41 不運な探索
「そういえば初めて会った時に、『黄』に行ってきたと話していましたね」
デルフィの問いかけに、ベリオは口の端だけをあげて笑ってみせた。
「あの日じゃないんだけどな。それに、好きでやったんじゃない。相棒が勝手に受けた仕事に付き合わされただけさ」
ニーロが隣にいるからとはいえ、よく「黄」なんかに潜っていたものだと、今さら思う。
魔術師の気まぐれに付き合ってすべての迷宮に足を踏み入れたが、やはり「黄」と「青」の空気は異常だった。
静かで、張り詰めていて、うすら寒かった。
「『脱出』でどの程度運べる? どのくらい消耗するかもちゃんと把握しておくべきだな」
「五人ならば大抵は大丈夫ですが、そうですね。確かに回収の仕事なら、もっと大人数になる可能性があるのか……」
オッチェの仲間たちは大量の荷物を抱え込んでいた。
まだ浅い四層からとはいえ、ニーロの帰還は鮮やかだった。
「デルフィが戻れるのは帰還者の門だけか?」
「それ以外に戻れるんですか?」
「前の相棒は好きな場所に戻っていたぜ」
ニーロほどではないにしても、デルフィもなかなかの使い手だとベリオは思っていた。
何度か迷宮から連れ出してもらったが、疲れ果てて倒れたり、気を失ったりしない。
誰一人として欠けず、落とし物もほとんどない。もしかしたらしているのかもしれないが、なくして困る紛失はこれまでに一度もなかった。
「無彩の魔術師ですよね、ベリオが組んでいたのは」
「あいつ、本当にそんな名で呼ばれているんだな」
あまり語りたくない気持ちを、デルフィは察したようだ。
安い宿屋の狭い部屋には苦い静寂ばかりが溢れて、二人の若者の胸を塞いでいく。
「……しかし、回収をやるのは難しいな。しっかり売り込まなきゃ仕事はこないし、暇だからって探索に行くと出遅れちまう」
ベリオが破った沈黙に、デルフィは頷いていく。
モッジが迷宮の出口でうまく営業できるかどうかが、成功のカギだ。
回収業は信頼が命。名うての探索者から依頼が入れば道は一気に開けるだろう。
「デントー、バルジ、仕事だ、起きてくれ!」
次の日の朝早く、古びた宿屋のドアは激しくたたかれて細かいかけらをまき散らしている。
「なんだよこんな時間に」
「仕事が入ったんだ。やったぞ、すぐ出るぞ、頼むぞ!」
やってきたのはモッジのもとで働くファンという男で、声が高くてよく通る。
「俺と、モッジと、シャレーとお前ら二人だ。急いで準備して『紫』に来てくれ」
勝手にそれだけまくしたてると、ファンは走り去っていってしまった。
「デルフィ、仕事だとよ」
ニーロとの暮らしでいきなり起こされるのには慣れている。
顔色の悪い神官は朝に弱いようで、まだはっきり目覚めてはいないようだ。
「なんですか」
「回収の仕事が入ったみたいだ。『紫』っていうのはちょっと意外だがな」
着替え、探索用の装備を身に着け、デルフィをたたき起こして水を飲ませ、ベリオは宿の外へ出た。
朝がまだやってくる途中らしく、辺りは薄暗い。
「回収の仕事をやるなら、いつでも起きられないとダメだぞ」
ベリオは笑い、デルフィは頭を掻いている。細長い体を縮ませ、必死になって目を開いている。
「僕には向いていないかもしれません」
「慣れるさ、そのうち」
そういえばデルフィとはあまり夜明かしをしていなかったとベリオは思う。
行ってもせいぜい一泊二日で、最近は危険な探索をしていない。
「『紫』に行くのですか、今日は」
「そうらしい。行ったことはあるか?」
「いえ、あまり……。解毒も必要になるでしょうか」
「神官だとは話していないんだから必要ないさ。あいつらもちゃんと用意をしているだろうよ」
「脱出」も使える鍛冶の神官となると、デルフィだとすぐにわかってしまう。
なにがなんでも見つからないようにしようだとか、一生隠れ続けてやろうとまでは思っていないものの、ジマシュになるべく嗅ぎつけられないようにと二人は偽名を使っていた。
「脱出」使いのデントーと、口の立つ戦士のバルジ。
それが最近町の西側で名を挙げている二人組の名前だ。
仮の名の二人は急ぎ足で暗い街を進んで、「紫」の迷宮の入口へたどり着いた。
そこにはモッジと、知らない顔の若者が並んでいる。
「おお、早かったな」
「早く来いって言ったのはそっちだろう」
「すまない。まだファンとシャレーが着いていない」
急かした張本人がいないとは。デルフィは珍しく顔をしかめて、モッジはその様子を見て慌てた。
「こんなに早く来てくれるとは思っていなかったんだ」
「回収屋ともあろうものがずいぶんのんきだな」
想定外の「紫」になった理由は、単純に偶然だったらしい。
「赤」の出口で待っていた係のものがうたた寝していたら、たたき起こされ、依頼を受けたのだと。
「ほら、隣にあるだろう、『赤』と『紫』は。回収屋がいなくて、慌てて走ってきたらしいぞ」
「あそこは薬草の業者ばかりだからな」
薬草の採集を生業にしている者は、大抵がどこかの商店のお抱えになっている。
なので、専門の荷運び、回収の人間がいる。もっとも、回収までしてもらえるのはよほど優秀な人材に限られるという話らしいが。
「まあ、なんだっていいさ。仕事が出来たんなら」
モッジと共にいた若者が、依頼を受けた張本人のようだ。
センドリという名で、歳はまだ十二か十三くらいか。日に焼けた浅黒い肌があまり迷宮都市暮らしを感じさせない、幼さの残る男だった。
「ええと、依頼してきたのはバッシャという名の戦士です。なんでも七層で奇妙な敵に襲われたとかで、それで二人置いてきてしまったらしくて」
「奇妙な敵っていうのは?」
「そこまでは聞いてないです」
ベリオがじろりとモッジを見やると、回収業のリーダーも同じ思いを抱いたらしく、大きなため息をついた。
「細かい事情もできるだけ聞いておけと言っただろう」
「いや、だってその、バッシャって人も相当慌てていたみたいで」
「ちゃんと契約はとったんだろうな」
「それは、はい、ちゃんと。レジーさんにも来てもらいましたし、大丈夫です」
モッジはかなり真剣に回収業で成功しようと用意してきた男らしく、迷宮の出口へ行かせる営業は三人、依頼を受けた場合に細かい条件を詰めに行く担当者も一人仲間に引き入れていた。
契約を担当するのはレジーという男で、かつては商人をしていたらしく、値段の交渉などはお手の物だという。
「手ぶらで来たんだが、道具の用意は?」
「『紫』の依頼が来るとは思ってなかったんだが、一応解毒薬も少しは準備していたんだ。追加にもう少しと、食糧は今買いに行かせている」
バッシャ一行は大慌てで迷宮を出てきたらしく、なんの対策もないまま仲間を置き去りにしてしまったそうだ。
「あそこは草が生えているから、早めに行かないと養分にされちまいそうだな」
「緑」では何度か見かけた覚えがあって、ベリオはふふんと笑った。
目の上に花を咲かせたり、尻から蔓が生えていたり。滑稽な光景に心が和むが、本人には無念極まりない状態だろう。
「モッジさーん」
新たに見知らぬ顔の若者が大荷物で走ってきて、ベリオたちの前に大きな袋を置く。
「こんな時間にふざけるなって言われました」
それでも買い物ができたのなら大したものだ。
袋の中には解毒薬と保存食が詰まっている。
持ち物をわけている間にファンとシャレーもやってきて、「紫」へ入る準備は済んだ。
「よし、では行こう」
目的地は七層目。依頼者から預かった地図にはしるしがつけられている。
七層目ならば、途中で回復の泉を利用できる。多少の傷や消耗をリセットできて、少しは楽に進めるかもしれない。
「頼むぞ、デントー」
まだ覚醒しきっていないのか、デルフィは返事をしない。
ベリオが背中を強く叩くと、慌てたようにこくこくと頷いている。
モッジはスカウトの真似事ができる、手先の器用な剣士。
フアンもモッジ同様、スカウト技術を多少は覚えていて、そのほかに目立った特技はないが、身のこなしと逃げ足が軽やかな男らしい。
シャレーは頭が弱く、戦闘の技術は未熟だが体格がいい。荷運び要員として仲間に加えられているという話だった。
「万が一シャレーがやられたら、置いていってかまわないからな」
「紫」に入る直前モッジにこうささやかれ、ベリオは肩をすくめ、デルフィは表情を暗くしている。
責任を持つのはモッジなのだから、彼のやり方は尊重しなければならない。人のいい神官が口を開きかけて、ベリオは遮るように声をあげた。
「あんた、『紫』はどこまで到達してるんだ」
「まだ二回しか入った経験がないんだ。罠が少ないとはいえ、進みやすい場所ではないからな」
「紫」はニーロの好む迷宮ではなかった。
無彩の魔術師は薬ばかりが採れる「緑」と「紫」には興味がないようで、必要に迫られない限り足を向けることすらなかった。なので、ベリオもまた「紫」とは馴染みが薄い。
「緑」では何度も生い茂る草に苦しめられて、それよりも性質が悪い場所かと思うと気が重い。
「業者の連中はよくこんなところに入り浸るもんだ」
ベリオの軽口に、一行を包んでいた緊張感がふっと緩む。
「さあ、行こうか」
仲間に置き去りにされた哀れな二人を救うため、五人は扉をくぐっていった。
紫色の道は薄暗く、靄に包まれているように見える。実際にはあかりがともっているし、靄もかかっていないらしいが、歩く者たちはそう感じるようになっている。
「びっしりだな」
ここは毒の迷宮だから。呼吸をするごとに体が蝕まれるような気がして、探索者たちの動きは鈍くなる。何度も何度も潜った業者たちならば、たかだか息をする程度でなにも起きないとわかっているのだが、経験の浅い者たちは勝手に危険を感じてしまい、体が最も基本的な生命活動すら拒否してしまう。
「『緑』よりもずっと多いですね」
「色が暗いんだよな。あっちは明るすぎて油断しちまうが、こっちの色は気が滅入るぜ」
蔦の奥に隠れているのは、血の赤と深い水の底のような青が混じった不吉な色で、歩いているだけで不安が募る。蔦に触れてはならないという緊張感もあるし、足元もでこぼことしていて歩きにくい。
にょろにょろと伸びる太い根のようなものを乗り越え、蔦の途切れた場所で何度も深呼吸をしては一行は進んだ。評判通り、魔法生物の影は少ない。蔦が伸びてきて誰かを捕まえるのではないかという妄想も、進むうちに打ち破られていく。
時折用を足すのにちょうどいい空間が用意されているのは、この「紫」でも同じだった。
短い曲がり角の向こうに紫色のタイルがむき出しになったスペースがあって、時には落とし穴の罠があったりもするのだが、モッジは慎重に見抜いて一行を守っている。
ところがこの中堅探索者は、そこそこの経験を積んではいても回収業者としてはまだまだ未熟だった。
回収業は失敗が許されない。
回収業者は信頼が命。迷宮での出来事を監視する方法はなく、失敗しても見つかりませんでした、ありませんでしたと言えばそれで済んでしまう。
かつて、置き去りにした仲間を連れ帰ってやると言っては大金を巻き上げるという「悪事」を思いついた連中が大勢いる時代があった。預かった地図を売り払い、多めに前金で払わせて使い込み、肝心の迷宮には三層程度しか足を踏み入れない。
そんな連中を追い払い、「回収」をこの町でまともな仕事にした男がいた。彼の名はカッカー・パンラだが、本人にはその自覚はない。どうにか仲間を助けたい。信頼できる仲間ほど貴重なものはこの町にはないから、だから、どうにかして救いたい。
頑丈な体を持つ神官は探索者に請われては迷宮へ赴き、時には二人を担いで連れ帰ったという。
決して依頼主を裏切らないカッカーの活躍に押され、悪徳回収業者は駆逐されていった。
以来、最下層をあえて目指さない中堅探索者たちのひとつの仕事になった回収業だが、認められるためには成功を積み重ねていかねばならない。一度悪評が立てば、条件のいい仕事は来なくなる。
そんなプレッシャーがつきまとう仕事で、初めての「紫」。モッジはいつもとは違う緊張を覚えていた。
植物の生い茂る暗い迷宮の通路は地図の確認がしにくいことこの上ない。行く手を遮る目の前の蔦の塊の先に待ち受けているものが、壁なのか通路なのか、切ってみなければわからない。
預かった地図が未完成なことも、焦りを生んだ。最終目的地は曖昧で、こんなにも進みにくい厄介な場所で果たして見つけられるのか、不安も募る。
まだ駆け出しのシャレーはしょっちゅう植物に触れて、調達した解毒剤も残りがすでに少ない。
成功し続けなければならないのに。
たった七層程度、すぐにたどり着かなければ話にならないというのに。
「おい、モッジ」
真横から声をかけられ、モッジははっとしていた。
今日初めてともに歩いた戦士は、ニヤリと笑ってモッジの足元の蔦を薙ぎ払っている。
「ゆっくりだ」
今日初めてともに歩く戦士、バルジ。彼はあの「黄」で回収の仕事を成し遂げたという。
聞いたことのない名だし、専門にやってきた様子は見られない。年も自分より若いだろう。
だが、修羅場をくぐってきたであろう探索者の言葉には重みがある。
「そうだな」
地図を確認し、モッジは深く息を吐く。
そろそろ五層へ続く階段があるはずで、残りはあと二層になる。
帰り道は楽々の「脱出」があって、これほど恵まれた仕事はない状態と言える。
なんとか気を取り直そうとしたモッジだが、彼は今日は特別に、おそらくは世界で一番、幸運の神から見放されていた。
いざ進もうとした瞬間、シャレーがまた足を取られて転んだ。大柄な男はモッジとフアンを巻き込み、三人の手足に細長いトゲが刺さってしまう。
解毒の薬はこれで終わり。知識があれば迷宮内で採れる植物で作れるものだが、五人にはできない。
しかも倒れた拍子に地図を落とし、ところどころに毒々しい紫色の染みが付いてしまった。
依頼主の走り書きはいくつか読めなくなり、焦りよりも苛立ちが強くなっていく。
その結果、道を見失ってしまった。大体の位置はわかるのに、曲がって進んでみれば地形が違っている。「紫」でなければすぐにわかったであろうミスをしたところで、またシャレーがやらかしてしまう。
「薬はもうないんだぞ」
モッジが声を荒げ、デルフィは悩んでいた。
シャレーの顔色はみるみる悪くなっていき、このままでは置き去りにすることになるだろう。
癒してやるべきかと進み出ようとする彼を、ベリオがそっと止め、静かに首を振る。
「治しても無駄だ。これから何回転ぶか、いちいち治していたら『脱出』が使えなくなっちまうぞ」
「でも、六層にたどり着けば泉があります」
ひそひそと話す二人に、モッジが鋭く視線を向ける。
目は赤く血走っており、余裕のなさがはっきりと浮き出してきて、危険だった。
「俺たちだけで帰ろうなんて話はしていない。そんな真似はしないよ」
ベリオの言葉に、モッジは慌てたように「そうか」と答えた。
シャレーはふらふらと揺れながらもリーダーの後に続こうとしている。フアンもすっかりおどおどとした様子で、今日同行したことをきっと後悔しているに違いなかった。
そう感付いてなお、モッジは心を立て直そうとしていた。そしてそれは、成功しかけていた。
足手まといのシャレーを連れ帰るのは諦めようと決め、次の角を曲がった先の状況を確認して、自分が明らかに位置を見失っているのなら、正直に話して協力を仰ぐつもりでいた。
だがこの判断は、五分ほど遅かった。
モッジに最後から二番目に降りかかった不運は、本来ならば幸運といえるものだった。
ベリオが持っている剣。かつてニーロの家に置かれていたとても軽い長剣にはある力が秘められている。
柄に施された意匠と色合いが気に入ってもらったものだが、これは「緑」の深い層で見つかったものだった。ベリオは知らないが、植物を斬る力が強い。やけに蔦を払うのが得意だとモッジたちは思い、案外楽に斬れるものだとベリオは考えている。
曲がり角の先は行き止まりで、落とし穴の罠が仕掛けてあった。
穴の中には蔦が張り巡らされているが、モッジはこの落とし穴に光明を見出していた。
もしかしたらこのくらい位置がずれているかもしれないと考えていた範囲に、落とし穴のある行き止まりがあったはずで。
この穴がそうならば、階段よりも早く下の層へたどり着ける。
もしかしたら、依頼主たちは蔦に隠された通路に気が付いていなかったのかもしれない。
他人から聞いた情報と、自分たちで歩いて確認した道と。不完全な地図の隙間を、いつの間にか埋めていたのだとしたら?
この落とし穴は、落ちてきた探索者たちを蔦でからめとる蜘蛛の巣のようなものだった。
個の人生という単位で考えれば、結果はかなりの幸運といえた。身動きが取れなくなり、口や目、鼻から蔦に入り込まれて全員で干からびていくよりは、この結末はずっとマシなのだから。
この落とし穴に仕掛けられていた罠は、ベリオの剣の力で打ち払われてしまった。蜘蛛の巣を打ち破る唯一の剣を持ち合わせた剣士がいたおかげで、彼らはその罠の先、六層へとたどり着いてしまう。
ラディケンヴィルスの迷宮で最もしてはならないミスは、今いる場所が何層目なのか見失うこと。
「藍」の大穴のような大きな罠にかかったのならば仕方ない。何層も滑り落ちた者は大抵が死ぬのだから。
そうではないのなら、自分が何層目にいるのか常に把握しておかなければいけない。見失ってしまえば、人生の終わりが一気に迫ってくるだろう。
モッジは今、五層にいると信じている。地図は紫色に染まって読み取りにくい箇所に差し掛かっていて、自分たちが六層にいるかもしれないという可能性にすら考えが及んでいない。
「これは、泉ですか?」
地図がわからないことを隠したまま進んだ通路の先には、回復の泉があった。
六の倍数の階層に必ず備えられている探索者へのご褒美だが、そうではない階層にあるものはすべて罠だとされている。
さんざん毒にしてやられたらしく、シャレーの目は虚ろでももうなにも映していない。白いはずの部分は青黒く染まり、口の端からはよだれが垂れている。歩いてついてこられているのが不思議なほど、生気が感じられない。
「五層だから、違う」
偽の泉の造りは様々で、明らかに違うと思わせる意匠のものもあれば、本物とまったく同じにされている場合もある。後者の場合は見た目だけで見抜くのは困難、いや、無理な話だというのに、今日仲間入りしたばかりの二人は首をかしげている。
「さっきの落とし穴ですが、少し深いように感じました。もしかしたら二層分降りたのではないでしょうか」
頼みの綱の脱出使いが控えめにこう言い出して、モッジは顔をしかめた。
「いや、まだ五層だ」
フアンは様子をうかがうばかりでなにも言わない。デルフィは困った顔でベリオを見やり、こんな返事をもらった。
「地図のことはスカウトに任せるもんだぜ」
「そうですね……」
「だが、この泉は本物かもしれないな」
「そんなのわかるのか?」
「わかりゃしない。単なる勘だ」
勘なんてあやふやなものこそが、迷宮探索の一番の敵だ。
そんなことはわかりきっているであろうベリオがこう言い出したのが不思議で、デルフィは首をかしげている。
「この泉が本物なら、そこのデカいのが助かるぜ」
試しに飲ませてみたらどうだ、とベリオは口の端をあげて笑う。
「偽物だったらどうするんだ」
「ここが六層じゃないってはっきりするだろう」
そいつはもうすぐに死ぬ。ベリオの断言に、フアンはわかりやすく狼狽している。
「そいつだけに任せられる大仕事だよ。俺も階層については少し疑問に思っている。あんまり口出しはしたくないんだがね」
モッジは反射的に、ただ苛立ちのままに答えた。
「ここは五層目だ!」
「それならいいんだ」
ベリオがあっさりと引いた理由は、泉を試す方法がなくなったからだ。
シャレーの体は力を失い、通路に張り巡らされた蔦の上にゆっくりと落ちていった。




