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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
  X14-B_Believe in You

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182 神官の眼差し(下)

 次の日の朝、アダルツォは目覚めると一階に降りて回復部屋を覗いた。

 ここのところ毎朝そうしていたのでこの日も来てしまったのだが、カミルは既に自分の部屋に戻っており、今は誰の姿もない。


 そういえばそうだったと一人照れながらアダルツォが廊下へ出ると、声が聞こえた気がして辺りを見回していく。

 すると廊下の一番奥、管理人の部屋の扉が小さく開いており、中から誰かの手が出ているのが見えた。


「おい、こっちだ」


 聞き覚えのない声だが、廊下にはアダルツォ以外に誰の姿もない。

 なにごとかと考えて進んで行くと、ティーオたちの貸家の住人であろう少年が待ち受けていた。


 名前は知っている。今はギアノの世話になっていると、アデルミラからいくつか話を聞いた覚えはあったから。

 けれど話したことはないし、顔をはっきりと見たのも初めてのはず。


 悩んでいるうちにピンと来て、アダルツォは少年の前まで進むと小さく首を振った。


「ごめん、俺はアデルミラじゃないんだ」

「なにを言ってんだお前。男と女を見間違えるわけねえだろう」

「え、あれ。そうか。あはは、そうだよね」


 不本意な見間違えがまた起きたのかと思いきや、そうではないらしい。

 シュヴァルは幼い顔にぎゅぎゅっと皺を寄せて、仮の寝床の上にごろんと転がっている。


「兄貴なんだろう、お前」

 誰の、と言わなくとも、意図は伝わる。

「うん。俺はアダルツォ・ルーレイ。雲の神に仕える神官だよ」

「シュヴァルだ」


 人違いをされたのではないのなら、なんの用があって呼ばれたのだろう。

 少年はここで養生していると聞いており、確かに顔色は冴えないかもと見つめていると、シュヴァルはアダルツォをまっすぐに見つめながら、ぼそりと呟いた。


「お前、反対なのか?」

「反対って、なんの話?」

「ギアノとお前の妹の結婚だよ」


 余りにも意外な言葉が飛び出してきてアダルツォはしばらくぽかんとしていたが、シュヴァルの強い視線に気付いて慌てて答えていく。


「いやいや全然、反対な訳がない。むしろしてほしいくらいで」

「なんだ、そうか。なら話は早いな」


 身を起こし、シュヴァルは寝床の上にあぐらをかいて座る。

 わけがわからないが、こんなことを言う理由が気になって、アダルツォもそばに腰を下ろした。


「ギアノには嫁が必要なんだ。あいつはちょっとおかしいからな」

「おかしいところなんかある?」

 驚く神官に、少年は視線を向けたままこう答えた。

「仕事を押し付けられすぎて女に興味が持てなくなってんだよ、あいつは。それが当たり前になっちまって、家から出てもまだ仕事仕事で働き詰めにしてやがるんだ。自分からそうしてるんだぜ? おかしいだろ、そんなの。男としてイカれてる」


 結局わけがわからないままのアダルツォには構わず、シュヴァルはにやりと笑ってみせた。


「お前が良いんなら問題ねえな。あいつにはちゃんとけじめをつけさせる」

 そもそも、ギアノにつけるべきけじめなどあるのだろうか。

 アダルツォを置きざりにしたまま、シュヴァルは勝手に話を続けていく。

「お前の妹、いい女だよな」

 え、アデルミラが。

 の台詞は抑えて、アダルツォは言葉を探す。

「そう思う?」

「ああ。まっすぐだろ、なんでもはっきり言えて。ギアノは自分のことは全部後回しにしようとするが、お前の妹なら休めって言えるんだ。しかも本当に休ませられる」


 そういう存在がギアノには必要だとシュヴァルは言う。

 あっけにとられるアダルツォに、少年は急に顔を寄せ、囁く。


「ギアノは俺の子分の中じゃ一番デキる奴だが、ほっといたらいつまでも独りでいそうだからよ」

「子分なの?」

「ああ。なあ、いいよな、兄貴」

「それはもちろん、いいというか。俺もギアノならって思ってて、むしろ大歓迎なんだよね」

「そいつはなによりだな」

 豪快な笑い声が響いて、アダルツォも最後にはつられて笑ってしまう。

 笑っているうちに気付いたことがあって、アダルツォはシュヴァルに問いかけていった。

「もしかしてクリュも君の子分なの?」

「ああ。リュードは二番目の子分だな。しょうもねえことを言うしすぐに泣くが、見た目よりも根性がある」

「へえ」

「そういやお前に随分迷惑かけたらしいじゃねえか。悪かったな、リュードが」

「いや、いいんだよ。もう随分前のことだし」


 何故この子供に謝られるのだろう。

 摩訶不思議な気分でアダルツォが答えると、シュヴァルはふうとため息をついて、体を横たえていった。


「邪魔したな」

「ううん。それより、具合が悪いんじゃない?」

「少しな。大丈夫だ、寝てりゃ良くなる」

「必要なら手を貸すよ」

 顔色の悪い少年はベッドの上からアダルツォをじっと見つめて、小さく頭を下げるような仕草をしてみせる。

「お前の妹がいなけりゃ、俺は死んでた。本当にありがたく思ってる」


 アデルミラから、この少年について話は聞いている。

 怪我をして、ギアノのもとで体を治しているのだと。

 癒しのルールについて話した時に、アデルミラが手を貸したとは聞いていたが、そこまで酷かったのだろうか。


「あいつの兄貴なんだから、お前も相当良い奴なんだろうな」

「どうかな。そう思ってもらえたら嬉しいけど」

「困った時は言えよ。神官だっていうが、必要なら俺が面倒見てやるからな」


 どこからどこまで信じていいのやら。

 少年は体が小さいものの、表情は鋭く、本当に頼りになりそうな気配が漂っている。

 きりりとした目が特に印象的な、美しい顔立ちの少年だった。

 同じことをそこらの子供が言い出したら、はいはいと笑って流してしまうだろう。

 シュヴァルはそんな扱いをできる相手ではなくて、アダルツォは大事にするように言い、手短に祈りを捧げてから管理人の部屋を出た。


 来た時とは違って、大勢の初心者が動き出しており廊下は賑やかになっている。

 みんな厨房と食堂を出入りしており、フェリクスたちもみんな揃っているようだ。

 仲間たちに声をかけて、周囲の様子も見渡していく。

 ギアノとアデルミラもあれこれ作業をしているらしく、それぞれに動き回っては誰かに声をかけられていた。


 朝の忙しい時間帯では、息のあった様子は見られても、仲良く過ごす現場は目撃できそうにない。

 食事の準備をして、食べて、片付けて。

 二人とは何度もすれ違ったが、のんびりしている暇がないのだから仕方がないだろう。


「さあて、今日はどうする?」

 フォールードが声をあげて、五人組の今日の活動について話し合いが始まる。


 全員が視線を向けたのはカミルで、確認したいことは皆一緒だった。

 探索に行けるか、まだ無理なのか。どちらを望んでいるにしても、これだけはまず聞いておかねばならない。

 

「やっておきたいことがあるんだ」

「なんだい、カミル」

 コルフに問われ、カミルはアダルツォに目を向ける。

「アダルツォと一緒に神殿に行きたくて」

「俺と?」


 カミルはいつになく神妙な顔をして、雲の神殿に共に行ってくれないかと神官に頼んだ。

 残りの三人の視線が集まっている。

 それぞれに程度は違えど、疑問に思っているのだろう。

 普段から寄り付かない神殿に行きたいと願うのは、雲の神官からしても不思議なことだと思える。

 しかし、断る理由はない。神官として、仲間として、願われているのなら受け入れるだけ。

 アダルツォは静かに頷き、わかったよとスカウトへ答えた。


「それじゃあ、僕らはどうしようか」

 頼れる五人組の「今日の予定」は屋敷で暮らす初心者たちにとっても最大の関心事で、何人かが様子を窺っているようだ。

 今日は練習に付き合うと言ってくれるのを待っているのだろう。

 三人はなにやら話し合い、手分けして初心者たちを導くと決めたようだ。

 途端に食堂は大騒ぎになって、フォールードがうるせえと叫び、静かにさせている。


「すぐに行くんでいいのかな。カミル、なにか手伝うことはある?」

「いいや、大丈夫」

 カミルと共に二階に上がり、アダルツォは神官衣を身に着け、支度を済ませた。

 再び階下へ降りた時にギアノと顔を合わせたので、二人で出かける予定を伝えておく。

 頼れる管理人は珍しいねと笑っており、アダルツォはその優しい顔をまじまじと見てしまう。

「どうかした、アダルツォ」

「あ、いや。別になんでもない。あはは」

「なにを笑ってるんだよ」

 呆れたように言って、仕事のためにギアノが去って行く。


 後ろ姿を見送りながら、どうして笑ってしまったのかアダルツォは考えていた。

 昨日から、大勢に言われたからだ。

 ギアノとアデルミラの二人がお似合いで、生涯を共にしていけばいいと思われ、願われていると知ったから。


 以前、勝手な思いを打ち明けてしまって、ひょっとしたら逆効果だったのではないかと思っていた。

 兄の余計な口出しのせいで、変に考えさせてしまっていたらどうしようか不安だったけれど。

 皆が信頼し、慕っているギアノに、アデルミラが相応しいと思ってもらえているのが嬉しくて、アダルツォは幸せな気分でカミルを待つ。


「お待たせ、アダルツォ」

 階段からカミルが下りてきて、なにかいいことがあったのか問いかけてくる。

「いや、はは。なんでもないんだ」

「そうかい。機嫌が良さそうに見えるけど」


 もう一度、なんでもないんだと答えて、二人で揃って屋敷を出た。

 なにかしら手分けして作業をしたり、探索の間に組んだりしたことはあったが、カミルと二人きりで歩くのは初めてだった。

 

 迷宮都市に戻って来てから、カミルたちにはすっかり世話になっている。

 フェリクスとの縁があってのこととはいえ、受け入れてもらえたのはなによりの幸運だった。

 会話がないまま歩いていく間に、カミルとの出会いについて思い出していく。

 下働きをさせられていた娼館に、四人で会いに来てくれた時だ。

 あの時はフェリクスとティーオが話していて、カミルとコルフは後ろに控えていただけ。

 けれど、あの場にいてくれたから今があるのだろう。

 手痛い失敗から始まったものではあるが、兄妹で紡いできた運命の不思議さにアダルツォは思いを馳せている。


「アダルツォはどうして神官になったんだい」

 魔術師街に差し掛かる道の途中でふいに問われて、アダルツォは故郷の家を思い出しながら答えた。

「俺たちが神官になったのは母様の影響だね。アデルが生まれてすぐ、父様が死んでしまってさ」

「そうなの」

「うん。家を建てていたのか壊していたのか、わからないけど、壁が崩れて下敷きになったとかで」


 幼子と乳飲み子を抱えた母は悲嘆にくれていたが、いつまでも悲しんでばかりもいられないと考え、雲の神殿を訪ねたと聞いている。

 与えられた運命を受け入れ、乗り越える。

 突然の不幸に対し、最も相応しい教えを得て、家族三人で力を合わせて生きてきた。


「母様は神殿にとても感謝していてね。だから俺たちも自然にって感じかな」

「なるほど」

「それに、母様は体が弱くてね。なにかあっても生きていけるようにってよく言ってた」


 家を失っても、生きるところまで失わなくて済むように。

 そんな母の願いが、今に繋がっている。

 アダルツォはそう語ったものの、いい話ばかりではないんだよね、と素直に打ち明けていく。


「俺はアデルほど真面目じゃなくてね……。もしかしたらすごいことが起きるかもしれないって考えちゃってさ」

「それで迷宮都市に来たのか」

「そうなんだ。新しいものとか、出会いとか、故郷では起きないなにかがあるんじゃないかって思っちゃってさ。すぐに戻るつもりだったんだよ。長くいようとは思ってなかったんだけど」


 あとは、ご存じの通り。

 探索で大きな失敗をして、生き残ったはいいが、最低の運命が待ち受けていた。


「みんなのお陰で本当に助かった。ウィルフレドさんが見つけてくれて、フェリクスたちが救い出してくれてさ」

 まだ恩は返せていないとアダルツォは思う。

 小さくため息をつく神官を、カミルはまっすぐに見つめている。


「あのダインって奴がフォールードにあれこれ言ってきて揉めそうになったのを、クリュが止めてくれたらしいんだ」

「へえ、クリュが?」

「ああ。その時、アダルツォは全員を無事に地上へ戻す為に一番良い選択をしたって言われたんだって」

「え、クリュが?」

「うん。フォールードは自分だけ傷を治してもらったことに負い目を感じてるって、クリュに話したそうだよ」


 カミルを癒せなかったことは、アダルツォの中にも苦い記憶として残っている。

 表情に出てしまったのか、カミルは穏やかな顔を作って頷くと、こう続けた。


「いいんだ、アダルツォ。クリュの言う通りなんだから。コルフとも話したんだ、俺とフォールードが倒れた後、なにが起きたのか聞いた」

「カミル」

「コルフはもう駄目だと思ったらしい。……だけど、アダルツォが決めて、励ましてくれて、それで頑張れたって」


 アダルツォが正しい判断をしてくれて本当に良かった。

 カミルは口元に笑みを浮かべて、また呟く。


「フォールードを止めてくれて良かったよ。あのダインって奴と喧嘩になってたら、相当面倒だったろうから」

「そうだね」

「クリュにもいいところがあるんだな」


 アダルツォは頷き、クリュとの失敗が経験として生きているのだと改めて考え、口を開いた。


「あの時、クリュは逃げていっちゃったけど……。怖かっただけなんだと思う。今ならそうわかるよ」

「仲間を連れ帰ったって言ってたね」

「うん。妙に強い敵が出てきて、数も多くて、三人やられちゃったんだよね。全員はどうしたって連れて帰れないから、本当に辛かったけど、一番怪我の軽い一人を連れて戻ろうとしたんだ」

 迷宮に消えた命に祈りを捧げ、アダルツォは胸の底に沈んでいた重たい記憶を吐き出していく。

「だけど、地上に戻った頃には力尽きていてね。二人で背負って運んだけど、俺は小さいから、クリュの方が大変だったと思う。背中で仲間だった奴が死んでいて、ショックだったんじゃないかな」

「確かに、それは辛いね」

「生き返りのために金を貸せるって声をかけてきた男がいて、見事に騙された。仲間も結局生き返らなくて、その後は散々だったけど、クリュも酷い目にあっていたんなんてさ。下働きは辛かったけど、記憶がない方が嫌だと思うよ。自分になにがあったのかわからないなんて、とても恐ろしいことだから」


 カミルの手が伸びてきて、アダルツォの肩を抱く。

 スカウトは背中をぽんぽんと叩くと、仲間の神官にこんな言葉をくれた。


「本当に優しいよな、アダルツォは」


 いつの間にか魔術師街を抜け、街の西側に辿り着いていた。

 「緑」の迷宮を通り過ぎ、賑わう通りを抜けて、雲の神殿が見えてくる。



 二人で中に入り、まずは大きな神像の前で静かに祈りの時を持つ。

 カミルに二人でゆっくり話したいと頼まれ、神官に相談をするための小部屋を借りて、向かい合って座った。

 とても狭い部屋で、小さなテーブルと椅子が二脚しかない。

 膝がぎりぎり触れ合わないで済んでいるのは、アダルツォの体が小さいからなのだろう。


「カミル、大丈夫かい」

 改めて向かい合った仲間の顔色は悪く、どこか痛むのかアダルツォは尋ねた。

「大丈夫。怪我は治ったんだ。あの時、キーレイさんがいてくれて良かった」


 カミルは笑みを浮かべたが、すぐに不安の影に呑まれて俯いてしまった。

 仲間の手が伸びてきて、アダルツォは黙ったまま、両手で強く握る。


「体は良くなったけど、だけど少し、勇気がなくなったかもしれない」


 いつもは鋭く、誰にでもはっきりとした態度で臨んでいるのに。

 カミルの声は震えて、目の端には涙が浮かんでいる。


「探索者は危ない目にあって当たり前。……僕はそう知っていたけど、わかってはいなかった」

 

 言葉は途切れ、途中に何度も吐息が漏れていく。

 アダルツォは手に力を込めて、神に祈りを捧げながら、カミルをまっすぐに見つめた。


「あらゆる危機を、何度も乗り越えた先に、高みがある」

「うん」

「僕はそれを思い知った。まだたったの一度だ。ここで挫けるなんて出来ない。辛くても、怖くても、立ち上がるのが本当の探索者なんだから」


 カミルは頭を下げ、繋いだ手の上に額を乗せる。


「アダルツォ、一緒に祈って欲しい。僕の心がまた奮い立つように」

「もちろんだよ、カミル」


 激しい雨にも負けぬ魂に、特別な祝福が与えられるように。

 空を行く雲の神の手が、勇敢な若者を守って下さいますように。


 祈りの言葉を紡ぎ終えると、カミルは身を震わせ、アダルツォに礼を言った。


「僕は一人じゃない。コルフも、フェリクスも、フォールードもいる。アダルツォも。僕は皆を信じている」


 神官は静かに頷き、俺も君を信じていると答えた。

 するとカミルはようやく顔をあげて、悩みの晴れた清々しい表情を浮かべてみせた。


「アダルツォ、僕たちは神官の仲間が欲しかった。一生懸命探していたけど、なかなか見つからなくてね。ようやく見つけたと思ったら、とんでもないことが起きたりもした」

「そうなの?」

「うん。傷を癒したり、毒を治してもらったりとか、探索をする為に必要な役割があると思っていたけど、そう単純じゃないんだね。探索のメンバーに神官がいた方がいいと言われている理由は、それだけじゃないんだ」


 そう言って微笑んだ顔には、本来のカミルらしさが戻っている。

 安堵するアダルツォに、この考えは間違いではなかったことがすぐに示されていった。


「誰でもいいからとにかく仲間になってくれと思っていたけど、アダルツォが来てくれて本当に良かったよ」

「そう思ってもらえて嬉しいよ」

「……本当はアデルミラの方が良いと思っててごめん」

「えっ、なんだよもう。あれ、本当に?」


 小部屋の中に朗らかな笑い声が響いていく。

 冗談だよと言われたが、本音だったのではないかと思えてアダルツォは落ち着かない。

 そんな内心に気付いたのか、カミルは笑うのをやめて、ごめんごめんと謝っている。


「僕はね、アダルツォはいつか生き返りも使えるようになると思っているよ」

「俺が?」

「うん。あれは本当の優しさがない人間には使えないものだと思うから」


 こんなことを言われては、もう不貞腐れてはいられない。

 アダルツォはカミルの手を取り、再び二人で向かい合う。


「怖い時には正直に言って。いつでも皆、立ち止まるから」

「ああ、そうだね」

「無理はしなくていい。大丈夫だからね」

「ありがとう、アダルツォ」


 深く頭を下げると、カミルは腰につけたポーチを開き、中からなにかを取り出してアダルツォに渡した。


「帰還の術符じゃないか」

「アダルツォが持っておくのが一番いいと思うんだ。皆には後で言うよ。誰も反対なんかしないだろうから」

「そうかな」

「そりゃあそうさ。役割からしても、人としても、君が持つのが一番いいんだ。これからもよろしく頼むよアダルツォ。……ああ、それと」

「なんだい」


 術符をしまい終えたアダルツォに、カミルはにやりと笑ってこう伝えた。


「アデルミラとギアノ、うまくいくといいね」




 用事を終えて神殿を後にし、アダルツォはカミルと共にカッカーの屋敷へ戻った。

 少し休むと言ってカミルが戻っていき、水でも飲もうと厨房へ向かうと、妹の姿があった。


「兄さま、おかえりなさい」

 ゲルカに挨拶をしたか問われて、不在だったと正直に答えていく。

 アダルツォは良い時間を持てたと満足していたが、妹の視線はどこか不安げに見えた。


「調子はどうですか、兄さま」

 野菜の皮を剥くのを止めて、妹はまっすぐに兄を見据えている。

「いつも通りだよ。なにか変かな?」

「気を失うほど力を使うなんて、なかなかあることではないと思うんです」

「ああ、あの時ね。みんなに迷惑をかけたくらいで、俺自身はなんともないよ」

「そうですか。キーレイさんにも相談して、大丈夫だとは言われたんですが……。でも、大変だったでしょう?」


 そういえばあの探索から帰った後、アデルミラと長く話す時間を持てていなかった。

 互いにやることが多くて、兄妹は久しぶりに真正面から向かい合っている。


「……なあアデル、お前、好いた男はいないのか」


 質問に答えないどころか、こんな問いを投げて来た兄に、妹は顔を赤くしている。


「なんですか兄さま。いきなりそんな……」


 二人で迷宮都市に戻ってきた時、同じことを聞いた。

 あの時は本当に、それどころではなかった。そっけない答えで当たり前だっただろう。


 そして今日、アデルミラの反応はまったく違っている。

 恥ずかしそうに目を伏せ、ちらちらと兄の様子を窺っている。


「俺はいいと思う。ギアノは本当に素晴らしい(やつ)だから」

 

 雲の神官の妹は、耳まで真っ赤に染めて、兄を相手に激しく狼狽えていた。


「そんな、兄さま、……わたしは」


 いつでも穏やかで、賢く、しっかり者なのに。

 珍しくしどろもどろの妹に、アダルツォは優しく語り掛けていく。


「なんだ、お前らしくない。アデル、お前は正直で、まっすぐでいいんだ」

「なんですか、まっすぐって」

「気にかかることがあったとしても、それで自分の気持ちを縛る必要はない」


 追っ手の存在に怯えながら、メーレスを連れて逃げて来た。

 あれから時が流れて、状況は大きく変わっている。

 ならばそろそろ、一歩踏み出してもいいのではないか。

 アダルツォはそう考え、妹に思いを伝えたいと願った。


「俺はお前に幸せになってほしい。誰よりも幸せでいてほしいんだ、アデル」

 アデルミラに見つめられ、兄は微笑む。

「お前は自慢の妹だ。優しくて、働き者で、泣き言を言わないところも良い。ちんちくりんで子供みたいなくせに、勇気があって、神官としての正しさを胸にいつも置いている。見習うところばかりだよ」

「どうしたんですか、兄さま」

「どうしたんだろうな、ははは」


 いつもと様子が違うと思っているのだろう。

 普段はそんなにあれこれ言わないし、急に、厨房でたまたま顔を合わせたタイミングで切り出されて、戸惑っているのかもしれない。

 けれど気にせず、アダルツォは続けた。


「俺もお前も小さくて、子ども扱いされてばかりだけど……。でももう、大人になったからな。もう一度言うよ。俺はお前に幸せになってほしい。だから、好きな相手ができたなら素直に打ち明けろ。アデル、お前はちゃんとしているから。正しい道を歩いているから、だから、お前の選んだ相手なら間違いはない。自分が信じる相手と一緒に、歩幅を合わせてさ。新しい道に進んでいけばいいと、俺は思うんだよ」


 昼を過ぎた半端な時間帯のせいか、屋敷の中を歩きまわる者はいないようだ。

 兄妹は静かに見つめ合っていたが、しばらくの沈黙の後、アデルミラは微笑みを浮かべて、兄の手を取った。


「ありがとう、兄さま」


 アダルツォも妹の手を握り帰し、力をこめていく。


「私自身がわかっていないことが、兄さまにはわかるんでしょうか」

「そう思うか」

「どうでしょう。でも、兄さまの言ってくれたような私でいられたら、いいなって思います」

「なんだ、アデル。俺の言うことを信じないのか」

「ふふ。だってほめ過ぎですから。……でも、とても嬉しいです」


 兄妹は目を合わせて、雲の神への祈りを唱えていった。

 幼い頃からそうしてきたから、言葉は自然に口から溢れて、空に浮かんで消えていく。


「兄さまには良い人はいないんですか?」

 こんな問いが飛んできて、アダルツォは腕組みをして唸ってしまう。

「俺はからっきしなんだよな。子供みたいに小さいし、出会いもないし」

 でも、今はいいんだ。

「まだ皆と探索をしていくから」


 途端に心配そうな顔をし始めたアデルミラに、アダルツォは笑ってみせる。


「仕方がない。良い仲間に出会っちゃったからな。俺は足りないところにちょうどよくはまっただけだけど」

「そんなことはありません。フェリクスさんたちは皆、兄さまを頼りにしています」

 妹の誉め言葉に気を良くして、兄は声をあげてまた笑った。

「ああ。いつまでもそう思ってもらえる俺でいたいと、今は願ってるんだ」


 アデルミラもこの言葉に笑って、お茶を入れましょうかと振り返っている。

 働き者で結構なことだが、たまには外に出た方がいいのではないか。

 アダルツォは良い考えが浮かんで、アデルミラにこんな提案をしていく。


「今度、メーレスに会いに行かないか。北の村には案外すぐに行けるらしいんだ」

「いいですね。フェリクスさんも誘って一緒に行きましょう」

「どれだけ大きくなっているかな。ずっしり重たくなっているんだろうなあ」


 小さな可愛い赤ん坊のことを思い出していると足音が聞こえてきて、アダルツォは廊下に顔を出した。

 やって来たのは勤勉な管理人で、アダルツォに気付いて手を挙げている。


「兄さま、お茶の準備が出来ましたよ」

 いつもなら、即座にいただきますと食堂に向かうところだが。

「あ、あっ、俺、そういえば用事があるんだった」

「え?」


 自分でも白々しいと思いながら、アダルツォは厨房から慌てて飛び出していく。

 すれ違いざまにギアノの肩をぽんと叩くと、どこへ行くかも決めないまま、廊下を走り抜けて去っていった。

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