208 遠来の客人 3
神殿の出口には馬車が待ち構えていて、神官と共に乗せられ、ぱかぱかと運ばれて。
大きな屋敷に辿り着き、クリュは立派な家具が揃えられた広い部屋に通されていた。
いつの間にやら土で汚れてしまっていたようで、着替えを渡されている。
袖を通してみれば、生地は柔らかく、優しい緑色の服は着心地が良かった。
ふかふかとした椅子を勧められ、温かいお茶が運ばれてきて、飲むように言われ、その通りにして。
流水の神官がずっと隣にいてくれたせいか、不安はもうなくなっていた。
どこに連れて来られたのだろうかと思っていたが、ふうと息を吐いたところで、チュールが答えを示してくれた。
「本当は宿をとるつもりだったのですが、カッカーが心配して、樹木の神官長の家に部屋を用意してもらったのです。サークリュードも、キーレイ・リシュラのことは知っていますね」
「うん」
「最後に見かけた時はまだ小さい子供だったのに、立派な青年になっていて驚きました」
不死の通り名で呼ばれる神官長は、世にも珍しい「迷宮都市生まれの迷宮都市育ち」。
本当だったんだなとクリュは考え、振舞われたお茶をすすった。
「サークリュード、昨日の夜、カッカーやキーレイから話を聞きました。私の身代わりにされていたなんて」
本当にごめんなさい。
流水の神官が頭を下げたところで、部屋の扉が開いて男が入って来た。
誰なのかはわからないが、ここにいれば安全だとか、しばらく休むと良いと言って、あっさりと去っていく。
リシュラ邸の立派な客間には二人だけ。
昨日の中庭と同じように、クリュとチュールだけが残されていた。
「あの、あなたとホーカって魔術師の間になにがあったんですか?」
記憶がないから絶対にとは言い切れないが、自分がしでかしたとは思えない。
裸にされて閉じ込められるほどの悪事を働いたとはとても思えなくて、クリュは意を決して神官に尋ねた。
「なにも」
「なにも、って?」
チュールは首を振り、直接会ったことすらないのだとクリュに答えた。
「あの頃、私には関係がないと主張し、戦えばよかったのに」
流水の神官はクリュのすぐ隣に座りなおすと、昔話を聞かせてくれた。
二十年ほど前に迷宮都市で暮らしていた頃、カッカーやアークと探索をしていたのだと。
ホーカ・ヒーカムも同じ頃に魔術師として名を挙げており、チュールたちの組んでいたパーティに入れてほしいと頼んで来たのだという。
「ラーデンと入れ替えて欲しいと頼んで来たのです。あなたはニーロという魔術師を知っていますか」
「うん。無彩の魔術師でしょ」
「ラーデンはそのニーロの師匠です。ラーデンは変わった人でしたから、赤子を育てていたと聞いた時は驚きました」
チュールは遠くを見つめて、懐かしそうに呟いている。
「優秀な魔術師で、迷宮の中ではとても心強い存在でした。そのラーデンの代わりに自分を仲間にしてほしいと、ホーカはカッカーに頼んだらしいのです。けれど皆の反対にあって、入れ替えは叶いませんでした」
「そのせいでチュール様が恨まれちゃったの?」
魔術師の入れ替えには関係ないはずで、おかしな話ではないかとクリュは思う。
流水の神官はふっと微笑み、真の理由について教えてくれた。
「ホーカ・ヒーカムはアークに思いを寄せていたそうなんです」
「一緒に来た人?」
「ええ。もとは王都で騎士として勤めていた、剣の達人です」
「アークに近付きたくて、仲間に入れて欲しかったってこと?」
「そうかもしれません。共に探索に行く仲間とは、濃密な付き合いになりますからね。男女で組めば、大抵は女性の奪い合いに繋がると考えられるくらいですから」
チュールはそこまで話すと、カッカーとゴリューズ相手ではそうはならなかっただろうけど、と笑った。
「アークはホーカ・ヒーカムをどう思ってたの」
「興味がないと話していました。ラーデンとの入れ替えの話に一番強く反対したのはアークで、彼女を冷たくあしらったと聞いています」
流水の神官はそこまで語ると、小さく息を吐いて、お茶に手を伸ばした。
滑らかな白い肌に、長い睫毛のかかった薄青の大きな瞳。
輝く白金の髪は長く伸ばされ、今日は結って青い飾りをつけている。
二十年も前に探索をしていたのだから、両親と同じくらいの年代のはずなのに。
つやつやとした肌にはハリがあって、自分とあまり変わらない姿なのかもとクリュは思っている。
そう思ったからこそ、何故魔術師が神官に恨みを募らせたのか、わかってしまった。
「もしかして、アークの恋人と思われた?」
チュールは目を閉じ、微笑みを浮かべている。
「俺、あなたにそっくりだって言われてるんだ。あと、いつも女に間違われて困ってて」
「私もそうですよ。初対面の相手にはほとんど女性だと思われてしまいます」
「やっぱり」
「ちゃんと男性だと話すのですけどね」
神官はこう呟き、仲間の入れ替えを断った後、急に嫌がらせをされるようになったと語った。
「一晩一万シュレールで買える」から始まり、様々な下世話な噂を流されて。
寮の部屋も荒らされたし、神殿の水が穢されたこともあったという。
「噂の類はほとんど信じられませんでしたし、個人の持ち物などほとんどありませんから、部屋を荒らされたところでどうということもないのですが、水を穢されたのは堪えました」
流水の神殿で最も大切なのは、神像とその周囲に流される清らかな水だから。
個人への攻撃はどうでもよかったが、神殿に迷惑をかけるのは辛かった。
チュールは表情を曇らせ、目を伏せている。
「私が困っていると気付いて、アークは犯人捜しを始めました。それで、ホーカ・ヒーカムの仕業だと突き止めたのです」
「そうだったんだ」
「嫌がらせはやめろと抗議してくれたのですが、却って酷くなっていったんです」
何度かの不毛な繰り返しの果てに、迷宮都市を去ることになってしまった。
チュールは寂しげにそう話し、ため息をついている。
「さすがにもう終わったと思っていたのです。探索はいつまでも続けていけるものではありませんし、あれからもう二十年も経っていますから。ホーカ・ヒーカムが迷宮都市に残っていたとしても、さすがに落ち着いただろうと思っていたのに」
まだ続いていたなんて。
神官はクリュの手を取り、迷惑をかけて申し訳ないと詫びた。
「あなたはなんにも悪くないのに」
「そう言ってくれますか、サークリュード」
今度はありがとうと囁き、チュールは祈りの言葉を紡いでいく。
「あの頃、私自身が声をあげるべきだったと思います。アークが自分に任せろと言い張って、何もさせてくれなかったのですが」
「でも、どうかな。チュール様がいっても、変わらなかったんじゃないかって思うけど」
「そうでしょうか」
「だって、別人の俺にあんな……、わけのわかんないことするような奴なんだよ。直接会ったら、なにをされてたかわかったもんじゃないよ」
こんな言葉に、チュールは小さく吹き出していた。
そうですねと言って笑い、行かなくて良かったと呟いている。
朝からマティルデがやって来たせいで、今は安全な場所に身を隠しているわけなのだが。
チュールはやはり自分と同じような悩みを抱えているのだとわかり、クリュは流水の神官ともっと話したいと思っていた。
今のところ部屋は静かで、外から聞こえる声はない。
もう少し話していても許されるのではないかと考え、口を開いた。
「俺、悩みがあるんだ」
「なんですか、サークリュード」
「しょっちゅう女と間違われるのも嫌だし、男だって言っても信じてもらえないとか、よくあるんだけど」
昔は幸せだった。
幼い頃は誰からも可愛がられた。みんなが自分を呼び、抱きしめ、大事にしてくれていた。
故郷のことを思いだしたせいか、暗い記憶が心の中に居座って、追い出したいのに叶わない。
この神官なら理解してくれるのではないかと思えて、クリュは自身の過去について話し始めた。
「俺、家族の誰にも似てないんだ。父さんとも母さんとも全然似てなくて、姉さんが二人いるんだけど、みんな髪は茶色だし、目も似たような感じで、俺とは全然違ってて」
小さい頃はただただ可愛がられていた。
可愛いクリュと呼ばれて、無邪気に笑っていられたのに。
「でも、十歳になったくらいの頃から、姉さんたちに虐められるようになったんだ。なんにもしてないのに叩かれたり、嫌なことを言われるようになった。上の姉さんがそうなったら、下の姉さんも意地悪になって、そのうち父さんも『自分の子じゃない』っていうようになっちゃって」
最初のうちは諫めてくれていた母も、疲れてしまったのか、いつの間にか庇ってくれることはなくなっていた。
「毎日喧嘩ばっかりになっちゃって、すごく嫌だった。そのうち、俺をどこかよその家にやるって話になって、知らないおじさんの家に行かされたんだ。だけどそこも嫌なことばっかりで、逃げて、家に帰ったんだけど……」
それ以上は語れなかった。
震えて、涙があふれて、声が出せなくなってしまったから。
背中に暖かい手が触れている。
流水の神官が寄り添って、クリュを力強く抱き寄せてくれていた。
「サークリュード、苦しいのならもう言わなくても大丈夫」
苦しむ者の話を聞くのが、神官の役目だから。
クリュに起きた出来事も想像がつくのかもしれない。
逃げて戻っても、また新たな預け先が見つかって。同じことが繰り返されただけ。
嫌なことばかり続いて、安心して過ごせる場所がないまま、家を出ると決意できる日まで耐え続けなければならなかった。
しばらくめそめそと泣いていたが、チュールの祈りが癒してくれたのか、ふいに気持ちが落ち着き、クリュはふうと息を吐いていた。
「……母さんに、俺がいなくなったらみんな喧嘩しなくなったって言われた。俺がいなければ喧嘩しなくて済むんだって」
「辛い思いをしましたね、サークリュード」
こくんと頷いた頭が優しく撫でられると、涙はようやく引っ込んでいった。
心に焼き付いていた故郷の景色も、薄れていったように思う。
チュールはクリュに飲み物を勧めて、にっこりと微笑むとこう話した。
「私も家族の誰とも似ていないらしいんです」
「らしいって?」
「まだ赤ん坊のうちに神殿に預けられたので、家族の顔を覚えていないのです」
神官の家族は祖父母と両親、兄弟も何人かいたのだという。
生まれは王都の東、大きな街と街の間にある、小さな滝と清らかな泉があるだけの宿場町。
家族とはまったく違った色合いの美しい赤ん坊を、信心深い祖父母は女神の使いだと考えて、神殿に預けてしまったらしい。
「じゃあ、神殿で育ったの?」
「そうです。女神の使いとして、大切に大切に育てられました」
幼い頃は、自分もそう信じていた。
チュールは静かにそう呟き、クリュに微笑みかけている。
「私は生まれた町から、大きな神殿のあるところに移されました。私には神官として生きる以外の道はありませんでしたが、かなり特別な扱いを受けていたと思います」
なんといっても「女神の使い」だから。
チュールは自嘲気味に笑い、更に続けていく。
「成長するにつれ私の名は近隣の街にも知られるようになって、それで、王都から遣いが来たのです。女神の子だというのなら、もっと大勢の為に仕えるべきだと言われて、確かにその通りだと考えたのを覚えています」
「王都に行ったの?」
「ええ。それで、思い知らされました」
「思い知らされたって、なにを」
「自分が特別ではなかったことをです」
王都には大勢の人間がいたが、当然、誰もチュールのことなど知らない。
国中のあちこちから強い信仰を持って集まったまっとうな者ばかりで、美しいだけの幼い神官を特別扱いするはずがなかった。
「王都での暮らしが始まってすぐに、世間の常識を叩きこまれることになりました。王都の神殿での日々は、片田舎で甘やかされて育ってきた私にとって、世界がひっくり返ったかのような衝撃に満ちたものになったのです」
あからさまに嫌みを言われたこともあるし、他の者以上に扱き使われたりもした。
神官の話に、クリュは思わずため息をついている。
「それだって、あなたのせいじゃないのに」
「そうですね。でも、私がどう生きてきたかなんて、他人には関係のないことですから」
甘えた態度の新入りは、厳しく絞られて当たり前。
チュールは遠くを見つめたままそう話したが、一方で特別扱いをする者もいたのだと漏らしている。
「王都にも、私のことを女神の愛を受けて生まれた存在だと言う神官がいました。厳しく当たる者がいたせいで、庇ってやらねばと思わせてしまったのかもしれません」
「……難しいね」
「そうですね、サークリュード。人の心は複雑なものです。同じ人物が同じ場面に出くわしても、他人の振る舞い方が違えば、次にとる行動はきっと変わっていくでしょう」
今朝、ティーオはマティルデを連れて来た。
事情を知らずに、頼まれたからそうしただけだと思う。
あの時ギアノが来てくれなかったら、戸惑いつつも魔術師に手を貸していたかもしれない。
「私は王都の流水の神殿で揉め事の種になってしまいました。若い未熟な神官として厳しく接する者と、特別な存在として扱おうとする者が対立してしまったのです」
大々的にまっぷたつになったわけではない。
小さな集団が二つできて、長の目の届かないところでやり合っていただけだとチュールは言う。
けれど、当然気付かれる。小競り合い程度でも争いには違いなく、その他大勢から「厄介者」として扱われるようになってしまったと話し、項垂れている。
「それも、あなたのせいじゃないのに」
「ありがとう、サークリュード」
チュールは微笑み、クリュの手を強く握っている。
「自分がこのまま王都の神殿で仕え続けていくべきなのか、長い間悩みました。故郷に戻っても、私は家族の顔もろくにわからない。女神の使いとして育てた私が王都の神殿から戻されたらどう思われるか、考えたらどうしても、帰る気にはなれなかったのです」
そんな時に、迷宮都市の話を聞いた。
古代の魔術師が作った恐ろしい渦を抱くところで、王都で仕える流水の神官たちは派遣されるのを「恐れていた」という。
「なので、志願したのです。迷宮都市での仕事は大変だと言われましたが、その方が修行になるからと言って」
「どうして皆、恐れていたの」
「流水の神は戦いとは無縁だから、だと思います。迷宮探索は簡単に命の失われる恐ろしいもので、そんなところに付き合うのは流水の神官の仕事ではないと考える者が多かったのです」
流水の神殿はどの迷宮の入り口からも遠いところにある。
船の神殿もそうだが、街の南側にあるので探索初心者たちが向かうことは滅多にない。
確かに、探索に付き合ってくれるのはこの二つの神殿以外に仕えている人、という印象がある。
船の神殿は商売繁盛を願うところだと思っていると気付き、クリュはなるほどと一人で納得していた。
「それで、迷宮都市に来たんだ」
「そうです。神官の数は王都とはくらべものにならないほど少なく、ほっとしました。『女神の再来』なんておかしな呼び名をつけられたりしましたが、迷宮に行けばそんな声も聞こえなくなります。探索に行くととても自由になれた気がして、楽しいとさえ思っていました」
探索を楽しいと言う神官が存在していたとは。
クリュは驚き、チュールはまた、目を伏せている。
「逃げることになってしまって、本当に残念でした」
「もしかして、戻ってきたかったの?」
「ええ、サークリュード。何度も戻ろうと話したのですが、アークの反対にあってしまって」
アークはいちいち周囲に懸念を話し、的確に外堀を埋めてしまう。
チュールは今の共に暮らす仲間についてこう話し、ため息をついてみせた。
「私は大人しく、穏やかで、清らか、優しい……。女神の再来の名に相応しい神官でいなければならないのです」
「本当は違うの?」
「そうですよ。私は女性ではないし、望んで神官を目指したわけではありません。幼い頃からこうあって欲しいと周囲から強く願われて、そう振舞わざるを得なかっただけなんです」
そんな言葉遣いは駄目、危険な遊びはしてはいけない、あなたは特別な「女神の子」なんだから。
周囲に集う人々に刷り込まれて育ち、成長後はまた別な形で封じ込まれてしまったとチュールは語る。
「子供時代の終わりに、やたらと反抗したくなりませんでしたか? 大人に逆らい、悪いことをわざとしてやりたいと思った時期がありませんでしたか」
「ああ、うん。みんなあるよね。姉さんたちが父さんや母さんとやりあってたところは何度も見たし、友達もそういう感じになってたと思う」
チュール様にもあったの?
クリュの問いに、神官は頷いている。
「私が声を荒らげ、汚い言葉を使うと、皆心配して声をかけてくるんです。嫌なことがあったのか、誰かになにかされたのではないのか、疲れているのではないか、病気ではないかと」
寄り添われ、優しさで何重にも包まれ、いつもより良い食事や暖かい寝床を用意されてしまって、逆らい切れたことがない。
神官は肩をすくめて、そんな暮らしが今でも続いているとぼやいた。
「アークはこれを徹底してやってきます。彼は私が危険な目に遭わないよう、ありとあらゆる懸念を潰そうとするのです。周囲の人々にチュールが心配だと話して回り、私の様子を見て、必要ならば説得するよう頼んでしまう」
「あの、もしかして、迷惑してるの?」
「ふふ、そうです。本当は迷惑しています」
多分、ホーカ・ヒーカムよりもアークの方が手強いだろう。
チュールは笑っているが、クリュはどう受け止めたらいいのかわからない。
「アークもそうなのですが、結局、皆、私に『女神の使い』でいてほしいようなんです。理想とする流水の神官像があって、私にその通りでいてほしいと願っているのだと……。長い間、様々に悩みはあり、ずっと考えてきましたが、この願いに応えて生きるのが私に与えられた使命なのかもしれないと、今はそんな風に思っているんですよ」
「そんなの、嫌じゃないの?」
「……決して嫌ではないんですよ、サークリュード。ずっと神官として生きてきましたから。流水の神に仕える心は私の中にはっきりと存在していて、一番大切な柱になっているんです。今は故郷よりもずっと寂れた小さな町の神殿で、子供たちを預かっています。親から見放されたり、手の付けられない暴れん坊だと思われた子供たちを、道を外さないよう導いているんです」
とても尊い、大切な仕事だと思っている。
子供たちの未来は明るい方がいい、悪の道には進まない方がいいのだから。
チュールはそう話し、フォールードもとても良い子になったと微笑んでいる。
「あの子はとんでもない悪い子だと連れて来られましたが、ちっともそんなことはありませんでした。初めて会った日から毎日努力を重ねて、自分よりも小さい子の面倒を一生懸命みてくれて。私たちを慕って、よく話を聞いて、とうとう探索者になると言い出しました」
あの体の大きな戦士からは、なぜか睨みつけられてしまうのだが。
命の恩人だし、仲間思いなのは間違いない。でも、自分に対してはいつも妙な態度で、理由があるのなら知りたいとクリュは思う。
「ああ、ごめんなさい、サークリュード。長々と話してしまって」
「ううん。俺、フォールードからあなたに似てるって言われて、おんなじ悩みがあるんじゃないかって思ってたから。いつか話せたらいいなって思ってたんだ」
でも、二人の人生は随分違っていた。
似ているのは顔と、家族と似ておらず、距離があるという事情だけだ。
家族からのけものにされただけの自分と、神官として生きるべきだと家を出されたチュールと。
どちらがマシかと考え、そんな考えには意味がないと気付き、クリュはしゅんと俯いている。
「チュール様も自由に暮らせたらいいのにね」
「ふふ、そうですね」
「アークって人はどうにかできないの?」
「無理でしょうね。彼は世界で一番の私の信奉者でしょうから」
あっけにとられるクリュに、神官は微笑んで答えた。
「どうしてだかわかりませんが、出会った瞬間から今の今まで、彼はなんの疑いもなくそう信じているのです」
「そうなんだ……」
それは、見た目のせいなのだろうか。
女神の子と呼ばれるような容姿を持っているだけで、そんな扱いを受けなければいけないのか。
「後悔はいくつもありますが、過去は変えられるものではありません。今は子供たちの未来の為に、アークは共に力を尽くしてくれています」
「今」は決して悪いものではない。
そう話すと、チュールはクリュの両手をとり包み込んで、祈りを捧げ始めた。
胸のうちに渦まく不安や苦しみが、清らかな水で流されていくように。
新たな水が満たされ、未来を美しいものにしてくれるように。
指先から暖かいものが流れてきて、クリュは涙をぽろぽろとこぼしていた。
神官は若者の顔を覗き込み、どうしたのかと問いかけて来る。
「わからない」
悲しくも恐ろしくもないはずなのに、どうしてだか、止められなくて困ってしまう。
「俺、いっつもこうなんだ。すごく泣き虫で、嫌なんだけど」
神官の手が伸びてきて、涙が優しく拭き取られていった。
あふれ出す大粒の涙を吸い取り、優しく撫でられ、微笑んだ顔がよく見える。
「サークリュード、なにも恐れることはありません。君の心には既に炎があります。迷宮に足を踏み入れる勇気のある君は、心にいつでも勇気の火が灯っているんです。それは、流水の神であっても決して消せない、力強い命の力です。サークリュード、大抵のことは小さく、本当に恐ろしいことなんてそうありはしません。炎を強く燃え上がらせて、恐れず、自由に生きていきなさい。君にはそれができます。既にできているのだから、もう涙をこぼさなくていいのです」
小さく頷いたクリュに、チュールはなぜか眉を顰めている。
「ああ、サークリュード。今のは流水の神官らしからぬ言葉でしたね。私たちだけの秘密にしておいてくれませんか」
「あはは、うん。わかった」
「ありがとう。……問題が解決するまでは少し窮屈かもしれませんが、周囲の手を借りて、うまく躱していきましょう。永遠に続くものなどありません、必ず解決の時は来ます」
「そうだよね。確かに、ずっと続くことなんて、ないよね」
さすが女神の再来とまで呼ばれるだけあって、流水の神官の微笑んだ顔は美しかった。
それは日々の暮らしの中でよく見かける自分の顔とほとんど同じだが、嫌悪する気持ちは随分和らいだように思えた。
「チュール! 無事か!」
二人の静かな時間が、急に破られる。
大きな足音、勢いよく開かれた扉に続いて、男が飛び込んできてこう吠えたから。
「あの性悪、どこかに身を隠しているようだ。見つけられなかった、すまないチュール!」
「アーク、声が大きいですよ」
「また二人いる!」
「昨日紹介したでしょう。サークリュードですよ」
アークは頷いたものの、落ち着かない様子でクリュにちらちらと目を向けている。
その様子でフォールードを思い出し、なぜあんな視線を向けて来たのか、ようやくわかった気がしていた。
「チュール様、かわりはありませんか」
アークに続いてキーレイが姿を現し、クリュにも声をかけてくる。
涙の跡に気付いたのかそばにやって来て、怖い思いをさせてすまなかったと頭を下げていた。
「もう大丈夫。朝はびっくりしたけど」
「マティルデがやって来たそうだね。神殿で随分暴れたようで」
「どうなったんですか。誰か怪我とか、しなかったかな」
「椅子と机がいくつかひっくり返されただけだよ。皆で取り押さえようとしたけど、逃げられてしまってね。今、ホーカ・ヒーカムの屋敷を調べに行く準備をしているんだ。待たせてしまってすまない。君にも危険がないよう、できる限り手を貸そう」
必要ならば部屋を用意するとか、この屋敷ならば警備の者がいるから大丈夫とか。
手厚く保護してもらえれば安心なのだろうが、こんなにも親切にされたのは初めてで、逆に落ち着かない気分になっていた。
「ありがとう、神官長様。だけど俺、大丈夫なんだ。今はレテウスたちがいなくてちょっと心細いから、ギアノの世話になろうとは思うけど」
「遠慮しなくていいんだよ、クリュ」
「今朝はティーオが知らずにつれてきただけだと思うんだ。もうあんなことはないだろうし、お隣には神官たちがいっぱいいるから」
もう一度大丈夫かと確認されて、「女神の再来」の気持ちが少しだけわかったように思った。
クリュが隣で静かに佇む神官に目を向けると、チュールは小さく頷いてくれた。




