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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
41_Overwork 〈救いの一滴〉

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195/244

187 強くある為に

 とぼとぼと、迷宮都市の道を歩いていく。

 いつもよりずっと遅い歩みのギアノの隣を、ロウランもゆっくりと歩いてくれているようだ。


 この後どうしたらいいのかわからない。

 伝えなければならないことが多すぎて、なにから始めたらいいのかわからなかった。


 ため息が出てしまう。

 涙をこらえていると、どうしても。

 出来るだけ細く、弱く、音をたてないように。ひそやかに悲しみを吐き出す管理人の腕に、柔らかな手が触れる。


「ヘイリーに報告しに行くのなら、方向が違うのではないか」

「ああ、……ああ、本当だ」


 無意識だったのだろうが、東に向かって進んでいた。

 調査団は街の西側で、ロウランの青紫色の瞳と目があって、ギアノは考える。


「今、ニーロは家にいるでしょうか」

「おるのではないか。俺たちに行かせておいて、遊びにいくような真似はせんだろう」

 なにか用があるのか?

 ロウランの問いに、ギアノは頷く。

「頼みたいことがあるんです」

「そうか」


 途中でほんの少し方向を変えて、売家街と貸家街の狭間へ向かう。

 なにも言わずに歩き続けて、二人で黒い石で出来た家へ入った。


 中には家主の魔術師と、同居人の戦士の姿があり、やって来たギアノの顔を見て揃って眉を顰めている。


「何を聞いたのですか、ギアノ」


 まずこう切り出されたのは、よほど顔色が悪くなっているからなのだろう。

 なにから話せばいいのか考えこんでいると、代わりにロウランが口を開いた。


「ギアノが探していたダインという男は、『藍』の大穴の底で置き去りにされたそうだ。スウェンという名の男に提案されて大穴に向かい、そこでもめ事が起きた末にな」

「ポンパがそうしたのですか?」

「そのようだぞ。ダインとやらにも相当問題があったようだが、スウェン・クルーグに唆されて従ってしまったと話していた」

「ダング調査官の言っていた男ですね」

 

 ロウランは頷いて、穴の底に倒れていた三人についても報告してくれた。

 そのうちの一人が、シュヴァルを刺した犯人である、シンマの可能性が高いことも。

 脱出した後に、ポンパがスウェンから脅迫を受けたことまで、すべて。


「ギアノ、今の話に間違いはありませんか?」

 ニーロに問われて、管理人は静かに頷いていく。

「スウェン・クルーグの居場所はわからないと言っていたよ。出会った店の名前は教えてくれたけど」

「他になにかありましたか?」


 灰色の瞳がまっすぐに向けられている。

 ギアノは悲しみを堪えて、今日知らされた悲劇について打ち明ける。


「倒れていた三人のうちの一人が、多分だけど、知り合いで」

「そうでしたか」

「ニーロに頼みがあってきたんだ」

「なんでしょう」

「その大穴に行きたい。連れていってもらえないかな」


 パントがフレスを見たと話していた日。馬車に乗って、故郷に帰っていったと教えてくれた日。

 きっとあの日、置き去り事件が起きたのだろう。恐ろしい思いをして、初心者の少年は逃げていってしまった。

 あれからもう、六日か七日くらいは経っている。

 もう、望みなどほとんどないのだろうが。


「ダインたちはまだ生きているかもしれないから」


 運が良ければ、魔法生物は出てこないかもしれない。

 さほど強くなければ、倒せるかもしれない。

 探索に必要なものをちゃんと持っていれば、なんとか食いつないでいるかもしれない。


 ダインの振る舞いがポンパから聞いた通りならば、決して許せないけれど。

 聞かされた話のあまりの悲惨さに心が軋んで、苦しくてたまらなかった。

 せめて誰か一人でも、それがダインであったとしても、生きていてほしい。

 

「いいでしょう」

「え、いいの?」


 自分から頼んでおいて、何故疑問に思うのか。

 ニーロの表情は不可解なものでも見ているかのようで、ギアノは慌てて立ち上がった。


「ありがとう」


 すぐそばにロウランとウィルフレドもいるのに。

 ニーロは何も言わずに手をふわりと振って、悲しみに暮れる管理人を「藍」の迷宮へと誘った。


「うわ」


 ほんの一瞬、光がはじけたような感覚はあった。

 違和感はそのくらいで、今はもう迷宮の中。

 藍色の壁に囲まれているが、視界は良好でよく見える。


「ここが大穴の底?」

「いいえ。入口とでも呼べば良いでしょうか。例の落とし穴の仕掛けのすぐそばです」


 少し前、デルフィに会いに行くと声をかけられた時。

 あの時も唐突だった。昼に声をかけられ、夜に行くぞと言われて、どうするつもりかと思ったら、管理人の部屋から一気に迷宮の中に移動していた。

 そんな真似ができることにも、迷宮を歩いている最中のデルフィと出会えたことにも随分驚かされたものだ。


 だから今日も、同じように行けるのではないかと考えていた。

 ニーロならば「藍」の大穴の底に行って、無事に戻れるのではないか、期待していた。


「こんな格好で大丈夫かな」

「すぐに戻ります。心配は要りません」


 確かに、ニーロも探索用の装備はしていない。

 取り残された二人はどう思っているのだろう。こんなことなどもう、慣れっこなのだろうか。


「ロウランは役に立ちましたか?」

「うん。……お陰で全部聞き出せた」


 ポンパのあの様子、ギアノではなにも聞き出せなかっただろうと思う。

 かなり強引ではあったが、ロウランの力ですべてが明らかになっている。


「ギアノ、心の準備はできていますか?」

「ああ、そうだね。どうかな」

「必要ならば待ちます。少しですが」

「ありがとう、ニーロ。……もう行こうか」

「大丈夫ですか?」

「大丈夫ではないんだ。平気にはならないと思う。だからもう、行こう」


 ダインかカステルが生きていれば、救いになると思うけれど。

 でも、きっと、がらんと広がる迷宮の景色だけしかないだろうと思う。


 心はほとんど諦めで満たされている。

 けれど片隅に少しだけ、そうですかで済ませる気なのかと憤る声があって、無視できそうにない。


 騒めく心を治める為に、はっきりと決着をつけておきたかった。


「大穴の底って行き止まりらしいけど、広いの?」

「広がった空間に出ます。狭い部屋ではありませんが、そう広大なわけではありません」

「行ったことがあるんだね」

「あそこに行って初めて生きて戻ったのは、フェリクスたちです」

「え、そうなの?」

「これを持っていてください」


 ニーロから細長い棒を手渡され、ギアノはそれを強く握った。

 魔術の力で棒は明るく輝き、辺りを照らしている。


「降りた先は真っ暗でしょうから、持っていてください。万が一誰か生きていれば、すぐに気付くはずです」

「なるほど」

「誰もいないと考えていますか?」

「え? うん、そうだね。その可能性が高いと思ってるよ」

 ニーロは頷き、正しい考え方だと呟く。

「蛇が降る穴は塞ぎます。それと、落ちる速度を緩やかにします」


 無彩の魔術師はやけに親切で、逆に不安が募っていく。


「なにかあるの?」

「なにかとは?」

「ポンパ・オーエンは、ニーロがなにもかもわかっていたように思うって話していたんだ」


 まだ若い魔術師の青年は、まっすぐにギアノを見つめている。

 あまりにも真正面から見つめられすぎたせいか、額に汗が浮かんで、頬までたらりと落ちてきたのがわかった。


「ポンパは以前、この大穴に二人の男を落としています」

「聞いたよ。追われて仕方なくって言っていたけど」

「確かに急に追いかけられて恐ろしかったのでしょうが、ポンパにはまるで後悔がありません。その後探索をした際にも、仲違いをした探索の仲間を残して一人で脱出しています」

 ロウランにも責められていたと呟くと、ニーロは小さく頷いて続けた。

「彼はもともと人とうまくやるのが苦手でしたが、今はすっかり孤立しています。仕方のないこともありますが、今回もまたとなるとさすがに見過ごせません」


 これ以上はもう駄目なのだとニーロは言う。

 考えを改めてほしいのだと。


「ポンパは優秀な研究者です。真っ当でいてほしいと願っています」

「そうなんだね」

「ですから昨日、釘を刺しました。迷宮の中で起きたことならば決して誰にも知られず、明らかにならないわけではないのだと」


 言葉がすんなりと理解できなくて、ギアノはしばし悩んだ。

 迷宮の中で起きた出来事。目撃者がいても、無事に地上に戻って来られなければ、どんな悪事が行われようと人々が知ることはできないのではないか?


「ポンパはずっと怯えていましたし、話の途中で逃げていきました。明らかに良からぬ隠し事をしているのだと思っていましたが」

 ロウランにもあらかじめ伝えてあったのだろうか。

 だから、手荒に聞き出して構わないと頼んだのかもしれない。

「もしかしたら、ポンパが見たという三人が残っているかもしれません」

「え?」


 急に衝撃的な言葉を投げかけられ、ギアノは動揺していた。

 なんの話かと問うのが精いっぱいで、ニーロは落ち着くよう声をかけてくる。


「ポンパにしたうちの話の一つですが、僕は迷宮の中で人が殺された場合、死体が残り続けるのではないかと考えています」

「殺されたって……、どうしてそんなことを言うんだ」

「この大穴に降りる理由がないからです。この罠は有名ですし、仕掛け自体も見抜くのは難しくありません」


 六層まで降りてくる者は大抵地図を持っているから、まずかからない。

 今更あえて大穴に落ちようと考えるのは、よほどのもの好きだけだとニーロは言う。


「あえて行くのなら、脱出の方法を備えているはず」

「でも、落ちたところで襲われることもあるんじゃないの?」

「そうですね。ですが、三人は穴に落ちたところに倒れていたのでしょう」


 もしも、大穴の底で戦いになったとしたら?

 広い空間になっているのだから、確かに、バラバラになる方が自然だろうか。


「三人は殺され、大穴に落とされたのはないでしょうか」

「ええ?」

「ポンパたちはあえて連れていかれたのかもしれません」

「そんな。……ここに?」

「大穴に行こうと提案したのはスウェン・クルーグ。シンマと共に居た男です。ダインなる探索者は問題のある人物だったのに手を貸し、なのにポンパには置き去りを唆し、実行させた上で脅迫している」


 すべて偶然だと思いますか?

 シンマたちがそこで死んでいると、知っていたのではないでしょうか。


「ここは回復の泉に近い。休憩を取ることが多い場所です。薬でも飲ませて、後は穴に落としてしまえばいい」


 あの大穴に足を踏み入れる理由はない。そして、落とす方法はある。

 そこに三人倒れていること自体が不自然であり、なんらかの企みがあったのではというのがニーロの考えのようだ。


「すべて僕の想像に過ぎません。事件などなかったかもしれませんし、死体が残り続けるかどうかは不確定です」

「ニーロ」

「けれど、ここは迷宮ですから。なにがあっても不思議ではないのです。あなたが行きたくないのなら、今すぐ戻ります」


 ここでギアノは、ニーロが自分を脅すつもりでこんな話をしたのではないと気付いた。

 まだ不確定な現象について、もし本当だったら、きっと恐ろしい物を見ることになる。

 気遣ってくれたのだと考えて、管理人の青年は意識して強く息を吐きだしていった。


「いや、行くよ。むしろ行かなきゃ」

 

 ダインたちの置き去りは七日ほど前。マージたちが殺されていたとしたら、十日は経っているのだろうか。

 迷宮で死んだら、死体は消える。なにも残さずに消え去ってしまう。

 迷宮の決まりは冷酷で、慈悲のかけらもない。

 せめてなにか残してくれればと、願わずにはいられない。


「では行きましょう」


 決意が鈍る暇も与えず、魔術師は腕を振る。

 どんな力が働いたのか知らないまま、ギアノは「藍」の大穴を落ちていった。

 闇に包まれ、坂を滑り落ちていく。体は軽く、浮いているような感覚の中。

 しばらくの間落ちていって、下への移動は突如終わった。


「うっ」


 穴の底に着地した二人を襲ったのは、不快な臭いだった。

 臭いの元はすぐそばにあり、ギアノが持った灯りに照らされている。

 

「本当に残って……」


 嘔吐しかけて、口元を覆ってこらえていく。

 無彩の魔術師は臭いを感じないのか、床の上に横たわる誰かの傍に近付いていった。

「これがシンマという男でしょうか。小柄で、……歯がほとんどありません」

 とても直視できないギアノにかわり、ニーロの報告は続く。

「魔術師のローブを着ている男がいます。ギアノ、あなたの知り合いというのは」

「……スカウトだよ。背が高くて、細身で。女性の服を着ている」

「では、こちらですね」


 少し奥に進んだところで、ニーロが呟く。

 吐き気を堪え、心の中で雲の神に祈りを捧げて、ギアノも近づいていくと、見知った姿の死者が横たわっていた。


「マージ」


 力が抜けて、膝をついてしまう。

 いつも首に巻いているスカーフは外され、腹の上に落ちている。

 服は乱れて、胸が露わになっていた。

 ギアノは震えながらも手を伸ばし、元通りに着せていく。

 肌は黒く染まっていて、変わり果てた姿に涙が溢れていった。


「どうやら他には誰もいないようです」


 ギアノが悲しみに暮れている間に、ニーロは見回りをしてきたようだ。

「ダインたちはいない?」

「そのようですね。隠し通路の先も見てみましたが、誰もいませんでした」

「そうか……」


 帰還の術符が落ちていれば、無事に戻れたのだろうけど。

 ダインとカステルについては、諦めるしかない。

 彼らの姿はなく、三人は残っていた。理由があってそうなったのだろうが、今は詳しく考えていられない。


「ニーロ、マージを地上に戻してやりたいんだ。頼んでもいいかな」

「三人とも戻しましょう。調査団の役に立つでしょうから」

「そうだね」

「西の荒れ地に運びます」


 涙で霞んでいた視界が揺れて、迷宮とは違う暗闇の中に立っていた。

 西門の外、脱落者たちが暮らしているという、荒れた土地のどこかに移動したようだ。


「ギアノ、調査団に伝えに行ってくれませんか」

「調査団に?」

「ええ。僕は彼らの埋葬の準備をします。協力者を探しておきますから」

「そうか……」


 マージを埋めてしまうのか。自分が決めてしまっていいのか。

 迷いはある。けれど、このままにしておくわけにはいかない。

 

「マージを丁寧に扱ってやってほしい」

「わかりました」


 心に大きな穴を空けたまま、ギアノは西の門をくぐり、迷宮都市の道の上を歩いて行った。

 調査団はそう遠くなく、遅い訪問を歓迎されなかったが、ヘイリーはすぐに出てきて報告を聞いてくれた。


 ガランも姿を現し、他の団員にも指示が出て、必要そうな物を抱えて再び西の荒れ地へ。

 道すがらポンパから聞き出したことについて報告をしたが、すべて話せたかどうかわからない。


 西門にたどり着くと、荒地の先に明るく照らされているところがあって、ニーロの居場所はすぐにわかった。

 死者たちには布がかけられており、調査団の一行は中を確認して激しくむせている。

 

「迷宮の中で彼らを見つけたのか?」

 ヘイリーの問いは当然だろう。

 死体は消える。それがこの街の、迷宮の常識なのだから。

「そうです。六層にある大きな落とし穴の底に倒れていました」

「随分時間が経っているように見受けられるが」

「深い層になるほど、清掃の仕組みが働くまでの時間は長くなると僕は考えています」

「そうなのか」

「ええ。ですが彼らには特殊な事情があるかもしれません」


 ヘイリーたちは興味を示したが、既に日が暮れ、遅い時間になっている。

 本格的に調べるのは明日になってからと言われて、ギアノもようやく屋敷のことを思い出していた。


「この人物がマージで、ギアノ・グリアドの知り合いなのだな」

「ええ。間違いありません」

「では、まずは彼女を埋葬しよう。残りの二人と違って身元がわかっているのだから、特別に調べる必要はない」

 

 荒れ地の住人が既に掘っていた穴があったらしく、そのうちの一つがマージの墓になった。

 ニーロが用立ててくれたのか、美しい赤い布に包まれて、友人は冷たい地面に寝かされ、その姿を隠していく。

 

「ここがわかるように目印を作っておく。後のことは任せて、君はもう帰った方が良い」

「ヘイリーさん」

「朝から手を尽くしてくれたのだろう。君の働きに感謝する。とにかく、もう休んでくれ。我々が責任をもって、きちんと埋葬しておくから」


 そんな会話の後に、ギアノは屋敷に帰されていた。

 ニーロもヘイリーも残して、調査団員の一人に送られて、町の東側へ。


 ようやく帰り着いたカッカーの屋敷は静かだったが、ギアノが廊下を歩いていくと、アダルツォとフォールードが顔を出し、管理人を出迎えてくれた。


「お帰り、ギアノ。随分遅かったね」

「ごめん」

「謝ることなんてねえけど、なにがあったんだ?」

 フォールードの問いに、答えられない。

 言いたくないし、なにをどう語ればいいのかわからないから。

「なあ、フォールード。二階に行って、起きてる奴にギアノが帰って来たって教えてやってくれよ」

「そうだな。わかった。行ってくるよ」

 大柄な戦士は足早に階段を上っていって、アダルツォと二人で取り残される。

「今日はもう休みなよ。部屋に戻ってさ。俺、なにかあったかい物を持っていくから」

 腕を引かれて、管理人の部屋に押し込まれてしまう。

 ギアノがベッドの上に腰かけていると、雲の神官はスープを用意して持って来てくれた。

「あとはもう、明日でいいから。早く寝るんだぞ、ギアノ」


 短い祈りの言葉を囁き、背中を優しく撫でて、神官は去って行った。

 そういえばろくに食事をしておらず、口に運んだスープは熱く、胸の奥に沁み込んでいった。


 

 ちゃんと眠ったのかどうかよくわからなかったが、気が付いた時には朝を迎えていたし、ギアノは厨房の前に立っていた。


「まあ、ギアノさん。おはようございます」

「アデルミラ。おはよう」

「昨日はなにがあったんですか? ニーロさんが来て、少し時間がかかるとは言われたんですが」


 ダインの行方を知っていそうな魔術師に会いに行ってくる。

 それだけしか言っていないのだから、心配されるのは当たり前だ。


「ごめん、本当に」

「謝らないで下さい。皆さんが協力してくれて、なにも問題は起きませんでしたから」


 それは良かったと呟くだけで、精一杯だった。

 あの墓場での別れから、心が錆びついてしまったように動かなくなっている。


「魔術師の方とは会えたんですか?」

「うん。……会えたよ。ちょっと、大変だったけど」

「じゃあ」

「ダインの行方はわかった。カッカー様に報告しなきゃいけない。けど、今日は」


 今は何時くらいなのだろう。

 ようやく意識が動いて、廊下の様子を窺っていく。


「皆さん、もう出かけてしまいました」

「そうなのか。ごめん、アデルミラ。寝坊するなんて」

「お疲れだったんでしょう。兄さまが心配していました。少し様子がおかしかったって」

「そう」

「今も顔色がよくありません。ティーオさんに頼んで、明日もお休みにしてもらいましょうか」

「大丈夫。それに、行かなくちゃ」


 マージのことを、ユレーに伝えなくてはならない。

 行方がわからなくて、きっと心配しているだろうから。


「もう少し休んでからでも」

「いや、早く伝えなきゃいけないんだ。留守を任せていいかな、アデルミラ」

「ギアノさん、無理しないでください。なにかお知らせするだけでいいのなら、私が代わりに行ってお伝えしてきます」

「それは駄目だ」


 重く霞がかった心が震え、激しく揺れる。


「行かないでくれ。俺はもう、誰にもいなくなってほしくない」

「ギアノさん」

「怖いんだ」

「大丈夫です。私はいなくなったりしません」


 柔らかな指が触れ、手の上に重なる。

 心を覆う暗雲がかき消され、暖かい空の光が照らしますように。

 優しい祈りの言葉に、ギアノははっとしていた。

 たかだかおつかいを頼まれる程度の話なのに、訳のわからないことを言ってしまったとようやく気付き、ため息を吐きだしていく。


「ギアノさん。私はここにいます。あなたの隣に」

 アデルミラは穏やかな微笑みを浮かべて管理人をじっと見つめると、力強い声でこう続けた。

「ずっとずっとあなたの隣にいます。そうしたいと、私は、強く願っています」

「ありがとう」


 やっとしっかり目が覚めて、服が昨日のままだと気付く。

 はっきりと覚醒したら体も動き出し、着替えの為に部屋に戻り、急いで支度を済ませていった。


「出かけてくる。今日はすぐに戻るから」


 せめて少しくらいは食事をとるよう言われて、簡単な朝食をあっという間に済ませていく。

 終わったところで玄関から声がかかり、ヘイリーが姿を現していた。


「ギアノ・グリアド、昨日は本当にありがとう」

「こちらこそ、いろいろお任せしちゃって」

「いいんだ。具合はどうかな。昨日は随分消耗したことだろう」

「ええ、まあ。ぼんやりしちゃってましたけど、もう大丈夫です」

「どこかに行くのか?」

 服装で気付いたのだろうか。ヘイリーの問いに、ギアノは頷いて答えていく。

「昨日の友人のこと、伝えなきゃいけない人がいるんです」

「そうか。しかし、顔色が良くない」

 良ければ付き添う、とヘイリーは言う。

「どこに向かうのかな」

「街の南側です。市場からそう遠くないところに貸家があって」

「この後、魔術師ニーロのもとに行く。その前に君を送っていこう」

「そんな、悪いですよ」

「あんなことがあった後だ。君のことも心配だから」


 調査団員は譲らず、同行が決まる。アデルミラは安心したようで、無理はしないように声をかけ、ギアノを送り出してくれた。


 ガランは屋敷の外で待っており、三人で街の南側に向かう。

 あまり弾まない会話の中で、訪ねる相手の名前を言うと、ヘイリーは驚いたようだった。


「ユレーとは、女性の探索者の?」

「知ってるんですか」

「以前困りごとがあって調査団に来たんだ。あれからどうしているか、気になっていた」


 困りごとの内容は明かされず、考えてみればユレーもトラブルに巻き込まれ続けているなとギアノは思った。

 もともとの仲間たちと離れ、マティルデと共にマージの家で暮らし始めて、レテウスへの家事指導も引き受けてくれて。

 マティルデが放り出された理由は、マージがヌエルを助けようとしたからだ。

 そこではたと思い出し、ユレーがマージの家にいるかどうかわからないと気付く。


「どうかしたか、ギアノ・グリアド」

「いや……、いや、大丈夫です」


 マージの家で暮らせなくなったという報告は受けている。

 その後、マティルデが行方不明になり、困っていた。

 ユレーはなにをどこまで理解しているだろう。

 想像してみてもわかるはずもなく、とにかく行ってみようとギアノは考えていた。

 マージの家は貸家だというから、主が戻らず、なんらかの連絡を受けているかもしれない。

 こんな都合の良い考えだけを頼りに、細い路地の中に入っていった。


「ここか」

 マージの家の前で立ち止まると、ヘイリーはやはり自分の知っているユレーだろうと話した。

 困りごとを解決した後、この近くまで送ってきたらしい。

 

 様々な縁があるものだと考えながら、扉を叩く。

「ユレーさん。いる?」

 声をかけ、もう一度。

 すると足音が聞こえてきて、見慣れた顔が出迎えてくれた。

「ギアノじゃないか……。どうしたんだい」

 ユレーの表情はぎこちない。

 その理由は、いくつかあるだろう。


 マージではなく、ユレーの名を呼び掛けてしまったこと。

 扉の向こうにちらりと、ヌエルの顔が見えたこと。


「あれ、あんたは確か、ダング調査官だっけ?」

 ヘイリーは挨拶の言葉を投げかけ、ギアノについて来ただけだと話している。

「知り合いなのかい、ギアノ」

「ああ。いろいろあってね。今日来たのはマージのことで、ちょっと」


 ユレーの表情に緊張が走っていく。

 ここからは立ち話で済ませられる話ではなく、ギアノは調査官たちを振り返った。


「ヘイリーさん、ありがとうございました。もう大丈夫です。お陰で随分落ち着きました」

「そうか?」

「はい。もしかして、俺にももう少し話を聞くつもりだったんじゃないですか」

「それは確かにある。詳しく聞いておきたいことがいくつかあって」

「実は昨日、ロウランって魔術師が一緒だったんです。ポンパ・オーエンから話を聞きだしたのはロウランさんの方で」

「なに? 魔術師ロウランが?」

「知り合いなんですよね。ヘイリーさんのこと、話してました」

「ああ。手を貸してもらったんだ。あの方がいなければ、大変なことになっていた」

「多分ですけど、ニーロの家にいると思うんです。ロウランさんの方が俺よりもはっきり話してくれるんじゃないかな」


 ヘイリーはなるほどと頷き、後ろに立つガランと言葉を交わして、ここを去ると決めたようだ。


「では、今日はここで。またそのうち訪ねるよ」

「わかりました」


 ユレーに「元気そうで良かった」と言い残し、ヘイリーたちは道を戻っていった。

 声を掛けられた女は顔を青くして、俯いている。


「マージのことで来たって?」


 ユレーは扉を開けて、ギアノを中に通した。

 大きなテーブルが見える。以前よりもがらんとしてしまった女の園に、ヌエルの姿があった。


「ああ、昨日ね。ちょっと、なにを話したらいいのかな。俺は、人探しをしていたんだ。屋敷の利用者がいなくなって、行方を捜しててさ。そうしたら、偶然なんだけど」

「マージに会ったのかい?」

「そう、……だね。迷宮の中で、本当に、信じられないけど」


 こんな答えでも、察しがついたのだろう。

 ユレーの目にはみるみる涙が溢れていって、厨房へ駆けていってしまった。


 項垂れるギアノに聞こえるのは、激しい嗚咽の声。

 その隙間に、かすかに、敵意に満ちた声が差し込まれてくる。


「さっきの男、ダングだと?」


 顔をあげると、ヌエルの鋭い瞳が見えた。

 いまだに包帯をあちこちに巻いていて、座ったまま動かない。


「そうだよ。チェニー・ダングの兄で、今は調査団で働いている」

 

 どうして妹が死んでしまったのか知りたくて、王都からやって来た。

 正直に話したギアノに、ヌエルは歯をぎりぎり鳴らしている。


「恩を売ったつもりか?」


 確かに。ヌエルがいると気付いた瞬間、さまざまな思いがよぎっていった。

 ヘイリーの苦しみを想えば、伝えなければならないことだ。けれど。


 まっすぐに目を向け続ける男に、ギアノは今の思いを正直に打ち明けていく。


「俺は、マージが好きだったよ。明るくて、優しくて、面倒見が良くてさ。どんな些細なことにも大袈裟なくらい感謝して、褒めてくれた。本当は、お前に言いたいことは山のようにあるよ。だけど今日くらいは静かに、マージのことを思ってやりたいんだ」


 話し終えたところに目を真っ赤に腫らしたユレーが戻って来て、ギアノの隣に並んだ。


「ごめんよ、ギアノ」

「いいんだ」

「あの子は死んだんだね?」

「ああ。『藍』の迷宮で見つけたんだ」

「探索に行ったって聞いてたから、覚悟はしてたんだけど」


 ユレーは大粒の涙をこぼし、鼻をすすっている。


「西門から出たところに埋葬してもらった。わかりやすいようにしてくれているらしいから、会いに行ってやってほしい」

「墓を作ってくれたのかい?」

 ギアノは頷き、理由を話していく。

「勝手な真似をしてごめん。迷ったんだけど、マージはいつもきれいにしていたから。あんな姿を見られたくないだろうと思って」


 ユレーは黙っている。ヌエルも口を閉ざしたまま、なにも言わない。

 ギアノが告げた理由について、考えを巡らせているのかもしれない。


「ユレーさん、マティルデにも伝えてやってくれないかな」

 もう一人、伝えてやらねばならない相手がいる。

 ギアノがこう頼むと、ユレーは戸惑いを表情の中に浮かべた。

「あの子は今、ホーカ・ヒーカムって魔術師の屋敷で暮らしてるんだ。会いに行ってやってくれないかな」

「ごめん、ユレーさん。まだやらなきゃいけないことがいろいろあるんだ」

「ああ、そうか、あんたは他に探している人がいるんだもんね」

「そうなんだ。これからのことも考えなきゃならなくて。ユレーさんに今日会えて良かったよ。この家にいるかどうかわからなかったから」

「ヌエルがあたしを探して、教えてくれたんだ。マージが戻ってこないって」

 ユレーはこの貸家を引き払う為にここにいたらしい。

 来てよかったと安堵するギアノに、ユレーはごめんよと小さく呟き、こう続けた。

「また連絡するよ。本当にさ……、あんたがマージを見つけてくれて良かった」


 それじゃあまたと貸家を後にして、ギアノは歩き出した。

 ユレーに伝えられて良かったが、マティルデについて考えるとまた腹がきりきりと痛くなっていく。

 ヌエルについても、ヘイリーに伝えるべきかどうかわからない。

 ヌエルが簡単に話すとも思えないし、ヘイリーはそれを決して許しはしないだろうから。


 南の市場が近いからか、人々の話す声が聞こえてくる。

 生き生きとした喧騒とはかけ離れた気分で、ギアノは来た道を戻っていく。


 ダインについて、カッカーへどう報告したものか。

 迷宮の中で起きた出来事まで、話さなければならないだろうか。

 言いたくないけれど、理由はきっと聞かれる。迷宮で命を落としたと知っているのなら、どんな経緯があったのか問われるだろう。

 そもそも、ニーロもロウランも知っている。ヘイリーにも今日、詳しく伝えられるだろう。

 隠し通せるわけがない。しかし、すべて口に出すには、真実は余りにも重たい。


 ため息を吐きだした後、屋敷の仕事を丸一日していないことに気付き、また息を吐きだしていく。

 昨日はアデルミラがすべて引き受けてくれたのだろう。

 ティーオの店の休みに合わせて良かったと、しみじみと思う。

 明日の仕込みをやらねばならず、早く帰ろうと足を速めると、優しい雲の神官の顔が心の中に浮かんだ。


 屋敷を出る前、妙なことを口走ってしまったことを思い出し、ギアノは首を捻った。

 よほどぼんやりしていて、感傷的な気分だったのだろう。

 なにを言おうと穏やかに受け止め、元気づけてくれて。

 アデルミラにどれだけ支えられているか思い知って、ありがたいとギアノは思う。


 わけのわからないことを言ったと思われているだろうなと考え、いや、そんな風に思わないだろうと打ち消して。

 朝の会話を思い出しているうちに、はっとして、ギアノは思わず立ち止まっていた。



 

「アデルミラ!」

 全速力で屋敷へ帰り着き、雲の神官の姿を探す。

 厨房か、食堂か、裏庭か。いつでも働き者のアデルミラなら、そのうちのどこかにいるだろう。

 まず厨房を確認しようと走っていくと、声が聞こえたのか雲の神官が顔を覗かせていた。


「ギアノさん、おかえりなさい。どうなさったんですか」

「ごめん、アデルミラ」


 帰ってくるまでの道の間に、ギアノは思い知っていた。

 優しい神官の少女に、どれだけ心の穴を埋めてもらってきたか。


 長い間勘違いしていたが、家事に勤しんでいても、今の暮らしは故郷とは全く違う。

 屋敷にやって来たばかりの頃に、キーレイに単純な仕事ではないと言われたことも思い出していた。

 未熟な若者たちの暮らしを支えるだけではない。時には悲しみに耐えなければならない時もあり、辛い思いをするだろうと。


 けれど、君に任せたいと神官長は言った。

 あんなに褒められたのは初めてで、期待に応えたいと思った。


 皆を支えるには、強くあらねばならない。

 迷宮都市は特別なところだから。命が簡単に失われ、別れが多く訪れる場所だから。


「今日ここを出る前、昨日のことですごく苦しくて、自分のことで精いっぱいだったんだ」

「いいんです、そんな」


 小さく首を傾げた神官の前に進み、ギアノは手を取ると、力をこめて強く握った。


「そばにいてほしい。俺も、君の隣にいたい。ずっと、いつまでも」


 強くなる為に必要なものがなにか、やっとわかった。

 必死になって一人でどうにかしようとしなくても良いのだと。

 安心して背中を預けられる人がいるのだから、支え合っていけばいい。


「朝は、その、言ってくれた言葉に気付かなくって。俺は鈍くって……、本当にごめん」


 雲の神官の顔はみるみる真っ赤に染まっていく。

 アデルミラらしからぬそわそわした様子に、なんだか妙な気配を感じ、ギアノは気付く。


「うわ……。すまない、アダルツォ。そこにいたんだな」


 アデルミラの向こうで、アダルツォは満面の笑みを浮かべている。

 幸せそうににこにこと笑いながら、椅子から立ち上がり、管理人へと歩み寄ってきた。


「あははは! 俺はすごく嬉しいよ、ギアノ」


 雲の神官の兄の方はギアノを抱きしめ、何度も背中を叩いてくる。


「アデルを頼む」

「うん。わかった」

「ありがとう、兄弟。ああ、なんてこった。願いが叶ったぞ」


 どこへ向かったのかわからないが、アダルツォはご機嫌な様子で去っていってしまった。

 二人で取り残され、改めて、ギアノは照れる。


「その……、アデルミラ」


 ここからどうすれば良いのだろうか。なにをすればいいのか、さっぱりわからない。

 アデルミラにはアダルツォしか家族がおらず、反対はないようなので、それについては良いとして。


「そうか。カッカー様に報告したらいい……、んだろうけど、ちょっと、先にダインのことを言わなきゃいけないか。あんまり良い話じゃないんだ。だからその、少し後になっちゃうけど」

「気にしないで下さい、ギアノさん。どんなことにも相応しい時期があります」

「そうだよな。うん。ありがとう。ちゃんと、考えておくから」


 穏やかな瞳に見つめられて、心が落ち着いていく。

 これこそが自分に必要なものなのだと、改めてギアノは理解していった。


 アデルミラは微笑むと、ギアノの手を取り、感謝の祈りを捧げていく。


「ギアノさん、いつでも頼って下さい。幸せだけではなく、私は、あなたの重荷も一緒に背負いますから」

「こんなに嬉しい言葉はないよ、アデルミラ」


 心に勇気の灯が輝き始めたと、はっきりわかる。

 ギアノが笑顔を浮かべると、アデルミラも幸せそうに微笑んでくれた。


「私、兄さまに人に言いふらさないよう注意してきます」

「あはは。そうだな。頼むよ、アデル」


 雲の神官は頬を赤く染めて、ぱたぱたと去っていく。


 やることは山積みで、ぼやぼやしている場合ではない。

 自分の仕事を果たす為に、ギアノ・グリアドは自分の頬を強く叩くと、力強く立ち上がった。

 

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― 新着の感想 ―
色々と不穏な影が見えたり、関係なさそうなことが繋がってたり、新しく情報が明かされた部分はありますが……。 ギアノ! アデルミラ! おめでとう! 末永く爆発しろよ!! 次回もゆっくりお待ちしており…
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