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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
  X19_Great Accomplishment

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226 辿る夢路の、遠い果て 3

 夕食の支度をしながら、ユレーは考えていた。

 今自分が直面している困った現状を、全部いっしょくたにしてはならないのだと。


 ギアノとアデルミラにぶつけた言葉を、深く後悔していた。

 わけのわからない現状への不安で頭をいっぱいにして、勝手なことばかり言ってしまった。

 ギアノはユレーにとっても大切な友人で、幸せになるよう祈るべきなのに。


 マティルデが変わってしまったのは哀しい。けれどそれは、誰の所為でもない。

 本人が安易な考え方を改めず、勝手に神殿から抜け出したところから始まっている。

 

 扉の開閉音がして、足音が近付いてくる。

 どすどすと鳴らすような歩き方など、以前はしていなかったのに。

 ユレーは食堂から顔を出してマティルデに声をかけたが、ちらりと一瞥されるだけだった。


 夕食を出し、がつがつと食べる様子を見守っていく。

 以前よりも肌艶が良くない。それに、ふっくらしたように見える。


「食べすぎなんじゃないの、マティルデ」

 心配して言ってみると、珍しく返事があった。

「もっとちゃんと掃除をしなさいよ」

「はあ?」

「これも。もっときれいに作れないの? 時間はたっぷりあったのに」

 フォークの先で皿をちょんちょんとつつかれ、ムカムカしてしまう。


「マージが、死んだんだよ、マティルデ」


 本当はもっと、まっすぐに向かい合って、静かに話したかったのに。


「探索に行ったけど、良くない連中と組んだらしくて、失敗しちまったんだ」


 ユレーは涙を浮かべているが、マティルデは白けた顔を向けるだけだった。


「ギアノが墓を作ってくれたんだよ。西門を出たところに。一緒に行こう」


 可愛い色の花を買って、持って行こう。

 声を震わせながらやっと言えたのに、マティルデは立ち上がり、食堂を出ていってしまう。


 信じられない思いと、湧き出した怒りが混じり合っていく。

 立ち上がって後を追いかけるが、なんと叫ぶかは定まっていない。


「マティルデ、あんた……、探し人はちゃんと見つけたのかい」


 師匠からの頼まれごとだと言っていたが、どうせ、まともにやらなかったのだろう。

 心の中に渦巻いていたものが勝手に飛び出していくと、何故だかそれは、魔術師の弟子になった少女の心に届き、波紋を起こしたようだった。


「……サークリュード・ルシオを逃した」

 目の前にいたのに、捕まえられなかった。

 マティルデは恨めしい目をして、そう呟いている。

「悔しい! あいつだけは許せないのに!」

「なにがあったんだよ、マティルデ。そいつになにかされたのかい」


 思わず問いかけたユレーに、ゆっくりと視線が向けられる。

 魔術師の弟子になった少女は、ぼそりと、こう答えた。


「とても、言えないようなことよ」






 迷宮都市には三か所、市場がある。

 一番大きいのは南門近くにあるもので、朝から晩まで大勢の客で賑わっている。

 スアリア側からやって来た商人が多くいるのは西にある市場で、こちらも客は多い。

 北東にもあるが、こちらは宿や食堂などを営む商売人向けで、個人客の出入りはない。


 あくる日の朝、ユレーが立ち寄ったのは西側にある市場だった。

 友人のもとを訪れる為に花を買って、ぶらぶらと歩き、門をくぐる。

 この辺りには街での暮らしから外れた者が大勢いて、女が一人でやって来ると遠慮なく視線を向けて来る。

 彼らにじろじろ見られるのが嫌で、ユレーは墓を訪れる時間をなるべく早朝にすると決めていた。


「また来たよ、マージ」


 墓に供えられていた花束はすっかり萎れていて、まずはそれをどけてやる。

 ささやかな一輪の花を供えて、ユレーは姉妹へ語り掛けていった。


「ごめんね、心配かけて。でも、あたしはどうしたらいいのかな。なにがなんだかもう、よくわからないんだよ」


 あんたが隣にいてくれたら、どれだけ力強かったか。

 そう心の中でぼやいて、言っても仕方がないよねと呟いて。


「マティルデを守ってやって。ヌウのことも心配だろうけどさ、ねえ、頼むよ……」


 なにから手をつけていいのかわからない。

 マティルデと再会したいと思っていたのに、今は後悔ばかりが山のように積み上がっている。

 

 ギアノに謝りたい。あんな態度を取ったのは間違いだったと気付いたから。

 ヌエルがどうしているか知りたい。マージが護ろうとしていた、大切な人だから。

 

 ふらふらと歩きながら思い出したのは、親切にしてくれた雲の神官長の顔だった。

 そろそろこの街から去ろうと考えていたのに。

 今は深い沼地に足を取られて、今すぐ離れることはできないような気がしている。


 西の門から街へ入ると、大通りには探索者たちが大勢歩いていた。

 「橙」の迷宮の封鎖が解かれたとかで、張り切っているのだろう。

 すぐに屋敷に戻るのが嫌で、ユレーはぶらぶらと大通りを進んでいく。

 ドレーンたちとの暮らしは最低の思い出だが、探索に挑んでいた日々は懐かしい。今はもう失われた、情熱に満ちた時間だったから。


「ユレーさーん!」


 露天商の呼び込みの合間に声が聞こえた気がして、ユレーは立ち止まる。

 大きく手を振りながら駆け寄って来たのはエルンで、あっという間に目の前に辿り着いていた。


「おはよ! ユレーさん、いきなりいなくなってたからびっくりしたよ。でも、こんなところで会えるなんてね。元気だった?」

 明るい声に思わず笑みを漏らし、ユレーは頷いていた。

「あんたも元気そうだね」

「まあね! 元気なのが私の取柄だし」


 えへへと笑うエルンへ、なにをしているのかと問いかける。

 探索に必要な物を持っていないし、買い物をするには時間が早すぎる。


「時間がある時は、とにかく走ってるの。父さんが、体作りの為にそうしろって言うからさ。早起きして走るなんてめんどくさいって思ってたけど、長いこと続けてきたからかな、やらないでいるとなんか気持ち悪くって」

「習慣になってるんだね」

「そうみたい。はあ、おなかすいたなあ。ねえユレーさん、一緒にどお? その辺でいろいろ売ってるでしょ」


 屈託のない笑顔に心を暖められて、ユレーは近くにある露店へ向かった。

 エルンの分も買い込んで、道の端で立ったまま、一緒に朝食を楽しんでいく。


「そうだ、聞いてよユレーさん。昨日、女の子の探索者を見つけたの。東に仲間を探す為の店がいっぱい並んでるところがあるでしょ。そこに行ったら、すっごくすーっごく綺麗な子がいて!」


 背が高くすらっとした、色白の、神秘的な色の瞳をした美少女がいた。

 エルンは一気にこう捲し立て、兎肉のサンドをがぶりとかじると、最後にこう叫んだ。


「男だったの!」


 あんまりなオチに、ユレーは思わず吹き出している。

「笑わないでよお、もう。あたし、声をかけて、一緒に探索に行こうって誘ったんだよ。女同士仲良くやろうよって。そうしたら、その子は怒った顔で、俺は男だなんて言ってさ。嘘だって思うじゃない。綺麗な子だから、わざと男っぽい格好をして、変な奴が近寄らないようにしてるんだって、あたしはね? そう考えてたんだけどね?」

 大きな声を出したからか、周辺にいた探索者がわらわらと寄って来た、と少女は話した。

 女の子だけじゃ危ないよ、よければ一緒に行こうよと声をかけてくる男が、押し寄せてきたのだと。

「それがみーんな、その綺麗な子に声をかけるわけ。あたしに声をかけてくる奴もいたけど、二人くらいだけでさ」

「あはは」

「もう、笑わないでってば。でね、その綺麗な子、大勢寄って来て困ったのか、逃げて行っちゃったの。みんな追いかけていったけど、外に連れがいたみたいで一緒に行っちゃった。あたしは一人でぽつんだよ。そうしたら、店の人が声をかけてきてさ。あの人は本当に男なんだよなんて言うの!」


 ぷうっと頬を膨らませて話を終えると、エルンはまたがぶりとサンドにかじりついた。

 

「はあ、本当にすごく、綺麗だった。どう見ても女の子だったけどなあ。あの店員が嘘をついてるんじゃないかって、あたしは思うけどなあ」


 大きな口でもう朝食を食べ終えたエルンに笑っていたが、ふと思い出して、ユレーは少女にこう尋ねた。


「その綺麗な男って、どんな風だった。名前は聞いた?」

「名前? 全部はわからないけど、クリュって名乗ったよ。髪がきらきら光ってるのに、頭に布を巻いて隠してて、もったいなかったなあ」


 まさか、サークリュード・ルシオなのだろうか。

 マティルデが唯一反応した、探し人のうちの一人。

 とても言えないようなことをしたという、女と見紛う美青年、その人なのだろうか。


「そのクリュって男は、どこにいったんだい」

「そんなのわかんないよ」

 それもそうかと思うユレーへ、エルンはなにか思い出したらしく、再び口を開いた。

「外にいた連れは、あの格好なんだから、樹木の神官だったよね」

「樹木の神官と?」

「うん。神官なら神殿に行けば会えるでしょ。居場所も教えてもらえるんじゃない?」

 朝食を食べ終わり、エルンは腕を目いっぱい伸ばしながら、そろそろ戻らなきゃと言って笑った。

「じゃあね、ユレーさん。また店に顔を出してよ。リティさんもそう言ってたから!」


 明るく溌溂とした少女が走り去るのを見送り、ユレーはまたとぼとぼと歩き出している。

 

 サークリュード・ルシオに問えば、マティルデになにをしたかわかるだろうか。

 それがわかれば、今の状況をもっと理解できるようになるだろうか。


 理解ができれば、解決が近付くかもしれない。

 わからずにいるよりはずっといいと思える。

 けれど樹木の神殿はカッカー邸の隣にあるし、神官長はギアノをよく知っているだろう。

 

 優しい男だから、昨日の非礼を謝れば、きっとすぐに許してくれると思う。

 アデルミラに対しても申し訳ない気持ちがあり、自分が間違っていたと伝えたかった。


 今は街の北の大通りにいる。

 南に進めば魔術師の屋敷へ辿り着くし、もう少し東へ進めば、樹木の神殿に続く道に出られる。

 このまま帰っても、やることはマティルデの世話だけだ。すっかりふてぶてしくなった少女に冷たくあしらわれ、不機嫌をぶつけられるだけ。

 力になってやりたいと本気で思ってはいるけれど、気が重い。


 問題解決に繋がる可能性があるなら、そちらへ進んだ方が良いのではないか。


 そんな風に考えた末に、ユレーは樹木の神殿を目指して歩き始めた。

 お隣にあるカッカー邸には何度も寄ったが、お隣の神殿には、マージが派手にフラれて以来足を踏み入れていない。

 見事に玉砕してわんわん泣いていた姿を思い出し、小さく笑う。

 あの時、冷たい台詞で拒んだお髭の君をひどい男だと思っていたが、きっとマージの正体に気付いていたのだろう。

 妻には出来ないのは当たり前。悲しいけれど、それが現実だ。マージがいつまでもしつこく縋るから、ウィルフレドも厳しい言葉を口にしなければならなかった。


 思い出を噛み締めている間に神殿に辿り着き、勢いのままに足を踏み入れる。

 入口のそばには神官がいて、こんな声がかかった。


「樹木の神殿へようこそ。どのような……」

 待ち受けていたのはララであり、袖を引かれ、神殿の外へ連れ出されてしまう。

「ユレーさんじゃない。その、どうしたの、今日は」

 ララは明らかに警戒した様子で、声を潜めている。

「マティルデになにか言われて来たの?」

「いや、そんなんじゃないんだよ。話を聞きたい人がいるんだ。サークリュード・ルシオっていう」

「え」

 神官は険しい顔をして、今度は疑いの眼差しで客を見つめた。

「クリュにどんな用があるの?」

「そんなにおかしなことを言ってるかい」

「……もしかして、この間のこと、知らないの?」


 神殿の外の柱の陰に連れ込まれ、警戒の理由を告げられる。

 マティルデが隣の屋敷に押しかけてクリュを追い回し、神殿で散々暴れて逃げていったと聞かされて、ユレーは開いた口が塞がらない。


「あたしは、マティルデにこう言われたんだ。サークリュード・ルシオに、とても言えないような酷いことをされたんだって」

 ユレーの言葉に、ララは呆れた顔をして答えている。

「クリュはそんなことしないし、むしろ、されていた方なんだよ。魔術師のお屋敷に一年以上も閉じ込められてたんだから」

「魔術師ってまさか、ホーカ・ヒーカム?」

「うん。急にその辺に裸で放り出されて、ここで保護したのよ」

「裸?」

 ララはしまったという顔をしたが、ユレーに見つめられて、結局すべてを話してくれた。

「閉じ込められている間も、ずーっと裸にされてたんだって。しかも、その間の記憶もないの」

「そんな」

「マティルデはホーカ・ヒーカムに言われて、クリュを捕まえようとしてるんでしょ。この間はギアノがなんとか阻止したけど、ティーオに嘘を言って、手伝わせようとしてたみたいだし」


 逃げられたと言っていたのだから、捕まえようとしていたのは間違いない。

 ララの話が本当なら、とても言えないようなことをされたのはクリュの方だ。

 神官の少女が嘘をつく理由はなく、つまり、マティルデの言葉こそが偽りだったのだろう。


「それに、神官長との噂もね。わかるでしょ、うちの神官長は、ただの神官ってだけじゃないから」


 だから、ユレーは神殿には入れられない。

 マティルデと共に暮らしている「仲間」だから、今は樹木の神殿に招き入れることは、できない。


 ごめんねと口にしつつ、ララはユレーに帰るように言った。

 もっと厳しい態度を取る神官がいるはずだから、今のうちに去った方がいいと。


 サークリュード・ルシオの行方を探るどころではない。

 問わねばならないのはマティルデの方だし、他に向かうところはなく、ユレーは街の真ん中に向かって、歩くしかない。



「どこで油を売ってたんだ、あんたは! 朝食の準備もしないで、どこをほっつき歩いていた!」


 戻った途端に厳しい言葉を投げられ、また混沌の中に落とされていく。


「掃除も適当、洗濯も済んでないじゃないか。言われたことはちゃんとやれ!」


 玄関ホールでマティルデが待ち受けており、扉が開いた瞬間激怒して、罵詈雑言を投げつけられているわけなのだが。

 最初は驚いたものの、余りの剣幕に却って心は冷静になっていった。

 怒鳴り続けているが、言葉にそう深い意味はない。ただ汚い言葉をぶつけているだけで、真剣に聞く必要がないのだと気付き、ユレーは考えを巡らせていく。


 ギアノとなにかあったのかと思っていたけれど、逆だったのかもしれない。

 ふいに気付いて、視点をぐるりと動かし、思考のスタート地点を入れ替える。


 ギアノがあの雲の神官と恋を実らせていたと、マティルデはどこかで気付いたのではないだろうか。

 そこでようやく、自分の内にある想いに気付いたが、手遅れだったとか――?


 ギアノは私のことなんかどうでもいいのに。

 辿り着いた新たな可能性に、納得してしまっている。

 マティルデならあり得る。魔術師になりたい、探索者になるんだという思いばかりを優先させて、ギアノに寄り添うことなどなかっただろうから。

 甘えて、甘えて、頼りにするだけ。

 ギアノは優しい男だから、何度も応えてくれたけど。


 言いたいことはいくつもあったが、冷静に進めるべきだと考え、ユレーは意を決して声をあげた。


「ねえ、マティルデ。嫌なことがいろいろあったんだろうけどさ、少し、落ち着いたらどうかな」


 初めての失恋の痛みが、思いのほか辛かったのかもしれない。

 それでやけを起こし、師匠の話を鵜呑みにしたり、攻撃的になっているのかもしれない。


 どうにか理解をしてやりたくて、ユレーは穏やかに呼びかける。

 ところが、返ってきたのは結局、罵声だけだった。


「うるさい、この役立たずめ!」

「そんな、いくらなんでもひどいじゃないか、マティルデ。ねえ、一度ちゃんと話をしよう」


 どんな話でも受け止めるし、相談に乗る。

 なんとか伝えたユレーに対し、返事はこう。


「もっと従順な召使いを探す。あんたなんかもういらない」

「はあ?」

 戸惑うばかりのユレーに、煮えたぎった怒りを宿した瞳が向けられる。

「早く出ていきな。二度とここへ来るんじゃないよ」

「マティルデ」

「聞こえなかったのか、早く、出ていけ!」


 肩を強く押されて、扉の外まで追いやられて、屋敷の外でひっくり返ってようやく、ユレーは理解していた。


 様子がおかしいなんてレベルの話では、なかったのだと。



 行く当てのないままとぼとぼ歩いていたけれど、ユレーは街の南に辿り着いていた。

 頼れる相手はもういないが、理解を示してくれる人ならばいると、心が勝手に当てにしていたのかもしれない。


 たどり着いたのは「ゾースの小瓶」の前だが、まだ昼にもなっていない時間で営業はしていない。

 それでも扉を叩くと、店主が顔を覗かせ、泣いている女に気付いて中に招き入れてくれた。


「どうしたんだ、ユレー。大丈夫か」


 店の隅の席の椅子を引き、ユレーを座らせ、ゾースは水を運んで持って来てくれた。

 向かいに腰を下ろしたのは、話を聞くという意思表示なのだろう。

 散々迷惑をかけたから、もうこれ以上はいけないと思っていたのに。


 優しい大男に、ユレーは事情を話していった。

 マージと共に暮らしていた少女、マティルデについて。


 同居を終わらせた後、雲の神殿に預けられて、抜け出して、何故だか魔術師の弟子になったこと。

 明るいのんびりとした女の子だったはずなのに、性格が激変し、酷い扱いを受けたこと。


「その女の子の噂は聞いているよ。あちこちでキーレイ・リシュラと結婚するんだって吹聴してまわってるって」

「そう。有名だったんだね、その話」

「最初のうちはみんな驚いてたが、様子が変だって方が今は噂になってるよ。キーレイ・リシュラが異国から来た女と結婚するって話もしてるらしいからな」

「異国の女?」

「黒い肌の美しい女だよ。少し前に、ウィルフレドって戦士と噂になっていた女さ」


 どうしてそんなことをと呟くユレーに、ゾースは首を振っている。

 事実は二つだけ。マティルデが、キーレイの結婚話を二種類振りまいていることだけだ。


「あの子になにがあったんだろう。魔術師の弟子になったのがよくなかったのかな」


 弟子入りしたばかりの頃は、変化など服装だけだったのに。

 綺麗に髪を編み込んで、長いローブを身に着けていただけ。

 マティルデはマティルデのまま、楽観的な性格はそのままで、その時はその時で心配してはいたけれど。


「俺には、わからないけどさ。魔術師のことなら、魔術師に相談した方がいいんじゃないか」


 ゾースの声は穏やかに、無人の店の中に響いていく。

 なるほどと、ユレーは思った。

 なんの知識もない自分がどれだけ考えても答えは出せないだろうし、頼る人を変えれば、なにかわかるかもしれないと。


 ぱっと目を向けてみると、ゾースは小さく首を振っている。


「悪いが、魔術師との付き合いはないよ」

「そうだよね。ごめんね、ゾース。また迷惑かけちゃって」

「いいんだ。ジャファトとヌエルに、あんたは本当によくしてくれただろう。そもそもは、俺があの時ヌエルを追い出そうとしなけりゃ……」


 目を伏せた男の手を取り、ユレーは強く握った。

 マージがいなくなって、二人は心に同じ大きさの穴を開けている。

 ユレーもゾースも、後悔をしているからだ。

 自分があの時、そばにいれば。違う行動をしていれば。


 悲劇は避けられたはずだと、思っているから。


 二人でしばし、哀しみに浸る。

 穴を少しでも埋めるべく、同じ悲しみを持ち寄って、失われた光に思いを馳せていく。


「ありがとう、ゾース。こんな話を聞かせて、悪かったね」

「もう行くのか、ユレー。もし行く当てがないなら、ここに来ていいからな」

「いいのかい、そんなことを言って」

「あんたは特別だよ。ジャファトがあんなに慕っていたんだから」


 もう一度礼を言って、ユレーは立ち上がった。

 魔術師のことは、魔術師に問うべし。

 頼れる相手がいないか考え、心を決める。


 ユレー自身に、魔術師の知り合いなどいない。

 だから、伝手がありそうな誰かに頼るしかない。


 そんな相手は一人しかいない。

 このまま黙って街を去るのは嫌だから、覚悟を決めて北へと向かった。


 目指すところはまた、カッカーの屋敷だ。

 歩いていくうちに、出入りを禁じられた樹木の神殿が見えて来る。

 緊張しながら神殿の入り口を通り過ぎると、屋敷の前で箒をかけている人影が見えた。

 雲の神官アデルミラだとわかり、歩みが鈍ってしまう。


「なにしてんのさ。ちょうどいいだろう。謝らなきゃって思っていたんだから、ねえ、ユレー」


 マージの声に勇気づけられて、ユレーは歩いた。

 近付いて来た誰かに気付いて、アデルミラは顔をあげている。


「ユレーさん」

 どんな表情を向けられても仕方ないと思っていたのに、優しい笑顔に迎えられて、戸惑ってしまう。

「あの……、この間は」

「いいんです、ユレーさん」

「いいって、そんな」

「ギアノさんはあなたを心配していました。とても辛い思いをしているんじゃないかって」


 今も顔色が良くないと、雲の神官は言う。

 箒をすぐ傍の壁に立てかけて、ユレーの手をそっと握った。


「空を行く雲の神が、激しい嵐から守って下さいますように」


 穏やかな声は、心に直接響いてくるようだった。

 神官の祈りだから、本当に心に届いているのかもしれない。

 ユレーは生まれて初めてそんな風に感じ、ドニオンとは随分違うと考えていた。


「ギアノさんに会いに来られたのですか」

「うん。……そうなんだ。相談したいことがあって」

「今は市場に買い出しに行ってるんです。さあ、中へどうぞ」

「あの、あたし、お隣の神殿に出入りさせられないって言われてて」

「まあ、じゃあ、急ぎましょう。今ならきっと、誰も見ていませんから」


 管理人の部屋に通されたが、落ち着かない。

 そんなユレーのもとへ、アデルミラがお茶を持ってやって来て、振舞ってくれた。


「ありがとう。あの、本当に悪かったね。失礼なことばかり言っちゃって」

 アデルミラは大丈夫ですよと、笑顔を見せている。

「さっきも言いましたが、ギアノさんはあなたのことを心配していました。とても頼りになる人で、本当はあんな風ではないんだよと、マティルデさんのこともあって混乱しているんじゃないかって」

「ギアノ、そんなことを?」

「ええ。それに、随分前にマティルデさんがここに来た時も、同じように言っていたんです。マージさんとユレーさんを、とても優しくて頼りになる人たちだって」


 だから、信じてくれたのだろうか。

 雲の神官の優しさが沁みて、二人の言葉が嬉しくて、けれど悲しくもあって、涙が零れて落ちていく。


「ごめんよ」


 アデルミラの暖かい手が、ずっと背中に触れていた。

 神官はなにも言わずにただ隣に居て、手を添えてくれている。

 苦しい思いを涙に変えてこぼしていくと、少しずつ心が軽くなってきた気がして、ユレーは息を吐いていた。


「ありがとうね」

 ハンカチを差し出されて、素直に受け取り、涙を拭う。

 お茶を勧められて、口に着け、喉が渇いていたと気付いて、一気に飲み干していく。


「おかわりを持ってきましょうか」

「頼んでもいいかい」

「もちろんです。少し待っていて下さいね」


 アデルミラが厨房へ去って行き、ユレーはため息をついていた。

 ギアノの言った通り、雲の神官はかなりしっかりとした大人の女性だった。

 

 ユレーの吐いた暴言を許してくれたのは、ギアノを信じているからなのだろう。

 嫌悪などかけらもない穏やかな表情に、打ちのめされた気分になっていく。

 マティルデが元通りになったとしても、アデルミラにはかなわなかっただろうから。

 

「あたしたち、馬鹿みたいだね、マージ」


 本当に幸せを願うなら、もっと厳しく接しておくべきだったのだろう。

 でも、もう遅い。

 今の望みは最上の幸せではなく、これ以下になるのを食い止めることなのだから。

 

「ユレーさん、お待たせ」


 市場から帰って来たギアノが飛び込んできて、ユレーはほっと息を吐く。


 まずは先日の非礼を詫びると、管理人の青年は優しく、いいんだよと言って背中を撫でてくれた。

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