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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
13_Talk about tomorrow 〈まるで、夜明けのような〉

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52 成果の確認

 ひょっとしたら途中で分解するのではと思っていた五人組が、二か月近く経ってもまだ形を保っていて、ベリオは驚いていた。

 いやいやながらもダンティンは訓練を続けて、ドーンに剣の扱い方を教わり、カヌートに仕留め方を指導され、デルフィから薬草の見分け方まで学ぶようになっていた。

 からっぽだった財布もふっくらと膨らんで、腰に提げていたなまくらもマトモな剣に変わっている。

 

 ベリオにとっては本当に不思議な話なのだが、ボロ宿の隣の部屋で、ダンティンとカヌート、ドーンの三人は仲良く暮らし続けているようだった。


「なにを考えているんだかな」

 明日からまた「橙」に挑もうと決まり、食事を終えて、夜になってからベリオがこう呟くと、デルフィはなぜか笑っていた。

「案外、みんな最下層へ行ってみたいと思っているものなのかもしれませんね」


 誰もダンティン(やくたたず)を追い出そうとしないことを不思議に思っているのだろう。

 ベリオも同じように思っているが、今の呟きの理由とは違う。

 おそらくはデルフィも気が付いていない。ダンティンも同じだろう。この二人はのんびりしているので、気付かなくても仕方ないと思える。

 けれどカヌートはどうなのだろう。ドーンが女だと気が付いていないのだろうか。

 

 女と同じ部屋で暮らすとなれば、もう少し空気が変わっていてもいいように思う。

 ドーンは確かに、女を感じさせない風貌をしている。

 仲間探しにおいては強みになる「女であること」を、徹底的に隠しているのだろうか。

 仲間探しには有利に働いても、仲間を作ったあとは、もめごとの種になりがちではある。

 値踏みされるのが嫌なのか、いやらしい視線を向けられるのはごめんなのか。

 同じ部屋で暮らし続けて、気が付かれずにいられるのか、それとも二人とももう気が付いていて、どうでもいいと思っているのか。


 わざわざ聞くのもおかしいような気がして、ベリオは五人組の中の不思議な事象に触れないようにしてきた。

 ここまでの暮らしの中で不都合はなかったのだから、意識する必要などないのかもしれないが。

 

「たかが『橙』でも、大仕事ですから」

 デルフィの言葉に、ベリオは頷きながら考える。

 初心者にとって、最下層への道のりはあまりにも遠い。

 地図があっても、切り札に脱出を用意できていたとしても、迷宮の中で何日も過ごすのは過酷な体験だ。

「何度目で最下層まで辿りつけるかね?」

 一回や二回の挑戦では無理だろう。

 途中で死者がでる可能性だってある。ダンティンたちとの付き合いは、長くなるかもしれない。

 ベリオは少しだけ酒を口にすると、自分のベッドに入った。

 デルフィの小さな祈りの声を聴きながら目を閉じ、暗がりの中に沈んでいく。


 前回は、九層まで進んだ。

 ダンティンは随分まともになったようだから、十五層辺りくらいまでは進みたい。

 

 これまでに様々な迷宮に足を踏み入れてきた。

 名うての魔術師がいれば、「黒」も「黄」も恐ろしくはなかった。

 けれど。どこにも、長く、深く潜った経験はない。

 ニーロとともにいけるのは、本格的な探索ではない、なにかしらの用事を済ませる時だけだった。

 落とし物や、置き去りになった死者の救出や、特定の道具を探しに行く時だけ。


 原始的(アナログ)な夜明かしや食料の調達を、何日も続けていけるのだろうか。

 たかが「橙」だが、あそこもまた古代の魔術師たちの凶悪な遊び場で、油断していいところではない。


 案外、自分が死んで取り残されてしまうかもしれない。


 眠りの波に揺らされながら、ベリオの魂が震える。

 ダンティンに向けた言葉のすべてを、自分の心にも打ち込まなければいけない。

 自分は、決して、凄腕の探索者などではないのだから。


 ダンティンの成長を待っていたこの二か月の間。

 監督役はカヌートとドーンがはりきって引き受けてくれていたので、ベリオとデルフィは以前のように、二人組として様々な探索に挑んでいた。脱出と、それなりの経験をしてきた戦士の組み合わせを歓迎してくれる探索者は多くいて、たまには六人組になったり、四人になったりしながら、はっきりと設定した目標の為に街の地下に埋まっている渦の中へ何度も飛び込んでいった。

 それぞれの迷宮でしか取れない貴重品や、獲物の皮や肉、鹿の角、罠の向こうに隠されている宝など、さまざまな物を持ち帰った。


 これまでと同じ仕事をする中で、ベリオは自分の手と足、目や耳の働きぶりがどんな程度のものなのか、意識して歩き続けていた。

 かつて、ダンティンと同じ、田舎から出てきたなにも知らない若者だった自分と、今と、どれくらいの差があるのか。

 成長してこられたのか。

 無彩の魔術師の背中を勝手に追って、ついていって、相棒のような顔をして振舞っていたが、あの頃見た景色が自分にどれだけの糧を与えてくれたのか、それをちゃんと自分の力に変えられているのか、今こそはっきりと知らなければならなかった。

  

 敵が現れて剣を構えながら、考える。

 一体どんな特徴を持った、どんな動きをする魔法生物なのか。肉が獲れるのか、特有の収穫ができるものなのか。

 ただ切るだけ、ただ倒すだけ、ただ奪うだけ、ただ食らうだけでは、探索者にはなれない。

 よく見て、よく聞いて、よく動いて、よく声を上げて。自分の足で歩き続けなければ、本当の探索者になれはしない。


 迷宮都市にやってきてから、初めて「橙」に足を踏み入れた時。

 高揚と興奮と、大きな夢だけを抱えて歩いた。

 ダンティンとまったく同じ。

 雲のようなふわふわとした心で、浮かれた足取りで歩いていた。

 運よく怪我をせず、道に迷わなかった。罠にもかからなかった。

 その後「藍」で失敗をしたものの、迷宮の申し子に出会ってしまった。

 

 デルフィとの出会いは幸運だったが、おかげでまだ「大失敗」ができていない。

 

 自分の経験の薄っぺらさを、ベリオはしみじみと感じていた。

 様々な探索者たちと共に歩いて、彼らの持つ特技や、勘の良さ、話術の巧みさを目にして、思い知っていた。

 運よく大きな失敗をしないまま命も落とさず、だから探索など、たいしたことではないと心のどこかで思いながら、迷宮の底を夢見ているだけだったと。

 

「ようやくだ」


 身の丈を知り、一人で歩く。

 思いがけない出会いのおかげでやっとわかった。

 どのくらいやれるのか、なにができるのか、どこまで行けるのか。

 恐れずに見つめて、確かめた。

 だから明日、「橙」へ向かう。

 渦の底へたどり着き、魔竜と戦うために。

 更なる高みと、新しい自分と出会うために、どこまでも歩く。


 この五人で向かう探索を、本当の探索者としての第一歩にする。

 


 

 次の日、ベリオはすっきりとした気分で目覚めていた。

 寝起きが少し悪いデルフィを早めに起こし、身支度を済ませていく。

 扉を叩く音がして廊下へ出ると、ダンティンたちが揃って並んでいた。

 三人を先に食堂へ行かせて、相棒を叩き起こし、着替えさせていく。


 いつもとは違う食堂に向かい、腹ごしらえを済ませる。

 宿の主人に探索へ出ることを告げて、一行は「橙」へ向かった。

 他の連中に先駆けようと決めていて、前回のように出遅れることなく進む。

 既に入り口に人はいたが、順番待ちをしているのは二組だけのようだ。


「前回は九層で戻ったから、今回は十層よりも下へ行くぞ」

「一番下まで行けばいいじゃないか」

 ダンティンの台詞は相変わらず軽い。

「夜明かしの後進むのはキツイ。まずは慣れなきゃ危険だ」

 けれど熱く、勢いがいい。慎重も大事だが、野望もなければ先には進めない。

「もちろん、行けるところまで行くさ。だが、少しでも無理があれば戻る。次に挑戦する時には、それまでよりも低い層へ向かうんだ。必ずな。そうやっていけば、必ず最下層に辿りつける」

 ダンティンはまだ不満げだが、なにか思うことがあったのか、口を尖らせながらもベリオに向けて頷いた。

「食糧が途中で尽きるかもしれないしな」

 カヌートが話しているうちに、背後に新しい五人組がやってきて並ぶ。前にいたうちの一組が扉の中へ吸い込まれ、消えていく。

「現地調達にも挑戦できるといいな」

 ドーンが呟き、デルフィが同意する。


 「橙」入り口の穴の上が騒がしくなっていく。

 どうやら初心者たちがたくさん集まる時間になったようで、そばで屋台を出している商人たちの声も大きくなっていく。


「準備はいいな」

 入場待ちの一組が扉の奥に消えていき、ベリオたちが最前列になる。

 最後の待ち時間は、いつだってひどく長く感じられるものだ。

 これが「黒」だの「黄」だのといった物騒な場所なら、順番待ちなどしなくて良くなる。

 「橙」よりは「緑」がマシだし、「緑」よりは「藍」の方が空いている。

 

 わざわざ早く起き出して準備したり、前の連中がどれくらい進んだか考えながら待たなくてよくなるのは、強くなってからだ。

 実力のある探索者たちは、でかける時間も場所も選ばなくて済む。


 最初から強い探索者もいる。

 ベリオの脳裏に浮かんだのは、生意気な新入りであるウィルフレドの気取った髭面だった。

 この街の誰とも違う立ち振る舞い、鋭い瞳。あっという間にベテランたちのお気に入りになった戦士。

 ただ者ではないのだと、どんな若輩者でもすぐにわかった。

 

 きっと、積み重ねてきたんだろう。この街に集う若者たちよりも、ウィルフレドは長い時間を生きてきた。

 誰も知らない、彼の三十余年の日々。

 名もない田舎町でだらだらと無為な時間を過ごしたことなどないのだろう。

 恐ろしいこと、辛くてたまらないことも、厳しい試練をも乗り越えてきた猛者に違いない。そう確信させる瞳をした男だ。

 これまで、探索者ではなかっただけ。迷宮都市にいなかっただけ。

 新参者ではあったが、彼は既に強者だった。

 だから彼は、選ばれる。

 ベテランたちと共に、どんな迷宮にも行ける。


 強さを持たない者に、同じ道は往けない。

 だから地道に、一つ目の渦を進んでいくしかない。


 

 これまでになかった平静が、ベリオの中にあった。

 たかが「橙」の、地図も脱出も用意された探索には、過ぎた感情かもしれないが。

「早く行こう」

 ダンティンは足を踏み鳴らしていて、探索を始めたくて仕方ないようだ。

「焦ると死ぬぞ」

 せっかちなリーダーだけではなく、他の三人にも視線を向ける。

 ダンティンは不満そうだが、デルフィもカヌートもドーンも、穏やかな表情で頷いた。


 それから少しだけ待って、とうとう五人組は「橙」の扉を開いた。

 カヌートが一番前を行く。ダンティンとドーンが続いて、ベリオはデルフィと並んで後列に入った。


 前回とはうってかわって人気のない「橙」の道を、五人は歩いて行った。

 誰も罠にかかってくれないから、地図を確認しながら進まなければいけない。

 誰も戦ってくれないから、出てきた鼠と戦わなければならない。

 長い道のりを行くつもりなのだから、食糧を得る努力をしなければならない。


 ダンティンの剣の腕は、明らかに上がっていた。

 剣に振り回されなくなったし、狙いも正確になっている。

 ちょろちょろと走り回る鼠に最初は慌てていたが、ドーンに声をかけられていくうちに余計な動きが少なくなって、一人でも敵を仕留めることができた。

「やったぞ!」

 他に引き受けてくれる連中がいない分、道のりは少し遠くなっている。

 前回との差は、ダンティンの修行の成果が埋めていくだろう。

「止まれ、罠がある」

 地図を確認しながらドーンが声をあげて、カヌートの指導を受けていく。罠の解除は迷宮内で訓練するしかなく、貴重な時間をベリオたちは待たなければならない。

 先に入ったパーティの姿は見えない。まだ、次の組には追い付かれる気配はない。

「なんだか前と全然違うな」

「お前らが早起きしたからだ」

 夜明けすらまだの時間に準備して待っていたくせに、なぜ文句が言えるのか。

 いつもの店はまだ開いていないから、わざわざ夜通し開けている食堂に行ったのを覚えていないのか。

「カヌートに起こされたんだ。混む時間は嫌だって」

「あいつ、そんなにやる気だったのか?」

 不思議な五人組だと思っていたが、ダンティン以外の二人も、本当に最下層へ行ってみたくてたまらなかったようだ。

 なにより、自分もそれに付き合ってしまっている。早くに来るだろうと考えて、ベリオもまた夜明けよりも先に起き出していた。


「今日は長くなるぞ」


 ベリオのこんな独り言の通り、六層目の泉にたどり着くまでに、前回よりもずっと長い時間がかかっていた。

 探索の緊張と戦いの疲労でくたくたの体を、回復の水が癒していく。こんなにもこの水をありがたいと思ったのは初めてで、どうやらダンティンたちも同じような気分でいるようだった。

「この間より沁みる気がする」

「楽すぎたんだよ、前回は」

 座り込んで呟くダンティンを、後からやってきた五人組がじっと見つめている。

「邪魔だぞダンティン」

 戦いだの罠の解除だので、他のパーティが追い付いてきたり、追い抜かしてきたりするようになっていた。

 真の初心者は大抵ここで帰るので、先はまだまだ空いているだろう。

「飯にするか」

 疲労は癒せても、空腹は満たせない。泉の水は万能だが、食糧のかわりにはならなかった。

 前回よりも三層早めの食事のために、近くのちょうどいい行き止まりへと歩いて行く。

 すると、最も近いでっぱりには先客がいて座り込んでいた。


「ああ、いいよ。俺たちはもうすぐ終わるから。気にしないで」

 他の場所へ移動しようとするベリオたちを、気の良さそうな男が呼び止めてくれた。

 食料を包んでいたロシュークの葉を集めて、隅の方へ追いやっている。ごみの山はまだ小さくて、昨日大勢が積み上げた探索の跡は迷宮がきれいに運び去ってくれたようだ。

「少し前にも潜ってなかったか、同じメンツで」

 五人で腰を下ろし、食事の支度を進めていると、先客のうちの一人がこう声をかけてきた。

 ベリオはその男の顔をじっと見つめてみたが、覚えがない。迷宮都市へやってくる若者にありがちな髪の色、瞳の色をしていて、目は少し鋭いが、他に特徴のない男だった。

「背の高い奴だなって思ったんだ、奥の、ほら、あいつを」

 そういうベリオも、さほど目立つ特徴はない。が、デルフィは違う。背が随分高いし、背がある割に体は細い。ありふれた戦士崩れとは程遠い見た目で、覚えられてしまうのもわかる。

「それにお前だよ」

 男は荷物を漁るダンティンの背を、パンと叩いた。

「なんだ、あんた」

「泉で早くしろって急かして、怒られていただろう」

 男に笑いながら言われて、ダンティンは顔を赤くしている。もう言わないと答えてまた笑われ、二言、三言会話を交わしていく。

「おい、行くぞ」

「わかった。すまないな、邪魔をして」

 神の加護があるように。そんな言葉を残して、男が去っていく。

 迷宮の探索を守ってくれるのは、どの神なのだろう。

 ベリオはデルフィへ視線を向けたが、気が付かずに水を取り出している。


 手早く食事を済ませ、順番に用も足して、ベリオたちは再び探索のために歩き出した。

 七層の階段へ向かい、降りていく。降りたらすぐに兎がぴょんぴょんと飛び出してきて、戦いになる。

 前よりもずっと早くなったが、ダンティンの戦闘はまだ時間がかかった。カヌートに注意されているが、ドーンの仕留め方はまだ雑だ。

 二体分の毛皮を剥いで、肉を取り、携帯食料を包んでいた大きな葉っぱでくるんで荷物を増やす。

 

 地図に書かれている通りに罠があって、解除をしていく。カヌートが引き受けたり、ドーンが試してみたり、順番に取り組んでいるようだが、今のところ誰もかからずに済んでいる。

 鼠が出て戦い、兎が出て戦い、八層目へ。人気はない。静かな橙の迷宮を、五人は進んでいく。

 罠と出会う度にドーンの集中は切れていき、戦いが起きるたびにダンティンの剣は鈍くなっていった。

 けれど進んで、九層目。たどり着いてすぐの辺りで、前回の探索は終わった。

 既に、前回よりも濃厚な探索をしてはいる。

 ベリオは全員の様子を見ながら、どこまで進むべきか考えていた。


 デルフィはまだ問題ない。

 カヌートもかわりはなく、止める要素を持っていない。


 このパーティの弱点はとにかくダンティンだった。

 足取りには疲れが見えたし、魔法生物が現れた時の反応も鈍くなっている。

 成長はあったが、まだ足りない。基礎の訓練ももっと積んだ方が良いし、探索の実践も重ねていくべきだろう。


 そしてもう一人、ドーンもまた不安定だとベリオは感じていた。

 集中しているように見せているが、意識がときどき、違うところに飛んでいるように思える。

 罠と向かい合いながらイラついているし、戦い方はまだ乱暴だった。すぐに倒せるのだからダンティンよりはずっとマシだが、長い探索への備えには欠けている。皮は破かれ、肉はバラバラになってしまう。肉はその場ですぐに焼いてしまえば、食べられるのかもしれない。だが持ち運んだり、売り払ったりするには技術が足りない。カヌートは何度も注意をしていて、ドーンも聞いてはいるのだが。時間が経つと意識は薄れ、徹底できなくなってしまうようだ。


「足音がするぞ」

 カヌートの声に、ダンティンとドーンが剣を抜く。

 ベリオも用意をして、少し前へ進んだ。

 

 探索が進むと、出現する魔法生物は変化していく。より強く、賢く、簡単に倒せなくなっていく。


 「橙」の十層目からは、犬の形をした魔法生物が現れる。

 「黒」の一層目から出てくる地這犬(ドゥークレー)よりも小型で、噛む力は弱い。爪の鋭さも、走る速さもずっと控えめな、地走犬(ドゥックラン)と呼ばれる敵が、通路の先からやってくるのが見えた。

「犬は初めてか」

 ベリオの問いかけに、二人は答えない。頷いたのかもしれないが、声はなかった。

 犬の形の魔法生物の中では最も小さいが、鼠や兎とはくらべものにならない圧がある。

「噛まれるなよ!」

 どうやら三頭でやってきたらしく、足音が大きくなっていく。

 カヌートが前へ出て一匹目に飛びつかれ、戦いが始まった。

「ぎゃあっ!」

 早速ダンティンの悲鳴があがって、ベリオは前へ飛び出していく。

 右の手首に噛みついている犬の背中を斬って、蹴とばし、背後に控えるデルフィに合図を送る。

 ドーンは思い切り剣を振り回して、犬の足や首、顔の周りを何度も切りつけていた。

 浅い傷が増えて、増えて、犬が怯んでようやく、決着がつく。


「初めてならこんなものか」

 今までで一番大きな敵ではあったが、まだまだ小型の部類の魔法生物はちょこまかとよく動く。

 勝手がわからない初心者は、とどめを刺すまでに時間がかかっても仕方がない。

「くそっ」

 ダンティンは手当を受けていて、カヌートはさほど苦戦をせずに犬を仕留めている。

 悔しげに壁を蹴っているのはドーンで、切り傷まみれの犬の死骸の無残さと、息があがっている自分に腹を立てているようだった。

「休むぞ、ドーン」

 余計なことをしていないで、地図を見ろ。

 ドーンは怒りに満ちた目でベリオを睨み、睨まれた剣士は苦笑している。

「ちょうどいいでっぱりはどっちだ?」

 こんな時こそ冷静でいなければ、探索は続けられない。

 失敗しようが、納得いかなかろうが、それがわからなければ探索者になれはしない。


 しぶしぶ地図を見て、位置を確認し、カヌートにも意見を聞いて、ドーンは一行へ進むべき道を示した。

 近くには飲み水の沸く泉もあるようで、補給をしようと五人で向かう。


「ダンティン、手はどうだ」

 利き手に噛みつかれて、剣を取り落としていた。

「大丈夫だ」

 手当をしてもらっても、傷は一瞬で塞がりはしない。

「剣は持てるのか」

「大丈夫だ」

「持ってみろ」

 ダンティンの口はぎゅうっと閉じられていて、額には汗が浮かんでいる。

「ほら、持ったぞ」

「振ってみろ」

 戦いができないのなら、切り上げなければならない。

「……くそっ!」

 剣を斜めに二回振ったところで、剣はダンティンの手から離れていってしまった。

 通路に落ちてゆっくり回っている剣を拾い上げて、ベリオは四人へ視線を向けた。

「今回はここで終わりだ」


 もう少し進みたかったが、戦士が戦えなくなってしまった以上仕方がない。

 デルフィが実は神官だったと白状して、癒しの業を使えば、続けられるところだが。

 背の高い「脱出」持ちは、まだ正体を明かす気はないらしく、黙っている。


「もう終わりか」

「犬が出てくるのが早かった。運がなかったな」

 しかし、前回よりも、罠の解除、敵との戦いを多くこなしたのだから。

 一層分長く進めたのだから。

 明らかに経験を積めたのだから、納得しなければならない。

「十二層の泉まではまだ距離がある。その間に犬が群れで出てきたら、やられるかもしれないぞ」

 「橙」ごときで、魔法生物の群れは出てこない。

 と、言われている。そう考えられているが、それは「今までになかった」だけなのかもしれない。

「迷宮に絶対はない。どの色だろうが同じだ」

 無理が来たのだから、帰る。十層分歩かなくて済む幸運に感謝して、地上へ戻る。

 ダンティンとドーンは不満そうな顔をしていたが、ベリオの意見に逆らいはしなかった。

 

「戻ったら、毛皮と肉を売って清算する。ダンティン、神殿で治してもらう分は自分で払えよ」

 この言葉にも、異義はないようだ。四人は黙って頷いて、デルフィの傍に集まっていく。


 こうして、初心者たちの二度目の「橙」探索は十層目で終わった。



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