191 もて悩み種
迷宮都市ならではの仕事といえばまずは探索者だが、その次に挙げられるのは「薬草業者」だろう。
「緑」と「紫」の迷宮では薬効のある草が生えており、うまく調合できれば薬として売り出せる。
目指す迷宮へ行きやすくする為に、業者は街の南西に拠点を構えている。加工や調合はそこで行い、探索初心者の為に北側に小売店を設けて、販売をする。
薬草業者は、遠い町からやって来る大勢の少年少女たちの良い働き先だ。
店先に立つ接客係、在庫の管理、迷宮での採集、草の加工や薬の開発など、仕事が多く、人手を必要としているから。
出稼ぎの者は採用されるとどの仕事が向いているか試され、能力に合った現場に配属される。
最も難しいのは開発と採集で、適性がなければ決して選ばれない。
材料がなければ始まらないし、売り物がなければ店はやれない。
どのくらい優秀な従業員を雇えるかで、業者の命運は決まるだろう。
迷宮都市の主だった業者のひとつであるミッシュ商会の従業員、ルンゲ・エーリングは「緑」の採集担当のリーダーであり、この日は次の探索の計画を立てる為、薬草の保管庫で在庫の確認をしている真っ最中だった。
「よお、ルンゲ。ここにいたんだな」
探したよと言いながら現れたのは「紫」の採集チームの一員であるファッソで、ルンゲは馴染みの顔に手を挙げて応えた。
「なにか用か?」
「ああ。あのオーリーって奴が実は神官だったって話を聞いたんだが、本当なのか?」
真顔で問われて、思わず笑ってしまう。
ファッソは共に採集に行ったことがあるから、信じられなくても無理はない。
「本当だよ」
「へえ、へえー……、そうなのか。お前が言うなら本当なんだろうけど。まったく、信じられないな。なにがあったんだい、あいつに。どこかで酷く頭を打ったとか?」
「さあな」
「知らないのか、ルンゲ」
「あいつが言わないことなんか、わかるはずないだろう」
適当な答えを返されたのに、ファッソは大真面目な顔をして首を振っている。
「俺、前に聞いたことがあるんだ。頭に大怪我をすると大事なこともぽーんと忘れちまったりするんだって。あ、魔法生物にやられたんじゃないか? 命があってなによりだが、大変だったな、あいつも」
ふんふんと勝手に頷くと、ファッソはやって来た理由をようやく打ち明け始めた。
「オーリーをこっちのチームに貸してほしいんだ」
デルフィの正体を知ったのなら、こんな話を持ち掛けるのは当たり前。
神官が同行してくれれば、迷宮歩きはぐっと楽になる。倍どころか、五倍か十倍くらいの効果がある。
そう理解しているから、簡単には断れない。ルンゲは頷き、話しておくよとファッソへ答えた。
「デルフィ、『紫』に行ったことはあるか?」
夕方になり、仕事終わりのひょろ長い神官に声をかけ、話合いの為の小部屋へ連れ込んで。
ルンゲが問うと、デルフィ・カージンは神妙な面持ちでこう答えた。
「あります。以前、回収の仕事を引き受けたことがあって」
「回収? お前、それは誰にも言わないでおけよ」
「紫」採集のチームからの頼まれごとを伝えて、行けるかどうか確認していく。
デルフィは戸惑った顔を見せたが、ルンゲはできれば引き受けて欲しいと仲間に頼んだ。
「あっちの方が採集は厳しい。毒が強いし、敵も手強いからな。神官の力がありゃ、どれだけ楽になるかわからない。断るとしたらそれなりの理由が必要になっちまう」
「そうなんですね。わかりました」
ルンゲの立場を慮ったのか、デルフィは静かに頷いている。
やせ細った神官は普段から血色が良いとは言えないが、今日はやけに青白く、表情も深刻そうに見えた。
「どうした、そんな顔をして。なにかあったのか?」
今のデルフィの顔には、大勢が避けてしまいそうなほどの負の気配が満ちている。
ルンゲが様子を窺っていると、デルフィは聞いてもらえるかと前置きをして、頼れるリーダーへ心のうちを明かしていった。
神官の行方を捜し続け、とうとう捕らえて、逃げられて。
そんな因縁の男に会いに行ったら、逆に逃げられてしまって、どうしてなのか思い悩んでいる。
要はこんな話だったのだが、デルフィと幼馴染であるジマシュという男との関係は複雑で、説明をされても理解ができないままだ。
言えない話もあるのだろう。
無彩の魔術師とチャレド似の凄腕料理人が来た時の話も、すんなりと理解できるようなものではなかった。
デルフィ自身が知らない事もあるようだし、うまく説明できないのも無理はないのかもしれない。
もしも自分にそんな相手がいたとしたら。
どうしても捕まえてやろうと思っていた相手が、ずっと逃げ続けていたのに、急に姿を現したとしたら、どう思う?
ルンゲは首をぐるりと回し、自分の考えを神官に話した。
「ずっと逃げてたお前がいきなり現れたんだ。怪しまれたんじゃないのか?」
「怪しまれた?」
「急に堂々と出て来たんだから、やり返されるって考えたかもしれないよな」
デルフィははっとして、そうか、と小さく呟いている。
「警戒させてしまったのでしょうね。もっと考えて行動するべきでした」
「なにか言ったのか?」
「いえ。むしろ言わなかったのがよくなかったように思います。僕だったらもっと怯えて、どうして、なんでと問うのが普通だったでしょうから」
陽気な阿呆の仮面が剥がれてからは、真摯で意思の強そうな顔しか見ていない。
どれが本当の顔なのやらと考えるルンゲへ、デルフィはまだしょぼくれた顔を見せている。
「無彩の魔術師と約束したのです。会いに行って話をつけると」
「済んだモンは仕方ねえさ。伝えておけよ、うまくいかなかったって」
「そうですよね。次の休みが来たら、行ってみます」
「なあ、鍛冶の神殿に頼れる奴はいないのか?」
「通ってはいたのですが……」
なにが問題なのか、デルフィの声は力を失い、消えていく。
「他には?」
「雲の神官長にはお世話になっています。無彩の魔術師からは、樹木の神官長も力を貸してくれると言われています」
「リシュラの坊ちゃんが? なら百人力じゃねえか。あんなに強くて頼れる人なんかいねえだろ」
雲の神官長であるゲルカの噂もよく聞いている。温厚でどんな人間にも手を差し伸べる、カッカー・パンラと並ぶほどの人情家なのだと。
神官長が二人も協力してくれるにも関わらずデルフィは肩を落としたままで、理由をぼそりと呟いてくれた。
「僕は鍛冶の神に仕えているというのに」
「お前、本当にオーリーと同じ奴なんだよな?」
ルンゲの呆れた呟きに、デルフィはようやく笑みを浮かべた。
「すみません、ルンゲさん」
「謝ることなんかねえよ。とにかく、心強い味方がいるんだ。必要なら力を借りて、解決していけばいいんじゃないか?」
「そうですよね。考えてみます。もっと、いろいろと」
相談に乗ってもらったことに礼を言い、デルフィが立ち上がる。
「水くせえな、お前は。この程度、いくらでも聞いてやるぜ。聞くだけでいいんならな」
荒っぽい返答に神官は笑って、「紫」のチームへはいつ行けばいいのか尋ねた。
「ファッソに伝えておくから、声がかかったら行ってくれ」
「わかりました。では、失礼します」
よくあんなにふざけたことばかり言っていられたものだ。
今の様子とオーリーのとぼけぶりはまったく結び付かなくて、ルンゲは呆れながら神官を見送った。
次の日になると早速ファッソから声がかかり、デルフィは試しの為に「紫」へ向かった。
ルンゲとミンゲは薬草の在庫量を確認し、薬の売れ具合と比較しながら次に採集するべき物について話し合っている。
「ルンゲ、今いいか」
従業員のまとめ役であるハージュが顔を出し、共にいるのがミンゲだと気付いて、二人の傍までやってくる。
「なんですか、ハージュさん」
「調合の奴らになにか頼んでる物があるって本当か?」
「ええ、頼んでます」
「なんの薬だ」
故郷で暮らしている弟の為、胸の病に効くものが作れないか頼んでいる。
迷宮都市では傷や毒を治すものばかりが売れるが、それ以外の薬が出来ないわけではない。
これまでにも病気の治療薬が作られたことがあり、ルンゲたちも時間があったらでいいからと調合係の者に依頼をしている。
「そうか、病気なのか、可哀想にな。実は今、特殊な依頼を全部確認しているんだよ。薬の悪用をしてる奴がいるらしいって、全部の業者に話が来てる」
「悪用って、獣除けを持ち出したりとか?」
ミンゲの問いに、ハージュは渋面を作って答えた。
「いや、もっと特殊な物を作ってる奴がいるみたいなんだ。魔術師とやり取りしている場合は特に詳しく調べるよう言われているんだが、お前たちはどうだ。魔術を使ったものを頼んだりはしてないか」
「してませんよ。魔術師に心当たりもないし」
ハージュはそうかと頷き、邪魔したなと言って去っていった。
ルンゲはミンゲと顔を合わせて、兄弟揃って肩をすくめている。
「先生、そろそろ戻ってきてるんじゃないかな、兄貴」
「そうだな。明日は休みだから、寄ってくる」
ルンゲとミンゲは四年前に迷宮都市へやって来た。
まだ十五歳と十四歳だった兄弟が故郷を出たのは稼ぎを得る為で、病を抱える弟を救えるかもと考えて、迷宮都市の薬草業者を働き口に選んだ。
まだ幼い弟は体が弱く、年に二回ほどミンゲが仕送りを抱えて故郷へ帰り、病状を確認している。
それを迷宮都市の医者に伝えて、どんな薬があればいいのか相談してきた。
あれこれと助言を受け、店の調合係にも伝えていくつか薬を作ってもらったものの、効果は出ていない。
結局、実際に診てみないことにはなにもわからないと医者に言われて、兄弟は必要な経費を用意するから故郷まで足を運んでもらえないか頼んでいた。
行き来する間の休業分も補填すると交渉し、稼ぎを貯めこんで。
医者のトイルードは十日前に出発し、予定通りにいけばもう帰っているであろう頃合いだった。
あくる日にルンゲが訪ねてみると、トイルードは無事に戻ってきており、薬草業者の若者を迎え入れてくれた。
わざわざ長い旅に出てくれた医師は暖かい飲み物を用意して若者に振る舞い、二人の弟であるリランについて説明をし始めたが、表情は重苦しく、ルンゲを不安にさせている。
「病も問題だが、リランはとにかく栄養状態が良くないね」
「飯をちゃんと食ってないってことですか」
家族が食べていくには充分な額を、兄弟は故郷へ送っている。
両親と兄、弟がいて、必要な額がいくらか確認した上で送っており、ルンゲは眉間に皺を寄せている。
「言いにくいんだがね、ルンゲ。余り人様の家庭に口出しはしたくないんだが、君らの兄さんが少し、やり方を間違えているんじゃないかと私は思ったよ」
トイルードはゆっくりと、言葉を選びながら話を続けていく。
「私が訪ねたこと自体、とても迷惑そうだった。お母さんもお父さんもあまりお兄さんには強く言えないようだね。どうしてもルンゲからの手紙を渡したいと頼んで、ようやくリランには会えたけど」
医者からの言葉に、ルンゲはがっくりと肩を落としていた。
心当たりがありすぎて。
ずっと心配していたし、隠されているのではと疑っていたことを、こんな形で知らされたのがショックだったから。
「兄貴は、……ちょっと複雑で」
ルンゲとミンゲには兄と弟がいる。男ばかりの四人兄弟だが家族に次々と悲劇が起きたせいで、兄のランゲとは母が同じ、弟のリランとは父親が同じ、長兄と末弟はまったくの他人という複雑な状態にあった。
いくつかの出会いと別離の結果、「今の両親」とランゲの間に血縁はない。
大きな長男は持て余され、早いうちに独立を望まれていたが、父が怪我をし、母も体の不調が続き、末の弟は病弱で目が離せない状態になった結果、家をまとめるのはランゲの仕事になった。
本人が望むのでそう決まってしまい、十五歳でも稼げる仕事を得る為にルンゲは故郷を出た。
迷宮都市で働き出してから、ルンゲは家族のもとへ一度も戻っていない。
長兄と相性が良いのは、三男のミンゲだからだ。次男へはなぜか敵対的な目を向けてくるランゲを刺激したくなくて、そうしている。
「みんなもっとしっかり食事をとるよう助言はしてきたけれど」
「嫌な思いをさせてしまったみたいですみません。わざわざあんなところまで行ってもらったのに」
ため息をついたルンゲに、トイルードはお茶を勧めた。
温かい飲み物は心をほっとさせるものなのに、やたらと苦く感じられて、胸が苦しい。
「リランについては、療養を引き受けてくれる神殿を探して預けた方がいいんじゃないかと思うよ」
「そうですよね。いいところがないか、考えてみます。本当にありがとう、トイルード先生」
何度も礼を言ってから診療所を後にし、青年はやるせない気持ちで歩きだす。
今ほどの稼ぎは、他の街では得られない。
弟を助けてやりたいが、迷宮都市で暮らすという選択肢もないだろう。
リランだけを連れだすというのも難しい。継母がなにを言いだすか想像がつかないし、妻が行くとなれば父親だってついて行きたがるだろうから。
そして。
家族が家を出るとなったら、兄はきっと怒りだす。
ランゲは体がやたらと大きい上、ルンゲよりもずっと短気で、プライドも高いから。
この恩知らずどもと怒鳴り始めたら、簡単には止められない。
弱った大人二人とやせ細った子供一人で、どうにかできるはずがない。
寮に戻っても、独りきり。
気が滅入るだろうと考えて、ルンゲは倉庫の裏手に置かれた木箱の上に座り込んでいた。
建物の隙間から細長い空を見上げてぼんやり過ごしていると、馴染みのある足音が聞こえてきて、目を向ける。
「あれ、どうしたんだ兄貴、そんなところで」
ミンゲはご機嫌な顔でやって来て、兄の隣に腰かける。
「ちょっとな」
兄がどこへ行っていたのか、ミンゲはもちろん知っている。
なのですぐに理由に気付いたのだろう。ルンゲと同じような顔をして、ふうと息を吐いた。
なにから切り出すか悩んでいると、また覚えのある足音が聞こえてきて、二人は揃って視線を動かしていく。
やって来たのはメハルで、すぐにルンゲたちに気付いて駆け寄ってきた。
「どうした、メハル」
「シュナが変なんだ。追いかけられてて、今、隠れるところを探してて」
「そこの裏口から出て、奥の作業場を抜けていきな。鍵を閉めといてやるから」
作業場へ続く扉を開けてメハルを逃がし、鍵をかけて倉庫へ引き返す。
ルンゲが元居た場所に戻ると、ミンゲとシュナが向かい合っていた。
「あ、ルンゲさん。メハルを見なかった?」
ルンゲが弟に視線を向けると、やかましい少女は怒った様子で声を荒らげた。
「ミンゲは意地悪して教えてくれないの!」
「はは、そうか」
「メハル、こっちに来たでしょ」
「ああ、来たぜ。お前にビビって逃げていった」
シュナは奥へ走っていったものの、扉を開けられずにすぐに戻って来て、意地の悪い兄弟へ文句を言った。
「あそこを開けてよ」
「駄目だ。あの先は作業場だぞ、邪魔になるだろ」
「メハルは行ったんでしょ」
「シュナよ、前にあいつと揉めたのはもう解決したんじゃねえのか。なんで追いかけまわしてんだよ」
少女は頬をぷうっと膨らませて、兄弟を相手に喚き始めた。
「いいことしてあげようと思っただけよ」
「いいこと?」
「逃げていくなんて、メハルは頭がおかしいんだわ」
「なんだよ、いいことって」
「そんなの知らない。そう言ったら男の子は喜ぶんでしょ?」
ルンゲは呆れて肩をすくめ、ミンゲは腹を抱えて笑い出している。
「なによ! どうして笑うの、ミンゲは!」
拳を振り下ろされて、ミンゲは慌てて兄の陰に逃げてくる。
「落ち着けよ、シュナ。誰にそんなこと吹き込まれた?」
「誰だっていいでしょ」
「良くねえよ。理解できてないことを簡単に口にするな」
いい加減にもほどがあると強めに叱ると、シュナは勢いを失い、いじけた表情を見せた。
「寮の子たちが噂してたから、真似してみただけ」
「噂ねえ」
「新しく出来た劇場で働いたらいっぱいお金がもらえるって聞いたの。お客さんにちょっといいことをしてあげたらいいだけの簡単な仕事なんだって」
街に出来た「劇場」についての噂は、ルンゲたちも聞いている。
愛らしい少女たちが歌い踊り、特別な給仕をしてもらえる夢のようなところらしい、と。
金のある商人や名の通った探索者たちが招待され、飲んで騒いで毎晩楽しんでいるんだとか。
しがない労働者にはうらやましくてたまらない、下世話な想像を掻き立てる夢のある噂話だった。
「馬鹿を言うな、シュナ」
「馬鹿ってなによ」
「そんなうまい話があるわけねえだろ。楽に儲かるなんて、良くないウラがあるんだよ」
夢があるのは、あくまで客である男たちにとってだけだ。
まるで裸のような恰好の娘たちがぞろぞろやって来て、自由に触って良いのだと聞いている。
そんな仕事だと、シュナは知らずに話しているのだろうが。
またもやるせない気分になるルンゲに、少女は怒りの視線を向けたままだ。
「メハルは私をずーっと無視してるの。影では私を怠け者で、悪い子だって言いふらす酷い奴なのよ!」
「酷い奴にどうして『いいこと』してやるんだ?」
「はあ? 私は反省してほしいだけよ。メハルが私の悪口を言うのを止めたら、それでいいの」
支離滅裂な主張に呆れるあまりか、正直な思いが口から勝手に出ていってしまう。
「嘘はやめとけ、シュナ。メハルがそんなことを言うはずがねえ」
「なによ、嘘じゃないわよ!」
「仕方ねえだろ、無視されてんのも。嫌なことを言ってんのはお前の方なんだからな」
「はあ?」
シュナの態度は変わらない。
ルンゲはうんざりして、最後の一手を繰り出していく。
「お前、メハルが好きなんだろ。これ以上やったら本格的に嫌われちまうぞ」
「なによ、なに言ってるの、ルンゲさんは! メハルなんか好きじゃないわよ! 頼りないし、小さいし、お金もわけのわかんないことに使っちゃうし!」
顔を真っ赤にして喚き散らす少女にルンゲは耳を塞いだが、ミンゲは気の毒そうな目を向けている。
「勿体ねえことを言うなあ、シュナ」
「なによ、ミンゲまで!」
「しょうもない噂を信じてないで、もう少し落ち着けよ。なんだって、よーく考えた方がいいと思うぜ」
怒りを上回る感情が現れたのか、シュナは身を翻して走り去ってしまった。
「大丈夫かね」
ミンゲの独り言は、誰を心配して出て来たものなのだろう。
メハルか、シュナか、噂を信じてしまったかもしれない若い娘たちか。
「ゾナさんに報告しておくか」
「そうだな、兄貴」
弟の視線を感じる。
ミンゲはじっと兄を見つめたままで、医師から伝えられた話を聞きたいのだろう。
けれど今、こんな場所で、話せる気分でもなくて、ルンゲは言葉を探した。
「メハルは本当に見込みがある奴だ」
ミンゲは微笑みを浮かべて、黙って頷いている。
だが、長くやっていければいいという兄の呟きになにか感じ取ったのか、首を捻ってみせた。
「オーリーは『紫』に行ってるんだよな?」
「ああ。入ったことがあるって話だし、問題ねえだろ」
「あいつ、ずっと店にいてくれるのかな」
どうだろうとルンゲは思う。
デルフィの抱える事情は複雑で、しかも随分重たそうだから。
本人の意思とは関係ないところに問題が生じるかもしれず、デルフィといつまでやれるかはわからない。
「次は誰か連れて行ってみるか」
今、「緑」の採集チームは人数が少ない。少し前に「紫」のチームに何人も怪我人が出て引退したせいでルンゲがリーダーを任されることになったし、メハルとオーリーも働き始めてすぐに採集ができるか試されている。
デルフィが抜けてしまったら、かなりの痛手になるだろう。
ファッソを戻すか、探索者に声をかけて引き入れるか。
一番良いのはやる気のある若い従業員をうまく育てるというやり方で、メハルのような人材が見つかればとルンゲは思う。
「話してくるよ」
立ち上がろうとしたルンゲを、ミンゲが止めた。
「なんだ?」
「兄貴、今日休みだろ」
ああ、と呟き、また木箱に座る。
とはいえ、シュナを放っておくのはどうかと思うし、採集の人員補充をかけるなら早い方が良い。
「いや、やっぱり行く」
「わかった。……なあ兄貴、リラン、駄目だったのか?」
とうとうズバリと問われて、薬草業者の若者は思わず空を見上げていた。
「言いにくい」
ぼそりと漏れた本音に、ミンゲは絶望の表情を作っている。
「違うんだ、ミンゲ。すまねえ。そうじゃなくてだな」
「なんだよ兄貴、先生はなんて言ってたんだよ」
「どこかいいところを見つけて預けた方がいいんじゃねえかって」
言外に潜めた言い辛い話に、鋭い弟はちゃんと気付いたらしく、ため息をついてみせた。
「ランゲの兄貴か」
「先生には悪いことしちまったよ」
これ以上語れることはなくなって、二人の間には重たい空気が満ちていった。
先に立ち上がったのはミンゲの方で、一緒に報告に行こうとルンゲの腕を掴み、立ち上がらせている。
作業部屋へ続く扉の鍵を外し、二人は従業員の管理をしている事務方の部屋へ向かった。
採集に挑戦したい人員の募集を頼み、女子寮での噂についても報告しておく。
戻る途中でゾナを見つけて声をかけ、念のためにシュナの言動について伝えて、寮へ戻った。
ミッシュ商会の寮は三つある。
男性用が二つと、女性用が一つ。
女子寮は離れたところにあってみな馬車で行き来するが、男子寮は店から歩いてすぐのところにあり、ルンゲとミンゲは兄弟で二人部屋を使っていた。
いつも他愛ない会話で夜を過ごしているが、今日はどちらの心も故郷に向いているようで、余り言葉が出てこない。
「なあ、兄貴」
ベッドの上から声がして、目を向ける。
エーリング家の四兄弟は皆あまり似ていない。
ミンゲだけは同じ両親から生まれているので、ルンゲに一番よく似た容姿をしていた。
目元が違うので似ていないと言われやすいが、鼻と口元の形はほとんど同じだとルンゲは思っている。
「なんだ」
「あのさあ」
自分から切り出したくせに、ミンゲの言葉は続かなかった。
夜中の寮は静かだが、どこからか誰かの笑い声が微かに聞こえてくる。
「早く言えよ、ミンゲ」
ルンゲが急かすと、弟は低い唸り声を漏らした。
「いや……、シュナの言ってた劇場あるだろ。そんなにいいところなのかね」
「そんな話をしてえのか?」
「まあ、だって、気にはなるだろ、兄貴だってさ」
「みんな噂してるが、実際に行ったって奴はいないじゃねえか。本当はたいした店じゃねえんだろうよ」
「そうかな」
「大体、酔っ払いの話だぞ。真に受ける方がどうかしてる」
納得したのか夢が破れたのか、ミンゲはそうだなと呟き、目を閉じてしまった。
本当は他に話したいことがあるのだろう。
ルンゲも同じだが、故郷から遠く離れた二人が話し合ったところで、答えなど出せはしない。良い方法を思いついたとしても、実行には時間がかかるし、うまくいくかどうかもわからない。
幼い弟の、青白い顔を思い出す。
故郷を出て四年も経ったから、かなり大きくなっているだろう。再会しても、すぐには気付けないかもしれない。
それとも、病気のせいで成長していないだろうか。
寂しい想像で生み出せるのはため息だけで、ルンゲは心を動かすのはやめて、強く目を閉じていく。
明日は三人で採集に行かねばならない。
原材料がなくなってはいけないから、デルフィがいなくても迷宮に向かい、薬草を集めて持ち帰らなければならない。
魔術師の作った穴倉に足を踏み入れるのなら、体調は万全にしておかなければ。
そう思うが、なかなか寝付けず、良くない考えばかりが打ち寄せ、ルンゲは何度も寝返りを打ってはひとつひとつ踏みつぶしていった。




