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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
  X19_Great Accomplishment

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224 辿る夢路の、遠い果て 1

 質問に対して答えてくれる者はいたが、情報は得られず。

 このまま帰るのもどうかと思えて、リシュラ薬草店の主、キーファン・リシュラは樹木の神殿の出口へ向かった。

 外へ続く扉ではなく、お隣に建つ伝説の探索者、カッカー・パンラの屋敷の方へ。


 美しく整えられた中庭を抜ければ、すぐに探索初心者たちが暮らす屋敷の廊下へ出られる。

 若者たちの世話を一手に引き受けている親切な管理人は食堂にいて、やって来た薬草店の若旦那にぺこりと頭を下げてくれた。


「こんにちは、キーファンさん。どうしました?」

 キーファンがこの屋敷に用があることはないので、こんな風に問われるのは当たり前だ。

「やあ、ギアノ。兄さんから新しいお菓子の話を聞いてね」


 できれば妻と味わってみたいと、まずは雑談を交わしていく。

「明日以降でも大丈夫です? あれは作るのに特別な材料が必要で」

「高いものなのかな?」

「いえ、普段は買わないってだけ。市場に行けばすぐに買えますよ」


 ギアノは朗らかにキーファンに笑いかけ、良ければ作って届けると提案してくれた。

 何人分いるのか問われ、二人分で良いと答え。

 いくつか他愛ない話をしていく間に、心を決める。


「あの、ギアノ、兄さんから聞いていないかな。その、……恋人の話とか、結婚する予定があるとか」

 管理人の青年は眉間に皺を寄せてキーファンを見つめている。

「いや、そんな話は、特には」

 自分の前に家族に話すと思いますけど。

 御尤もな意見に、キーファンは額を掻いている。


「商人たちの間で噂になっているんだ。兄さんが結婚するって。しかも」

「しかも?」

「噂になっている女性が二人いて。本当なのかって聞いてくる人が多くてね、確認したいんだけど」

「二人も?」


 キーレイは最近家に戻っておらず、神殿を訪ねても姿はなかった。

 今日は神官長の集まりに行っており、神官たちに尋ねてみたが、結婚話については誰も知らないらしい。

 父に確認してくるよう言われており、できれば信じるに足る話を聞きたくて、キーファンはまっすぐにギアノを見つめた。


「ああ。一人はロウランという名の女性らしいんだけど、知っているかな」

「知ってます……、けど」

 ギアノは明らかに困惑の表情を浮かべて、首を傾げている。

「遠い異国から来た、とても美しい女性だと聞いたよ」

「それは間違いないです。かなり綺麗な人だし、魔術師の屋敷の調査にずっと協力しているみたいだけど、でも、恋人ってことはないんじゃないかな」

「そんな間柄ではないと思う?」

「ないと思います。なんて言ったらいいのか……」


 ギアノはもう一度首を捻ると、ロウランは色恋沙汰には興味がなさそうだから、と話した。


「そうなのか。じゃあ、もう一人はどうかな。マティルデという名の、かなり若い子らしいんだけど」


 今度は明らかに面食らった顔をして、管理人の青年は大きくのけ反っている。


「え、なんで?」

「そんなに意外な相手かい」

「意外どころか、あり得ませんよ」


 さっきとは逆の方向へ傾いて、ギアノはうーんと唸っている。


「男性恐怖症は、克服できたのかもしれないけど」

「男性恐怖症?」

「マティルデっていうのは、一時期キーレイさんの家で看病してもらっていた女の子なんです」

「ああ、だから母さんはあんな顔をしていたのか」


 迷宮都市に戻って来る前の出来事で、キーファンは預かっていた少女について知らない。

 母はいくらなんでも若すぎると騒いで、父に落ち着くよう注意されていた。


「どちらも兄さんと特別な関係ではない?」

「俺はそう思います」


 なにかとんでもなく劇的なことが起きたとしても、どちらともいきなり結婚とはならないのではないかというのがギアノの意見のようだ。


「じゃあ、信じない方がいいのかな。ありがとう、ギアノ。いきなりすまなかったね」

「いえいえ。そうだ、お菓子は明日、作って届けますね。何時頃なら都合がいいですか?」


 お菓子の配達を頼んで、キーファン・リシュラは安堵と共に店へと戻っていく。



 リシュラ商店へと続く街の東の大通りの途中には、迷宮都市で唯一の女性専用の飲食店があった。


 グラッディアの盃という名のその店は、探索者としてほんの少しだけ名を挙げた女性探索者、グラッディア・ファーンが作った店だ。

 女だって探索をしてもいい。故郷で習った剣の腕を活かすべくラディケンヴィルスへやって来て、男性探索者たちと共に迷宮へ向かい、もっと仲間が増えれば良いと考えて「出会いの場」として作った店だった。


 ところが、女性探索者は少ない。なので結局、女性専用の飲食店として今は営業している。

 グラッディアは既に引退し、今は二代目、リティ・モーゼンが後を継いで切り盛りしていた。リティも元は探索者であり、経営を安定させるべく努力を重ねて来た。


 今ではすっかり女性労働者の憩いの場になり果てているが、当初の目的を忘れたわけではなく、探索者が来れば歓迎している。

 あまり知られていないが、店の二階には二つ客室があり、女性の探索者が逗留できるようになっていた。


「え、探索はもうやめちゃったの?」


 現在、客室に逗留している女性は二人。

 今声をあげているのは、エルン・アイガート。

 町の自警団のリーダーを務める父親から剣を教わり、迷宮探索に挑んでやろうとやって来た十五歳の少女だ。


「ああ、そうだよ」

「どうして?」

「見りゃわかるでしょ。あたしはもう、あんたみたいに若くはないんだ」


 話している相手は、かつては探索者であったユレー・クルドン。

 最近様々な出来事がいっぺんに起きて、滞在先を探しており、しばらくの間店での労働と引き換えに部屋を使わせてもらっている。


 女性探索者を歓迎する店があると知り、ようやく仲間を見つけたと思ったのに。

 既に引退済みと聞いて、エルンはがっくりと肩を落としている。


「また探索に行くってのはどう?」

「それは無理だね」

「やっと女の探索者がいたと思ったのにい」

 エルンはベッドの上で足をぶらぶら、不満げに頬を膨らませている。

「じゃあさ、ユレーさん。女の子の探索者を知らない? これまでに会った人を紹介してよ」


 無邪気な声に、ユレーの胸にちくりと痛みが走っていく。


「できれば、魔術師とかスカウトがいいなあ。神官ならそれなりに女の子がいるみたいだから、見つけられるんじゃないかって思うんだよね」


 そばかすの浮かんだ頬を赤く染めて、エルンはにこにこと笑っている。

 赤茶の髪は肩の下あたりまで伸ばして、二つにわけて縛っている。

 いかにも元気そうで、愛嬌のある少女だった。

 手足はスラリと長く、背もユレーより高い。剣の訓練をしてきただけあって体格が良い。


「今すぐに紹介できるような探索者には、心当たりはないんだ」

 ごめんねと呟くユレーに、エルンは「えー」と文句を言っている。

「ここにいれば、女の探索者が来るかな?」

「さあ、どうかな。いつかは誰かが来るかもしれないけど、なにせ数が少ないからね」


 ユレーの言う通り、グラッディアの盃には定期的に女性探索者がやって来る。

 けれど、頻度が高くないせいで、タイミングが合うことは滅多にないようだった。


「ユレーさんは探索やってた時、どうしてたの。男と組んでたの?」

「ああ、そうだよ」

「大変じゃなかった? 男と組んでうまくやるのって難しくない?」


 エルンは二か月ほど前に迷宮都市にやって来て、これまでは北東の宿屋街で暮らしてきたと話した。

 探索者の流儀を教えられ、仲間を探し、迷宮に挑んで来たのだと。


「確かにすぐに仲間は見つかったけどさあ。仲間っていうか、恋人にしてやろうと考える奴が多くって。何度か顔を合わせてるうちに妙な絡み方されて、他のメンバーと喧嘩が始まったりして」


 赤裸々な話に、ユレーは苦笑いしている。

 新米探索者の言う通り。女が探索を続けていくのは難しい。

 時を共にしていくうちに、仲間のラインを超え、女として扱う者が出て来るせいだ。


 女性が一人か二人混じっていれば、男は大抵仲間割れを起こす。

 うまくやれる者は密やかに愛を育むが、子供ができればそこで探索者としての暮らしは終了だ。


 聖なる岸壁の名で知られるカッカー・パンラが名を轟かせたのは、探索者としての目覚ましい活躍ぶり、他人への親切を厭わぬ神官らしさが主な理由だが、組んだ五人組のメンバーに女性が何人もいることでも評価を受けている。

 最も有名なのは最後に組んでいたパーティの一員であるスカウトのヴァージだが、戦士のピエルナ、シファー、カルネ、石の神官レリアルの名も知られている。

 カッカーと共に歩んだ彼女らは仲間の誰にも手を出されず、探索者生活を送った。

 その時組んでいた男性探索者たちの内心がどうだったかはわからないが、カッカーが色恋沙汰にならないよう守っていたと言われており、自身の結婚も引退後という徹底ぶりが、聖なる岸壁への信頼を揺るぎないものにさせていた。


「ねえ、もしも誰か心当たりがあったら教えて。いつでもいいからさ。ユレーさん、お願いね」

 まだ十五歳の無邪気なお願いに、ユレーはわかったよと答えた。


 心に浮かんでくるのは、可愛い妹たちの顔だ。

 マージはいなくなり、マティルデはどうしているのかわからない。

 黙ったままエルンから顔を背けて、そっとため息を吐きだして。


「さて、そろそろ仕事に行かなきゃ」

「もう行くの? ねえ、ここってあたしも雇ってもらえるかな。探索に行かない日だけなんて、さすがに駄目かな。でも、今ちょっと金欠でさ」

「リティに相談してみなよ。結構、融通利かせてくれるから」

「そうだね、わかった。ありがと、ユレーさん」


 エルンの明るい声はマティルデを思い出させるが、あの問題児とは違って労働する気はあるようだ。

 そんなことを考えながら階下へ降りて、食堂の開店準備を手伝い、昼の営業に精を出す。

 注文を聞き、料理を運ぶ。客が帰った後は掃除か、市場への買い出しを請け負う。


 いつやめるかわからないという条件で受け入れてもらっているので、給料の額も控えめだ。

 こんな暮らしは、いつまでも続けてはいけない。


 早く決めなければ。この後、どうするのか。街にいつまで残るのか。出て行ったとして、どこへ向かうのか。


 西の市場へ向かいながら、ユレーは悩んでいる。

 答えを出せないまま今日も花を売る商人のもとへ向かい、明るい黄色の花を一輪買って、足早に北に向かって進んでいく。


 たどり着いたのは街の外側、西に広がる荒野の一角だ。

 可愛い妹の眠る墓があり、今日はひらひらと揺れる目印のスカーフの下に薄桃色の花束が置かれていた。

 

「きれいな花じゃないか。誰が来てくれたんだい?」


 たった一輪だけの花をそっと添えて、ユレーは目を閉じる。

 背が高くて、あんた好みのがっしりとした男前だったかい?

 心の中で話しかけ、墓の前に座り込み、膝を抱えた。


「ヌエルはどうしてるかな」


 マージの大切な友達は、調査団に連れていかれたままだ。

 もう戻る部屋もないから、訪ねなければ、消息を知ることはできない。

 ヘイリー・ダングはとても厳しい目をして、ヌエルの肩を掴んでいた。

 良くないことがあったのだろうと思っていたけれど、事態はきっと、想像以上に深刻なのだろう。


「守ってやんなよ、マージ」


 そう呟いて、ユレーは祈った。たいした信仰心はないけれど、大地の女神を思い描いて、マージの大切な友達の運命が良い方向へ向かうように。


「……言われなくてもそうしてるか」


 最後にそう呟いて、西の荒れ地を後にする。

 夜の営業に間に合うように、買い物をして帰らなければならない。

 さっきも寄った市場に向かうべく、ユレーは西門をくぐり、南へ続く通りを歩き始めた。


 道の途中には調査団の建物があり、歩く速度が鈍ってしまう。

 訪ねたい気持ちはあるが、行ったところでなにができるだろう。

 決意ができずにそのまま通り過ぎて、なぜだかため息が出てきて、首を振る。


 すると視界の端になにか見えた気がして、ユレーは立ち止まった。

 ちょうどすぐ左側に路地が伸びている。魔術師たちが住む街の中央へ続く細い路地があり、その先になにかが通り過ぎた気がして、進む方向を変えた。


 駆け足で路地を進んで、別れ道に辿り着く。

 気のせいではなかったようで、少し先に後ろ姿が見えている。

 薄紫色をふわふわ、ひらひらと揺らす、やけに大きなシルエット。

 一緒に揺れる長い髪の色に見覚えがあって、ユレーはまた走った。


「マティルデ!」


 追い抜き、振り返り、横顔を見るなり声をあげていた。

 呼ばれたローブ姿の少女は立ち止まったものの、怪訝な表情でユレーを見ている。


「久しぶりだね、あんた……。元気にしてたのかい」


 反応は薄い。いや、ほぼ、ない。

 ユレーはもう一度少女の名前を呼び、魔術師になったのかと問いかける。


「少しくらい話をさせてよ。あれからいろいろあったんだ」

「……いいわよ」


 ぼそりと答えると、マティルデはユレーを手招きし、歩き出した。

 魔術師街を進むうちに、ローブと似た紫色の輝きが見えて来る。

 少女が弟子入りしたという魔術師の、街で一番大きな屋敷に向かっているようだ。


「ここで暮らしているのかい」

「そうよ。私の家だから」


 戸惑うユレーに構わず、マティルデは鍵を取り出し、屋敷の扉を開いた。

 巨大な屋敷の中は薄暗い。部屋のあちこちに燭台が置かれているが、今はどこにも火がつけられていなかった。


「それ」

 顎で示された手持ちの燭台に、ユレーは黙って火をつける。

「廊下も明るくしておいて」


 相変わらずの怠け者ぶりに、苛立ちよりも呆れた気分になってしまう。

 やれやれと呟きながらも廊下の燭台に火を灯し、のんびりと先を歩くマティルデの後を追った。


 廊下の先で扉が開かれ、中へと招かれる。

 大きなテーブルと椅子が整然と並べられており、食堂なのだろうとユレーは思った。

 部屋の中でもいくつかの燭台に火をつけてまわり、奥の部屋に来るよう言われ、素直に扉をくぐった。


「食事を作って」

「はあ?」

「ここで働いて。料理と掃除と、洗濯なんかを頼むわ」

「なんだい、いきなり。ここは魔術のお師匠の屋敷なんだろう?」

「私の屋敷よ。好きにしていいと言われているの」

「好きにって……、お師匠さんはどこへ行ったんだよ」

「しばらく留守にするのよ。魔術師として大切な用事ができたから。後は私が引き受けたの」

「いつまで?」


 マティルデは目を据わらせて、そんなの知らない、と答えた。

 訝しむユレーをじろりと睨みつけ、なにを言うかと思いきや、いいから料理を作ってよ、と続けている。


「そんな勝手な真似をしていいの」

「いいって言ってるだろう」

「マティルデ?」


 これまでと余りにも違う様子に、ユレーは戸惑っている。

 マティルデははっとしたような顔をして、少しの沈黙の後に友人の手を取り、力強く頷くとこう告げた。


「お金ならちゃんと払うから」

「金って、それも師匠から預かったっていうのかい」

「魔術師ホーカ・ヒーカムを知らないの? 街で一番の富豪だって、聞いたことくらいあるんじゃない?」


 確かに、ホーカ・ヒーカムの名前は耳にしたことがある。

 女性の中では一番の成功者、元は探索者としても名高く、湧水の壺での稼ぎは天井知らずなのだと。


「他にこの屋敷で働いている人は?」

「今は……、いない。その、お師匠についていってしまったから」

「あんた一人だけってことか」

「そう、そう、そうなの。それで、いろいろと不便になって困ってるの」


 生活に必要なあれやこれやをこなせる者がいなくて困るのは、わかる。

 マージの家で世話になっている頃から、マティルデは家事などやらなかったから。

 やりたくないだけではなく、多分できないのだろうから、この発言に疑問はない。

 問題は前提である、「師匠から留守を任され、好きに暮らしていいと言われている」という話の方だ。

 

 とんでもない金持ちらしいから、ユレーの常識など通用しないのかもしれないが。

 しかし、マティルデの様子はどこかおかしい。

 姿かたちは変わらないが、顔つき、目つき、話し方など、別人になってしまったように思えて、ユレーは悩む。


「ほら、これ」

「なんだい」

 無理矢理手渡されたのは、ぎっしりと硬貨の詰まった袋のようだ。

「なにもないから、買い物をしてきて。料理ができたら、掃除もお願い」


 ひらりとローブを翻し、マティルデが去って行く。

 ユレーが唖然としていると、ふいにまたくるりと振り返り、少女は戻って来て、またてのひらになにかを置いた。

「これが入口の鍵ね。部屋は、ここの隣を使いなさい。そこの扉から出て、左のところ」


 そっけなく言い放ち、今度こそマティルデは食堂から去っていった。



 疑問だらけであり、不可解極まりない。

 そう思ったからこそ、ユレーはマティルデの頼みを引き受けると決めた。

 

 渡された現金と鍵を鞄にしまい込み、屋敷を出る。

 まずはグラッディアの盃で頼まれていた物を買い込んで、店へと向かった。


「え、今?」


 仕事を辞めると伝えると、リティは驚いた顔をして大きな声を上げた。

 当然の反応であり、ユレーは謝るしかない。


「随分急なんだね。もしかしてなにかあった? あのマティルデって子が見つかったとか?」


 以前は三人で店によく来ていたから、リティはユレーの身に起きた出来事を把握している。

 マージが死んでしまった時には共に悼んでくれたし、マティルデの行方も心配してくれていた。


「実際に見たわけじゃないけど、妙な噂を聞いているよ。ねえ、困った時にはいつでも戻っておいで。頼ってくれていいからね」

「ありがとう、リティさん。親切にしてくれて、感謝してる」

「気をつけるんだよ、ユレー」

「こんなにいきなり、本当にごめんなさい」

「いいんだよ。かわりにエルンを扱き使うから、心配しないで」


 こんな優しさに見送られ、店を出た。

 たいした量でもない荷物をまとめて、今度は南の市場に寄って買い物を済ませていく。


 魔術師の屋敷の厨房は立派で、必要な器具はすべて揃っていた。

 誰かが使い込んだ気配があるが、道具は整然と並べられていたし、きれいに磨かれた皿もあった。


 食材と調味料をひとまず買い込んで、街のど真ん中へと戻る。

 屋敷の中はひと気がなく、ひどく静かだった。

 入口には大きなホールがあるが、ベンチが妙な位置にあるし、床があちこち欠けている。

 他は散らかっていないが、どこも埃がうっすらと積もっているようだった。

 掃除を引き受ける者がしばらくいなかったようであり、なにがあったのかと考えながら、ユレーは廊下を進んでいく。


 まずは厨房に食材を置いて、指定された「自分の部屋」へと向かった。

 中はそう広くもないが、ベッドや棚などが揃っており、不自由はせずに済みそうだ。

 持ってきた自分の荷物を隅に置いて、再び厨房へ戻って道具を探す。

 かまどに火をつけ、鍋に水を入れて、包丁で野菜を刻み、肉の下拵えを進めていく。

 

「ねえユレー、聞いてよ。今日ね、また見かけちゃったんだ」


 マージと共に食事の支度をした時間が懐かしい。

 お髭の君を想って、頬を赤らめて。

 あんなに派手にフラれたのにと呆れると、マージはぷいっと顔を逸らしてしまった。


「仕方ないだろ、だって結局、……素敵な人なんだから」


 ふくれっ面の横顔を思い出すと、涙が溢れて零れ落ちていった。

 ただ懐かしいと思うだけになるには、どれだけの時間が必要なのだろう。

 今はまだ悲しいし、愛おしくてたまらず、悔しさもある。

 どうにかできたのではないかという思いを抑えられず、ユレーは涙をこぼしながら手を動かし、料理を仕上げた。


「マティルデ、食事が出来たよ!」


 出来上がってから、マティルデがどこにいるのかわからないと気付いて、ユレーは声をあげた。

 廊下を歩きながら呼びかけると、奥の扉が開いて、ひらひらもこもこの少女が現れる。


「持って来て」


 どうやら部屋から出て来る気はないようで、ユレーはため息をつきながら用意した食事を運んだ。

 部屋の入り口でそれを受け取り、マティルデは不満そうな顔だ。


「量が少ない」

「そうかな」

「次はもっと多くして。これの倍くらい」

「そんなに食べられるのかい? あんたは確かに」


 食いしん坊だけど、と言い終わる前に、扉が閉まる。

 仕方なく食堂で一人で夕食を済ませ、ユレーは掃除道具を探した。

 まずは屋敷のどこになにがあるのか、把握しておくべきなのだろう。

 あちこちを覗いて回りながらそう考え、部屋の前に空の食器が置かれていることに気が付いて。


 やはり、おかしい。

 魔術師に弟子入りしたくらいで、あそこまで変わるはずがない。

 図々しさや怠け癖は確かにあったが、もっと無邪気で可愛げがあったはずなのに。

 今はふてぶてしいばかりで、完全に下に見られているとしか思えない。

 出会ってから散々「お願い」はあったが、命令と感じたことはなかった。


「あんたもそう思うだろ」


 自分の部屋に戻って、ベッドに寝転んで。

 呼びかけても返事はないが、マージならきっと、真剣な顔をして答えてくれただろう。


「本当だよ、ユレー。マティルデがあんな風に言うなんて。魔術師におかしな薬でも飲まされたんじゃないのかな?」


 瞼が重くなっていく。

 今日は朝からいろんなことがありすぎたから。

 大切な姉妹であるマティルデになにが起きたのか、探ってやろうと決意しながら、ユレーは眠りの中に落ちていった。



 早い時間に目を覚まし、ユレーは手早く身支度を済ませると、魔術師の大きな屋敷の中を歩いて回った。

 長い廊下にはたくさんの扉が並んでいるが、ほとんどの部屋には鍵がかかっていて入れない。

 自由に歩けるのは入口にあるホールと、食堂、厨房、自室と倉庫、そして、なにに使うかよくわからない大きな部屋だけのようだ。

 大きな部屋は椅子が隅に適当に並べられていて、絨毯がぐにゃりと歪んでいる。引っ張ってみると想像よりも重たくて、後回しにしょうと決める。


 マティルデが顔を覗かせた部屋については、まだわからない。なんとなく文句を言われそうな気がして、扉には触れずにいる。


 仮の家主はまだ眠っているのか、姿を現さない。

 ユレーは厨房でかまどに火をつけ、朝食作りの準備をすると、玄関ホールに散らばるかけらを片付けていった。

 破片を取り除くと、床の無残な様子が露わになり、ため息が出て来る。

 修繕をする気があるのかないのか、後で確認するべきなのだろう。

 廊下もとりあえず箒をかけたが、長い。広い屋敷は立派で豪華だが、これまでどうやって維持して来たのだろうとユレーは思った。

 

「ちょっと」


 厨房に戻って作業をしていると、背後から声がかかった。

 やって来たのは当然マティルデなのだが、ふりふりとしたボリュームのある寝間着を着ており、顔は服の中に埋もれている。


「おはよう、マティルデ」

 髪もぼさぼさで見る影もないが、本人は気にするそぶりも見せずに、食事はまだかとユレーに尋ねた。

「あたしはあんたの使用人じゃないんだけどね」

 少し強めに言ってみたが、反応は特になかった。

 ユレーの記憶の中のマティルデならば、ごめんなさいと謝って、しゅんとしてみせるくらいはしたと思う。

「ねえ、まだ怒っているのかい。あの時も言ったけど、一緒に暮らせなくなったのは仕方がないことだったんだよ。あんたをどうでもいいと考えた訳じゃないんだ」

 ユレーは意を決してこう呼びかけてみたが、返答はなし。

 すっかりふてぶてしくなった少女は一人でテーブルにつき、ふんぞり返るように座って水を持ってくるようユレーに命じた。

「水くらい自分で用意したらどうなのさ」

 様子を見る為に、水を汲んで持っていく。

 ついでに嫌みを繰り出してみると、マティルデはじろりとユレーを睨みつけて答えた。

「用意していたよ。昨日まではね」

「誰もいなかったから?」

「当たり前のことを聞かないでくれる?」


 そんな態度の奴には付き合えないと突き放したら、どう出るだろう。

 試してみたいが、後回しにしようと決めた。

 出て行くだけならいつでもできる。

 今はマティルデになにが起きたのか、どう変わってしまったのか、できる限り探ってやりたかった。


「食事はまだなの」

「昨日の倍寄越せって言うから、時間がかかってるんだよ」


 少女の口が、かすかに動いた。

 聞こえないようにしたのだろうが、「のろま」と呟いたのだと気付き、ユレーは厨房へ足早に戻る。


「マージ、あたしに力を貸しとくれ」


 ヌエルを見守るので手一杯だろうけど、少しだけ頼むよ。

 鍋をかき混ぜながらも祈りを捧げて、ユレーは言われた通り、いつもの倍の量の朝食を用意してテーブルへと運んだ。


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