57 責任問題
考えていたよりもずっと長い探索を終えて、フェリクスたちは地上へ戻っていた。
「緑」の迷宮入り口から出てきた影は四人分で、全員が疲れ果てている。
どうやらすっかり夜も更けているらしく、辺りは静かだった。いつもだったら漂ってくるなんらかの料理の香りも、今日は感じられない。
マスター・ピピは見つからなかった。
どうして消えたのかよくわからない。気が付いたらいなくなっていた。
周囲をずいぶん探した。何度も名前を呼んだ。七層へ続く階段まで行って、降りて、また名前を呼んだ。
ちょうど通りかかった五人組にも話しかけたが、知らないと言われてしまった。
地図を確認しながら六層をじっくり歩いてみたが、ピピの姿はなかった。
「お手上げだ」
まさかこんな展開が待っているとは思わず、四人は唸る。
初対面の人物なので、どんな行動をとるかわからない。
どれくらい「緑」の迷宮に通じているかも知らない。
一人で地上に戻れるのかどうかも、なにもかもが謎で、四人の選択肢はもう「戻る」以外になかった。
迷宮はその名の通り「迷いの道」だ。通路が一直線のところなどない。どの渦も、必ず途中で道が分かれており、選んだ道の先もまた分かれている。
そのすべてを調べることなどできやしない。探したい相手がとどまっているとは限らないのだから、偶然が起きる以外にマスター・ピピを見つける方法はなかった。
だから、四人で戻るしかない。
誰かを置き去りにするという選択をすることになるとは。
心が落ち着かない。戻るしかないとわかっていても、胸のうちがざわめいて落ち着かなかった。
兎が出てきても倒すのが精いっぱいで、皮や肉を獲ろうという気になれない。敵をただ倒すだけのフェリクスとティーオを、カミルもコルフも責められなかった。
「どうしてなのかな」
ティーオの呟きに、誰も答えられない。
妙な人物ではあったが、泉までは一緒に進んでいたのに。
理由があって移動したのか、それとも見えない敵が出て襲われてしまったのか。
「ひょっとしたら、戻ってるかもしれないよな」
コルフがこう言って、フェリクスは思わず強く目を閉じていた。
そうだったらいい。あのまあるい神官は一足先に皿の神殿へ戻っていて「ピピは役目を果たした」と威張ってくれればいいと、強く思う。
迷宮の入り口の穴から這い出て、四人は北へ向かって歩いた。
「緑」の迷宮は街の西側にあり、出てすぐの通りは東側に比べていつも静かだが、夜中は更に静かで誰も歩いていない。
北に向かうと少しずつ人影が見えてきたが、あまり多くもない。安い食堂はほとんどが閉まっていて、辺りは暗い。
交わす言葉もないまま進んで、皿の神殿へたどり着いていた。
人の気配はなく静寂に包まれていたが、声をかけると神官が一人出てきて、何の用か探索初心者たちへ尋ねた。
「今日、探索についてきてもらった神官がいたんです」
「こちらの、皿の神に仕える者ですか?」
対応してくれたのはどこかのんびりした雰囲気の、若い男の神官だった。
代表して話したのはフェリクスだったが、重大な問題に気が付いて仲間へ振り返った。
「本当の名前、なんだったかな」
「えっ」
途中で遮られてしまったが、ハリガンはピピの名を紹介していた。けれど、誰の頭の中にも残っていない。
「本人がマスター・ピピと呼んでほしいと言っていたのです」
「はあ?」
そんな名の人間はいない、らしい。
「ハリガンという、こちらに来たばかりだと言っていたのですが、若い神官が紹介してくれたんです」
「ああ、ハリガンですか」
対応してくれた若い男の神官は、見た目の通りのんびりしているようで、こんな緊張感のない返事をくれた。
「わかりました。じゃあ、明日の朝になったらハリガンに確認します」
「迷宮の中で見失ったんです」
「ピピという名の神官など、こちらにはおりません」
「そう呼んで欲しいというだけで、本名ではないんです」
見た目の特徴も話してみたが、なぜか若い神官は明るい顔で笑った。そんな妙な者はここにはいない、と。
「あなた方はどちらの宿を使っておられるのですか」
ハリガンは仕事を終えて休んでいるから、話は朝になってから。
若い皿の神官は冗談でも聞いているかのような態度で、話はこれ以上進展しそうになかった。
仕方なく、樹木の神殿隣のカッカーの屋敷にいると説明し、それぞれに名乗って、四人は深夜にようやく戻った。
不安な思いを抱えたまま眠ったカミルは、嫌な夢を見ていた。
昨日散々歩いた「緑」の道の中で、彷徨う夢だ。
隣にはアデルミラがいて、一緒に必死になって走っている。罠があるかもしれないと考えつつも、通路を塞ぐほどの巨大な球に追われていて、走るしかない。
コルフは既に潰されてしまった。フェリクスとティーオも。だから最後に残ったアデルミラだけは、せめて、彼女だけは助けなくてはならない。
「カミルさん、わたし、もう駄目です」
せっかくアダルツォを助けたのに。アデルミラは可愛らしい、勇気に溢れた神官なのに。
諦めちゃ駄目だ。走って、アデルミラ。
球が迫ってくる。アデルミラの手を取り、強く引いて、カミルは走る。けれど、道はどこまでも続いていて、終わりが見えない。
「カミルさん」
かなしげな声に突き動かされて、カミルは手に強く力を込めた。
涙をこぼすアデルミラを強く引いて、自分の前へ突き飛ばす。
「カミルさん!」
体が揺れて、球が迫ってくるのがわかった。もう潰されるしかない。
あこがれ続けていた夢の日々は、もう終わりだ。
「カミル、……カミル」
強く揺さぶられて、ぱっと目を開けると、アルテロの青い顔がすぐそばに迫っていた。
「キーレイっていう偉い感じの人が呼んでいるよ」
少ししてからやっと言葉が頭の中に入ってきて、カミルは慌ててベッドから出て着替えを始めた。
コルフも似たような状況のようで、ロッカーの前で服を脱いでいる。
「急いで欲しいって」
アルテロとカランは緊張した顔で様子を窺っている。朝早い時間のようで、部屋の中はまだ薄暗い。
ルームメイトの二人に礼を言って、カミルとコルフは部屋を飛び出し、階段へ向かう。
下りてすぐのところにキーレイが立っていて、こちらもたたき起こされたのかもしれない。いつもより髪が乱れているし、顔色も良くなかった。
「フェリクスとティーオは?」
こう聞かれたのなら、呼ばれた理由はきっと「昨日起きたこと」のせいなのだろう。
カミルとコルフは揃って階段の方へ目を向けたものの、仲間の姿はまだなかった。
「見てきます」
「いや、いい。呼ばれた理由はわかるかな」
「昨日の、皿の神官のことですか」
「わかるなら、二人でいい。とにかく来て話を聞かせてくれ」
いつもより落ち着きのない樹木の神官長のあとをついていく。カッカーの屋敷から出て、神殿へ向かうようだ。
中庭はいつも通り、穏やかな景色が広がっていた。つぼみをふっくらとさせて、咲く準備をさせている花がいくつもあって、マスター・ピピのことを思い出させてくる。
「皿の神官を迷宮に置き去りにしたというのは本当か?」
歩きながら投げかけられた問いかけに、二人は慌てて抗議をした。
「置き去りにしたんじゃないです。勝手にいなくなっていたんです」
考えてみれば、自分たちの方が置き去りにされたんじゃないか、とカミルは思う。
「昨日はどこに行っていたんだ」
「『緑』です。皿の神官が一人、探索に付き合ってくれるって話になっていて」
「あちらは『連れ出された』と言っているんだ」
「探索に行ける神官がいるって紹介されたんですよ。それで泉まで試しに行くことになって、着いたんですけど、いきなり姿が消えていたんです」
眠っている間に、どうしてそんなにもこじれた話になっているのか。
ちゃんと説明しなければならないとカミルとコルフは考えたが、樹木の神殿へ続く通路の先から二人の人物が現れ、鋭い声があがった。
「君たちか、我々の神殿から大切な神官を連れ出したというのは」
低くよく通る声だった。聞き覚えはないが、それなりの年齢の、それなりの地位にいそうな太い男性の声だった。
少しずつ日が昇ってきて照らされた通路の先にいたのは、恰幅の良い男。昨日散々目にした皿の神官衣の上に、細やかな刺繍の施されたケープを纏っている。
「皿の神殿をまとめておられる、タグロン様だ」
キーレイが前に出て、中で話しましょうと語りかけていく。
タグロンは怒っているようで、振り返っては鋭い視線をカミルたちへ向けた。
神殿の長が出てくるほどに話が大きくなっているとは。驚きと焦りで、二人の体中を震えが駆けまわっている。
樹木の神殿の奥にある応接室へ通されて、キーレイはまず、タグロンと連れの神官に椅子をすすめた。
カミルとコルフにも座るように言って、樹木の神官長も二人の隣に落ち着いている。
「タグロン様、申し訳ないのですが、二人にもまだ話を聞けていません。状況を理解するために、もう一度お話を伺ってもよろしいでしょうか」
「話なら樹木の神官にもうしたのだがね」
タグロンは体格もよく、威厳があり、同じ神官長ながら印象はキーレイとはまったく違う。年齢のせいもあるだろうが、見た目や雰囲気はカッカーに近い。
「神官モルディアスを連れ出し、迷宮に入り置き去りにしたと聞いている」
そうだ、モルディアスだった。名前は紹介の途中で遮られたが、おそらくモルディアスだったはずだが、今は感心している場合ではなかった。
確かに神殿から迷宮へ共に行ったが、語弊がある。コルフと顔を合わせて頷き、カミルは口を開いた。
「置き去りにはしていません。確かに、一緒に迷宮には行きましたが」
「なぜ神官モルディアスを連れ去ったのだ」
「連れ去っただなんて……。そもそも」
「あの方は探索者の為に命を懸け、大勢を助け、長い長い時間を捧げられた。もう迷宮へ潜らせてはならぬ方なのだ」
「はあ?」
「はあとはなんだ、はあとは!」
タグロンは怒りのあまり立ち上がり、カミルとコルフはその迫力に慌てた。
間にキーレイが入ってくれたが、効果はあまりないようだ。
「キーレイ殿、あなた方はどんな指導をされておるのか」
「指導……は、それは、多少は探索のためになるような話はしますけれども」
「そもそも、なぜあなたなのか。カッカー殿を呼んでくれと言ったのだ、私は!」
「カッカー様はもうこちらの神官ではありません。私が責任をもっておりますから」
「ええい、話のわからない人だ! いつもそうだ、あなたは、まったく、馬鹿にしておられるのでしょう。皿の神殿など、探索初心者の田舎者ばかりが寄るところだと!」
「そんなことはありません」
タグロンの攻撃はなぜかキーレイに集中していて、カミルもコルフも口を出せないまま時間が過ぎて行った。
どうやらマスター・ピピことモルディアスは皿の神殿にとって大切な人物であり、迷宮探索へ行かせないような決まりがあったような話しぶりで、無事に連れ戻せ、と言いに来たようだ。
一緒に来ているのがどうして昨日対応してくれた若い神官でもなく、元凶のハリガンでもないのか、納得がいかなくて、カミルは抗議をした。
「ハリガンっていう来たばかりの神官が連れて来たんですよ。この人なら探索が得意だからって、モルディアスさんを」
「我らが皿の神殿に仕える者に罪を擦り付けようというのか?」
「落ち着いてください、タグロン様」
またキーレイが間に入って、カミルもタグロンも座るように促していく。
「少し話が一方的すぎると思います。タグロン様は当然、皿の神官たちを信頼なさっておいででしょう。ですが私はこの若い探索者たちを知っています。彼らが嘘を言っているとは思えません。探索を真剣に進めようとして、皿の神殿へ助力を求めた。それだけの話だと思いますが、違うのでしょうか。皿の神殿では、一介の探索者が制止されても好き勝手に振舞い、タグロン様に知られずに大切な神官を連れ出すようなことができる場所なのでしょうか?」
「皿の神に仕える者が嘘を言ったと? そう申されるのか、キーレイ殿」
タグロンはぎりりと歯を鳴らして、キーレイを強く睨んだ。
「……若い神官にはまだ、心が弱い者もおりますので」
毅然として言ってのけた樹木の神官の姿を目にして、カミルもコルフも申し訳ない思いでいっぱいになっていた。
自分たちを信じてそこまで言ってくれるとは。
今日は樹木の神殿で祈り、次に得た報酬は少しでもいいから寄付をしようと心に決める。
「助けを求められて断れる男ではないのだ、神官モルディアスは。探索を手伝って欲しいと請われれば、相手が誰であろうとついていってしまう」
タグロンは苦しげに、天を仰ぐようにして話し続けている。
「だが、神官モルディアスは時々話が通じなくなってしまう」
「話が通じなくなるとは?」
キーレイに問いに返事はない。樹木の神官が振り返ってきたので、コルフは答えた。
「確かに時々、なんというか、一方的に自分の考えを言っているような感じがあって」
「そうなのですか、タグロン様」
タグロンは額をしわしわにして、唸るように答えた。
「そうだ。神官モルディアスの扱いは時々ひどく難しい。言う通りにしなくなって、連れて帰るのが面倒になったんじゃないか、この若者たちは」
「そんな、酷い言いがかりです」
「君たちに証明できるか、それが」
迷宮の中で起きたすべてのことは、目にした者がいなければ、どうとでも言える。
利害が一致してしまえば、誰かの命を奪うことすら簡単になる場所だ。
「探索を好む連中にはよくある話だ。扱いの難しい者は追い出されるし、足手まといは置き去りにされる。それが迷宮都市では普通なのだと言う。誰も彼も、平気でそう口にするようになった」
それは許されることなのか、とタグロンは言う。
話が違っていると、カミルは憤りを感じている。
「僕たちは無理に神官を連れ出していないし、置き去りになんてしていません。さっきも話しましたけど、ハリガンが紹介してくれて出会ったし、六層でいきなり姿を消したんです」
「置き去りにはしているんだろう、それじゃあ」
「探しましたよ。七層にも降りたし、随分長い時間探したけど見つからなかったんだ!」
「見つけられずに自分たちだけで去ったんだろう!」
不毛な時間だった。タグロンもカミルも怒りに囚われて、自分の主張を繰り返すだけになってしまっていた。
カミルは自分たちのした努力を無にされるのが嫌で、タグロンはとにかく皿の神官が取り残されたことを責めている。
「無事に戻せ! 神官モルディアスを神殿へ帰らせろ!」
吼えるように叫んで、タグロンが立ち上がる。
あまりにも大きな声に、カミルは怯んでしまってなにも返せない。
部屋は急にしんと静まり返ってしまった。
耳がおかしくなってしまったのではないかと思えて、コルフは小さく頭を振った。
時間が虚しく流れていく。
どうすべきか二人がわからないでいると、とうとう聞きたくなかった台詞が放たれてしまった。
「わかりました。捜索に行きましょう」
キーレイがこう言い出して、カミルたちはひどく焦っている。
タグロンは勝利の笑顔を作ったが、キーレイの言葉には続きがあった。
「ですが、十二層までです。一通り探して見つからなければ、地上へ戻ります」
「なぜ見つかるまで行くと言えないのか、キーレイ殿!」
「タグロン様、神官モルディアスがなぜいなくなってしまったかはわかりませんが、あの迷宮の中で、自分の意思で進み続ける者を探すのは困難なことです。どんな熟練の探索者であっても不可能に近い。探索とは大変に難しいものです。ただ進んでいくことすら難しい。命をかけてするものなのだと理解して頂かなけばなりません」
行き違いの末にモルディアスは一人で神殿へ戻ってくるかもしれない。それを、捜索に出た者に知る術はないのだから。
偶然が起きなければ出会えるかすらわからないのだから。
永遠に探し続けることはできない。
だから、区切りが必要だとキーレイは強い口調で話した。
応接間はしばらく、しんと静まり返っていた。
途中でそっとフェリクスとティーオが顔をのぞかせたが、この空気を正しく解釈したらしく、入ってくることはなかった。
「仕方がない、いいだろう。とりあえずはいいとしよう」
タグロンは低い声でこう呟き、キーレイは力強く頷いて、カミルとコルフに向けて話した。
「二人とも、どんな経緯で神官モルディアスと共に行くことになったか、詳しく話してほしい」
「その必要は」
「いいえ、彼らの言い分も聞いて下さい。随分行き違いがあるようですから。お帰りになってからよく確認して頂かねばなりません」
タグロンはしぶしぶ頷いて、連れの神官に話を聞くように言い残すと、樹木の神殿から出て行ってしまった。
カミルとコルフはハリガンと出会ったところから、次の日の朝に起きたこと、探索へ行ってから戻り、深夜にどんな対応をされたかまでを長々と話した。
説明が終わってから応接間を出ると、ティーオが長椅子の端に座って待っていた。
「あ、カミル、コルフ、ごめんな、起きるのが遅くて」
「いいんだそんなの」
「ヨンケの声が小さくて」
「いいって、フェリクスは?」
「捜索に行く準備を手伝ってる」
タグロンとの話し合いの途中、とても不思議に思っていたことがあった。
「もしかして、キーレイさんが行ってくれるの?」
「そうみたいだ」
ティーオはしょんぼりとした顔をして、申し訳ないよな、と呟いている。
「あの皿の神殿の人、おっかなかった。キーレイさんがいなかったらどうなってたか」
「だけど、どうしてあの人らは神殿に怒鳴り込んできたんだろう」
カミルたちが滞在しているのはお隣であり、神殿とは関係ない。住まいの説明の為に隣にあると伝えたが、何故だろうとコルフは言う。
「説明は終わったか」
そこに、噂の勇敢な神官長がフェリクスを連れて戻って来た。
なにを買い込んできたのか、大きな荷物袋を二つ持っている。
「終わりました、キーレイさん、あの、本当にごめんなさい。迷惑をかけてしまって」
カミルとコルフが様子を窺うように問いかけると、キーレイは荷物を床に下ろし、大きなため息を一つ吐き出した。
「いいんだ。カッカー様を巻き込むよりはずっといい」
「あの」
「タグロン様がこちらに来たのは個人的な理由からだ。あんなに怒っているのは私のせいもあるんだ、気にしなくていい」
そんな風に言われては、どんな事情があるのか気になって仕方がない。
「フェリクス、手伝いをありがとう」
「キーレイさん、あの、一人で行くつもりですか?」
「一緒に来てくれるか? 私は神官モルディアスの姿を知らないし、来てくれれば助かるな」
カミルたちは四人で顔を見合わせて、互いの表情を探った。
断る理由がない。タグロンの怒りは理不尽だが、原因は自分たちの探索で起きた出来事なのだから。
探索へ向かうための荷物を用意してそれぞれの袋に詰め、朝食の準備に取り掛かって、急いで食べた。
食べ終わった頃に、準備の為に家に戻っていたキーレイもやってきて、屋敷の食堂の隅で落ち合っている。
お隣の神殿の偉い人が探索の準備をして、初心者四人組とどこかへ出かけるようだ。
屋敷に集った若者たちの視線が痛い。カミルたちは気恥ずかしい思いでいたが、キーレイは気にしないようで、若者たちの中からアルテロを見つけ出すと、朝早くにすまなかったと声をかけている。
「では行こうか」
キーレイに促されて四人は屋敷を出て、「緑」に向かって歩きだした。
迷宮都市で名を挙げている探索者は誰かと聞かれれば、今ならば大勢が「カッカー・パンラ」と答えるだろう。
引退したとはいえまだ街にいるし、身を引いてからまだ三年しか経っていない。
高名なカッカーの仲間として、魔術師ニーロ、妻であるヴァージ、剣士のマリートもよく知られている。
「だけどさ、キーレイさんもすごいよな」
少し前に、カミルとコルフはこんな話をしていた。
「カッカー様の弟子で、ニーロさんマリートさんに頼られてて、ヴァージさんともよく話しているだろう。ウィルフレドとも親密そうじゃないか?」
「確かに、二人でどこかの店に入っていったのを誰か見たって言ってたなあ」
交友関係が華々しいのは、単に顔が広いだとか、人が良いだけではなく、探索に通じているからではないかと二人は話し合っていく。
「キーレイさんって、迷宮都市生まれの迷宮都市育ちなんだよな」
「小さい頃から迷宮に入り浸ってたって聞いたよ」
そして、キーレイはどんな迷宮へ誘われても「断らない」という噂があった。
神殿の仕事が忙しい時は待たせるらしいが、「赤」だろうが「黒」だろうが「黄」だろうが、魔術師ニーロに呼ばれたら同行しているのだと。
ひょっとしたらとんでもない探索者なのかも、とカミルとコルフは考えていた。
そんなキーレイが目の前を歩いている。
神殿の仕事がなかったからなのか、神殿同士で揉めてしまったからなのか、個人的な事情とやらのためなのかわからないが、朝早くに怒鳴り込まれて、無謀な捜索を引き受け、あっという間に支度を済ませ、食事を終えてもう迷宮へ向けて歩き出している。
「キーレイさん、本当に良かったんですか」
「さっきも言ったが、個人的な理由が絡んでいてね。放っておいてはなにを言われるかわからない。カッカー様に迷惑がかかるだろうし、君たちも悪評をバラまかれたら困るだろう。屋敷に滞在しているみんなにも影響が出るかもしれない。なるべく穏便に解決させるために、私が行くのが一番いいんだ」
その内容を聞いていいのか、コルフは悩む。だが、ティーオは悩まない。
「あの皿の神殿の人となにがあったんですか」
キーレイの背は、四人の誰よりも高い。いつも背筋をぴんと伸ばしているからなのか、前を歩く背中はとても大きく見える。
「随分前の話だが、タグロン様の娘との縁談を断ったんだ」
樹木の神官はうんざりとした顔でため息を吐いて、こう続けた。
「最初は私の弟と、という話だった。けれど弟にはもう心に決めた女性がいるということでね。それで、しょうがないから私でいいというような話をされた」
地方からやってきた探索初心者たちにはふりかからないであろう内容に、四人の顔は一斉に曇った。
「どうして断ったんですか」
ティーオの追及に、キーレイはまたため息をついている。
「しょうがないなんて言われて、受けられるか?」
「うーん。でも、神官長の娘ならちゃんとしているだろうし、縁談が来るなんていい話なんじゃないですか」
「確かに、一度引き合わされたが上品で可愛らしい女性だった。だが、迷宮都市で暮らしたことはないし。弟となら店をやっていくことはできるだろうが、私とではな……」
上品で可愛らしい女性と引き合わされるような体験をしてみたいカミルとしては、聞き捨てならない台詞だ。
「会ったんですか、その可愛らしい女性と」
「会わされたんだ。だまし討ちのようにね。両親もうるさい。そろそろ身を固めたらどうかと何度か言われている」
キーレイとの立場の差を、四人は思い知らされていた。
田舎から出てきたのんきなその日暮らしの探索者たちには、自分の家すらないというのに。
「いいんだ、こんな話は。とにかく断って以来、強く当たられるようになった。年に何度かすべての神殿の者が集まる日があるのだが、個人的にあれこれ言われて本当に参ってるんだよ」
だからこれ以上責められる理由を増やしたくない、とキーレイはこぼしている。
贅沢な話だと四人は考えていたが、そんな初心者たちにも神官長は誠実な瞳を向けてきた。
「誰かを迷宮の中で探すのはとても難しいことだ。アクシデントが起きてはぐれたわけではないんだろう?」
「泉で水を飲んでいる間に、いきなりいなくなってたんです」
フェリクスの答えに、キーレイは腕組みをしてしばらくの間黙った。
空を見上げて、目を閉じて。やがて意を決したように振り返ると、四人に向けて静かに話した。
「君たちが共に行ったのは、恐らく『博愛のハクス』だと思う」
「博愛のハクス?」
「そう呼ばれている神官がいたんだよ。モルディアスという名だったかはわからないが、皿の神官だったように思うから」
「緑」の迷宮までの道を行く間に、キーレイは「博愛のハクス」について語ってくれた。
一時期、カッカーと並ぶと言われるほど名を挙げていた神官なのだと。
「ハクスはとても優しい心の持ち主で、迷宮の中で傷ついた者を必ず助けていたらしい。探索のない日にも『橙』に入って、困っている初心者たちを癒してまわっていると噂になっていた」
「キーレイさんも会ったことがあるんですか」
「ハクスが名を挙げていたのは十年ほど前だ。私は神官になるための修行をしていて、探索からは離れていた。だから、会ったことはない。どんな人物なのかは人から聞いただけなんだ」
そんなハクスが「迷宮へ入った」だけで噂になる時期があった。
ハクスがいれば、万が一傷を負っても治療してもらえるかもしれない。それをあてにした初心者たちが後を追って探索に行くことが多くなっていたという。
話を聞いているうちに、「緑」の迷宮入り口へたどり着いていた。
キーレイは立ち止まって、同行する四人の若者たちひとりひとりの顔を見ながら話していく。
「家の者に話して、昨日薬草を採りに行った者たちの中に神官を見かけなかったか聞いてもらっている。彼らは大抵、昼から入って夜には戻って来ているからね」
今は昼になる前で、皆今日の仕事の準備をしている時間帯らしい。めぼしい業者のもとに、キーレイは実家の力をフルに使って尋ねに行ってもらったという。
その結果を伝えに来てくれるから、少し待とう。
神官長の頼もしさに、四人は感心するばかりだ。
「キーレイさん、ハクスはどうなったんですか」
皿の神官モルディアスこと、マスター・ピピは「もう探索へ行かせてはならない」状態で、皿の神殿から自由に出られないようにされているようだった。
タグロンが「連れ出した」と言うのだから、神殿の奥に閉じ込められていたのではないかとカミルは考えている。
マスター・ピピが「博愛のハクス」と同一人物だったとしたら、キーレイの話には続きがあるのだろう。きっと、あまり良くない展開が待っているはずだ。
「待ってくれ。こっちだ、バロウ!」
道の向こうから若者が一人走って来る。キーレイを見つけるとまっすぐに走ってきて、バロウは息を切らせながら報告をしてくれた。
「アードウ様の店の者が、十層目でやけに、まあるい、神官を、見たそうで……」
「丸いのか?」
キーレイの問いに、四人は夢中で頷いて答えた。
神官長は不思議そうな顔で頷くと、バロウにねぎらいの言葉をかけ、教えてくれた業者に礼を言うように告げる。
「十二層では足りないかもしれないな」
こんな不吉な一言を漏らすと、キーレイは迷宮の入り口へと続く穴へ降りていき、四人の初心者たちも慌てて後を追った。




