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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
05_LAWFUL-Party 〈善なるひとびと〉

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24 眠り姫と少年

「え、お金取るの?」


 ティーオのあげた素っ頓狂な声は、静かな神殿内で大きく響いた。

 樹木の神官であるキーレイは「やはり」と思いつつ、年若い新米探索者にわかりやすいよう、大袈裟にため息をついて答えを示してやる。

「当然だろう、我々をなんだと思っているんだ」

 カッカー様のオマケ、彼に仕える下っ端。では、なかったらしい。

 ティーオはそれを知っていた。が、そんな意識が心の底にあった。これは良くない考え方だったのだとようやく気付いて、渋面の神官にぺこぺこと頭を下げている。


 緑の迷宮の中で見つけ、ウィルフレドと共に連れ帰った見知らぬ少女。

 ヴァージが体を拭き、着替えをさせてくれた。迷宮内でアデルミラが癒してくれたので、見つけた当初に全身に浮き出していた腫れは引いている。ところが一晩経っても、どんなに呼びかけても意識が戻らない。

 それで、カッカーの屋敷の隣にある樹木の神殿へ連れてきたのだ。同室のウィルフレドとフェリクスはまだ探索から戻っていない。誰か手伝ってくれないかと頼むと、仕方ないわねと呟きながらヴァージが同行してくれた。


 事情を話し、助けてくれないかとすがり、癒しには謝礼が必要だと告げられて、現在。


 駆け出しに毛が生えた程度のティーオには金がない。昨日「ちょうどいい連中」と緑に行ったはいいが、なんの成果もなかった。哀れな少女に気を取られている間に、その日手に入れたすべてを持って帰られてしまうという体たらくだ。

 共に戻ってくれたウィルフレドからも代金を請求されている。

 確かにウィルフレドがいなければ、協力を申し出てくれなければ、少女は助けられなかっただろう。しかし、それにしたってとティーオは思う。

「みんな、金、金って、本当にうるさいよなあ」

 キーレイに「癒し」を頼むのは諦めて、ティーオはカッカーの屋敷の二階へ戻ってきていた。

 少女が寝かされているのはアデルミラが使っている部屋だ。女性の探索者は少なく、女性専用の部屋は二つしかない。

 ティーオの使っている部屋に他に滞在しているのは、フェリクスとウィルフレド。三人ともまだ荷物は少なく、部屋には必要最低限のものしか置かれていない。長居している者たちの部屋よりも随分とマシな状況だが、それでもこの女性専用部屋のような「良い香り」はしなかった。

 では今自分の鼻をくすぐっているのは、アデルミラの匂いなのか?

 ティーオはそんなことを考え、へらへらと頬を緩ませている。

 

 十分ほどしてようやくまともな思考を取り戻し、ティーオは自分が何をすべきか深く考えていた。

 目の前の少女はまだ目を覚まさないらしい。少女は何も持っておらず、何故迷宮の中で倒れていたのかその理由をうかがわせるものはない。名家の令嬢だったならこんなにやせ細ってはいないだろう。今にも折れてしまいそうな頼りない首と腕を見ながら、ティーオは考える。


 カッカーの屋敷に戻った時に、ウィルフレドにこう言われていた。

「救うと決めたのはお前なのだから、最後まで責任を持つんだぞ」

 怪我を治し、体調が良くなるまで看病をし、家に戻してやる。最低でもそのくらいはしなければならないと、髭の新入りは偉そうに言った。


 ヴァージが手伝ってくれたおかげで体中についていた泥や埃はなくなり、少女の本来の美しさが取り戻されている。肌の色は少し冴えないが、顔立ちは整っており、閉じたままのまぶたが開けばきっと美しい色の瞳が見られるだろう。鼻や唇の形は申し分なく、ティーオは「美少女」の目覚めが楽しみでたまらない。


「そっか。じゃあやっぱり、頑張らないとダメだよな」

 目の前で眠る「姫君」のために出来得る限りをしなければならない。

 健康を取り戻すまで世話をし、悪漢に狙われているだとか、仲間から裏切られただとか、事情があるのならば解決をしてやらなくては。

 たった一人で迷宮に取り残された少女が頼れる相手は、たった一人だけ。それはティーオでなければならない。毒の花の中で倒れた少女を果敢に救おうとした崇高な魂の持ち主、探索者のティーオでなければならなかった。


 少女の様子をたまに見てほしいとヴァージに頼んで、ティーオはカッカーの屋敷を出た。

 神官たちは少女を癒してくれる。彼女は迷宮の中で倒れていて、神殿で癒しを受ける資格を持っている。

 問題は、それに代金がかかるということだ。いつ目覚めるかわからないが、なんにせよあの様子からして目覚めてすぐに自力ですべて出来るようにはならないだろう。


 街の南側から、東へ向かう。歩きながら、ティーオは考える。

 もしも彼女の家がとても遠いところにあったのなら。その時は馬車に乗らなくてはならない。

 彼女に家がなく、行き場もないとしたら?

 カッカーの屋敷に滞在できるのは「探索者」だけだ。少女が探索者にならないのなら、あそこには居られない。

「うわあ」

 どう転んでもやはり金が必要だと気がついて、少年は頭を抱えながら唸った。今だってカツカツなのに、生活費が二人分になったらどうなるだろう?

 足を早め、東へ走る。十五歳の少年が行き着いたのは、中級探索者向けの貸家街の一角だった。


「ちょうどあと一人ってところだったんだ、良かったなボウズ」


 迷宮都市の商人たちが小金を貯めたら、次に挑戦するのは「不動産業」と相場が決まっている。売家は豪華に、貸家は簡素に。倉庫は大中小とサイズを揃えて。

 そして、腕の良さそうな常連に声をかけるのだ。


 そろそろ宿屋は卒業じゃないか?

 荷物が溜まってきただろうから、倉庫を使ったらどうだい、と。

 

 行商で王都へ行った時には、腕のいい大工に声をかける。

 地方へ行った時には、労働者を募って連れ帰る。

 ラディケンヴィルスで商人として名を挙げたいのなら、迷宮から引き揚げられた品物を捌くだけでは駄目だ。店を流行らせ、繁盛させて腕利きの探索者を呼び込み、更なるビジネスを展開させなければならない。


 ティーオが向かったのは貸家の建設現場だった。家のオーナーはシュルケーという名の商人で、街の北の方で大きな武具の店を経営している。質の良い武器や防具を王都から仕入れていたが、そのうち鍛冶職人を大勢集めて近くの村に工房を作り、軽い初心者向けから重量級向けまで揃えて探索者たちに提供するようになった。

 品揃えの良さが評判になり、結果、シュルケーの店には大勢の女性客も集まった。商店の妻や娘、給仕、神官など、女性たちの職業は様々だが、買いに来るものは同じ、自分の身を守るための小さなナイフだ。需要があると知るなり、シュルケーはちょっとした細工つきの柄のものを職人に作らせた。気の利いたデザインのナイフは飛ぶように売れ、女性客が集まった店は男たちをも吸い寄せた。

 こうして武具の店で大勢の客の信頼を得て、シュルケーは不動産業でも大きな成功を収めていた。


 建設現場には大勢の探索者が集う。一日単位で働ける、力自慢にはもってこいの副業だ。

 シュルケーの現場に入って、ティーオはほっと胸をなで下ろしていた。建設の仕事は実入りも良く、特殊な技術の要らないものだが、時には払いの悪い施工主もいる。散々こき使われた挙句、十シュレールしかもらえなかった時の記憶を思い起こして、ティーオはそっと樹木の神に感謝をした。


 重たい材木と石を運んで、汗だくになった昼休み。

 シュルケーの現場のいいところは、金払いの良さだけではない。簡単なものだが、昼食も振る舞われる。

 通りの向かいには別の貸家が建てられているが、そちらで働く人夫たちはうらやましそうに運ばれてきた昼食を見つめていた。


 近くにある飲食店から、軽食が運ばれてきて売られる。迷宮兎の蒸し焼きは次々に売れていって、すぐになくなってしまった。焼き立てのパンとスープもそろそろ終わろうとしていて、店主は嬉しそうに金を数えている。

 出された軽食だけでは少し足りない。物足りない気分と散々話し合って、ティーオはパンとスープを諦めることにした。


 倹約しなければ、少女を救えないのだ。


 あの長い髪を結って、アデルミラのように花を飾ったらさぞ似合うだろう。頬を上気させた彼女が「あなたのおかげで助かりました」と自分の手を取る場面を、ティーオは思い浮かべていた。それだけで力が出てくる。多少の空腹は我慢できる。足りなかった分は夕食の時、他の誰かの分をちょいちょいつまんでしまえばいいのだ、と気合を入れていく。


「ボウズ、よく働くなあ」

 王都からやってきたという大工の頭は豪快に笑いながらティーオの背中を叩いてくる。

「いえ、はい。頑張ってます」

「助かるぜ、お前さんのような働き者が来てくれると」

 探索者なんかやめて、俺の下で働かないかと頭は言う。

 即答できずにティーオは黙る。

「俺にはさっぱりわからねえ。迷宮なんて辛気臭くて危険な穴倉に潜るなんて。まあそんなことを言っている俺たちは探索者の皆々様方のお蔭で、仕事にありついているんだがな!」

 

 

 太陽が空を駆け抜けて、よく晴れた空を橙色に染めていく。

 この日の仕事はそろそろ終了。橙色の中に初心者用の迷宮の風景を思い起こしながら、ティーオは大きく伸びをしていた。力仕事は単純で、探索よりもずっと楽だ。魔物が飛び出して来ないし、罠は仕掛けられていない。しかし、面白味はない。やはり探索者たるもの、迷宮に潜らなければ。そう考えるティーオの肩を、誰かが叩く。

「今日も一日ご苦労様です。怪我はしてませんか?」

 振り返るとそこには、今日一日仕事を共にした男の姿があった。ひょろっとしていて頼りなく、道具の管理や昼食の配布などを手伝わされていた人物だった。

「ううん、特には」

「そうですか」

 労働者の安全確認をしているのかと思いきや、そうではなかった。

 他の「仲間」にも声をかけ、男は頷いている。建物の影へと移動する二人の姿に違和感を覚えてティーオはそっと後をつけ、そして驚いた。


 「癒しの業」を使っている。迷宮都市で、神官の癒しを得られるのは「迷宮で負った傷」だけなのに。

 しかも、癒しの代価に金を受け取っているではないか。


「見ちまったな、お前」

 神官たちが最もしてはならない違反行為を覗くティーオに、背後からかけられた声。新米探索者はまた驚いて声をあげ、その場に尻餅をついてしまう。

「え、いや、いやいやいや! 見てない!」

 地面に座り込んだままぐるりと回り、ティーオは叫ぶ。そこにいたのは体の大きな、頬に傷のある男だった。とても腕力では敵いそうにない体格差の相手に凄まれ、焦り、あわあわと震えてしまう。

 そんなティーオの様子を鼻で笑って、傷の男は手を差し出してくる。

「誰にも言わないでくれよ。わかるだろ、こんなところで日雇い労働をしてる同士、頼むよ」

 気が付けば、傷の男の背後には複数の影がある。様子からしてどうやら「仲間」のようであり、今の体勢からしても逃げられないし、戦ったところで敵わないだろう。悔しさを感じつつもティーオは頷き、誰にも言わない、と誓う。

「ありがとよ。脅すつもりはなかったんだ。そんなにビビらないでくれ」

 肩を叩かれ、やり取りは終わった。


 かと思いきや、賃金が配られた後に再び、男たちはティーオの前に現れていた。

「なあ、良かったら一緒にメシでもどうだ?」

 すぐそこに旨い飯を出す店がある、と傷の男は言う。彼の後ろには、不正に利益を得ていたひょろ長い神官と、なんの特徴もないごく普通の体格の男、そして工事現場にはいなかったはずの女がいた。

「俺の名前はドレーン」

 神官がドニオンで、ドレーンの弟。特徴のない男はピリッピ、女の名はユレーなのだと紹介がされていく。全員が大体二十歳前後の集まりのようだった。初心者特有の固さはないが、かといって熟練の者もいないように見受けられる。

「君の名は?」

 笑顔で問われては名乗らざるを得ない。もしかしたらまた明日も同じ現場で働くかもしれない相手だし、四人組だ。もしもトラブルになれば、圧倒的にティーオの方が不利だった。

「ティーオだよ」

「よろしくな、ティーオ」

 頬の傷をくにゃりと曲げて笑顔を作り、ドレーンはティーオの手を強く握った。

 そして、あれよあれよと件の店まで連れていかれてしまう。


 新しい家が続々と増え続けている貸家街に最近出来た、新しい食堂。「フェールの厨房」は賑わっていた。真新しいテーブルと椅子からはまだ木の香りが漂い、料理を運ぶ娘は若く、愛らしい容姿の者ばかり。工事を請け負う大工と、日銭を稼ぐ為に働く探索者たちが酒の入ったグラスを傾け、談笑している。


 活気に満ちたこの真新しい店の一番奥のテーブルの、一番奥の席にティーオは追い詰められていた。


「俺たちは『藍』に行きたくてな。それでもう一人、探索者を探してたんだ」

 食べ物も飲み物も勝手に注文して、ドレーンは笑っている。ちょうどいい人材が見つかって良かったと、ティーオの返事など一つも聞かないまま仲間と乾杯して盛り上がっている。

 強引に連れて来られ、ティーオは少しばかり不機嫌だった。なにせ、少女の容態が気になる。

 もしももう目を覚ましていたら?

 カッカーの屋敷で世話になっているティーオと同じ年頃の男たちが、「女の子」を放っておくわけがない。世話を焼いて、話を聞いて、協力を申し出て、自分がなるはずだった「特別なひと」になっていたらどうするのか。あんたらは責任が取れるのか、とティーオは喚きたいが、ドレーンたちには妙な迫力があって言い出せずにいる。

「我々の素晴らしい出会いに乾杯!」

 勝手に頼まれた飲み物が運ばれてきて、勝手な乾杯が交わされる。

 やむを得ず杯を掲げはしたが、何故こんなにも展開が早いのかティーオにはわからない。

「出来れば明日行きたいんだが、どうだい、ティーオの都合は」

 

 いつからそんな仲になったのか、ドレーンは親しげに顔を近づけてきて微笑む。

 彼の仲間であろう他の三人も、にこにこと人の好さそうな顔で笑うばかりで、ティーオの事情などまるで考えていないようだ。


「ええと、あの、話が急すぎるかな? 今日初めて会って、しかも工事現場で会った奴をなんで探索に誘うのか、ちょっとわからないんだけど」

 言葉を選びつつ、ティーオはようやくこれだけ答えた。

 ドレーンは口元に薄く笑みを浮かべたまま、目を閉じ、大袈裟に首を振る。今された質問が当然だ、というものではなく、「君はまるでわかってないな」とでも言いたげな様子で。

「わかるんだよ、我々には」

「なにが?」

「君の善性が」


 言葉の意味がわからないまま、会食は進む。早く帰りたいティーオが急いで皿の中身をかきこむと、ドニオンが「もっとゆっくりよく噛んで」と注意をし、「もっと食べるといい」とピリッピが追加の料理を注文してしまう。

 なにせ、四人にがっちりと囲まれている。一番奥の席に押し込まれ、八つの瞳はずっとティーオに向けられたままだ。何故そんなに熱烈に自分を歓迎したがるのか、少年にはまったく、わからない。


「善性って?」

 仕方なく、二枚目の皿を片付けたティーオはこう切り出した。

 ドレーンは満足げに笑って、新しい「仲間」へ答えを示していく。

「君はとてもよく働いていた。手を抜かず、まるで本職の人間のようにね。その姿勢はまさに『善なる者』のあるべき姿だった。それに、ドニオンの『癒し』についてなんら咎めなかったろう?」


 よく働いた理由は、賃金が欲しかったからだ。いつでも共に探索に行ける仲間がいるわけではないティーオが、日々の暮らしの為に必要な金を稼ぐために、払いのいい現場の人間に顔を覚えてもらいたかったからだった。

 癒しについては、頼まれたから黙っているだけ。誰かの恨みを買ってまで、神殿へ告げ口したくないだけの話だ。


 ティーオは首を傾げ、唸る。要するに自分は、ひどく俗っぽい、ごく普通の駆け出し探索者でしかない。そんな自分について「善性」だのなんだの言ってくるドレーンたちの考えは、まったく理解ができなかった。

 だが、そんなティーオの困惑などまったく意に介さず、ドレーンはまばゆい笑顔で新しい「仲間」の手を取った。


「ティーオ、我々探索者は常に危険と隣り合わせだ。皆、考えているのはいかに儲けるか、いかに強くなるか、自分、自分、自分! 自分のことばかりだ。酒場で気が合った程度の誰かなんぞとパーティを組んだとして、それが本当に信頼に値する人物だと思えるかね? いや、違う。彼らは人のことを道具としか思っていない。ティーオも見ただろう? 迷宮の中で倒れ、息絶えようとしている誰かの姿を。彼らの仲間は何処へ消えたのか? 皆、自分さえよければいいという利己的な思いばかりに囚われ、人の命を軽んじ、使い捨てているのだ。嘆かわしいと思うだろう? 君はしない。それをしない。そうだろう? 私にはわかる」


 ドレーンの仲間達は語りに合わせて力強く頷き、ティーオをじっと見つめ続けている。


 結局、最後までドレーンたちのペースのまま、話は終わった。

 当初の予定通り、勝手極まりないことこの上ないが、明日は「藍」へ行くと約束をさせられている。準備をして、「藍」の近くの防具屋の前で待ち合わせるらしい。


 なんなら今すぐ装備を取りに行って、我々の家に来るか、とまで言われていたが、もちろんティーオはこれを断った。実は仲間が床に伏せっているから、大勢で来られては困る。そう告げると、感心だとドレーンは笑顔を見せ、ますますティーオが気に入ったと話した。


 変わった探索者がいるものだ、とティーオは思う。

 ドレーンの思いについてはよくわかる。ティーオも、怪我をして通路の端にうずくまっている誰かの隣を行き過ぎるのは辛い。何度も迷宮には足を踏み入れているものの、いまだに「誰か」が苦しむ横を通り過ぎると、心が痛む。

 それが出来ねば、探索者にはなれない。これまで何度も、何人もの先達たちに言われてきた言葉だ。

 自分が生き残らなければ意味はない。死ねばお荷物、もしくは終わり。迷宮とはそのような場所であり、覚悟のない者が入ってはならない場所である。


 だがドレーンたちは、そんなごく「普通」の探索者たちを「勝手」だという。自分のことばかり考えていて、困っている誰かに手を差し伸べようとしない薄情者ばかりだと。


 その主張が正しいような、正しくないような。奇妙な感覚に揺られながらティーオは歩いた。


 嫌なら迷宮都市から出て行けばいいじゃないか、と思う。神殿の規則を破り、利己的だと他人を非難するくらいなら、迷宮に足を踏み入れなければいい。どう考えても、ドレーンたちの主張はおかしいように思える。

 けれど、どこか希望を感じさせる話のように思えるのも確かだった。

 普段ならば見て見ぬふりをして過ぎるだけの「行き倒れ」を、ティーオは助けてしまった。


 あの時、誰もがティーオの言葉に耳を貸さず、一言すら残さずに立ち去っていた。

 フェリクスたちとたまたま遭遇し、アデルミラが解毒をしてくれて、ウィルフレドの申し出があって少女を救うことができた。あのタイミングで知った顔を見つけ、協力を得られたのは奇跡だったはずだ。

「ああいう親切が、もっとたくさん迷宮の中でもあれば……」

 いいのに、とティーオは思う。どんな連中も大抵は気が良くて、街の中で会えば笑顔で挨拶をするし、困った時には手を差し伸べてくれる。けれど、あの恐ろしい渦の中ではどれほど親しくとも、長い付き合いであろうとも、完全な信頼にはなかなか繋がらない。


 樹木の神殿のある通りにさしかかって、ティーオは考えていた。

 例えばヴァージが迷宮の中で死にかけていたら、カッカーは助けるだろうか。これはきっと、助けるだろう。彼らは夫婦であり、二人の愛らしい娘もいる。

 ティーオは顔をぶるぶると震わせて、こんな特殊な二人であてはめて考えても意味はない、とまた思案を巡らせた。


 では、ニーロとマリートだったらどうか? 彼らはかつて、長い間探索を共にして来た仲だという。赤の迷宮をカッカー、ヴァージと共に踏破した、伝説と言って差支えの無い熟練者たちだ。

「いや、これも……意味ないのか」

 かつて赤の迷宮を探索した時に、五人のうち三人が命を落とし、ニーロが全員を連れて戻ったという話を聞いている。ニーロならばすぐにでも他人を見捨てて一人で戻って来そうなものなのに、戦利品のほとんどを諦め、「仲間全員」を救って帰ってきた、と言う。

 この話が本当なのか、多少の脚色があるのかはわからない。だが、美談として街の人間に愛されている「話」なのは確かだった。

 当人たちは黙して語らず、肯定も否定もしない。


 自分の心とまっすぐに向き合い、ティーオは呟いた。

 お前も、この話が本当であってほしいと思うだろう? と。



「お帰り、ティーオ」

 カッカーの屋敷へ戻ると、ちょうど入口近くにヴァージが立っていた。

「ヴァージさん」

「あの子、まだ目が覚めないわよ」

 後は頼むわね、と家主の夫人は軽やかに去っていく。子供を二人生んだとは思えない締りのある美しい後姿にしばらく見とれて、ティーオはふらふらと二階へ上がって行った。


 一日の肉体労働に、押しの強い謎の四人組との会食で心が疲れている。この疲労を吹き飛ばすのは、いまだ眠り続ける姫君の芳しい香りだけだ。そう思って勢いよく女性部屋の扉を開けると、小さな悲鳴が上がった。

「ティーオさん」

「アデルミラ! ごめん、戻ってたんだ」


 マリートたちとの探索はあっさりと一泊で終わったらしい。

 アデルミラは目の下に隈を作っており、眠たそうな表情を浮かべている。どうやら神への祈りの時間だったらしく、ティーオは邪魔してしまったことをもう一度詫びた。着替えの最中でなくて良かったと思いつつ、眠る少女の様子をうかがって、ため息をひとつ吐き出す。


「無事に助けられて良かったです」

 祈りを終え、アデルミラはティーオに向けて微笑みを投げかけてきた。

「迷宮の中でこんな人助けを出来るなんて、ティーオさんは立派ですね」


 思いがけない相手に褒められて、少年は頬を熱く染めながら答えた。

「いや、本当は駄目なんだろうけどね。そのせいで一人になっちゃったし、結局アデルミラたちにも迷惑かけちゃって」

 雲の神官であるアデルミラは、困ったように眉尻を下げている。

「……そうですね。でも、今回はこうして尊い命が救えたのですから。これはきっと、ティーオさんにとって大切な出会いだったのだと私は思います。あの時ちょうど会えて、ウィルフレドさんがいてくれて、本当に良かったです」


 迷宮都市で生き抜くには、非情であらねばらない。

 それが何よりも大切な、一つ目の心得だ。


 けれど、ティーオは思う。たまには、救いたいだとか、守りたいだとか、そんな甘っちょろい幻想に騙されるのもいいんじゃないか? と。

 

「なあアデルミラ、明日一日この子の面倒見てもらっていいかな?」

 こんな突然の申し出にも、アデルミラは笑みを絶やさずに答えてくれる。

「ええ、いいですよ。フェリクスさんと私は、明日は休もうって決めていましたから」

「ごめんな、ちゃんとお礼はするよ」

「いいえ、お礼なんていりません。私もこの方が無事なのか、気になっていましたし」

 

 神官の少女の微笑みには一切の曇りがなく、清々しい。アデルミラの心の清らかさがその笑顔の中に滲み出ているようで、ティーオの気持ちも晴れ渡っていくようだった。

 

 ドレーンたちの言う「善なる者」がどのようなものか、見極めて来よう。

 そう心に決めて、ティーオは自分の部屋へ戻ると次の日の支度を始めた。

 

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