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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
44_Break Free 〈完璧な計画〉

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208/244

200 野放図の末

 目指していた倉庫に辿り着き、オルヴェは辺りの様子を窺っている。


 夜も更けて、従業員の姿はない。

 アードウの店の倉庫には厳重に鍵がかけられているが、高いところに窓が並んでいる。

 これだけ高い位置にあれば侵入などできやしないと油断しているから、ほんのりと見えている隙間に気付いていない。

 オルヴェは壁にナイフを突き刺し、足場にして器用に壁を上っていき、入り口に辿り着いていた。

 少し揺らしただけで窓は開いて、器用に身をよじって中に入り込み、音を立てずに着地する。


 持ち込んだ小さなランプに火をつけて、周囲の様子を確認していった。

 昏睡薬の材料になる草は、業者には捨てられてしまう。

 大量に草が生えている群生地帯での採集の時に紛れ込み、仕分けの際にわけられ、廃棄されるはず。

 なのにどこを探しても目当ての草は見つからず、オルヴェは首を傾げていた。


 あまり長居しすぎるわけにはいかず、諦めて倉庫を後にし、ねぐらへと戻る。

 大きな薬草業者はみな街の南側に集まっているが、アードウの店だけは少し離れたところにあって、忍び込むのにうってつけだったのに。

 他の店の倉庫に入り込むには、協力者が必要になるだろう。

 南側は倉庫、店舗、寮がひとところに集まっているから、通行人の量も多い。

 近隣には商売人が多く住んでいるし、深夜であっても人通りがあるから。


 盗み出せないのなら、まともに採集に行った方が早い。

 廃棄対象にされている草を売る店はないし、調合に関しては協力者を見つけておいた方がいいのだから。

 オルヴェは次の日の予定を新規の業者探しにすると決めて、この日の活動は終わり。



 なにも命じられていないから、「今日の店」もなくなってしまった。

 毎日成果だの進捗だのを報告しなくていいのは助かるが、次にジマシュに会うにはなんとか探し出す以外に方法がない。

 いや、必要となればきっと、あちらから探し出して来るだろう。

 オルヴェは気にしないと決めて、街の南側を歩き始めていた。


 昨日の間に、新しく薬草業を始めたであろう連中を見つけていた。

 大手の業者からは少し離れた小さな小屋に集まって、籠を運び込んでいた。

 路地に入り込み記憶の場所を探すと、記憶通りの場所に三人の男の姿があった。


「ん、なんだお前」


 急に現れたオルヴェにすぐに気付いて、男のうちの一人が声を上げる。

 残りの二人も視線を向けてきて、怪しまれないよう微笑みを用意し、手を挙げて答えた。


「新しく薬草の仕事を始めるんじゃないかなと思ってさ」


 男たちはオルヴェの姿をじろじろと眺めて、顔を見合わせている。


「俺はオイデ・スロッド。以前にも採集の仕事をしたことはある。前に一緒に働いていた奴に誘われて手伝っていたんだけど、うまくいかなかったらしくて、いなくなっちゃっててさ」

「へえ、そいつは気の毒にな。でも、よくある話だよ。新規で始めるにはそれなりの準備が必要だから」


 オルヴェは頷き、そうだろうねと答えていく。


「それで、どうしてこんな路地裏を覗きに来た? 大手の店の方が安定して働けるだろう」

 また別な男に問いかけられて、答えを探す。

「確かにね。寮もあるし、食事の心配だってないんだろうけど……、俺はあんまり大勢で暮らすのは好きじゃないんだ」

 大勢集まれば、我慢することも増えちまうだろう?

 オルヴェの呟きを聞いて、男たちは笑みを浮かべている。

「その通りだよ。決まりだのなんだの、面倒だよな。偉そうにする奴がいると最悪だ」

「はは、まったくだよ。以前働いた店は本当に散々でさ、ああいうのはもうごめんなんだ。少しくらい苦労はあっても、気楽な方がいい。さっきも言ったけど、採集の仕事はしたことがあるんだ。基本的なものなら調合もできる。少しだけど教えてもらったからさ」

「へえ、そいつはいい」

「探索の連中が使うようなものならできる。質には問題がなかったよ。ちゃんと売れたし、ケチをつけられることもなかった」


 人当たりの良い人間を演じていた甲斐があって、以前の潜入先で簡単な調合は教えてもらうことができた。

 基本の傷薬と解毒薬程度だが、自信たっぷりに答えたオルヴェに、男たちの態度には明らかに変化が見える。


「俺たちは確かに、新しく店を作ろうと考えているよ。採集もできるんだよな?」


 食いついて来た男に、周波数を合わせていく。

 有能だが軽やかに。下手に出て、いいように扱えると思わせてやる。

 彼らが欲しいのは、迷惑をかけず、話が早く、それでいて自分たちよりも上に立とうとしない者だから。


「ああ。『緑』には何度も行った。基本的なことはわかってる」

「急いで材料を集めたいんだ。すぐに行けるか?」

「いいのか」

 前のめりに答えたオルヴェに男たちは大きな声を出して笑い、最初に声をかけて来た一人がとうとう名乗った。

「俺はタリアン。こっちがジルベスで」

「デリックだ。もう一人、ゾイってのがいる」

 四人の名をわざわざ口に出して復唱し、大きく頷いてからオルヴェは答えた。

「四人でやっているんだな」

「ああ。皆それぞれ他の業者で働いた経験がある。ゾイは調合が得意なんだ」

「調合ができる人間がいるなんて、すごいな」

「だろう。アードウやリシュラみたいな大きな商店にするつもりだ」


 そしていつか、従業員を扱き使える立場になって大儲けする予定なのだろう。

 羨望の眼差しを作って、向けて、オルヴェは差し出された手を両手で強く握った。


「まずは試させてくれ。この後採集に行くんだが、来れるよな?」


 そこにゾイらしき男が戻って来て、来客に気付き、足を止めた。

 警戒心に満ちた視線でオルヴェを見つめており、ジルベスと呼ばれた男がひそひそとなにか囁いている。


 見かけた時にも感じていた。

 路地裏に集う四人の男たちの抱える「後ろ暗さ」を。

 揃いも揃って目をギラギラとさせていて、穏やかさとは程遠い。

 独立して自分の店を作るためには、地道な経験が欠かせない。

 四人はまだ若く、なにかの達人などではないだろう。

 大手の業者で働いたのは、手っ取り早く技術を盗むためだ。

 以前入り込んだ店の連中もそうだった。大体のやり方がわかればそれで出来るようになると勘違いして、レシピをこっそりと書き写し、自分たちの店を作ろうとしていた。


 タリアンたちから、同じ臭いを感じている。

 オイデの言う「より深く嵌る」類の人間だ。

 この程度の連中なら、立場が逆転する日はそう遠くないだろう。


 材料を集め、可能ならゾイに調合をやらせる。

 薬が出来たら、この四人で試してみてもいい。

 この程度の連中なら、また他にすぐに見つかるだろうから。

 彼らがぴくりとも動けなくなれば成功だし、効き目がなければやり方を変えてまた試せばいい。


 まずはある程度の信頼を得なければならず、オルヴェはにこやかに振舞っていった。

 冗談には笑い、街で聞いた噂話を持ち掛け、打ち解けていく。

 ゾイ以外は結構なお調子者揃いで、新入りをあっさりと受け入れてくれた。


 初日の探索はそう長いものにはならず、夕暮れ前に入って、すぐに地上へ戻っていた。

 真剣にやるつもりがなかったのか、新入りを試す為に本気を出さなかったのか。

 どちらかはわからないが、基本的な薬を作る為の材料はいくつか集まっている。

 タリアンたちはオルヴェを気に入ったようで、自分たちの使っている古い宿を教え、ここで暮らすように言った。


 街の南西、荒野に出る直前のぎりぎりの場所に、その宿はあった。


「この辺りに宿なんかないと思っていたよ」

「そうだろう? 俺たちもここが宿だと聞いて驚いたからな」

 外観に宿屋らしさはないし、食事も出ないという。

 宿としての名称すらないのは、打ち捨てられた建物を勝手に使っているからなのではないかと思えた。

「ろくでもない店だが、寝泊まりする分には不自由はない。儲けが出てきたら店をどこかに構えて、今使っているところで暮らせるようにしようと思っている」

「そうなのか。なるほど、いい案だな」


 昼間使っているボロ小屋は、今は倉庫であり、加工場として使っている。

 最初のうちはどこかで露店でも出すつもりなのだろう。

 新しく商売を始めるなら、そんなやり方をしていくしかない。妥当なやり方に大袈裟に感心して、前向きな姿勢を示していく。

 

 遅い夕食を五人でとって、明日の予定を話し合い。

 気の良い見込みのある新人を装い、オルヴェは名もない宿の狭い部屋に落ち着き、ベッドに倒れ込んでいた。

 ボロ宿はタリアンたちしか客がいないようで、四人部屋を二人ずつで使っているらしい。

 埃臭い部屋だが、一人で使えるのはありがたく、オルヴェは靴を放り出し、目いっぱい体を伸ばしている。

 

 明日も採集へ向かう。

 今日も行った「緑」で、さりげなく必要な物を採集し、持ち帰る。

 ゾイは無口で把握しきれていないが、他の三人の人となりは大体わかった。

 一番前にしゃしゃり出てくるのはタリアンだが、実際のリーダーはジルベスで、デリックはこの二人と自分が同格だと勘違いしている下っ端。

 三人は迷宮の中でも軽口を叩いていたので、会話の合間に少しずつ、仕込んでいけるだろう。


 信頼の根を植え付けながら、ゆっくりと分断していく。

 それぞれの味方になり、ひとりひとりの上に立ち、支配を固めていく。


 どこかでジマシュにあって、彼のやり方をもっと見ておきたかった。

 あの女のスカウトになにを話していたのかわかれば、大きなヒントになったはずなのに。

 オルヴェは記憶を探っているが、どうやって警戒を解いたのか、決め手がわからなかった。

 ヌエルの名を出したのはわかっているが、それ以上は聞こえなかったし、見えなかったから。

 

 なんの成果もなしに会いに行っても、たいした会話はできないだろう。

 話す価値があると思ってもらう為に、有効な手土産を用意しなければならない。


 だから次の日は早く起きて、オルヴェは計画をまとめた。

 採集するべき草についてまとめ、朝食の間にゾイに声をかけてレシピの話をし、探索の支度も率先して済ませていった。


 「気の利く」新入りに、タリアンたちはすっかり機嫌を良くしていた。

 まるで長い付き合いがあったかのように気安く話しかけ、笑顔を見せている。

 オルヴェはそれにひとつひとつ丁寧に反応し、三人の心をくすぐっていった。

 午前中は準備に費やし、昼食をとったら「緑」に向かい、様子を窺う。

 この日は珍しく大手の業者の姿はなく、五人は顔を見合わせていた。


「珍しいな、どこの連中もいないなんて」

 オルヴェの呟きに、ジルベスが笑う。

「深いところに採りに行ったのかもしれないな。それでまだ戻っていないとか、休みを取っているとか、そういう可能性もある」

「なるほど。高価な物は深い層にあるって聞いたことがあるよ」

「十八層より下には滅多に行かないらしいがね」

「何日かかるんだ、そんなに深いところに行くなんて」

「三日か四日か、場合によっちゃ五日かかるかもな」


 目を見開き、驚いた顔を作り、タリアンも笑わせてやる。


「そういうのはもっと慣れてからだな」


 小さく笑いながら、五人は梯子を下りていく。

 誰もいない「緑」の入り口の前に辿り着き、扉を開いて、足を踏み入れる。


 蔦は踏まない、花には触れない。

 タリアンとジルベスは戦いの心得があり、鼠や兎程度ならすぐに倒せる。

 ゾイは体力がないので、消耗させないよう気を付ける。


 この五人のルールはこんな程度で、確認する必要もないようだ。

 昨日は後ろをついて歩いていたオルヴェだったが、タリアンに招かれ、デリックと入れ替わりジルベスと並んでいた。


「剣は使えるんだよな?」

「少しだけど」

「謙遜するなよ。デリックよりもやれるんだろう?」


 薬草業者は魔法生物とは戦わないもの。

 大手の連中はそう話すが、新規はそうはいかない。

 敵を退ける為の薬など用意できるはずがなく、最初のうちは剣を振るい、倒していかねばならない。


 実際、戦いはそう得意ではない。

 けれどオイデに鍛えられたので、犬程度までなら負けることはないだろう。

 兄は鬱陶しい男で、弟は自分が導かねばならないものだと信じていた。

 手取り足取り、ナイフの使い方を仕込まれた日々を思い出す。

 舌打ちしたくなるほどの嫌な思い出だが、役に立ってはいるので、思い出すだけに留め、オルヴェは迷宮の中を進んでいった。


「なあオイデ、お前は業者たちが恐れる『少女』ってのを知っているか?」


 まだ二層目の途中で、魔法生物は姿を見せない。

 だから油断しきったままでも問題なく、タリアンはぺらぺらとよく喋った。


「ああ、なんだか聞いた覚えがあるような」

「草の生えた迷宮だけで出てくる、見てはならないって奴だ。急に可愛い女が現れるが、近寄るととんでもない目に遭うんだとか」


 業者たちが畏れる「あれ」について語るには、随分と言葉が軽いように思える。

 けれどオルヴェは感心した顔でふむふむと頷き、タリアンの心をくすぐっていく。


「ジルベスの従兄はそれにやられたんだよな?」

「えっ?」

「ああ、そうなんだ。一緒に迷宮都市に来てさ、従兄のルダーブは業者で働いてたんだが」

「どうなったんだ?」


 ジルベスは忌々しげに顔を歪めて、従兄は死んだと話した。

 迷宮に現れた「少女」にしてやられ、地上に戻ることはなかったんだと。


「それは気の毒にな」

 ジルベスは小声で礼を言うと、ふいににやりと笑ってみせた。

「仇は討ったんだぜ」


 オルヴェは「少女」について詳しくは知らない。

 そう呼ばれるものが迷宮に潜んでいて、出会ってはならぬと囁かれている程度の話しか知らない。


「随分前だが、『(ここ)』に来た時に会ったんだ。女がいたんだよ、ぽつんと一人で、通路の先にいたのが見えた」

「それが、例の少女ってやつなのか。……倒したのか?」

「ああ、やってやった。ルダーブを殺したお返しに、殴り倒してやった! 業者どもがどうして恐れているのかわからないくらい弱くて、拍子抜けしちまったよ」


 共にいた仲間とぼこぼこにしてやった、とジルベスは鼻息荒く語った。

 悲鳴をあげて逃げようとするばかりだったし、何度か殴っただけですぐに動かなくなったのだと。


「可愛い顔をしていてよ、魔法生物じゃなかったら良かったのにって思ったね」


 ジルベスの話にデリックは笑っているが、本物の女だったのではないか。

 確かに迷宮の中に一人でぽつんと立っているなんて奇妙だが、深い層にも手練れを揃えて派遣する業者たちが恐れるような存在が、そんなに簡単に倒せるとは思えない。

 オルヴェはそう思ったが、感心するだけに留めて話を流していく。


 軽口を叩きながら進んで、三層目。

 薬草探しを本格的に始めて、必要なものを見つけ出し、採集していった。

 どこで用立てたのかわからないが、五人が背負う籠は古びていて、使い込んだもののように思えた。

 しかし、気にしていても仕方がない。草を摘んで、籠へ放り投げ、大量に詰めこんで地上へ戻らなければならないのだから。


 昏睡薬を作るのに必要な毒草を探しながら、オルヴェは採集の五人組として歩いていく。

 途中で何度か戦いが起き、地上のものよりも大きな鼠を屠り、進んでいった。


「よし、繋ぎの草を持ち帰ろう」


 たどり着いたのは迷宮の中だというのに、草がぼうぼうと生えた広場のような場所だった。

 以前業者に潜り込んでいた時には、来る機会がなかった。

 初めてみる光景だが、ただ通路が広くなっただけでしかない。


 こんな風に大きく開けたところがあるのは、「緑」と「紫」だけなのではと言われている。

 街の語り部たちによれば、最下層も広いらしい。大きな体の魔竜が出てくるらしいから、広くなければ困るのだろう。


「口に布を巻いておけ。渡してあるよな?」


 支度の時に、籠と共に口を覆う為の布を渡されていた。

 草が多く生えているところで使うよう言われており、素直に顔の周りに巻いていく。


 道中で話題に上がった「少女」とやらは、群生地帯で特に気を付けるべきと聞いていた気がする。

 オルヴェが入りこんだ薬草業の連中は大した経験もなかったようなので、あまり詳しくは聞けていないが、そんな風に話していたように思う。


 群生地帯は広いが、解放感とは程遠い。

 結局は迷宮の中、天井で蓋をされているのだから、当たり前なのだが。

 

 小さく息を吐き、草の採集を進めていく。

 繋ぎの草の中には、目当ての毒草が時々混じっているはずだ。

 紛れ込ませるには絶好の機会なので、見つけておきたいとオルヴェは考え、目を凝らした。

 繋ぎの草はどっさり生えているので、作業で手間取ることはない。

 だからなのか、タリアンたちはずっと軽口を叩き続けていた。

 手を切らないようにという注意の後は、今日の夕食をどうするかから始まり、娼館へ行きたい、最近噂の劇場に入ってみたいと話題が移り変わっていった。


 それゆえに、下を向いて作業をしていても、異変に気付くことが出来た。

 

「デリック、どうした」


 タリアンが声をあげ、ジルベスも仲間の名を呼んだ。

 呼び声はすぐに緊迫感に満ちていき、オルヴェも立ち上がる。


 デリックは立ち上がり、体をふらふらと揺らしながら歩いていた。

 オルヴェには背を向けており、顔は見えない。

 

「デリック!」


 後ろ姿の向こうになにかがいる。


 オルヴェからは遮られているが、ジルベスたちには見えたのだろう。

 二人は剣を抜き、デリックの向こう側へ吠えるような声を上げている。


 ゆっくりと、視界が歪んでいった。

 意味のない大きな音が、ぐわんぐわんと揺れている。

 後ろを向いたままのデリックが急に体を強張らせ、のけ反って。

 仲間の元に辿り着いたタリアンとジルベスは揃って血を噴き出し、周囲を赤く染めていく。


 急に音がなくなってしまった。

 耳が痛くなるほど、なんの音もしない。

 共にやって来た三人の体は震え、血をまき散らしながら、床の上に落ちたはずなのに。

 たくさん草が生えているから、ふわりと受け止めて音を消したのかもしれない。

 こんな思考に頭が圧迫されて、オルヴェは震えていた。

 考えたいことが頭からすべて逃げていき、見えている景色から目を離せなくなっている。

 

 三人の男の血をたっぷりと浴びた、赤い女が立っていた。

 美しい剣を胸に抱き、オルヴェへ虚ろな目を向けて、立ち尽くしている。


「死んだはずだろ」


 声は出したのに、音にならない。

 なんの表情もなく、赤く染まっているだけなのに。

 チェニー・ダングは剣を抱いたまま、オルヴェをまっすぐに見つめている。

 空洞のような色のない瞳なのに、視線が深く深く突き刺さって、抜けそうにない。


「王都で、死んだんだろう、お前は」


 体の震えが止まらない。

 腰の短剣を抜いたが、掴んでいられなくて、放り出してしまった。

 拾わなければ。拾って戦わなければ。

 亡霊など存在しない。チェニー・ダングは無力なまま、やせ細った哀れな姿で命を落とした。


「お前を恐れると思ったか」


 追い払いたいのに、声にならない。

 どうして動けないのかわからず、少しずつ心に混乱が忍び込んでくる。

 このままではまずい。チェニー・ダングはゆっくりと、こちらに近付いてきているようだから。


 憎たらしい何人かの顔を思い出し、オルヴェは歯を食いしばった。

 それでようやく首が動き、体もぐるりと向きを変えられた。

 亡霊から逸らした視線の先には、薬草の海で蹲っているゾイの姿があり、オルヴェは手を伸ばして臆病者の服を掴むと、女に向けて思い切り突き出してやった。


 悲鳴が聞こえる。


 ゾイの声を、ようやくまともに聞けたと思う。

 逃避のような考えで頭をいっぱいにしながら、オルヴェは走っていった。

 罠があろうが、敵が出ようがお構いなしに走って、彷徨いながらも階段を見つけ出し、駆け上っていく。


 時間の感覚ももうない。

 探索者らしき集団とすれ違い、声をかけられたような気もする。

 飛び出して来た矢が掠めて、足を怪我していた。

 痛いが、気にならない。逃げなければならないから。

 考えがまとまらない。亡霊は本当にいた。チェニー・ダングはもういないのに。どこかで墓でも作られて、今でも叶わない恋に溺れているはずなのに。


 はっと気付いた。

 唐突に意識がはっきりとして、オルヴェは自分が地上に戻ったことを理解していた。

 朦朧としているような気もするが、はっきりと見えている。

 声をかけられたように思うが、答えが思いつかない。なにを問われたかわからないのだから、梯子を上るしかない。

 

 穴から這い出たところで、共に歩いていた四人が失われたことを悟った。


「なんだったんだ……?」


 少女と出会ってなどいないのに。

 群生地帯で業者たちを襲うもの。

 戦うべきではない、不吉な存在。


 神官たちが神の膝元へ送ろうと探し回っている、血に塗れた女の亡霊。


 嫌なものが頭にこびりついて離れない。

 不快感を塗りたくられたような気分だった。

 計画はすべて無に帰され、また一から出直しだ。

 それだけはなんとかわかる。腹立たしくてたまらない。

 奴らは嘘をついた。適当な話ばかりしていた。他人の忠告にまともに耳を貸さないから、あんなことになった。


 オイデから繰り返し繰り返し言われ続けた、小言の数々。

 どんな話も胸に置け。馬鹿の話でも、重要な意味を持つことがあるんだからな。


 まったくの正論で、苛つきが収まらない。

 わかっている、そんなことは。だからジルベスたちは死んだ。倒したという少女も、ただの通りかかりだったに違いない。馬鹿は他人の言葉を軽んじる。そもそも、まともに聞いてすらいない。だからあんな風に、あっけなく、無力に死んでいく。自分は決してああはならない。


 ふらふらと歩いて、いつの間にか街の南側に辿り着いていた。

 薬草業者が多く並んでいる通りで、こんなところに用はないのに。


 自分の振る舞いの間抜けさに腹を立てながら、引き返そうとオルヴェは決める。

 名のない宿に戻って、荷物を回収しなければならない。

 四人とも死んだから、彼らの分ももらってしまえばいいだろう。


 息を整えようと、呼吸を繰り返していく。

 ようやく気が付いたが、大勢人がいる。周囲は明るく、きっと昼に近い時間なのだろう。

 店を訪れる客もいるし、働いている者も行き来している。

 彼らに不自然に思われないようにしなければならない。

 道を引き返すにしても、不審に思われないようにしておくべきだった。


 そう考えられたのは、自分自身の思考がまともに戻ったからだ。

 オルヴェは安堵して立ち止まり、ゆっくりと周辺に目を走らせていった。

 道を間違えたように装い、戻ればいいだろう。

 そうしようと決めた瞬間、視線の先に見えた。


 ひょろりとして頼りない、長身の男。

 誰かと会話をしながら、店と店の間に消えていく。


 目にしたのはほんの一瞬だが、間違いない。

 あんなに細長い、折れそうな長身の男は珍しいから。

 瞳は見えなかったが、髪の色は同じだ。

 鍛冶の神官。一度はジマシュのもとに戻され、いつの間にか姿を消していた、デルフィ・カージンを見つけ出せた。


 後を追うか、日を改めるべきか。

 考えたのは一瞬で、結論はすぐに出ている。

 今の状態で焦っていいことなどない。

 そう考えられたのは、迷宮で起きた異変から抜け出せたからのはずなのに。


「君、少しいいか」


 オルヴェの右肩に、誰かの手が乗せられていた。

 振り返って目に入ったのは、王都の調査団の制服だった。


「スウェン・クルーグだな」


 眼光の鋭い男の名を、オルヴェは知らない。

 けれどわかった。決して似てはいないが、目の前の男がチェニー・ダングの兄なのだと。


「いや、違う……」

「ポンパ・オーエンの屋敷を覗いていただろう」

「なんだって?」

「扉や窓を開けようとしていたな」

「誰だよ、ポンパって」

「彼の仲間を訪ねたのもわかっている」


 調査団の男はオルヴェの腕を掴み、話を聞かせてもらうとだけ告げた。

 断りの言葉は無視され、引きずられるように道を歩かされ、馬車に乗せられてしまう。

 

 狭い馬車の中には調査団の制服を着た人間が三人もいて、逃げられそうにない。

 どうしたらいいのか、頭を全速力で動かしていくが、最も良い結論は出せなかった。

 馬車はすぐに止まって、下ろされ、建物の中へ連れていかれてしまう。

 腕を掴む力が強い。そう苦情を言っても対応はされず、オルヴェは広い部屋へと連れ込まれていた。



 部屋には椅子が何脚か置かれている。

 一脚だけが奥の離れたところにぽつんと置かれていて、そこに座るように言われるのかと思っていたが、違っていた。


「そこに座って」

 

 並んだ椅子のうちのひとつを指さされ、オルヴェは唸る。


「なんの用なんだよ」

「話を聞かせてもらう、スウェン・クルーグ」

「俺はそんな名前じゃない」

「では、オイデ・スロッドと呼べばいいかな」


 それも自分の名ではないが、オルヴェは焦っていた。

 ずっと見張られていたのだと理解できたから。


「違う」

「そうか。わかった、では座ってくれ」


 調査団の男は鋭い瞳でオルヴェをまっすぐに見据えたまま、ヘイリー・ダングと名乗った。


 やはり、あの女の兄だった。オルヴェの考えは当たっていたけれど。

 哀れな女に相応しい、愚かで哀れな男のはずなのに。

 瞳の中に炎を燃やし、その光で容赦なく照らして、オルヴェの正体を明かそうとしている。


「椅子に座れ。……手荒な真似はしたくない」


 ヘイリーの声が響いたと同時、ゆらりと影が現れる。

 タリアンたちの血に染まった女は兄に寄り添うように立って、オルヴェを見つめていた。


「ダング調査官、お待たせしました」


 扉が開き、男が入って来る。

 調査団の制服姿ではない、ただの下働きのように見える。

 オルヴェは無意識のうちに腰に手をやり、隠していた小さなナイフを握った。

 

 考えるよりも前に体が動き出し、下働きの男に飛びつく。

 背後を取り、腕を回して、首元にナイフを突きつけてやる。


「ガラン!」

「そこの扉を開けろ」


 ヘイリーの目はますます鋭さを増しているが、動きはしなかった。


「ガランを離せ」

「だったらすぐに、その扉を開けるんだ!」


 オルヴェが怒鳴ると、人質に取られた男も負けじと叫んだ。


「ダング調査官、私のことなどいいのです! この男を」

「黙れ!」


 ガランと呼ばれた男が叫んだせいで、ナイフの先が当たってしまう。

 血しぶきが舞って、ヘイリーは「やめろ」と叫んだ。


 これできっと、扉が開かれる。あの亡霊からも逃れられる。

 次に考えるべきは、調査団から出た後どうすべきか。


 抜け目なく頭を働かせ、ぬかりなく実行していく。

 自分は負けない。胸のうちに秘めた野望はすべて果たしていくのだから。

 そう思っていたというのに。


 突然鋭い痛みが走って、オルヴェはナイフを取り落としていた。

 ナイフを持っていた腕になにかが刺さったから。

 いや、腕だけではない。肩や首にも、いくつもなにかが刺さって、激しい痛みにもう耐えられない。


 内に食い込んだ冷たいものと引き換えに、体中から熱が噴き出し、逃げていく。


 ゆっくりと崩れ落ちながら、突然現れたものにも気付いていた。

 部屋の隅に置かれていた椅子に座る包帯まみれの男と、その隣に立つつるっぱげの痩せた魔術師に。


「お前……」


 あの目立つ髪はなくなっていたが、ポンパ・オーエンで間違いない。

 怒りが湧き上がってくるが、力にはならないようで、無様に床に倒れ込んでいく。


「ガラン、大丈夫か!」

 ヘイリーが駆け寄って来て、オルヴェの隣に倒れた男に呼び掛けていた。

「ああ、すまない、ガラン殿! わざとではない。ちゃんと狙ったのだ、当たってしまうなんて……」

「ロッシ、来てくれ!」


 足音が聞こえてくる。

 下働きの男の声も聞こえたし、団員もすぐに駆け付けたようだ。


 オルヴェは抱きかかえられ、椅子に座った男の前に引きずられていった。

 包帯が巻かれているし、視界が霞んできて、顔は見えない。


「この男を知っているか」


 ヘイリー・ダングは誰にそう尋ねたのだろう。

 オルヴェに答えはない。そこに座っている男が誰なのか、わからないから。


「知っているなら教えてくれ」


 包帯の男も答えない。

 生きているのかどうかも怪しいほど、動かない。


「……この男がマージを殺した犯人だとしても、話す気はないか?」


 この言葉でやっと、包帯の男が生きているとわかった。

 瞳が大きく見開かれたのが見えたから。

 

 それでようやく、オルヴェも男が誰なのか気付いていた。


「ヌエル」


 思わず口走って、後悔に飲まれていく。


 聞こえていなければいい。

 こんな死にぞこないの声など、まともに聞こえないに決まっている。

 

 どうか、聞こえていませんように。



 この願いが叶ったかどうか――。

 ただ闇に飲まれていくばかりのオルヴェには、知る由もなかった。

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