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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
43_Just as SHE likes 〈美しい夜に、さよなら〉

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195 強者の気紛れ

 ウィルフレドが樹木の神殿に辿り着き友人の姿を探すと、キーレイは神像の前に佇んでいた。

 胸の前で手を組み、目を閉じている。

 祈りの時間なのかと考え、並んだ長椅子の後ろで立ち止まり、しばし待つ。


「ウィルフレド」

 やがてぱっちりと目を開いた神官長は、友人の姿を認めて声をかけてきた。

「なにかありましたか?」

 そばまで進むとすぐに問われて、顔に出ていただろうかとウィルフレドは考えている。



 一番前の長椅子に腰かけて、マティルデについての懸念を報せていく。

 レテウスの家の前で見せた攻撃的な態度について話すと、キーレイは表情を曇らせ、囁くように答えた。


「あの子らしくありませんね」

「同じく弟子であろう青年と一緒だったのですが、少し前にも二人でニーロ殿の家に来たのです。その時は、様子がおかしいとは思いませんでした」

「この数日で変わってしまったのでしょうか?」


 キーレイは目を伏せ、雲の神官長から伝えられた話をウィルフレドに教えてくれた。

 少女は神殿を抜け出した後、怪しげな劇場で無理矢理働かされ、必死の思いで逃げた末にホーカ・ヒーカムに助けられたらしい。


「ウベーザ劇場という店が新しくできたのです。そこは、少女たちが歌って踊る舞台を観ながら酒を飲めるようなところなんだそうです」


 樹木の神官長は小さくため息を吐きだして、自分のところにも招待状が来ていたと話した。

 リシュラ家に届けられた招待状はキーレイの父が処分してしまい、神官長の手元に来ることはなかったらしい。


「父が行くなというような店ですから、問題があるのだとは思います」


 キーレイは口にしなかったが、行けばマティルデを救えていたかもしれないと考えているのだろう。

 せめて慰めようと考え、友人の肩に手を置く。


「レテウス様の家を見ていたのなら、まだクリュを連れていこうと考えているのですね」

「ええ。どうやら、ロウランも同じように狙っているようでした」

「魔術師ロウランを? ニーロだけではなく?」

「正確には、ラフィを連れてくるように言われているようです」


 キーレイは戸惑った顔をしていたが、マティルデたちはロウランに会ったのかウィルフレドへ尋ねた。


「ええ。ロウランが出迎えて、どうやら二度、話したようでした」

「なんと言っていましたか?」

「……弟子入りを撤回して、街から出た方が良いのだと話していました」


 マティルデは魔術師に食ってかかり、怒りを買っていた。

 ロウランは軽くあしらっていたが、二人の言い合いを伝えても意味はないだろう。

 美しい魔術師がウィルフレドに言ったことは僅かだった。

 マティルデは誰の言葉も聞き入れる気がなく、どうにもならない。

 それだけだ。


 キーレイはそうですかと呟き、また目を伏せている。

「ホーカ・ヒーカムに強く命じられているのでしょうか。ゲルカ様も心配していたのです。弟子入りさせる代わりに条件を出されているのではないかと」

 そんな無理なやり方はやめてほしい、と神官長は言う。

 弟子が駄目なら師匠を説得したいところだが、今回はそれも難しいのだろう。

「ホーカ・ヒーカムの師匠でもいれば、口添えしてもらえるのかもしれませんが」

 さすがに誰なのか知らないし、知る者がいるかどうかもわからない。

 キーレイは神官らしく手を組み、短く祈りの言葉を紡いでから、こう呟いた。


「マティルデになにかあったら、ティーオは悲しむでしょうね」


 少女の運命がどうなるかはまだわからない。

 キーレイも諦めた訳ではないだろう。なにか打てる手がないか、考えているに違いないのに。


 こう呟いたのは、マティルデが奇跡的に迷宮の中から救われたからだ。

 ティーオが見つけ、ウィルフレドが背負って地上まで戻り、大勢が手を差し伸べて命を取り留めた。

 師匠に出された条件は単純な人探しだが、クリュもロウランもニーロも、簡単には連れていけない。

 素直に応じないし、周囲の人間も守ろうとするはずで、揉め事になる可能性が高い。


 怪しげな噂が多く囁かれる魔術師ホーカ・ヒーカムは、命令を果たせない弟子をどうするだろう?


 あの愛らしい少女には、平穏無事に生きていってほしい。

 皆そう願っているのに、波乱の気配ばかりが満ちていく。




 結局なにも出来ないまま、戦士は家へと戻った。

 ニーロはどこへ行ったのか姿はなく、ウィルフレドが上着を脱いだところでロウランが戻って来て、扉に鍵をかける姿が見えた。


 夕暮れが迫る頃で、こんな時間帯になるとロウランは大抵、戦士を夕食に誘ってくる。

 けれど今日はどこにも行くつもりはないのか、二階に上がっていったまま、降りてこない。


 ニーロの家は手狭で、ただ暮らすだけなら問題はないが、食事を作る為の設備はなかった。

 なのでどこかの店に行くか、買ってくるかしなければ、食事にはありつけない。


 食にはやたらとうるさいはずのロウランが気になって、二階へ向かう。

 魔術師は大きなベッドに横たわり、やって来た戦士を観て微笑んで見せた。


「どうした。俺が欲しくなったのか?」


 馬鹿なことをと息を吐き、夕食をどうするか問いかける。

 こんな風にする義理もなく、疑問に思いつつも声をかけると、魔術師は嬉しそうに笑った。


「お前はどうする気だ」

「決めてはいない」

「なら、どこかで俺の分も買ってきてくれ」

「なにかあったのか」


 こんな頼みごとをされたのは初めてで、問題でもあったのではないかとウィルフレドは考える。

 ロウランは問いに答えないまま微笑むだけなので、結局戦士はまた上着を着込んで外を歩き、二人分の食事を買って帰った。


 一階の簡素なテーブルに食事を広げると、ロウランはすぐに降りてきて、夕食を楽しみ始めた。


 選び抜かれた血で形作られたという神官の体は、物を食べる姿も美しい。

 開いた唇も、匙を持つ指の細長さも、結局はすべてが魅力的だった。

 ウィルフレドは複雑な思いを抱いているが、ロウランの向こうにラフィの姿を思い出し、疑問を口に出していく。


「以前、ホーカ・ヒーカムの屋敷に共に行った」

「なんの話だ?」

「ラフィと共にだ。魔術師の暮らす辺りで起きていた迷い道の解決の為に、訪ねたことがあった」


 キーレイとニーロに連れられて、ホーカではなくヴィ・ジョンと向かい合った時。

 

「あの時、なにか見たのでは?」

 ロウランは黙ったまま、兎肉のサンドを頬張っている。

「キーレイ殿とラフィが二人でヴィ・ジョンという男と話していた。彼はなにも知らないととぼけていたが、ラフィを見た途端に様子がおかしくなっていった」


 音は聞こえないが、景色は見えるとロウランは話していた。

 本当かどうかはわからないが、見ていたのではと考え、ウィルフレドは問いかける。


「あの時、なにがあった? ホーカ・ヒーカムなる魔術師は何故ラフィを連れてくるよう弟子に命じている?」


 ロウランは手を止めると、ひどく面倒そうに顔をしかめてみせた。

 それでもまだ美しい青紫の瞳でしばらく戦士を見つめていたが、やれやれとでも言いたげに肩をすくめると、水を飲み干し、話し始めた。


「ラフィは何もしておらんよ。あの時、ホーカとやらは思い知っただけさ」

「なにを?」

「これほどまでの器が世の中にあることを」


 魔術師は手をゆらりと揺らし、自身の体を撫でていく。

 美しい曲線を見せつけるように足までなぞって、ウィルフレドへ微笑んでみせた。


「言っておくが、これは俺の推測にすぎんぞ」

「構わない。教えてほしい」

「仕方がないな」

 案外しつこい男だと呟きながら、ロウランは笑っている。

「ホーカ・ヒーカムはより良い体を欲している」

「より良い体?」

「ラフィか、ニーロか、どちらかの体が欲しいんだよ」


 意味が理解しきれずにいるウィルフレドへ、ロウランは語り続けていく。

 魔術は誰にでも扱えるものではないし、強くある為には良い体が必要なのだと。


「おそらくは、ラーデンも同じように企んでいたと思う」

「ニーロ殿を育てた魔術師か」

「ああ、そうだ。ニーロは素晴らしい素質を持って生まれた。幼いうちから正しく(・・・)育て、最も良い形に育つよう手をかけていた」

「育てて、どうなるというのだ」

「ラーデンはできると信じていたはずだ。他人の体を自分のものにする方法があるのだと」

 わかるだろう、とロウランは囁いている。

 目の前の魔術師がやってのけたのだと、見せつけるように笑っている。

「では、ニーロ殿は……、魔術師ラーデンなのか」

「いや、違う。魂は間違いなく、ニーロのままだ」

「ラーデンはどうなった?」

「さあな。魂を移す方法が見つからなかったのか、失敗したか。今更知る術はないだろう」

 ロウランは口元に笑みを湛えたままで、ウィルフレドは不審に感じている。

「お前はそうではないと考えているんじゃないか?」

「ふふ、そう思うか。お前はやはり鋭いのだな。時々ひどく鈍いのに」

 魔術師は満足そうに頷くと、自分の考えを明かした。

「ラーデンは理解したんだ。ニーロこそが魔術を極めるのにふさわしいと」


 ニーロの体にニーロの魂が宿っている状態が最適であり、邪魔することは許されない。

 それがラーデンの出した結論で、弟子に手を出さずに離れていったと思う。

 ロウランは楽しげに自分の推測について語っており、ウィルフレドは違和感を覚えていた。


「まるで確信しているかのような口ぶりだな」

 魔術師は満足そうに笑って、戦士に向けて頷いている。

「見たからな。ニーロの体には、ラーデンのつけたしるしが残っている」

「しるし?」

「体を奪う為の用意を済ませていたくせに、やらなかったのさ」


 他人の体を奪う為にどんな術が使われ、どんな風にしるしがつけられるのか。

 ウィルフレドにはまったく理解ができない話だった。

 けれどロウランは瞳を輝かせ、更に話を続けていく。


「だからホーカ・ヒーカムとやらがどんな手を使おうと、ニーロの体を奪うことはできない」

「しるしのせいで?」

「そうだ。しるしが消えるのは、ニーロの魂が失われた時だけ。そんな事態にはならんだろう。あれは強靭な精神(こころ)の持ち主だからな。類稀なる存在だよ。目をつけられる理由もわかるというものだ」


 マティルデが家にやって来た時、ロウランが突き付けた言葉の意味がわかったようにウィルフレドは思った。

 ホーカ・ヒーカムの野望は果たされずに終わる。

 魔術師は確信を以てそう告げたと理解し、胸のうちで深く納得していた。


「ラフィの体も同じなんだな」

「なにが言いたい?」

「お前が既に奪ったから、魔術師ラーデンと同じことをしたから、手を出せないのだろう」

「怒るな、ウィルフレド」


 ロウランは微笑み、戦士の買って来た酒をひとくち口に含んだ。

 唇が濡れて、部屋の灯りを受けて輝いている。

 そこにいるのは魔術師なのに、夜の神官が放っていた妖しげな気配がほんのりと香り漂ってきて、ウィルフレドの心を揺らした。


「あの光景を見ておらん者に、言えることなどない」


 あの光景。

 ウィルフレドが知らない、魔術師の心に残っている景色とは。

 

「あれは魂を砕かれるほどの絶望の果てに死んだ。とても哀れな終わりだった。誰よりも美しく強いのに、どんな罪人よりも粗末な扱いを受けた」

 長い睫毛を瞬かせ、瞳に炎を滾らせ、ロウランはまだ語る。

「許せなかったんだよ、ウィルフレド。ラフィ・ルーザ・サロはあんなところで消えてはならなかったんだ」


 ロウランは強い怒りを示している。けれど、結局は変わらない。

 体を失っていたという魔術師は新たな「いれもの」が欲しくて、神官の体を盗んだのだから。


 ウィルフレドが視線を向けただけでこの憤りは伝わったらしく、ロウランは楽しげに笑いだしている。

「誘惑されて溺れた癖に、ふふふ。お前はあれを愛しているのか?」

 仕方ないな、と呟きが続く。

 昼も夜も構わず、人生で最も深く溺れた記憶を、簡単に消せはしないだろうから、と。


 二人の逢瀬の時間については、まだどう受け止めるべきなのかわかっていない。

 確かにラフィは愛おしい。けれどそれが本当に自分の意思だったかは、曖昧なままではっきりしてはいなかった。


「ホーカ・ヒーカムがこの体を奪えない理由は他にある。ラーデンと俺とではやり方が違うからな」

「では、何故なんだ?」

「簡単な話だ。俺よりも弱いからだよ」

 だからホーカ・ヒーカムの野望(ゆめ)は叶わない。

 強く最適な素質を備えた体を手に入れるなど、持たざる者の夢想に過ぎない。

「あの小娘は使命を果たすことはできない。命じられた通りにしたところで、師匠の助けにはならんからな」

「だから、意味がないと言っていたのか」

「そうだよ、ウィルフレド。理由があって人探しを引き受けたのだろうが、あの娘がどれだけ励もうとどうにもならん。ひたすらただ働きをさせられるだけだ」


 ロウランは残りの食事に手を伸ばし、荒々しくかぶりついている。

 もうこれ以上話す気はないのだろう。

 頬を大きく膨らませた顔はいつもより幼く見えて、愛らしいほどだ。

 

 ラフィの終わりはどんなに悲惨なものだったのだろう。

 ロウランの言葉通りならば、相当に酷かったに違いない。 

 神に仕えるあれほど美しい女が、どうしてそんなにも憎しみを向けられたのか、ウィルフレドにはわからない。理解できない悲劇は心を圧倒し、戦士から言葉を奪ってしまったようで、次の日の朝まで無言で過ごすことになった。



 あくる日、ウィルフレドは一人で目を覚ました。

 小さな黒い家の二階にはベッドがひとつしかなくて、何故だかロウランと毎晩隣あって眠っているが、大抵は戦士の方が先に目を覚ましている。


 一階へ降りるとテーブルで魔術師たちが向かい合っていて、一方はどこかで用立ててきた朝食を頬張っている。


「おはようございます、ニーロ殿」

 まだ若い魔術師と、昨日は結局顔を合わさないまま床に就いていた。

 夜遅くに戻って来たであろうニーロは今日も用があるらしく、ロウランに文句を言われている。


「ギアノの飯に誘ったが、ニーロは来んそうだ」

 仕方のない奴だと、ロウランはウィルフレドに向けて肩をすくめてみせた。

「勝手に人数を増やされては困るのではありませんか」

「普通はな。あやつならば二、三人程度、いきなり来てももてなしてくれるだろう」

「今日は行かねばなりません」

「そうか、では仕方ない。……迷宮に行くのではあるまいな?」

「違います」

「ならば良い。いいか、ニーロ。迷宮に行くのなら、俺にも声をかけるんだぞ」

「わかったと言っているではありませんか」


 飯もちゃんと食えと一言付け加えて、弟子への注意は終わったようだ。

 ロウランはご機嫌な笑みを浮かべて、用意した朝食をウィルフレドにも勧めた。


 よほど今日の食事が楽しみなのだろう。

 控えめな量の朝食に、戦士も思わず笑ってしまう。


 食事を終えるとロウランは二階へ上がって行って、着替えを始めたようだった。

 本人が明言したことはないが、やはり中身は男性なのだろう。

 魔術師の着替えは見た目に反して荒々しく、裸のままあれでもない、これでもないとうろつくのが常だから。

 一度目にした時は驚いたし、あの奥ゆかしい神官らしさはかけらも感じられなかった。

 

 どれもこれも似たような深い紫色のローブばかりなのに、選ぶのにそこまで悩む理由もわからない。

 しかし始まれば身支度には時間がかかるので、ウィルフレドは大人しく一階で剣の手入れをしようと決める。

 そうしている間にニーロは出掛けていき、しばらくするとロウランが降りて来た。

 まだ剣の手入れを続けるウィルフレドのもとにうきうきとした様子で椅子を持って来て、そばに腰かけて。


「もう少し重いものが良いと言っただろう」

 答えない戦士に、魔術師はふふんと笑っている。

「そう簡単に良い物など見つからんか。お前ならばどんなものでもうまく扱えるだろうから、必要ないのかもしれないが」

「剣に詳しいのか、ロウラン」

 魔術師はにっと笑うだけで答えず、真偽はわからないままだ。


 ニーロもそうだが、ロウランも武器の類を持っていない。

 上級者向けの店に行くと、魔術師向けと銘打たれた杖が置いてあるが、二人には必要ないようだった。

 裾の長いローブは身に着けているから、必要な物なのだろう。

 コルフも似たようなものを着ているし、マティルデたちも揃いのローブに身を包んでいた。


 マティルデについて考えた途端、気持ちが乱れて集中力が散っていく。

 なんとかしてやれれば良いのに、どうにもできない。

 方法はどこかにありそうなのに、ウィルフレドでは見つけられそうにない。

 誰かが良い考えを思いついて、実行してくれるよう祈るしかなかった。


「なあ、そろそろ行こう」

 手入れ道具を置いた瞬間声をかけられ、ウィルフレドは立ち上がった。

 ロウランは嬉しそうに戦士の周りをうろうろと歩いて、早く行こうと急かしてくる。


「そんなに楽しみだったのか」


 美味い飯は生きる喜びだろう。

 ロウランは声を弾ませて、扉に向かって進んでいく。

 ウィルフレドは手早く片づけを済ませて、後を追った。

 一緒に行く義理はないが、マティルデのことがどうにも気にかかる。

 少女に起きた問題は解決しようがないが、ギアノを無駄に惑わせてはいけないという思いで、はしゃぐ魔術師の後を歩いていった。



 カッカーの屋敷に辿り着くと、食堂と厨房は若者でごった返していた。

 忙しそうに行き来する様を、ロウランは不思議そうに眺めている。


「ウィルフレドさん」

 廊下の途中で声をかけられ、振り返ると屋敷の住人であるパントとクレイが立っていた。

「こんにちは」

 二人は戦士の背後にいた麗人に気付き、一瞬で頬を真っ赤に染めていく。

「今日はなにかあるのかな。随分人が残っているようだが」

「ええ、はい。あの……、そうなんです。少し前に、お隣の神官たちに迷惑をかけてしまって」

 パントは緊張しているのか声を上ずらせ、続きはクレイが引き受ける。

「ギアノが提案してくれたんです。皆で神官たちの食事を作って、お詫びをしたらどうだろうって」

 初々しい若者たちの反応にロウランは笑みを浮かべており、美女に笑顔を向けられた二人はぽーっとして動けなくなっている。


「ウィルフレド、ロウランも」

 また声をかけられて振り返ると、食堂の端にはキーレイの姿があった。

 神官長がここにいるのは特別な食事に招かれたからであり、三人分の席が既に用意されている。

「ギアノが私も招いてくれたんです」

「では、ここに座っておればいいのかな」

 ロウランは上機嫌で腰を下ろし、ウィルフレドも隣に座る。


 キーレイが二人の向かいに座るとギアノがやって来て、まずは飲み物を用意して振舞ってくれた。

「良い香りだ。お前の故郷の味なのか?」

「俺の故郷は港町なんで、みんな酒ばっかり飲むんです。このお茶は近くにある農村で教えてもらったものですよ」

 ギアノの話の間にカップを口に運んで、ロウランは嬉しそうに笑っている。

「うん、美味い」

「食事もすぐに用意しますね」


 厨房は大勢が出入りしているが、若者たちはみんな廊下の先に去って行く。

 料理はもう終わっていて、隣に運んでいるだけなのかもしれない。


 ギアノは住人たちの指導などはしていないようで、三人の客の為の食事を順番に運んできてくれた。

 まずはスープが並べられ、たくさんのパンを盛った籠、オレンジ色のソースのかかったステーキ肉がやってくる。

 どれもこれも丁寧に盛り付けられていて、見た目が良い。味はもっと良くて、ウィルフレドも思わず唸っていた。


「ギアノ・グリアドは何故店をやっておらんのかな」

 肉を一切れ味わい、ロウランが呟く。

「これは鹿でしょうか」

 ウィルフレドの問いには、キーレイが答えてくれた。

「猪でしょう。あまり出回りませんが、とても美味しいんです」


 管理人の青年はお茶のおかわりを持って来て、それぞれのカップに注いでくれている。

「ニーロの話は本当だったな」

「気に入りました?」

 ロウランは幸せそうに目を細め、ギアノの腰を叩いている。

「ああ、お前は素晴らしい。キーレイ、店を用意してやったらどうだ」

「いやいや、そんなわけにはいきませんよ」

 他にやることはたくさんあるので、と若者は笑っている。

 確かに、この屋敷の管理の仕事も、ギアノ以上に出来る者などいないだろう。

「腕の良い料理人を雇って、お前の言う通りに作らせてはどうだ」

「あはは、喜んでもらえたみたいで嬉しいです。次のを持ってきますから、少しお待ちを」

 ロウランはまだなにか言いたげだったが、次の料理を予告されて口を噤んだ。

 ギアノが運んできたのは、ふんわりと膨らんだパンのようなものだが、ナイフを入れると中からごろりと具が出てきて、三人をまた驚かせている。

「これはなんだ、本当に美味いな」

 ロウランは料理に夢中になり、美女が食べる様子にギアノは微笑んでいる。

「ギアノ、これはどういう料理なんだい?」

「王都の東から来たって商人が市場に居て、話しているうちに仲良くなったんですよ。変わった調味料を扱っていて、その人の故郷の料理をいくつか教えてくれたんで、試しに作ってみたんです」


 手に入る材料は限られているので、ギアノなりにアレンジを加えた結果がこの料理らしい。

 見たことも味わったこともない新しい味に、キーレイも深く感心したようだ。


「いや、本当に美味しいよ」

「気に入ってもらえて良かった。最後にデザートもありますよ。準備をしてきますね」

 管理人が厨房へ去り、ロウランはかけらまですべてきれいに平らげると、ぼそりと呟いた。

「次で最後か」

 結構な量を出されたのにまだこんなことを言う魔術師に、キーレイは笑みを浮かべている。

「ギアノの作る菓子は絶品ですよ」

「菓子などこの街では見かけんそ」

「探索をする若者たちが菓子を欲しがらないからなんでしょうね。商人たちは王都で買ってきたり、取り寄せたりしています。最近ギアノの作った物を扱う店ができましたが、すぐに売り切れてしまいますし」

「そんな店があるのか。どこだ」

 キーレイは魔術師にティーオの店の場所を教えているが、タイミングが悪いと残っていないことも伝えられている。


 皿を空にしてお茶を楽しむ三人のもとに、料理人が戻って来る。

 先に片付けに来たらしく、皿を手早く集め、テーブルについた汚れはさっと拭いて、あっという間に去っていった。


「ギアノ・グリアドはどこかの店で働いていたのかな」

「迷宮都市に来てから働いていた店もあったようですが、彼の家は食堂をやっていて、子供の頃から手伝っていたと話していましたよ」

「なるほど。多少働いただけでああはなれんよな」

「港町で生まれ育ったらしくて、海で採れた物を入れるともっと美味しくなると話していました」

「なんだと」

 ロウランは目を輝かせているが、海辺は遠い。大きな川からも距離があり、傷みやすい魚や貝は、滅多に迷宮都市に入って来ることはないだろう。

「魔術師が行って、凍らせてしまえば運んで来れるか」

 こんな独り言に、キーレイは感心しているようだ。

 食への熱意は想像以上だったようで、ウィルフレドは笑いを漏らしている。

 


「さて、お待たせしました。新しく考えた、まだ誰も食べていないものですよ」

 運ばれて来たものはいつもの焼き菓子ではなく、置かれたはずみでふわりと揺れる、不思議ななにかだった。

「匙ですくって、少しずつどうぞ」

 柔らかな黄色は匙でふれると逃げていき、掬って口に入れると、優しい甘さを振りまいてあっという間に溶けていってしまった。

「お前は天才だな、ギアノ・グリアド」

「あはは。美味しいですか?」

「こんなものは初めてだ。ああ、もったいない、消えてしまう」

 だが、美味い。

 ロウランは料理を散々褒めて、ギアノはほっとした様子で笑っている。

「ちゃんとお礼になったかな」

「期待以上だ。また頼んでは駄目か? 他の仕事があるというが、時間を作ってもらえんかな」

 金なら払うと迫られて、管理人の青年は驚きながらも了承している。

「菓子を作って店で売ってるんですけど、休みの前の日は作業がないんです。その日に都合があえば、いいですよ」

「本当か、ギアノ・グリアドよ」

「ええ。新しい菓子を作っていますし、良かったら味見を引き受けてください」

「お前は本当に素晴らしいな。困った時には言うがいい。力になってやろう」

「あはは、ありがとうございます、ロウランさん」


 魔術師は満足げに振り返り、言ってみるものだな、とウィルフレドたちに笑いかけくる。

 キーレイもギアノに感謝を告げており、特別な招待の時間はこれで終わった。

 管理人の青年はまた皿を集めて、神殿の様子を見てくると言って去っていく。


「満足だ。ああ、想像以上だった。招かれて良かっただろう、ウィルフレド」

 反論のしようがなく、ウィルフレドは「確かに」と答えた。

「よし、腹ごなしをしようか」

「腹ごなし?」


 首を傾げるキーレイの腰に手をまわし、ロウランはにやりと笑っている。


「キーレイ、お前に伝えたいことがある。迷宮に行くぞ」

「今からですか?」

「ああ、長くはかからんから心配せんでいい。この良い気分のまま行くぞ、ウィルフレドよ」


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