40 回収業者
迷宮を地下に抱くラディケンヴィルスにやってきた初心者たちは、最初に行く場所がはっきりしていたとしても必ず迷い、広い街の中をさまよう。行くあてのない者は入り口や市場でうろうろした挙句、宿屋の客引きに捕まって宿をとらされる場合がほとんどだ。
だから彼らは大抵勧められるがままに、初心者としての心得を宿屋の食堂か近くの酒場で聞かされることになる。探索に必要な技術と、仲間の作り方、最初に行くべき場所についてなど。
客引きをやっているのは多くが元探索者で、何回か迷宮に潜った経験がある。
彼らの話はほとんど同じで、初心者は教えられた通りに同じ宿にやってきた初心者と五人組になって橙へ向かい、なんらかの失敗をする。
それでも続けていくかどうか、ベッドの中で眠れないまま考えるようになっている。
そんな初心者時代を運よく切り抜けたら、次に考えるのが「最深部の制覇」だ。
技術や経験がなくとも、ほとんどの探索者はその栄誉を夢に見る。
だが、迷宮は深い。何度も迷宮の浅い層を行き来していくうちに、彼らは気が付く。「自分には無理だ」と。
「探索をするための技術というのは、いろいろあると思うんです。それらのすべてを自分一人でというのは無理ですし、そのために仲間を探すというのもわかるんですけど、でも結局、それにも限界がありますよね」
樹木の神殿の小部屋で、キーレイは必死に眠気を払っていた。
いろんな用事が立て続けに入って、それをなんとかこなして、ようやく交代して休めるはずだったのに、どうしてもキーレイ様に聞いてもらいたいのですと言われては仕方がない。
これも試練だと自らに言い聞かせながら、キーレイは目の前の若者の話にうなずいている。
「キーレイ様のような中堅の探索者は、どのように暮らすものなのでしょうか?」
神官は眉間にしわを寄せて、言葉を探した。
自分は中堅の探索者なのだろうか。
本業はあくまで神官ではあるが、探索者としての人生の方が確かに長いか。いや、最初に潜っていた頃は商人のせがれだった。
「最深部まではいかなくていいとは思うんです。だって大変でしょう? まだ制覇されていないところは、ほとんどがめちゃくちゃな所ばかりですし。無理だと思うんです。でも、制覇は無理だったとしても、そこそこのところまでは行けます」
目の前の探索者の顔は、何度か見た覚えがある。カッカーの屋敷に滞在しているはずだ。
初心者というほど頼りなくはないが、上級者と名乗るには五年ほど早いだろう。
いや、なれはしないか。
現状は中級になりかけの、初心者卒業組。そんな中途半端さが全身から放たれ、部屋を青い香りで満たしている。
「探索の技術を使って稼ぐ方法を教えてください」
腹が立ったからといって、それをあからさまにして相手にぶつけることはできない。
キーレイは今や樹木の神殿をまとめる立場にあるし、実家は商売を営んでおり、下手な行動が大勢に影響を与えるだろう。
修練を積んだ神官は、おそるべき精神力で苛立ちをなんとか暗がりに隠すと、重たい口を開いた。
「そこそこの技術があるならば、回収屋の仕事ができるかもしれない」
「回収屋って、なんですか?」
そこそこ程度の探索者では利用しないだろうから、目の前の若者が知らないのも無理はない。回収屋のサービスを使うのは、少なくとも貸家を利用する程度の仲間や財力を持ってからだ。
「探索していて仲間が命を落とした時に、連れて帰れない場合がある」
「はあ」
「指定された場所へかわりに遺体や道具を取りに行くのが、回収屋だ」
どの迷宮の何層目か、地図で指し示すことができるのならば、回収屋の出番だ。
戻ってきた者たちと共に行くか、回収屋だけのチームで行くか。その時の事情で選べる。迷宮、階層、荷の量で値段は変わる。
「ふかーい場所で死ぬこともあるでしょう?」
「深い層への仕事は発生しない。たどり着くまでに大抵、消えてしまうからね」
回収屋が請け負うのは、地図ができあがった迷宮のせいぜい十二層あたりまでと決まっている。
うっかり罠にかかったり、思いがけない強敵があらわれたり、罠にかかったり。
実力があっても、確実ではないのが迷宮だ。だから彼らはしばしば仲間を失う。だが、信頼できる仲間はどんな珍品よりも貴重だ。
挑戦の精神がなくとも、技術さえあれば迷宮で稼ぐことはできる。
その方法のひとつを教えてもらったというのに、若者の答えはそっけなかった。
「そんな仕事は嫌です」
気難しい若人の名前はなんだったのか。わからないまま去られたが、これでようやく休憩に入れる。キーレイはほっと息を吐くと仮眠の為の部屋へ向かった。
同じころ、街の西側で同じような説明を受けている者がもう一人いた。
雲の神殿のすぐそばの食堂の一番奥の席で、地味な色のフードをかぶった神官はこくこくと小さく頷いている。
「なるほど、何人も命を落としたりする場合もありますからね」
「そうなんだ。人の出入りが多いところなら、道具は持ち去られちまうんだがね。そうじゃない場合は手に入れたモノの回収も頼まれるんだよ。そういう時は特に『脱出』が役に立つんだ」
鍛冶の神に仕える神官デルフィを口説いているのは、回収業を営んでいるモッジという男だった。
同業のライバルが多い町の東側から離れ、西側でほそぼそと仕事を請け負っているが、「脱出」の使い手がいると聞き、ぜひとも仲間にしたいと何日ものあいだデルフィを探していたという。
「あんた、五人組じゃあないんだろう? 固定の仲間はいないって聞いているんだが」
「いえ、一人いますよ」
「ああ二人組なのか。二人はいいな、やりやすい。しかも『脱出』持ちとなれば、誰とだっていけるだろう」
モッジはニヤニヤと笑って、デルフィにつまみの入った皿を勧めた。
「どうだい、俺たちと組まないか? 深いところや大荷物の連中相手なら、いくらだってふっかけられる。一回か二回うまくいけば東側に行って、大儲けできるようになるぜ」
そんな望みを、もちろんデルフィは持ち合わせていない。儲けなくていいし、目立ちたくはない。
もう二度と共に過ごさないと決めてはいるが、なるべくならジマシュに見つかりたくない。そんな心境の中にいるが、多くの不幸からひとびとを救うためにラディケンヴィルスに留まっている。
「なんだ、ずいぶん謙虚なんだなあ」
モッジはあきれた顔を隠そうともせずに、なんのために「脱出」を覚えたのか問いかけてきた。
覚えるためには、多くの謝礼が必要なんだろうと。
幼馴染に誘われてこの町へやってきたばかりの頃について、デルフィはそっと記憶を探った。
ところがいくら指でなぞってみても、なにが起きて、どんな風にことが進んで、どこから得た金を使ったのか、ちっともわからない。
故郷を出た時にはわからなかったいくつかの言葉の意味が、今ならわかる。
周囲の大人たちが発していた警告は正しかった。
ジマシュの瞳には自分とは違う世界が映っているのだろう。
「とにかく、手伝ってもらえればありがたい。俺たちに必要なのはスピードで、『脱出』があればより大勢を助けられるようになるんだ」
迷宮から確実に出られる方法があるなら、より深い層へも救出に行ける。
帰り道をすべて飛ばせるのなら、遺体も傷まなくて済む。
「前に十二層から助けたやつがいたんだが、腕がうまく動かなくなっちまってな。神官様たちも、腐ってしまった肉までは完全には治せないんだとよ」
かの有名な探索者であったカッカーも、少しばかり足が不自由なんだそうだ。
モッジの言葉に、デルフィは安堵を覚えていた。
自分が神官であることは、まだ周囲に知れ渡ってはいないらしい。
モッジへの返事を保留にして、デルフィは宿に戻っていた。
あちこちの宿を渡り歩いて落ち着いたのは西門近くにある「幸運の葉っぱ」という宿で、値段が安くて、約束から二日過ぎても待ってくれるのが売りだ。だがいいところはそれだけで、食事も出ないし店の主人の愛想も悪い。
だが余計な話はしないし、詮索もしてこない。汚らしい佇まいは、ジマシュの一番嫌うものでもあった。
二階の一番奥の部屋に戻ると、もう一人の仲間の姿はなかった。
デルフィはベッドの前でひざまずき、祈りの言葉を紡いでいく。
鍛冶の神殿は町の東側にあり、ジマシュが待ち受けているのではないかという思いがあって足を向けられない。宿の近くにある雲の神殿に世話になっており、今日も手伝いがあるからとここを出たのに、ずいぶん遅くなってしまった。
ベリオがただダラダラとしているはずがない。ちょうどいい探索を探しているのか、それとも遊んでいるのかはわからないが、有意義な時間の使い方をしているのだろう。
最近は宿に置きっぱなしになっている神官のしるしを両手で包み込んで、デルフィはそっと目を閉じた。
いわれるがままに覚えた「脱出」の魔術と、いつの間にか使えるようになっていた「復活」の奇跡。
「脱出」については、デルフィの売りになっている。使えるんだとささやけば、どんな気難しそうな探索者もともに歩んでくれるようになる。
だが、かつてフィーディを救った奇跡については、あまり自信がない。
使えるとは思うのだが、試す機会もなくて、確実に誰かの命を救えるかどうかデルフィにはわからなかった。
「おう、遅かったな」
そこへ戻ってきたベリオからは香ばしい匂いが漂っている。どうやら食べ物を買ってきたようだ。
「すみません、手助けしてほしいという人たちに声をかけられて」
ベリオの持っている袋からするのは、果物の香り。
東西南北、ありとあらゆる町と交易があるせいか、ラディケンヴィルスではさまざまな料理を口にできるようになっていた。これまでは輸出してばかりだったが、街の住人が増えたからか、入ってくるものも増えた。探索以外の稼ぎ方も多くなり、街はますます発展している。
「なるほど、回収業なあ。物好きなんだな、そのモッジとかいう奴は」
正直な言葉に、デルフィは苦笑するしかない。
「確かに、遺体の回収となると皆やりたがらないでしょうね」
「だけど最近こっち側にも家がずいぶん建っているだろう? 調査団の寮があるし、家を持てるのは後ろ暗い事情がない奴らになるだろうから、このあたりで回収業をやるのはなかなかいい話かもな」
邪道だといわれるかもしれないと考えていたが、ベリオの反応は良いようだ。
浅黒い袋から緑色の果実を取り出し、一口かじって、中堅探索者はにやりと笑っている。
「まあ、こっち側の家に金持ちがたくさん住み着くには、少し時間がかかるだろうけどな。だけど、回収業に『脱出』があるのは強みになるさ」
荷物まで大量に運べるし、遺体の傷みも最小限で済む。
迷宮で誰かが命を落とした場合、できれば状態を保てるよう一工夫しておきたいところだが、敵に追われていればそんな場合ではなくなる。その階層にどんな魔法生物が出るかで、残してきた仲間の命運は決まる。
獰猛な獣がいれば食い荒らされるし、人通りが多ければ荷物が盗まれる。
そのどちらの心配がなくとも、時間が経てば当然腐るし、迷宮の清掃の時間がいつかやってくる。
「そいつらに恩を売ってもいいな。長く続けたくはないが、いい稼ぎになりそうだ」
荷物を担いで迷宮を歩くのは危険だ。しかも見ず知らずの探索者の遺体を運ぶなんて、大抵の人間が嫌がる。
だから、回収業者の報酬は高い。
「脱出」があれば、仕事は一気に楽になる。ライバル業者に差をつけられるとなれば、モッジたちもデルフィを優遇せざるを得ないだろう。
ベリオの反応が良かったことを、デルフィは単純に喜んでいた。
自分が誰かの役に立つとしたら、神官としての腕を生かしたものになるだろうと思っていたからだ。
「生き返り」も確実に使えるとしたら、より多くの探索者を救えるだろう。
悩める神官のまぶたの裏に焼き付いて離れないのは、「黒」の迷宮で見殺しにした商人の親子だった。
無理やり連れ込んで、一層目であっさり見捨てて犬の餌にしてしまった。
何度も止めるタイミングはあった。追放の憂き目にあおうとも、迷宮の外で癒してやることもできたのに。
巻き込んでしまった青年は今、どうしているだろう。
無事でいるのならば、彼の心にも消えない傷として残っているのではないだろうか。
フェリクスの顔はもうぼんやりとしていて、はっきりしない。けれど再び会えたとしたら、一目でわかるだろう。彼とならば、この深い深い後悔について語り合えるに違いない。フェリクスは戸惑い、悔いているように見えた。ジマシュの非道について、なんとも思っていない顔をしてはいなかったから。
あの哀れな商人の親子の魂はいまも迷宮の中を彷徨っているだろうか。
迷宮の中で死んだ者はいつか消されていなくなってしまうが、では魂についてはどうだろう。
夜がやってくるたびに心に落ちてくる自問に、デルフィの答えはまだ出ない。
神殿で頭を垂れて神に祈っても、責める声も、慰めも聞こえてはこなかった。
「やあ、やあ、来てくれるとはな。ありがたい!」
次の日、二人はそろってモッジの滞在している宿へ向かった。
ベリオたちが使っているところよりはマシな造りだが、似たような安宿で、少しばかり不衛生なところが気になる。
「こんな宿じゃ、上品な連中はやって来ないぜ」
ベリオの軽口に、奥に居た痩せ型の男は眉をひそめたが、モッジに手で制され、あげかけた腰をすぐに下ろした。
「今はまだ資金が足りなくて。それより、何人か出口に行かせているんだ。もしも今日から協力してもらえるなら、伝えに行かなければならない」
モッジはベリオたちよりも少し年上で、落ち着いた雰囲気の男だった。
探索者としてやっていくには、いくつもの才能が必要になる。
その中で最も必要なものはなにか、ベリオは思い出していた。
この問いかけに、まだ少年のような灰色の魔術師は小さく首をかしげてこう答えたはずだ。
目的地をはっきりと定められるかどうか、だと。
「お願いします」
デルフィの声は小さく、指先でつんつんと腰のあたりをつついてくる癖はなんとかやめさせたい。
「協力しても構わないぜ。ただ、先に少しばかり条件を詰めさせてくれ」
「もちろん、いいんだが、君も同行するのかな?」
「こいつは最高の特技を持っているが、どうにも気が弱くてね。間に俺が入らないといいように使われるってわかっているのさ」
行けるところまで行ってみよう。
少しだけ経験を積んだ初心者、中級者は必ずこんな風に考えて迷宮へ潜っていく。
--帰り道は行きの五倍で考えなければいけません
ニーロはつぶやくようにそう答えて、はっきりとした目的を設定できる者が成功を重ねていけるだろうと続けた。
「なるほど、だが戦士は余っていてね」
「回収の経験なら何回かある。まあ、昔の相棒がかなりデキる奴だったからなんだが、『赤』や『黄』で何人か助けたよ」
ベリオの言葉にデルフィは驚いたようで、目を丸くしている。
「『黄』で回収を?」
「四層目程度だがな。西の貸家街に住んでるオッチェって奴らのパーティを回収したっけ」
「オッチェって、あの茶鼠のオッチェか」
ベリオ自身はオッチェについてあまり知らない。だが、ニーロに頼めるのだから、それなりにデキる人材なのだろうと判断して名前を出した。どうやらこれは正解だったらしく、モッジたちの表情は一気に緩んだ。
「その時の相棒も『脱出』の使い手でね。こいつも使えるんだが、持ち帰れる量は術者の力次第。知らない奴らの中でぎゃあぎゃあ言われて平気なタイプじゃないんだよ。だから協力するなら、俺も一緒にだ」
「そうか。そういう話なら仕方ない。経験者ならこっちもありがたいしな」
モッジは背後にいる二人の男にうなずくと、ベリオたちに手を差し出し、握手を交わした。
「報酬についての希望はあるか?」
「あんたらは何人で仕事をしているんだ?」
「今は『緑』と『藍』、『赤』の出口にそれぞれ一人向かわせてる。こいつらはあまり探索の経験がなくて、回収には連れていかないんだ。実際に行けるのは、俺を含めて今のところ八人いるよ」
迷宮から出た後に神殿に運んだりする仕事もあるから、基本的には仕事が入れば全員に報酬はわける、とモッジは話した。もちろん、実際に回収に行く者の取り分の方が多くはなるが、とも。
「なるほど。じゃあ俺たちもあんたらの決めた額でいいぜ」
「いいのか? 『脱出』の使い手もいいのか?」
「ああ。そのかわり、俺たちは回収の仕事の責任は負わない。問題が起きた場合にはすぐに抜けさせてもらう」
モッジの鼻に皺が寄ったが、そんなことに構ってはいられない。
ニーロの仕事にトラブルはなかったが、何度か貸家街で見かけたのだ。回収業者と探索者たちの諍いを。
持ち帰るはずの道具は、なかったといってしまえば文句は言えない。
こっそり道具屋に売り払った時に、珍しいものならばどうしても噂になってしまい、そこから足がつく。探索者御用達の道具屋もそれぞれあるので、回収業者ごときが珍品を持ち込むとすぐに盗んだとバレてしまう。
だから回収業者にはそれなりの節度が求められるが、人数が増えればどうしても徹底できなくなっていく。
単純に運ぶ役を任される初心者は報酬が少なく、なかなか誘惑に勝てはしない。
そんなつまらないトラブルに巻き込まれるのが一番厄介だし、デルフィには見つかりたくない相手もいる。身軽でいるためには、最初にガツンと言っておくしかなかった。
「仕方ないか。わかったよ。なにせ『脱出』持ちなんだからな。出会えて話を聞いてもらえるだけでも、かなりの幸運なんだから。俺は昨日の帰り、思わず神殿に祈りに行っちまったよ。またアンタと会えたら、俺たちの仕事はきっとうまくいくようになるってね」
モッジの言葉にデルフィはあきらかに安堵したようで、にこにこと人のいい笑顔を浮かべている。
回収は、探索のために一番必要な「目的地の設定」がなされているいい仕事だ。
脳裏にうっすらと浮かぶ表情のないニーロに向けて、ベリオは笑う。
お前は「行けるところまで行く」と簡単に言うのにな、と。




