの魔術の腕は上がっている。フェリクスもティーオも動きが良くなった。カミルも前に立っている以上、戦えなければいけない。三人は一緒になって剣を振り、魔法生物たちと戦った。

 声を掛け合い、ダメージを受けないように。四人の息はずいぶん合うようになってきた。

 そう感じていたのは間違いではなかったようで、背後に控えるキーレイは満足げな顔で初心者たちを褒めてくれた。


「よくお互いをカバーしあっているね」

 キーレイの腰にも、短剣が提げられている。

 今日はまだ一度も抜かれていない。神官としての実力は申し分ないのだろうが、キーレイがどれくらい戦えるのかは耳にしたことがなかった。


「君たちはそろそろ屋敷を卒業してもいいのかもしれないな」

「えっ」


 カミルたちが慌てた姿を見て、キーレイは嬉しそうに笑っている。

 冗談なのか本気なのかよくわからないが、カッカーの屋敷からの卒業についてはまだ一度も検討したことがなかった。


 屋敷を出たら、今よりも支出がぐっと増えてしまうだろう。

 カッカー邸にたどり着けるかどうかは、運でしかない。一握りの運と素行の良い初心者だけが、泊る場所や指導、誰かの作ってくれた食事や、少しだけ効率のいい仲間探しの恩恵に預かれるようになっている。


 ウィルフレドのように、誰かから仲間になってほしいと請われるほどの実力者など滅多にいない。

 ちょうどいい宿屋を探すか、仲間たちと貸家へ移るか。いちいち外から水を運んできて、炊事、洗濯、戸締りなどなど、探索に行って無事に帰ってくる以外の仕事がどれだけ増えるか考えると、屋敷に集った初心者たちは皆うんざりしてしまう。そんな憂鬱のせいで、卒業の日は少しずつ遠のいていく。


 真っ当な探索者でいようと思っている者たちほど、屋敷から出る時の負担は大きくなる。

 できれば考えたくないことなのに、キーレイから言われてしまうなんて。

 

「カミル」

 またフェリクスから声をかけられて、カミルは慌てた。

「ごめん、本当に。集中する」

 今はカッカーの屋敷から出るかどうかなんて、考えている場合ではない。

 周囲に目を走らせ、探している人の名を呼び、無事に十二層へたどり着かなければいけないのだから。


 毒の矢が飛び出してくる仕掛けを見つけて、仲間たちに声をかける。

 罠の解除をするためにしゃがんで、蔦に隠された通路へ目を凝らしていく。


 スカウトの仕事と戦闘、人探しの同時進行は難しかった。

 無駄な話に興じる暇はなくなって、初心者たちは緊張しながらも進んでいく。


 戦いにかかる時間は増えて、ティーオが毒の棘の上に倒れてしまった。

「大丈夫か」

 すぐにキーレイが駆けつけて、解毒をしていく。

 ティーオの顔色はみるみる良くなって、ほっと息をついている。


 こんな風に、神官のいる探索をしたかっただけ。

 癒しという名の安堵と共に進みたかっただけなのに。

 

「マスター・ピピーッ!」


 どうしてマスター・ピピなのだろう。

 なぜ、十二歳だなんて言うのだろう。

 こんなにも不安な道を、一人で行ってしまうなんて。

 犬にだっててこずっているのに、狼が走って来たらどうしたらいいのだろう。


「カミル、大丈夫か」

 声をかけてきたのはキーレイだった。いつの間にかすぐ後ろにいて、若者の背中に大きな手を添えている。

「少し休もう。近くに休憩できるところがあるから」


 キーレイは通路を進んですぐにあった右への道へ初心者たちを導き、腰につけたポーチからなにかを取り出すと、ぽいと放り投げた。

 すると壁から次々に矢が飛び出してきて、反対の壁に当たって落ちたり、太い蔦に刺さったりして揺れている。

「この辺りを踏まないように」

 言われた通りに通路の右側を避けて進んでいく。

 カミルもティーオもフェリクスもコルフも、魂の抜けたようなぼんやりとした顔をして歩いていた。

 進むとすぐに、蔦のない広い行き止まりがあった。

 キーレイは手早く広場の隅を確認してまわり、荷物を下ろした。

「大丈夫だ、座って、まずは水を飲むといい」


 十層目の途中にある休憩所に座り込んだ若者たちひとりひとりの額に、キーレイが順番に触れていく。

 樹木の神への祈りは、「緑」の迷宮に最もふさわしいのではないかと、ティーオはぼんやりと考える。

 癒しの類の力を使われたようで、意識が少しすっきりとしたように思えた。

 四人は床にべったりと座り込み、目をぱたぱたと瞬かせて、キーレイがきびきびと動く様子を眺めている。


「こういうのは好きかわからないが」

 樹木の神官はポーチからまたなにかを取り出して、若者たちの手に順番に乗せていった。

「これ、なんですか?」

 コルフの質問に、キーレイは薄く微笑んでいる。

「菓子だよ。口の中に入れて、ゆっくり溶かしていくんだ」


 白く濁った小さな塊を口に入れてみると、優しい甘さが体中にゆっくりと広がっていった。

 初めての感覚はフェリクスにとって心地良いものだったが、隣ではティーオがバリバリと音を立てていて、どうやらかみ砕いているようだ。

「ティーオは噛んでしまうタイプなんだな」

 キーレイも口の中に菓子を含んでいるようで、言葉がはっきりとしていない。

「緊張する探索の時には持ってきているんだ」


 今日の捜索には報酬もないし、急いでいるし、馴染のない神殿から圧力をかけられているし。

 今までにこんな気分で迷宮に足を踏み入れたことがなかっただろうと、樹木の神官長は言う。


 ようやく頭が回り始めて、コルフはこう問いかけた。

「キーレイさんは一人で行くつもりでしたよね」

「『緑』なら一人でも平気なんだ」

「迷宮はどこも恐ろしいところだって言っていたのに」

「もちろんそうだよ。探索はいつでも難しいし、危険に満ちている。だけどここは私にとって特別だ」

「小さい頃から入り浸っていたって聞きましたけど」

 カミルの言葉に、キーレイは苦笑いを浮かべている。

 けれど本当だったようで、笑みを称えた顔で答えてくれた。


「初めて来たのは六歳の時だった。弟が生まれる少し前に、父に連れてこられたんだ。薬草の見分けはある程度できるようになっていたから、母の代わりになると思ったんだろう」


 当然ながら、弟が生まれてもすぐには母は動けず、薬草の業者である父の助手としての日々は続いたという。

 ナイフの使い方、罠の位置、休憩できる場所、飲み水の湧く泉、決して触れてはならないもの、迷宮の神秘である、帰還の術符。

 迷宮を歩くために必要な知識を学び、「緑」と、時々「紫」を長い時間歩き続けたとキーレイは話した。


「そんな小さな頃に、魔法生物と戦えたんですか」

「もちろん止むを得ない時もあるが、業者は敵とは戦わないんだよ。ここと『紫』にはいろんな効果のある草があってね。調合すると、敵を追い払う道具ができる」


 狼の話の時にも、戦っていないとキーレイは言ったはずだ。

 どんな強敵でも追い払える道具があるなら、探索の役に立ちそうなものなのに。

 あちこちの店を覗いてきたが、カミルにはそんな便利なものを見かけた覚えがなかった。


「それ、街で売ってますか」

「売ってはいないよ。業者たちが自分たちで使うためにしか作っていないから」

「便利そうなのに」

「人に対しても効果があるんだ。何回か事故が起きたから、慎重に扱うよう決まりができたんだよ」

 感心するカミルの隣で、フェリクスは首を傾げている。

「レンドという戦士が来た時に使ったものも、それでしょうか」

「……おそらくはそうだろう。彼がどうして持っていたかはわからないが、あれは犬を追い払うための調合薬だったと思う」


 アデルミラが癒してくれて良かったと、キーレイはしみじみと話している。

 たとえ規律に反していても、癒やしがなければ視力が失われていただろうから、と。

「視力を失っていたとしても、ウィルフレドなら戦えてしまいそうだけどね」

 さて、と呟いて、神官長が立ち上がる。

「そろそろ行こう、あと二層、頑張れるか」


 十層目の道のりも、半分は過ぎている。目指しているのは、十三層へ続く階段の前。

 四人は疲れを振り払うように立ち上がって、「緑」の道の上を進んでいった。

 

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