167 一段、上がる
ティーオがやってきてクリュと共に帰っていき、それからしばらく経つとようやく仲間の四人が戻ってきた。
全員疲れ果てており、元気がない。倒れ込むように食堂へ入って来て、隅のテーブルで突っ伏している。
「おかえり、みんな。無事に帰って来て良かったけど」
一番最初に立ち直ったのはフェリクスで、魔術での楽な帰還に慣れてしまったせいで、少しばかり「見誤った」と話した。
「帰りは行きの五倍だって、忘れてたよ」
単に「久しぶりに歩いて帰って疲れてしまった」らしく、カミルは情けない顔で笑っている。
「コルフはどうだった? マティルデには会えたのかい」
「ああ、会えたんだけど。エリアさんと一緒に屋敷を訪ねた後なんだ」
「どういう意味だい、コルフ」
「エリアさんとホーカの屋敷を訪ねたんだけど、無人で、誰も出て来なくてね。仕方なく別れた後歩いていたら、マティルデが現れたんだ」
「それじゃあ、姿は確認できてない?」
「そうだね。神殿を訪ねるように言ったけど、行くかどうかはわからない。ただ、マティルデが現れた時、クリュも一緒だったんだ。だから、目撃者は一応増えたってことになるかな」
とはいえ、今のクリュにマティルデ絡みの頼みごとをするのは気が引ける。
クリュを探して何をしたいかわからないが、また屋敷に閉じ込めるつもりならさすがに協力はできない。
「クリュはまた『赤』の入り口にいたのか」
「そうだよ。ただ」
カミルの隣で倒れ込んでいたはずのフォールードが顔をあげていて、目があってしまう。
「ただ?」
クリュが追われていたなんて話を聞かせたら、この男は一体どうなるだろう。
「いや、あそこに行っても、記憶は戻らないんじゃないのー、なんて話をしてね」
「ふうん」
屋敷の裏手でクリュが襲われていた時、フォールードはものすごい勢いで駆け出し、危機を救った。
救っただけでは飽き足らず、犯人に猛烈な暴力を振るって、ぼろぼろにしてしまった。
あの時はわからなかったが、フォールードにとってクリュはほぼチュールと同一に扱うべき存在なのだろう。
マティルデと敵対してしまってはいけないと考え、コルフは話を切り上げ、席を立った。
「おなかがすいているよな。俺がみんなの分を用意するよ。探索に行けなかったお詫びにね」
座って待っていてと言い残し、厨房へと急ぐ。
アデルミラが鍋の前に居て、四人分の食事を用意したいと話すと手伝いを申し出てくれた。
フォールード用の皿は大盛りにして、食堂へ運ぶ。
みんながつがつ食べたら、ふらふらと裏庭に向かい、体を洗って、あっという間に床に就いてしまった。
明日の予定を話し合っていないが、この分なら探索に行くなどとは誰も言わないだろう。
コルフは一人、階下に降りて、ギアノの姿を探した。
「やあ、コルフ。みんな今日は頑張ったみたいだな」
「うん。明日休みにしようって言う手間が省けたよ。カミルを誘おうかと思ってたけど、明日の配達は一人で行くことにする」
それで、と切り出し、有能な管理人へ打ち明ける。
「今日のクリュが追われている話、フォールードには言わないでくれる?」
「ああ、そんなことか。もちろん言わないよ。なんだか熱くなりすぎるみたいだもんな」
「あはは。ありがとう、ギアノ。さすがわかってるね」
マティルデが関わっていることを、言うか、言わないか。
フォールードに伝えないでほしいと頼むつもりで来たが、詳しく説明すればマティルデの話になってしまう。
ここのところ「言わない方がいい」という判断が、逆に良くない展開を招いているような気がしている。
早めに伝えた方が心構えができるとか、わかっていた方が対処しやすいとか。
ここで伝えればギアノは気にして、マティルデを探しに行ってしまうかもしれない。
それでなにか好転するのか。むしろ悪化してしまうことはないのか?
「どうかした、コルフ」
「あ、いや。早起きできるかなと思って」
「そんなことか。安心してくれ、絶対に起きてもらうから」
コルフの返事は「頼むよ」で終わり、打ち明けないまま部屋に戻る。
相棒はすっかり寝入っていて、相談する相手がいない。
結局魔術師も眠りについて、次の日の早朝に目を覚まし、ギアノに託された大きな籠を抱えて屋敷を出た。
まだ薄暗い街の中を、北へ向かって歩いていく。
東門から西へ延びる大通りに差し掛かると、「橙」に挑むであろう初心者たちの姿が見えた。
屋台も出ており、腹ごしらえをどうぞとか、保存食の買い忘れはないか、呼び掛ける声が響いている。
軽装の若者たちはパーティごとに塊を作って、買っておくべきだの、金がないだのと話し合っているようだ。
「コルフ!」
自分を呼ぶ声が聞こえてきて、コルフは辺りの様子を探る。
「あれ、カミル」
南側から小走りで駆け寄って来たのは相棒で、あっという間に追いつくと隣に並んだ。
「どうして誘ってくれなかったんだ。カッカー様の新しい屋敷を見に行くんだろう?」
僕も見たいと思っていたんだ、とカミルは言う。
「今日は寝ていたいかなと思って」
「確かに、揃いも揃ってへとへとだったもんな」
でも大丈夫。相棒がにやりと笑って、二人で歩きだす。
大通りを人の流れに逆らうように進むと、王都へ続く街道の始まりである東の大門に辿り着いた。
昼頃になるとたくさんの馬車がやって来るが、朝はしんと静まり返っていて誰もいない。
なにもない荒野が広がっており、太陽が昇って来て眩しかった。
「やあ、すごい光景だね」
この時間に起きたことは何度もあったけれど、いつも迷宮の入り口に向かっていたから。
太陽に背を向けて歩いてばかりで、こんなにも美しい風景が広がっていると知らずにいたようだ。
「一人で早起きするなんてと思っていたけど、引き受けて良かったな」
コルフの呟きに、カミルも頷いている。
今日の気付きは既にもう一つあった。勤勉な管理人は当たり前のように誰よりも早く起きて、滞在している若者の為に働き始めている。
「いい匂いだね、リーチェへのお土産は」
「喜ぶんだろうな、リーチェ。ギアノによく懐いているもんな」
大切な届け物を抱えて、王都へ続く街道を歩いていく。
少し歩けばすぐに目的地が見えてきて、二人は街道を逸れて北へ向かった。
「大きいなあ」
「本当に。今の屋敷よりも広そうだね」
新しいカッカーの屋敷に辿り着き、二人はまだ建設途中の建物を見て回る。
「こんなに立派な屋敷を建てられるなんて、お金があるんだな」
カミルがぼそりと呟き、コルフも考える。
「ヴァージさんの分もあるからじゃないか?」
「違うぞ」
背後からした声の主はもちろんカッカー・パンラで、コルフもカミルも慌てて挨拶をした。
「久しぶりに会ったな、二人とも。元気にしていたか」
どこからか、馬車の走り去る音が聞こえてくる。
カミルが視線を彷徨わせ、市場へ野菜を運ぶ荷馬車に乗せてもらったんだとカッカーは話した。
「いつもこんな時間に来ているんですか、カッカー様」
「少し込み入った話をしなければならない日だけだ。のんびりしていると子供たちが起き出して、リーチェがついて来たがるからな」
聖なる岸壁は優しい顔をして微笑み、一緒に来てもいいが、一人でないと不便も多いのだと語った。
「しかし、この時間に来てしまうと職人たちが来るまで少し待たなければならない。考えることは色々あるが、少し侘しくもある」
だから、コルフたちが来てくれてとても嬉しい。
カッカーは頬を緩ませ、ここは初心者たちの訓練所になると説明してくれた。
「何人かに出資してもらって建てているんだ」
「そうなんですか」
「ああ、宿や店を経営している商人に協力してもらった。この街には大勢の若者がやってくるだろう。皆、探索の話を聞いてある程度は覚悟してきているのだろうが、なにも知らないまま飛び込んで、命を落とす者も少なくはない。街に来てすぐに死が待ち受けているなんて、誰にとっても良くないからな」
初心者の多くはこの東門の辺りで探索者暮らしを始めるから、学びの為の場所を用意する。
カッカーの計画を聞き、コルフもカミルも立派な人だとしみじみと思った。
「二人はもう朝食は済んだのか?」
「いえ、まだです」
カミルが答え、カッカーはにっこりと笑う。
「ギアノがなにか用意してくれているはずだ。一緒に食べよう」
建設現場には小さなテーブルと椅子があり、三人で囲んで食事の時間を過ごしていった。
カッカー・パンラは伝説の探索者であり、向かい合うと緊張させられるものなのだが、朝日に照らされた食卓はとても和やかだった。
管理人特製のサンドを齧りながら、こんな機会はあまりないだろうと考え、コルフは問いを投げかける。
「カッカー様、聞かせてほしいことがあるんです」
「なんだ、コルフ」
「魔術師ホーカ・ヒーカムについて」
「ホーカか……」
カッカーは小声で呟くと、なにが聞きたいのかコルフに返した。
「ホーカ・ヒーカムと流水の神官チュールとの間に、なにかあったんでしょうか?」
「どうしてそんなことを聞くんだ」
「それは、ええと。……なにから話したらいいのかな」
まずは、自身がホーカ・ヒーカムに師事していたことからコルフは話した。
魔術は問題なく会得できたが、屋敷には大勢の若者が囚われており、異常に見えたこと。
クリュの曖昧な記憶の話を聞き、チュールが関係しているのではないかと考えたことを、順に説明していく。
「あのチュールに似ているのか、そのクリュという若者は」
「キーレイさんがそう言っていましたし、フォールードもかなり似ていると思っているようで」
カッカーは頷くと、まずは屋敷の新入りの調子について二人に尋ねた。
フォールードは仲間として頼もしく、活躍も目覚ましいという報告に、元神官長も安心したようだ。
「確かに、ホーカ・ヒーカムとの間には禍根が残っている」
「禍根、ですか」
「私は他の街から派遣されて、ラディケンヴィルスへやって来た。それから様々な人に頼まれて迷宮探索に付き合うようになってな」
活躍が評判になると、声をかけてくる人物は増えていく。
そうして出会ったのが元騎士のアークであり、魔術師のラーデンであり、スカウトのゴリューズだったらしい。
相性が良いと判断されれば、誘いは増え、共に歩くうちに「固定の仲間」になっていく。
「私はこの通り体が大きいから、神官としてだけではなく前で戦う役割も求められた。そのせいだと思うが、アークがある日、チュールを連れて来たんだ。ラーデンもゴリューズも主張の強い連中だから、チュールが加わるとちょうど良くなると言ってな」
迷宮周辺に人が集まり、大きくなって、街が出来上がり。
調査団が探索の基礎を作りあげ、挑戦する者が増え、まずは「橙」に底があるとわかった。
探索者たちが増え、活躍し始めて、調査団が役割を失い、役に立つ情報が大勢に伝わるようになっていった。
カッカーたちが名を挙げ始めたのはそんな頃で、より深く、長く探索を続けられる五人組の活躍が人々から求められていたのだという。
「我々にはそんなつもりはなかったが、周囲の期待は凄かった。皆、際立った個性があって、噂になりやすかったんだろう」
単に相性がいいから組んでいただけ。カッカーはそう思っていたが、周囲からの扱いは違った。
前に立って戦うことも厭わない、聖なる護り手、樹木の神に仕えるカッカー。
元は王都で騎士であったという、聖剣の遣い手アーク。
鋭い眼光ですべての罠を見抜く達人、爆弾使いのゴリューズ。
見えざる手であらゆる力を操る、大魔術師のラーデン。
そして、清らかなる癒し手、女神の再来たる流水の使徒、チュール。
「大袈裟だろう? 他の誰とも変わらない、ごく普通の人間なのだがな」
そんな五人組で探索を続けていたら、とある魔術師から声をかけられたとカッカーは語る。
「ホーカ・ヒーカムですか」
「そうだ。実力はラーデンよりも上だから、彼の代わりに自分を入れるべきだというのがホーカの主張だった」
「断ったんですよね」
カッカーはコルフに向かって頷き、仲間入りが叶わなかった経緯について話した。
「こんな申し出があったと、まずアークに伝えた。アークはその場で駄目だと反対してきた」
ホーカ・ヒーカムの腕は確かだと聞くが、ラーデンの方が調和が取れるとアークは言ったらしい。
「ラーデンも相当な変わり者だがな。その後ゴリューズにも聞いたが、やはりラーデンの方が良いと言われた」
「チュールはなんと?」
「皆の決定に従うと答えたよ。彼は本当に控えめで、自分の希望を言う人間ではなくてな。それですぐに、強く反対する人間がいるなら受け入れられないという結論が出た。ホーカの申し出は断り、我々は五人で探索を続けた」
カミルと二人で頷いていると、カッカーは急に遠くを見やって、切なげな横顔を見せた。
「……良いパーティだったが、長くは続かなかった。あの五人で探索をした期間は、二年にも満たなかったと思う」
「そうなんですか?」
伝説の探索者、カッカー・パンラの組んだ仲間は大勢いるが、一番有名なのがアークたちと組んだ五人組だ。
「最初の黄金期」の印象はとても強くて、二年も待たずに解散したとは意外に思える。
「ゴリューズに随分怒られたものだよ」
「カッカー様が怒られたなんて」
「私はなにも気が付いていなかったのだ。まずはラーデンが去り、その後すぐにアークとチュールも迷宮都市を去ってしまった。ラーデンは突然『自分は行かねばならない』と言い出してな。変わった男だったから、止めたところで聞かないだろうと思って、そのまま行かせたんだ」
「アークとチュールは何故去ったんです」
「それなのだ、コルフ。ホーカ・ヒーカムはアークに思いを寄せていたらしくてな」
「へえ……」
「アークは彼女を拒み、ホーカはそれをチュールのせいだと考えたらしい」
アークが断ったのは単にホーカに魅力を感じなかっただけで、相性の問題に過ぎなかったのに。
恋する女の目は曇り、男の隣に佇む美しい影に憎しみを募らせていったという。
「私は仲間に起きた事態に気付かずにいたんだ。すべて後から、ゴリューズに言われて知ったのだよ」
コルフの脳裏に、クリュの姿がぽわんと浮かぶ。
カッカーの話ではっきりと明確になった。
白い肌に金色の髪を持つ若者を裸にして閉じ込め、無為に時間を過ごさせている理由が。
「ホーカはチュールに随分と嫌がらせをしていたらしくてな」
それで結局、アークはチュールを連れて迷宮都市から去った。
今でも共にいるのは、ホーカの執念深さを恐れているからだという。
アークの判断は正しい。
二十年も過ぎたというのに、ホーカはいまだにチュールを憎んでいる。
「ゴリューズはしばらく残っていたが、いつの間にか迷宮都市から去っていた」
「そんなことがあったんですね」
「ホーカ・ヒーカムの屋敷の噂については聞いている。解決できないだろうかと訪ねたこともあるのだが、ろくに応答もしてもらえなくてな」
「カッカー様を無視しているんですか?」
カミルは驚き、カッカーは珍しく項垂れている。
過去の高名なパーティに起きた出来事についてコルフは考え、もう一つの疑問について思い出していた。
「術師ホーカはニーロさんを連れてきた人間に謝礼を出すって話もあるんです。大魔術師ラーデンともなにか因縁があるんでしょうか?」
「ニーロに招待が届いているという話は知っている。私としては、ラーデンとホーカが直接関係していたことはないと思うのだが」
これもまた、自分が知らないだけなのかもしれない。
カッカーは苦悩に満ちた顔で呟き、ため息を吐きだしている。
「ニーロならばホーカの屋敷に入れるだろうし、問題解決もできるのではないかと考えたこともある。だが、ニーロにはまるでそんな気がないようでな」
「カッカー様、その、前は大勢閉じ込められていたんですけど、今はもう一人もいないんです」
「ん? そうなのか」
「昨日訪ねた時は誰もいなかったし、他の弟子もそんなことを言っていたので」
「ああ、そうなのか。ホーカももう悪趣味な真似はやめてくれたのかな」
まだ、クリュは探されているようなのだが。
本物とほぼ同じ姿をしたクリュだけは逃がさないとでも考えているのだろうか。
コルフは思い悩んでいたが、カッカーは晴れやかな表情を浮かべている。
「良い報せをありがとう、コルフ」
「いえ、そんな。こちらこそ、貴重な話を聞かせてもらえて嬉しいです」
カミルが微笑み、大団円の気配が漂い始めていた。
クリュの安全について自分が悩むのは筋違いなのだが、師匠の蛮行や捜索をわかっているのに知らん顔をするのは、どうかと思える。
コルフは深く納得していた。
マティルデが行方不明になって、アダルツォとアデルミラは責任を感じていた。ギアノもだ。
二人は雲の神官として、ギアノはもともと世話を頼まれたという立場で、無関係だと割り切ることはできなかったのだろう。
カッカーの悩みはひとつ減らせたようで、役に立ったとは思う。
マティルデの安否については確認できたし、クリュのピンチも救えたはずだ。
けれどクリュの立場は危ういし、マティルデが絡んでいることを誰にも言えていない。
なにもかも円満に解決するとは、なんと難しいことなのだろう。
伝説とまで言われ、大勢に手を差し伸べてきたカッカーですら、どうにもならない出来事があるなんて。
「ここが完成するのが楽しみですね」
カミルは目をきらりと輝かせて、カッカーに話しかけている。
「ああ。だが、まだ講師を引き受けてくれる者が見つかっていないんだ」
「講師ですか」
「初心者たちに必要な技術を教えられる人間を探しているんだが、まだ足りていない」
ウィルフレドやマリートが来てくれればいいのだが、とカッカーは言う。
ウィルフレドはいいとして、マリートには無理ではないかと二人は思う。
「もしかして、ヴァージさんにも教われますか?」
「最初はそうするつもりだったのだが、赤子が増えてしまったからな」
カミルは残念そうに眼を閉じ、カッカーはようやく大きな声をあげて笑った。
「少しくらいは時間をとれるようにしようと思っている。ヴァージは教え方が上手いからな。しかし、講師はまだ何人か必要だ。剣の扱い方や、探索に必要な知識を教える場所にしなければ、ここに建てる意味がなくなってしまう」
良さそうな人材がいたら教えてほしい。
カッカーの言葉に二人が頷くと、聖なる岸壁は若者たちの顔を順番に見つめ、最後にこう語った。
「カミル、コルフ。二人がいつかここに来て、指導役として活躍してくれると信じているぞ」
「カッカー様」
「カミルもコルフもかなり準備をしてやって来たな。楽に儲けられると考えて来た者たちとは違うと、初めて会った時に思ったものだ」
「本当ですか」
ずっしりと頷き、カッカーは口元に笑みを湛えたままこう続ける。
「ここでの指導役を頼むのは、まだ先のことだろう。だが、今、似たようなことを任せてもいいか?」
「似たようなこと?」
「ああ。街中の屋敷は、本当に来たばかりの者が多くなっているだろう」
「そうですね、確かに」
「彼らの助けになってやってほしい。時々でいいから」
屋敷で暮らす初心者たちに、ちょうどよい「先輩」が足りないとカッカーは話した。
「二人ならば適任だ。フェリクスとも力を合わせて、手を貸してやってほしい」
カミルの視線を感じる。コルフも相棒へ顔を向け、瞳を見て、結局二人で頷いて答えた。
「頼んだぞ」
力強い手を肩に乗せられ、樹木の神への祈りの言葉とともに、建築現場から送り出されていた。
朝早いおつかいの仕事はこれで終わり。
貴重な話を聞き、これから始まる大仕事について説明され、面倒なことを任された朝だった。
「指導役か」
すっかり高く昇った太陽に背中を照らされながら、カミルが呟く。
初心者にあれこれと教える者は、確かにいない。
大きな顔をしていたガデンはいなくなったし、何人かは探索を諦めて去ってしまったから。
初心者の指導は面倒なことだ。彼らは不安で、親切にしてもらえると何度も縋ってくるものだから。
迷宮へ案内して、歩き方を教えて、戦いのコツ、戦利品の手に入れ方、泉について教え、夜明かしについて説明しなければならない。
責任は重いのに、手に入るものは少ない。いや、ない。
そんな面倒なことはしたくない。気が進まない。これまでそう考えていた。
「大変だよね、初心者にいろいろ教えるっていうのは」
コルフは呟き、隣を歩くカミルの顔を見つめた。
「だけどなんだか、……認められた気がしてる、今」
カッカーから直々に頼まれるのは、ニーロやキーレイ、ウィルフレドのような特別に腕の良い者だと思っていた。
確かに、彼らほどはできない。けれど今日、いつかそうなると言われたのではないか。
「そうだね。スカウトがいて、魔術師がいて、神官がいて、腕の立つ戦士も揃っているし」
それに、人助けにも励んでいるし。
カミルはにやりと笑って、随分忙しそうだなとコルフの脇腹をつつく。
じゃれあいながら歩いていくうちに、迷宮都市の入り口に辿り着いていた。
東門の向こうには、大きな人の流れが見える。
探索者も商人もいて、大勢がそれぞれの目的地に向かって歩いている、いつも通りの光景だった。
「俺たち、もう初心者じゃないって考えていいよな、カミル」
「そうだね。中級者……、の卵くらいかな」
「まだ卵なら、あの屋敷を使っていてもいいかなあ」
「いいんじゃないのかな。初心者に手を貸すよう頼まれたんだし」
二人で顔を見合わせ、声をあげて笑う。
軽やかな足取りで南へ向かって、仲間の待つ住処へ進んでいく。
「ところでコルフ」
「なんだい」
「なにか悩んでるんじゃないか?」
樹木の神殿へ通じる通りを南に向かって歩きながら、コルフは驚いていた。
「どうしてわかった?」
「そんなの、長い間一緒に暮らしているからに決まってる」
同じ日に迷宮都市にやって来て、すぐに意気投合して行動を共にするようになった。
カミルとの出会いは運命的で、こんな相棒のいる人間はそういないだろうとコルフは思う。
詩人が二人を謳うとしたら、探索者としての始まりの日々はさぞドラマチックに描かれることだろう。
「実は、マティルデもクリュを探しているんだ」
「あの子が?」
「ギアノに言うべきか、悩んでる」
頼れる相棒はこの話になるほどと頷き、それは迷うなあ、と腕組みをして唸った。
「言わない方がいいかもね。ホーカ・ヒーカムにはなるべく関わらない方が良さそうじゃないか」
「そう思うよね」
「通う塾を替えて良かったな、コルフ。君は良い判断をしたよ」
歩きながら、今日知ったことについて二人で話していった。
クリュは何故あの屋敷に閉じ込められていたのか?
借金から逃げた後なにかやらかしたのではと疑っていたが、カッカーの話からすると、単にとばっちりを受けただけのように思える。
「クリュは身代わりにされてただけか」
「異常だよな。憎いからって自由を奪って閉じ込めるなんて」
チュール自身も勝手な思い込みから嫌がらせを受けていたわけで。
かつての師への印象は著しく悪化していく。
「いくら魔術師として優秀でも、そんな真似をする奴を仲間に入れられないよな」
「アークもゴリューズもわかっていたってことか」
カミルが頷き、コルフはため息をついている。
「俺は見る目がなかったんだなあ」
「今はもうわかったんだからいいじゃないか。ちゃんと理解したからクリュも助けられたんだろう?」
「そうかな」
「ああ、そうだよ。一流の探索者を目指すのなら、君のように相応しい振る舞いをしていかなきゃな」
コルフは笑いながら、二人の恩人についての考えをカミルに伝えていった。
カッカーたちはきっと真っ当な探索者だっただろうに、活躍と彼らについて謳われている物語には少しばかり差があるようだと。
噂には尾ひれがついて回るものだし、なにもかもが正確に伝わるとは限らない。
二人は語り合いながら理解を深め、思いを巡らせていく。
「カッカー様の話を聞いて、僕は博愛のハクスの話を思い出した」
大変な探索の末に一人生き残り、正気を失って神殿に守られていた、まあるい、優しい、マスター・ピピ。
「キーレイさんが言ってたね。期待されて、応えようとしちゃったんだろうって」
カッカーよりも神官としては上とまで言われた博愛のハクスが「緑」で悲劇を迎えて、噂話に興じていた人々はどう思ったのだろう。
腕の良い探索者の為に迷宮に立ち入らないようにしたり、大勢で帰りを待つようなことは、今ではされていないようだけど。
探索者として名を挙げ、人々に噂されるようになるのは、恐ろしいことなのかもしれない。
コルフはそう思ったが、カミルは空を見上げてこう呟いた。
「これまで以上に励もう、コルフ。皆と協力し合ってさ」
「カミル」
「僕たちならば大丈夫だ。正しい行動をしていれば、どんな噂をされたって平気さ」
「みんな真面目だもんな」
「フォールードには少し気を付けないといけないけど。誰かと揉めたりしないように、指導してやらなきゃ」
カミルはにやりと笑ったが、ふと首を傾げると相棒にこう話した。
「前にクリュが襲われたのも、ホーカの追っ手の仕業だったのか?」
注意の必要な新入りがめちゃくちゃに殴り倒してしまった謎の男の正体は、まだわかっていない。
「あの時、クリュは危うく殺されるところだったよね」
屋敷に閉じ込めて若い時間を無為に過ごさせたいのなら、命を奪うような真似はしないのではないかと思える。
「マティルデはクリュの名前を知っていたんだ。チュールとは別人だってわかっているのに、それでも殺そうとまでするのかな?」
「クリュがなにかとんでもないことをやらかしたとか?」
「でも、あいつは一年以上閉じ込められていたんだろう」
「殺す気ならとっくにやってるか」
「他にもクリュを狙っている奴がいるのか」
一緒に探索に行っただけの男にいきなり襲われたと、クリュは震えながら話していた。
真っ蒼な顔で、どうしてこんな目に遭うのかと涙をぽろぽろ流していて、可哀想だと思ったが。
「あいつ、謎だな」
コルフが思わず呟くと、カミルは楽しそうに笑い声をあげた。
「レテウスって人もよくわからないし、あの貸家の住人は謎だらけだな」
「ティーオも謎の商人だよね。女の子ばっかり集めてお菓子の奪いあいをさせてさ」
「あはは。酷いな、コルフ」
笑い合っているうちに、樹木の神殿が道の先に見えていた。
早朝のおつかいについて、仲間にちゃんと伝えていない。
気の利く管理人が教えているだろうが、まだ眠っているかもしれない。
「さて、今日はなにをしようか」
「昼寝しなくていいのかい」
相棒は小さく笑うと、早速カッカーの願いに応えようと考えたのか、こんなことを言い出していた。
「誰か残っていたら、簡単な罠の見分け方でも教えようかな」
「へえ、いいね」
「だろう? 基礎くらい、知っておいた方がいいんだよ。ひょっとしたら、スカウトに向いている奴が見つかるかもしれないし」
「偉いねえ、カミル。君は立派な中級者だ」
迷宮都市での住処に辿り着き、カミルが立ち止まる。
コルフも足を止めると、相棒の真剣な眼差しが目に入った。
「コルフ」
「なんだい?」
スカウトであるカミルの瞳はいつでも鋭いが、この日は特別な光が宿っているように感じて、コルフは思わず手を握りしめている。
「僕はね」
どんな言葉が飛び出してくるのだろう。
探索中級者の卵たる魔術師は、緊張しながらスカウトの声を待っていたのだが。
「まだ、女の子の探索者を仲間に入れることを諦めていないよ」
シリアスな顔に似合わない台詞に、コルフはよろけ、扉に肩を強くぶつけた。
「大丈夫か、コルフ」
「カミルが馬鹿なことを言うから」
「馬鹿なこと?」
詩人に謳われるほどの有名な探索者になりたい二人が、幾夜も語り合った夢。
どんな仲間たちと活躍したいか、カミルとコルフの思いは同じだ。
「ごめん。大事なことだね」
「そうだろ」
ばしんと叩かれて、また肩が痛む。
けれど二人は朗らかに笑い合いながら、仲間の待つ屋敷の中へ入っていった。




