175 初心者の定石
店から休みをもらい街を歩きまわって、夕暮れが迫る頃。
探していた人が思いのほかあっさりと見つかってしまって、神官は内心で焦っていた。
会うと決めていたし、覚悟もついていたけれど、なんと声をかけるかは決めていなかったから。
どんな言葉が相応しいかまだわからないのに、足だけはのろのろと進んでいる。
今止まっては二度と会えないような気がして、歩みを止められない。
「ラッサムの小枝」という名の宿の一階、小さな酒場、その一番奥の席で、ひとりきり。
顔は見えない。波打った金髪の男はテーブルの上のカップをつまらなさそうにくるくると回していた。
「いらっしゃい」
店主らしき男から声をかけられ、デルフィは小さく頷く。
それと同時にジマシュの顔が向けられて、幼馴染の二人は久しぶりの再会を果たした。
「デルフィ」
ジマシュが立ち上がり、鍛冶の神官は胸のうちで祈りの言葉をいくつか唱えながら、意を決して奥の席へと進んだ。
近づくにつれ、幼馴染の表情は変わっていく。
驚きから、笑みに。けれどいつものように余裕を漂わせてはいなくて、みるみる崩れていき、両手に覆われて見えなくなってしまった。
「ジマシュ」
「……ああ、デルフィ。俺は」
神官が辿り着く前にジマシュは崩れ落ちるように椅子に腰かけ、体を震わせ始めていた。
それはまるで泣いている姿のようで、デルフィはまた戸惑っている。
幼い頃から長い時間を共にしてきたが、涙など見たことがなかったから。
「久しぶりだね」
自分が姿を現したらどんな風に反応するだろうと、何度も考えてきた。
きっと、なにごともなかったような顔をするだろうと思っていたのに。
「デルフィ、すまなかった」
ジマシュは声を震わせ、顔を伏せたまま。
「俺のせいなんだ、全部。お前がいなくなって、他の探索者と組んでいると知って……」
神官がなにも言えずにいる間、ジマシュはデルフィに詫び続けた。
取り乱した様子の男の告白は、同じ言葉を繰り返したり、飛躍があったりして滅茶苦茶だったが、デルフィにはこんな風に伝わった。
デルフィが去った後、別の探索者、つまりベリオと組んでいることがわかった。
友人がなにも言わずに姿を消したことでショックを受けたものの、ジマシュは自分がどんなふるまいをしてきたか反省をし、新たに出来た仲間と活動することに。
その新たな仲間に、「大切な友人」の話を打ち明けたのだと言う。
ひょろ長い鍛冶の神官に戻ってきてほしい。また共に歩みたいのだと。
時には酔った勢いで騒いだこともあって。
それで、見かねた「仲間たち」がデルフィを取り戻すために恐ろしい計画を立ててしまった、らしい。
「俺が悪かったんだ。何度も酔っぱらって、どうやってお前を取り込んだなんて騒いだから。お前と組んでいた男が酷い奴なんだと思わせてしまったみたいで」
弱々しい小さな声は、デルフィにしか届いていないだろう。
酒場には他にも数人の客がいるが、それぞれの前に置かれた酒をちびちびと飲んでいる。
デルフィは祈りの言葉を頭の中でなぞりながら、心に浮かび来る感情に振り回されていた。
すべては二人が勝手にやったこと。
大切な幼馴染を取り戻したいという願いがあって、それを叶えたいと必死になった者がいただけ――。
自分が悪かったなどと、かけらも思っていないだろうに。
声を震わせ、偽の涙をこぼし、神官がどんな反応をするか窺っている。
「お前が戻って来た後、またいなくなって、それからわかったんだ。ヌエルが白状した。なにをしたのか、どうやってお前を連れ戻したのか。本当に恐ろしい話だった。あんな悍ましい計画を立てて、しかも実行するなんて」
そんな奴らとは一緒にいられない。
そう呟くと、ジマシュはようやく顔を上げた。
涙を湛えた緑色の瞳が向けられて、デルフィは思わず小さく目を逸らしそうになっている。
ニーロとの約束を果たすため、なによりも自分の弱さと向かい合うためにここに来た。
脳裏に閃いた灰色に背中を叩かれ、神官はまっすぐに幼馴染の目を見つめ、静かに頷いてみせた。
その後訪れた沈黙の時間。視線の衝突はほんの一瞬の出来事だったが、デルフィ・カージンにはとても長い時間が流れたように思えた。
鍛冶の神へ祈りを捧げて、君とまた共に行くと告げよう。
神官はそう考えたが、ジマシュ・カレートの方が一足先に動いて、酒場での邂逅に決着をつけた。
「俺にはもうお前と共にいる資格なんてないんだ」
「え?」
「ひょっとして、俺の為に迷宮都市へ戻って来てくれたのかな。はは、お前は凄い奴だ。弱々しい泣き虫だったのに、……いつの間にか、本物の神官になったってことなのかな」
鼻をすすり、目を擦って、よろよろと立ち上がり。
次の瞬間ジマシュは駆け出し、店を飛び出していってしまった。
「ジマシュ!」
慌てて後を追ったが、デルフィが入り口についた時には幼馴染の姿はもうなかった。
この短い時間に起きた出来事を心で思い起こしながら、神官は呆然としながら歩いていく。
自分からは何も言っていない。ジマシュが一方的に謝罪を繰り返し、ベリオたちが死んだ「理由」について語っただけだ。
なんと言えば良かったのか、どう反応すべきだったのか。
またジマシュを探さねばならないし、なにを企んでの行動なのか理解できていない。
せっかく運良く見つけることができたのに。もっと用意をして臨むべきだった。
反省と戸惑いの中で揺れながら、南に向かって歩いていく。
進んで行くうちに樹木の神殿が見えてきて、あの隣にギアノがいるのだとデルフィは気付いた。
話をしたい。ギアノならば真剣に耳を傾けて、共に考えを巡らせ、大丈夫だと背中を叩いてくれるだろう。
あの明るい声で励ましてもらえたら、沈んだ心も軽くなるに違いないのに。
大通りから外れて、暗い裏通りへ入り込んでいく。
いつか必ず笑い合える日が来ると信じながら、デルフィは自分のねぐらに戻っていった。
◇
神官が通り過ぎて行って、夜が明けて。
カッカーの屋敷で暮らす探索初心者たちの朝は早い。
「橙」に向かうには早起きは必須と教え込まれるし、用事がない場合は様々な機会を逃さないよう早くに行動し始めるべきだからだ。
旨みのある仕事にありつきたいなら、朝一番に探し出すに限る。
気まぐれに教えにやって来てくれる先輩に手助けしてもらいたいなら、準備を終えて待っていた方がいい。
なのでフレス・ジャーリーも、クレイ・マリドンも、二人とよく行動を共にしているパント・ラッカムも揃って早い時間に起き出していた。三人は廊下で顔を合わせると、挨拶を交わして一階へと向かう。
顔を洗ったら、まずは食堂の混み具合を確かめるべし。
今日やるべき用事がないなら、探索へ向かう為に準備をしている者の邪魔はしてはならないからだ。
ガデンに教えられたルールだかマナーだかを守ろうと歩き出した三人だったが、ふいに声をかけられて廊下の途中で立ち止まっていた。
「やあ、やあ、おはよう君たち。確かパントにフレイ、クレスだったよな」
昨日新入りだと紹介された男が現れ、立ちはだかっている。
その向こうに見える食堂はそこそこの混み具合で、これならばすぐに食事をしても許されるだろう光景だった。
「ダイン、だったよね、たしか。こっちはクレイで」
名前の間違いを指摘しようとパントが答えたが、ダインの大きな声がそれを遮った。
「今日の予定はなにかあるかい。一緒に探索に行けるメンバーを探しているんだ。『橙』なら初心者でも歩くくらいはできるんだろう? さすがに一人じゃあ難しいっていう話だから、初心者同士どうだい」
行ったことはあるのかと矢継ぎ早に問われて、三人はそれぞれに頷いている。
ダインはそれでぱっと笑顔を作ると、それじゃあ行こうと両手を広げ、早く食事を済ませようじゃないかと歩き出した。
「ねえ、ダイン。いきなり初心者だけで行くのは危ないと思うよ」
「ん? じゃあどうやって探索を始めるっていうのかな」
「慣れている人に頼んで、案内してもらうんだ」
「誰が慣れている人なんだ?」
食堂に集まっているのは似たような超初心者たちだらけだが、奥の席にカミルとフォールードの姿が見えてパントの視線が止まる。
ダインはそれに一瞬で気付いて、フェリクスたちの指定席めがけて進んでいった。
「あ、ちょっと」
クレイの呼びかけは空しく響くだけで、ダインの歩みは止まらない。
「なあ、あんたたち」
近付いてくる呼びかけの声に、カミルが顔を上げる。
探索に付き添ってほしいという頼みは、席に辿り着く前に断られてしまった。
「俺たちは今日『赤』に行くんだ」
「へえ! ……『赤』は四番か五番ってやつだったか。探索に慣れているんだな。じゃあ、あんたに来てもらえれば安心ってことだ」
「案内してほしいのか。悪いけど今日は無理だよ。今回は長く挑戦をする為に、準備をしたからね」
「そんな意地悪を言わないでくれよ。こっちはまだ一度も迷宮に入ったことがないんだ。そんな奴がいきなり行くのは難しいらしいから」
「ダインだったよね。確かに、いきなり迷宮に入るのはやめておいた方がいいと思うよ」
「だから頼んでいるんだ」
「戻って来てから改めて決めよう」
「いつ戻るんだい」
「さあね。明日か明後日か」
「それなら今日で良くないか」
粘るダインの肩を叩いたり、袖を引いてみたり。パントたちは止めようと試みているが、効果がない。
カミルはしっかりと用意してきた挑戦で中止できないと断っているが、新入りはそんなのお構いなしのようで、今日頼むと繰り返している。
「おい、お前」
イライラしているのは見てわかっていた。
カミルの隣に座るフォールードの眉毛は随分吊り上がっていたし、眉間にも深く皺が寄っていたから。
「俺はこの人と話しているんだ」
「俺は一緒に『赤』に行く仲間なんだよ。事前に予定を立てて、準備も済ませたんだ!」
「わかってるよ、それは。だけど」
「しつこいぞ!」
フォールードが立ち上がり、お前のために予定は変えないと叫ぶ。
腹の底から出したような声は食堂中に響いたし、戦士はとにかく大柄で迫力があった。
「ごめん、ごめんよ、フォールード」
三人がかりでダインを引っ張って、なんとか廊下へと引きずっていく。
フェリクスたちが不思議そうな顔で仲間のもとへ向かっていって、ようやく食堂には平和が戻った。
「なんだい、交渉してたのに」
「いやいや、『赤』に長く行くんならかなりの準備をしてたはずだから」
「ダインの為に中止しろなんて無茶だよ」
クレイとフレスが諫めているが、ダインにはちっとも響かないようだ。
「粘ってみなけりゃわからないだろう」
「粘っても無理だってば」
「じゃあどうするんだい。他に頼りになりそうな奴はいるのかい」
この後、誰かが来るかもしれない。
パントがぽろりとこぼすと、ダインはふうんと呟いて首を傾げた。
「誰かって? 迷宮を案内してくれるのか」
「そういう場合もあるかな」
「ん? 違うこともあるのかな」
「戦いの訓練とか、体の鍛え方を教えてくれたりっていうこともあるよ」
「迷宮には?」
じろりと睨まれ、何故だか三人は揃って身を縮めている。
「行けないんじゃ意味がないじゃないか」
「そんなことはないよ。いろいろと教えてもらえば、探索で役に立つし」
入ってきたばかりの新入りにどうしてここまで言われなければならないのか。
パントは釈然としない気持ちだったが、ダインの圧はとにかく強い。
すると廊下の向こうから足音が聞こえてきて、最近馴染みになりつつある二人の男が姿を現した。
胸を張って堂々と歩く姿は立派で、つい頭を下げたくなってしまう。
思わず道を譲った三人に目を留めると、レテウス・バロットは「おはよう」と声を掛けてきた。
「おはようございます、レテウスさん」
立派な貴族の三男坊の後ろには、いつものようにクリュがいたのだが。
「わあ、なんと美しい人だ!」
ダインに大声で叫ばれ、麗しい客人は慌ててレテウスの後ろに隠れている。
「初めまして、私の名はダイン・カンテーク! 王都の東にある商業都市クラットンから参りました。ああ、なんてことだ。そんなにも美しい瞳を見たことがありません!」
「俺は男だよ」
「男だなんて、ははは。そんな見え透いた嘘は言わないで下さい」
話が通じないと判断したようで、クリュはレテウスの陰に逃げていく。
ダインはお構いなしに追いかけて、二人は貴族の青年の周りをぐるぐると回り始めた。
「君、サークリュードは本当に男性なのだ」
レテウスがなだめても、ダインは止まらない。
結局クリュは管理人の部屋に逃げ、レテウスが扉の前に立ちはだかって茶番劇はようやく終わった。
「今すぐにそこをどいてくれ。あの麗しい方と話をさせろ!」
「どうした、なにを騒いでる?」
ギアノが姿を現し、三人で慌てて事情を説明していく。
少し時間がかかったものの、ギアノはレテウスにぎゃんぎゃんと噛みついていた新入りを黙らせ、相談部屋へ連れて行き、初心者たちもようやく食事をとることができた。
「黙らせられるなんてさすがだな、ギアノ」
フレスが呟き、クレイは眉をひそめている。
「ダインはちょっと変だね。どうしてここの利用者になれたのかな」
新入りが騒ぎすぎたせいか、食堂にいたはずの滞在者たちの姿はなくなっている。
レテウスやフォールード相手にあの態度なのだから、絡まれたくないと思うのは当然だろう。
「確かに」
少し冷たくなったスープをすすりながらパントが同意すると、大きな足音が響き、噂の主が現れ三人は慌てて口を噤んだ。
「なあ、知っているか?」
「なんだい」
「さっきの奴、本当に男なんだとよ」
忌々しげに顔を歪めたダインへ、三人はこくこくと頷いて答えていく。
「紛らわしいったらない、あれで男だなんて……。なんてもったいないんだ、まったく。女なら絶対に連れて帰ったのに」
「連れて帰ったって?」
「俺の実家はクラットンで商売をやっているんだ」
店の看板娘にしようと考えたのだろうか。
確かにクリュのような女の子がいたら、大勢が店に通ってしまうだろうとは思う。
パントはそう考えたし、クレイも頷きフレスと目を合わせている。
「さっきの大男に頼めるかと思ったら、別に探索者じゃないというし」
「レテウスさんは剣の使い方を教えてくれるよ」
「使い方ねえ。もっと手っ取り早く迷宮に行く方法はないのかな」
「そんなの……」
どうやら質問ではなかったらしく、パントが答える前にダインは去っていってしまった。
迷宮を甘く見るのが一番良くない、と三人は聞いている。
調子に乗って先輩面をしていたガデンですら、慌てて行っても初心者は死ぬだけだと話していた。
「どこに行ったんだろう」
フレスの呟きに、誰も答えられない。
なんとも言えない空気に包まれた三人のもとに、いつもより疲れた顔のギアノがやって来て、傍に座った。
勤勉な管理人は今から食事をするらしく、残り物を集めたであろう皿を並べている。
「ねえ、ギアノ」
カッカーの屋敷に滞在するには、カッカーやギアノと面談して認めてもらう必要がある。
屋敷のルールを守り、他人と揉めないのが基本だと聞いており、ダインが当てはまるとは思えない。
疑問に思ったのかクレイが問いかけ、ギアノは困った顔をしたものの、三人に事情を教えてくれた。
「実は、カッカー様に所縁のある方からの紹介ってやつでね。断れなかったんだ」
「へえ、紹介なんだ」
「最初に注意はしたよ。あまり人の話を聞かないところがあるみたいだから、最低限守ってほしい決まりがあるってことはね。約束したはずなんだけど」
カッカーの新しい屋敷に出資してくれた商人の縁戚の者で、受け入れざるを得なかった。
そんな事情があるものの、ダインはかなり飽きっぽい性格をしており、何度か迷宮に行けばきっとすぐに「もういい」と言い出すはずだと伝えられているらしい。
「今日の予定はなにかあったかな」
「ううん、別にないけど」
「そう。もしよければ、配達を頼みたいんだけど」
ティーオの良品への配達の仕事は簡単だし、賃金ももらえる。
なにもしないよりはずっと良いので、三人はこれを引き受けて、午後は訓練をして過ごそうと決めた。
フェリクスたちは順調に探索を進めているのか、それともなにか起きたのか、とにかくこの日は戻って来なかった。
ダインの姿も夜まで見かけることはなく、三人はごく普通の一日を過ごし、平和が戻ったように思えたのに。
「やあ、やあ、おはよう君たち」
あくる日の朝、前日とまったく同じ挨拶でダインがまた三人の前に立ち塞がり、パントたちは警戒しつつも挨拶を返す。
おどおどとした初心者たちをどう思っているのか、新入りの男はにやりと笑い、こう切り出した。
「昨日、いい店を見つけたんだ」
「いい店って?」
給料の良い職場でも見つけたのだろうか。
パントがフレスと顔を合わせていると、ダインは得意げに話し始めた。
「スカウトの集う店だ。腕の良いスカウトが仲間探しをする為の店だよ」
「へえ」
クレイは驚いたように呟き、その反応にダインはまた笑う。
「探索に向かうのに必要なのは、スカウト、魔術師、それに神官なんだろう?」
話しながら厨房へ向かい、作業中のモーリを押しのけてスープをよそって。
ダインは食堂で空いている椅子に座り、パントたちも慌てて用意を済ませ、後を追う。
「地図を読むのもスカウトの役目だっていうけど、見つけるのがまず難しいっていうじゃないか」
「その店に行けば見つかるのかい?」
昨日の大暴れのせいか、寄ってくる者はいない。
けれど新入りの声は大きいし、話の内容が刺激的だから。みんな耳だけは向けていて、食堂の中は静かだった。
「見つかるらしいよ。俺は昨日そんな店を見つけたんだ。茶鼠のオッチェとかいう、結構名の知れたスカウトがやっているという酒場をね」
初心者たちの間で、ざわっと空気が揺れた。
誰かが知っていたのかもしれない。鼠の通り名を持つ、スカウトのことを。
「腕のいい探索者と一緒なら、初心者だってそれなりに探索をこなせるはずだろう?」
まずは体力をつけ、基本を学ぶ。
勝手な振る舞いはせず、指導者の声に耳を傾け、一歩ずつ進むべし。
探索初心者の日々はゆっくりとしていて、地道なものだ。
無理はするな、基本を覚えろを繰り返されるばかりで、教えを忠実に守る者の歩みは遅い。
スカウトの集う店に行ってみようなど、そもそもそんな店を探してみようと考えることすらなくて、パントたちは新入りの行動力に驚いている。
「俺はその店に今日行くけれど、どうだい」
「え……」
吐息のようなか細さで、いいのかい、とフレスが呟く。
ダインはわざとらしく首を傾げているが、にんまりと笑うと「もちろんだよ」と答えた。
「うまく交渉できれば、初心者だって探索に挑めるはずさ」
前向きな言葉に急かされるように食事をかき込んで、出かける準備を進めていく。
たいした服を持っているわけではないが、その中でも一番新しいものを身に着けて、パントたちは玄関に集まり、ダインを待った。
「やあ、やあ、準備はいいかい。それじゃあ行こう」
ダインが先頭に立って、迷宮都市の道を行く。
初心者が向かうのは専ら街の北側ばかりで、南に向かう道にパントたちは緊張していた。
初めて足を踏み入れた貸家街の更に先、売家が並ぶ通りにその店はあった。
こじんまりとしていて、外装はかなり地味だ。
とても上級者が好みそうな様子ではなく、三人がほっとしながらダインの後に続くと、いくつかの遠慮のない視線に出迎えられることになった。
「誰に聞いてこの店に来た?」
手狭な店のカウンターの向こうに、小柄な男がいる。
鋭い目も気になるが、口からのぞいた大きな前歯が特に目立つ。
茶鼠とはこの男だろうかとパントは考え、ダインへ視線を向けた。
「スカウトの仲間が見つかるって聞いてきたんだ」
「どこの誰に聞いたのかわからないが、お前らにはまあ、十年は早いな」
テーブルにいた客が「違いねえ」と笑い、カウンターの奥の客も肩を揺らしている。
明らかに場違いなのだと一瞬で気付いたようで、クレイが二人の服の裾を引いた。
「そんなのどうしてわかるんだ」
「見りゃあわかるぜ。街に来たばっかりで、迷宮に足を踏み入れたことなんざねえだろう、坊ちゃんたち」
前歯の男の笑う声にパントは意気消沈しているが、ダインは堪えていないようだ。
「それがどうした。誰でも最初は素人だろう。素人だから、手を貸して欲しくて来たんだ」
「お前らにはまだ早いって言ってんだよ」
「スカウトを仲間にいれるのに早いも遅いもあるか?」
「図々しい奴だな、お前」
「なあ、腕の良い奴を紹介してくれよ」
朝も早いのに酒を一杯頼んで、ダインは不敵に微笑んでいる。
ごく普通の初心者三人はどうしたらいいかわからず、入口付近で立ち尽くしている。
「あんたたち、ちゃんとオッチェの話を聞きなよ。ここでスカウトを探すなんて、初心者には無理さ」
カウンターの奥にいた客が立ち上がり、四人の初心者たちへと向き直る。
「女のスカウトもいるのか」
すらりとして背の高い、化粧の派手な女だった。
腕を組み、少し首を傾げて、咎めるような視線で客を見つめている。
「女のスカウトなんて大歓迎だよ。女の探索者は少ないんだろう?」
「はは、正直なんだね、あんた」
「男だけの集団なんてむさくるしいだけだからな」
「歓迎してもらえるのはありがたいけど、あたしらはただの剣使いよりも多くもらうんだ。あんたら、戦いに自信があるかい? 剥ぎ取りはできるのかい? よほど実入りの良い探索じゃなきゃ、スカウトに全部ぶんどられて終わりだよ」
「はあ? どうしてそうなる?」
「あたしらが付き合うのは、スカウトが必須の難しい探索さ。いなくてもいい迷宮にゃ行かないし、いなきゃ困るところで仕事をさせるなら、きっちり払ってもらわないとね」
「そうなるのか?」
「ああ」
「あんたに来てもらったらどのくらいの探索ができる?」
ダインの問いかけに、スカウトの女はふっと笑った。
「あたしは今、条件付きで仲間を探してんだ。だからあんたらとはいけないね」
「条件を教えてくれ」
女は一瞬呆れた表情を見せたが、口の端にまた笑みを浮かべると答えてくれた。
「一日で帰れてたんまり稼げる探索だよ。なるべく深いところに行って貴重な物を持ち帰れる仕事じゃないと引き受けられない」
「一日で?」
答えないスカウトに代わってか、カウンターの中から返事があった。
魔術師が同行していれば可能だな、と。
「まったく、女ってのは本当にがめついよなあ」
ダインがぼそりと呟くと、スカウトの女は顔を歪めて無礼な初心者を睨んだ。
「人の事情も知らずに、よくそんなことを言えるね」
「お前ら、もう帰れ」
店主のオッチェらしき男がカウンターから出て来て、扉を開ける。
お前たちに紹介できる者はいないと何度も言われるとようやくダインも動いて、四人は再び道の上に並んでいた。
「ちょっと、ダイン」
フレスが文句を言いだしたが、残念ながら相手には聞こうという気持ちがないらしい。
「つまり、魔術師を探してくればいいんだよな?」
「え?」
魔術師探しはもっと大変なのではないか。
これまでの迷宮都市暮らしで聞いた情報からするとそうとしか思えないが、パントの曖昧な忠告など、もちろんダインには届かない。
魔術師を探しに行ったのかどうかはわからないが、とにかく新入りは駆け出し、三人は慣れない道の上で置き去りにされている。
「なんだかすごいな、ダインって」
クレイの呟きに、パントは頷く。
「本当、すごい行動力だよね」
フレスからは前向きな褒め言葉が出て来て、パントは感心させられている。
なんとかカッカーの屋敷に戻った三人は昼食をとりながら、ダインの行動について話し合っていた。
滅茶苦茶だし自分勝手で、良くないところは確かにある。
けれど必要な物について考え、行動に移せるところはすごい。
あのスカウトの店は初心者に辿り着けるものとは思えず、探しあてたこと自体がすごいのではないか。
「非難するのは簡単だけどさ……」
フレスの独り言に、パントは考えを巡らせていく。
いきなりスカウトだの魔術師だのを仲間として用意するのは難しく、一緒に行ったとしても稼げるのか、自分が役に立てるのかは疑問だ。
今日スカウトの店で向けられた視線の鋭さを思い出すと体が竦んでしまうが、けれど、貴重な経験ができたような気がしている。
前向きに考え、行動していく。
大切なことだと三人で話し合い、午後からの時間を有効に使おうと決める。
「レテウスさん、今日もいるんじゃないかな」
「頼んでみようか」
管理人の部屋にいる謎の子供を見舞うために、レテウスとクリュは屋敷を訪れているらしい。
食事を終えたパントたちがギアノの部屋を訪ねてみると、この日も貴族の青年は居たし、初心者たちの頼みを聞き入れてくれた。




