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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
47_Public Decency 〈親切心の運用〉
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216 親切な先達に

 かなりの早起きをしたせいか、まだ少しだけ眠気が残っている。

 いくら「橙」とはいえ、油断は禁物。むしろ「橙」だからこそ、あらゆる事態に対処できなければならない。

 自分たちはそれなりに経験を積んだ探索者で、初心者を導く立場なのだから。


 両手で頬を叩き、意識をくっきりとさせて。

 視界をいつも通りに整えて、カミルは共に行く「今日の」仲間たちを振り返った。

「よし、じゃあ行こう」

 穏やかに頷く親友コルフと、アダルツォは心配ない。

 その前に並んでいるパントとクレイはどうにも緊張した面持ちで、前向きな言葉をかけてやった方がいいだろう。


「地図の見方はわかっているよね」

「うん、大丈夫」

 二人は手にしっかりと「橙」の地図を持ち、待ち時間の間に一層目をどう進むか確認していた。

 最初のうちは罠もなく、敵も出て来ない。道を間違えなければいいだけなので、二人が地図を見て進むことになっている。

 

 カッカーの屋敷に住まう五人組は、今日を初心者指導の為に使うと決めていた。

 フォールードとフェリクスは剣の訓練を。

 カミルたちは礼を果たす為、パントとクレイを連れて、可能な限り「橙」を進む探索に挑んでいた。


 事前に確認をしていたのが良かったのか、前のパーティにも、後ろから来る五人組とも一緒にならずに済んだ。

 二層目もすいすいと進んでいるので、基本的な見方は身についているのだろう。


「しっかりわかっているじゃないか」

 カミルが声をかけると、二人は照れたような顔をして笑ってみせた。

「クリュさんに教えてもらったから」


 へえ、と答えながら、穏やかに見えるように笑みも浮かべていく。

 クリュは同居人である剣の達人と共に訓練に付き合ってくれているそうで、指導を引き受ける人数が増えるのは単純に喜ばしい。


 パントとクレイは真面目だが大人しく、訓練に参加しても他の者に遠慮して、質問などはあまりできていないと思っていた。

 だが、三層に入ってからの戦闘もそれなりにこなしているし、鼠や兎相手ならばそう苦戦せずに済んでいる。


「剥ぎ取りはまだまだみたいだね」


 攻撃を当てられれば、魔法生物はいつか倒せる。馬だの熊だのが相手ではそうはいかないが、初心者向けの迷宮ならば、大抵はなんとかできるようになっている。

 問題はその後、探索者が稼ぐ為に必要なのは、倒した敵からの採取作業だ。

 時には通路になにかが落ちていることもあるが、そんな気紛れに期待していてはあっという間に一文無しになってしまう。肉や皮をうまく獲れるようにならないと、日雇い仕事をいつまで経ってもやめられない。


「これ、倒し方がそもそも良くないんだよね」

 クレイに問われて、カミルは兎についた傷を見つめた。

「できればもう少し中心を狙えたらいいと思う。でも、そこまで悪くはないよ。この辺りからナイフを入れてみたらどうかな」


 クレイにアドバイスを送ったら、次はパントの質問にも耳を傾ける。

 こちらは明らかに傷が多く、剥ぎ取りの技術でどうこうできる状態ではなかった。


「皮は諦めた方が良さそうだけど、そのかわり、肉はしっかり持ち帰ろうか」

「やっぱり、下手かな」

「最初はこんなもんさ。一回多く練習できたと思えばいい」

「そうか。ありがとう、カミル」

「はは。これは前にフェリクスが言ってたんだ。いい台詞だと思って覚えてたんだよ」


 カッカーに頼まれて以来、時間がある時にはこんな風に初心者指導をするようになっていた。

 「赤」での大失敗があり、結構な日数を休んでしまったから。

 探索の基礎を思い出す為にも、他人の指導の時間は有用だとカミルは思っている。


 屋敷の住人たちとの時間の中で、新たな学びもあるし。

 そうは思うが、ひとつ、気になっていることがあった。


 他の四人。フェリクス、アダルツォはいいとして、フォールードやコルフと比べても、カミルは「気安く話しかけられない」相手と思われているような気がしている。

 いや、「怖がられている」と感じていた。


「へえ、さすがはフェリクスだなあ」

 パントはほっとした様子で笑顔を見せ、肉の採取に挑み始めた。

 

 気が付いたら気になるようになって、観察をするようになり。


 苦労人のリーダーを意識して対応を変えてみると、明らかに変化があった。

 初心者にはあまり親切にしすぎない方がいい。自立心のない人間はすぐに頼ろう、縋ろうとしてくるものだから。

 警戒しすぎるくらいでちょうど良いと思っていたが、パントとクレイに関してはそんな扱いは無用のようだ。


「パント、終わったかい?」

「うん。あとは葉っぱで包むだけ」

 クレイとパントはお互いに声を掛け合い、付き合ってくれる先輩たちへの礼も欠かさない。

 そんな二人の為に、カミルは罠のある位置で止まるように言って、簡単な見分け方を教えていく。

「まだ浅い層の間は、大抵の敵が音を立てて近づいてくる。だから、基本的に耳は澄ましておくといいんだけど、余裕がある時は床や壁もじっくり見ておくといい」

 早い時間の「橙」は混みあっているので、戦闘の機会はあまりない。

 今日はむしろ罠の説明をした方がいいと考え、床の突起や壁の穴について説明をしていく。

「ほら、穴が見えるだろう? そこの高いところ」

「……あ、本当だ」

「床に仕掛けがあって、踏むとあそこから槍が飛び出してくる」


 周囲に人がいない場合は、実際に動かしてみるチャンスだ。

 カミルは全員に下がるように言って、誰かが残していった鼠の死骸を掴み、放り投げる。


「わあ!」


 壁から斜めに槍が何本も飛び出してきて、時間の経過とともに戻っていく。

 仕掛けに当たった鼠は隅に戻し、青い顔をした二人に感想を聞く。


「あんなにたくさん飛び出してくるのか」

「踏んだ人以外にも刺さる?」

「ここのはそうだね」

 二人は改めて壁に目を向け、穴の数を確認している。

「地図を見ればどこに罠が仕掛けられているかわかるけど、持っていなければ自分で見抜かなきゃならない。そもそも、地図があっても見方を間違えていたら意味がない。基本的な罠の見つけ方は知っておいた方がいいんだ」

「そうか。そうだよね。間違えてたら大変だ」

 二人は慌てて地図を広げて、今はここにいるはず、と指をさしている。

「あってるよ、大丈夫」

 説明の間に後ろから追いついた五人組が、こっそりと講座に参加しているようだ。

 カミルたちの背後で地図を覗き込み、ああだこうだと言葉を交わしている。

「一人か二人は地図を見る係にした方がいいのかな」

「そうだね。戦いが始まるとそれどころじゃなくなるから、『橙』では後ろを歩いている人に任せるといいよ」

 初心者たちはなるほどと頷き、後ろのパーティも担当者を決めたようだ。

「実際に動かしてみようなんて、考えたこともなかったよ」

「見られて良かった。地図の確認は本当に大事だってわかったね」

 素直な初心者は二人で頷きあい、カミルはこう答えた。

「罠は迷宮にしかないからね」


 そう、罠は迷宮の中にしかない。タイルの中にひっそりと隠された仕掛けなど、地上で再現する者はいないし、そもそもできるかどうかもわからない。

 訓練用の道具は存在するが、活かせる機会は多くない。手先の器用さを試すくらいはできるが、スカウトとしての腕を磨くには、やはり現地で経験を重ねるしかなかった。


 パントたちに教えながら、カミルもじっくりと迷宮の道を見つめている。

 「赤」での失敗からなんとか立ち直り、ニ十層まで進めたけれど、こんな時こそ油断しないよう心がけなければいけないから。

 位置がわかっているとか、何度も歩いた場所だからとか、万が一作動してもそこまで深い傷は負わないだろうとかとか。

 「橙」であろうと迷宮に違いなく、安易な考えに流されてはならない。手を抜いて、好転することなどないのだから。


 再び気持ちを切り替え、初心者たちとすれ違いながら進んでいく。

 

 よそのパーティの討ち漏らしと戦ったり、休憩にちょうどいい場所について説明したり。

 六層の泉に辿り着いて気力を回復させ、人の減って来た道を更に進んでいく。


 結局九層まで潜って、この日の探索は終わった。

 コルフの集中が始まり、パントとクレイは目を輝かせながら魔術が行使される様を見つめ、帰り道はすべてキャンセルし、帰還者の門へ飛んでいく。


「わあ、すごいや、コルフ……」


 初めて体験した魔術の便利さに、パントが声をあげていたのだが。

 声は一気にしぼんで消えていき、その理由に全員が同時に気付いていた。


「なんだ?」


 アダルツォとコルフの声はぴったりと重なり、目の前の光景に戸惑っている。

 カミルも同じで、揃いの制服らしきものに身を包んだ男たちが並ぶ様に驚いていた。


「む、どこから現れたんだ?」


 急に姿を現した五人組に、男たちも驚いている。けれどすぐに気を取り直して、探索を終えた若者たちに向け声を張り上げた。


「『橙』の迷宮はしばらくの間封鎖される! 用が済んだ者は速やかに上がるように!」

「封鎖?」


 突然のことに立ちすくむ探索者たちを許さず、男たちに急かされ、慌てて梯子を上った。

 迷宮入口の穴の底にはいつもより多くの松明が用意されていて、夜の迫る街の一角を明るく照らしていた。


「なんなんだ、一体」


 穴を上り切ったところも同じように松明が掲げられ、周囲を囲むバリゲードを照らし出している。

 底で見たものと同じ服装の男たちがまた大勢立っていて、探索を終えた五人組に早く出るように命令してきて、カミルたちは大通りに向かって歩いていくしかない。


 探索はうまくいったのに。冴えない気分で歩いて、屋敷へと帰った。

 どうやら同じ思いをした仲間がいたようで、食堂では謎の集団による「橙」封鎖の話題で盛り上がっている。


「あ、パント、クレイ! 二人も『橙』に行ってたんだろう?」

 

 ルプルに声をかけられ、探索帰りの姿のまま、二人が進んでいく。

「うん。出口で言われたよ、封鎖されるって」

 集まっていた初心者たちに視線を向けられ、アダルツォも頷いている。

「本当なのか……。いつまで? 誰が封鎖してるんだ?」

「わからないよ。朝はなんともなかったのに」

「しばらくの間って言ってたけど」


 わあわあと話す声が溢れるが、誰も答えを持ち合わせてはいない。

 片付けを済ませ、食事の支度をした方がいいだろう。

 カミルはパントたちに声をかけ、肉の買取をギアノに頼んではどうかと助言を送る。


 フェリクスとフォールードは二人で煮込み料理を作っており、戻ってきた三人の分も皿に盛って出してくれた。

 普段なら今日はどうだったと話すところだが、二人も噂を聞いたらしく、迷宮の封鎖の話は本当かと問いかけてきた。


「本当だと思うよ。入口に何人も待ち構えていたし、穴も柵で囲んであったから」

 コルフの返事に二人は驚き、フォールードは眉間に深い皺を寄せている。

「それって『橙』だけなのか? 誰がそんな真似をしてやがるんだ」

「わからないよ。でも、揃いの格好をしていたよね、カミル」

「ああ。おかしな集団ではないと思う。仕立てのいいものを着ていたから」

「調査団じゃないのか?」

「調査団の制服ではなかったよ。ね?」


 コルフの問いはアダルツォに向けられており、調査に手を貸したことのある神官は深く頷いていた。


「調査団のものじゃなかったけど、同じ紋章が入っていたから……。王都の騎士団なんじゃないかな」

「騎士団?」

「なんで『橙』を封鎖するんだ」

「そんなの、俺がわかるはずないだろ」


 アダルツォの言う通り、わかるはずがない。

 突然の出来事だし、詳しい人間などいないから。




 次の日の朝、カミルがコルフと共に食堂へ向かうと、既に大勢が起きて集まっており、その真ん中でアグランとダムが声を張り上げていた。


「神官も様子を見に来てたんだけど、結局あの連中が誰なのかはよくわからないんだって」

 集団の中にフォールードの姿があったので声をかけると、二人は早く起きて「橙」の様子を確認しに行ったと教えてくれた。


「とにかく、『橙』にはしばらく入れない。どこの誰だろうが駄目なんだって、皿と石の神官長が確認したって言ってたよ」

「それじゃあ、『緑』に行くしかないのかなあ」

「オルミ、地図を持ってたよな?」

「そうだよ、地図が必要だ。買いに行かなきゃ」

「早くいかなきゃ売り切れるんじゃ?」


 初心者たちは厨房に駆け込み、ぎゅうぎゅうになってギアノに注意されている。

 カミルたちは全員揃って端の席に腰かけ、顔を見合わせていた。


「『橙』に入れないんじゃ、皆困るよな」

 フォールードの呟きに、フェリクスも頷いている。

「『緑』だって普段から混んでいるのに、大勢向かったら入りきれなくなるんじゃないか?」

「毒草があるし、あんまりぎゅうぎゅうになったら危険だよね」

 転んだだけで毒を受けるところなのだから、人が多くなれば思わぬ事故が起きるかもしれない。

 アダルツォは困った顔でこう言い、なにかに気が付いたようだ。

「封鎖されたのって『橙』だけなのかな」


 他の迷宮への出入りは制限されていないのか、食事の後に確認しに行ってみようと決まる。

 五人は一番近い「藍」から様子を見に行って、迷宮都市をぐるりと回った。

 南へ向かったのは、「青」だの「黄」だのは確認しなくても良いと考えたからだ。現実的に向かえるのは真ん中から南側に並んだ迷宮であり、「赤」、「紫」、「白」と順番に巡っていく。


「特に変わった様子はないね」


 「藍」に関しては、いつもより混んでいるようだとカミルは思った。

 多少慣れていれば挑戦できるところで、「緑」が混みあうと判断した者がやって来たのではないかと考える。

 南に並ぶ三つの迷宮は普段からそう人が来る場所ではなく、変化はない。


「うわ……」


 いつか足を踏み入れるべきであろう「白」を覗いてから北へ向かうと、明らかにいつもとは違う光景が広がっていた。

 迷宮入口にはまだ距離があるのに、大勢の探索者が集まって、溢れている。


「これは大変だ」


 近づいていくと怒号が聞こえてきて、アダルツォは指を組んでいる。

 雲の神官の白い衣がちらほらと見えて、どうやら喧嘩の仲裁やら、混雑の解消やらの為に駆り出されているのだとわかった。


「喧嘩はやめなさい、暴力はいけない」

「二人とも離れて。皆さん、下がってください」


 若者で出来た大きな輪の外側では、薬草業者たちが困った顔で立ち尽くしていた。

 昼が近くなってきたから、仕事の為に来たのだろう。けれど、昼になったら業者の出番と決められているわけではない。

 道の上に広がる探索初心者たちは列を作るどころではなく、口々に不満を漏らし、傍にいた神官を捕まえてどうにかしろと文句を言う者までいた。


「参ったね、これじゃ探索以前の問題だよ」

 コルフがため息交じりに呟き、カミルも同意していった。

「明日は少しくらいマシになるかな。まともに入れなかったって噂になれば、少しは考えるかもしれないけど」

「日雇いの仕事が奪い合いになるんじゃねえか?」

「そうだねえ。探索に行けないとなると、稼ぐにはそれしかないもんな」


 「橙」に向かう初心者がそのまま別のところへ流れ出すのだから、他にも混乱が起きる場所が出て来るだろう。

 新たに街にやって来る者も行き場を失う。

 初めて迷宮に足を踏み入れるのなら、絶対に「橙」が良い。「緑」はぎりぎりで、危険だと考えるべきだろう。

 いきなり「藍」に向かうには相当な実力が必要で、フォールードくらい訓練を積んでこなければ挑めない。



 屋敷へ戻ると今日は大勢が食堂に集まっており、「緑」の地図を広げてああだこうだ話し合っていた。

 五人の中級探索者の帰りに気付くと皆駆け寄って来て、できれば付き添ってほしいと頼まれる。


 顔を見合わせあった結果、意思が通じ合ったか、いつも通りというべきか、フェリクスが一歩前に進み出て「緑」の惨状について語った。


「え、じゃあ、『緑』には行けないってこと?」

「今日のことを大勢が知れば、明日は皆詰めかけたりはしないと思うけれど。でも、『橙』が封鎖されている間はかなり混むんじゃないかな」

 先輩の真剣な表情に対し、初心者たちの考えは随分楽観的だ。

「早く行けば大丈夫かなあ」

「今って、真ん中を通り抜けて行っても平気なの」


 わあわあと質問をぶつけられ、フェリクスはなんとか答えようとしているが、騒がしさに声がかき消されている。

 どうしたものかとカミルが考えていると、背後に気配を感じ、振り返るとカッカーが立っていた。


「カッカー様」

「やあ皆。この時間にしては随分と人数が多いようだな」


 家主の登場に気付いたコルフやフォールードは慌てて頭を下げているが、フェリクスとアダルツォは初心者たちに囲まれていて身動きが取れないようだ。


「カミルたちはレテウス・バロットなる若者を知っているかな?」

 カッカーの問いに、三人で顔を見合わせる。

「ええ、知ってますが」

「今は旅に出ているとかで」


 クリュはまだギアノの部屋で暮らしているから、戻って来てはいないだろうと思う。

 騒がしい中事情を説明すると、カッカーはそれは残念だと笑った。


「あ、カッカー様だ!」


 誰かが前神官長の姿に気付き声をあげると、今度はカッカーが囲まれ、「橙」封鎖の苦情に包まれていく。

 最初は混乱していたカッカーだったが、コルフとフェリクスに説明を受け、事態を理解したようだ。


 「聖なる岸壁」は誰よりも頼りになる人物だが、残念ながら迷宮の封鎖は初めての出来事であり、問題が解決されることはなかった。

 初心者たちは騒ぐだけ騒ぐと、明日について話合いをするべくあっさりと去って行く。

 残っているのはカミルたち五人とカッカーだけ。そこにギアノがやって来て、その後ろにクリュがついてくる。


「あれ、カッカー様。すみません、気付かなくって」

 小さく頭を下げる管理人に、家主は急に来たからと笑って答えた。 

「ギアノ、なにしてたの」

「水場の覆いが壊れてたから、クリュと一緒に直してたんだ」


 今朝は皆慌てていたから、誰かかが壊してしまったのかもしれない。

 クリュは緊張した顔で家主に挨拶をしており、カッカーは優しい顔で美しい若者を見つめている。


「今日はレテウス・バロットに会えればと思って来たんだが、今は街にはいないらしいな」

「はい。ちょっと遠くまで行ってて」

「大変な剣の腕前だと聞いて、是非、剣の講師を引き受けてもらいたいのだが」


 クリュは首を傾げて、剣の腕はいいけれど教えるのはまだ下手くそだと話している。

 フォールードは目を見開いてその様子を眺めており、コルフはその様子に苦笑いを漏らしていた。


 ギアノがお茶の準備を始めて、カッカーは食堂の隅に座ると一緒にどうかと言って、カミルたちを招いた。

 勝手に人数を増やされても管理人は文句を言わず、全員分のお茶と菓子を用意して運んでいる。

 

「カッカー様、いつもより少し、元気がなさそうに見えますが」

 互いの近況などを一通り話し終えたところでフェリクスがこんなことを言い出し、皆でカッカーの顔を見つめた。

 言われてみれば確かに、眉毛の辺りに力がない。なにがあっても瞳に強い光を宿しているのがカッカー・パンラなのだが、今日は代わりに影を感じている。


「わかるものなんだな」


 カッカーは後ろ頭を撫でながら、小さくため息をついてみせた。

 

「なにかあったんですか、カッカー様」

 コルフが問いかけると、前神官長は若者たちの顔を順番に見つめた。

 フェリクス、カミル、コルフ、フォールード、アダルツォ。

 ゆっくりとひとりひとりに目を向けて、そうだなと小さく呟き、意を決したように口を開いている。


「皆はあまり関わらなかったようだが、ダイン・カンテークについては知っているだろう」

 

 少し前に屋敷へやって来て暮らしていた不敵な探索初心者について、良い印象はない。

 確かにそう深く関わったわけではないが、「赤」に挑む前に長々と絡まれたのは嫌な思い出であり、フォールードの怒りもなかなか収まらず、迷宮を歩いている間も落ち着かなかった。


「ダインを預けて来たのは、新たに建てている訓練所の出資者だったんだ。探索は簡単なものではないと伝えていたが、それでもあんな風に、命を失ってしまうとは思っていなかったんだろう」


 ダインの叔父である商売人、ジョーヤ・カンテークは激しく怒り、カッカーを今も責め続けているようだ。

 はっきりとそう口にしたわけではないが、沈んだ表情から深刻さが伝わって来る。

 仲間たちも皆、沈痛な面持ちで話を聞いていた。


「じゃあ、新しい屋敷の建築は?」

「それについては問題ない。多少予定は遅れるかもしれないが、資金はどうにでもなる」


 けれど、失われた命はどうにもできない。

 問題は、ダインを死なせてしまったことだとカッカーは話した。


「ダインの振る舞いについて、伝えられなかったことも多い。信じてもらえるかどうかわからないし、言ってどうにかなるものでもなくてな」


 問題だらけだった探索者がどうなったのか、ギアノが時間を割いて探し回っていたと聞いている。

 あちこちを訪ねて回り、共に行動していた者を探し出し、無理な探索がどんな結末を迎えたか突き止めたということまでは聞いていた。


 けれど、ギアノは誰にも詳細を話さなかった。

 しばらくの間、哀しみを堪えたような顔で働いていて、どうしたのか皆が心配していた。

 ダインは態度も評判も最悪だとわかっているのだから、多少の悪行くらい話せそうなものなのに。

 コルフとそんな話をした時に、だったら他人に話せない程の酷い出来事があったのではないかと考えたことがあった。


 嫌な予想について思い出しているとカッカーと目が合い、カミルの視線をどう受け止めたのか、家主の神官はこう呟いた。


「ダインは死んでも仕方ない者とされてしまった。そのように、扱われてしまったんだ。……どんな者であろうと、死は重い。神官として、私からもっと言葉をかけるべきだったのだろう」


 アダルツォは悲しげな顔をして、手を組み、祈りを捧げている。

 自分もそうすべきかもしれないと思いつつ、仕方がなかったのではないかとカミルは考えていた。


 ダインの態度は滅茶苦茶だった。

 探索へ付き合って欲しかったのだろうが、こちらの事情を聞く気は完全にゼロで、延々と自分の主張ばかり押し付けてきた。


 どう思われても一切気にしない人間は、本当に性質が悪い。

 延々と粘られ続けて、まともな者ほど折れてしまうだろうから。

 気が弱い人間は関わったが最後、奪われ続けてしまうだろう。



 最後には気を取り直して笑顔を作ると、皆の協力に感謝していると言ってカッカーは帰っていった。

 「橙」の封鎖についてもう少し話しておきたいところだったが、それどころではなさそうで、結局なにも言えていない。


 夜になって部屋に戻ってから、カミルはコルフと語り合っていった。

 カッカーの瞳に浮かんだ影を思い出しながら、自分たちは仲間に恵まれたのだと。


「ダインのやり方、悪くないと思ったんだよね、僕は」

 初心者だからといって、魔術師やスカウトの仲間を探せないわけではない。

 この意見は間違ってはいないし、パーティは組めなくても、協力してもらえれば絶対に良い経験が出来るだろうから。

「だけど、強さがあればいいってもんじゃないってことだよね、結局」

 親友の言葉に頷き、カミルはこう答えた。

「信頼も大事だ」

「こればっかりは長い時間一緒に歩き続けないと、わからないもんなあ」


 話していると同室のロッケとグラコーが戻って来て、頼れる先輩に「橙」問題について問いかけて来た。


「封鎖っていつまで続くのかな」

「どうだろうね。案外聞いてみたら教えてもらえたりするのかな?」


 明日様子を見に行ってみようかというコルフの提案に、カミルは頷いて答えた。

 封鎖が続けば「緑」や「藍」に挑む人数も大きく変わるだろう。

 自分たちの探索の予定を立てる為にも情報は必要で、明日は早い時間に出ようと決め、この日は揃って床に就いた。


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