176 枝分かれ
ぎこちない訓練の時間で午後を使って、夜が更けて、次の日。
「やあやあ。おはよう、みんな」
昨日と同じ始まりに、食堂に集まっていた初心者たちに緊張が走る。
ダインはお構いなしに声をかけながら歩いて、真ん中まで進むと手を叩いて大きな音を鳴らした。
「昨日はスカウトの集まる店に行った。罠を見破る達人は迷宮探索に必要な人材なんだろう? だけど手を借りるには、もっと高度な挑戦をできるメンバーを揃えておかなければいけないらしい」
右へ左へ顔を向けながら、ダインは高らかに声を上げている。
パントたちは端の席に三人で座っていたが、なにを言うつもりなのかハラハラしながら見守っていた。
「だから魔術師街にも行ったんだ。気難しい人間が多いと聞いていたけれど、話してみてよおくわかったよ。……魔術を使うとはいえ、皆同じ人間なんだってね」
「え、魔術師街に行ったの?」
誰かが驚いてあげた声に、ダインはふふんと笑う。
「探索をするのなら、魔術師は仲間に必須の存在。彼らはどこにいる? そんなの、皆わかっているだろう?」
行かないという選択肢こそがないのだ。
新入りは誰よりも鋭い瞳で強くびしりと言ってのけ、食堂は静まり返っている。
みんなが黙ったことに満足したのか、ダインはにんまりと笑って、また口を開いた。
「協力してくれる魔術師はまだ見つかっていない。……まだ、ね。だから今日も行くよ」
パントが思わず二人を振り返ると、クレイもフレスも同じように視線を向けていた。
「俺たちみたいな初心者、魔術師は相手にしてくれないよ」
「聞いてみたのか、君は」
「え……、いや」
モンテがたったひとことで言い負かされ、全員が押し黙る。
止める者はいなくなり、ダインはど真ん中で両手を広げると、朗々と声を上げた。
「俺は今日も行く。協力してくれる魔術師を見つけたら、スカウトも呼ぶ。これで仲間は三人。参加できるのはあと二人になったようだぞ、さあ、君たちはどうするつもりだ?」
今手を挙げれば、「夢のパーティの一員」になれるのか――。
初心者たちは顔を見合わせ、ひそひそと話し合っている。
パントも慌てて二人の「仲間」へ目を向けたが、既にフレスが立ち上がっていた。
「よく決断したな、クレス」
フレスだよ、の返事は次の立候補者の声にかき消されてしまう。
みんなが一斉に立ち上がって自分を連れていってくれと騒ぎ出し、食堂の入り口にギアノが姿を現していた。
「なんの騒ぎなんだ。なにかあったのか」
管理人の問いかけは誰の耳にも届いていないらしく、パントだけが気付けたのはたまたま傍に座っていたからだ。
「ダインが魔術師の仲間を探しに行くって言いだして」
ギアノは驚いた顔をしたが、それ以上なにも言いはしなかった。
咎めるような話ではないし、すぐに止めなければならないような無謀な挑戦でもないのだから。
「やあやあ、みんなやる気じゃないか。素晴らしい! だけどさすがに全員で行くわけにはいかないからなあ」
まずは最初に手を挙げたフレスが選ばれ、大勢が自分を選んでくれとアピールをし始める。
パントとクレイは出遅れてしまって、今日のダイン御一行に加わる権利がない。
フレスの視線を感じるが、なにもできないままだ。
ダインは物事を素早く決める男のようで、幸運な最後の一人を選ぶと食堂を出ていってしまった。
選ばれし三人の食事は半端なまま残されていて、何故だかパントとクレイが後始末を引き受けている。
皆思うところがあったのか、次々に屋敷を出て行ってしまったから。
「すごいね、ダインって」
クレイが呟き、パントは皿を洗いながらどう答えるか考える。
「フレスは勇気を出したんだな」
同じ時期にやって来て、それ以来同じ部屋で暮らしているから。
クレイは置いていかれたような気分でいるかもしれない。
パントは友人を思いやって言葉を選び、クレイは静かに頷いている。
意気揚々とやって来た迷宮都市だった。
のんびりとした小さな田舎の村でできる仕事は、農作業くらいしかなかったから。
そんなところで一生暮らすのは嫌だと考えて、意を決して実家を出た。
あれから何か月経っただろうと、パントは思い返していく。
おっかなびっくり歩きまわってなんとか宿を決め、親切な主人に教えられて仕事を探し、探索をするための準備を進めた。
慎重にやってきたから死なずに済んだし、カッカーの屋敷に辿り着くこともできた。
けれど、肝心の探索者としての力は上がっていない。
剣を振るのはうまくなっただろうし、集団での暮らしにも慣れた。
日雇いの仕事を探して、こなせるようにもなっているだろうけれど。
フレスがうらやましくてたまらない気持ちが、心の中にある。
ダインのやり方は強引過ぎて、うまくいくとはあまり思えないのだが。
それでも彼の思い切ったやり方は、臆病な初心者にはない力に満ち溢れているように見える。
心がもやもやとして落ち着かない。
皿を洗い終えても気持ちは切り替わらなかったが、どうやらそれは隣にいるクレイも同じだったようだ。
「ねえパント、僕たちも行ってみない?」
「どこへ?」
「……魔術師の家がある辺り」
そう言われた瞬間の自分の表情がどんな風だったか、パントにはわからない。
けれどクレイはいやいやと手を振り、ダインの真似をするつもりはないよ、と続けた。
「手を貸してくれる魔術師を見つけようなんて思ってはいないんだ。だけど、歩いてみるくらいはいいんじゃないかな」
「なるほど。そうだね」
「南側にも初めて行っただろ。緊張したけど、でも別に襲われたり叱られたりするわけじゃないんだし」
探索の上級者だって同じ人間で、ごく普通に暮らしているだけ。
成功している商人も同様で、立派な家に住んで財を成しているが、彼らの住む辺りが立ち入りを禁止されているわけではない。
「前は危なかったけど、普通に通り抜けできるようになったんだ。ひょっとしたら出会いがあるかもしれないし」
「出会い?」
「魔術師の塾があるんだろ、真ん中辺りは。それって、僕らとそう変わらない、魔術師になろうとしている初心者だっているってことだと思うんだ。コルフもそうだったって聞いたことがあるし」
フェリクスたち五人組には、魔術師とスカウト、神官が揃っている。
けれどコルフもカミルも最初から希少職だったわけではない。迷宮都市にやって来てから学び、技術を身に着けていったのだという。
「気の合いそうな奴と出会えれば、魔術師を仲間にできるかもしれないよ」
今はまだ無理でも、将来的に。
パントが頷くと、クレイはほっとした顔で笑い、揃って出かける支度をする為に二階へ上がった。
カッカーの屋敷は街の東側、中央付近にある。
近いところに「藍」の入り口があり、その先に進めば魔術師達の暮らす「ど真ん中」にすぐにたどり着く。
いつもさっと通り抜けていたが、この日のパントたちはど真ん中に至る路地に入ると、ゆっくりと辺りを見回しながら歩いた。
見える範囲には誰の姿もない。同じようなザイズの小さな家が並んでいるが、ところどころに大きな屋敷もある。
歩いていくうちに、どこからか声が漏れ聞こえてくることに気付いた。
魔術師を志す若者の為に授業が行われている、のだろう。内容はわからないが、学びの時間を持つ誰かがいるのだとわかり、二人は顔を見合わせている。
どうやら特殊な薬草を売っているところもあるらしい。
看板が掲げられていることに気付き、二人はどまんなかの探索を続けていく。
呼び込みなどはしていないようだが、この辺りには魔道具の鑑定をする魔術師もいるし、特別な湧水の壺の作成を引き受ける者もいるようだ。
オッチェの酒場のように魔術師を紹介してくれる場所はないのだろうかと途中で気付いたが、そういった店は見当たらない。
パントとクレイは魔術師街を隅々まで歩いてみたが、何故だか通行人というものに出会うことはなかった。
新しい発見は様々にあったが、ふらりと入って良さそうな店は見当たらず、長い散歩はもう終わるしかないようだ。
昼を少し過ぎたくらいの時間で、腹が減っていた。
クレイから何度もきゅるきゅると音が聞こえてきて、パントは思わず笑ってしまう。
「戻ろうか」
「そうだね」
経験と呼ぶにはささやかすぎる散歩道ではあったが、そこまで恐れなければならない場所ではないとわかった。
心が少し自由になった気がして、パントは呟く。
「魔術師になるには、いくらかかるのかな」
「コルフに聞いてみようか」
二人は笑い合いながら歩いていたが、クレイが急に立ち止まって、パントも足を止めた。
「どうかした?」
「いや、屋敷の方向ってどっちだったっけ」
魔術師街の迷い道は完全に解消されたが、人の流れのない路地は入り組んでおり、ど真ん中は単純に道に迷いやすい。
一番の目印になるのはド派手なホーカ・ヒーカムの屋敷だが、正確な場所と位置関係を把握していなければ役には立たない。
二人はうろうろと歩き回り、何度か引き返してようやく「赤」の迷宮入口を発見していた。
屋敷に最も近いのは「藍」の入り口だが、「赤」から北に向かえばいいとわかっている。
昼食も取れないまま歩き回って、空は既に赤く染まり始めていた。
空腹もそろそろ限界だったパントたちはようやくほっとして、先に進もうとしていたのだが。
「大丈夫か、フォールード!」
どこからか聞いた覚えのある声が聞こえて来た瞬間、「赤」の入り口の穴からにゅうっと大きな影が飛び出してきた。
フォールードらしきその影は誰かを背負っており、苦労してはしごを上ってきたようだ。
「そのまま行ってくれ、すぐに追いつくから!」
パントとクレイが驚いて立ち止まっている間に穴から這い出て、フォールードはそのまま走っていってしまった。
声の主が気になって穴に駆け寄ると、下にフェリクスとコルフの姿が見える。
二人の足元にはいくつか荷物が転がっており、フェリクスは梯子をのぼりはじめていた。
コルフはその背後にぴったりとついて、体を押し上げる手伝いをしている。
「どうしたの、フェリクス!」
クレイが声を掛けると、先輩探索者は顔を上げて覗き込む二人に気付いた。
「パント、クレイ、すまないけど手を貸してくれないか」
慌てて穴の中に降りてみると、フェリクスはどうやらアダルツォを背負っているらしかった。
「アダルツォは?」
「力を使い切ったんだ」
コルフに背後から支えられて、フェリクスはなんとか梯子を上ってくる。
二人で手を伸ばしてアダルツォの服を掴み、一緒になってひっぱりあげていく。
穴は二段あり、もうひとつ梯子を上らなければならない。
同じように上下から支えて、気を失った神官をなんとか地上へ引き上げていった。
「アダルツォを背中に乗せてくれないか」
フェリクスの顔色は悪い。パントは連れていこうかと申し出たが、自分がやるからと断られていた。
「荷物を運ぶのを手伝ってほしいんだ。全部下に残っていて、コルフだけで引き上げるのは大変だから」
再び謝られて、パントもクレイも大丈夫だよ、とはしごを下りて行った。
コルフはまだ底に残っていて、下りてきた二人にひどく感謝してくれている。
「ありがとう、二人とも。こんなにあったら何度も行き来しなきゃいけないだろ。どうしようかと思っていたんだ」
偶然通りかかった初心者たちを「神の導き」だと笑い、戻ったら礼をするから、と魔術師は言う。
「なにがあったの?」
「いろいろだ。罠とか魔法生物とか、いっぺんにね」
荷物を背負って三人で穴から這い出すと、既にフェリクスの姿はなかった。
「さっき出てくるのを見かけたんだけど、フォールードは?」
「樹木の神殿に向かってる」
夕暮れの光のせいで顔色はわからなかったが、コルフの表情はひどく暗い。
フォールードは誰か背負っていて、あれはきっとカミルだったのだろう。
神殿に向かったのなら、怪我をしているに違いない。
カミルとコルフは単なる仲間以上に仲が良い、友人同士のようだから。
「赤」の探索で膨らんだであろう荷物を抱えて歩きながら、パントは隣を歩くクレイへ目をやる。
視線にすぐに気が付いて、クレイは小さく頷いていた。
なにがあったのかはわからない。だからもう、これ以上なにも言えない。
黙ったまま歩いていくと屋敷の前でフェリクスに追いついて、五人で揃って中へ入った。
「パント、クレイ、荷物を部屋に放り込んでおいてくれないか」
コルフに頼まれ、パントたちは頷いて答えた。
どれが誰の荷物かはわからないが、すべて集めてコルフのベッドのそばに並べておく。
食事もしていないし、喉も乾いていた。
まずは水でも飲もうとパントたちが厨房へ向かうと、廊下の向こう、食堂の隅にフォールードが座っていた。
いつもは豪快な若者は身を縮めるようにして座り込んでおり、手で顔を抑えている。
あの隣でのんきに食事をとるわけにはいかない。
パントはそう考え、外に出るか、厨房の隅にある椅子でなんとかするか、どちらが良いかクレイに問いかけようとしたのだが。
「おや、おやおや、お帰りかな、フォールード! 一人じゃないか。一体どうしたんだい」
足音が近づいてくると同時に、厭味ったらしい声が聞こえてきて、二人は慌てて廊下へ向かう。
ダインたちが戻ってきて、フォールードの様子に気付いたのだろう。
フォールードは手を下ろし、強い瞳でダインを見つめている。
迷宮から戻ったばかりなのに鎧の類は身に着けておらず、服のあちこちに黒ずんだ染みがあるようだ。
頬にも赤い跡がついているし、フェリクス同様、顔色は悪い。
「誰もいないようだけど、まさか……?」
ダインの嫌みったらしい台詞に、フォールードは答えない。
口をひん曲げて強く睨みつけるだけ。だが、ダインはその様子を大きく笑った。
「しっかりと準備をして挑戦すると言ってたのに。一人で戻って来たのか?」
「違う」
小さく鋭い一言に、ダインはまた笑った。
どこにいるんだい、あとの四人は?
魔術師探しに付き合った面々を振り返り、なあ、と声を上げている。
「初心者に毛の生えた程度じゃ、やっぱり『赤』に挑むなんて無理なんだな。もっと腕の良い仲間を探すのがいいってことだ。なあ、みんな」
他の屋敷の住人は戸惑っていて、誰も笑いはしない。
けれどダインの機嫌を損ねたくないのか、反論もしないようだ。
言われたフォールードはとうとう立ち上がって、ダインの前に進んでいく。
「俺をなんと言おうが構わねえ。だが、仲間を馬鹿にするのはやめろ」
「仲間? どこにいるんだい、初心者の心からのお願いを偉そうに断っていたあのスカウトは」
「うるせえ! それ以上言ったら許さねえぞ」
「許さないって、どうするつもりなんだ? 君は随分暴力的なようだ。そんな君を仲間に入れているんだから、この屋敷で一番だなんていうが、たいした五人組じゃないんだろうなあ」
ダインの口調は余りにも侮辱的で、パントもクレイも許せない気持ちでいる。
けれどフォールードから放たれる怒気の気配は凄まじく、止められる自信がない。
大柄な戦士は傷だらけの体をぶるぶると震わせていたが、ダインが鼻で笑った瞬間、堪えきれなくなったようだ。
目を見開き、右手を振り上げ、けれど誰かに背後から左手を掴まれて、「止めるんじゃねえ!」と怒鳴った。
いや、怒鳴り終わる前に、声は勢いを失ってしぼんでしまい、拳もゆっくりと降りていった。
いつの間に現れたのか、フォールードの後ろにはクリュがいて、怯えた表情ながらも左手を掴んでいる。
「あんな奴の挑発に乗っちゃ駄目だ」
ダインは身体を傾けて声の主を確認し、眉をひそめている。
「おい、騙されるなよ。そいつは男だぞ」
「相手にしないでいいよ、あんなの。一緒にアダルツォのところにいこう」
フォールードは急に大人しくなって、クリュに手を引かれるまま、食堂を出ていってしまった。
廊下の先、管理人の部屋の手前には怪我をした者などを回復させるための場所がある。
二人はそこに入っていったようだ。
「僕たちも行こう」
クレイが小さく囁くように言って、パントも一緒に回復部屋へ向かう。
ダインと共にいたくないし、アダルツォの様子も気になるのだから、食堂に残る理由はない。
そう広くもない部屋にはベッドが二つあって、一方にアダルツォが寝かされていた。
神官のそばにはアデルミラとフェリクスがついており、そこに四人も来たせいで部屋はぎゅうぎゅうになっている。
「パント、クレイ、さっきはありがとう」
フェリクスに礼を言われて、いいんだよ、と揃って返す。
アデルミラは水を汲みに行く、フェリクスは後を頼むと言い残し、部屋を出ていってしまった。
「座って、ちょっと落ち着くといいよ」
おそるおそるといった様子だが、クリュはフォールードを促して椅子に座らせ、自分もベッドの端に腰かけている。
「さっきあの妹に聞いたんだ。アダルツォは気力が尽きただけなんだろ。寝てれば治るよ。だから大丈夫」
フォールードは黙って頷き、クリュが穏やかな声で問いかける。
「『赤』に行ってたんだって?」
「……運が悪かったんです。罠があるところに敵が出て来て、それで俺とカミルがやられちまって……」
「カミルも」
「コルフとフェリクスがなんとか敵を片付けてくれたけど、それで『脱出』が使えなくなったって」
「えっ、どうやって戻ったの?」
クリュは驚いた顔で、フォールードへ問いかける。
パントとクレイは五人全員で戻ってきたと知ってはいるが、なにがどうなったのか、顛末は大いに気になるところだった。
「アダルツォの兄さんが俺の傷を塞いでくれたんです。それで、カミルを連れていってくれって。なんとか回復の泉まで戻るぞって言われて」
「何層の話?」
「十八層」
階段まであと少しのところで危機に見舞われ、五人は急いで回復の泉へ戻った。
途中でまた敵が現れたがなんとかしのいで、泉でコルフに水を飲ませ、脱出することができたようだ。
「カミルは隣の神殿に運びました。怪我が酷くて……。今はコルフが一緒にいます」
「大変だったね」
「俺なんかじゃなくて、兄さんはカミルを治してやるべきだったんだ」
フォールードはがっくりと項垂れ、手を強く組んで祈りの言葉を呟いている。
こんなことを言うのは、カミルの状態が良くないからなのかもしれない。
パントはこんな想像を巡らせながら、フォールードの口調の丁寧さも気にしている。
「五人で戻るためにそうしたんじゃないの?」
クリュが首を傾げると、柔らかな金髪が揺れて、ひどく美しい。
「どういう意味ですか」
「ほら、フォールード……は、大きいから」
体の大きな者が動けなくなったら、置き去りにするしかない。
カミルは決して小柄ではないが、フォールードなら背負って行けると判断したのではないかとクリュは言う。
「絶対に五人で戻るって考えたからそうしたんじゃないか。みんな地上には戻って来たんだよね?」
「はい」
「失敗はあったかもしれないけど、五人組としては大成功だよ。誰も見捨てないって決めて、戻って来たんだから」
「大成功?」
「そうだよ。俺とアダルツォがした失敗、聞いたことない?」
最低最悪の大失敗だった、とクリュは言う。
最善の道を選んだんだよと囁きながら、戦士の肩を優しく叩いている。
そこにアデルミラが戻って来て、クリュは立ち上がった。
「隣にいるんだろ。カミルの様子を見に行こう」
フォールードは静かに立ち上がり、麗しい客人に大人しくついていく。
勢いでここまで来てしまったが、これ以上ついて回るのもおかしいかと考え、パントたちは食事の支度をしようと決めた。
厨房で腹の音を響かせながら、食材を刻んでいく。
夕食を腹いっぱい食べたいところだが、ダインたちがいると思うと気が滅入る。
パントとクレイが調理をしている間に、廊下を大勢が通り過ぎて行った。
ギアノが行ったり来たりするのはいつものことで、特別ではないけれど。
フェリクスがやって来て、カミルを背負ったフォールードが続く。
しょぼくれた顔のコルフの歩みは遅く、クリュが付き添ってやっているようだ。
そんな様子を見た屋敷の住人たちは、なにがあったのかとひそひそ話し合っている。
わざわざ回復部屋を覗きに行った者もいた。
営業を終えたティーオが姿を現し、いつもならすぐに帰っていくのに、いつまでも戻ってこなかったり。
普段とは違う気配が満ちており、屋敷の空気はざわめいて落ち着かない。
やがて噂に飽きたであろう面々が厨房にやって来て、今夜の食事の準備に取り掛かっていった。
パントたちは自分たちの分の用意を終えて、入れ替わるように食堂へ向かう。
真ん中の辺りにはダインが陣取っていて、「今日の成果」を聞きたがる初心者に囲まれていた。
彼らは夕食の時間を後にずらしたのか、のんびりとおしゃべりに興じているらしい。
新入りの声は大きく、大袈裟なしゃべり方をするせいで、パントとクレイにも大体の内容は聞こえていた。
魔術師街を歩いて回り、幾人かと話が出来たようだ。
迷宮に入るのを止めた者もいるし、塾の講師として迷宮内で授業をする者もいて。
冷たくあしらわれたり、居留守をつかわれたりもした。
途中からは苦労を強く主張し始めて、勿体ぶった話はだらだらと長く続き、とうとう皿が空になる頃。
ダインは今日一番の笑みを浮かべて、一際大きな声でこう叫んだ。
「けれど、協力してくれる魔術師を見つけたのさ!」
みんながわっと盛り上がり、厨房にいた者たちもなんだなんだと駆けつけている。
ダインと、共に行った二人にも、聞きたいことが山のようにあるのだろう。
どうやって見つけたのか、どんな人物なのか、質問が矢継ぎ早にぶつけられていく。
クレイが黙って立ち上がり、パントもはっとしてそれに続いた。
使った食器を持っていき、誰かがほったらかしにした鍋の前で立ち止まる。
「フェリクスたち、みんなあの部屋にいるんじゃないかな。食事を持っていってあげようと思うんだ」
「それはいいね。……あ、でも、ギアノが用意しているかも」
「でも、行ったり来たりしてたから」
まずは確認した方がいいか、と二人で回復部屋へと向かう。
そっと扉を開いてみると、フェリクスたちの五人組は全員揃っているようだ。
カミルとアダルツォが寝かされていて、三人は神妙な顔で黙り込んでいる。
二人が覗いていることにフェリクスが気付いて、食事を持ってこようかと申し出る。
五人組のリーダーは仲間たちに目をやって、少し悩んだようだが結局こう答えた。
「頼んでもいいかな」
「もちろんだよ」
「あの時、二人が通りかかって本当に良かった。手を貸してくれてありがとう」
再び厨房に舞い戻り、食堂から響く歓声を聞き流しながら、作業を進めていく。
途中でギアノが現れ、二人の気遣いに感謝して、用意を手伝ってくれた。
ほったらかしの鍋からシチューを少し頂いたので、三人分の食事はすぐに用意できた。
回復部屋に行っている間に、貸家の住人は帰っていったようだ。
先輩探索者たちは眠る仲間を見守りながら、静かに時間を過ごしている。
パントたちに出来ることはもうないので、体を洗ったら部屋に戻るしかない。
クレイの部屋には、フレスともう一人の利用者、ルプルの姿がある。
一番古くからの利用者はフェリクスで、パントも以前はここに滞在していた。
「あ、クレイ! パントも。今フレスから話を聞いていたんだ」
ルプルは楽しげに二人に声をかけてきたので、パントも一緒になって部屋へ入った。
フェリクスは今夜は下で過ごすのではないだろうか。
空いたベッドにそんな思いを抱きつつ、クレイの寝床の端に腰を下ろしていく。
「手を貸してくれる魔術師が見つかったんだってね」
「ああ。……うん、聞いてた?」
「ダインの声は大きいから」
探索の超初心者が組んだパーティに魔術師が入る。滅多にない、喜ばしい話だとパントは思う。
だがフレスの表情には影があって、様子を窺うようにしてクレイを見つめていた。
「魔術師が加わったんだから、女のスカウトも入れるんだろう。あはは、すごいなあ!」
クレイが小さく息を吐き、そんなルームメイトにフレスが目を向け、俯く。
二人が同じ部屋で暮らすことになったのは偶然の出来事だが、同じ時期にやって来てからかなりの時間を共に過ごしていたから。
だから、後ろめたい感情があるのかもしれない。
パントはそんな風に考え、様子を見守る。
クレイはなにか言いたげだったが、結局は口を噤んだまま、時が流れていく。
ルプルが散々はしゃいで、用を足しに出て行くと、ようやくフレスが口を開いた。
「ごめん」
「なにが?」
クレイの問いに、フレスは俯いたまま答えた。
「ダインと一緒にやってみようと思うんだ」
ほんの少しの沈黙の後に、クレイは「いいんじゃないの」とだけ答えた。
フレスは静かに頷き、これで会話は終わった。
黙ったままクレイが立ち上がり、パントの腕を引っ張って、廊下へと出る。
なんと言えばいいのか、まだ初心者の少年にはわからない。
パントは戸惑っていたが、クレイは小さなため息をひとつ吐き出すと、ぱっと笑顔を浮かべてみせた。
「さっき思ったんだけどさ」
「なんだい」
「レテウスさんは違うらしいけど、クリュは探索者みたいじゃないか。迷宮に付き合ってもらえないか頼んでみないか」
「ああ。……そうだね。確かに」
レテウスも気安く話せるタイプではないが、クリュはまた違う意味で声を掛け辛い人物だとパントは思っていた。
真正面から顔を見ると、瞳のあまりの美しさに気圧されてしまうというか。
初めて訓練を頼んだ時にはシュヴァルにも圧倒されて、三人がどんな人物かちっとも把握できなかった。だが、アダルツォと失敗をしたという話からしても、迷宮に挑む人種だと考えていいのではないかと思える。
「じゃあ、明日来たら話してみようよ。駄目なら仕方がないけどね。もし、フェリクスたちに助けがいるなら、なにか出来ることをしたらいいかなとも思ってる」
「素晴らしい考えだね、クレイ」
「フェリクスは親切だから」
パントは頷き、知っているよと答えて笑った。
ダインの登場と、けた外れの行動力に心が揺れている。
攻撃的な態度は気になるが、彼の持つ強さは認めざるを得ない。
きっとフレスも、クレイも複雑な気分でいるのだろう。パントはそう思う。
ひょっとしたら後悔するのかもしれない。いつか、何故あの朝の喧騒の中で手を挙げなかったんだと。
そんな思いはパントの中にもはっきりと存在していたが、クレイの穏やかな言葉を胸に抱いて、この日は自分の部屋へと戻っていった。




