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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
46_Unusual days 〈迷宮都市の哀歌〉

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222/244

213 招集令

 「橙」を除いた八つの迷宮はきれいな正方形を描いている。

 最も人が多く入って来る東の大門に一番近いのは「黒」で、街のほとんどの人間にとって用がない場所だ。

 その対角にあるのが「白」の入り口で、こちらもそう足を踏み入れる人間はいない。

 「藍」や「赤」を歩いてみた中級者は興味を持ってやっては来るが、生半可な覚悟で挑めるところではないとすぐに気付いて、道を引き返していく。

 白で塗り尽くされた通路は息苦しく、強い意思がなければ歩いてはいけないから。


 そんな「白」の入り口周辺は、薬草業に関わる者が大勢行き来している。

 「緑」と「紫」で採取した草を集めて加工するには街の南西がちょうどいいから。


 バリーゼ・ゴレンが歩いているのも、彼が薬草業者だからに他ならない。

 彼の勤めるアードウの店はもう少し北寄り、「緑」の迷宮の近くにあるのだが、この日は気がかりなことがあって南に向かって歩いていた。


「誰か……、ねえ、誰かぁ……」


 「白」の入り口傍を通りかかったのは偶然でしかないが、そのお陰でこんな声に気付いて、バリーゼは戸惑いながらも穴に近寄り、中を覗いた。

 弱々しい声は女のものようで、空耳だろうと考えていたのだが。

 穴の底には確かに倒れている者がおり、白いタイルの上に赤黒い染みが広がっている。


「おい、おい、大丈夫か!」

 女性の探索者は珍しいし、たった一人で這い出す姿など初めて目にしていた。

 驚きながら梯子を下りたバリーゼは、現場に辿り着き更に驚かされることになった。

「あんた、最近できた劇場の?」

 女は探索者などではない。光沢のある赤い服をまとっただけの姿で、足に怪我を負って呻いている。

 青く苦悶に喘ぐ顔には見覚えがあった。

 ウベーザ劇場の舞台で見事な歌を披露していたラジュという名の女で間違いない。何度か見に行ったから、知っている。

「立てるか?」

 ラジュは弱々しく首を振り、バリーゼに縋り付くようにして泣いている。

 足には布が巻き付けられているが、血が滲んで溢れていた。

「待っていてくれ、急いで助けを呼んでくる」


 悲しそうに泣く女を残して、バリーゼははしごを駆け上り、近くにある薬草店へ急いだ。

 同じ店に勤める同僚でなくても、業者同士は互いに顔を知っていることが多い。

 呼びかければ応じてくれる者がいるはずで、怪我人だ、助けがいると声をあげて、協力を仰いだ。


 親切に駆けつけてくれた者たちのお陰で、ラジュは無事に地上へ戻り、痛み止めを飲まされている。

 とりあえず足の治療をしなければならず、バリーゼはラジュを抱えて雲の神殿へ走った。


 

「なにがあったのかね、ラジュ」

 涙を流す女に、神官はすぐに対応してくれた。

 騒ぎを聞きつけたのか神官長もやって来て、歌姫の隣で祈りを捧げている。

 ラジュはすすり泣くばかりなので、仕方なくバリーゼが事情を話した。

 とはいえ、言えることはこれだけしかない。

「『白』の入り口で倒れて、助けを呼んでいたんですよ」

「なんだって? ラジュ、迷宮に入ったのか」

 神官の癒しが終わり、どうやら傷は塞がったようだ。

 それでほっとしたのかわからないが、ラジュは力なく神官の腕の中に沈み込んでいった。

「おおい、どうしたんだ、大丈夫なのか」

「気を失ってしまったようです」

 雲の神官たちは慣れた様子で、ラジュを連れて奥の部屋に去って行く。

 バリーゼは神官長に再び問われたが、話せることはそう多くはない。


 迷宮の入り口で倒れていて、周辺の業者たちの手を借りて救い出し、治療の為にやって来ただけ。

 歌姫については客として見て知っていただけで、面識はない。


「ありがとう、バリーゼ。君が通りかからなければ彼女の命はなかったかもしれない」

「そうですね。いや、役に立てて良かった」


 そう答えてから、用事について思い出し、バリーゼは慌てて雲の神殿を出た。

 服の端に血の跡が少しついてしまったが、今は仕方がない。


 どうせなら歌姫のいい香りがついていればいいのに。

 てのひらには柔らかな感触がまだ残っていて、いいことはするもんだと思いながら、南へ向かって歩いていく。


「あ、バリーゼさん! 良かった、見つかったぁ!」

 すると背後から呼ぶ声が聞こえてきて、薬草業者の男は振り返った。

「リジャルド、なんだよ」

「今すぐ来るようにって、モントランさんが」

「なんでだ?」

「なんか大切な話があるらしくって、採集班は全員集まるようにって」

「行かなきゃ駄目か」

 リジャルドは不安そうな顔をして、腹の辺りを抑えている。

 緊張するとすぐに下してしまう同僚の様子に、さすがにまずいかと考え、バリーゼは店に引き返すと決めた。

「採集班に集合をかけたって、どっちにも?」

「そうみたいですよ」

「泥棒でも入ったかな」

 少し前に迷宮調査団から、倉庫に侵入した男がいたと聞かされている。

 対策を考えなければならなかったが、あんなところから入る者がいるとはと感心させられたものだった。


 二人で店に戻ると従業員のまとめ役であるモントランが待ち受けており、すぐに本店奥の大きな部屋へと通される。

 そこには樹木の神殿の神官長がおり、傍らに黒い肌の恐ろしいほどの美女が並んでいた。


 既に集まっていた「緑」の担当五人も、「紫」で共に歩くモールとテカンダも、でれでれとした顔で美女を眺めている。


「お待たせいたしました、リシュラ神官長。全員揃いました」

「ありがとう、モントラン。急な要請なのに、こんなに早く集まってもらって」

「いえいえ、そんな」

 モントランはぺこぺこと頭を下げ、それではお話をどうぞと促している。

 キーレイは一歩前に出て集まった九人の業者たちを見渡すと、何故採集班を集めたのか説明を始めた。

「私は樹木の神殿に仕えるキーレイ・リシュラ。皆、最近起きた魔術師街の迷い道については知っているかな」

 みんな頷き、あれは迷惑だったと口々に呟いている。

 迷い道は一日で終わったが、どうやら樹木の神官長の活躍があったらしいという話は聞いていた。

「とりあえずの対処をして迷い道は解消されたのだが、何故あんなことが起きたのかはわかっていない。どうやら魔術師ホーカ・ヒーカムが関わっているようで」

「あのう、そちらの美しい方はどなたなんですか?」


 きっとこの後紹介されるだろうに、我慢できなくなったのかモールが声をあげている。

 戸惑うキーレイをちらりと一瞥し、美女は一歩前に進み出て名乗ってくれた。


「俺はロウラン。魔術師として、キーレイ・リシュラに力を貸している」

「どちらからいらしたのです」

「お前は随分と自分に正直なようだな。だが、そんな話をしている場合ではない。この中から一人、屋敷の調査に協力してもらうぞ」

 採集担当の面々はザワついて、互いの顔を見合っている。

「どういう話なんです?」

「あの屋敷には地下室があるようなので、それを探すに当たって」


 説明の担当は神官長らしいが、全員の目が魔術師に向いたままだ。

 ロウランは呆れた顔でまずは話を聞けと命じてきて、バリーゼたちは仕方なくキーレイへ目を向けた。


「調べを進めた結果、あの屋敷には地下室があるようだとわかった。大体の位置は把握できているんだが、屋敷の中でなんらかの薬品が使われているようでね」

「薬品って、なんのですかい」

「特定できていないが、感覚を鈍らせる類のもののようなんだ。そこまでの濃度ではなさそうだが、念の為にある程度の耐性のある者に協力して欲しくて」

 なので薬草業者に力を貸してもらう為にやって来た。

 キーレイは店の仕事があるのに申し訳ないと謝っているが、この言い方からして断ることはできないのだろう。

「この中から一人って、どうやって選ぶんです」

「調査には魔術師様も行くのですか?」

 業者たちは口々にまたやんやんと騒ぎ出し、キーレイがなにか話しているがよく聞こえない。

 目の前にいる魔術師のあまりの美しさに興奮して、話どころではないのだろう。

 バリーゼは冷静ぶってこんな風に考えているが、確かに黒い肌はしっとりとして艶めかしく、大きな瞳を間近で見ていられたらさぞ幸せな気分になれるだろうとも思っていた。


「ええい、やかましいぞ、お前ら」

 魔術師の手が大きな音を鳴らし、業者たちは一斉に黙る。

「他の店では皆大人しく聞いてくれたがな」

「他の店?」

「どこです!」

「いいから一度黙れ。口を閉じたまま、まっすぐに並べ」


 美女というのは、怒った顔もいいものだ。

 なんとか神妙な顔を作って、バリーゼはテカンダの隣に並ぶ。

 他の者たちもようやく態度を改め、立つ位置を隣に合わせていく。


 横一列に並んだ九人の前を、魔術師ロウランはゆっくりと歩いていった。

 一人一人、足元から頭のてっぺんまで見つめられて、誰かの荒い鼻息の音が聞こえてくる。


「キーレイ、決めたぞ」

 端から端まで歩くと、魔術師は振り返って後ろ姿を見せた。

 長いローブがひらりと揺れて、ふくらはぎがちらりと覗く。

 誰かがひゅうっと音が立てたが、そうなってしまう気持ちはよくわかる。

「バリーゼ」


 どんな合図が送られたのかわからなかったが、神官長に呼ばれたのはバリーゼだった。

 

「俺ですか」

「この中ではお前が一番良い。頼むぞ」

 ロウランが微笑み、周囲から嫉妬に塗れた視線を向けられている。

 後で存分に自慢してやろうと決めたが、ここから具体的になにが起きるのかはまだわからない。

「それは構いませんが、ええと、どうすりゃいいんでしょうか」

「他の主だった業者からも一人ずつ来てもらっているんだ。まずは合流しよう」

「これからすぐに?」


 今日一日誰か一人を借りると話はついており、バリーゼはすぐに行かねばならないらしい。

 

「あの、リシュラのぼっ……官長」

「なにかな、バリーゼ」

 失礼な呼びかけに動じず、キーレイは微笑みを浮かべている。 

「ダステの婆さんをご存知ですよね」

「もちろん。彼女がどうかしたのかな」

「最近どこの店にも来ていないらしいんです。もういい年みたいだし、具合でも悪いんじゃないかと思って、様子を見に行くところだったんですよ」


 あちこちの薬草店にぶらりと現れつまみ食いをする名物婆さんについて、キーレイもよく承知していたようだ。


 何故だか迷宮で採れた薬草、毒草を口にしては喜ぶダステだが、いつから迷宮都市で暮らしているのかわからない。

 若い頃はごく普通の従業員だったらしいが、奇行のせいでクビになり、それでも行動は改まらず、結局は多少のつまみ食いくらいは許そうということになったと聞いている。

 ダステがあらゆる業者の倉庫に入り込み、希少なものであっても構わず口に入れたせいで、薬草の管理が厳重にされるようになったという歴史もある。どこの店にどんなものがどのくらいあったのかペラペラしゃべったりもしていたそうで、価値のある物は店の奥にしまわれるようになったし、在庫についても他店に知られないよう工夫が為されるようになったんだと。


 奇人変人として知られるダステだが、あらゆる草の毒見も含め、薬草業者たちの発展に欠かせない人物であったことは間違いない。

 キーレイはなるほどと頷き、それは心配だねと首を傾げている。


「ロウラン、バリーゼと来て下さい」

「なんだ、キーレイ。どこへいく?」

「先に用を済ませてきます」


 どうやら部下などは連れていないようで、キーレイ自ら用事を頼みに行ってしまったようだ。

 申し訳ないことをした気もするが、美女と二人で歩けるのは御褒美に他ならず、バリーゼは気にせずロウランの後を歩いた。


 黒い肌は初めて目にしたものだが、ロウランの肌は艶やかで、たまらないなと薬草業者の男は思った。

 後ろを歩いているお陰で、にやにやしていても咎められずに済む。

 ローブに隠されていて尻の形がわからないのがたまらなく惜しいが、そういう場合は勝手な形に決めてしまえばいい。

 

「着いたぞ」


 内心を見抜かれていたかのように、ロウランの声は冷たい。

 短い散歩道が終わり、バリーゼは汗を拭き拭き集合場所に足を踏み入れていった。

 着いたところはリシュラ商店だが、キーレイが仕切っているのだから当然と考えるべきだろう。

 奥にある部屋に通されたところで神官長も戻って来て、律儀に人をやったことをバリーゼに伝えてくれた。


 部屋には見覚えのある者の姿があり、バリーゼが挙げた手に答えてくれている。

 リシュラ商店の「緑」担当のバルナ、ミッシュ商会の「緑」担当のミンゲ、クレスト薬草店の「紫」担当のジェッダ。

 皆腕が良いと言われている連中で、この中ではミンゲが最も若い。


「やあ、バリーゼ。アードウからは君が来たのか。正式な従業員でなくても良かったのかい」

「俺はもうあそこの従業員だよ」


 バリーゼは確かに、少し前までは探索者だった。迷宮への付き添いは副業でやっていたはずが、アードウの人柄は良いし、他の従業員たちとも打ち解けたし、給料も悪くないから。ここらで探索者暮らしに区切りをつけようと決め、正式に店の一員になっていた。


「どうやら魔術師の屋敷を調べるらしいね」

「それは聞いた。というか、それしか聞いてはいない」


 ジェッダと話しながら、空いた椅子を引いて座る。

 魔術師は離れたところに座ってしまい、その傍でキーレイは立ったまま、「この後」について説明を始めた。


「本当に突然になってしまって申し訳ない。我々は魔術師街の迷い道がもう二度と起きないよう対策をするべく、ホーカ・ヒーカムを探していたんだ」


 何度訪ねても魔術師の姿は見当たらないし、誰も出て来ない。

 仕方なく二人は中に入って、本当に無人なのかどうか調べていたのだという。


「地下室があるのではないかと考え、入口を探していた。おそらくはこの辺りと、見当はついている」

「そこでなにか、薬が使われていると?」

 ジェッダの問いに、キーレイは頷いている。

「そもそも、術師ホーカには不穏な噂が多く囁かれていたんだ。あの屋敷には借金のかたに何人も閉じ込められている若者がいて、彼らはまともに意識を持てないままぼんやりと過ごすようにされているとか」

「本当ですか」

「私塾に通っている者などが見たというから、本当なのだと思う」


 つまりホーカ・ヒーカムは、日常的に屋敷でなんらかの薬品を使用している可能性がある。

 地下室を調べるに当たって、二人だけで行くのは少しばかり危険なのではないかとキーレイは考えたようだ。


「『緑』や『紫』に通い続ける者ならば、薬草毒草への耐性がついている。……なるほど」

 ジェッダはやたら気障ったらしくこう呟き、にやりと笑っている。

 いつ見ても面白い奴だと思い、バリーゼは隣で同じような笑みを浮かべていた。


「君たちならば危険に晒してもいいなどとは考えていない。きっと頼りになるだろうと考えてのことだ。万が一異常を感じた時には、すぐに戻ってもらう」

「いいんですか、リシュラの……神官長」

 ミンゲに問われて、キーレイは頷いている。

「そもそも、薬品の効果が出ているかどうかはわからないんだ。ホーカ・ヒーカムの普段の様子や、地下室付近で感じた匂いで念の為に備えた方がいいと考えただけでね。君たちに期待しているのは耐性の話だけではなくて、普段から迷宮に足を踏み入れ、危険を切り抜ける実力があることなんだ。それと、今回の調査に関して、謝礼などは用意できない。そんなつもりはなかったんだが、私が頼んだせいで断れなくしてしまったようで」


 申し訳ないと頭を下げて、キーレイはこう続けた。

 どうか街の人々の暮らしを守る為に力を貸して欲しい、と。


 迷宮都市で一番の有名人に深々と頭を下げられて、バリーゼたちは大いに慌てた。


「やめてください、そんな。俺たちで良ければいくらでも付き合います」

「そうですよ、リシュラのぼっ……」

「神官長、行きましょう。薬草業者の力を見せてやろうぜ」


 ミンゲとジェッダが声をあげて、全員揃って立ち上がる。

 何故だか腕を振り上げ、おうと叫び、早速行こうと部屋を出た。

 

「バリーゼとやら」

 

 店を出て、四人は意気揚々と進んでいく。

 そんな業者たちの隣に魔術師がやって来て、神秘的な色の瞳をバリーゼへ向けた。


「なんでしょう」

「お前はキーレイをなんと呼んでいる?」

「ああ、すいません、つい癖で」

「なんと呼んでいるんだ?」


 キーレイ・リシュラは迷宮都市で一番の有名人だが、そうなったのはこの一年ほどのことだとバリーゼは思う。

 少し前までは、前神官長であるカッカーの名の方が知られていた。困っている者がいると聞けばどんなところにでもとんでいき、どんな者でも救ってまわる人情家で、大勢が聖なる岸壁の名を称えていた。


 そのカッカーが探索を引退し、ついには街から去っていき。

 後を継いだのはカッカーが直接指導をしていた神官のキーレイであり、おそらくはこれまでで一番若い神官長だと言われている。


 それでようやく、皆が気付いた。誰よりも長く迷宮を歩いてきた、大変な強者なのだと。

 過酷な迷宮歩きを生き抜く強さを持っているのに穏やかで、真摯な信仰を抱いている、並ぶ者のない勇者、キーレイ・リシュラ。


 だが。

 街中が気付く前から、薬草業者だけはその名を知っていた。


 幼い頃から父を手伝う孝行息子、「緑」と「紫」の迷宮の申し子。

 どんな毒にも耐性を持ち、たった一人でも底に行きつく実力がある上、生き返りの力まで持った無敵の神官。 


 最近業者として働き始めた者、リシュラ商店の従業員ならば、こんな風には呼ばないはずだ。

 けれど子供時代から知っている業者たち、雇い主であるアードウもそう呼ぶから、バリーゼもついこの「あだ名」を口にしてしまう。


「リシュラの坊ちゃんと」

 ロウランは眉間に皺を寄せ、薬草業者をじろりと睨んでいる。

「確かにまだ若いが、神官長だぞ」

「ええ、はい、もちろん知ってますよ」

「今回の件など本来は請け負う筋合いなどないのに、困る者がいるからと引き受け、神殿の仕事も抱え、昼夜を問わず身を粉にして働いている」

 美しい魔術師はずばりと、敬意が足らんのではないかと問いかけてくる。

 否定のしようがなく、バリーゼは恐縮して身を縮めながら答えた。

「はい、まったく、仰る通りで」

「やめてください、ロウラン。バリーゼ、いいんだ。私は紛れもなくリシュラの坊ちゃんなのだし」


 キーレイの声は穏やかだが、ロウランは不満があるようだ。

 そんな風だから軽くみられるのだと言い、神官長はゆっくりと首を振っている。


「近寄りがたいと思われるよりずっといい。神官は人に寄り添い、力になる為にいるのですから」


 焦るバリーゼの隣にはミンゲが並んでいて、うっとりとした顔でキーレイを見つめている。

 バルナの方へ振り返り、さすがリシュラの坊ちゃんだなと囁く声が聞こえた。


「それがお前の良いところか。仕方がないな。だが俺は、俺の思うお前の素晴らしさについて伝えていくぞ」


 きりりとした視線を前に向け、魔術師はきびきびと歩いている。

 横顔も驚く程整っていて、非の打ち所がない美しさだとバリーゼは思っていた。


 ロウランらしき美女の噂はいくつか聞いていた。

 美しさ、艶めかしさについてと、髭の戦士と関係があるような話は聞いている。

 けれど、魔術師として語られるものはこれまでになかった。

 キーレイ・リシュラと共に、街の大問題になりつつあるホーカ邸の調査をしているのだから、相当な使い手と考えて良さそうなものだが。

 こういった時には無彩の魔術師がやって来るのがいつものパターンだったはずが、なにがあったのだろう。


 はたと気付いて、まさか、とバリーゼは視線を向けた。


 良家の長男、神官のまとめ役、並ぶ者のない探索強者が、とうとう独身生活を終わらせるのか――?


 これまで何故だか浮いた噂がなく、いや、バリーゼも同じ年頃の独身で言えた筋合いではないのだが。

 迷宮都市最後の超弩級優良物件を手に入れるのは、この美しい女性魔術師なのだろうか。


 うらやましくてたまらないが、悔しくはない。キーレイほどの人物なら、美しく優秀な女性を妻に迎えて然るべきなのだから。

 物言いはまったく女性らしくはないが、本音で話せる間柄のように見えるし、本人たちが良いのなら問題にはならないはずだ。


 夫婦ですべての迷宮の踏破者になる……。この二人ならば、可能かもしれない。

 二人の才能を受け継いだ子供が生まれれば、迷宮を遊び場にして育ち、いつかは恐ろしいほどの探索強者になるだろう。


 バリーゼが勝手に祝福気分になっている間に、現場に辿り着いていた。

 魔術師街のど真ん中。それはつまり、迷宮都市の中心でもある。

 紫色の煌めきに彩られた悪趣味な豪邸、魔術師ホーカ・ヒーカムの棲むところ。

 大勢を惑わせる迷い道の元凶であろう屋敷の前で、まずは神官長が呼びかける。

 答える声はなく、門が開けられる。扉の前でも同じことが繰り返されたが、返事はなく、扉も開かれていった。


 入ってすぐの大きなホールでは、ベンチが妙な位置に置かれていたし、床に細かい破片が散らばっていた。

 

「誰かここで暴れたんですか」

 ミンゲの問いに、キーレイは頷いている。

「外の柱も壊されていて、それについても話し合いが必要なんだが」


 破壊した者がいて、弁償の必要があるのだろう。

 柱も床も修繕するとなると、かなりの額がかかりそうだとバリーゼは思う。


「とにかくまずは、本人の所在を確認しないと」

「どこか他所へ行ってる可能性はないんですか?」

 バルナの問いには、ロウランが代わりに答えた。

「ここを離れるとは思えん。留守にするのなら戸締りくらいするだろうしな」

「確かに。ホーカ・ヒーカムって相当儲けてますよね、壺で」

 ミンゲの軽口に、ジェッダがひゅうっと口笛を吹いている。

「もしかして地下に隠しているのかな」

「大金を?」

 にやりと笑った顔に、呆れてしまう。

 ちょっとくらい頂いてもなんて、神官長を前に言えるならたいしたものだが。


 長い廊下を歩きながら、キーレイは律儀に声掛けを続けている。

 ホーカの名と、魔術師の下で働いているという男の名を。

 一度だけ二人とは違う、おそらくは女性の名を呼んだが、結局誰も姿を現さない。


「では、屋敷を調べさせてもらいます」


 神官の声はよく通る。ここまで散々扉を叩き呼びかけてきたのだから、今更聞こえていなかったと出て来ることはないだろう。

 玄関のホールを抜け、廊下を進んだ先。黒に近い濃い紫色のカーテンがかけられた大きな部屋に入ると、魔術師がこう話した。


「おそらくはこの部屋のどこかに入口がある」


 ふかふかとした絨毯が隙間なく敷かれ、壁には紫色に光る石の飾りが並んでいる。

 大きな台が置かれ、隅にはいくつか椅子が置かれているこの部屋は、何に使われる為の場所なのだろう。


「確かになんだか妙な匂いがするかも」


 ミンゲは鼻をすんすんと鳴らしながら、まずは絨毯をはがしてはどうかと話した。

 台や椅子をすべて運び出し、手触りの良い絨毯を片付けていく。

 隙間なく敷かれた物をはがすのは大変な作業で、全員で力をこめなければならなかった。


「もしかして俺たち、この為に呼ばれたのか」

 ジェッダが呻きながらこう漏らしたのは、部屋を出たところで魔術師が微笑んでいるのを見たからなのかもしれない。

「女には無理だろ、こんな力仕事は」

「魔術でなんとかできないのかな」


 神官長は他の部屋の様子を確認しているらしく、四人の薬草業者だけで大きな絨毯を転がし、巻いていく。

 切ってしまえば簡単かと考えてみたが、厚みがあって切るのも大仕事だと気付いていた。

 上等な品物だろうし、家主が現れたらいくら請求されるかわからない。

 街で一番の有名人が払ってくれそうな気もするが、さすがに虫が良すぎるか。


 汗だくになっても部屋の床はまだ半分も見えていない。

 バリーゼはため息をついたが、ミッシュ商会の従業員はよほど目が良いようで、かすかな違和感に気付いていた。


「ここ、なんか変じゃないか?」


 汗だくなせいか目が霞んで、バリーゼにはなにも見えない。

 ジェッダも同じだし、おそらくはバルナもそうだが、リシュラ商店の従業員として手を抜く姿は見せられないのだろう。顔を無駄にきりりとさせて、調査している感じだけは出している。

 

 ミンゲは小さなナイフを取り出し、床に刃を当てた。

 同じ大きさのタイルが並んでいるだけのようにしか見えないが、手応えがあったらしい。 


「隙間があると思うんだけど」

 なにも見えないが、ジェッダが勢いよく立ち上がり、声をあげている。

「魔術師様! 魔術師様あー!」

「うるさいぞ。そんなに大きな声を出さんでも聞こえるわ」

 ロウランがやって来て、ミンゲの隣に膝をつく。

 あんなに美しい魔術師がすぐ隣にいるというのに、ミッシュ商会の若者は動じないらしい。

「お前は目が良いのだな」

 細長い指がふわりと揺れると、ミンゲが示したタイルがゆっくりと持ち上がった。

 魔術師はそれを掴んで、傍らに置く。

 集められた業者たちはおお、と声をあげ、絨毯を巻く作業の終わりを喜んでいる。


「匂いが強くなったけど、大丈夫ですか」

「そうか。では、口を覆った方が良いだろう。おい、キーレイ!」


 神官長がやって来て、全員に薬草採取用の装備品が配られていく。

 人数分の装備はリシュラ商会から持ってきたようで、ひとつひとつに葉の形の刺繍が入れられていた。


 外れたタイルの下には更に蓋らしき物があって、バリーゼとジェッダで持ち上げていく。


 分厚い蓋は大きく重たかったが、その下には魔術師の屋敷の秘密の入り口が隠されていた。

 

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