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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
10_Chain of failure〈五つの運命〉

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42 二つの発端

 できると思っていたのだ、七層程度の依頼ならば。

 「脱出」があれば回収の仕事はぐんと楽になる。それは間違いない話で、使い手もその仲間の青年も、ここまでで足手まといにはなっていない。敵が出てきた回数は少なかったが、戦闘もスムーズに終わった。金になりそうな薬草もいくらか手に入れている。


 シャレーの死も、問題はない。あまり使えない人材だとわかっていた。こんなにも足を取られて転んだ挙句に死ぬとは思ってもみなかったが、期待はしていなかった。誰かが毒にやられて動けなくなった時に使えるかと思って連れてきただけだ。


 自分の見通しの甘さに腹が立つ。今日は特に失敗したくなかった。新たに協力を仰いだ二人に、自分たちが出来る、特別な集団だと思わせたかった。仕事を引き受け、有利に契約を結び、鮮やかに仕事をこなし、探索者に必要な冷徹さも持ち合わせているところを見せつけたかった。そうできなければ納得いかずにあっさりと去っていくとわかっていたから、どうしても見せつけたかったのに。


 地図を読み間違え、今いる位置を見失い、失敗続きの哀れなモッジの「紫」の道の最後に待ち受けていた不運。

 それは、六層ですぐに見つかった下りの階段だった。降りてみればまたすぐそばに、下りの階段が並んでいる。地図にも、同じ地形があった。五層から六層、六層から七層。すぐにつながる下層への道を、四人の探索者たちは辿っていく。


 依頼主であるバッシャたちの話は不明瞭な部分もあったが、「七層について少し歩いたところで敵に襲われた」というものだった。


 これは偶然だったのか、それとも迷宮の奥に潜む誰かの戯れだったのか。それはわからない。


 だが、モッジたちのたどり着いた八層目の通路の少し先に、二人の誰かが倒れていたのである。


 まだ少年の面影を残した小柄な誰かに覆いかぶさるように、大柄な男が倒れている。

 蔦が途切れた場所に、まるで父が子を守るかのような姿で二人が倒れていた。


「いたぞ!」


 モッジが叫んで、ベリオは驚きを胸の奥に急いでしまった。


「間違いないか」

「なんだと?」


 べリオの口から飛び出した疑問に、モッジははっきりと怒りを押し出している。



 倒れている二人はさほど重装備ではないが、腰に短い剣を携えており、薬草の業者特有の格好もしていない。

 そんな誰かがちょうどよく倒れているなんて偶然は、ほぼないと言っていいだろう。

 「橙」か「緑」ならばそんな可能性もあるかもしれないが、ここは「紫」だ。


「すまない」


 素直に謝られて、モッジははっとしたようだった。


「いや、こちらこそすまない。もとはといえば俺が頼りないのが悪いんだ」


 四人は落ち着きを取り戻し、周囲を警戒しながら横たわる二人の様子を探った。


「状態も悪くなさそうだな」


 二人は明らかに死んでいる。手袋の先の破れた部分からのぞく指先も青く染まって、ぴくりとも動かないし、動き出す気配はまったくない。

 だが、食い荒らされたり、腐ったりはしていない。休憩もろくに取らずに急いで降りてきた甲斐があったというものだ。


「シャレーのことは仕方がない。どうか気に病まないでほしい」


 モッジのこんなセリフで、回収の仕事は終わった。

 デルフィは浮かない表情ながらも心を整え、全部で六人になった仲間を帰還者の門へと運び出した。



 朝早くに出て、今はまだ昼を過ぎたくらいの時間だろう。依頼は無事に完了。神殿へ担ぎ込めば命を取り戻し、バッシャたちはまた五人組で探索に出かけられるようになる。


 と、思っていたのだが。



 

「違う?」


 出口であくびをしていた仲間たちと一緒になってバッシャの家へ向かったのに。また、休みも入れずに小走りで向かったというのに、待ち受けていたのは依頼者の罵声だけだった。


「こんな奴らは知らない! こんな子供なんかと『紫』に行くはずがないだろう!」


 家の前に並べられた大男と少年。

 二人の死人について、バッシャは見たこともないと唾を飛ばしている。


 回収の仕事は失敗に終わった。

 いくつもの不運が重なった結果、バッシャの仲間はおそらく、永遠に失われてしまった。

 預かった地図も汚して、これまでの探索を無駄にしてしまった。

 支払った前金を返せと怒鳴るバッシャと残りの仲間たちの対応をしているうちに、いつの間にか貴重な「脱出」持ちの男たちは去っていってしまった。


 回収業者モッジのさんざんな一日はこれで終わり。帰りを待つ仲間たちにどう説明するか考え、契約書を盾に返金はできないと争わなければならないが、不運続きの迷宮行はとりあえず終わった。







「やっぱり位置を間違えていたんだな」

「ベリオもそう思っていたんですか?」

「当たり前だろう。地図は読めなくなっていたし、あれだけ挙動不審だったんだから」


 それでも、二人が倒れていたことには驚いたがな。ベリオが笑い、デルフィは戸惑っている。


「こんな偶然があるものなんですね」

「もう少し仲間の特徴を聞いていれば違ったんだろうがな。それとも、聞いていたのに焦っていたのか」


 早く連れて帰れと叫ばれ、どこの誰だかわからない二人は引き摺られていってしまった。

 身元のわからない死体は時々町のどこかに落ちているので、西側のはずれには墓地がある。いや、単純に埋められるだけなので、厳密には墓ではないのだが。

 近くには街で仕事を得られなくなった者が住み着いていて、少し謝礼を払えば遺体の数だけ穴を掘ってくれるという。


「『紫』なんか行くもんじゃないな」


 ベリオはつぶやき、いい経験になったと思うしかない、と続けた。

 デルフィはそうですねと答え、思いを巡らせている。そんな相棒をどう思ったのか、ベリオはふっと視線を逸らせた。


「ちょっと出かけてくる」


 時折こんな風に言い残して出かけていく先を、デルフィは知らない。行きつけの店でもあるのか、それとも他に探索に行く仲間がいるのか。


 わからないままデルフィは歩き、まずは雲の神殿で祈りを捧げた。

 シャレーの魂に安息があるように、あまりにも運の悪かったモッジの未来が少しでもよくなるように。


 なじみの神官たちに挨拶をして神殿を出ると、次に食堂へ向かった。宿の近くにある安い店で適当に軽食をつまんで、帰ろうかどうか考えていく。

 食後の水を飲みほしてから気が付いたが、「脱出」を使ったわりにまだ余力が残っている。

 慣れてきたのか、シャレーがいなかったからなのかはわからないが、六人で、おそらくは八層から戻ったにしては余裕が残っていた。


 シャレーの解毒をしてやればよかったのではないか。

 今更すぎる後悔にとらわれて、デルフィの表情は暗い。

 これからまた「紫」に潜ることはできないし、全身に毒がまわりきった体を蘇生したところで元通りの健康体に戻れるとは思えない。だからこんな風に悔いるのは意味がないのだが、それでもデルフィは自身にまとわりつく死者の無念のようなものが振り払えずにいた。

 この陰気さが一番よくないのに。人としても、探索者としても、神官としてもよくない。ジマシュにもいわれ続けてきたし、ベリオもたまに呆れた顔を隠しきれないようだ。


 この心をなんとかしなければならない。失敗は失敗、仕方のないことなのだとすぐに気持ちを切り替えなければならない。

 自身のふがいなさについて、最近すっかり世話になりっぱなしの雲の神官に相談していた。

 何度も励まされ、叱咤されたものの改善はしなくて、年老いた神官はため息をひとつつくと、窓の外を見やってこんな風にデルフィへと話した。


 それでは、失敗をするごとに困っている人を助けてやりなさい。


 済んだことは仕方ない。死者へはなにも返せない。

 けれど悪いと思うのならば、かわりに誰かに、ささやかでもいいからなにかを与えていけばいい。


 雲の神官たちの教えはとても自然で、デルフィの心を少し軽くしていた。

 シャレーを救いにはいけない。モッジたちと仕事をすることももうないだろう。

 楽観に足を掬われる者は探索に向いていない。ベリオはそう言ってもう協力しないはずだ。


 デルフィは代金を払って立ち上がると、宿よりも向こう、街の西の果てへと歩いた。

 人の流れが途切れて、遠くに森が見えてくる。

 西側の門をくぐって、今度は南へ向きを変える。すると、今にも崩れてしまいそうなぼろぼろの小屋が並ぶ風景があった。


 せっかく迷宮から連れて帰ってもらっても、神殿で生き返らせてもらうには金がかかる。

 手に入れた珍しい道具を売るのか、借金を負うのか。今後の財政事情と天秤にかけられて、軽いと判断された者はここで永遠の眠りにつかなければならない。


 突然やってきた細長い探索者に気が付いて、何人かの男たちがぞろぞろと姿を現していた。


「あの、すみません……」


 男たちの目はギラギラとしていて鋭い。値踏みするような遠慮のなさに、デルフィはすっかり落ち着かないが、意を決して口を開いた。


「今日、二人連れてこられたと思うのですが」

「二人?」

「ええ、大柄な男と、子供のような二人です」

「ああ。あいつらなら今あっちで埋めてるところだ」


 神官が慌てて指さされた方へ向かうと、廃屋のさらに向こうで作業をしている男たちが見えた。


「すみません、待ってください!」


 一体だれが運んだのだろう。大柄な男と少年はまた寄り添うように隣り合って、腰から下がすっかり土の中におさまっている。


「なんだ、兄ちゃん」

「彼らを埋めるのを少しだけ待ってもらえませんか?」

「なんでだい。俺たちは仕事をさっさと終わらせてしまいたいんだがね」


 三人の痩せた男たちの服はぼろだが、よく引き締まっていて力が強そうだった。

 またじろじろと見つめられているうちに彼らの意図を理解して、デルフィは慌てて腰のポーチを探った。


「少しですけど」


 財布の中身の半分ほどを掴んで渡すと、男たちはデルフィの肩を叩いて去っていった。


 うまくいくかはわからない。

 わからないからこそ、試したい。


 迷宮の中でベリオが放った非情な言葉を思い出していた。

 本物か偽物かわからない泉の水を、飲んで試させればいいじゃないか、と。

 

 確認しなければならない。今が唯一、試す機会なのだから。

 半分土に埋まった二人の隣に降り立ち、デルフィはまず、少年の冷たい手を取った。


 「脱出」を使ったせいで疲れてはいるが、まだいける。

 二人ともは無理かもしれないが、一人ならば救えるかもしれない。

 だったらまだ未来のある、この小さな命を取り戻してやりたい。


 彼らは迷宮の中で死んでいたのだから大丈夫だ。

 後ろめたい気持ちをなんとか心の奥に押し込んで、デルフィは目を閉じ、神に向けて祈る。

 「白」の迷宮で起きた奇跡。あの時の心の形を思い出し、手に力をこめ、今日見送ってしまった悲しみをすべて力に変えて――。






 デルフィが墓地にたどり着いたころ、馴染の店の前でベリオはため息をついていた。


「すみません、つい一昨日です」


 世話になっていた「いつもの女」は、誰かのもとに引き取られて今は、きっと、おそらく。

 しあわせに暮らしているのだろう。

 他の女を勧められたが、断ってベリオはふらふらと通りを進んだ。


 ニーロの家を出てから一番変化したのは、金の使い方。困った時には二階に上がって、ごろごろと転がる袋からいくらでも金貨を持ち出す生活をしていた。だがそれは過去の話で、「昔は良かった」なんて思いがよぎる自分にベリオはふっと笑う。


 今は「女を買う」なんて贅沢をする余裕はない。

 それでも時には、肌と肌が触れ合う暖かさの中で眠りたい。

 最近隣で眠っているのは、顔色の悪い同年代のやせぎすの男で、ムードもなにもあったものではなかった。


「お兄さん、お兄さん」


 ラディケンヴィルスの北西の一角には、娼館が軒を連ねている。初心者たちが必ず世話になるであろう、雑然とした食堂街の奥。探索を終えた男たちが精算を終えて、いそいそと向かう場所。


「いい子がいますよ。昨日入ったばかりの、うぶな可愛い娘が待っていますよ」


 仏頂面で歩くベリオへ、調子の良い声が絡み付く。

 「昨日入ったばかり」なら。気を引かれて、ベリオは速度を落とし、店の入り口に立つ小柄な男へ視線をやった。


「もうすぐ夕暮れですから、こぞってやってきますよ! そうしたらもう、すぐです。みんな新しい()が好きですからね」

 

 通っていた店の向かいの、三軒隣。ジュジュードの店は、従業員が「しでかした」とやらでしばらく休んでいたはずだった。


「再開したのかい?」

「はは、そうなんですよ。ご迷惑をおかけしまして。でももう、問題はありませんから」

「見ない顔だな」

 

 赤みがかった茶色い髪に、大きな瞳。幼く見えるが、こんな店で働いているのだからそれなりの年なのだろうと信じたい。


「ああ、やっぱりへたですかね」

「まあな」

「客引きはこれまでしたことがなくて」


 人の好さそうな男に、ベリオは思わず笑った。きっと正直者なのだろう。この通りに必要な下品さは持ち合わせていないように見えるし、おそらくは「元探索者」。借金のかたにここへ連れて来られて、仕方なく働いているに違いない。


「でも、本当ですよ。不幸な事件がありまして、それでしばらく休んでいたんですが、その間にお客様に喜んでいただけるよう準備をしましたから。新しい娘が何人も入りまして、その中でも一番若くて愛らしい子が今、そのう、待っていて」


 頬を紅潮させながら一生懸命話す男に、ベリオは既視感を覚えていた。

 遠慮のない視線を向けられた男は、急にはっとした表情を浮かべると、客に向けてあわあわとこう訴える。


「俺は違うんです。その、客はとっていません」

「ばかか」


 盛大な勘違いをした男に顔をしかめて怒鳴ると、ベリオは通りを後にした。



 ベリオが今拠点にしているのは、西門近くにある「幸運の葉っぱ」という宿だ。

 ここを選んだのはデルフィだった。通りの奥にあって目立たず、ぼろぼろなのが良いという。このたたずまいならば、ジマシュは決して近寄らないのだろうからと。

 ラディケンヴィルスでも珍しいくらいのボロ宿だったが、もとより過剰なサービスなど期待していない。他の客にもなかなか会わないし、慣れれば居心地が良いくらいだとベリオも思っている。


 食事はもっぱら隣の食堂でとっていて、この日の夕食もそう。予定よりも早く戻ってきたせいで、客の入りはまだ少ない。小汚い店の主人は、これまた小汚い親父だが、味は悪くない。値段も安いので、節約志向の探索者も大勢訪れる。



 デルフィとの二人組の生活は安定している。あと一人か二人足りない半端な連中は多くいるし、大抵は「特別な技術」を持っていない。「脱出」の使い手だと明かせば、大勢が嬉しそうに頬を緩めて話を聞いてくれた。


 魔術師やスカウトはがめつい。すべての者がそうではないが、彼らはしばしば「ボーナス」を求める。探索の為にこれ以上ない有用な技を持っているから、取り分を多くしろと言う。


 デルフィの控え目な性格(キャラクター)を、ベリオは大いに活用していた。欲張らず、今日だけ共に行ける誰かを探していると言えば、大勢がこぞって一緒に行きたがった。街の西側で商売をしている「業者」にも声をかけて、「お得意様」の開拓をしていく。他の探索者のなわばりを荒らさないように、慎重に、でしゃばりすぎず、しかし仕事は途切れさせないようにして。

 

 モッジたちはちょうどいい集団だった。

 時々手伝って報酬をもらえればいいと考えていたが、それにしても今日の失敗は酷かった。

 念のために責任を負わないと宣言しておいた甲斐はあったので、よしとしなければならない。

 モッジから溢れる悲愴を思えば、この気楽さはこの上なく幸運なものだ。

 デルフィの余計なおせっかいもなかった。

 慣れない迷宮での仕事を安請け合いするから悪い。


 自分はできると思いこんだらその時が来る。一番大きな失敗が待っている。

 ニーロも、その周囲のベテランたちもそろって同じことを話していた。

 まったくその通りだと思う。彼らはきっと手痛い失敗を重ねてきただろう。

 大きな怪我を負ったり、命を落としたり。彼らが強いのは、その深い淵をも乗り越えて進み続けているからだ。

 

 今日の自分はどうだっただろう。

 冷静に進んでいると思った。シャレーのように転ばなかったし、戦闘で後れを取ることもなかった。

 だから自分は大丈夫だ。そう思うが、些細な失敗の記憶が蘇ってきてベリオに囁きかける。

 

 あの泉は本物だったのだろうか。

 あの時モッジを説得すべきだったのか。

 倒れていた二人をもっとよく確認するべきだったのではないか。

 彼らはまた、自分たちに声をかけてくるだろうか……。


 悩んでいるうちに酒が進んで、ベリオはいつもよりもほんの少しだけ、酔っていた。


 店を出て、ぶらぶらと歩く。帰路につく探索者たちはまだ大勢いて、彼らに大声で売り込みをかける商人、商店もずらりと並んでいる。

 街の北側、東門から西へと続く大通り。


「不細工が調子に乗りやがって……」


 熱くなった体に引き摺られて、心も熱を帯びていた。

 あれほどひいきにしてやっていたのに、女はどこの誰だかわからないろくでなしに買われていった。器量のいい娘ではなかったが、ふっくらとした肌をしていて、商売女にしては口数が少なくて、控え目で。


「どうせまたいつか、売られちまうってのに」


 バカが、と呟きながら大通りを抜け、南へ向かえば探索者たちが家を構える通りが二つ。


 住宅街と、貸家街。そのちょうど真ん中、北の端にある黒い石を積んで作られた家。

 どうしてあの家だけが黒い石で造られているのか、ベリオは知らない。


 五人組(パーティ)で暮らすには小さすぎる。住むのならせいぜい二人までだろう。

 そこへ入ろうとする影が二つ。

 見慣れた肩まで伸びた髪と、まだ見慣れない広い背中。

 ベリオは思わず近くの露店の裏へ身を隠した。


 二人は家の中に入ったままで、何分過ぎても出て来ない。



 かつてニーロと暮らしていた頃、あの小さな家を訪れる面子は決まっていた。カッカーとヴァージ、キーレイは、ニーロが顔を出さずにいると様子を見にやって来た。家が散らかっていれば注意し、道具屋が呼ばれ、恩返しという名の搾取が行われる。

 彼らの滞在時間はごくわずかだ。街で一番の魔術師を騙せばどうなるかわかっているから、道具屋もケチな真似はしない。ニーロの保護者たちも、くどくどと長い話はしなかった。カッカーはたまに「相談」を持ちかけてくるが、それも長い時間はかからない。ニーロは返事を濁さない。出来ることはすぐに引き受けるし、出来ないことはすぐに断る。


 だからあの家に長い時間身を置く人間は、かつてはベリオだけだった。

 

 今は違う。


 ベリオが帰る場所は、西門近くのボロ宿の二階になった。階段をあがって左側、三番目の部屋だ。同じ部屋で寝起きしているのは神官のデルフィで、最近は神官衣ではなく、魔術師が好みそうなローブばかり着て過ごしている。そうしろと言ったのはベリオだったが、最近では苛立ちの種になっている。

 そう、苛立っている。近頃、なにもかもに。

 昔だって苛立っていた。昔、迷宮都市にやってくる前、ここよりもずっと南にある田舎街で暮らしていた頃も。父も母もどこの誰だかわからず、祖母だという女に育てられていたが、それが真実なのかはわからなかった。蔑まれる暮らしに耐えられずに希望を求めてやってきた迷宮都市でも、思い描いていた暮らしが出来ずに苛立った。役に立たない「仲間」を捨てて、迷宮の申し子と暮らし始めたが、それも結局うまくいかなかった。

 身の程知らず、金魚のフン。視線の中に秘められた罵声など、承知している。ニーロは自分を求めておらず、彼の隣に立てる実力もない。


 知っているさと心の中で叫んでも、いいじゃないかと開き直ろうとしても駄目だった。心の奥にいる「本心」が、毎日のように冷ややかな目をしてこう言うのだ。


「お前はいつになったら自分の足で歩くんだ?」


 それに耐えられなくなって離れたというのに。

 ベリオはまだ、苛立ちの中にいた。

 デルフィと暮らし始めてからようやく「自分」になれたと思っていたが、それは間違い、錯覚に過ぎなかった。

 暮らしは安定している。探索をしているのかと聞かれれば、違う。だが、これまでに積んだ経験のおかげで生きていられる。そう思っているのだが、しかし。

 彼らが下している評価は、ベリオに向けられたものではない。

 癒しの業と、「脱出」という黄金(たから)を持つ相棒へだ。


 デルフィはなんの文句も言わない。善の心に溢れ、清貧に生きる人間だから。だがそんな人間性など、ベリオには関係がない。最近西門の辺りで知られるようになってきた「探索請負」の二人組。どれだけ仕事をしようが、どれだけうまく立ち回ろうが、結局重視されるのは「脱出で安全かつ速やかに戻れる」ことだけだ。


 自分だけでは成立しないとデルフィは言う。彼は探索に便利な様々な技術を習得しているが、とにかく人と話すのが苦手で、交渉などはまったく出来ない。まかせたらどれだけ不利な条件でも、言いなりになっていいようにこき使われるだろう。

 ベリオは自分の仕事をこなしている。商人や他の探索者たちと話し、ねぎり、譲り、時には強く出て二人組の名を知らしめている。

 だから、自分が評価されていないなんて、子供のような思い込みでしかない。

 わかっているのに、それでも、心の底が、裏側が焼かれているような、焦る気持ちがいつまでもぬぐえないままだ。


 ベリオ程度の人材は掃いて捨てるほどいる。だから、世界から求められるような優秀な人間は、もっと自分の仲間(パートナー)に相応しい誰かがいれば、そちらに簡単に乗り換えてしまうだろう。

 かつて、自分(ベリオ)がそうしたように。



「ベリオ殿」


 背後からかけられた声に、ぎょっとして飛び上がった。

 家に入ったはずのウィルフレドがどうして後ろにいるのかわからない。あの家に裏口があったのか、それとも見間違えたか、ぼうっとしていて見落としていたのか。


「ニーロ殿に御用ですか?」


 そして、なぜ声をかけてきたのかがわからない。ニーロが気付いたとしても、声をかけてきてほしいと頼むはずがない。ウィルフレドとは互いに、顔を知っている程度の間柄だ。


「いや」

 

 ニーロに用があるのかと尋ねてくるのは、ウィルフレドが正式にあの魔術師の仲間になったからだ。

 自分の居場所はなくなった。あの黒い壁の小さな家にも、彼の隣にも。迷宮の中にすら残されていない。


 大柄な髭の中年男は、無言のままに立っている。

 待っているのはベリオの返事か、それともすごすごと帰る後姿か。

 どちらもないまま時間が過ぎていって、先に口を開いたのはウィルフレドの方だった。


「ベリオ殿、あなたが持ちだした『地図』について話しておきたい」

「なんの話だ?」


 声をかけられた時に一気に醒めていったはずの酔いが、ベリオの足元を揺らす。

 地図。持ちだした、地図。

 あの時、いけすかないスカウトと戦士の二人組に奪われてしまった、無彩の魔術師の「大切なもの」だ。


「あの地図は正式に作ったものではなく、下層についてはでたらめが書いてあったそうです」


 それがどうした、とベリオは声を絞り出す。


「なぜあの男に渡したのですか」


 渡してなどいない。


 地図があれば、誰もが欲しがる。

 ましてや、探索の名人のものだったら、なおさらだ。

 だから、レンドの行動は「当然」でしかない。目の前で頼りないひよっこが広げていたんだから、見せろと言わない方がどうかしている。


「レンドは死にました」


 感情のない瞳を向けられ、ベリオは思わず小さく笑った。

 ウィルフレドはわかっていないのだ。

 この街では強い者だけが生き残る。ちょうど良い技術を持った人間を集めて、一緒になって地下へ潜っていくが、彼らは仲間でもなければともだちでもない。

 隙を見せれば奪われる。探索者の正体はけだものだ。奪って、奪って、自分より強い者には奪われる。森の奥、草原で繰り広げられている弱肉強食が、この街の地下でも行われているだけなのだから。


「そうかい」


 切りそろえられた髭を撫でる仕草が癇に障ったし、堂々と張った胸の厚さも気に入らない。


「あんたらが可愛がっているちびっこ神官、元気にしているか?」


 そう、さっき見た、あの男だ。気の利かない赤毛の頭。

 誰かに似ていると思った。


「アデルミラは」

「あいつの兄貴、北のしょうもない店でただ働きさせられているぜ!」


 苛立ちを吐き捨てて、ベリオは身を翻し、仮の宿へ向かって勢いよく駆け出した。

 追ってくる気配がないことに安堵している自分に怒りを募らせながら、路地裏を駆け抜けていった。

 

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