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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
03_Special Treatment 〈救いの手〉

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19 経験と発見

 朝の支度を済ませ、一行は六層へ降りる階段へ向かった。

 途中に出てきた迷宮鼠は、マリートの剣に斬られている。

 

 剣士はとても上機嫌だった。勿論、感情を表に出したりはしない。いつも通りの表情を作って、油断なく辺りの様子を伺いながら通路を進んでいる。

 マリートの隣では、フェリクスが目の下にクマを作っている。こちらは通路を注意深く見ているようで、見ていない。アデルミラも同じだ。地図に目をやり、道の先を見つめているが、「見えていない」。初心者は皆、そうなる。特に初めての夜明かしの後は、必ずこうなるとわかっていた。だから、この二人についてはいい。


 パーティの後列、アデルミラの隣にはニーロがいる。彼からは喜びの色が滲み出ている。マリートはそう感じていて、そのせいで嬉しくてたまらなかった。


 二人の喜びの理由は、ウィルフレドだ。迷宮の中ではあまりしない方がいい「人助け」。その為に少女を背負ってたった二人きりで地上へと戻り、眠らないまま五層へ一人で戻ってきた。それもかなり早く、夜が明けてマリートたちが起き出す前に帰ってきていた。疲れているだろうに、そんな気配を微塵も見せない。とんだ逸材を発見したとマリートは思うし、ニーロもそう考えているに違いないという確信があった。


 優秀な人材がいれば、まだ見ぬ迷宮の奥へ向かえるようになる。

 

 どれだけ強くとも、たった一人では迷宮の奥深くへ立ち入ることはできない。

 しかし強くなればなるほど、共に行ける者は減っていく。同じ程度の実力がなければ、誰を連れていっても足手まといになるだけだ。

 四つの迷宮の最深部に辿り着いたニーロ。あらゆる魔法生物の弱点を見抜くマリート。二人はここのところ、「純粋な探索」をしていない。誰も踏破していない場所へ行きたいのに、まだ見ぬ敵や道具を求めているのに、共に進める誰かがいないせいで行けずにいる。

 マリートは歩みを鈍らせて、ニーロの隣へ並んだ。一歩、二歩、熟練の二人が隣り合って歩んだのは本当に短い時間だけだった。


「マリートさん、前に出て下さい」

「ああ」


 だがたったこれだけのやり取りで、二人の意思ははっきりと通じた。次の向かうべき渦はどれか、思い浮かべた色も同じだった。

「さて、六層だ」

 前列へ戻り、マリートは振り返る。可愛い「教え子」達は表情を引き締め、下へと続く階段を見つめている。

「少しずつ厳しくなっていくぞ」

「敵が強くなるんですか?」

「それもあるし、遭遇率も上がる」

 フェリクスが唾をのんだ音が、迷宮の通路に響き渡っていく。

「各階層の魔法生物の数は余り変わらない、そうだよな、ニーロ」

「おそらくは」

「探索者が減るんだ。単純に、他に倒してくれる奴がいなくなるから、自分達で相手しなきゃならない数が増える。下へ行くほど、戦いの回数は増えていくぞ」

 アデルミラは目を閉じて祈りの言葉を紡いでいる。


 階段を降りて、六層目へ。風景は変わらない。蔦や葉、花が咲く「緑」の迷宮は相変わらず明るい。

 今日もまた、一日の探索が始まる。いつ戻るのか、早く知りたいとアデルミラは思った。延々と続く緑の蔦が、心に絡み付いてきて足を引っ張っている。何もかもが重い。体も、心も。外の空気が吸いたい。太陽の光を浴びたい。カッカーの屋敷の狭苦しい相部屋のベッドの上に倒れ込みたかった。

 迷宮の床は冷たく硬く、よく眠れなかった。不安で何度も起きてしまった。ニーロの描いた光の線からはみ出してしないか確認し、曲がり角の向こうを走っていく鼠の影に怯え、横たわって休んではいたが、心の疲労はむしろ増している。

 ニーロもマリートも、よく眠れるものだと思った。魔法生物だけではなく、他の探索者が通りかかったら? 彼らがもしも荷物を奪おうとしてきたらどうするのか、フェリクスは何度も重たい瞼をこすりながら、周囲の様子を確かめていた。


 足が重い。心はもっとずっしりとして、床よりも深く迷宮の奥底へ沈んでいってしまいそうだ。


 ウィルフレドは何故平気なのだろう。鈍い頭を動かして、フェリクスは考える。自分の倍ほどの長さの人生の中で、どんな試練を潜り抜けて来たというのだろう。

 思わずじっと見つめていると、髭の男が気が付いて声をかけてきた。

「フェリクス、大丈夫か?」

 こくこくと頷いて、青年は答えた。

 本当は大丈夫なんかじゃない。もう限界だ。これが探索だというなら、自分には絶対向いていない。こんな後ろ向きな思いに捉われ、足はますます重くなっていく。


 十万シュレール稼げる仕事は他にないのか。フェリクスはぼんやりと、ラディケンヴィルスの街並みを思い出していた。ジマシュも言っていたじゃないか。探索以外の仕事はいくらでもあると。街の南東には毎日新しい貸家が建てられている。その西には、迷宮から引き揚げられた珍品で大儲けした豪商の為の邸宅が建てられている。カッカーの屋敷に集った面々の中にも、探索に行かない日はそこで手伝いをして賃金をもらっていると話している者がいた。


 マリートの副業は魔法生物の革で小物を作って売るというものだと聞いている。剣を研いだり、防具の修理をしている者もいる。商人たちの護衛、食堂や宿屋での下働きもあれば、出張買取をしている道具屋はいつでも手が足りないという。コツコツと働き続けて得られる賃金は一日でいくらくらいだろう? 


「フェリクス、来るぞ」

 鈍い輝きを放っていた銅貨がパラパラと散らばって、消えていく。慌てて腰の剣に手をやって、フェリクスは構えた。鼠ではない、それよりももっと小さい。

「兎だ」


 食堂で何度も味わってきた「迷宮兎」が何匹も、ぴょんぴょんとはねながら近づいてくる。景色と相まって、まるで草原のような光景が広がっている。薄い茶色の長い毛に覆われた兎の姿は愛らしく、剣にかけた手に少しばかりの躊躇いをもたらしてきた。


「油断するな、地上の兎とは違う」

 マリートの呟きは小さいが、鋭い。フェリクスがどれだけ濁った思考の中にいるか、何を思っているかすべてを見通しているようだった。


 巨大な鼠は黒い毛に覆われていて、汚らしい色の尻尾を振り回しており、いかにも「敵」らしい姿をしていた。

 それよりも小さな、柔らかい色の兎。遠くからぴょこんぴょこんとゆっくり近づいてくる様は、どこかうららかで、優しい。


 こんな思いのすべてが間違いだった。五羽の集団でやってきた兎のうち、一羽はマリートが、もう一羽はウィルフレドが切り捨てている。その刃の間をくぐり抜け、影は素早くフェリクスの下へ跳んできた。鋭い前歯が右足のひざ下辺りを切り裂いて、痛みでようやく意識が冴えていった。しかし慌てて取り出した剣は、いくら振っても当たらない。逞しい後ろ足で床を蹴って、兎はフェリクスを翻弄してくる。右へ、左へ、時には壁際の茂みの中へ。魔法生物に毒は効かないのか、それともただの植物なのか。

 雑念が頭をよぎってばかりで、集中できない。兎はまた床を蹴って、あっという間にフェリクスの左足に噛みついている。

「うあっ」

 声をあげ、剣を振りおろす。兎は耳の先を失ったものの、動きを鈍らせる様子もなく再び飛び跳ねてフェリクスから離れていった。

「落ち着け」

 ウィルフレドの声がようやく耳に入って、フェリクスは気が付いた。辺りに満ちた血の匂い、おそらく残りの四羽は二人が倒してしまったのだろう。

 目は敵に向けたまま、噛みしめた歯の隙間から細く長く息を吐いていく。こんなところで手こずっている場合じゃない。


 カッカーの屋敷の裏庭で積んできた練習を思い出していく。ウィルフレドの力強い大きな手、マリートの落ち着いた声、隣で剣をめちゃくちゃに振り回していたティーオ。

 兎が跳ねる。身を低くして、右手を払う。捉えたが浅い。赤い血が飛び散って、壁を濡らす。

「とどめを刺せ!」

 バランスを崩して床に落ち、逃げようとする魔法生物に剣を夢中で突き立てる。

 これが、フェリクスの初めての「勝利」になった。


 フェリクスの仕留めた獲物からは、傷があちこちについたせいでほんの少しの肉しか取れなかった。けれど、充分だとマリートは笑う。

「初勝利なんてこんなものだろうよ」

 二人の手練れが仕留めた兎は、皮も肉も綺麗に剥ぎ取られている。魔法生物の残骸は通路の隅に追いやられ、肉は大きなロシュークの葉に包まれていく。


「じっとして下さい」

 アデルミラはしゃがみこんで、フェリクスの受けた傷を癒していた。神官の癒しを受けるのは初めてで、その暖かさに青年は思わず目を閉じている。

「すごいな、こんな風に治るのか」

「そうですよ」

 にっこりと微笑むアデルミラの横からは、白い布が差し出されてくる。

「足に巻いて下さい」

 ニーロの小さな荷物入れから取り出されたのは包帯のようだ。

 素直にそれを受け取ったものの、アデルミラは小さく首を傾げている。

「傷はもう、治しましたけど」

「服が破れたでしょう。肌を露出するのは危険です。戦いが済んだ後は必ず、全身をよく確認すべきです」

「そうだな。ほんの些細な油断が、案外命取りになるんだ」

 ましてやここは「緑」なんだから。手早く荷物をしまいながら、マリートも同意している。


 フェリクスが裂けたズボンの下にぐるぐると包帯を巻きつけ終わると、一行は再び「緑」の六層目を進み始めた。

「そういえば、六層目には『癒しの泉』があるのではないですか?」

 アデルミラが口にしたのは、迷宮の中に六層ごとに設けられているという「泉」の話だ。そこから湧き出している水を飲むと、体力が戻り、傷も癒えるのだという。

「ああ、あるぞ。飲んで行くといい」

 マリートは頷き、ニーロはこう付け加えている。

「『緑』の泉は安全ですからね」

 「緑は」とはどういう意味なのか、当然アデルミラは尋ねる。ニーロは前を向いたまま、こんな風に答えた。

「そこの水を飲めば癒されるなんて、能天気な探索者をひっかける絶好の罠になると思いませんか?」


 実際に、六層ごとに必ず「癒しの泉」はあるという。六層、十二層、十八層、二十四層、三十層、そして最深部である三十六層。この泉そのものに関して、罠は少ないのだとまずニーロは話した。


「ただの水飲み場もあります。『癒しの泉』はそれとは明らかに形状が違いますから、今日よく見て覚えて下さい。ただの水飲み場と、六の倍数ではない層にある『癒しの泉』には罠が仕掛けられている可能性がありますよ」

「そういえば、『黄』の迷宮には毒の泉がありました」

「初めて寄った水場では、必ず確認をしなければなりません」


 どうやって確認したらいいのか、と言いかけて、アデルミラは口を噤んだ。なんでもかんでも先輩に聞いていいのかどうか、ニーロの無表情を見つめていると、もしかしたら怒っているのではないかという不安が湧き出してくる。


 また飛び出してきた兎を屠り、五人は「緑」の中を進む。

 自分で止めをさした経験が自信に繋がったのか、フェリクスも随分落ち着いている。


「さて、お待ちかねの『癒しの泉』だ。飲めば力が出てきて、傷も癒える。余りにも深いと、完全には治せないがな」


 ローブを深くかぶった男と女、二人の像が置かれている。女は立って水差しを傾け、男は跪いて両手を差し出している。男の手のひらに向かって水が注がれ、溜まっていた。男の像にはひしゃくが何本かたてかけられていて、マリートはそれを取ると水を汲んで一気に飲み干している。


「飲むのは一杯だけだ」

「決まっているのですか?」

「ああ、欲張って何杯も飲むと必ず腹を下す」


 「癒しの泉」の効果は凄まじい。発見された当時は、迷宮の外に持ち出そうとする者が絶えなかったという。だが、どれだけ大量に汲んでも、水袋の中身は迷宮から出た途端消えてしまうらしい。


「飲んでもせいぜい二杯が限度だ。この、像の隣に置かれているひしゃくで飲む。欲張る者には必ず罰が与えられる。それがすべての迷宮に共通した決まり事らしいぞ」

 数多の探索者達が潜り、危機を切り抜け、地上へ戻っては伝えてきた「迷宮での出来事」。先達たちの教えに耳を傾けなければ、迷宮都市では生きていけないとマリートは語る。

 アデルミラとフェリクスも、おっかなびっくりひしゃくを手に取った。その後にウィルフレドも続く。ニーロは必要ないのか、後ろでマリートと何かを話している。


「おお、これは……」

 五人の中でもっとも疲労が濃かったであろうウィルフレドは、水を飲み干し、目を閉じていた。

「なるほど、持ち帰ろうとする者が多かったのも合点がいく。売り出せばどれ程儲かるか考える者は相当な数、いたでしょうな」


 隣ではアデルミラも、頭の中がスッキリと冴えわたっていくのを感じていた。よく眠れなくて重たかった体に、温かく穏やかに血が巡っていくような感覚がある。


「ニーロ、いいのか?」

「僕は何もしていませんから」

 そっけない返事に小さく笑って、マリートは初心者たちへと振り返った。

「今は地図があるが、ない迷宮の方が断然多い。今どの辺りにいるか、何層にいるのか、そして迷宮に入ってどのくらい時間が経ったか、意識して進んで行くんだ」

 時間の感覚はとても重要だ。この言葉を、フェリクスもアデルミラも心に刻んでいく。


 けれど、迷宮の景色は変わらない。どこまでいっても今は「緑」「緑」「緑」だ。明るさも変わらない。マリートもニーロもよく平気でいられるものだとフェリクスは再び強く思った。

 迷宮の外と同じ速さで時が流れているなんて、とても信じられない。少しずつ少しずつ、時の流れが遅くなっているのではないかと感じている。

 景色を変えない世界の恐ろしさをひしひしと感じながら、フェリクスもアデルミラもそれぞれ、前を向いて歩いていくしかない。

 

 癒しの泉で休憩を取ってから、しばらくの間フェリクスは歩数を数え続けていた。なんらかの基準が欲しいと思ってし始めたのだが、それもすぐに止めてしまった。数が多くなるにつれ、いくつまで数えたかすぐに曖昧になってしまう。集中すれば、敵の襲来に気付くのが遅くなり、通路の先に影がいないか目をこらせば、あっという間に心の中のカウントは消え去っている。


 何度も挑戦して、何度も失敗して、感覚を掴んでいくしかない。焦ってはいけない。

 訓練の時に通りかかったカッカーはそう、フェリクスに声をかけてきた。


 自分の震える魂を鼓舞していくが、しかし、通路に生え広がる蔦の影から、黒い何かが忍び寄って心を驚かしていく。

 出来るのか、フェリクス。非力で何の取り柄もないお前が、卑怯なお前が、マリートやニーロのような「探索者」になれる訳がないだろう、と。


 勇気と、怯え。何度も何度もぶつかって、フェリクスの心のうちを焦がしていく。足が重たい。疲労だけではなく、緊張のせいだけではない。自信がない。自信を持てない。自信を持つ高みにまで、行けると思えない。

 それでも、敵は現れる。マリートが鋭い声をあげ、罠があるぞと歩みを止めてくる。

 剣を振り、後ろに下がって罠の解除を見る。見て、聞いて、調べて、学んで、そして――。


「よし、終わりだ」

 何匹目かの「穴蜥蜴(アドーザ)」を倒し、その皮を剥ぎ終わってマリートがこう宣言をした。

「終わり、ですか?」

「ああ、もう夜が来るからな」

 途端に手から力が抜けて、フェリクスは持っていた短剣を取り落とした。隣ではアデルミラも大きな息を吐き出して、雲の神への感謝の祈りを捧げている。

「今、何層にいるかわかるか?」

 今にも倒れてしまいそうで、マリートの声は聞こえたものの、フェリクスはいつまでたっても答えられなかった。口だけはパクパク動いているが、声が出て来ない。そもそも、問いの答えが頭には浮かんでこなかった。


「ウィルフレドは?」

「十層でしょうか」

 アデルミラは地図を握りしめて、小さく頷いている。フェリクスがすっかり脱力している横で、アデルミラもまた地図を取り落としてしまいそうだった。終わりだと言われた途端に力が抜けて、ずん、と重苦しい何かが肩や背中の上に乗って来たようだった。

 また、夜明かしをするのか。また明日もこんな一日が続くのか。不安で世界は揺れて、目の前が暗くなっていく。


「では、帰りましょうか」

 ニーロは少し、笑ったような顔でこう言った。

「帰るのですか?」

「二人にはもう無理でしょう。これ以上続けるのは良くありません」

 ウィルフレドは「なるほど」と小さく呟いて答えている。

 

 帰る。地上へ戻るという意味だと、フェリクスもアデルミラも気が付くまでに随分時間がかかっていた。

「荷物の整理をして下さい。不要な物は捨て、戦利品はまとめるんです」

「帰るというのは、街へ戻るという意味ですか?」

「そうですよ」

 ニーロの返答に、質問をしたフェリクスも、アデルミラも心底ほっとして天を仰いだ。



 大した荷物もない一行の準備はすぐに済んで、五人はニーロの「脱出の魔術」で迷宮都市へと戻っていた。

 しかし、そこは「緑」の迷宮入口にある「帰還者の門」ではない。もっと別な場所、暗くてよく見えないが、誰かの家の中のようだった。

「ここは?」

「マリートさんの家ですよ。よく使う道具屋がすぐそばにあるんです」

 脱出の魔術ならば、好きなところに出られるのだという解説がマリートの口から為されて、初心者の三人はほうっとため息を吐き出していた。

「なるほど、『術符』とは似て非なる効果があるのですね」

「術者の力が強ければ、人数や重量は自由に増やせます」

 ウィルフレドは髭を撫でながらすっかり感心しているようだ。

 マリートは自分の家だからなのか、暗闇の中でも自由に動けるらしい。しばらくすると部屋のランプに火が点いて、周囲がよく見えるようになった。


 持ち帰った「戦利品」は、鼠と兎の皮、肉、蜥蜴の尻尾など小さな物ばかりだ。武器や防具の類だとか、術符はなく、売値は大した額にはならないだろうとマリートは話した。


「それは残念です」

 ウィルフレドは眉根を下げて、首を小さく傾げている。

 フェリクスとアデルミラはとにかく、無事に帰ってきたという安堵しかない。初めて足を踏み入れた、カッカー以外の誰かの家の様子を見る余裕もなく、震える手足をさすりながらぐったりと項垂れていた。


「あんたならもっと行けるだろう。俺達と『赤』にでも行かないか?」

 髭を撫でながら遠くを見つめているウィルフレドへ、マリートが告げる。隣へ立つニーロへちらりと目をやり、無言のうちに承諾を得て、髭の男の肩をごく親しげに叩いた。

「俺達というのは、マリート殿とニーロ殿のお二人ですか?」

「そうだ。キーレイを誘って、後はスカウトが必要だが」

「ロビッシュさんに声をかけましょうか」

 それはいい、と剣士は笑う。ウィルフレドは全身に喜びを浮き立たせ、礼を述べている。


 それはまるで遠い世界の事のようだった。有名な探索者たちの物語につけられている挿絵のようだとフェリクスは思った。

 自分達にあんな風に声をかけてくれる誰かが現れるだろうか?

 強い魔法生物が出てくるという「赤」に、足を踏み入れる日が来るのだろうか?



 持ち帰った物を道具屋に売り払って精算を済ませたら、それぞれの取り分を持ってパーティは解散した。

 初めての「緑」、初めての夜明かし。自分たちの不甲斐なさと、ベテラン探索者たちの言葉の数々。

 迷宮の中で体験した沢山の出来事が思い起こされていく。


「アデルミラ、大丈夫か?」

「ええ。でも、本当に疲れました」

 ウィルフレドと共に、フェリクスとアデルミラはカッカーの屋敷へ向かって歩いていた。


「ウィルフレドさんは……」

 アデミルラはそこまで言って、口を噤んだ。

「なんでもありません、ごめんなさい」

 彼の過去について、気になったのだろう。普通の街で出会った「友人」になら気軽に聞けるであろうこんな質問は、夜の闇の中に消えていく。


「やれやれ、これでやっとまともな食事が出来そうだ」

 小さな袋に入った銅貨をチャリンと鳴らして、ウィルフレドは微笑んでいる。

「ティーオの助けた子はどうなったかな?」

「そうでした、すっかり忘れていました」

 アデルミラがあげた声に、フェリクスは小さく笑った。昨日助けるのを手伝ったはずなのに、確かに大昔の出来事のように感じられる。

「早く帰りましょう。夕食に何か買って」

「そうだな」

 

 夕暮れ時、迷宮都市の南の大通りには多くの露店が並ぶ。

 そろそろ店仕舞いの時間が近い。三人は揃って、更けていく夜の街を早足で進んで行った。

 

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