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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
43_Just as SHE likes 〈美しい夜に、さよなら〉

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204/244

196 相応しい道を往く

 一番近くの迷宮はどこだと問われて、二人は「藍」の迷宮入口に立たされていた。


 装備もなく、地図も持っていない。こんな状態で迷宮に足を踏み入れるべきではないと、もちろん伝えてある。

 けれどロウランはどこ吹く風で、ちょうど良いと笑みを浮かべていた。


「なにがちょうど良いのです、ロウラン」

「ここには例の大穴とやらがあるのだろう」

「まさか、行くつもりですか?」


 驚くキーレイに答えず、魔術師はもう扉に手をかけている。

 昼を過ぎた時間帯で、入口前に並ぶ者はもういない。

 中へ入ってしまったロウランを放っておけず、ウィルフレドたちも後を追った。


「四層からは灯りの仕掛けがあります」

「大穴とやらは、泉のそばにあるのだろう? 探索をしている者たちの通り道なのだから、迷わずに行けるさ」

「そうかもしれませんが」

「大体、お前なら道のりくらい覚えているだろう、キーレイ」


 神官長は返す言葉をなくしたのか、無言になってロウランの後ろを歩いている。

 ウィルフレドは念のために前に出ようと考えたが、今日は剣を持っていない。

 

「戦わなくていいぞ、ウィルフレド。なにか出てきた時は俺が片付ける」

「罠も仕掛けられているぞ」

「たいした罠ではあるまい。ギアノとニーロは手ぶらで行って、ちゃんと戻ってきた」


 余裕の笑みで歩く魔術師を、大男二人で追っていく。

 美味い食事で力が出たのか歩く速度はやたらと早く、経験のないスピードで迷宮の道を進んでいた。


 キーレイはいつになく緊張した面持ちで歩いている。

 伝えたいこととは何なのか、不安に思っているのかもしれない。

 樹木の神官長になにをするつもりなのか、ウィルフレドも勿論気にしている。


 「藍」への挑戦を済ませた初心者たちが通路の先から歩いてきて、何度もすれ違っていった。

 まだ迷宮に不慣れであろう若者たちは妙な三人組に目を向け、ひそひそと言葉を交わしているようだ。

 熟練の探索者を知っているのかもしれないし、単におかしな進み方だと思っただけかもしれない。

 そんな遭遇を何度も繰り返し、幾度かの魔法生物の殲滅を経て、ウィルフレドたちは六層の泉に辿り着いていた。


「大穴はどこだ、キーレイ」


 鼠や兎程度、ロウランの敵ではない。

 指先から放たれた炎で焼き尽くされても意外ではないが、それにしても荒々しい進み方だった。

 魔術師に疲れた様子はなく、泉の水もいらないらしい。

 ウィルフレドたちにも回復の必要はなく、キーレイは別れ道の一方を指し示している。


「行くぞ」

「本当に落ちるつもりですか」

「実際に見てみなければ、どんなこともわからないままだからな」


 ロウランがなにを知りたいのか、ウィルフレドたちにはわからない。

 行けば魔術以外に戻る方法はなく、なんの用意もなく行くのは間違っていると思えて、そう伝えていく。


「脱出ならば使える。わざわざ言う必要などないと思っていたがな」

 ロウランは不満げに呟き、キーレイは首を振っている。

「いえ、疑ってなどいませんが」

「ならば良いだろう。そういえば、天井に仕掛けがあるんだったか」


 大穴があるという通路には、床にいくつか小さな突起が並んでいた。

 あれを踏めば、落とし穴の入り口が開くのだろう。

 仕掛けの上に向けて手をふわりと振って、ロウランは二人に向けて手招きをした。

 ウィルフレドはキーレイと目を合わせ、仕方がないと心を決める。


「ウィルフレド、これを持っておけ」

 ロウランはどこから取り出したのか、細い棒を戦士に手渡してきた。

「これは?」

「落ちた先は暗いだろうからな。これで辺りを照らしてくれ」

 ただの棒にしか見えないが、魔術師がそう言うのなら、光るのだろう。

「わかった」

「さて、では行くとしようか」


 「藍」の迷宮の六層にあるという大穴は、深い深い落とし穴だった。

 想像以上にきつい傾斜を滑り落ち、キーレイは床にごろんと転がってしまっている。

 友人に手を貸し、ウィルフレドは預けられた棒を掲げて周囲の様子を探っていく。


 大きく開けた空間で、目に入るものはなにもない。

 床と天井、少し離れたところに壁があるだけだった。

 

「ここが大穴の底なのですね」

 キーレイは立ち上がって、同じように周囲の様子を窺っている。

「どこかに通路が隠されていて、その先に小部屋があるそうですが」

「ほう、隠し通路か」

「行かない方が良いでしょう。『黄』でも『黒』でも、行き止まりの小部屋はよくわからない敵が出るようですから」


 「黄」で現れた見えない刃は、「黒」でも出現したという。

 マリートから聞いた話を二人に伝え、キーレイは藍色が広がる景色に目を走らせている。


「ロウラン、ここが何層目なのかはわかりますか?」

 魔術師は神官長に目を向けたが、なにも答えない。

「わからないのか」

 ウィルフレドが呟くように言うと、ロウランは短い沈黙の後に答えた。

「ここが何層目なのか答えるのは難しい。『藍』の迷宮を起点に考えるなら、十二層辺りだと考えればいいのかもしれん」

「起点とは、どういう意味ですか」

「興味深い内容だが、この話は今するのに向いていない。続きは戻ってからにしよう」


 魔術師は一方的に話を打ち切ると、キーレイへ床に膝をつくよう命じた。

 神官長は戸惑いながらも指示に従い、膝を折っている。


「お前は本当に背が高いからな」

 

 ロウランは笑いながらそう呟くとキーレイの背後に立ち、手を伸ばして後ろから神官の頬に触れた。


「目を閉じろ」

「私になにを伝えようと言うのです」


 これからなにが起きるのか、ウィルフレドも気になって仕方がない。

 ロウランはキーレイの頬を撫でまわしながら、小さく首を傾げている。


「既に触れたことがあるのだな。キーレイよ、どこで魔術について知った?」

「あの……」

「迷宮から無理矢理飛び出したのだろう。どうやって学んだ」


 ウィルフレドが覚えていない、「あの時」のことについて。

 「黄」の行き止まりで起きた惨事から仲間を救ったのは、キーレイの使った脱出の魔術だったと聞いている。


「夢に見たのです。神殿の椅子で寝てしまった時に、『白』で探索をしている夢を見ました」

「夢だと? それは面白い。魔術師になった夢だったのか」

「そうなのですが、あれは私ではなく、ニーロの師であるラーデン様でした」

「ほう。なるほど、得難い体験をしたのだな」


 ロウランは微笑みを浮かべると、神官の目を両手で塞いだ。

 顔を近づけ、麗しい唇を開いて、小声で囁いている。


「目を凝らせ。……見えるだろう。腕を伸ばして、強く掴め」


 キーレイは微動だにせず、膝をついたままでなにも言わない。

 ロウランは神官の目を塞いだまま頷き、またなにかを囁いている。


 ウィルフレドには聞こえないし、なにも見えない。

 魔術師がなにをさせようとしているのか、神官が何に挑んでいるのかもわからなかった。


 光を放つ棒を掲げたまま、時の流れに身を任せていた。

 二人の様子を見守りながら、魔法生物が現れないか、神経を研ぎ澄ませて。


 ロウランは何度か、キーレイになにかを囁いたようだった。

 音はするが、声は聞こえない。

 二人がなにをしていたか問わなかったから、突然、それは起きた。


 一瞬の眩い光に包まれ、迷宮の入り口に戻されていた。

 「藍」の迷宮の入り口横にある帰還者の門の上に、三人で立っている。


「よし、できたな」

 ロウランは満足げに笑いながらキーレイの背中を叩いている。

 神官長は困惑しているようだったが、それだけではなさそうだとウィルフレドは感じている。

 魔術師の口ぶりからして、今の脱出はキーレイが行ったのだろう。

 ウィルフレドの視線に気付いて、キーレイは大きく息を吐きだしている。


「私に脱出を教える為にあそこへ行ったのですか?」

「大穴の底に行ったのは興味があったからだ。別にあんなところでなくても良かったが、あの穴の底から出られたんだ。お前の力はたいしたものだよ」


 キーレイはなにか言おうと口を開いたが、ロウランは素早く指を出し、神官の唇を塞いでしまった。


「どんな身分だろうが、魔術を扱えて困ることなどなかろう。お前は強い探索者で、仲間を守る役割を負っている。脱出くらい、使えた方が良いというものだ」

「ロウラン」

「心配するな。これ以上はお前が望まん限り、余計な手出しはせんよ」

「そう、ですか」

「ああ。お前には素晴らしい素質がある。俺としては惜しくてたまらんがな」


 二人を無理矢理迷宮に連れていった理由は、キーレイに脱出の魔術を教え込む為だったようだ。

 「素質」について、魔術師は昨日も話していた。

 良い体に素質があって、魔術の使い手は生まれるのだろう。

 ウィルフレドがレテウスたちに期待をしているのと同じで、ロウランも良い魔術師になれそうな者に心を向けているのかもしれない。

 

 キーレイは安心したのか、いつも通りの表情に戻っている。

 

「よし、帰るか」

 

 迷宮の扉が開いて、見知らぬ五人組が外に出てくる。

 初心者らしく皆傷だらけだが、歩いて帰ってこれたのだから上等だろう。

 ぼろぼろの五人組は扉から出たところでへたりこんだので、先に上がろうと声をかけ、はしごをのぼった。

 穴から抜け出るとロウランは弾むような足取りで進み出し、二人へ向かって振り返る。


「今日は良い日だったな」


 キーレイは苦笑いを浮かべたが、魔術師に感謝を伝えている。


「礼など要らんぞ、キーレイ。お前は今日、更に強くなった。お前の強さは大勢を救うだろう」

「そうあろうと思います」

「ああ、それで良い。魔術を学びたくなった時には声を掛けろ。いいな、俺に言うんだぞ」


 「藍」の迷宮から樹木の神殿は近く、キーレイは職場へ戻っていった。

 路上に二人で残され、ロウランはウィルフレドを見上げている。


「夕食をどうしようか、ウィルフレド。昼に美味い物を食い過ぎたから、なにを食べても満足できないかもしれん」

 確かに。ギアノのもてなしは素晴らしく、迷宮行がなければもっと長い間浸っていられただろう。

「時間をかけて用意してくれたのだろうな。あんなに素晴らしい体験は、美食の都と謳われていたところでもできなかったのに」

「美食の都?」

「俺が魔術を学んだ街だ」


 なにか問うべきかと考える戦士の耳に、「もうないだろうがな」と囁く声が届いていた。

 ラフィとロウランの人生は謎に包まれていて、二人はどのように出会ったのかウィルフレドは考えている。


「キーレイ殿に魔術を教えたかったのか」


 かろうじて出てきたのは、こんな問いかけだけ。

 戦士の言葉にロウランは頷き、笑みを浮かべていた。


「そうだ。最適ではないが、キーレイには迷宮歩きで作り上げた強い体がある。素質も充分にあり、魔術に触れた経験もあった」

 キーレイはもっと鍛えるべきだと魔術師は言う。

 その気になってほしいものだと笑みを浮かべて、ウィルフレドへ目を向けている。

「お前にもあっただろうに、そぎ落としてしまったようだな」

「魔術の素質を?」

「そうだ。剣を極める為に捨てたのかもしれん。それならば、良い選択だっただろうよ」


 魔術師はウィルフレドの剣の腕を随分買ってくれているようだ。

 本人がどのような人物だったのかまったくわからないが、剣の心得があったのかもしれない。

 謎めいた魔術師の意識はもう夕食をどうするかに戻ったようで、きょろきょろとあちこちに目を向けている。


 売家街に続く道へ向かって歩いていると、遠くから馬車が近づいてくるのがわかった。

 かたことと鳴る音が少しずつ大きくなってきて、ロウランに袖を引かれ、ウィルフレドは立ち止まっている。


 青紫色の目は大通りの先に向けられていて、ウィルフレドも同じ方向を見つめた。

 立派な毛並みの馬に引かれた馬車は二人の探索者のすぐそばまで来てようやく止まり、中から男が降りたようだった。


 背後から夕日に照らされているせいで、顔はよく見えない。

 男は従者を二人連れており、ロウランの前で恭しく頭を下げている。


「ああ、麗しい方! あなたを探しておりました」

「しつこい奴め」


 この囁きを耳にしたのはウィルフレドだけだろう。

 忌々しげにそう吐き捨てたのは、この男と会ったのが初めてではないからだ。


「あなたの為に宴席を用意致しました。ご案内します、さあ、どうぞ」


 馬車に乗るよう言われているのに、魔術師は動かない。

 ロウランは白けた顔をして、冷たい瞳を向けるだけだった。


「贈り物も用意したのです」

 男はめげる様子もなく、従者に合図を送っている。

 二人はいそいそと包みを開いて、魔術師によく見えるよう美しいドレスを広げてみせた。


「こんな道の上でなにをしている。やめろやめろ、馬鹿馬鹿しい。俺の返事などもうわかっているはずだ」

「いいえ、わかってなどおりません。私は世界一美しい方に恋をしてしまった愚かな男ですから」

「お前がどんなに愚かでも構わんから、俺の言葉をちゃんと言葉通りに受け取れ」


 馬車には乗らない、招待は受けない、お前と共に行かない、思いに応えることはない。

 ロウランはいくつもの否定の言葉を浴びせたが、男はうっとりするばかりで効き目がないようだ。


「まったく……。これだから馬鹿は嫌なんだ」

「なんと言われても構いません。あなたの姿を見られるだけで、ああ、こんなにも胸が熱い……。私はなんと幸せ者なのでしょう」


 昨日の帰宅時に慌てて鍵をかけていたのは、この男から逃げてきたからだったのかもしれない。

 そう考えるウィルフレドの腕に、ロウランの手が伸びてくる。


「こうすればさすがに見えるかな。俺の隣にいる男はこの通り見目も良く、鍛え上げた体を持つ、並ぶ者のない剣の達人だ。お前が敵うところなどひとつもないぞ。もちろん、女の扱いも憎たらしいほどに巧い」


 見せつけるように、ロウランはウィルフレドにべたべたと触れた。

 背中に腕を回し、胸に寄りかかり、腕を撫でまわし、熱を帯びた眼差しで顔を見つめている。

 マティルデが来た時よりも濃厚に触れられているが、撥ねつける気にはなれなかった。


 恐らくは意識して戦士を無視していたであろう男は苦い顔をして、悔しそうに唸っている。


「わかったら、二度と顔を見せるな」

「そんな……、そんなわけにはいきません。あなたを愛しているとどうしたら理解して頂けますか」

「可能性などない。何度言わせる気だ」

「可能性がない愛など、この世にはございません」


 大地の女神の言い伝えが云々と、男は夕日を背に語り続けている。

 若い純粋な娘なら、こんな情熱に心を動かされるかもしれないが。

 相手が悪い。麗しいのは外見だけで、中身は海千山千の老練な魔術師なのだから。


「なあウィルフレド、この男を追い払ってくれないか」


 めげない男に気が滅入ったのか、そういう作戦なのか。ロウランは力なくウィルフレドの胸に倒れ込み、身を預けてくる。

 男の唇はわなわなと震えたが、それでも堪えて、恋しい相手を見つめている。


「あなたがどなたか知らないが、御覧の通りだ。心を動かすことは決してないだろう」


 仕方なくロウランの腰を抱き寄せ、男に声をかけてやる。

 周囲には野次馬が集まっており、有名人たちの修羅場を楽しそうに眺めているようだ。

 男はしばらく二人を見つめていたが、やがて悔しそうに顔を歪め、こう叫んだ。


「くそう……。探索者風情が偉そうに!」


 野次馬のうちの誰かが、ひゅうと口笛を吹いている。

 周辺は一気に騒めき、身の程知らずめと叫ぶ者もいた。


「我々は迷宮に挑む仲間でもある。探索者風情と思うのなら、猶更用はないはず」

「なんだと。いや、違う。そうじゃない。麗しい方、お待ちください。私の話を聞いて下さい!」


 男はロウランにとびかかろうとし、ウィルフレドに退けられてしまう。

 戦士に跳ね返されて地面に転がったが、すぐさま立ち上がり、再び魔術師へ縋り付こうとし、今度は腕を掴まれ取り押さえられていた。


「離せ、貴様!」


 男は喚き、従者が駆け寄ってきて、名を叫ぶ。

 これでようやく、ロウランに恋をする男の名がわかった。

 「バジム様」はじたばたと暴れており、簡単に手を離す訳にはいかない。


「諦めると約束してくれれば手を離そう」

「いやだ!」


 いつまでこうしていなければならないのか。

 ウィルフレドがさすがにうんざりしていると、ロウランがそばにやって来てバジムの傍らに立った。


「あっ……。ああ、なんて美しい。あなたはやはり、私の女神なのですね」

「女が欲しいだけなら他をあたれ」

「あなたほど美しい(ひと)など、この世に二人とおりません」

「俺はお前の望むように振舞うことはないし、強者にしか興味はない。俺の隣を歩けるのは、恐るべき迷宮に挑む力を持つ勇者だけだ」

「そんな、そんな……。迷宮になにがあるというのです。あんなところは命知らずの奴らに任せておけばいい。あなたに似合うのは輝く宝石と美しいドレスなのだから」

「ここまで話の通じない者がいるとはな。底抜けの愚か者は本当に性質が悪い。人の話を聞かないどころか、自分のいいように受け取って、相手にそれを平気で押し付けられるのだからな」


 ロウランに指示されて、ウィルフレドはバジムから手を離した。

 底抜けの愚か者とまで言われてさすがに気を削がれたのか、男は少しだけ身を縮めている。


「バジムとやら」

「ああ、あなたに名前を呼んでもらえるなんて、なんと光栄なことでしょう」

「お前は俺の名すら知らんだろう」

「いえ、そんな」

「俺はロウラン。魔術師であり、お前が蔑む迷宮探索者だ」


 強い瞳を向けられて、そろそろ決着がつくと思いきや。

 バジムは往生際の悪い男のようで、従者からドレスを奪い取り、ロウランに突き付けていた。


「探索など今すぐ止めて下さい、女神ロウラン。あなたが得体の知れない化け物に傷つけられるなんて、耐えられません」

「ほう、まだ言うか」

「何度でも言います。あなたに相応しい場所は他にあるのです。今日は腕の良い料理人を呼んで、準備をさせました。さあ、これを着て下さい。絶対に似合うはずです。王都から取り寄せた中から、あなたの美しい肌と瞳にあうのはこれだと時間をかけて選び抜きましたから」


 魔術師にとって一番魅力的な文言が出てきて、誘いに乗るのではないかとウィルフレドは思った。

 ずっと仏頂面をしていたロウランが、口元に笑みを浮かべていたから。


 野次馬たちもこの騒動がどう決着するのか、身を乗り出すようにして眺めている。


「どうやら金は持っていそうだな」

「ええ、ははは、そうです。そうですとも。この馬車も王都で特別に造らせたもの。馬も目利きに選ばせて」

「ならば俺に家を寄越せ」

 バジムの自慢を遮り、ロウランは指を突き付けている。

「家を? お安い御用です。あなたの望みはすべて叶えましょう」

「言ったな」

「男に二言はありません」


 手に持っていたドレスを従者に渡すと、バジムはロウランの前に跪き、大仰に頭を下げた。

 魔術師は満足げに頷き、周囲に集まっていた無関係な通行人にも聞こえるよう、声を張り上げる。


「では、魔術師ホーカ・ヒーカムの屋敷を手に入れろ」

「……え?」

「知らんのか。街のど真ん中に建っている紫色の悪趣味な豪邸だ。見ればすぐにわかる」


 一度は静まり返った野次馬たちがまた騒ぎ出し、道の上は一気にやかましくなっていた。

 バジムは困った顔で、口をぱくぱくさせている。

 ロウランだけが満足そうに笑っていて、恋する男にとどめを刺した。


「あの屋敷を俺に寄こしたら、あれを着るくらいはしてやろう」

 美しい細い指は、従者が抱えるドレスを指している。

「着るだけ?」

「家と引き換えなら、俺が手に入るとでも?」


 いや、だって。

 バジムが口に出来たのはこれだけで、もう言葉は続かない。


「俺はお前など要らない。俺の求める物をひとつも持っていないからな」

「ああ、女神よ……」

「他の女を探すことだ。お前の望む通りに振る舞い、お前の子を産む女を見つけるがいいさ」


 バジムはがっくりと項垂れ、地面に膝をついている。

 ロウランがウィルフレドの手を取り歩き出しても、追ってくることはなかった。



 そのまま小さな家に帰り着き、ウィルフレドはこの日も夕食を用立てるよう魔術師に頼まれていた。

 面倒な目に遭ったのは今日だけのことではなさそうなので、戦士は言われた通りに買い物に出かけ、二人分の食事を持って帰った。


 いつもならああだこうだと話すのに、魔術師は無言で夕食を済ませている。

 昼はあんなに上機嫌だったし、迷宮歩きも楽しそうだったのに。

 バジムなる男は嫌になるほどの無神経さだったから、疲れ果ててしまうのも無理はない。


 この日ロウランは早くに床に就いて、ニーロが戻っても姿を見せなかった。

 

 だからよほど疲れたのだろうと思っていたのだが、次の日の朝、魔術師は晴れやかな顔で戦士を起こした。


「ウィルフレド、散歩に行かんか」


 早い時間に起こされて、ウィルフレドは身を起こし、支度を進めていく。

 ロウランの着替えは既に終わっているようで、ベッドの端に腰かけて足をぶらぶらと揺らして戦士を待っている。


「どこへ行くつもりだ」

「そうだな、どこがいいか。ギアノの菓子を売る店の場所を教えてもらおうかな」

「今行ってもまだ開いていないと思うが」


 そんな情報は要らないのか、ロウランは微笑むだけでなにも答えなかった。

 どこかでいい店を見つけて、朝食を取ろうと考えているのかもしれない。

 一階にいたニーロに声をかけ、二人は迷宮都市の道の上へ繰り出している。


 どこへ行くか決めていないような口ぶりだったのに、ロウランはウィルフレドの前を歩いていた。

 明らかにどこかへ向かっているようで、少し歩けばすぐに目的地がわかった。

 大通りを通り抜け、街のど真ん中へ足を踏み入れて。

 ティーオの店ではなく、ホーカ・ヒーカムの屋敷に行くのだろう。


 紫色に輝く飾りが見えてくると、ロウランは歩く速度を落とし、ウィルフレドの隣に並んだ。


「まったく、何度見ても趣味の悪い家だ」

「昨日は欲しがっていたではないか」

「ふふ、俺が欲しいのはあの屋敷ではないよ」


 小さな屋敷の並ぶ通りを抜けて、二人で大きな門の前に立つ。

 ロウランはウィルフレドの手を引くと、門の脇に立ち、声を出すなよと告げた。


 理由もなくそんなことを言う相手ではなく、戦士は命じられた通り、口を噤んだ。

 すると門の先から音が聞こえてきて、屋敷から二人の人物が出てきたのが見えた。


 マティルデと、もう一人の弟子だ。

 少女はぎらぎらと目を輝かせ、兄弟子を引き連れてこちらへ向かってくる。

 今度はどんな邂逅になるのか、ウィルフレドは覚悟をして待っていたのだが、マティルデは二人に構わず通り過ぎていってしまった。

 兄弟子の方は足を鈍らせ、ロウランへ一瞬目を向けたものの、すぐにマティルデを追って去って行く。


 二人の後ろ姿が見えなくなってから、ウィルフレドはロウランへ目を向けた。


「ほらな」

「……なにが起きた?」


 この問いかけに、魔術師は笑みを浮かべて答えた。


「初歩的な目眩ましだ。魔術師ならば気付いて当たり前なのだがな。まったく、才能がないにも程がある」

「男の方は気付いたようだが」

「あれでは気付いたとは言えまい。違和感を覚えたのに、気のせいだと判断してしまうのだから」


 わかっている。問題は男の方ではなく、マティルデについてだ。

 ロウランがいるとわかればなにかしら反応を示したはずで、あんな風に去っていくのはおかしい。


「惨いことをするものだ」

 ロウランは悪趣味な屋敷に目をやって、小さく首を振っている。

「あの娘に魔術の素質はない」

「マティルデのことか」

「そうさ。どんな条件で働かされているかわからんが、弟子入りしたところでどうにもならん。教えられても身につかないし、どうして使えないのか理解もできんだろう」


 ウィルフレドにすら「あった」ようなのに。

 戦士は驚き、魔術師へ問う。


「ホーカ・ヒーカムはわかっていて弟子入りをさせたのか」

「さあ、どうだろう。魔術師すべてが素質を見抜けるわけではないからな」

「そうなのか?」

 ロウランは頷き、真剣な目でウィルフレドを見つめている。

「わかっていてやらせているのなら、随分と趣味が悪いと思わんか」

「わかっていないかもしれないのだろう」

「そうなら、ますます性質が悪い。あの娘は永遠に叶わぬ夢を見続けねばならんのだぞ」


 ウィルフレドは思わず道の先へ目をやったが、もちろんマティルデの姿はもう見えない。

 魔術師になるという夢について、どこまで真剣に考えていたのかはわからない。

 男の前では怯えてしまうので、まともに話したこともないから仕方がないのだろうが。

 けれどコルフのように真剣だったようには見えなかったし、周囲からも心配の声しか聞こえてこない。


「放っておくことだ」

 ロウランの囁きに、ウィルフレドは再び目を向ける。

 魔術師はいつになく真面目な顔をして、諭すように話を続けた。


「本人に聞き入れる気がないのだから仕方あるまい。そのうち決着がついて、嫌でも目を覚ますことになるだろう」


 マティルデを心配していた。

 大勢が手を差し伸べて救った少女が、進むべき道から外れてしまったように感じて、助けた方が良いのではないかと考えていたけれど。


「あの娘は身の程を知るべきだ。都合の良いことばかりの運命など存在しない。強くありたいと願うのなら猶更だ。わかるだろう、ウィルフレド。見てはいなくとも、お前がどれほど過酷な道を歩んできたのか俺は知っている」


 そうロウランが言えるのは、彼もまた同じ道を歩んできたからなのだろう。

 素質があっても、どれほど恵まれていても、それだけで強さを手に入れることなどできない。

 努力や経験がなければ力は育たない。剣も魔術も同じで、歩み続けなければ高みは望めない。


「あの娘は自分で選び取り、運命がどうなろうが自分で決着をつけなければならん」


 未知と向かいあうのは恐ろしいが、やらねばならない時は、勇気を以て臨むしかない。

 レテウスには、それができている。

 憧れの戦士に願いを伝えたい一心で、王都での暮らしを捨て、戸惑いながらもこの街で暮らし、諦めかけても立ち上がって、我慢強く日々を重ねている。


「その後は、神が相応しい道へ導くだろうよ」


 ロウランの言う通りだった。

 生きていれば、いつか試練の時が訪れる。

 不器用にでも、どんなに無様に見えても、自らの意思で挑まなければならない。


 救ってやろうなどという考えこそが、間違っている。

 大体、ただの人間に過ぎない自分がすべてを救えるはずもないのだから。


「……そうだな」

 

 シュヴァルの母親であろうシュミレアの、柔らかく微笑んだ顔が脳裏に浮かび、戦士は項垂れていく。


 どんな経験も無駄にはならないが、努力が実るとは限らない。

 失敗や諦めのような苦い記憶も、生きていれば必ず心に刻まれるものだろう。

 

 

 腰の辺りに、手が触れた感覚があった。

 ロウランは戦士に寄り添い、美しい顔を微笑ませている。


「飯を食いに行くぞ、ウィルフレド。食わねばなにも始められんからな」

 

 ひょっとしたら、自分の迷いを解消する為にここへ連れてきたのかもしれない。

 ウィルフレドはその可能性について考え、魔術師に頷いていく。


「飯を食ったら菓子を買いに行こう」

「ならば急いだ方がいい。昼になると売り切れてしまうようだから」

 ロウランは目を丸くして、いつもより高い声をあげた。

「なんだと? いや、あの美味さなら当たり前だな。なあウィルフレド、俺たちは探索をしなければならん。ギアノに店を持たせるから、お前も少し金を出せ」

「勝手に決めるつもりか」

「駄目か?」

 さっきまで偉そうに語っていた癖に、急に勝手ばかり言い出す魔術師に笑ってしまう。

「本人が決めなければ駄目だ」

「お前もあの才能を生かした方が良いと思うだろう」

「思うが駄目だ」


 ロウランは美しい顔をしかめていたが、すぐに気を取り直したようで、早く行くぞと戦士を急かした。



 

 この街へ流れ着いた時、命などもうどうでも良いと考えていた。

 噂に聞いた迷宮に身を投じ、荒々しく剣を振り抜いて死ねば良いと考えて、何ももたずにやって来たのに。


 あの時、道の上で困り果てていた小さな雲の神官に声をかけた時から、考えていた運命とは違う道を進んで来たのかもしれない。

 なにもかもがあるべき方へ流れて、今、この魔術師と歩いているのだと思える。


 ならば、夜の神官との出会いと別れも必然だったのだろう。

 熱く激しい夜の記憶は、儚く美しい夢を見ていただけ。

 そう考えるしかない。いつまでも甘い夜を想い続けていられないのだから。


 ラフィの瞳の輝きを、空に浮かぶ星の瞬きに置き換える。


 ウィルフレドは宝石をひとつ胸の奥にしまうと、魔術師に誘われるまま迷宮都市の道を歩いていった。

 

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