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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
06_In Solitude 〈完全犯罪〉

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27 始まりの「死」

 ラディケンヴィルスの街の西側にある「王都調査団」の本部で、ニーロは眉間に皺を寄せていた。

 通された応接間の椅子の座り心地は最上級に良いものだが、苛立っていた。

「ニーロ、落ち着いて」

 隣に座っているキーレイの声は穏やかなものだが、年若い魔術師は態度を改めない。すぐそこに調査団の人間が座っているにも関わらず、だ。


 向かいに座っているのはまだ若い女性で、調査団の制服に身を包んでいる。

 体格がいいのは、戦士としての訓練を積んでいる証なのだろう。表情は凛々しく、長い髪は後ろで一つにまとめられている。

「よろしいでしょうか?」

 女からの問いかけに、ニーロは憮然とした表情で答えた。

「よくはありません」

 ニーロから迸る苛立ちは止まる気配がない。仕方なくキーレイが代わりに頭を下げ、調査団からの要請について話を聞いた。



 ことの始まりは、調査団本部へやってきたある商人からの報告だった。

 薬を主に取り扱うというこの商人、アードウは神妙な顔でこう話したのだという。


「『紫』の三層に、死体があるんです」


 応対していたのは調査団に派遣されてきてまたひと月しか経っていないチェニー・ダング。小さい頃から兄と共に剣に明け暮れ、騎士を夢見て生きてきた女だった。

 結局、騎士にはなれなかった。兵士として採用されたかと思いきや、いきなり迷宮都市へと派遣されてしまった。


 迷宮都市の王都調査団は、いわゆるひとつの「閑職」だ。

 学者たちは喜んでラディケンヴィルスへ行く。迷宮にはまだ研究の余地があって、新しく発見されたものにいち早く触れられる喜びは他に替えがたいからだ。だが、今の調査団は迷宮には入らない。騎士や兵士たちの仕事は、名ばかりの警備と、たまに訪れる湿っぽい性格の探索者の愚痴を聞かされることくらいしかない。


「当たり前でしょう」


 チェニーは絞り出すようにこう答え、大きくため息をついた。

 もしかしたらやっとまともな仕事かと思いきや、これだ。

 まだ迷宮に足を踏み入れたことはないが、命を落とす者はいくらでもいると聞いている。


 顔をしかめたチェニーへ、アードウと共にやってきた無精ヒゲの男が告げた。

「当たり前なんかじゃない。あの三層の誰かはずっとそこにいるんだ。それどころか周囲の毒草が絡み付いて、道を塞いでしまった」

「当たり前ではないとは?」

「王都の調査団ともあろう方がご存じないので? 迷宮の中で死んだ者はいつか消える。勝手にどこかへ消えちまうようになっているんです。なのにあいつは、ずっとそのままなんだ」



 アードウは探索者を雇って「紫」の迷宮へ行かせ、薬草を採取してもらっている。

 雇われ探索者たちが「死体」を見つけたのは、五日前。

 彼らは死体を避けて進み、薬草を採って帰った。

 帰り道も、次の日の探索でも、死体は残っていた。

 その次の日も、残っていた。

 死体は腐敗を始め、とうとう周囲の毒草が絡み付き、覆われ始めてしまった――。


 アードウに雇われた探索者のリーダーはバリーゼという名の誠実な男だった。

 彼は死体についてアードウに報告し、初めての事態だから調査団へ届けるべきだと主張をした。確かに聞いた覚えのない珍しい現象だし、とアードウは納得して、調査団の本部へバリーゼと共にやって来たのだ。



 この報告を耳にした学者たちは色めき立ち、調査はすぐに決まった。

 だが、「紫」は危険な場所で、調査団の中には足を踏み入れられる人材がいない。


 調査団一行を連れて安全に現場まで行ける探索者を探さねばならない。

 大勢で一気に地上へ戻れるほどの「脱出」の使い手と、解毒ができる神官。今回の調査にはこれが必須の条件だが、謝礼は多くない。調査団への協力は「当然」、公共の利益であり、すべての探索者の義務とされているので、設定されている額は低い。


 もちろん、引き受けてくれる者などいない。


 大勢の名うての探索者に鼻で断られ、調査団が最後に辿り着いたのが、元探索者であるカッカー・パンラだった。


「迷宮の調査のためだ。大勢の役に立つこの尊い仕事を、お前に頼みたい」


 こんな言葉を恩人(カッカー)に言われては、さすがのニーロも断れない。


 苛立ちが面白いくらいに伝わってきて、キーレイは思わず小さく笑う。

 突然笑い出した「協力者」に、チェニーは当然気を悪くしている。

「なにかおかしいことがありましたか?」

「いえ、なんでも。失礼しました」

 キーレイもまたカッカーの指示により「紫」の調査へ行かねばならない。


 請われればニーロたちの探索に付き合ってきた。普段は神殿へ勤め、やってきた信者や探索者達の対応をしている。

 探索は好きでも、得意でもない。迷宮はおそろしいところだ。大変な怪我を負ったり、命を失った者を癒すたびに恐れは強く大きくなっていく。

 けれど、神官としてこれ以上の鍛えの場がないのも確かだった。

 ニーロたちとは迷宮へ行く理由は違う。

 だが、彼らも強くなるためにあの恐ろしい渦へと赴く。その心情はよく理解できた。


「ニーロ、大丈夫だ。皆待ってくれる」

「ロビッシュさんは待ってくれません」


 ロビッシュはどのパーティにも属していないスカウトで、とにかく腕が良い。彼の手を借りたい者は多くいるので、この調査の間に他の探索へ行ってしまうだろう。

 神殿の勤めがあるキーレイとロビッシュの予定を合わせ、ようやくめぐって来たチャンスだった。


 準備を整えたところに、調査団からの使者が来たのだ。

 ニーロだけではなく、マリートも楽しみにしていたはずだ。無口な剣士は仕方ないと笑っていたが、落胆しているだろうとキーレイは思う。


「『紫』の探索に切り替えるというのはどうだ?」

「脱出まで含めての調査でしょう? 三層で終わりなんて論外です。それに、『紫』は邪道すぎます」

「邪道?」

「そうですよ。今回の探索の目的は」

 二人の会話はチェニーの咳払いで、ようやく途切れた。



 灰色の髪をしている男は魔術師で、まだ若いが相当な手練れであるらしい。

 隣に座る男は服装通り樹木の神官で、普段は神殿に務めているが、探索にも慣れているという。


 王都でもその名を知られているカッカー・パンラからの紹介というが、魔術師の青年はひどく迷惑そうだった。探索者はよほど調査団の手伝いをしたくないらしい。そう思い知らされて、チェニーの気は重い。


「『紫』の三層に死体があり、消えずに何日も残っているという報告がありました。その調査の手伝いをお願いします。調査団からは私と、学者たちが二名同行します。それと、発見者であるバリーゼという探索者が道案内をしますので」


 この説明もまるで聞いていない。

 魔術師の無礼な態度について、神官は申し訳なさそうな表情を浮かべてチェニーに向けてくる。彼らはおそらく親しい間柄なのだろう。魔術師は数が少なく、大勢を無事に戻す「力」を持っている。しかし、だからといって随分と偉そうではないかとチェニーも鼻息を荒くしてしまう。


「聞いておられますか?」

「聞いていますよ。『紫』の三層に死体が残ったままになっているのでしょう。確かに三層程度の深さで何日も残ったままというのは不自然です。良かったですね、正直に調査団へ報告に来てくれる探索者がいて。邪魔だからと火でもつけていれば、周囲の毒草が燃えて大変な事態になったでしょう」


 つん、と上を向いたまま答える態度はあまりにも生意気で、チェニーは不愉快な気分だったが、他に協力者はいない。我慢するほかなかった。


「報酬はお伝えした通り、一人百五十シュレールです。途中で得られたものは、未発見でない限りあなたがたにお譲りしましょう」

「バリーゼさんという方はそれで了承しているのですか?」

「……同行する探索者の皆さんで決めて下さい」


 調査団か、協力する探索者か。属性は二種類しかない。

 チェニーがこう告げると、ニーロは少し間を置いてこう話した。

「報酬は百でいいので、もう一人増やしてもいいですか?」


 脱出の魔術は高度な技で、人数が増える程に難易度は増す。

 ニーロの不敵な申し出に苛立ちを感じながら、チェニーは「どうぞ」とだけ答えた。




 「紫」の迷宮の周囲には警備の人間が立って、探索者の出入りがないよう封鎖されている。

 昼過ぎ、準備を済ませた「調査」の一行は全部で七人いた。調査団から三人、案内が一人、そして協力者が三人という内訳になっている。

「そちらは?」

 ニーロが連れてきたのは髭を美しく切りそろえた偉丈夫で、年は三十代後半といったところか。

 装備は軽いが、腰にさげている剣は大きい。探索者らしからぬ出で立ちに、チェニーは少し戸惑っている。

「ウィルフレド・メティスと申します。いい経験になるだろうからと、ニーロ殿に言われて参加させて頂きました」

 この挨拶にも面食らってしまう。どう見ても一番年長であり、その辺りをうろついている探索者(ごろつき)とは放っている空気が違う。

 美髯の男は口元に笑みを浮かべ、こう続けた。

「こう見えても新参者なのです。ほんのひと月ほど前にここへ来て探索者になったばかりで」

「そうなのですか」

 では、同じ時期にラディケンヴィルスを訪れたのだろう。不思議な新米探索者に少しだけ親近感を抱きながら、チェニーは一行へ向けて声をあげた。

「では行きましょう」

「ウィルフレド、バリーゼさん、前をお願いします」

 キーレイの指示で、ウィルフレドとバリーゼが前へ。学者たちとチェニーが間に入り、ニーロが後ろへまわる。神官であるキーレイは、ニーロの隣を行くようだ。


 荷物は多い。三層までしか降りないが、遺体を持ち帰らなければならないし、念のために解毒の薬を大量に持って来ている。

 それは学者たちが背負っており、チェニーの役目は違う。

「私は剣を扱えます。前列で構いません」

 鼻息を荒くしている女戦士に対し、灰色の魔術師は手厳しい。

「探索は初めてなのでしょう? 無理はしないことです。あなたに何かあって責任を負わされたらたまりません」


 嫌味を隠そうともしないその態度にチェニーも怒り、ウィルフレドとバリーゼの間に割って入ると、迷宮の扉を開けた。



 「紫」の迷宮の中の空気は冷たい。

 床は濃い、青みがかった紫。

 壁は明るく、赤みがかった紫のタイルが並べられている。

 天井や床のあちこちから植物がつるを伸ばしている様子は緑と似ているが、毒性は比べ物にならないほど強い。

 「紫」の迷宮の中の空気は冷たいが、しっとりとして重い。

 灯りはついているが、紫色の通路は暗く感じられる。


 戦いは出来る。散々鍛えてきたのだから。夜遅くに叩き起こされ、朝まで泥棒を追いかけたことだってある。けれど、こんなにも暗い世界を行くのは初めてだとチェニーは思った。うすら寒くて落ち着かない。すぐ隣に二人いるのに、たった一人で歩いているような不安がある。


 後ろにいる学者たちはぺらぺらと喋っていて、楽しそうである。最後列にいる魔術師にあれこれ話しかけては、そっけない返事を時折もらっているらしい。

 右隣を歩くバリーゼは神妙な顔をしている。調査団の案内役を引き受けているのだから、そのせいで緊張しているのかもしれない。

 左隣を歩くウィルフレドの歩みは落ち着いている。新米だというのはやはり嘘なのだろう。からかわれて悔しい思いもあるが、チェニーの話相手になってくれるのはこの男しかいなかった。


「息苦しいですね」

「毒の迷宮ですから、そう感じるのでしょう」

「ここへは何度くらい来ているのですか?」

「今日が初めてです」


 そういえば「いい経験になるだろうから」来たと話していたではないか。迷宮の前での会話を思い出し、チェニーは顔を赤く染める。

 ではやはり、来たばかりというのは嘘ではないのだろうか?


「ウィルフレド殿は最近ここへ来られたと仰っておりましたが、それまではなにをされていたのですか」

 ひょっとしたら騎士団の所属だったのでは、という思いがあふれて、チェニーはこう問いかけたのだが、髭の中年男は渋い表情で首を振った。

「話すほどの経歴はありません。ほんの少し、体は鍛えておりましたがね」

 はぐらかされている。そう確信があって口を開きかけたが、そんなチェニーをバリーゼが止めた。

「過去を聞くなんざ、ここじゃあ許されないことです」

 ましてや王都から派遣されてきた役人になんて、一番聞かれたくない。バリーゼが続けた言葉に、チェニーはかちんときて声を荒げた。

「役人ではありません。私は王都を守る警備隊の一員です。たまたまここへ派遣されて、迷宮の調査に協力しているだけです」

「過去を詮索されて困らない奴らなんて、あんたらと神殿仕えの連中だけさ」


 案内の男は気を悪くしたらしく、そっぽを向いてしまった。

 見かねたウィルフレドが位置を入れ替わり、小さな声で話しかけていく。それでバリーゼの機嫌は良くなったものの、チェニーは気まずい思いで後列へと下がった。


 調査一行の真ん中の列では、学者たちが魔術師へ質問をぶつけ続けている真っ最中だった。

 調査団から参加した二人の学者は「魔術師ニーロ」をよく知っていたらしく、次から次へと問いを投げかけている。

「魔術はどうやって会得したのですかな?」

「術師ラーデンに育てられたという噂ですが」

「その通りです。僕はラーデン様に拾われ、育てられました」

 有名な魔術師(ラーデン)に育てられ、その仲間の更に有名な探索者(カッカー)と共に活躍してきた。学者たちは興奮した様子でさらに魔術や迷宮にまつわる質問をぶつけ、ニーロは静かに答えていく。

 若い魔術師は相変わらず無表情ではあるが、言葉には熱がこもっているようにチェニーは思った。


 はしゃいでいる学者たちは「探索者」ではない。素人なのは彼らも同じはずなのに。自分への態度との余りの差に、若い女戦士の口はぐにゃりと歪む。


「ダング調査官」

 穏やかな声はキーレイのものだ。

 振り返るとそこには、誠実さと知性に溢れた瞳があった。さすがは神に仕える者。彼だけは平等で、冷静なはず――。

「探索中です、意識を集中して下さい」


 途端に、背後からキン、と音が響いた。ウィルフレドとバリーゼは突如現れた蛇のような魔法生物と戦っており、チェニーも慌てて剣を抜いたが、悲鳴をあげる学者たちが邪魔で結局前へは出られなかった。


 先頭を任されたバリーゼは慣れた様子で迷宮を進んでいく。

「地図を見なくても道がわかるのですか」

「しょっちゅう潜っているんでね」

 ウィルフレドとバリーゼは会話をかわしながら、敵が出れば素早く倒し、伸びた蔦は的確に斬り落として進みやすいように処理してくれている。バリーゼの「しょっちゅう」は真実であり、ウィルフレドは呑み込みが早く筋がいいようだ。


 背後で弾む会話にも、前方の手際の良い仕事にも加われず、チェニーは疲れを感じていた。

 ふてくされたりぼんやりしていると、キーレイから注意されてしまう。それは調査を無事に終えるために必要なのだろうが、息をつく暇が一瞬もなくて、苦しい。

 ため息をつけば、魔術師が見逃さない。


「これほど安全が守られた探索はありませんよ」



 「紫」は本来、進むのが非常に困難な場所だとニーロは言う。

 前を行く二人が慣れていて、かつ優秀だからスムーズに行くのだと。


 チェニーにはわからなかった。迷宮へ足を踏み入れる気はなかったし、初めてだし、大体探索ではなくこれは「調査」だ。三層で起きている異常事態を確認するために行くのだ。

 命をもてあそんで楽しんでいる探索者の気持ちなどわからない。


 知ったことか、と諸々を諦め、チェニーは進んだ。

 幾度かの戦いと毒草対応を乗り越え、件の三層へ。


 ある角を曲がったところで臭いが変わった。

 胸を締めつけるような濃い植物の香りに、腐敗臭が加わっている。

「そこだよ」

 バリーゼが指さした先に、蔦で出来た壁が待ち受けていた。

 

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