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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
50_Body and Soul 〈宴の後〉

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231 虚ろな玉座

 迷宮都市の真ん中には、魔術師たちが住んでいる。

 迷宮の描く四角の内側は永らく「十番目の入り口」を探されていた場所で、ぽっかりと空いて残されたところに、魔術師たちが好き好んで家を建て、暮らし始めたという経緯があった。


 そんな魔術師街の中心、まさに街のど真ん中に、一際大きな屋敷が建っている。

 最早悪名しか残っていないホーカ・ヒーカムなる女が作った紫色に彩られた豪邸だが、今はもう誰もいないのだという。


「どうだ、キーレイ。人の気配などないだろう」


 屋敷の入り口にある大きな門を抜け、屋敷の入り口、扉の前にて。

 キーレイの隣で、ロウランは不敵な笑みを浮かべている。

 「家主がいなくなった経緯」について、説明は受けた。

 ロウランは詳細に話してくれたのだろうが、結局のところすべてが「真偽不明」だ。


 今日やって来たのは、「本当に無人かどうか」の確認の為。


 ホーカの屋敷にはなにがあるかわからない。危険の可能性もあるし、財産が残されているかもしれない。

 

 本当は二人だけで来るのは気が進まなかった。

 事実無根とはいえ、散々噂が流れた後だから。

 もちろん、調査は進めたい。できることなら早く終わらせたい。

 キーレイは散々悩んだが、結局はロウランに押し切られる形でホーカの屋敷を訪れていた。


 庭に並んでいた柱は折れたまま放置されている。

 中に入れば廊下のあちこちにごみが落ちていて、寒々しく、確かに誰もいそうにない。

 どの扉を叩いてみても応答はなく、開けた部屋すべてが無人だった。


「もういいだろう。さあ、地下を確認しに行くぞ」

「あの部屋ですか」

「ああ、残っているのはあそこだけだ」


 なにもなければ、調査は終わりにできる。

 ロウランはにやりと笑って、キーレイの袖を引いた。


 屋敷から出て、庭に隠された入口へと向かう。

 魔術師は勝手に置き物を動かし、灯りを用意してキーレイに持たせ、地下へと続く暗い通路の中へ入っていく。

「ロウラン、待ってください」

 呼びかけても止まる気配はなく、神官も足を速めるしかない。

 くねくねと曲がる闇の道を抜けて、狭い入り口を潜り抜け、造りかけの人造迷宮へ。

 鈍い銀色のタイルは、あまり光を反射しないようだ。

 並んで立つ二人の周囲以外は薄暗く、不気味なほどの静けさで客を包み込んでいる。


「以前ほどの匂いはしないか」

「そのようですが、効果がなくなったかどうかは」

「お前は本当に慎重な男だな」


 キーレイの呼びかけに構わず、魔術師は奥の部屋に向かって進んでいく。

 一度立ち止まるべきだと訴えたが、聞き入れてはもらえないようだ。

 万が一に備える以外にやることはなくなって、キーレイは持ってきた業者用の装備で口を覆った。


「さて、なにか残されたものがあるかな」

 ロウランは楽しげに呟き、笑みを浮かべている。

「ホーカ・ヒーカムがいる可能性があるのでは?」

「そうかもな。始末するにも、あの小娘の細腕では難しかっただろう」


 この豪邸の主、ホーカ・ヒーカムはもう死んだと、ロウランは言う。


 地上に運び出したか、穴を掘って埋めたか、燃やしてしまったか。

 魂は弟子の中に入ったらしいが、体が消えてしまうようなことはないだろう。

 どんな方法をとるにしても、マティルデの非力な体でやり遂げるのは難しそうだと思える。

 ロウランの話によれば、マティルデの体を乗っとった後は、魔術は使えなくなっていたらしいから。

 魔術師ならではの「便利なやり方」もなかったはずだ。


 ロウランの話がすべて本当かどうかはわからない。


 マティルデの振る舞いは明らかにおかしかった。

 すっかり人が変わったようになり、ひらひら、ぶかぶかの服で身を包み、街のあちこちに出向いては、キーレイの結婚話を振りまいていたと聞いている。

 クリュの前に現れた時も、なにもせずにただ去っていっただけ。

 師匠に体を乗っ取られた哀れな弟子については、ギアノからも聞いている。

 かつての同居人であったユレーという女性に頼まれ、ロウランに「元通りにしてもらった」らしい。


 マティルデは故郷に帰り、ユレーはそれに付き添って街から去ってしまった。


 証言できる第三者はギアノだけ。信頼できる相手であり、疑う理由はない。

 迷い道が二度と起きないのは喜ぶべきだし、マティルデが去るところを見た者はそれなりの数がいた。

 キーレイとの噂もそのうち、誰も語らなくなるだろう。


 件の部屋の前に辿り着くと、魔術師の足はようやく止まった。

 扉は閉まっていて、中の様子は見えない。窓などもないので、状態を確認する為には開けるしかない。


「ロウラン、私が開けます」


 薬の効果があるかどうかわからないのだから、自分が行った方が良いだろう。

 キーレイはそう考えているが、ロウランはもうここが無事だとわかっているのではないかと思っていた。

 立ち止まらずにそのまま扉を開けていたとしても、意外には思わなかっただろう。


「では、頼む」

「少し下がっていて下さい」


 念のためにこう声をかけて、キーレイは扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。

 香りは僅かに残っている。濃度は薄まったような気がしている。


 業者たちと調査にやって来た時、まずはマティルデの姿が目に入った。

 部屋の中央に少女の眠る台があり、その奥に壺が見えた。

 部屋はうっすらと靄に包まれていて、他になにがあったかは確認できていない。


 緊張しながら足を踏み入れ、灯りを掲げて部屋の中を照らす。

 息苦しさはない。宙を漂っていた靄も、なくなったようだ。

 

「苦しくはありませんか」

「少し匂いはするが、影響はなさそうだ」

「念のために覆いをしてはどうでしょう」

「その必要はない」


 きっぱりと言い切ると、ロウランは部屋の奥に進んでいった。

 マティルデの寝かされていた台の向こうには、大きな大きな壺が置かれている。

 中を覗いてみると、乾ききった草のようなものがほんの少しだけ残っていた。灯り代わりの棒でつついてみるとあっさり崩れて、色も形も失い、ただの粉と化している。


 周囲を見渡してみても、なにもない。

 ただ、台と壺しかない空間だと、改めてわかった。


「他に薬を仕込む場所などはなさそうに見えますね」

「ああ。だが、妙だな」

「おかしなところがありますか」

「なにもなさすぎる。ホーカとやらが小娘の体を乗っ取ったのはここ(・・)で違いないと思うのだがな」

 

 ロウランは腕組みをして、鋭い瞳を部屋のあちこちへ向けている。

 なにがあれば納得いくのだろう。キーレイが考えていると、魔術師の視線が止まった。


 人が入れそうなほどの大きな壺の、その向こう。

 暗い色の壁を見つめたまま、目を細めている。

「その壺の向こうに、なにかありそうだ」


 武器の類を持ち歩かない二人に、ちょうどよい「叩くもの」はない。

 キーレイは部屋を出て、銀色の通路を歩き、資材の置かれていた場所を覗いた。

 探してみると壁を掘る為の道具があり、それを拾って部屋へと戻った。


「ほう、いいものがあったな」

 掘ってみるよう言われて、キーレイはつるはしを振るった。

 慣れない動作で狙いは外れ、もう一度。

 考えていたよりも上に当たってしまったが、壁には穴が開き、かけらが落ちていった。

 思いのほか手応えがなかったとキーレイは感じて、更に作業を続けていく。


 壺の奥の壁は随分薄かったようで、穴はみるみる広がっていった。

 中は暗くてなにも見えないが、明らかに空間がある。

「もう少し頼む、キーレイ」

「わかりました」

 何度かつるはしを当てると、壁は勝手に崩れて落ちていった。

 秘密を隠すのはもう無理とばかりに、ぽろぽろとかけらをまき散らし、人が通れる程の大きさに広がっていく。


 砂埃が舞い、神官長が小さく咳き込むと、ロウランがやって来て手を振った。

 すると塵は静かに床に落ち、光も奥の空間に届くようになっている。

「さて、なにを隠していたかな」

 ロウランはにやりと笑みを浮かべて、灯りを掲げている。

 部屋とはいえない程の狭い空間のようだ。

 まず目に入ったのは大きな椅子で、その上になにかが乗っている。

「死体か」

 ぎょっとしながら、キーレイも椅子の上に載せられた奇妙な物を見つめた。

 床にも似たようなかけらが落ちている。朽ちた布のようなものも混じっているようだ。

 なにがどこでどうなっているのかはわからないが、人の体の成れの果てなのだとキーレイは理解し、目を閉じる。 

「ホーカ・ヒーカムなのでしょうか?」

「いや、いくらなんでも古すぎる」

 確かに、椅子自体もかなり古びていて、埃が積もっている。

 ロウランは動じる様子もなく、椅子の周辺を灯りで照らし、死体を見つめた。

「この骨、男のもののようだぞ」

「男?」

「かなりの時間が経たなければこうはならん。キーレイ、この屋敷が出来たのは、一体いつだ?」


 こんな問いを受けて、神官長は考える。

 自分が子供の頃、かなり小さかった頃には、こんな派手な屋敷はなかったはずだ。

 街で一番の豪邸がど真ん中に建つという噂をしょっちゅう耳にした時期があったはずで、いつだったか記憶を探っていく。


「十……、四、五年ほど前だったと思います。大きな屋敷が建つようだと噂になっていましたから。その後も何度か工事をして、今の形になったはずです」

「前に住んでいた住人は?」


 記憶を掘り返し、街の景色を思い出していく。

 魔術師街を通るのは、商品の配達を引き受けた時くらいだった。

 迷宮の描く四角の内側に更地などなかったから、建物はきっとあっただろう。


「なんらかの建物はあったと思うのですが、誰が住んでいたかまでは」

「さすがにわからんか」

「ええ。ですが、長く住んでいる魔術師もいるでしょうから、聞いて回ればわかるかもしれません」


 最後の工事に関わった者も、少しくらいは残っているだろう。

 だが、隠された死者について知っているとは思えない。

 それとも、死体を隠したいと頼まれ、請け負った者がいたのだろうか?

 

「なぜこんな椅子を用意したのだろうな」


 椅子に腰掛けたまま死んで、壁の向こうに隠されてしまったのだろうか。

 何が起きたのか想像もつかず、キーレイには祈るくらいしかできることがない。


「ふふ、偽りの迷宮の王か」

 ロウランは小さく笑い、趣味が悪いと呟いている。

「また謎が増えてしまいましたね」

「なんだと? ……余計なものを探し当ててしまったか」


 調査などせず、埋めなおすわけにはいかないか?

 こう問われて、キーレイは首を振って答えた。

 きっと予想はついていたのだろう。ロウランは腕組みをしたまま、つまらなそうに呟いている。

「金を隠していると思ったのだがな」

 魔術師はやれやれとため息をつき、部屋を出ようとしている。

「調査は終わりですか」

「今日は無人だと確認するだけなのだろう?」


 秘密の部屋の扉を閉めて、地上へと戻る。

 太陽の光が暖かい。さっき目にした死体がまるで夢だったと思えるほど、世界が鮮やかになっていた。

「先ほどの死体を埋葬するよう、手配します」

「ああ、そうしてやれ」


 あとは建設業者に声をかけ、この屋敷の建築に関わった者を探すべきだろう。

 死者の正体についてはわからなくとも、調査せずには終われない。

 迷宮都市のど真ん中で密やかに眠っていた死者に向け、キーレイは改めて祈りを捧げながら、この後どこを訪ねるべきか考えている。


「なあ、キーレイ」

 振り返る神官の目に入って来たのは、愁いを帯びて輝く青紫色だった。


 どこか遠くへ向けて、キーレイを見ないまま。

 長い睫毛を僅かに震わせる魔術師に、神官はなんとか、これだけ答えた。

 

「なんでしょう」


 これまでに見せたことのない様子で、言い様の無い不安が心を覆っている。

 どんな言葉が飛び出してくるのか構えていたが、魔術師は急に小さく肩をすくめると、笑みを浮かべてみせた。


「すまん、なんでもない」


 緊張は一瞬でなくなり、これだけでもう、いつも通りに戻っている。

 ロウランは腹が減ったといい、味の良い店に連れていくよう頼んで来て、二人で昼食をとった。

 満腹になった魔術師は「ではな」の一言で去って行き、キーレイはこの後どうするか悩みながら神殿へ続く道を歩いている。


 建設業者と魔術師、長く住んでいる者を探し、話を聞かねばならない。

 死体が見つかったのだから、埋葬しなければならないが、その前に調査が必要だ。

 

 これからやるべきことはわかっている。

 問題は、誰に協力してもらうべきかだった。


 ホーカ・ヒーカムの屋敷は無人で、本人も後を継ぐ弟子もいない。

 そもそも確定してしまっていいのかどうかもまだ少しばかり悩ましいが、主を失ったあの豪邸を放っておくわけにはいかない。

 誰もいないと噂になれば、勝手に住み着こうとしたり、盗みに入ろうとする者が出て来てしまうだろうから。

 

 そうならないよう手を打ちたいが、誰にどう相談すべきかがわからない。

 あの屋敷を今後どうするか、公平かつ公正に決めるのはきっと難しい。


 神官だけで話し合えば商人が不満を言うだろうし、商人たちに声をかければああだこうだと揉めるだろう。

 頭を捻ってみても、良いアイディアはちっとも浮かばなかった。

 悩んでいる間に樹木の神殿が見えて来て、そもそも自分には関係のない話ではないかと気付いて、空を仰ぐ。

 

 後始末についてはいつかどうにかなる。

 樹木の神に祈りを捧げて、とにかく自分にやれることから解決していこうと考え、神殿へと戻った。


「樹木の神殿へ……、ああ、リシュラ神官長! 我らが偉大なる神官長、おかえりなさいませ!」


 入口付近にいたのはケルディで、なにがあったのか大声でキーレイを出迎えている。

 カッカーの縁戚の若者はしゃべり方も態度も堅苦しいが、今日は満面の笑みを浮かべて両手を広げていた。


「ケルディ、そんな呼び方はしなくていい」

「私のどんな呼び方がお気に召されませんでしたか、偉大なる神官長!」


 昼過ぎの時間帯に神殿を訪れる探索者は多い。

 怪我人が唸りながらやって来て、ケルディはそちらに飛んでいってしまう。


 仕方なく長の為の部屋に戻り、キーレイは椅子に腰かけていた。

 やらねばならぬことは様々にあるが、まずは考えをまとめた方がいい。


 紙とペンを用意して、テーブルの上に置いて。

 はたと気付いて、キーレイは考える。


 今日は屋敷の調査に行った。マティルデたちの話を聞かされ、本当かどうか確かめようと思ったからだ。例の地下室についても調べておきたかった。それはいい。


 しかし結局、ホーカ・ヒーカムがどうなったのか、まったくわかっていない。


 ロウランはあの魔術師は死んだという。原因はわからないが命を落とし、マティルデの体を乗っ取って街を闊歩していたのだと。


 確かにホーカ・ヒーカムにはなにかが起きた。屋敷も聞いた通り、無人のようだった。

 他に調べたいことも新たにできた。壁の奥に隠されていた、おそらくは男のものであろう死体について。


 あの死者の正体を調べることに、意味がないとは思わない。

 けれど、家主がどこへ消えたかもひどく気になっていた。

 長い間、誰も姿を見ていない。弟子ですら、はっきりと顔を知らない。


 本当に、ホーカ・ヒーカムなる魔術師は存在していたのだろうか――?


 こんな疑問に背筋を震わせて、キーレイは慌てて頭を振った。

 少なくともカッカーやアークは顔を合わせていたはずだし、弟子をとって授業もしていたようだし。


「リシュラ神官長」

 急に扉を叩く音がして、キーレイは小さくぴょんと飛び上がっていた。

 やって来たのはネイデンで、神官長の帰りに気付いてお茶を持って来てくれたようだ。

「ありがとう、ネイデン」

「ケルディには注意をしておきましたので」

 先ほどのやり取りを聞いていたのだろう。キーレイは思わず笑みをこぼして、なんだか少し変わったようだけど、と問いかける。

「ケルディはあちこちで注意をされたんです」

「注意を……。誰かに迷惑をかけてしまったかな」

「どうでしょう。同じ注意を何人かに受けたようで、自分の短所についてはよく理解できたようですよ」


 言われるとしたら、人の話を聞かないところだろうか。

 ネイデンはこらえきれなかったのか、にやりと笑って、こんなことを言い出している。


「無彩の魔術師殿に、それはもうずばりと言われたそうなんです。とても落ち込んで帰って来まして、自分のどこが悪いのか、真剣に考えておりました」

「ニーロに?」

「ええ、カッカー様の仲間であったニーロ殿とは、仲良くなりたかったのでしょうがね」


 ネイデンは飲み物を置くと去って行き、キーレイは首を捻っていた。

 ニーロとケルディが一体どこで遭遇し、説教の時間を持つことになったのだろう?

 想像がつかないが、確かに容赦なく言いそうだと考え、思わず笑ってしまう。


 愉快な気分で休息を終え、キーレイは再び神殿を出た。

 問題は残っているものの、解決されたこともあると気付いたからだ。

 

「ニーロ、いるかい」


 小さな売家に辿り着き、扉を叩く。

 中からかすかに足音が聞こえて、家主が姿を現し、中へと招かれる。

 あとの二人は不在のようで、姿が見えない。


「どうしました、キーレイさん」

「相談に乗って欲しいんだ。ホーカ・ヒーカムの屋敷のことで」

「ロウランと調査しているのでは?」

「そうだ。今朝も共に行った」


 ロウランのスタンスは変わらない。

 ホーカ・ヒーカムは死んだ。弟子の少女の体を乗っ取り、払われて消えてしまったと言い、「気にしなくていい」と考えている。


 この話を信じていないわけではないが、なにに関しても証拠がない。

 ホーカ・ヒーカムについて、どんなに些細なものでもいいからもう少し情報が欲しかった。

 それに、今日見つかった死者についての調査などは、面倒臭がって付き合ってくれないだろうと思う。魔術師街に、知り合いなどもいないだろう。


「いくつか確認したいことがあって、ニーロの力を借りたい」

「どんなことでしょう」

「今日、ホーカの屋敷へ行った。もう誰も住んでいないと確認する為だったが、あそこには地下に迷宮のようなものがあって、そこも調べたんだ」

「迷宮のようなもの?」


 ホーカの屋敷の異様な地下空間について、そこでマティルデを発見したことも含めて説明していく。

 なんらかの薬が使われていたが、今日はもう問題なく中を歩けたことも。

 そして、最奥の部屋の壁の向こうに、死者がいたことを。


「魔術師街で長く暮らしている者に心当たりはないかな」


 ニーロは首を傾げて、記憶を探っているようだ。

 キーレイの方がよっぽど長く迷宮都市で暮らしているが、魔術師街のことはどうにもわからない。

 

「ポンパ・オーエンは?」

「ポンパが来たのは僕よりも後のようですから、古い時代のことは知らないでしょうね」


 そうかと呟いて、答えを待つ。

 その間にふと思い出したことがあって、行先の候補に加えるべきだとキーレイは考えていた。


「少し前に、ホーカの屋敷にいたヴィ・ジョンという男が保護されたんだ。彼はどこかの路地で倒れていて、カミルとコルフが見つけて神殿へ運んでくれた」

「あの男が?」

「ああ。ひどく弱っていたし、記憶が曖昧らしくて、まともに話ができなかったんだが」

「彼と話せるようになれば、屋敷のこともいろいろとわかるでしょうね」

「車輪の神殿にいるんだ。今から行ってみてもいいかな」

 ニーロは静かに頷き、早速出かける支度を始めている。

「そういえば、ケルディになにか言ってくれたと聞いたけど」

「たまたま街の北で見かけたのです。夜遅くに暗い路地の先に行こうとしていたので、声をかけました」


 嫌な予感のする話で、詳しく聞いておいた方がいいだろう。

 またやることが増えたと考えているうちにニーロは支度を終え、二人で家を出た。


「ヴィ・ジョンはずっと車輪の神殿にいるのですか?」

「意識を取り戻した後、混乱して、何故だか酷く怯えていたんだ。部屋の隅で丸まって動かなくなってしまったから、落ち着くまで待つと決まった。変化があった時は伝えてほしいと頼んであるから、まだ滞在していると思う」


 だが、コルフに報告されてから何日も経っている。

 ひょっとしたら連絡を聞き逃しているとか、忘れられている可能性もあるのではないか。

 こんな不安を抱えたまま、北へ向かって歩いた。


「これはリシュラ神官長。それに、無彩の魔術師様」


 車輪の神官は穏やかに、丁寧に挨拶をしてくれて、ついケルディのことを思い出してしまう。

 神殿にはそれなりの人が来ていて、皆あの大声を聞いていただろう。

 あんな風に挨拶させるところだと勘違いされていたら、どうしたらいいのか。

 またおかしな噂が増えては堪らず、キーレイは思わず樹木の神に祈っていた。


「少し前にこちらで保護して頂いた、ヴィ・ジョンという男に会いたいのですが」

「ああ。わかりました、少しお待ちを」

 神官から報告を受けたのか、長であるピナ・オーケンがやって来て、キーレイと挨拶を交わした。

「あの男、ホーカ・ヒーカムの屋敷の使用人だったそうですね」

「そうなのです。一度目の迷い道が起きた時には、彼が対応してくれました」

「なるほど。それで、ホーカはどうなったのです? もうあの屋敷にはいないのではと、皆噂しているようですが」


 車輪の神官長はちらちらと視線を向けて来る。

 もちろん、後継者を名乗る少女か、協力者である魔術師のとの結婚話も聞いているのだろう。


「確かに、ホーカ・ヒーカムは不在のようです。屋敷の様子からそう判断できそうではあるのですが、もっとはっきり確認できればと考えています」

「なにか話は聞いていないのですか?」

「……ホーカの弟子になったマティルデという名の少女は、故郷へ帰りました。彼女はどうも、利用されていただけのようでして」

 ピナ・オーケンは眉間に深く皺を刻んで、考えを巡らせているようだ。

 そうしている間に神官がやって来て、面会の準備が済んだと伝えられる。

「リシュラ神官長、なにか必要なものがあれば用意させますが」

 これだけ確認するとオーケンは去って行き、キーレイはニーロと共に神殿の奥へと向かった。

 

 車輪の神殿には、迷宮都市の思い出が集められている。

 探索に行ったきり帰らなかった者の荷物を預かり、探しに来た家族の為に残す役割を引き受けているからだ。

 だが思い出の品は時々引き取られるだけで、ただただ数を増やし続けている。


 もう三つ目まで増えた保管庫を通り過ぎて、更に奥へと歩いていく。

 

 街で行き倒れた者がいた時、大抵は神殿に運び込まれる。

 彼らを休ませ、将来について考えさせる為の部屋は、どの神殿にも用意されている。


 ベッドと小さなテーブルくらいしか置かれていない、狭い部屋のひとつに、かつてヴィ・ジョンと名乗っていた男がいた。

 部屋の隅で膝を抱えて、やせ細った体を震わせている。顔色は悪く、目は虚ろで、声をかけても反応がない。


「以前にも会ったが、覚えているかな。私の名はキーレイ・リシュラ。樹木の神に仕えている」

 すぐ傍で膝をついて名乗ってみたが、ヴィ・ジョンの視線は床に向けられたままだった。

 なんとなく、顔がかすかに動いたような気はしているが、目は合いそうにない。

 キーレイは男の肩に手を置き、心が落ち着くように祈りを捧げ、同行者の名を告げた。

「こちらはニーロだ。魔術師のニーロ。君の主であるホーカ・ヒーカムが会いたいと考えていただろう? 覚えていないかな」

 ニーロは隣で立ったままで、ヴィ・ジョンからは足元しか見えていないだろう。

 けれど、体をぴくりと震わせ、呻くように声を上げている。

「ニーロ……?」


 かつてヴィ・ジョンと名乗っていた男の瞳に、僅かな光が戻っていた。

 顔がゆっくりと動いて、とうとう神官の顔を捉えている。


「ラーデンが弟子、若き才能あふれる魔術師の、ニーロ様?」


 キーレイが頷くと、ヴィ・ジョンはまるで魂が吹き込まれたかのように生気を取り戻し、ゆっくりと立ち上がっていった。

 

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