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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
  X16_On your side

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197 出会いの運命(上)

 焼き上がった菓子を箱に並べて、最後に数を確認していく。

 すべて丁寧に平らに置いて、ふわりと漂って来た香りに微笑んで。

 準備が終わり、アデルミラは厨房から出ると、廊下の向こうにいたアグランたちに声をかけた。


「場所は」

「大丈夫。もう四回目だから」

「うふふ、そうでしたね。では、お願いします」


 ティーオの店への配達を頼み、探索初心者たちを送り出す。

 厨房の片づけをして、食堂の掃除をしたら、午後のお茶の為の支度を進めていこう。

 この後の予定について考えながら、アデルミラは廊下を戻っていく。


 頼りになる管理人の姿は、今はない。

 今日はカッカーが朝からやって来て、隣の神殿で話をしているから。

 ニーロも姿を見せたから、同席しているのだろうと思う。

 少し前にやって来た屋敷の利用者、ダイン・カンテークについて報告をしなければならないから。

 態度の良くない、周囲とぶつかってばかりの若者の姿は、記憶の中にはっきりと残っている。

 まるで下女のような扱いをされて、快く思えはしなかったけれど。


 厨房に戻り、道具をひとつずつしまいながら、アデルミラは考える。


 ギアノの様子からして、普通では考えられないことがダインの身に起きたのだろう。

 わざわざ迷宮に足を踏み入れ、いくつかの死と遭遇したようだった。

 些細なことならなんでも話してくれるけれど、ダインについてギアノはなにも語らない。

 話してほしいと思っていたが、口に出すことすら辛いのかもしれず、アデルミラは厨房の隅で手を組むと、雲の神に祈りを捧げた。

 

 既に勇気も知恵もある人だと知っているけれど、それでも力づけたいと願っている。

 ギアノの優しい横顔を脳裏に描いて、そっと背中に触れ、心を寄せていく。


「おーい、どなたかー」


 ふいに玄関の方から声がして、アデルミラはいそいそと廊下を進んだ。

 扉が少しだけ開いて、覗いている顔がある。


 右半分しか見えていないが、目尻や口元には深い皺が刻まれている。

 髪にも白い物が混じっており、迷宮都市ではあまり見かけない年代の男性のようだった。


「お嬢ちゃん、ここは、カッカー……なんとやらの屋敷かな」

 近づいてくるアデルミラに気付き、男が問いかける。

「ええ、そうです。樹木の前神官長でいらっしゃったカッカー・パンラ様の屋敷ですよ」

「そうか、良かった」


 男は安堵した様子で扉を開き、中へ入って来る。

 古びた外套を羽織り、大きく膨らんだ袋を背負っているので、旅をしてきたのだろう。

 額の広い顔はよく日に焼けていて、鼻の先が特に赤くなっている。


「ここでギアノが働いてるって聞いて来たんだ」

「ギアノさんを訪ねていらしたんですか」

「知ってるのか、お嬢ちゃん。じゃあ本当にここにいたんだな」


 この口ぶりなら、ギアノの知り合いなのだろう。

 顔に似ているところはまったくないが、父親なのだろうかとアデルミラは考える。

 

「俺ぁカルレナン生まれ、カルレナン育ちの漁師で、レコっていうのさ」

「レコさんですね。私はアデルミラ・ルーレイと申します」

 アデルミラが名乗ると、男は恐縮した様子で身を縮めた。

「こりゃまた丁寧に、どうも」

「レコさん、迷宮都市に着いたばかりなのではありませんか?」

「そうなんだ。馬車をいくつも乗り継いでな。あっちの方のでっかい門に、やっと着いたんだよ」

 レコの指さす「あっち」は西を指しているが、きっと南門からやって来たのだろう。

「長旅でお疲れでしょう。どうぞお入りください」


 緊張した面持ちのレコを招いて、食堂へと通す。

 冷たい飲み物を用意して運んでいくと、レコはまた礼を言って、アデルミラを呼び止めた。


「お嬢ちゃんはギアノを知っているんだよな?」

「ええ、知っていますよ」

「カルレナンから来たギアノ・グリアドで間違いないな?」

「はい、間違いありません」


 アデルミラが答えると、レコは急にがっくりと項垂れてしまった。

 

「どうなさったんです」


 そばに跪き、男の手を取る。

 何日もかかる旅路で疲れ果てただけとは思えず、アデルミラはこの後どうすべきか悩んでいたのだが。


「なあ、お嬢ちゃん。あいつはどうして、いつ死んじまったんだい?」


 か細い声で問われて、頭が疑問でいっぱいになっていく。

 誰かと間違えているのだろうか? わからないが、とにかく答えは一つしかない。


「ギアノさんは死んではいません」

「死んでない?」

「はい。ギアノさんは今、お隣の神殿にいるんです」

「……本当かい」

「本当です。今日はとても大切な話があって、今すぐ呼ぶことはできないのですが」


 アデルミラが真摯に繰り返すと、レコは脱力して椅子からずり落ちてしまった。

 慌てて手を貸し、なんとか座りなおしてもらい、説明が必要そうだと考え、隣に腰かけて。


「いやあ、そうか。良かった。いや、びっくりした。良かった、いや良かった本当に」

 

 レコはしばらく驚きと安堵を繰り返していたが、ようやく落ち着いたようで、水をぐいっと飲み干している。


「ジッドゥが言ったんだ。迷宮都市に探しに行ったけど、ギィの奴はもう死んじまってたんだって」

「ジッドゥさん……、ギアノさんのお兄さんですか」

「そう、そう。グリアドん家の一番上の息子だな」


 グリアド家でいっぺんに子供が三人も生まれそうだと騒ぎになっていた頃、いつの間にやら町から姿を消していたギアノの行方がわかり、長兄がわざわざ探しに行ったことがあった。

 ジッドゥは長旅から戻ってくると、ギアノは死んでしまったと触れ回ったのだという。

 悲報に皆悲しんでいたが、共に行っていた息子の様子がおかしく見えて、レコはブラウジを捕まえて事情を聞いたと話した。


「ブラウジは親父に似て荒っぽい奴なんだが、ギィの話になると急にもごもごするばっかりで、変な感じでよう」

「それで迷宮都市へいらしたんですか?」

「ああ……。ブラウジも結局死んだとしか言わなくて、俺ぁよくわからなくなったんだ。迷宮なんてどんなもんだかちっともわからねえし、ジッドゥの話も曖昧で、なんで死んだのかはっきりしねえし。だけどとにかく、海から遠いところで死んだなんて可哀想じゃねえか。こんなじじい一人じゃ物足りないかもしれないが、せめて俺くらいはギィの奴が最後に過ごした場所を見に行ってやらにゃあと思ったんだ」


 レコはこう話すと、アデルミラをまっすぐに見つめて、最後の確認をした。

 ギィの奴は本当に生きているんだよな、と。


「はい、元気にしていますよ」

「そうか、ああ、良かった。まったくあいつら、ひどい嘘をつきやがったもんだ!」


 アデルミラは甥のブラウジには会っているが、兄のジッドゥの姿は見ていない。

 厳しい言葉を投げかけられたと聞かされたが、実際にどんな風だったのかは神官にはわからない。


「私が引き留めてしまったんです。お兄さんたちはギアノさんを家に戻したかったのに、ここに残って欲しくて」

「へえ……。なあお嬢ちゃん、ギィの奴はこのお屋敷でなにをしているんだ?」


 迷宮とかいうところに行っているのか。

 レコの問いにアデルミラは首を振り、以前は行っていたが今は違うと答えた。

 ここは単なる個人の邸宅ではなく、ギアノが大勢の若者たちの為に働き、良い見本になっていることを説明していく。


「つまり、あいつは皆の役に立ってるんだな」

 少女の説明に男は頷き、ぼそりと呟いている。

「ギィの奴は、ここで楽しく暮らしてるのかい」


 反射的に頷きかけたものの、アデルミラはレコの言葉を改めて受け止め、口を噤んだ。

 ギアノは毎日笑顔で働いている。誰かに注意をする時は真剣な顔をするけれど、どんなことも余裕をもって受け止め、軽やかに流し、日々を回している。


 けれど今は、いや、近頃は、そうではないと感じている。

 大変な出来事が起き、心配な人がいて、大きな悲しみを抱えているようだった。


「どうかしたのかい」

 急に黙り込んだ少女を、レコは不安げに見つめている。

「やっぱり大変なのかな。ここはカルレナンとは全然違うから」

「いいえ、違うんです。ギアノさんは本当に器用な人ですし、自分のやり方もすぐにより良くなるよう改めて、驚くほどなんでも上手にこなしているんですよ」

「お嬢ちゃんにはそう見えるのかな」

「はい。そう見えますし、実際に助けられています。私は毎日ギアノさんから学んでいますし、たくさんのことに気付かされています。ごめんなさい、レコさん、答えに詰まってしまって、心配されましたよね」

「いやあ、そんなことはないよ。ここは随分人が多いところみたいだから、うまくいかなくて当たり前だと思うのさ」


 男の瞳には寂しげな光が宿っている。

 遠い地での死は誤報で良かったが、幸せに暮らしていないとなれば悲しく思って当たり前だ。

 張本人が戻る前に誤解は解いておくべきで、アデルミラは言葉を探す。


「実は最近、大変なことがいろいろと起きたんです。レコさんがおっしゃる通り、ここは大勢の人が訪れるところですし、迷宮探索には危険がつきもので、思いがけない出来事が起きるんです」

「大変なことって、ギィに?」

「いいえ。ギアノさんが直接関わっていることはありませんが、この屋敷で大勢をまとめる役目を引き受けているので、どうしても関わらなければいけなくて」


 悪いことが起きないよう、皆の命ができる限り守られるように。

 カッカーの思いを理解して、ギアノはことに当たっている。


「皆さん意見は様々ですから、もちろん苦労はあります。最近いろいろなことがいっぺんに起きてしまったので、対応に追われていて」


 楽しいばかりではないけれど、真摯に受け止め、乗り越えようと努力している。

 うまく伝えるには、どう話したら良いのだろう。

 アデルミラは悩みながら語っていたが、レコは穏やかな顔をして頷いていた。


「そうか。ギィも男になったんだな」

 「男」が指す意味を考える少女に、レコは微笑みかけてくる。

「いつ戻って来る? 一人前になったあいつの顔を見てやりたいよ」

 大人になったと言いたいのだと理解ができて、アデルミラも笑顔を返した。

「今日は少し時間がかかると思います。終わればすぐに戻ってこられるんですが」

「そうか、お嬢ちゃん、ありがとうな。ギィの話を聞かせてくれて」

「毎日一緒に働いていますから」


 皆ギアノを慕っているし頼りにしているというアデルミラの話に、レコの目尻に涙が浮かぶ。


「ギアノさんを引き留めてしまって、申し訳なく思っています」

「いやあ、いいんだ。引き留めたっていうが、お嬢ちゃんが閉じ込めているわけじゃないんだろう?」

「うふふ。そうですね」

「俺ぁ、ずっとギィのことを心配してたんだ。こんなに小さい頃から知ってるからよ」


 レコは手を椅子の下まで下げて、微笑んだまま話を続けた。


「あいつはちびの頃から海に来て、親父の魚の仕入れに付き合っていてな。小さいのになんでもすぐに覚えるから、俺らも嬉しくて、ついついなんでも教えちまってよ。泳ぎもあっという間、潜るのも上手くて、すぐに貝採りの名人になっちまった」

「そうだったんですね」

「ああ。だけどよう、なんでもやらせすぎるんだよな。親父がどこにでも連れて来て、ギィ、教えてもらえって放り出してさ。小さいギィが一生懸命やる姿は可愛いもんだったが、親父がいくらでも使っていいぞって言うのは気にしてた。あんな小さい子に無茶をさせるなって言ったこともあるよ。笑われるばっかりで、取り合ってもらえなかったんだけどな」


 レコはそのうち、海での仕事だけではなく、狩猟や買い出し、店の営業まで手伝わされていることを知ったと話した。

 兄姉たちに混じっていただけだったのに、いつの間にかギアノばかりが働かされていて、心配していたのだと。


「ジッドゥやゴードなんかは読み書きだのなんだの学びに行かされていたのに、ギィは他のきょうだいから教わればいいってな。そのうち皆年頃になって、嫁をもらったり嫁いだりしていったが、ギィの奴だけちっともそんな様子がないじゃねえか。グリアドん家は親父もそうだが、みんな子供をこさえるのだけは得意だろう? 赤ん坊がどんどん増えて、楽しそうでそりゃ結構だが、ギィが一生懸命世話してて、俺はもう、なんというか、たまらなかったんだ」


 ギアノが赤ん坊をおぶったまま魚の仕入れに来た時の話を、レコは熱く語っていく。

 まだ子供なのに赤ん坊や幼児の面倒を見て、洗濯物を山ほど干して、店に行けば料理を運んでいて、感心しながらも不憫に思っていて――。


「あっ」


 熱く語り続けていた漁師の男が唐突に声をあげて、アデルミラは驚いている。


「どうされました」

「いや、……お嬢ちゃん、すまねえ。あんたが聞いてくれるから、つい」

「いいんです。レコさんはギアノさんを心配してくれていたんですね」

「ああ。なあ、お嬢ちゃんよ。あんたは優しい良い子だなあ。このお屋敷で奉公してるのかい」

「奉公ではありませんが、ここで皆さんの為に働いています」


 レコがやって来てから時間が経って、昼になろうとしていた。

 ギアノが戻ってくる気配はなく、アデルミラは様子を見に行くかどうか、迷う。


「レコさん、お昼を用意しましょうか」

「ああ、そうか。俺ばっかりべらべらしゃべっちまって、すまないね」

「謝ることなんてありません。少しお待たせしてしまいますが、いいですか?」

「そんな、いいんだ俺のことは。大人しく待ってるからよう、気にしないでなんでもやってくれ」

「先に飲み物のおかわりを持ってきますね」

「こんな爺に構わなくていいよ」


 恐縮するレコを残して、アデルミラは厨房へ向かった。

 アグランたちが戻ってきていたらしく、菓子を運ぶ箱が隅に積まれている。

 水を汲んで湯を沸かし、隣の神殿へと急ぐ。

 扉を開けてすぐのところにロカが立っていたので、話し合いはまだ続いているのか尋ねた。


「どうかな。カッカー様の声はまだ時々聞こえてくるけど」

「そうですか」

「ギアノになにか用が出来た?」

「ええ、お客さんが来たんです。もしも話し合いが終わっても戻れないようだったら、教えてもらっていいですか?」

 ロカは神官長の部屋の方へ目を向けて、ふんふんと頷いている。

「今日はなんだか深刻な話みたいだね」

「ダインさんについて報告をしているんです」

「ああ、なるほど。じゃあ長くなるのも仕方ないか」


 なにか変わったことがありそうなら伝えるし、ギアノにも声を掛けるとロカは約束してくれた。

 アデルミラは礼を言って屋敷へ戻り、用意していたシチューを温め、仕上げに取り掛かる。

 裏庭で訓練をしていた者がわらわらと戻って来て、そちらにも対応していく。

 若者たちは汗だくだったので、先に体を洗った方が良いのではないか伝えた。

 

「すみません、お待たせしました」

 二人分の食事を用意して食堂へ運ぶと、漁師の男は何故だか身を小さくして隅の席に座っていた。

「ギアノさんはまだ戻らないみたいなんです。一緒に頂きましょう」

「いいのかい、こんな爺と昼飯なんて」

 アデルミラが微笑みかけると、レコも嬉しそうに笑顔を作っていく。

「俺ぁ子供がいなくてね。お嬢ちゃんみたいな女の子となにを話せばいいんだか、ちっともわからねえんだ」

「私こそ、あまり気が利かなくて」

「そんなことはないよ。あんたの笑った顔は可愛いから、それでもう充分なのさ」


 頂きましょうと促して、二人で向かい合って食事を進めていく。

 屋敷の住人が持ち帰った兎肉を煮込んだシチューを、レコは美味い美味いといって平らげていた。


 食堂には体を洗い終わった住人たちが現れ、レコを不思議そうな顔で見つめている。

「アデルミラ、その人は誰?」

 遠慮なく問いかけてきたのはダムという名の少年で、ギアノの故郷から来たのだと話すと、皆寄って来て管理人には世話になっていると頭を下げていた。


「ギィの親父だと思ったかね」

 レコは微笑み、アデルミラも頷いている。

「なあお嬢ちゃん、あんたは知っているのかな」

「なんでしょう」


 カルレナンからやって来た漁師は、急に真顔になってごくりと唾を飲み込むと、神官の少女にこう尋ねた。


「ギィの奴、恋人はいるのかな」


 アデルミラは答えられず、思わず口を押さえていた。

 答えは知っているけれど、屋敷の住人たちがそばにいるし、なによりも気恥ずかしいし、どう伝えたら良いのかわからなかったから。


「ええと……。あの、ギアノさんご本人に直接聞いてはどうかと、思いますけれど」

 

 なんとか捻りだした答えに、レコはしゅんと項垂れていく。


「やっぱりいないか」


 あいつはなんだってやれるようになったけど、女の落とし方だけは覚えなかったから。

 そんな寂しげな呟きに、アデルミラはまた考える。


 こんな風に思わせておいて、後から真実を伝えられたとしたら、レコはどう思うだろう。

 遠い港町からわざわざやって来たのはギアノの幸せを祈っているからなのに、こんな風に誤魔化して良いのか。

 いや、良くはない。


 ギアノに胸の内を伝えて、同じ思いだと答えてもらってから今日まで、進展はない。

 結婚に繋がる道はまだうっすらとしている。ギアノが忙しく、それどころではないせいでなにも進んでいなかった。

 迷宮調査団がやって来たり、墓参りに出かけたり、ダインについて思い悩んだりしていて落ち着かないから。

 けれどあの日以来、床に就く前に必ず、短いけれど二人だけの時間を持つようになっていた。

 その日あった出来事を話し、祈りを捧げるだけのささやかな時を共にしている。


 昨日はその時間の最後に、初めて抱きしめられていた。

 ギアノは心を強く持ちたいと言って神官を抱きしめ、髪を撫で、部屋へ戻っていった。


 人生を共にしたいと願い、伝えたのはアデルミラの方だ。

 決意できたのは兄の後押しがあったからだし、ララから聞かされた話の影響もある。


 樹木の神官の少女が迷宮都市にやって来たのは、幼馴染の男の子から離れるためだったのだという。

 お隣に住む少年は誕生日も近く、いつでも二人は一緒にされていたらしい。


 ララは一度も望んでいないのに常に隣にいるようにされ、周囲の大人たちから将来結婚するんだと言われ続けて、どんなに反発しても取り合ってもらえないのだと気が付いて。

 故郷を出る為に神官になり、ララはとうとうラディケンヴィルスへ「脱出」を果たした。


 普段はのんびりとしているララが、きっかけでもあったのか故郷での日々を思い出して、こんな事情をアデルミラに語って聞かせた日。

 幼馴染の少年を嫌いではなかったけれど、勝手に好き合っていることにされたのがたまらなく嫌だったと最後に語っていた。


 ララの苦労話は心に残っていて、悩むアデルミラにある気付きを与えていた。

 

 マティルデもギアノを想っていると感じていたから、そこに割って入ってはいけないと考えていたけれど。

 勝手な想像で他人の気持ちを決めつけてはいけないと気付いて、それで思いを伝えられた。

 人生で初めて抱いた恋心は、日々胸の内で大きくなっている。

 応えてくれたギアノの為にも、正直に伝えるべきだろう。


「あの、レコさん」

「なんだいお嬢ちゃん」

「私なんです」

「うん?」

「その、……ギアノさんと」


 結婚の約束をしています。


 声が震えてしまって、聞こえなかったのではとアデルミラは思った。

 けれど漁師の男は目を丸くして、口も大きく開いたまま少女を凝視している。


「はあ……、ええ? お嬢ちゃん何歳なんだい」


 やはり聞かれるかと考えつつ、アデルミラは心を鎮め、答えていく。


「兄もそうなんですが、私は体が小さくて。幼く見えるかもしれませんが、もう十八歳なんです」

「え! わあ、そりゃあすまんかった。ごめんな、俺ぁてっきり、ギィの奴、相手を見つけられなくてこんな小さい子を丸め込んだのかと」


 デリカシーのない漁師は自らの失言にすぐに気付いて、謝罪の言葉を繰り返していく。

 食事中の若者たちが何事かと目を向けていて、恥ずかしくてたまらない。


「大丈夫です。よく言われるんです、気になさらないでください」

「いやあ、すまねえ。お嬢ちゃん、そうだよな、こんなにしっかりしているんだ。そんな子供な訳がないよなあ」


 レコに手を取られ、ぶんぶんと振られ、体がよろけてしまう。

 それでも微笑むアデルミラに、カルレナンから来た旅人もようやくほっとしたようだ。


「ああそうか、ここのお屋敷の娘さんなんだな」

「いいえ。ここへやって来たのは、とても複雑な事情があるからなんです。私は雲の神に仕える神官なのですが」

「神官? なるほど、そうだったのか。道理で優しいし、落ち着いているわけだなあ」

 小さいのに立派だと褒めながら、漁師の男は首を傾げている。

「あいつはまともに字も書けねえが、それでもいいかね」

 

 レコは不安げな顔をしているが、言葉の内からギアノに対する愛情をひしひしと感じていた。

 本当に小さな頃から見守ってくれていたのだと感じて、アデルミラは答えていく。


「今、一生懸命学んでいるんですよ。王都からいらっしゃった方に自分からお願いして、読み書きも計算も正確にできるようになっています」

「へえ、王都から来た人なんかに知り合いがいるのかい?」

「はい、お互いに得意なことを教えあっているんですよ」


 どんな相手でもすぐに仲良くなってしまうのだとアデルミラは話した。

 ギアノは他人の為に尽くす人間であり、誰にでも優しく親切に振舞う、尊敬できる男性なのだと。


「尊敬だなんて、あいつを?」

 レコの問いに、神官の少女は力強く頷いていく。

「ええ。ギアノさんは周囲の様子をよく見ているので、すぐになんでも気付いてくれます。困っている人がいたらとんで行って、あっという間に解決してしまうんですよ。でも、人のことばかり優先して、自分のことは後回しにしてしまうんですよね」


 だから、ギアノを支えようと思った。

 自分には弱音を吐いていいし、休む為の止まり木になれれば良いと考えていた。


 アデルミラがこう話すと、レコの目からとめどなく涙が溢れ、頬を伝い落ちていった。


「うう……、ギィが生きてて、本当に良かった」

「レコさん」

「カルレナンを出て良かったんだなあ。ギィがいなくなって、寂しくて寂しくてたまらなかったんだけどよう」


 漁師の男は涙を拭うとアデルミラの手を取り、強く握った。


「俺の女房はまだ若いうちに死んじまったんだ。腹に赤ん坊がいたのに、一緒にな」

「まあ……」

「どうしても新しい女房を迎える気にはなれなくて、ずっと一人でな。そんな俺に、ギィは本当に優しかった。気遣ってくれたし、傍にいてくれた。子供と漁に出る奴は多いから。一人でいる俺を気にして、よく手伝ってくれたんだ。だから俺は、勝手な話だけどさ。ギィを、息子のように思ってたんだよ」


 幸せになってほしいと願っていたから、カルレナンから去って寂しかったものの、希望も感じていたのだとレコは言う。

 家族の為に働くばかりではなく、自分の幸せを掴んでいて欲しかったのだと。


 この話に、アデルミラも安堵していた。

 ブラウジの態度や兄との話を聞いて、心配していたから。

 ギアノは家族に対し複雑な思いを抱いているようだったから、こんなにも大切に思ってくれている人がいたのだとわかり、心が温かくなっていく。


「レコさん、ギアノさんにたくさん教えて下さったんですね」

「そうだな。海のこと漁のことは、全部教えてやったよ」

「ありがとうございます、ギアノさんを育てて下さった方とお話が出来て、とても嬉しいです」

「お嬢ちゃん……。あんた本当に優しい良い娘だなあ」


 目尻にたくさん皺を寄せて、レコも微笑んでいる。


「どこの出なんだい、お嬢ちゃんは」

「王都から少し西にある小さな町です。ここからそう遠くもないんですが、でも、もう家もなくて」


 両親も故郷ももうないと話すと、男は気の毒そうに肩を落とした。


「そうなのかい。可哀想にな」

「別れはいつか必ず訪れるものですから。それに、ここに来たからギアノさんと出会えました。この導きは私の幸せそのものです」


 レコはまた涙ぐみ、だははと品のない声をあげて笑う。


「ごめんなあ、小さい子だなんて思っちまって」

「いいんです。小さいのは本当ですから」

「本当に良くできた娘さんだ」


 アデルミラが謙遜していると足音が聞こえてきて、二人で揃って目を向ける。

 どうやら話はやっと終わったようで、ギアノが姿を現していた。


「ああ、やっと終わったよ……」


 遅くなってごめんと言おうとしたのだろうが、カルレナンから来た若者は驚いた顔をして、食堂の入り口辺りで立ち止まっていた。


「レコ爺、嘘だろ!」


 二人して急いで駆け寄って、手を取り合い、声をかけあっている。

 レコはギアノの肩をばんばん叩き、ギアノはレコを長旅だっただろうと労わっている。


「お前がここにいるって、ジッドゥが話してたから」

「あはは、そうか。遠かったよなあ。飯は……、食べたのか。ありがとうな、アデルミラ」


 テーブルに残った皿でわかったのだろう。

 ギアノは頼れる相棒に礼を言って、どうしようかなと呟いている。


「ギアノさん、お二人で話してきたらどうですか。お食事を持っていきますから」

「……そうだなあ。頼んでもいい?」

「もちろんです」

「もしかして相手してくれてた?」


 アデルミラは微笑み、レコは緊張した顔で黙っている。


「変なこと言われなかったかな。田舎の漁師だから、品がないだろ」

「うふふ。そんなことありませんよ」

「そうだぞ、ギィ。お嬢ちゃんに変なことを言うんじゃない」


 わかったわかったと軽くいなしながら、ギアノはレコを連れて部屋へ戻っていく。

 アデルミラは厨房へ向かい、管理人の遅い昼食の用意を進めた、

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