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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
45_A Conciliation Board 〈意識改革〉

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204 時々刻々

 ようやく帰り着いた樹木の神殿には、遅い時間にも関わらず大勢の神官たちが待ち受けていた。

 樹木の神官も勢ぞろいしているし、他の神殿からも人がやってきているようだ。


「申し訳ない、少し待ってください」


 ノーアンの手を借りながら、仮眠の為の部屋へと向かう。

 ニーロを寝かせたところで気付いたが、ロウランの姿はないようだ。


「ノーアン、すまなかったね、付き合わせてしまって」

「いいんです、このくらい」

「屋敷に来たのは、ロウランに頼まれて?」

「そうですね。調査団まで案内してほしいってことで、一緒に行って」


 その後もついてくるよう言われたのだろう。

 スカウトにしては珍しい人の好さに、キーレイは思わず笑ってしまう。


「探索のことは明日以降に決めよう」

「わかりました。キーレイさんも大変でしたよね、お疲れ様です」


 ノーアンは軽やかに去っていき、キーレイも仮眠室から出る。

 するとすぐさま何人かが駆け寄ってきて、騒ぎ始めた。


「リシュラ神官長。一体何があったのです」

「迷い道は解消されたのではなかったのですか」


 今日の儲けがどうこう、苦情が申し立てられていく。

 魔術師街の通り抜け問題について、前回は確かに対処を頼まれ、引き受け、解決した経緯があるけれど。

 出そうになったため息をなんとか飲み込んで、キーレイは客に落ち着くよう声をかけた。


「確かに今日、迷い道の現象が再び起きました。先程収まりはしましたが、原因ははっきりとしていません」

「はっきりしていないのに、どうやって止めさせたんですか」

「共に行った魔術師が対処してくれたのです。二度とあんな現象が起きないようにしたいところですが、完全な解決には時間がかかります」

「無責任ではありませんか、そんな」


 やいやいと責められて、キーレイはなんと返せばいいのかわからなくなっていた。

 原因については、おそらくはこう、とわかってはいる。

 けれど断言はできないし、自分ではどうにもできない。

 そもそも、対応については他の人間の意見も聞くべきで、勝手に一人でなにもかも決めるわけにはいかない。


「今日は急なことだったので、私が様子を見に行きましたが」

 言えることはこれだけしかない。

 仲間の魔術師に助けられ、なんとか辿り着いて、怪現象を解消できただけ。

「魔術の知識のない私ではどうにもできませんでした。事態を真に解決するには、協力者が必要なのです」

「でも」


 声を挙げた男は、なんと言おうとしたのだろう。

 項垂れていたキーレイが顔を挙げると、客の肩に手を置く神官ネイデンの姿が見えた。


「リシュラ神官長は街の人々の為に、解決しようと朝早くから動いて下さいました。我々が道に立ち、今は通り抜けができないと声をかけていたのも神官長の指示があったからです」

 それは善意でしかないのだと、ネイデンは静かに語っていく。

「迷い道に入り込んでいた者たちが、何人もこの神殿を訪れています。抜け出せなくて困っていたところにリシュラ神官長が来て声をかけてくれたのだと。今回の事態はいずれかの魔術師がしでかしたことであって、神官長が責を問われるものではありません」


 神殿の中に満ちていた熱が、急激に冷めていく。

 やって来た男らは商人なのだろうが、樹木の神官長に八つ当たりをするのは間違いだと思ってくれたようで、失礼しましたと言って去っていった。


「リシュラ神官長」

 その場に残ったのは神官だけで、いつの間にか目の前にレオミオラが立っていた。

 石の神官長の後ろには様々な神官衣が並んでおり、皆キーレイへまっすぐ目を向けている。

「朝早くから対応をして下さってありがとうございました。一体、なにがあったのですか」

 説明をする為に正式な場を持つべきだろうが、いきなり起きた異変が気になるのも当たり前のことだろう。

 彼らは今日、町中で人々の為に働いた神官に違いなく、最低限は話しておくべきだとキーレイは考える。

「今日の朝早い時間に迷い道の現象が起きて、気が付いた時には既に混乱が起きていました」

 たまたま仲間が迷いこんだから事態に気付けただけで、タイミングが少しでもズレていたら「白」の探索に出かけてしまっていただろう。

「たまたま共に魔術師が居て、今回の迷い道について意見をくれたのです。前回は徐々に複雑になっていったが、今回はそうではないと。危険なことが起きる可能性があると言われたので、協力を頼んで原因を探りに向かいました」

「そうだったのですね」

「原因になっているであろう場所に辿り着くにも、随分時間がかかりました」

「またホーカ・ヒーカムの仕業だったのですか?」


 ニーロに導かれて辿り着いたのは、結局ホーカ・ヒーカムの屋敷ではあった。

 しかし、ここで断言するのはまだ早いと思える。

 バジムの襲撃が関係しているかもしれないし、無人の屋敷でなにがどう行われたのかさっぱりわかっていないのだから。


「申し訳ありません。原因になってはいると思うのですが、本人にも、屋敷を取り仕切っているはずの男にも会えなかったのです。弟子はいたのですが、どちらもどこにいるのかわからないと言われて」

 レオミオラは困惑の表情を浮かべている。

「誰かが訪ねる必要はあると思います。ただ、我々だけで解決できる問題ではないでしょう」

「わかりました。ところで、無彩の魔術師殿はどうしたのですか。なにかされたのでしょうか」

「そういったことはないのです。体調がすぐれなかったようでして」


 当然、キーレイとしてもニーロの容態は気になって仕方がない。

 一人で行かせるわけにはいかないと言って、力を貸してくれたのに。

 あんな風に弱った姿を見たのは、初めてのことだった。


「リシュラ神官長、申し訳ありませんでした。随分お疲れのようなのに」

「え?」

「顔色が優れません。どうかお休みになってください。迷い道自体は解決できたのだと、他の神殿には私から知らせておきます」


 根本的なことについては未解決。石の神官長は理解してくれたようで、キーレイはほっと息をついていた。

「お任せしてよろしいですか」

「もちろんです。おひとりで行かせてしまって申し訳なく思います」

「いえ、私の方こそ勝手なことをしてしまって」

「なにを仰るのです。一日で解決できてなによりでした」

 レオミオラは振り返り、神官たちに指示を出している。

「神官長、お休みになって下さい」

 ネイデンに神官衣を脱ぐように言われ、頷いたところで、全身が一気に重たくなっていった。


 空腹だし、眠気がすごい。疲労感に押しつぶされそうで、足がよろけてしまう。


 キーレイは仮眠の部屋に戻って、ニーロの隣で身を横たえていた。

 魔術師の様子が気になってここへ来たはずが、おかしな一日だったと考える暇もないまま意識を失っていく。

 


 次の瞬間にはもう朝になっていた。

 目の前にはベッドの上に腰かけるニーロの姿があり、キーレイも慌てて身を起こしていく。


「ニーロ、良かった。目が覚めたんだな」

「なにがあったのですか、キーレイさん」

「ホーカの屋敷に入ったところで気分が悪いと言いだしたんだが、覚えているか?」

 無彩の魔術師はなにやら思案にくれているようで、狭い仮眠部屋の隅を見つめている。

「それで屋敷を出たんだ。ロウランとノーアンが来ていて、迷い道の対処はロウランがしてくれた」

「……そうでしたか。では、もう元通りになっているのですね」

「問題なく歩いて帰れたから、そうだと思う」


 ただ、ホーカ・ヒーカムには会えていないし、前回対応に出てきたヴィ・ジョンの姿も見ていない。

 神官長に背負われて帰って来たことまで聞いて、ニーロは小さな声でこう呟いた。

 

「迷惑をかけてしまいましたね」

「なにを言う。お前のお陰であそこに辿り着けたんだ」


 一日中歩き回って、昨日はろくに食事をしていない。そう気づいた瞬間、猛烈に喉の渇きを覚えて、キーレイは部屋を出た。

 朝早い時間のようで、神官の姿が見当たらない。

 思い立って隣の屋敷を訪ねてみると、ギアノはもう起きていて、キーレイに声をかけてくれた。


 食事と飲み物が欲しいという頼みに快く応じてくれたので、食堂へ向かう。

 珍しく二人で食事の時間を持って、食べ終わるとニーロは家に戻ると話した。


「では、送っていこう」

「心配いりません。一人で帰れます」

「そうは言うが、昨日は普通ではなかったし」


 なにもかもを仕切りなおさなければならない。

 神殿の当番を割り振らなければならないし、神官長たちの話し合いもあるだろうし、昨日の迷い道で出会った誰かが訪ねてくるかもしれないし。

 きっと忙しい一日になる。だったらその前に、散歩でもしておきたい。

 ささやかな逃避の時間を持ちたいと正直に打ち明けると、ニーロは珍しく微笑んでくれた。

 

 上着を探し出して身に纏い、神殿から出ようとしたところで飛び出してきた影があった。

 立ち止まる二人の前に現れたのは、ホーカ・ヒーカムの弟子、ベルジャン・エルソーで間違いない。


「リシュラ神官長、そして、無彩の魔術師ニーロ殿」

 青白い顔の若者は神殿の前でひれ伏し、地面に額をこすりつけている。

「昨日は大変な失礼をしてしまいまして」

「そんな真似をする必要はない、話があるのなら聞くから、立ちなさい」

 魔術師の弟子は言うことを聞かず、小さく丸まったままこう叫んだ。

「僕にはもうなにがなんだかわからない! 恐ろしくてたまらないんです、どうか、あの屋敷から救い出して下さい!」


 なんとか立たせてみたが、若者は助けてほしいと繰り返すだけで話が見えてこない。

 キーレイは我慢強く落ち着くように繰り返し、目を合わせてくれるのを待つ。


 しばらくすると、ようやくベルジャンの顔が見えた。

 最早真っ白と言った方が良さそうな程に生気がなく、目にいっぱいの涙を浮かべてしゃくりあげている。


「救いだして欲しいとは、どういう意味なのかな」

「……なにもわからないんです。変な奴らが来たのに、術師ホーカもヴィ・ジョンも姿を見せなくて」

「けれど、屋敷にはいるのでは?」

「探してもどこにもいないのです」


 呆然としたまま話す弟子に、キーレイは首を傾げている。

 ホーカ・ヒーカムと彼女が起こした事件については、神官長としても疑問は尽きない。


「ロウランやニーロ、それにクリュを連れていこうとしているのは何故なんだい」

「屋敷へ招くよう、言われたからです」

「ただ言われただけではないのでは?」


 急にニーロに切り込まれ、ベルジャンは唇をぎゅっと噛み締めていた。

 確かに、単純に招くよう頼まれただけならば、実力行使に出る必要などないだろう。

 断られましたで済まない事情が隠れているからに他ならず、キーレイもベルジャンをじっと見つめた。


「……そう誓いを立てたのです」

「三人を連れていくと?」

「いえ、ラフィ・ルーザ・サロなる神官か、サークリュード・ルシオのいずれかを必ず術師ホーカのもとへ連れていくと」

「何故?」


 神官長の視線に耐えられなくなったのか、ベルジャンは顔を汗でびっしょりと濡らして、こう答えた。


「授業料を免除してもらえると聞いて」


 あまりにも下らない理由に、キーレイは言葉を失っている。

 けれど隣に佇む魔術師は、更なる隠し事に気が付いたようだ。


「誰に聞いたのです」

「……マティルデ・イーデンが、それで弟子入りを許されたと話していたんです。探し人を必ず連れていくと誓ったから弟子入りも許されたし、屋敷に部屋を与えられた上、食事も出してもらえるんだと」


 疑問のうちのひとつが解消されて、キーレイは思わず息を吐きだしていた。

 マティルデが不運の末に魔術師の屋敷に辿り着いたと知っていたが、どうやって弟子入りしたのかはわからなかったから。


 ゲルカはなんらかの条件を出されたのではないかと心配していた。

 魔術師への誓いとなると、ただの約束とは違うのではないか――?


「君も誓いを?」

 弟子は力なく頷き、キーレイはニーロへ視線を向けた。

「魔術の師匠への誓いにはどんな意味がある? 強制力のようなものが働いたりするのかな」

「どうでしょう。彼はあまり重要視されていないようですし、離れてしまえば良いのではありませんか」

 ベルジャンは驚いた顔をして、口を開けたままニーロを見つめている。

「どういう意味です。無視しても平気ということですか」

「そう思います。あの屋敷には二度と近寄らない方がいいでしょうけれど」


 魔術師の弟子は少しの間ぼんやりとしていたが、急にローブを脱ぎだし、それを地面に叩きつけると一目散に走り去っていってしまった。

 神殿の前に不用品を残されてキーレイとしては文句を言いたいが、ベルジャンは驚く程の速さで道の向こうに消えていく。


「このローブになにか、特別な力などは」

「ありません。考え過ぎです」

「……そうか」


 では、処分しても問題はないのだろう。

 悩んだもののすぐに捨てるのも良くないような気がして、中にいた神官に声をかけ、保管しておくように頼む。


「行こうか、ニーロ」


 ベルジャンがどこへ向かったかわからないが、とりあえず不安からは解放されているだろう。

 魔術師としての道をどう進んでいくかなど、キーレイが心配する筋合いではない。

 だが、マティルデの安否はどうしても気になってしまう。


 屋敷にやって来た男と争っていたというが、今は何処にいるのだろう。

 男を恐れなくなり、強気に振舞うようになったようだが、それで腕っぷしが強くなったわけではない。

 指定された三人はまだ誰もホーカの屋敷へ招かれていないから、魔術の会得はできていないだろう。

 誰かと争いあった時に魔術を行使してはならないが、マティルデには戦う術はないわけで、今頃どうしているのか心配で仕方がなかった。

 劇場の支配人とやらに確認をした方がいいのかもしれないが、気が進まない。

 ただの食堂とは勝手が違うだろうから。劇場へ向かうなら、慣れていそうな人物を探して、同行を頼んだ方がいいだろう。

 

 しかし夜の店に通じた人物に心当たりはなく、キーレイは力なく道を進んでいた。

 すぐに売家街へ続く道に差し掛かり、黒い石を積んだ家も視界に入ってくる。


「おや」


 キーレイがそう呟いたのは、大柄な男が立っているのが見えたからだ。

 昨日散々見かけた用心棒とよく似た服を着ているようで、思わず隣を歩く魔術師を目を向ける。


「僕の家に用があるのでしょうか」

「……そのようだな」


 男は太い腕を振り上げ、ニーロの家の扉を叩いている。

 放っておけばウィルフレドが出てきて対応してくれそうなものだが、さすがに黙って見ているわけにはいかない。


 近付いてみると、大男の影に隠れるようにもう一人いるのがわかった。

 男に比べて随分小柄だし、線が細い。真っ赤な長い羽織には細やかな模様が刺繍されているから、女性なのだろう。


 何度もガンガンと鳴らされているのに、中から誰かが出てくる気配はない。

 朝早い時間で、二人とも留守にしているとは思えない。

 あれほど何度も扉を叩かれて、ウィルフレドがいつまでも気付かないはずがない。

 

 ロウランに出るなと言われているのかもしれない。

 キーレイはそう考えて、ニーロも関わり合いたくないのだろうなと思いながら隣の魔術師を見つめた。


 無彩の魔術師はいつでも冷静で、幼い頃から強い意思を持って生きている。

 大勢がそうニーロを評しているし、キーレイもそう思っている。

 

 十歳で迷宮都市にやって来てから最も付き合いが長いのは、カッカーとキーレイの二人だ。

 大魔術師ラーデンに預けられて以来、カッカーは父のようにニーロを守り、導いてきた。


 だがやって来たその日から身の回りの世話を任されたのは、キーレイの方だ。

 どんな話もすんなりと通じたが、ニーロはいわゆる「ごく普通の暮らし」を知らなかったから。

 屋敷での暮らし方を一から教えたし、必要な物は一緒に買いに行き、迷宮について問われては答えてきた。

 

 そんな相手は他にはいない。

 だからキーレイにだけは、困った時は甘えると決めているのかもしれない。


「久しぶりに見たな、その顔を」

「キーレイさん」


 出会いから七年経ち、最早頼りない不安げな少年の顔ではないのだが。

 けれど今、家の前で荒々しく扉を叩く二人組と対峙したくない気持ちはよくわかる。


「私も嫌な予感がしているんだが」

「お願いします」


 仕方なく進んでいくと、気配に気づいたのか女が振り返っていた。

 派手な化粧をしているし、着ている物も随分洒落ている。

 今までに目にしたことのない類の女性で、キーレイも少し身構えてしまう。

 

「なんだい、あんたらは。この家に用?」

 じっとりとした視線を向けて、女は気だるそうに声をあげている。

「ここは彼の家だ。君たちはどんな用があって来たのかな」

 女はキーレイの背後を覗き込み、隠れていたニーロの姿を確認したようだ。

「その頭……、灰色の髪って、有名な魔術師だっていう?」

 答える前に、女は鼻を鳴らして笑った。

「こんな子供だなんてね」

「君たちは何の用があってここへ?」

「ああ、ごめんね。あたしもなんでこんなことを引き受けなきゃならなかったのか、わからないんだけど」

 女はラジュと名乗り、街の西側に出来た劇場で歌っていると話した。

「こっちはザグ。女の一人歩きってほら、危ないだろう。朝とはいえ、この街は若い男ばっかりだっていうから、ついて来させたんだけど」


 真っ赤な唇を艶めかせ、ラジュは黒い肌の女を訪ねにやって来たと話した。

 劇場という言葉が出て来た時点で予想はついていたが、昨日出会ったバジムという男が絡んでいるのだろう。


「ロウランって女がここに出入りしてるって聞いたのさ。オーナーから伝言を頼まれててね」

「では、私が伝えておこう」

「はあ? あんたは黒い女とどんな関係なんだい」

 ラジュはじっとりとキーレイを見つめている。

「家主はそっちの坊やなんだろう?」

「そうだが、私も探索の仲間なんだ」

「そもそもあんたは誰なんだよ」


 品のない話し方に、心がげんなりとしてしまう。

 しかしキーレイは心を奮い立たせて、自らの名を明かした。


「樹木の神殿に仕えている、キーレイ・リシュラだ」

「……リシュラって、大きな店の、あのリシュラ?」

 ラジュの背後で男が呟くと、女の目の色は瞬時に変わった。

「あんたがキーレイ・リシュラ様? ああ、本当だ。腕についているのは神官長の証だよ……ですね!」


 先ほどのまでの態度が嘘のように、ラジュはにっこりと微笑み、キーレイの腕を撫でまわし、しなだれかかって来た。

「やめてください」

「そんなつれないことを言わないで。劇場から招待がいったでしょう? 初日と、次の日もお招きしたはずなのに、来てくださらなかったから……。本当に残念だったんですよ」


 真っ赤な上着がなぜだかはだけて、肌の露出が増えていく。

 細い肩を出したラジュはくねくねとキーレイに絡みつくようにして、歓迎するから劇場に来てほしいと訴えている。


「一度離れて」

「んもう、神官長様ったら、随分お固いんだねえ」


 こんな人種と相対したことはなく、むしろニーロがあしらった方が早いのではないかとキーレイは思う。

 後悔しつつも心の中で祈りを捧げ、背筋をぴんと伸ばしていく。


「ロウランへの伝言というのは?」

「劇場へはいつ来てくれるのか、確認したいって」


 なるべく早く来てほしいという追加のメッセージも聞かされる。

 ラジュはニーロには目もくれず、キーレイばかりをまっすぐに見つめており、逃げ出したくてたまらない。


「わかった、伝えておこう」

「ねえ、リシュラ神官長様、一緒にいらしてくださいな。ウベーザ劇場は歌と踊りの殿堂! 可愛らしい子が揃った一流の店なんですよ。神官長様には特別に、とびっきりの良い娘を用意させますから」


 一刻も早く解散したいところだが、心にふとよぎるものがあって、キーレイはラジュに問いかける。


「君はマティルデという少女のことを知っているかな」

 言った途端、ラジュはあからさまに視線を逸らした。

「誰のことでしょ。知らない名前ですけど」

「雲の神殿で預かっていた少女だ。彼女は夜中に神殿を抜け出して、君たちの劇場を覗いたらしい」

 そしてそのまま無理矢理働かされたと聞いている。

 キーレイの問いに、ラジュは口を尖らせ、知らないと繰り返している。

「従業員のことを知らない?」

「大勢いるからね。わからない娘だっているに決まってるでしょ」

「そうか。しかし私は、君たちの劇場の強引なやり方を耳にしている。勝手に入り込んだあの子も良くなかっただろうが、どれだけ事情を話しても聞いてもらえず、劇場から出してもらえなかったと」

「なあラジュ、あの新入りのことだろ、衣装のまま逃げた。あんなに騒ぎになったのに、もう忘れ」

「馬鹿、ザグ! あんたは本当にもう!」


 背後の大男のうっかりに、ラジュは怒って拳を繰り出している。

 大男にダメージはなく、何故怒られているかもわからないようだ。

 ラジュは足をだん、と鳴らして、今度はキーレイに向き直る。


「あたしらはあの子に親切にしてやったんだよ。神殿の世話になって、嫌になって逃げだしたんだろ。金を稼ぐ良い方法があるんだって教えてやっただけなんだよ」

「本人は断ったはずだ」

「ああもう、うるさい男だね!」


 先ほどまでの愛想はどこへやら、ラジュは目を吊り上げ、ますます声を荒らげていく。


「あの子は衣装を持ち逃げしたんだよ。こだわって作った、金のかかったものさ。あの子の扱いをどうこう言う前に、あの衣装を返せってんだ!」

「ラジュ」

「気安く呼ぶんじゃないよ、このでくのぼう! あんたの仲間だっていう黒い女をここに連れてきな! あの女のせいでオーナーはすっかり腑抜けちまった。余計な金を使うし、取り寄せたドレスも勝手に持っていっちまうし、昨日は営業できなかったし!」


 用心棒を何人も連れていったせいで、料理人が逃げていなくなってしまったらしい。

 踊り子と一緒に逃げたという叫びと共に胸を殴られて、キーレイはよろけて背後のニーロにぶつかってしまう。


「少し落ち着いて、暴力はいけない」

「なんだい、男のくせに腑抜けたこと言いやがって。もう、ロウランとかいう女のせいでなにもかも滅茶苦茶だ! ここに連れて来い、殴ってやらなきゃ気が済まない!」


 女のあまりの剣幕に、キーレイよりもザグの方が焦ったようだ。

 大男は何度も連れに呼びかけたが無視され、最後は強引に抱えて連れ去ってしまった。


 争いは済んだが、問題はなにひとつ解決していない。

 昨夜と同じ。情けない繰り返しに脱力していると、とうとうニーロの家の扉が開いた。


「すまんな、キーレイ。面倒に巻き込んでしまって」

「本当です」

「またあの女が来ては厄介だ。早く中へ」


 理不尽な気持ちのまま、ニーロと共に家の中へ入る。

 扉の向こうには申し訳なさそうな顔のウィルフレドがいて、二人に水を用意してくれた。


「昨日は大変だったようですね……」


 戦士の声は小さくなっていって、最後の方はほとんど聞こえない。

 キーレイは苦笑いをして、手助けへの感謝を伝えた。

 ウィルフレドは調査団に協力していて、夜になってから帰宅したらしい。


「根本的な解決はできなかったと聞きました」

「そうなのです。ホーカ・ヒーカムがどうしているのか、よくわからなくて」


 前に訪ねた時も、本人の姿は見られていない。

 そもそもホーカ本人に会ったことがないので、誰か出て来たところで本人なのかどうか、キーレイには判断できない。

 そんなことに気付いたが、今回の騒動の中心については後回しにするしかない。

 まずは簡単な用事から済ませるべく、キーレイはロウランに声をかけていく。


「ロウラン、バジムという男から伝言があるのですが」

 伝えずとも容易に想像がついたのだろう。ロウランはぷいっと視線を逸らしている。

「ふん。誰が行くか、馬鹿馬鹿しい」

「しかし、行かねばまた使いを寄越すかもしれません」

「構うものか」

「僕は構います」

 ニーロは鋭く言い放ったが、ロウランはまともに取り合う気はないようだ。

「ウィルフレドは、バジムという男に会ったのですか」

「はい。ギアノの食事に招かれた日に、キーレイ殿と別れた後に現れて、騒いだので」

「その時にホーカ・ヒーカムの屋敷を寄越すように言ったのですか」

 ウィルフレドはため息をついて、あんな話を真に受けるとは、と呟いていた。

「屋敷を渡したところで、彼の持ってきた服を着るだけと伝えていたのに」

「……服を着るだけ?」


 理解できないキーレイに、ウィルフレドは二人のやり取りを詳しく教えてくれた。

 確かに、本気で受け取るなんてどうかしていると思ってしまうような内容で、頭が痛くなっていく。


「昨日はバジムが部下を連れてホーカの屋敷を襲った。問題はその後で、追い返そうとして、結果迷い道になってしまったと考えたらいいのか」


 頼りにできるのは魔術師だけで、キーレイは二人へ順に目を向ける。

 ところがニーロもロウランもなにも言わない。

 考えてはいるようだが、答えを示してはくれないようだ。


「断言はできない?」

「調査できていないので」

 ニーロは屋敷に入るなり体調を悪化させていた。

 あの後は意識がなかったようなので、こんな返答も仕方がない。

「ロウランはどうですか」

「そうだな。……直接は関係ないと思う」

「あの襲撃とは無関係に起きたことだと?」

「そんな目で見るな、キーレイ。奴らがあそこへ行ったのは、確かに俺の軽口のせいだろうよ。別に誤魔化そうとなどしてはおらん」


 ラジュとの諍いで、気持ちが荒れているのかもしれない。

 キーレイはすみませんと呟き、心を整えていく。


「では、あの迷い道は何故起きたのでしょう」

「見られたくないからだ」

「見られたくない?」

 そういえばニーロも言っていた。屋敷へ向かう道中で、隠し事をしたいのではないかと。

「なんだと思われますか」

「そうだな……」


 青紫色の瞳が見えなくなっていく。

 ゆっくりと降りていった瞼に隠され、長い睫毛がくっきりと際立っている。


「言いにくいことなのですか?」

「いや、確実とは言えないだけだ」

「構いません。教えて頂けませんか」

「いいのか? 違うかもしれんぞ」


 確かに、間違いない、揺るぎない事実を知りたい。

 けれど、ホーカ・ヒーカムには秘密が多すぎる。

 これまでに問題として取り上げられたことは何度かあったが、本人に会えた者はいなかった。

 弟子たちは魔術を身につけているのだから、授業は行われていたとは思うが、カッカーもゲルカも門前払いされるばかりだと聞いているし、誰を向かわせてもまともに対応をしてもらえないままここまで来ている。


 注意にいけばとりあえず問題は収まっていったから、深く追求されることはなかったけれど。

 

「参考にするに留めますので」

「よほど扱いにくい相手のようだな」


 キーレイが頷く前に、美しい魔術師はにやりと唇を歪め、こう言い放った。


「そんな心配もすぐになくなるだろう。あの悪趣味な屋敷の主の命は、もう尽きようとしているからな」

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