186 自白の強要
落ち着いて話せるところへ通せと命令されて、ポンパは二人の客を奥の部屋へ案内した。
廊下を抜けていく間にいくつか部屋があるのが見えたが、扉は閉じていて中は見えない。
誰かがいるような物音は、今のところ聞こえない。
突き当りの部屋には大きなテーブルと椅子があった。
殺風景な部屋だが、テーブルの上に置かれているカップは美しいもので、家主であるポンパ・オーエンには似つかわしくない優美さに満ちている。
「ロウラン殿の為にお茶を用意して参るので」
「逃げ出すつもりか?」
「馬鹿な! せっかくいらしてくださったのだから、ロウラン殿が、だからポンパは逃げたりするわけがなく」
「いいから座れ。いくつか質問をするから、正直に答えろ」
今朝は会える気配すらなかったのに。
尋ねる人間が違うだけで、こんなにも展開が変わるものなのかとギアノは思う。
「まずはギアノ、お前の問題から片付けようか」
ロウランの視線がギアノに向いた途端、ポンパは歯をむき出しにして威嚇してきた。
正直、あまり直視したくない。どうしても頭に目が向いてしまうから。
機嫌を損ねたら、ポンパ・オーエンは逃げ出すかもしれない。
とはいえ、既に家の中に入っているのだから、そんな真似はさすがにしないか。
「むう、ポンパとどこかで会ったことがあるか?」
どんな感情を抱いているのか、ポンパは恨みがましい顔で問いかけてくる。
「いえ、初めてです」
「そうか?」
「俺はカッカー・パンラの屋敷で管理の仕事をしている、ギアノ・グリアドといいます」
「カッカー・パンラとは……、あの聖なる岸壁であるところの?」
「はい」
「キーレイ・リシュラの師だという?」
「ええ」
「伝説の探索者の、あのパンラ?」
「しつこいぞ」
ロウランに咎められ、禿げた部分が赤く染まっていく。
小さく縮こまっていくポンパに、ギアノは頷いて答えた。
「そうです。樹木の前神官長であったカッカー様の屋敷で、住人の手伝いだとか、物の管理なんかを任されているんです」
穏やかに話した効果があったのか、ポンパはゆっくりと背筋を伸ばし、ギアノをまっすぐに見つめた。
「この食器、とてもきれいですね」
「……どうせポンパに似合わないと思っているのだろう」
「いえ、そんな。屋敷にある食器はいくら壊れてもいいようなものばかりなんです。お客にはこういう物が出せれば、喜ばれるんだろうな」
「カッカー・パンラともあろうお方の屋敷が、そんな粗末な物ばかり揃えているのか」
「もうカッカー様はあそこに住んでいないんです。探索初心者に手を貸すために開放されていて、暮らしているのはこの街に来たばかりの右も左もわからない子ばかりなんですよ」
部屋の中で異彩を放つ食器が気になって褒めてみたが、効果はあったようだ。
ポンパは口元を緩ませており、カッカーの屋敷の管理人がどんな用があるのか、ギアノに問いかけてきた。
「ダイン・カンテークを探しています」
「な?」
「屋敷の利用者だったんですが、行先を言わずに出ていってしまって。あなたに協力してもらっていたと聞いた」
「知らない。ポンパはそんな奴など知らない!」
機嫌を良くできたのはほんの一瞬だけ。
ポンパの顔色は一気に青く染まって、がくがくぶるぶる震えだしている。
「あの」
「知らないと言っている! ロウ、ロランどのんはどんな用向きでいらしたのか、早く聞かせて頂きたい!」
管理人を無視し、麗しい客人へ体ごと向けるポンパに、ギアノは衝撃を受けている。
どうしたものかとロウランへ視線を向けると、青紫色の輝きと目が合ってしまった。
「まったく、何故嘘をつくのかな。正直に話した方がよほどマシだというのに」
なあ、ギアノ。
ロウランは余裕の微笑みを投げかけると、冷たい目でポンパを睨んだ。
「ポンパ・オーエン。お前には隠し通す技量などないのだから、もうやめておけ。知ることをすべて、ギアノ・グリアドに話せ」
「知らないと、言っていますのに」
「ギアノよ。お前は何故この男を訪ねにやってきた?」
ロウランの問いに、ギアノは答えを頭の中でまとめていく。
「ダイン・カンテークは街に来たばかりの初心者だったのに、腕の良い魔術師とスカウトがいれば、訓練などしなくても探索は出来ると考えていたんです」
だから、屋敷で見つけた「仲間」を二人引き連れて、協力してくれる特別な探索者を探した。
スカウトも魔術師も見つかって、五人で歩いている姿を見かけたと聞いている。
目撃者は何人もいて、誰もが不思議な髪型の痩せた男が一緒だったと教えてくれた――。
「遠慮せんでいい。共にいた男の特徴はどんなものだったか、このぼんくらに聞かせてやれ」
「ええっと……」
類まれなる美しさは途轍もない迫力があるが、それとは別に、ロウランから強い圧を感じている。
なのでギアノは、仕方なく伝えられた情報をそのまま口にしていった。
頭の半分に髪の毛がなくて、おどおどとした奇妙な魔術師らしき男が一緒だったと聞いた、と。
「そ、そんな頭の男、他にもいるかもしれなあではなあか」
まだ認めないポンパに腹が立ったのか、ロウランは立ち上がり、家主の頭をかなり強く叩いた。
「はやあ!」
「この痴れ者が。こんな珍妙な禿げ方をした男が二人もいるわけなかろう」
叩かれたのは髪がない方で、ポンパの頭には赤い手のひらの跡がくっきりと浮かび上がっている。
「お前がどれだけ愚かだろうが、どんな禿げ方をしようが構わんが、嘘はつくな」
「はあ、うう……」
「悪の道に入るのならばこれで終わりだ。お前自身も終わるのだと、覚悟をして答えろ」
「そんな、ロウラン殿」
「わからんのか? お前ごときでは、この場を誤魔化すことすらできんぞ」
頭をさすりながら散々目を泳がせ、ポンパ・オーエンは二人の客の様子もちらちらと確認している。
真実がわかるかどうか以前に、ポンパが隠そうとしたこと自体にギアノは不安を覚えていた。
ヘイリーの訪問からも、ニーロの追及からも逃げたのは、よほど大きな隠し事があるからなのではないか。
屋敷から勝手に出て行くという振る舞いは、ダインらしいと思える。
なので、その後順調にいっているのなら、意味もなく自慢しにやってきそうなものだと考えていた。
あれだけ大口を叩き、他人の目を気にしないダインを、ここ数日見かけた者がいないのも気になっている。
思ったようにいかなくて実家に帰っているのが、一番良いけれど。
ギアノはそう考え、口を開いた。
「ポンパさん。ダイン・カンテークを知っていますか?」
「むうう」
「協力してくれる魔術師を見つけたと言っていたし、その人の屋敷に住まわせてもらうと話していたんです」
「まさか! あのような輩と暮らせるか!」
立場を離れていいのなら、まったく同感だと答えてやりたい返事だった。
ギアノの隣で、美しい魔術師は大きな目を細め、笑みを浮かべている。
「その調子だ、ポンパ。すべて正直に話せ」
「はあ!」
「えっ。まさか、誤魔化そうとしてたの?」
ポンパは口を手で押さえたり、項垂れてため息を吐きだしたりを繰り返している。
けれど最後には、白旗を上げると決めたようだ。
「仕方ない。わかった。話す。ダイン・カンテークは本当に嫌な奴であった」
「協力したのはお前だろう」
「いやいや、ロウラン殿。いやなのだ。最初は違っていたから。奴は魔術の使い手がどれだけすごいか褒めてきて」
まず、話を聞いたのが悪かったと呟くと、ポンパ・オーエンはダインに協力していたことを白状していった。
魔術師街を一軒一軒まわって扉を叩き、姿を現したポンパを褒めに褒め、無理矢理家の中に押し入り、散々粘られて、パーティを組むと約束させられてしまったのだという。
「腕の良いスカウトを探す手伝いをしろと言われて、それにも付き合った」
「仕方のない奴だな」
「でも! でも、神官探しは一緒に行っていない。奴はよりによってキーレイ・リシュラに頼むと言ったのだ」
あんな失礼極まりないやり方を、キーレイ相手にはできない。
ポンパはそう考え、神官探しだけは付き合わずに済ませたと語っている。
「ダインはここで暮らしてるんですか?」
「いいや。いない。ここに住み着こうとしたから、ポンパは抵抗した。そうしたら、お前のような薄らハゲと暮らすなんてごめんだなどと言いおって」
いかにもありそうな展開で、本当のことなのだろうとギアノは思う。
けれどそうなると、ダインはどこへ行ってしまったのか?
「今どこにいるのかは、わかります?」
当然、次の質問はこうなる。
容易に想像できただろうに、返事はなく、ポンパの顔色は青を通り越して土気色に変わっていった。
「なるほど、死んだか」
「はあうう……」
妙な声をあげると、ポンパは頭を抱えて小さくなっていった。
ギアノは強く目を閉じ、意識してゆっくりと息を吐きだしていった。
一縷の望みに縋ってみたが、ポンパから否定の言葉は出てこない。いつまで経っても、出てこなかった。
「ポンパよ、説明しろ。ダインとやらは何故死んだ?」
多少待ったのは、ロウランなりの優しさだったのだろうか。
麗しい魔術師が沈黙を切り裂き、ギアノは唾を飲み込んでいる。
「ダインはそのう……、『藍』の迷宮で、失敗したのだ」
「なにがあった」
「いや、それは」
「言いたくないか」
「言いたくはない」
優しく問いかけたくせに、ロウランの答えは厳しい。
「駄目だ。言え」
萎れ切った家主の魔術師は、震える声で話し始めた。
「藍」の迷宮、六層目にある大穴と呼ばれる罠の先に、「置いて来た」のだと。
「ええ……」
思わず絶句するギアノに、ポンパは涙目で訴えていく。
「ギアノとやら、違うのだ。あれはダインが悪かったし、その……。あそこがあんな風でなければ、決してそんなことは起きなかったはずなのだ。ポンパは決して、ダインを良く思ってはいなかったが、どうこうしようなどとは考えてはいなかった。事故のようなものだ。すべてが悪い方へ悪い方へ、流れてしまっただけなのだ」
理解する為には、具体的になにがあったのか話してもらう必要がある。
ポンパの言葉は濁されてばかりで、「置き去り」以外に何が起きたのか、さっぱりわからないから。
「フレスとカステルも一緒だったんですか」
まずは、ダインと共に出て行ってしまった二人が、行動を共にしていたかどうか問いかける。
フレスについては、パントが故郷へ帰るところを見たと話していたが、カステルもどこに行ったのか不明なままだ。
「ああ。一緒……、だった」
ポンパの息遣いが荒くなっていく。短く、苦しそうで、不吉な予感に満ちている。
「フレスは会ったって子がいて、故郷に戻ったらしいとわかっているんですが」
「うう」
「カステルは?」
短い唸り声が聞こえるばかりで、返事がない。
希望など、もうかけらすら残っていないのだろう。
覚悟を決めて、ギアノは声を上げていく。
「教えて下さい。カステルも、ダインと一緒に?」
家の中が静まり返っているからか、ギアノの声はやけに大きく響いた。
それでポンパは身を震わせて、ぽろりと一粒涙をこぼすと、頷いて答えた。
「奴も失敗したのだ」
「どうしてそんなことに?」
「仕方がない。フレスとやらだって、良い選択をしたわけではない」
「どうしてそんなことになったのかを聞いているんだ」
声を荒らげた管理人の肩の上に、ロウランの手が伸びてきて置かれる。
細長い指は美しく、優しく青年の背中を撫でていった。
「ポンパ。『藍』の大穴とやらに行ったのは誰だ。お前と、ダイン、フレス、カステルと?」
探索者は五人で組むと良いと言われている。
大勢が試して、歩いて、術符の効果を知って、それが最適だと導き出された人数だ。
だから大抵の人間が、仲間を五人になるよう集めていく。
名前が出てきていないもう一人。初心者たちに力に貸してくれたというスカウトの協力者。
ダインの話からしても、共に居たのではないかとギアノも思う。
「スウェン……」
消え入るような声で、ポンパが答える。
「スウェン・クルーグか」
「ロウラン殿も、あやつを知っている?」
「いいや。ヘイリーが探していると聞かされただけだ」
その名前を、ギアノも確かに耳にしている。
「もしかして、ヘイリーさんを知っているんですか?」
「ああ。宿屋で火事が起きた時、偶然そばにいてな」
助けを求められたので手を貸したと、ロウランは笑っている。
厳しいところもあるが、親切でもあるんだなと感心しながら、ギアノは意識を戻していく。
ヘイリーたちが探していたという、スウェン・クルーグという名の男。
シュヴァルを襲ったシンマと共に居たと、ヘイリーは語っていたはずだ。
「スウェン・クルーグというのが、ダインが探し当てた、協力者のスカウト?」
「ああ、そうだ……。あやつは、関わってはならない者だったのに」
「なにがあったのか教えて下さい」
「うう。話したらポンパが危険なのだ。すべて話してしまったとわかれば、この木っ端魔術師は破滅するしかなくなる。家に火をかけられ、慌てて逃げ出したところを狙われて、哀れな姿を晒す羽目になる!」
狼狽えるの見本のような落ち着きのなさを見せつけられて、こんな状態のポンパからなにもかも聞き出すのは骨が折れる仕事だろうと思えた。
しかし、ダインとカステルの行方について、はっきりさせておきたい。
単純に探索で失敗したのなら仕方がないが、置き去りにされたとあっては、簡単に済ませて良い問題ではなかった。
「なにか事情があるのかもしれませんが、ポンパさん、教えてください。確かに問題はありましたけど、ダインは、親族の商人がカッカー様を信頼して、屋敷に預けたんです。どうしてこんなことになってしまったのか、説明しなきゃならないんです」
「そんなの、ポンパには関係ない」
酷い答えに挫けそうになりながら、お願いしますと声を絞り出していく。
半分禿げた魔術師がぷいっと顔を背けると、隣に座る美女が助け船を出してくれた。
「事情が言えぬのは、お前がすべてしでかしたからだな」
「はあ! それは違う!」
「以前にもあの大穴に人を落としたことがあるそうではないか」
ロウランの衝撃的な暴露に、ポンパは立ち上がり、手をばたばたと振っている。
「それは、妙な奴らが追いかけてきたからであって」
「ノーアンたちも置き去りにして一人で先に帰っただろう。お前がいなくなれば、残された四人がどうなるかわかっていながら、よくもそんな真似ができた」
「ノーアンは術符を持っていた!」
「あれはニーロに返し忘れて、偶然持っていただけの物だ」
そう知った上で言っているのだろうな?
ポンパの口は大きく開いたが、なんの音もさせずに、ぱくぱくと開閉を繰り返していった。
海の深いところによく似た魚がいたことを思い出し、ギアノは慌てて首を振っている。
「ギアノよ、残念だが終わろう。ヘイリーには、この珍妙な頭の卑怯者が魔術を悪用したと伝えるぞ」
「わでええええ!」
家主の魔術師は部屋の出口に走り、どうやら通せんぼをしているようだ。
手足を力いっぱい広げて、頬だけを真っ赤に染めて息切れを起こしている。
「どちらかだ、ポンパ。すべて自分の罪にするか、真実を話すか」
まだ座ったままのロウランは、静かにこう宣言した。
「わかった。話す」
「最初からそうすればいいものを」
なあ、と笑いかけられたが、ギアノは顔を強張らせている。
真実がどんなものであろうと、悲劇的な話に違いないのだから。
「なにから話せばいいのか、本当に悩んでいる」
ポンパはこう呟きながら椅子に戻って、ゆっくりと座った。
「何故『藍』の大穴に向かったのか、教えてもらえませんか」
ギアノの問いを受けて、魔術師ははあ、と大きくため息を吐きだしている。
「ダイン・カンテークは探索を心底舐めていて、最初から『赤』か『黒』が良いと騒いだ。それはさすがに無理だとポンパは言ったし、フレスたちも怖がったが、あやつはそれをいくじなしと笑いおったのだ」
魔術師の腕が悪いせいかと罵り、自信がないのかとスカウトを挑発したらしい。
なんてことをとため息をつくギアノに、ポンパはちらりと視線を向ける。
「結局、『藍』に行った。まだ組んだばかりなのだから様子を見るべきだと言って、試しに少し行ってみたのだ」
そして、次の日。
もう「藍」には行ったのだから、次は「赤」だとダインは騒いだ。
もちろん、ポンパは止める。そして、ダインは聞かない。
「そうしたらスウェンが、『藍』にはものすごい罠があると言い出した」
「大穴のことか?」
ロウランに声をかけられ、ポンパは頷く。
「そう。六層目にある罠は大きな大きな落とし穴で、かなり有名だとポンパは思う。滑り落ちた先は、深い層の行き止まりで、落ちれば簡単には帰れない」
魔術師がいて脱出が使えるのだから、見に行ってみたらいい。
普通の探索者ならそんなことはやらない。
秘術を会得した魔術師が仲間にいなければ決してやれないことであり、これほど面白い体験談は他にないはずだよ。
ダインのわがままに困った顔をしながら、スウェン・クルーグはこんな提案をした。
こんな話を語る探索者はまだ街にいないから、君のものにしてしまえばいいのだと。
「誰も語れない探索話ができるのは、凄腕の証とかなんとか。スウェンは話すのが妙に上手くて、ダインはようやく黙った。黙って聞いて気に入って、大穴に行って落ちてみようと決まったのだ」
そんな落とし穴の話を、ギアノは知らない。
「藍」には結局行かないまま探索者暮らしを終えてしまったから、知る機会はなかった。
「ポンパは馬鹿なことをした。ダインらとも出会ってすぐだし、スウェンはその前の日に仲間になったばかりだったのに」
「それで? 大穴に行って、どうなった?」
また荒くなった息をなんとか整え、ポンパ・オーエンは再び語りだす。
「ダインは偉そうにするばかりで戦わなかった。だから、逆に六層にはすんなりとたどり着いた。スウェンは戦いが得意だったようだし、『藍』の低層くらいならば、ポンパの魔術で大抵の敵はやっつけられるから」
フレスとカステルは怯えてしまって、ついてくるだけで精一杯だったらしい。
そんな三人を連れて進んでいき、回復の泉で休憩をして、件の大穴へ五人は向かう。
「床に穴が開いて、滑り落ちるという仕掛けだ。かなり急な坂を長い時間落ちるから、気をつけた方がよい。あやつはスカウトだから、スウェンがそう伝えると思っていた。それまでは、地図を持って、罠があるところでは親切に声をかけていたから」
けれどスウェンは大穴について、どこを踏むと仕掛けが動くかしか言わなかったという。
連動して動く天井の穴があり、蛇が降ってきては大変なので、ポンパが先に動かないよう手を打っておいたが。
「ダインの命令で、フレスが仕掛けを踏むことになった」
フレスは怖がり、カステルの袖を掴んだまま離さず、小競り合いが起きた。
そんな様子をダインは鼻で笑って、早く行けと蹴りを入れたという。
「大穴の仕掛けが動いて、五人で落ちていった。ポンパとスウェンは知っていたから構えていられたが、三人は驚いて悲鳴をあげていた」
「どうして教えてやらなかった、ポンパよ」
「それは……。ロウラン殿も、会えばわかったはず。ダインは本当に嫌な奴であったから」
「そんな理由か」
呆れた様子で、ロウランは鼻を鳴らしている。
とにかく五人は「藍」の迷宮の六層にある大穴に落ちた。長い坂を暗闇の中、滑り落ちていった。
「そこで何が起きたんです」
経緯はわかった。問題はその後だ。ダインとカステルを迷宮に置き去りにした理由。
ギアノにまっすぐに見据えられ、ポンパは視線を逸らしている。
「どんな内容でも仕方ない。もう既に起きてしまったことなんだから」
せめて真実を教えて欲しい。
ギアノがそう伝えると、ポンパはしょぼしょぼと頷き、小声で答えた。
「そうだな。もう取り返しがつかない。本当に恐ろしい。何故あんなことになっていたのか」
「なにかあったんですか?」
ポンパは大穴の落とし穴を有名な罠だと言った。
だとしたら、ひっかかる者もいないのではないか。
疑問に思う管理人の青年に、とうとう答えが示される。
「……落ちたところに、三人いた」
スウェンが灯りを掲げ、すぐそばに三人も倒れている者がいるとわかった。
「ポンパも急いで灯りをつけた。全員、探索者のようだった」
誰も彼も青白い顔をして、微動だにしない。
「一人は魔術師のようなローブを着ていた。一人は小柄で、口を大きく開けていたらから、見えたのだ」
歯があちこち抜けていて、それがやたらと怖くてたまらなかったとポンパは呟いている。
「それって、ヘイリーさんが言っていたシンマという男ですか?」
「わからん。わからんが、歯があちこちなくて、隙間だらけで」
では、昨日ヘイリーから逃げたのは、シンマに心当たりがあったからなのだろう。
スウェン・クルーグと共に居たというが、彼の反応はどうだったのか?
そんなことを考えるギアノに、衝撃的な言葉が告げられる。
「もう一人は、女だった。女が倒れているとわかって、ダインは急に笑い出した」
「笑うって、どうして?」
「ポンパは事情を知らない。奴は女の顔を確認すると笑い出して、手を貸すよう頼んだのに断ったスカウトだと騒ぎ始めた」
「女のスカウト……」
「ダインは『女だったら助けてやってもいい』などと言い始めて、下劣な真似をし始めたのだ」
真っ青な顔で迷宮に倒れていた因縁の女スカウトの服を掴んで、体をまさぐっていたらしい。
「ポンパは目を逸らしていたから、見ていないのだ。だが、ダインは急に舌打ちをした。女じゃないと。自分を騙していたと怒りだし、女の体を蹴り飛ばした」
「なんだって」
声が震えている。口から勝手に飛び出していった声は震えて、弱々しくて、心が一気に不安で覆われていく。
「その女のスカウトの顔を、見た?」
「ちらりとだが」
「どんな風でした? 背は高かった?」
「ああ。高かった。シンマよりも随分大きくて、派手な化粧をしていた」
両手で顔を覆ったギアノに、ロウランの指がまた伸びてくる。
「知り合いか?」
多分。きっと、おそらくは。
女装をしているスカウトなんて、大勢いるはずがない。
ポンパと同じ。この街にどれだけ大勢の人がいても、二人もいないだろうから。
「マージ」
涙が込み上げてきて、ギアノは少し待ってほしいと魔術師たちに頼んだ。
ポンパは黙り、ロウランは背中を撫でてくれている。
真っ白になってしまった頭を、ギアノはなんとか動かしていった。
話はまだ終わっていない。ここに来たのはダインの行方を知るためで、彼の命運が尽きた理由をまだ聞けていないのだから。
「ごめんなさい。待ってくれてありがとう」
「大丈夫か、ギアノ」
「ええ。……それで、ダインは何故置き去りにされたんです?」
目元を袖で拭って、改めてポンパへ向き直る。
半分禿げた魔術師の男は不安げな目でギアノを見つめていたが、静かに続きを語り始めた。
「ダインがその女を罵っている間に、スウェンが話しかけてきたのだ。あの男は随分酷い奴じゃないかと」
フレスは耐えられなくなったらしく、泣いていたという。
ポンパも当然、ダインには不満しかない。何故付き合ってしまったのか、後悔しかなかった。
「スウェンはカステルにも声をかけた。あんな男を許せるのか、まだついていく気なのかと」
カステルはかなり迷った様子だったものの、一緒に行くと決めたからと答えた。
スウェンは肩をすくめて、ポンパを呼び寄せ、こう囁く。
「あんな外道は置いて帰ろうと言ってきた」
フレスはまだ人の心が残っているから、三人で。
そこまでのダインの振る舞いに腹が立っていたから。
スウェンにあれこれと囁かれ、怒りを煽られていくうちに、とうとう限界を超えてしまったから。
「だからポンパは、ダインを置いて戻った」
「カステルも?」
返事が聞こえるまでしばらくかかったが、ポンパは力なく頷き、認めた。
「スウェンが、あいつも同類だというから」
ポンパ・オーエンが隠したがった理由が、よくわかる。
なにもかもが酷すぎる。こんなにも残酷な出来事があったなんて、知りたくなかった。
「そうしたら、地上に、戻ったら」
「まだなにかあるんですか」
歯を食いしばって耐えながら、ギアノは問う。
ポンパの話はまだ、続くらしい。
「戻ったところで、スウェンは笑い出した。ポンパを指さして、顔を歪めて笑いおったのだ」
本当に置き去りにするなんて、お前はとんでもない男だと。
ダインとカステルを「藍」の迷宮の大穴の底に落として、自分だけ戻った極悪非道の魔術師だと、スウェン・クルーグは騒ぎ始めた。
「やめろと言った。大きな声を出すのはやめろと。するとスウェンは、黙って欲しいのなら言うことを聞くようにポンパに命令した」
とんでもない話にギアノは項垂れていたが、視界の端に、ちらりと見えた。
麗しい女魔術師が、口元に笑みを湛えているのが。
「どうしようもなかった。スウェンには何を言っても通じなかった。頼みごとが出来たらまた行くから、家で待っていろと言われた。スウェンは去って行って、フレスはいつの間にかいなくなっていた」
「だから昨日、ヘイリーが来た時に逃げたのか?」
「そう、なのだ。ニーロちゃんに助けてもらいたくて行ったのに、ノーアンなんぞと出かけようとしていて」
「ニーロからも逃げたと聞きましたけど?」
二人に責められ、ポンパはしょぼしょぼと萎れていく。
「恐ろしかったのだ。ニーロちゃんはポンパのしたことをすべてわかっておったようで」
「すべてって?」
「よりによって、『藍』の迷宮に行くと言うし……。一緒に歩いている間も、恐ろしげなことばかり話してきて」
「行ったんですか、『藍』に」
こくんと頷く魔術師に、ギアノは絶句している。
なにを考えているのか、ちっとも理解できなかったから。
「これですべてだ」
「そのスウェンって男はどこに?」
「わからん。決まった居所などないと言っていたし」
けれど出会った店はわかると、ポンパは話した。
スカウトが集う酒場が街の東側にあり、「丸虫のあしあと」という名だと聞かされる。
「ポンパが知っているのは、それだけだ」
「言い残したことはないか?」
「ない。これで全部だ。ロウラン殿、ポンパはどうしたらよいのだろうか」
「自分で考えろ。精々、悔いのないよう行動するがいい」
ロウランは立ち上がり、「行くぞ」と声をかけてくる。
言われた通りに席を立って、後を追う。
二人が魔術師街の道の上に出ると、空はもう赤く染まっていた。
ポンパ・オーエンは屋敷の中に残っているのか、姿を見せることはなかった。




