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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
08_A waking dream 〈紅に身を染める〉

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32 散歩

 うつらうつらと、意識が揺れる。

 水の上を漂っているようなその感覚を、ウィルフレドは懐かしく思った。

 もう二十年程も前に、まだ新兵だった頃にやった無茶について。たった六人の強行軍だった。

 共に故郷から出てきた親友は、今でもあの川の底にいるのだろうか。黙って息子の帰りを待ち続ける彼の母を見ていられず、何度か探しに行ったが、結局見つからなかった。


「ウィルフレド」


 懐かしい声。いや、違う。意識は濁ったまま、たゆたう。

 今いる場所は、故郷の小さな家ではないし、兵舎でもない。王都の外れに構えた家でもなければ、長く身を潜めていたあそこでもない。


「大丈夫ですか。うなされていましたが……」


 穏やかな声。彼女ではなく、あの女でもない。神官。アデルミラ。いや、彼女でもない。悲しげな別れの言葉が、耳の奥にかすかに残っている。いやいやよく聞け、そもそも女性の(もの)ではないのだ。


「眠ってください。大丈夫です、必ず癒えます」


 樹木の神に仕える男。共に赤い渦を進んだ彼の声だと、意識のどこかで気が付いていた。だが、体は動かない。熱く、重たかった。黒い靄に包まれた瞬間、激痛が走った。あの不愉快な感覚、耐えがたいものがあった。

 こんなものじゃない、自分が求めているのは。

 痛みは好きだ。生きていると実感できるから。あんな卑怯な仕掛けではなく、真正面からぶつかり、斬り合い、殴り合う。そんな痛みなら歓迎できる。


「どうですか、キーレイさん」

「……大丈夫だ。薬は効いている。それにアデルミラが治してくれた」


 神官の声は苦渋に満ちているのに、魔術師は笑ったようだった。小さく、細く、低く。口から笑いが漏れ出たのを、ウィルフレドは聞き逃さなかった。そして、自分も笑った。


 彼に必要とされている。

 世界で最も迷宮から愛されている魔術師が、自分を試し、認めてくれた。

 こんなところで終われない。またあの高揚を、全身で感じたい。

 真っ赤な世界。迫りくる燃える波のすべてを、己の剣で乗り越えたあの時間を。




「最下層まで降ります」

 四人の探索者に向けたニーロの言葉は、ただこれだけだった。

 マリートは満足そうに微笑み、ロビッシュは目を丸くし、キーレイは天を仰いでいる。

「ニーロ、ウィルフレドはまだ探索に慣れていない」

「大丈夫ですよ、彼なら。そもそも本当に行きたい場所はここではないのです」

 ウィルフレドは黙ったまま、小さく頭を下げる。


「この人、見ない顔だ。初心者なのか?」

 スカウトのロビッシュは小柄で、目つきの鋭い男だった。背中を丸めるようにして立って、腕組みをしながらウィルフレドを見つめている。背中を掻いたり、腰をさすったり、ちょこちょこと体を動かし続けていて忙しない。


「そうなんだ、まだここに来てひと月くらいか。だが心配ない。見た通りだよ、ロビッシュ」

 マリートは余裕、だがキーレイには不安の色が漂っている。

「どんなに剣の腕が素晴らしくとも、探索となれば話は別だ」

「ありがとうよキーレイ。やっぱり神官は生真面目なヤツに限るな、ニーロ」

「ええ」

 ニーロはいつも通りの無表情で、「赤」の入口へ向けてもう歩き始めている。 

「今日は他の探索者が少ないようですね」

「素晴らしいスタートだ」


 入口の前には五人。揃って立ち止まる。

「五等分でいいな」

 事前の確認はこれ以上ないほどにシンプルだった。誰にも異論はない。富のために潜る者は、どうやらこの五人の中にはいないらしい。


 前を歩くのは、マリート、ウィルフレド、ロビッシュの三人。

 後ろにはニーロとキーレイ。

 まだ十六歳の魔術師は、今回はスカウトの仕事はしないと宣言している。ゆったりとした黒いローブをまとい、長くなってきた髪は背中に流したままにしていた。

「では、行きましょう」


 「赤」の扉は開かれた。

 「赤」は中堅の探索者御用達の迷宮で、なにもかもがそれぞれに「手強い」。敵も強い、罠の解除も難しい、上り下りしなければ下層へは進めない。だが、特別に変わった仕掛けはなく、おかしな表現ではあるが「正統派の迷宮」と呼ばれている場所だった。

 「藍」や「白」で経験を積んだ者は皆「赤」へやってきて、ほっとする。

 照明が切れたり、精神を蝕まれるような奇妙な感覚がないからだ。

 適度な道のり、適度な強敵、適度な罠に安堵すら覚えてしまう。

 故に、大勢が中層で命を落とす。


「初心者には見えない、それに、名前が長い」

 ウィルフレドの隣ではロビッシュがぶつぶつと呟きながら、地を這っているかのような身の低さで歩いていた。

「ロビッシュはいつもこんな感じさ。罠の解除と強い奴にしか興味はない」

「そうなのですか」

 マリートの説明に、ウィルフレドは思案を巡らせていく。

「挨拶はいい、まともな会話などしないんだから。だがウィルフレド、お前の名前は覚えた。だから、今日はなんの問題もないだろう」


 抽象的な物言いだが、ウィルフレドは小さく笑った。

 なんの問題もない。

 いい言葉だった。


 会話は途切れて、道はまっすぐ。ロビッシュは手に地図を持っているが、まるで見ていないようだった。真っ赤なタイルが敷き詰められた床の上を、時折手をつきながら進んでいる。鼻をすんすんと鳴らし、地面すれすれまで視線を落として、腰や頭をばりばりと掻きながら歩いていく。服装にはまったく気を使わないらしく、あちこちが擦り切れて今にも破けそうだ。若くも見えるし、それなりの年にも見える。得体のしれない男だった。


「来るぞ来るぞ」


 そして、魔法生物が現れる前に必ずこう言った。ロビッシュがこう言った後には、必ず何かが現れた。

「なぜわかるのですか?」

 ウィルフレドは問う。迷宮に入ってしょっぱなの敵は「地駆犬(バイレクー)」で、三匹でいっぺんに襲い掛かって来た。もちろん、マリートとウィルフレドの剣であっさりと真っ二つに切り捨てられている。

「う……」

 ロビッシュは答えない。代わりに、背後から魔術師がこう教えてくれる。

「ロビッシュさんにはわからないのだと思います」

「そうですか」

 では、特別に嗅ぎつける能力を持っているのだろう。それ以上の言葉はなかったが、納得してウィルフレドは髭を撫でた。


 赤いタイルの上に響いているのは、足音だけ。

 走り書きだらけの地図には、はっきりと「最下層への道筋」が書かれている。

 薄茶色の紙には精細な迷宮のかたちがあり、ところどころに記された小さな文字は形がはっきりとしていて読みやすい。柔らかな筆跡はヴァージのものなのか、罠の位置も網羅されているようだった。

 右へ、左へ曲がりながら、赤い通路が伸びていく。

 未来へ向けて、まっすぐに続いている。

 時折現れる獣と、罠と、落とし物と。拾いながら歩いて、六層目。癒しの泉の前で、初めての一休みの時間が訪れていた。


「マリート殿の剣には無駄がありませんね」

 隣ではキーレイとロビッシュが荷物の整理を始めている。これまでに手に入れた肉や革、得体のしれない丸い筒など、持っていく物を選別しているようだった。

「俺には腕力が足らないからな。鍛えているんだが、カッカーの旦那やウィルフレド、お前のような体にはなれそうにない」

「そうはいっても、誰しもが出来ることではないでしょう」

 マリートは口の端をあげて、笑う。

 二十八歳の彼は、七年前に迷宮都市へやって来たらしい。昨日の夜、探索の準備をするために家を訪れた時に、少しだけ昔ばなしを聞かせてくれた。

「その剣、どうだ?」

「問題ありません。もう少し重いものの方が、私には良さそうですが」

 この日のウィルフレドの装備品は、マリートのコレクションから借りたものだった。

「カッカーの旦那から借りた方が良かったかな?」

「いえ、神官が使うものとなると勝手が違うでしょう」


 楽しげに話すマリートを、ニーロが見つめている。その顔はいつも通りの表情の無さだが、キーレイにはわかった。満足しており、いつになく楽しい気分で、幸せさえも感じているのだと。


「良かったな、ニーロ」

 固い犬の肉を通路の隅に放り投げながら、キーレイも笑う。

「ロビッシュさんのお蔭です。待ってくれましたから」

「へへ、俺はニーロが一番好き。マリートが四番だ。その髭の大男も、いい匂いがする」

 ウィルフレドはほんの少しだけ、眉間にしわを寄せる。親切な神官はまた笑って、スカウトの特別な言葉の解説をした。

「彼が嗅いでいるのは、強さなんだそうですよ」

「安心しました」


 キーレイも、同じものを感じていた。

 ウィルフレドからは、隠しきれない探索強者の気配が漂っている。ニーロからも、マリートからも、カッカーからも感じたそれに、ずっと呆れ続けている。彼らはどうしてそんなにも迷宮が好きで、危険の中に身を投じたがるのか、まったく理解ができない。


 とんだ迷宮中毒者の集まりは再び歩き出す。

 赤いタイルのほんの小さなでっぱりを、ロビッシュは見逃さない。

 そして、「敢えて」作動させる時もある。


「ロビッシュ、初めて同行する人間がいる場合は、先に声をかけてやってくれ」

 回復の泉のそばにある角を曲がり、しばらく進んだところで突然、床に穴が開いた。ぽっかりと空いたそれにまんまと落ちて、無事に着地はしたもののそこに居た巨大な熊との戦いには乗り遅れてしまった。

 こんな風に焦りと驚きの中に陥ったのは、ウィルフレドだけ。どんな合図があったというのか、マリートもニーロも澄ました顔で床に降り立って、剣と火球を敵にぶつけていた。ただ、知ってはいたものの対応しきれないようで、キーレイは床に転がっている。


 ロビッシュは首をひねるばかりで答えない。

「床を二回連続で叩いたら合図ですよ」

 かわりに教えてくれたのは、また、若い魔術師だった。

「音は出しませんけれど、あなたならわかるはずです」


 ニーロは満足げに笑う。「だからロビッシュは言わないのだ」と告げられたのがわかった。

 

 親切さの欠片もない熟練者たちの旅は、静かに続く。

 ああしろ、こうしろという指示は一切ない。ウィルフレドに任されているのは戦いだけで、雑魚がいっぺんに大量に現れればニーロが焼くし、道案内と罠の解除はロビッシュがすべて引き受けている。怪我をすればキーレイが癒し、獲物を倒した後の処理はマリートがする。

 朝、屋敷を出て、するすると六層目まで進んだ。休憩はここまでに二回。昼飯と、泉に寄った時だけ。いつでも通路の突き当りで、ニーロの描いた「おまじない」の中で過ごした。


 「緑」の道とは、なにもかもが違う。

 五人は一塊の研ぎ澄まされた刃になっている。そのような感覚が胸のうちにあって、ウィルフレドはひどく満たされた気分だった。

 壁ははぜる炎のような赤、床は流れた血のような暗い赤。赤ばかりが続く世界だが、嫌ではなかった。獣と戦った経験はあまりなかったが、自信はあった。彼らについて行き、彼らの辿り着く深淵へ身を投げ、「一段高いところ」にある景色を自分の目でも確かめたかった。


「まだ全然、物足りないんだろう?」

 だが、マリートはウィルフレドへ向けてこう言った。八層目に辿り着き、この日の探索は終わりになって、食事を済ませた後に、こう言われた。

「安心してくれ。十層に辿り着けば、そこがお前の望む世界さ」

 ニーロの描いた線の中、赤い通路の突き当りで。マリートはさっさとマントで身をくるむと、横になってしまった。


 キーレイは祈りを捧げる時間らしく、少し離れたところで目を閉じている。

 ニーロとロビッシュはまだ荷物の中身の点検をしているようで、二人でぼそぼそと会話を交わしている。


 自分の望む世界。それがどんなものか、ウィルフレドは胸に手を当てる。


 迷宮都市へ流れてきて、まだひと月しか経っていない。

 

 運よくカッカーの屋敷に身を寄せ、雨露をしのげる場所を確保できた。周囲を見れば年端のいかない少年少女ばかりで、誰かが成功すれば一緒になって騒ぎ、朝出て行ったきり帰らない者が現れると皆で祈っている。

 懐かしさと、彼らの清らかさに思わず笑みがこぼれてしまう。

 もうすっかり忘れ去ったと思っていたはずの遥か遠い日々。過去(それ)がほんのりと色づいたような気がして、胸が騒ぐ。


 確かに、年はとった。終の住処だとは思っていなかったが、居て当然の場所から追い出された。

 だが、終わりではない。冷たい床を踏み、剣を握りしめて。往く場所がある。共に進める誰かは、ここに存在する(いる)

「確かに」

 マリートの言葉は正しい。

 それに、恐らく。もう一つの意味でも。



 ベテランたちは「見張りは不要」だと言った。ニーロの描いたおまじないもあるし、誰もが「なにかが近づいて来たら起きる」から。確かにそうできるメンバーだし、ウィルフレドにも自信があった。実際、足音がするたびに起きていた。

 魔法生物の影は遠くで揺れて、通路の向こうへ過ぎ去っていく。匂いを嗅ぎつけたり、命の放つ熱に気付いたりするはずの彼らが、すべて寄り付かずに消えて行った。ニーロの描いた白い線の力は有効であり、ではもう、慣れるしかないのだろう。いちいち過剰に反応せず、休める時には休むべきだ。とはいえ、ウィルフレドにとって「初めての夜明かし」だった。いきなり馴染めるわけもなく、四人に比べて睡眠時間はぐっと短い。


「どうでしたか、初めてだったんでしょう?」

 一番はじめに起き出して来たのはキーレイで、ウィルフレドの表情から「夜中」どう過ごしたかがわかったのだろう。

「落ち着かないものですね」

「マリートやニーロだって落ち着いてはいませんよ。慣れているだけです」

 ロビッシュはどうだかわからないが、と神官は笑う。

 話しているうちにマリートが起きて、二人にむかって手を挙げた。線を乗り越えて通路の先へ行き、すぐに戻ってくる。


 床の上にはロビッシュが小さく身を丸め、ニーロは壁に寄りかかり、膝を抱いた姿勢でまだ眠っている。

「少し早くに目が覚めたな」

 迷宮の中に、時を告げる知らせはない。なにを以て「早い」と言っているのか、ウィルフレドにはまだわからない。

「ニーロは家の中でもあの姿で寝るんだ。せっかくいいベッドを用意してやったのに、多分まだ一度も使っていない」

 呆れた顔で笑うマリートに、キーレイは肩をすくめている。

「ニーロはあの寝方をすると知っていただろう、マリート」

「寝心地のいいベッドがあれば、使うと思ったんだよ」

 更に剣士はこう続ける。

「女を連れ込むのにも必要だろう?」

「ニーロにそんな日が訪れるだろうか」

 二人の「兄」たちの会話に、ウィルフレドは思わず声をあげて笑った。

「笑うなよ、ウィルフレド。ニーロはその気になれば、どんな女でも絶対にものに出来る男なんだから」

 自分が噂されていたのに気が付いたのか、ここでニーロが目を覚まして立ち上がった。ロビッシュもほぼ同時に目覚めており、二人がなんらかの力でもって「正確な時間」を把握しているのだろうとウィルフレドは考えた。


 手早く朝食を済ませ、準備を終え、赤の迷宮探索が再開される。

 前を行くのはマリートとウィルフレド。その間を這うようにしてロビッシュが進み、後ろにはキーレイとニーロが並んでいる。

 軽口をたたくのは休憩の時だけ。

 彼らは徹底している。罠にかからぬよう、不意打ちを受けぬよう、集中を切らさない。

 二日目の探索は八層からで、これからの道筋はますます厳しくなっていくだろう。

 疲労の残る体は、昨日よりも少しだけ重い。雑念がちらちらと、頭上を飛び交う瞬間(とき)もある。


 あと、二十八層。

 長い道のりを思うと体の奥底から熱が湧きあがり、ウィルフレドに力を与えた。

 

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