38 神子と戦士
ウィルフレドは家の掃除をしようと考えていた。
ニーロの家はがらくただらけ、足の踏み場もないほどに荒れていると聞いていたからだ。
ところが実際には余計なものはひとつも置かれておらず、片付けの必要はなかった。
居候生活を始めるにあたって提示された条件はひとつだけで、一階の奥にある「ニーロの机に置かれているものは触れない」。それ以外については、自由にして良いと気前のいい家主は言った。二階の奥には現金が山ほどしまわれているが、必要ならばそれも使って構わないらしい。
二階にはマリートがこだわっていた上等なベッドが置かれているが、使われている形跡はない。大柄なウィルフレドが寝ても足がはみ出さない立派なものだが、やはりあの時の剣士の台詞が気になって、一日目の夜はその隣で横になって眠った。
二日目の朝、目が覚めると既にニーロの姿はなかった。
今日はどうやら自分に用はないらしいと考え、ウィルフレドはまず近くの通りを歩いてまわった。貸家が並ぶシルサージ通りと、成功者たちが暮らすトゥメレン通りの空気の差を感じながら歩いて、今度は屋台の並ぶ街の北側へ。ぐるりとまわって食料を買い、それを口にした後、マリートから借りている剣の手入れをしていた。すると突然、よく知った顔が五人分現れた。
戻ってきたかと思いきや、ニーロはまたどこかへ去っていく。
言われた通りに報酬を渡して、ウィルフレドは四人の若者を見送って、剣の手入れを再開させた。踏まれてしまった鞘を丁寧に拭いて、そろそろ街が橙色に染まる頃。
今夜はどこで眠ろうか、髭の戦士は考える。
床では体が痛くなる。隣にベッドが置いてあるのに、そのすぐ横で眠るのは少しばかりばかばかしい。マリートのことなど気にしなくていいと言われているのだから、借りてしまえばいいのかもしれなかった。
家主の帰りは何時になるのやら。猫のように気まぐれだと言われていたが、どうやら本当だったらしい。いちいち予定を確認され、食事の用意をしろ、タイミングをあわせろと言われても窮屈だろうが、ここまで放ったらかしにされるのも予想外ではある。
黒い扉を開ければ、目の前の通りは赤く染まってまるで迷宮の通路のようだった。
帰り着いてから無関係の襲撃に巻き込まれてしまったが、「赤」の踏破は良い体験だった。迷宮探索がどのようなものかを知り、もっと高い場所を目指していけると確信できた、素晴らしい日々を過ごした。
ただひとつ惜しいのは、最下層で出現するはずの「魔竜」が姿を見せなかったことだ。
「赤」の迷宮の三十六層、地図で見ればそのど真ん中が「終点」であり、「魔竜」との戦いの舞台である。そう聞いていたのだが、ウィルフレドたちの前には現れなかった。
なにごとにも、例外はある。ニーロはいつも通りの顔でそう言った。マリートはつまらなさそうであり、キーレイは安堵したような表情を見せた。ウィルフレドは拍子抜けしてしまい、昂っていた気持ちをどう昇華すべきか悩んだ。そのせいでつい、屋敷に戻った後、レンドの襲撃の時にしゃしゃり出てしまったのだ。
また、探索に行きたい。
カッカーの屋敷を出てはどうかという提案を受けたのは、胸が疼いたからだ。ニーロとマリート、ロビッシュの三人。彼らの世界へもっと深く踏み込みたい。戦って、戦って、命をすり減らす感覚の中で果てたい。
自分を天へ誘ってくれるのは間違いなく、ニーロだ。ウィルフレドはそう確信している。なのに今日は、黙ってどこかへ出かけてしまった。早く帰ってきて欲しい。散歩にでも行くかのような気楽さで、「では行きましょうか」と告げて欲しかった。
夕日が少しずつ街の向こうへ沈んでいって、通りは薄暗く、紫色に染まりつつある。
中級と上級、探索者をわける通りの向こうからかたかたと馬車がやってきて、ウィルフレドの前で止まった。
「もし、そこは魔術師のニーロ殿の家ですか?」
御者から声をかけられ、ウィルフレドは少しためらったものの、そうだと答えた。
馬車は大型で、派手ではないが上質な造りのものだった。ひいている馬も、選び抜かれたものなのだろう。毛並みも体格も溜息が出そうなほど良い。
「御在宅でしょうか?」
「……いえ、今は留守にしておりますよ。どこへ行ったかはわかりません」
そうですか、と答えて、御者はひそひそと馬車の中にいる誰かと話している。
探索者ばかりが通るこの道の上で、豪華な馬車ははっきりと浮いていた。
探索者は馬車には乗らない。乗るのはぎゅうぎゅう詰めの乗合馬車で、この街へやってくるか、去る時に使うだけだ。街中でかっぽかっぽと鳴らすのは商人と相場が決まっている。だが馬車の中は暗くて、どんな人物がやって来たのかは見えなかった。
「いつ頃お戻りになられますか?」
「申し訳ないがそれもわかりません」
肩をすくめて答えると、御者はまたぼそぼそと「中のお方」と話した。
「また出直します」
名乗らなかったのは、ウィルフレドとニーロの関係がわからなかったからだろうか。知る術もないが、無彩の魔術師と馴染の仲ではないのだろう。
空腹になってきて、ウィルフレドはまた街をぶらぶらと歩いた。
カッカーの屋敷へ寄ってみようかと思ったが、やめた。
二人分の食事を買って家へ戻ったが、ニーロの姿はない。この気まぐれな家主にどれくらい気を遣えばいいのか、ウィルフレドはひとり、肉を齧りながら考える。共に探索に行きたい身としては、あまりぶらぶらし過ぎてニーロとの邂逅のチャンスを逃したくはない。でもそれも、彼が帰って来なければ意味がなかった。
ひょっとしたら今日は戻ってこないかもしれない、とまで考えたウィルフレドだったが、幸いなことにこの予想は外れた。食事を終えて酒を一杯飲み干したところで、灰色の影が静かに家の扉を開けて戻ってきた。
「ニーロ殿」
若い魔術師は少し疲れた顔をしていたが、同居人に向けて小さく微笑みを浮かべてみせた。
腕にはなぜか三本の剣を抱えている。幅広の長剣と、赤い鞘に入れられた細剣と短剣で、短剣には見覚えがあった。
「明日、『白』か『黒』にいきましょう」
幅広の剣をウィルフレドに差し出しながら、ニーロは続ける。
「ロビッシュさんがくれば『黒』です」
「この剣は?」
「マリートさんから借りているものは扱いにくそうだったので、買ってきました」
赤い鞘の剣は脇に置かれ、残った大きなものがウィルフレドへと差し出される。
渡された剣は大きさからは考えられないほどに軽い。購入したのならば、それなりの値段になっただろう。
「代金のかわりに迷宮で採れる石で支払います。明日はそれを取りに行きます」
「どちらでも手に入る石なのですか?」
「いいえ。『白』でとれる『濁晶』か、『黒』でとれる『柔石』か、どちらかでと話をつけました」
それぞれどんな石なのか、ウィルフレドはまだ知らない。
ニーロも詳細な説明をする気はないようだ。
「ついでに最下層まで行ってしまいたいところですが、キーレイさんの都合が悪いのです。さすがに神官なしの四人では無理でしょうね」
「四人で行くのですか?」
「ええ。明日の朝、マリートさんにも声をかけます」
明日の朝声をかけて、来るのだろうか。
いや、来るのだろう。そうでなければ、こんな唐突な探索の誘い方は出来ない。
「そちらの赤い剣は」
「預かり物です。ヴァージさんのものなのですが、あの屋敷には置いておけませんから」
短剣については、フェリクスがアデルミラに託されたもののように見える。これだけが戦利品なのだと見せてくれた、散々な目にあった「藍」の探索で手に入れたという赤い短剣。
ウィルフレドの疑念に満ちた視線に気が付いたのだろう。ニーロは仕方なく、といった様子でこう語った。
「複製品を作ったんですよ。これはヴァージさんの大切なものなので」
「迷宮に落ちていたのでは?」
「そうです。とても不思議な現象が起きて、『藍』に落ちていました。それを偶然にも、彼らが拾った」
「とても不思議な現象」で片づけられてしまったが、もう引退して久しいヴァージの大切なものが、迷宮に落ちている理由が気になって仕方がない。
だがウィルフレドは、ニーロを質問攻めに出来なかった。この魔術師相手にそんなことをしていたら、三昼夜かけても話が終わらない。
いちいちすべてを聞いてこない新入りの態度を気にいったのか、ニーロは満足そうに笑った。
「明日は出来れば『黒』に行きたいですね。あなたとならば相当深い層まで行けそうです。キーレイさんがいなくても、これまでで一番深いところまで行ける気がします」
「『黒』は出現する魔法生物が強いと聞いていますが」
「ええ、とても。獰猛で頑丈なものが、一層目から出てきますよ。でも戦い以上に、精神的な強さが求められるところです」
それは「白」も同じなので、「白」でもいい。ニーロは楽しげに、ウィルフレドの前をいったりきたりしながら話した。
どちらもどうしても最下層まで行きたい、ウィルフレドとならばおそらく行ける、キーレイの予定を抑えなければいけない、ロビッシュが来てくれればもっといい。
その様子は、小さなことで一喜一憂していたティーオたちと変わらないように見えて、ウィルフレドも顔をほころばせた。内容についてはあまり年相応とは言えないが、それでも、ニーロくらいの年代の青年がいきいきとした顔を見せるのは、ウィルフレドにとっては嬉しいことだった。
「ロビッシュ殿とは約束できていないのですか?」
「留守でした。ロビッシュさんの行き先はいつもわかりませんから、手紙を置いて来たのです」
では、ニーロはロビッシュの家に行っていたのだろう。
「二階のベッドを使ってください。床で寝るよりはずっといいでしょう?」
上機嫌な魔術師は最後にこう言うと愛用の机へと移動して、その上に赤い二本の剣を置いた。
「マリートさんのことは気にしなくていいのです。大体、以前はずっとベリオが使っていました」
ベリオ。あの若い戦士は一体どこへ行ってしまったのだろう。レンドが探していたのはベリオで間違いなく、偽物の地図を掴まされたと言っていたはずだ。
長い間相棒として共に暮らしていたのに、ニーロは彼の行き先を気にしていないのだろうか。
街で一番有名な魔術師。長い灰色の髪をなびかせて、まっすぐに前だけを見つめているニーロに、問うてみたい事柄は山のようにある。
「そういえば、夕方にニーロ殿を訪ねてきた人がおりました」
「そうですか」
簡素な返事は、見当がついているのか、いないのか。
「名は聞いていませんが」
「大丈夫です、誰かはわかっていますから」
この返事にウィルフレドは思わず笑った。やはり、年相応の青年とは言えないようだ。
次の日の朝戦士が目覚めると、ニーロの姿は既になかった。起きて着替えを済ませ、装備品の点検をしていると、扉が開いた。家主は馴染の剣士を連れてきたが、表情は硬い。マリートはウィルフレドに恨めしそうな視線を向けており、居候先をここに決めたことがまだ気に入らないように見える。
「で、『黒』に行くのか?」
「ロビッシュさんが来れば『黒』です。もう少し待ちましょう」
ニーロは遅くまで机に向かっていたのに、随分早起きをしたようだ。これは、一昨日も同じだった。ウィルフレドが起きた時には、もう既に家を出たあとだった。
朝食は迷宮へ向かう途中で、手早く済ませる。
ニーロの家には調理をするスペースがない。道具もない。置かれているのは迷宮で拾った道具と現金ばかりで、生活を感じさせるものはほとんどない。
そのかわり、他の屋敷では決して見られない部屋があった。家の奥にある小さな部屋は、「浄化」の場所なのだという。そこで用を足せばすべては流れ去り、入口付近に置かれた箱は、衣服を「洗濯」してくれるらしい。迷宮の清掃の再現をしたくてこの部屋を用意した、とニーロは言った。だが完璧ではない、と付け足されたので、ウィルフレドはまだ利用を控えている。
魔術師の不思議な世界。それを覗いている今の生活は、新しい刺激に満ちている。
かつては少しくらい夢をみていた「豊かな老後」について、もう未練はない。
求めているのはその対極。いつまでも駆け続ける「前のめり」だけだ。
自分が築いてきたものが砂のように崩れ落ちて、すべては無意味だったと知った。
だとしたら最後のひとかけら、髪の毛の先ほどの小さな一粒まで、命を燃やし尽くしたい。そう思って、迷宮都市へやって来た。
その願いは叶う。それはひょっとしたら、今日なのかもしれなかった。
結局ロビッシュは姿を見せず、三人で「白」へ向かう。
「あんたには面白くないかもしれないな」
マリートはじっとりとした目で、ウィルフレドを見ないまま呟いている。
「確かに魔法生物は少ないですけれど、『白』には『白』の良さがあります」
「良さ」という言葉に、ウィルフレドは笑う。
魔術師は「念のために」と言って「帰還の術符」を差し出し、無造作に渡された貴重な品を、ウィルフレドは新しく作ったばかりのポーチの中にしまった。
買ったばかりの服の上には、「赤」で手に入れた鎧。腰から提げているのは、ニーロから手渡された幅広の剣。マリートから借り受けたものも、予備として背負って持ってきた。
「その剣、どうしたんだ?」
「ニーロ殿が買ってきたのです」
「『濁晶』だと、十は見つけないといけませんね。『濁晶』は薄い桃色の石です。大体、十一層から下で手に入ります。落ちていたり、犬が飲み込んでいたりしますよ」
ニーロの口調からして、どうやら石の入手はウィルフレドがしなければならないらしい。
「わかりました」
自分の持ち物なのだから、当たり前だ。ニーロは気前のいいパトロンなどではなく、「仲間」なのだから。
「実物を見たことがありませんので、もし落ちていたら教えて頂きたい」
ウィルフレドが申し入れると、ニーロは口元に笑みを浮かべながらこう答えた。
「マリートさんが教えてくれますよ」
ニーロとマリートの関係は「兄と弟」のようなものだと思っていた。
二人の年は十以上離れている。探索者になって同じくらいで、共にカッカーと「赤」の最初の踏破者になった間柄だ。マリートは普段は無口だが、ニーロの前では饒舌になるし、行動もひとつひとつが親しみに溢れている。
だが、共に迷宮を歩いてみれば、二人は兄弟というよりは「主従」に近い関係のように見えた。年上ぶって必要以上に世話を焼きたがるマリートと、なにをするにも一人で平気なニーロ。無口で孤独な主人の周囲を、やんちゃで従順な飼い犬がわんわん吠えて回っているような、そんな気配が感じられる。
忠犬マリートは、主人の家に図々しく上がり込む新入りが少し気に入らないようだ。
だがそれ以上に、主人に嫌われるのを恐れているらしい。じろじろと鋭い視線を向けつつも、ウィルフレドに向けてあれはなんだ、これはこういうものだといちいち解説をしながら進んでくれる。
「『白』は狭く感じられるだろう」
それは他の迷宮よりも通路が狭いからだとマリートは言う。
「天井も少し、低いように思います」
「あんたは体が大きいからな」
新人の補佐を忠犬にまかせて、ニーロは地図を片手に真っ白い床の上に立っている。
「白」の地図。紙の上には通路を示す線と、何種類ものしるし、ところどころに走り書きがされていた。筆跡は二人分あって、片方は見覚えのない文字でウィルフレドには読めなかった。
まだ浅い階層だからなのか、ニーロはただ地図を確認しているだけで、新たになにかを記そうとする気配はない。
ニーロの家にあった「練習用の地図」を、ベリオはなぜ持ち出したのだろう。
家の中で地図を見た覚えはない。どこかにしまわれているのか、それともあの事件以来しまうようになったのか? わからないが、迷宮の地図なんていう大切なものを、ニーロがその辺に放り出しておくとは思えない。ベリオは長い間あの家に住んでいたようだが、ニーロが他人に完全に心をゆるし、すべてを共有して良いと言うだろうか。
レンドの襲撃と死について、心に引っ掛かるものがある。彼自身も死に、相棒も命を落とした。どんなやり取りがあって、地図が彼らの手に渡ったのだろう。
「ウィルフレド」
思案に暮れる戦士の名を、ニーロが呼ぶ。
「あなたもぼうっとするのですね」
「すみません」
反射的に謝ったウィルフレドを、意外な言葉が迎えた。
「もしかしてまだ調子が戻っていないのですか?」
他人の心配などしないと思っていた。ましてや、体調についてなど。
意外な優しさに、戦士は反射的にこう答えてしまった。
「いえ、地図を作るのは大仕事だなと……」
この言葉に、ニーロの表情は険しくなった。ほんの少しだけ、微かに、眉が動いたので、ウィルフレドはふっと笑って、こう訂正した。
「本当は先日あった襲撃について考えていたのです。レンドという戦士がやってきて騒ぎました。ベリオ殿を出せ、いないのならば、あなたかヴァージ殿をと」
その場を取り繕うセリフは、おそらく、ニーロにとってはただの「嘘」になるのだろう。
すべてを見抜く瞳を前に、ウィルフレドは素直に胸のうちを話した。
マリートは不機嫌そうに口を歪めたが、ニーロからは険しさがなくなったようだ。
「ベリオが持ちだしたのはこの『白』の地図でした。地図といっても、普通の書き方をしたものではありません。途中までは僕の記憶もあったので正確でしたけれど、十二層からは半分程度がでたらめです」
「スカウトとしての練習用、なのでしょう?」
「使うとしたら、スカウト技術の確認のためになるでしょう」
「一体どんな地図なのです?」
今回の探索には、スカウトがいない。ロビッシュが現れなかったので、ニーロはスカウト仕様の姿で「白」に踏み込んでいる。
長い髪はひとつに束ねていて、前髪もすべて後ろに流されている。
なので今日は、ニーロの表情がはっきりと見える。彼はなぜかここでにやりと、いたずらをした少年のような笑顔を浮かべて続けた。
「あの地図は迷宮の声を聞いて作ったのです。入口から二十層まで、通路がどのように張り巡らされているかを聞いて、すべて自宅で作りました。残念ながら、僕に語り掛けてきた誰かはあまり誠実とはいえなかったようですが」
「ヴァージ殿の筆跡もあったのでしょう?」
「ありませんよ」
これにはありますけれど、とニーロは言う。今使っている、制作途中の「白」の地図には、ヴァージの添削が入っているのだと。
「あれが使えないものだとベリオは知りませんでした。『白』に行く用が出来て、勝手に持ち出したのだと思います」
そして最後にニーロは、迂闊だった、と語った。
はぐらかされているのか、それとも、彼の言葉が理解できないだけですべて真実なのか。
見極められない。ニーロが偽りを口にするとは思えなかったが、それでも「迷宮の声を聞く」という表現が、理解できない。
「声が聞こえるのですか、ニーロ殿は」
「ええ。あなたならばそのうち、わかるようになるでしょう。僕は『語りかけてくる』ように感じますが、あなたやマリートさんなら『全身で感じる』ようになるのではないでしょうか」
結局、質問攻めにしてしまいそうになる。
ニーロのやり方は自分とは、いや、おそらく大勢と違っていて、謎に満ち満ちているからだ。
そろそろ打ち切って、探索に集中しなければならない。
「もし体調が良くないのなら、休憩しましょう。戻っても問題ありません。支払いは十日以内にしてもらっていますから、急ぐ必要はありません」
「大丈夫です」
「万全でなければ危険です。『白』と『黒』はどうしても踏破したいのですが、僕は急ぎ過ぎているようですね。ロビッシュさんもキーレイさんもいませんから、もしも難しいと思ったらすぐに言ってください」
ニーロの言葉はこれ以上なく慈愛に満ちていて、その隣に佇むマリートもまた、優しく微笑んだような表情を浮かべていた。
ウィルフレドは驚いたが、これはおそらく、気に入らない新入りが「足を引っ張った」のが嬉しかったのだろう。冷静、怜悧な頼りになる熟練の剣士。大勢が抱いているイメージよりもずっと子供じみた様子に、戦士も小さく苦笑いを浮かべた。
「剣の具合はどうだ?」
上機嫌な声が、今更すぎる質問を投げかけてくる。
「上々です」
心優しい二人と初心者の戦士はその後、迷宮の中で三泊して「白」の二十一層まで潜った。
濁晶は三十個も見つかって、財布の膨らんだウィルフレドはかつてのルームメイトに少し豪華な夕食を奢った。




