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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
12_Celebrity of the 12 gates city 〈道楽息子〉

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48 素晴らしい邂逅

 ごく普通の町で暮らすごく普通の町民ならば、生まれた時から人生が終わるまで、誰かと長く付き合う経験を持つものだろう。

 迷宮都市に集まった探索者たちは、残念ながらそういった人物と出会う機会は少ない。ほんの少しの探索で尻尾を巻いて逃げ帰る者も多いし、生涯の友だと思った誰かがいても、次の日にはただの思い出になってしまうこともよくあるからだ。


 探索に生きる者たちの中で誰かと長く付き合える、身もふたもない言い方をするのならば「生存率が高い」者といえば、神官たちだろう。彼らは仲間たちの最後の砦。癒しの力が尽きそうになったら、その日の探索はもう切り上げなければならない。

 神官たちはしばしば最後の生存者になるが、だからいいかというとそうでもない。失われた仲間をどうするか決めなければならず、彼らは悩む。置いていかねばならない誰かがいて平気でいられるほどの薄情者は滅多にいない。だから心優しい神官ほど、探索には行きたがらない。迷宮都市では魔術師が最も希少な仲間だが、共に歩んでくれる神官もとても貴重な存在だった。


 

「ああ」


 そんな貴重な仲間を擁した一行は「黄」を進んでいて、四層目の途中で足を留めた。

 声をあげたのは魔術師のニーロで、一番前を行くロビッシュのすぐ後ろの位置にいる。スカウト技術の向上の為にその位置にいて、通路の先にある光景にも早く気が付いたようだ。


 ニーロがなぜ声をあげたのか、キーレイも目を凝らしてすぐに気が付いた。誰かがいる。ほとんど無人に近い「黄」の迷宮の通路で、うずくまっている者がいた。


「素晴らしいですね」


 ニーロは誰に向けていったのだろう。ロビッシュは話しかけられても答えるタイプではないし、マリートも反応しない。成長著しい最新の相棒、ウィルフレドに言ったのかもしれないが、なにを褒めたのかはまだわからないようだ。


 確かに素晴らしい。あの誰かはたった一人であんな場所にいる。キーレイにはわからないが、ニーロがああ言うのならば、きっとあの人物が「一人で」来たという確信があるのだろう。だとしたら、確かに素晴らしい。「黄」に一人でやってくるのも、ここまでの道で罠にかからずにいたのも。


「てめえ……、なんでそっちからくるんだよ……!」


 怒気を孕んだ声はひどく幼く、近づいてみれば体もずいぶん小さかった。

 美しい顔立ちだが、品がない。通路の上で体をひねったまま座りこんでいて、この状況でなければなにをやっているんだと誰もが首を傾げる光景になっている。


「僕たちを追って入って、よく無事でした」


 ロビッシュもニーロも、通路の誰かからは随分離れた位置で止まった。

 もちろん罠があるからにほかならず、キーレイたちは二人のうしろに並ぶ。


「追って入ってきた?」

「前回です。気配がしていたのですが、ここまで来られるとは思いませんでした」


 見たところまだまだ幼い。そんな彼がなぜこんなにもニーロに食ってかかるのか、キーレイにはわからなかった。


「鍛えれば相当な腕になれますよ」

「うるせえ、なんだてめえ、こんな場所、なんなんだよ、ふざけるなよ!」


 少年の顔はげっそりとしていて、疲れ切っているように見える。威勢はいいが声は枯れており、怒りよりも強がっているように聞こえた。


 あの位置には罠がある。踏んだら最後、足を離したら一瞬で串刺しになる。壁が音もなく動いて無数の矢に撃たれるという仕掛けだが、撃たれた者には自分が一体なにに襲われたのかわからないまま終わるという(モノ)だ。

 その踏んだ仕掛けの上で、少年はわめいていた。思いつく限りの罵詈雑言を叫んで、咳き込み、疲れ果てた様子ながらもニーロを睨みつけている。


「体力もあるようですね」


 魔術師は満足そうに笑っている。「無彩」が差すのは髪や瞳の色だけではなく、表情のなさも含むと聞いた。

 確かに、こんな風に笑みを浮かべるのは珍しい。巷では見れば寿命が延びるという噂まで立っているらしい。


「あなたはなぜこの街へ?」

「はあ?」


 少年は恨めしい瞳を向けてすごむが、無彩の魔術師には通用しない。


「探索者になろうと思ってきたのではないでしょう」

「それがどうかしたのか? ああ?」

「答えたら、助けてあげますよ」


 ニーロは口の端をあげて笑い、ポーチから取り出した紙きれをゆらゆらと揺らす。


「これは『帰還の術符』です。浮かび上がった文字を読み上げるだけで、一瞬で迷宮の入り口に戻れます。滅多に手に入らない高価なものですが、答えてくれるならあなたにあげましょう」



 少年の表情が歪む。怒りと、悔しさと、底抜けに濃い疲労が混じり合った複雑な顔になっていく。


「もちろん無料で」


 でも、動けない。挑発されても、虚仮にされても。動けば死んでしまうから。

 それがわかっているのだから素晴らしい。あの少年は探索者ではないから「黄」に入り込んだのだろうが、探索者ではないのにあの罠を察知し、滅びの条件を忘れないでいる。


「どうしてこの街へ来たのですか?」


 時間はかかった。だが、答えはあった。


「たまたまだ。街があったから入った」


 珍しい答えだとキーレイは思った。普通の旅人ならば、この街の異質さにすぐに気づく。迷宮都市だと知らずに入ったとしても、他の街とは明らかに空気が違うのだから。


「盗みをしようと思って来たのですか?」


 なるほど、彼が。ティーオを襲った強盗の一人は少年だったはずだ。合点がいって、キーレイは頷く。


「そうじゃない。そんなことのために来たんじゃない」


 ニーロの表情は見えない。ただ、長くなってきた灰色のまっすぐな髪と、お気に入りであろう黒い上下の服だけが見えている。


「誰に手当してもらったのですか?」


 これにはしばらく返事がなかった。

 あの強盗事件から三日ほどしか経っていないのに、少年が怪我をしているようには見えない。


 どんな年齢でも、どんな事情があっても、商人たちは容赦をしない。盗みをした者には平等の罰が与えられる。

 キーレイの両親はそんな処罰を好まないが、甘い顔を見せる店があるとなれば狙われるようになってしまう。

 なので店主の意向がどうであれ、雇われた用心棒たちは同じだけ、盗人に鉄槌を下すように決められていた。


「わかんねえ。なんか知らねえが、変な奴が声をかけてきたんだ。治してやるからってさ」

「困った人がいたものですね、キーレイさん」


 ニーロは振り返りもせずこんな冗談を言って、笑ったようだった。

 

「もしも行く当てがないのなら、探索者になればいい。あなたくらいの年ごろの人間はそれなりにいます。迷宮に入る暮らしは、人の目にも付きにくい。真剣に取り組めば、いくらでも稼げるようになりますよ」


 魔術師は最後に、「きっと」と呟いた。

 ロビッシュはこくこくと頷き、マリートはつまらなさそうに、ウィルフレドはいつも通りの大真面目な表情で立っている。



 通路で必死になって動かないようにしているあの少年の事情は、さっぱりわからない。

 ここにいる誰もが気にしていない。ただ知りたいのは、彼の「素質」のすばらしさについてだ。


 キーレイだけはほんの少しだけ、あんな小さなこどもがたった一人で、いや、聞いた話によれば大人が一緒だったようなので、保護者を失ったのかもしれないのではないかなどという感傷を持ち合わせている。

 しかし、迷宮都市だと知らずにやってきて、盗みが目的でもないのならば、彼はなぜここにいるのだろう。

 


「もういいだろ、それを寄越せ」


 少年と一行の間にはずいぶん距離があった。

 彼の踏んでいる罠の仕掛けは、前と後ろ、広範囲に渡って作動するものだからだ。かかったマヌケが仲間内に一人でもいたら、パーティ全員が責任を負わされる作りで、まったく容赦がない。


「いいでしょう」


 青い術符はニーロの手の中でひらりと揺れる。


「ここを出たら、魔術師のホーカ・ヒーカムを訪ねるといいですよ。有名な(ひと)ですから、聞けばすぐにわかります。あなたならば無条件で衣食住を保証されるでしょう」

「無条件で?」

「十三歳になるまでは」

「……そいつに頼れっていうのか」

「ひとりでこの街で暮らすのは無理です。商人たちは皆あなたを知っている。誰かに身分を保証してもらわなければいけません」


 少年はなにか言おうとしたようだが、ニーロの言葉の方が早かった。


「僕たちはあなたを信用しません。今あるあらゆる警戒を解くには、時間が必要です」


 よりによってあんな魔術師を、と呆れるキーレイの背中をマリートが叩いた。


「なに、大丈夫だよ」


 ニーロの言葉の意味をわかっている、とマリートは言う。

 あの少年はただのこどもではない、と。


 ふわりと「帰還の術符」が舞う。風のない黄金の通路をまっすぐに飛んで、少年の手の甲の上にぴたりと落ちる。

 少年はニーロを睨むように見つめた後、術符に浮かんだ文字を読み上げて消え、その途端無数の矢が壁から飛び出して跳ね返っていった。


「よくもまあ、寝ずにいられたものです」


 ニーロの喜びが隠し切れない声に、キーレイは肩をすくめた。


「確かに術師ホーカならば助けてくれるかもしれないが」

「大丈夫ですよ、あの子ならば」


 年齢なりの精神ではないだろうから、と魔術師は言う。お前が言うか、とキーレイは思う。


「こんなにも良いアクシデントがあるなんて、探索はわからないものですね」

「本当だな」

「ニーロ、良かった」


 ご機嫌な三人を、キーレイはウィルフレドと並んで見つめていた。


「この罠はいつ止まるのですか?」

「作動しているところを初めて見ましたが、結構かかるらしいですよ」


 やがて最後の一本が床に落ちて、迷宮には静けさが戻った。

 ロビッシュの合図にあわせて歩みを進め、危険な罠を回避して四層を抜けていく。

 毒の霧が出る穴があり、深い一人用サイズの落とし穴があり、上から下から飛び出す串刺しの罠があるらしいが、どれも姿を現さない。


 ひょっとしたら、ロビッシュが嘘を言っているのかもしれない。

 こんな面白くもない考えを転がしながら、キーレイも慎重に進んでいる。

 一度口にしてみた時、冗談でこんな道を進めるかとニーロに怒られた苦い思い出があった。



 五層への階段を下る。

 階段を降りている間には罠がないし、魔法生物は出ない。らしい。どうやらそういう約束なのだと探索者たちは考えている。

 決して油断はしないが、ほんの少しだけ気持ちを緩めて、金色に輝く階段を降りていく。

 息を吐き出し、背筋を伸ばして、キーレイは仲間の様子を確認している。


 顔色が悪いだとか、歩き方がいつもと違うだとか、階段にたどり着く度に確認している。薬草を摘みに親子で迷宮に入っていた頃からの習慣だ。歩いているだけでもなんらかの異常が出る場所だから、と父はよく話していた。

 今、共に歩いているのはただものではない手練れ揃いだが、それでも油断していい場所ではない。

 知らない間に空気に毒が満ちているかもしれないし、小さくて小さくて気が付けないサイズの針が刺さっているかもしれない。


 手首を振り、首をまわし、整える。

 自分は大丈夫。仲間たちもどうやら、大丈夫そうだ。


「いいですか、キーレイさん」

「ああ」


 ロビッシュが一番前を歩く。ニーロが続き、マリートが行って、キーレイはその背中を追う。背後には頼もしい髭の戦士がいて、こんな旅にももう慣れたのだろう、とても静かだ。余計な口を利かないのは相変わらずだが、変化している。ロビッシュの仕事を邪魔しない、音を立てない歩き方になっている。


 やがて一行は、とある通路にさしかかった。

 それまでと同じ床、同じ壁が続くだけの場所だが、先頭の二人の表情は明らかに変わっている。

 罠についてさほど知識のない後ろの三人は、息をする音すら潜めて待つしかない。ロビッシュの鼻はすぐに匂いを嗅ぎつけて大抵の仕掛けを解いてしまう。そうしないのは難しいからに他ならなくて、だとしたら、気を引き締めながらただ待つしかない。


 ニーロも静かに、ロビッシュの様子を窺っている。そこにあることすら気付けずに終わる罠の正体と、解除の方法を学ぼうと目を凝らしているのだろう。


 ひょっとしたら、同じくらい優秀で、もっと親切でおしゃべりなスカウトも迷宮都市にはいるのかもしれない。

 だが、ロビッシュはそうではなくて、ようやく声をあげた時には既にもう遅い。

 どんな手違いがあったかわからないが、とにかく這うように歩くスカウトは息を鋭く吐きながら後方へ下がって体を丸めた。同時に、すぐそばにいたニーロは右手だけをさっと動かして、左側に倒れていく。


 一行の真ん中にいた大柄な戦士の体は、細く長い刃に貫かれていた。隣にいたキーレイに、そのまた隣にいたマリートが不自然な軌道で倒れこんできてぶつかる。神官は床に転がって、受けるべき受難は剣士がすべて受け止めてくれた。細長い刃は壁から斜めに伸びてきて二人の探索者を貫き、ふたつほど数えたタイミングで壁へ吸い込まれて消えてしまった。


 二人が首筋から血を吹き出して、キーレイは慌てて傷を癒した。しっかりと傷を抑えているウィルウレドが後回しだ。マリートを癒し、床に寝かせ、深い傷を埋めていく。血が止まったら、意識の確認をしなければならない。ウィルフレドは咄嗟に体をひねったが、マリートはニーロに飛ばされて刃にさらされた。


 神官(じぶん)に当たれば一行の歩みは途切れてしまうと理解はしているものの、探索のために仲間を盾にするニーロにも、それをあっさりと受け入れるマリートもどうかしているとキーレイは思った。


「マリート、見えるか」

「……ああ、見える。見えるよ……」


 剣士の目は少しうつろだ。流れた血の量が多かったのかもしれない。それはウィルフレドも同じで、顔色は当然よくない。二人を癒し、キーレイも疲労を覚えて息を吐く。一行は罠から少し離れた位置で一休みをするために、金色の床の上に座り込んでいた。


「ここか、ひっかかっていた場所は」

「そうです」


 ニーロの返事は簡潔で、ロビッシュは肩を上げたり下げたり、せわしなく動いている。

 刃は何本か斜めに飛び出してくるようなので、まともにかかれば全員が傷を負うだろう。


「ウィルフレド、大丈夫ですか」

「驚きましたが、平気です」


 気力を回復するための薬がある。魔術師と神官に必携の品で、キーレイの荷物にもいくつか小瓶が入っている。

 それをひとつ取り出して飲み干し、瓶のふたをしめて袋にしまう。


 罠にかかった二人はすぐに顔色をもとに戻して立ち上がった。


「キーレイさん、どうですか」


 癒しには力を使う。神の力を借りるには気力が必要で、当然、傷が深ければ神官の疲労は重くなる。


 目を閉じ、息を吐き、キーレイは自身の状態を確認していた。

 ふらついたり、ぼんやりしてはいけない。集中できなければ歩けない場所だから、ほんの少しでも不安があればこんな返事はしてはいけない。


「大丈夫だ」


 一度かかった罠に、スカウトはもうひっかからない。

 などといえるのはごく一部の優秀な者だけで、当然、同じ罠に何度もひっかかるスカウトは多い。

 ロビッシュはそうではなく、他の者とは違う目でとうとう仕掛けを見抜いた。二人を貫いた刃は出てくることなく、金色の通路の先を行く。


 そして、とうとう「目的地」が現れた。

 まっすぐに続いた通路の先に、ほんの少し広いだけの狭い部屋があって、そこに来たかったのだとニーロは話した。

 狭い部屋の中はすぐにロビッシュが調べて、罠の類はないと言う。

 

「ここが目的地?」

「ええ。迷宮の中では珍しい、戻る術のない場所になっているはずです」


 問いに対する答えに、キーレイは慄いていた。


「戻れない?」

「おそらくは」


 フェリクスたちは「藍」で見つけたと話していたはずだ。落とし穴の先にあった行き止まり。脱出の魔術か術符がなければ、戻れそうにない場所があったと。


 ウィルフレドが来た道を覗き込み、一人でそっと歩いて行った。だがすぐに、戻ってきたようだ。


「壁でもできていましたか?」

「いえ、まっすぐ歩いただけです」


 通路はまっすぐ、曲がり角などしばらくなかったはずだ。

 この髭の戦士は冗談など言わないだろう。だったら、魔術師の仕掛けた不思議な罠にかかってしまったということになる。


「ここに、なにかあるのか」

「おそらく」


 予測があって、確かめにきたという話なのだろう。

 若い魔術師は大抵の場合、詳しい説明などはしない。自分の知的好奇心に平気で仲間を付き合わせるのが常だが、今日は少しだけ違った。


「あると思うのです。ラーデン様がいつだか言っていたものが、こういった場所にそっと隠されているのではないかと考えていました」

「なんて言ってたんだ、例の偏屈爺さんは」


 マリートはラーデンに会ったことがあっただろうか。

 キーレイは少し考え、ニーロは小さく首を傾げるとこう答えた。


「迷宮と迷宮の間を自在に移動する、『迷宮渡り』がいるのではないかとラーデン様は考えていました」

「なんだそれは。自在に移動なんかできるのか?」

「推測に過ぎないのです、今はまだ」


 迷宮の中では時々、思いがけないことが起きる。

 この色の迷宮では見かけないものが、突然、ふっと通路に落ちていたりだとか。よく聞く話だ。


「僕はあるのではないかと考えています。可能性としては大いにあると思っています」


 魔術師の口調はいつになく熱を帯びている。黄金に輝く闇のはるか先を見据えたような瞳が、キーレイの心に強く焼き付いていく。


「『藍』にあった剣はきっといつかどこかの迷宮の中に落ちたもので、それを気まぐれに運んでいるなにかがいるのではないかと思うのです」

 

 これが、「黄」へ仲間を付き合わせた理由だった。

 ニーロの言葉に、他の仲間たちがそれぞれに小さく頷く様をキーレイは見つめる。

 ウィルフレドも、マリートも、ロビッシュも、どう感じているのだろう。

 これほどまでに危険な場所へ、「たぶん」に付き合うなんてどうかしている。

 そう思っていても、誰も怒らないし、文句を言わない。


 探索歴が二十年を超える神官も、なにも言わなかった。

 確かに、迷宮には不可解な落とし物があるからだ。

 ごく稀に。初心者ではなかなか遭遇しないであろう、なぜこれがここにという疑問に、心当たりがあった。

 ひょっとしたらそれは、失われた誰かの思い出を運んでいるかもしれない。

 

 ピエルナの明るい笑った顔を思い出しながら、キーレイはそっと通路の前で手短に祈った。



 「黄」の中では明かりは必要ない。どこがどう光っているのかはわからないが、迷宮の中は明るくて、いちいち照明になるものを持ち込まなくてもいい場所だ。

 荷物が少なくていいのは探索者にとって楽だが、当然、心休まるような場所ではない。


 金色の小部屋の中で五人はじっと待っている。


 ニーロの言う「迷宮渡り」がいるのか、いないのか。誰かが目撃する以外に、今日の探索の目的は果たされない。


 「ある」の証明は楽だなどと考えた自分が恥ずかしい。

 誰もみたことのない、魔術師の想像上の魔法生物が一体いつ姿を現すというのか。

 まだ誰もみたことがないから、わざわざこんな場所でこんな時間を過ごしているわけで。


 心の中に、少しずつ雑念が降り積もっていく。

 こんなことでは駄目だと、キーレイは時折首を振る。 

 誰もなにも言わない。わずかな物音、気配を感じ取るために、無駄なおしゃべりはもう出来ない。


 入って来た通路からもっとも遠い、小部屋の隅にロビッシュが座っている。

 そのそば、壁を背にしてニーロが立っている。

 少し離れた角に、ウィルフレドも立っていた。


 マリートは奥に入るのがいやなのか、通路の入り口そばの壁にもたれかかっている。

 なのでキーレイは空いている場所、やはり通路のそば、マリートとは反対側の入り口近くに立っていた。


 長い沈黙の中で、ふと、なるほどなどと思いながら。

 「黄」の迷宮の深い層はまだ謎に満ちているが、六層あたりまでの地形はわかる。

 なぜか同じ形の「橙」と、ここだけ、形が違う。

 「橙」ではこの位置は、ただの通路の行き止まりだ。こんな風に部屋にはなっていない。ましてや、通路を歩いては戻れない場所なのだから、なにか秘密があってもおかしくないだろう。


 考えに集中を散らされながら、キーレイはただ立っている。

 随分時間は過ぎたように思うが、まだ体力が尽きるほどではない。

 じっと待つことで起きる仕掛けもある。迷宮がする清掃だって、時間が経たねば起きない現象だ。


 そう、じっと待つと、いつもとは違うことが起きる。

 胸の奥から沸き上がった不安は、ひょっとしたら神の思し召しだったのかもしれない。


 キーレイが思い起こしたのは、随分昔に起きた、迷宮を使った新しい商売の失敗について。

 「黄」の迷宮は、上層部ではなにも起きない。一層目ならば罠もないし、敵だって出ない。

 それを利用しようとした者がいた。王都からやってきた裕福な商人たちのために、「黄」の一層を見て回るツアーが行われたことがあったのだ。


 もちろん、罠にはかからずに済んだ。敵も出なくて、彼らはただ美しい景色を見て楽しんだという。

 けれどそれは、ひとときだけのことだ。探索する気のない気楽なだけの一行は、しばらくしてから謎の影に追われて慌てて迷宮から飛び出したという。

 迷宮は探索する気のない者を歓迎しない。いや、逆に歓迎したのかもしれない。ここは遊びにくる場所ではない。こんな風に、恐怖に追われながら進む場所なのだと、教えてくれたのかもしれない。


 そう、探索しない者は、追い出されるのだ。



 異変は突然に起きた。

 妙な音がして、キーレイははっと目を見開いている。

 ロビッシュが盛大に血を噴き出しながら倒れ、隣ではニーロも同じように赤いしぶきをあげている。

 ウィルフレドは剣を抜こうとしたが、その途中で大きく息を吐いて膝をついた。


 一瞬だ。


 マリートが声をあげている。


「キーレイ!」


 慧眼の名は伊達ではなくて、マリートが抜いた細い剣はなにかを貫いていた。

 目を凝らしてようやくうっすらと見える。なにかが。禍々しい、氷でできたかのような剣を持った魔法生物が部屋中に溢れて、残った二人の命を消し去ろうと近づいている。


 術符では間に合わない。

 手の中に用意してあるが、浮かび上がった文字を読む暇などないだろう。


 頭の中が真っ白に染まる。

 油断などしていなかった。

 けれど、やられる。

 迷宮には未知が潜んでいて、いつだって、間抜けな探索者たちを追い出そうと待ち構えているのだから。


 次の瞬間は暗闇。

 その直前に見えた景色は、手練れの神官を絶望させるばかりの、赤ばかりが溢れたものだった。 

 

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