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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
36_Judge Rightly 〈噂の真相〉

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166 秘密へ続く道

「やあ、レテウスさん。ちょっといいかな」


 中に入ると噂の「怒り顔」が待ち受けており、ティーオが明るく話しかけていく。

 貸家の中に足を踏み入れたのは初めてだった。

 入ってすぐは広い大きな部屋で、台所もある。

 いくつかドアが見えるのは、ティーオの話していたそれぞれの個室の入り口なのだろう。

 

「君たちは、剣の指導の時にいたな」

 フェリクスは頷き名乗っているが、フォールードは視線を彷徨わせていて落ち着きがない。

 

 建物の造りは簡素で、内装も家具もシンプル極まりなかった。

 けれど必要な設備は揃っていて、多少の譲り合いをしていけば快適に暮らせることだろう。


「なんだ、誰か来たのか」

 小部屋の扉が開いて、中から少年が現れる。

 迷宮都市では見かけないサイズの子供が現れて、コルフは思わずカミルと目を合わせていた。

 少年は来客のひとりひとりに視線を向け、フェリクスをほんの少しだけ長く見つめたが、すぐに椅子に腰かけて偉そうにふんぞり返っている。


「部屋も見せた方がいいだろうか」

「いや、俺のところを見せるから大丈夫。どの部屋も同じ広さだろうし」


 どうやら差し入れに気を良くしてくれたらしく、レテウスという名の強面の男は四人の見学を快く受け入れてくれた。

 ティーオに案内されて中を覗き、部屋の様子などを確認していく。

 

「いいねえ、個人の部屋があるって」

「そうそう。宿屋だとずっと同じ場所にいられないし。貴重品も置いておけないからね。ここで暮らせるようになって本当に良かったよ」


 見知らぬ誰かと相部屋にならずに済むだけでも、貸家暮らしには価値があるとコルフは思う。

 個室の使える安い宿ができればいいのだろうが、今のところそんなに都合の良い店の噂は聞いたことがない。


「ただいま」

 扉が開いて、クリュが現れる。

 客がいるとすぐに気付いて、長い髪をきらりと輝かせると、コルフたちにどうしているのか問いかけてきた。

「貸家がどんなものか見せてほしくてさ」

「へえ、そっか。いいところだろ、ここは」

「いいね。クリュも一部屋使ってるんだろう?」

「そうだよ。レテウスのお陰で……」


 クリュの笑顔が急に強張った理由は、フォールードの視線に気が付いたからだった。

 強く睨みつけるように見つめられ、美青年は怯えたように後ずさっていく。

「こら、フォールード」

 アダルツォの代わりにティーオが注意をし、新入りは部屋の隅へ追いやられていった。


 コルフはホーカに探されている件を話すかどうか、悩んでいる。

 言っておいてやりたいところだが、人が多い。

 特にフォールードが聞いたらどう反応するか、不安があった。


「そういや、記憶とやらは戻ったのかい」

 カミルが問いかけ、クリュはふるふると首を振っている。

「ううん、駄目なんだ。ねえ、コルフはあそこで俺のこと見たんだよね?」

「どうなのかな。同じ格好の連中はいっぱいいたから」


 いくら男同士とはいえ、透けた布を少し巻いただけの姿をした者をじろじろ見たりすることなどできない。

 魔術を学びに行っていた連中の中にも、顔を覚えるほど凝視する者などいなかっただろうとコルフは思う。


「俺は見たぜ」


 背後から急に声がして、カミルと揃って振り返る。

 偉そうにふんぞり返って座っていた子供が、ふんと鼻を鳴らしていた。


「今わかった、あれは間違いなくお前だったって」

「今って? なにがわかったの、シュヴァル」

「俺がいた部屋の向かいだ」

「向かい?」

「他の連中は廊下でうろうろしてたが、お前は部屋の中ででっかい椅子に座ってたぜ、リュード」


 まさかの同居人からの新たな証言にクリュは随分驚いたようで、少年を引っ張って自分の部屋に連れていってしまった。

 見学はもうできたし、アダルツォも帰っているかもしれないし。そろそろ戻ろうとフェリクスに声をかけられ、揃って帰路についている。


「あの子、謎だな。何者なんだろう」

 夕食の準備中にカミルが呟き、コルフも不思議に思って首を捻った。

「ティーオから金を盗んだ子だよ」

 またも意外な答えがフェリクスから飛び出してきて、謎の一端が明かされていく。

 強盗行為があり、制裁が加えられ、ティーオは謝罪を受け入れてあの少年を許した。

 そんな経緯はわかったが、ホーカ・ヒーカムの屋敷にいた理由はわからない。


「やあ、みんな。今日は本当に悪かったね」

 背後からアダルツォの声がして、全員で振り返る。

「おかえり、アダルツォ。神殿にはちゃんと伝えられた?」

「うん、伝えたよ。捜索は終わりにして、魔術師の屋敷に確認しに行くってことで話はまとまった」

「そっか。そりゃあそうだね。確認に行くよね」

 誰にも言うなと頼まれたが、結局関係者全員に知られることになってしまった。

 マティルデには悪いが、仕方がない。頼まれたけれど、考えてみれば了承したわけでもないのだし、とコルフは気を取り直していく。

「アダルツォ、帰ってたんだな。お疲れ様」

 ギアノが顔を出し、アダルツォもほっと息を吐き出している。

「ごめんな、ギアノ。迷惑かけて」

「なにを言ってるんだ。そもそもは俺が世話を頼まれたのに。あんなに手を貸してくれたのにアデルミラには随分心配をかけることになっちゃって、本当に悪かったよ」


 互いに感謝と謝罪を繰り返すと、アダルツォは妹のところへ行き、ギアノは厨房に留まって作業を始めた。

 

「コルフのお陰でやっと安心できたよ。ありがとうな」

「いやいや、偶然見かけただけだからね」

「教えてもらえなきゃいつまでも不安なままだったろうから。マティルデの同居人にも無事だって伝えられるし、良かった良かった」


 調理を進めているとアデルミラが現れ、いつも通りの可憐な笑顔を見せてくれた。

 今朝までの落ち込みようが嘘のように明るい顔をしており、アダルツォとギアノの調子も戻ったようだ。


 明日改めて探索に向かうことを決めて、夕食の時間を終えて。

 管理人が淹れてくれたお茶を飲みながら、カミルとコルフは食堂の隅で夜を迎えていた。


「ギアノ相手だと、嫉妬する気になれないんだな」

 カミルがぼそりと呟いたのは、入口付近にギアノとアデルミラの姿が見えたからなのだろう。

 二人の穏やかな表情はいつも通りのものだが、以前よりも明らかに距離が近い。

「良い相手だよ」

「本当にね。気が利いて、なんでもできて、優しくて、多分ものすごく誠実だろうし」

「マティルデはどうなのかな」


 相棒の呟きに、コルフはどきりとしている。

 誰にも言わないでというお願いの前に、確かに聞いたからだ。

 ギアノには言わないで。あれは、どういう意味だったのだろう。


 コルフがなにか答える前に、カミルはひとつの答えに辿り着いたらしく、こう呟く。

「魔術師になりたいなら、それどころじゃないか」


 初めて会った時から、魔術師になりたいという希望は聞いていた。

 まずは最初の授業料を貯めるのが一つ目の山だが、授業が始まればすぐに二つ目の山が待ち受けている。

 基礎をしっかり身につけられなければ高い授業料は無駄になり、師匠から見放される可能性がある。

 コルフも全力で取り組み、それでようやく魔術師の道を歩み始めることができた。

 色恋沙汰に現を抜かしている余裕など、弟子入りしたばかりの人間にはない。


「ティーオは喜ぶかもね」

 カミルがにやりと笑い、コルフも思わず吹き出している。

 ギアノがライバルではなくなったとしても、ティーオに思いを寄せてくれるかどうかはわからないけれど。

 二人はそんな会話を繰り広げて、お茶の時間を終えた。



 半端な探索をした次の日、今日こそはと五人揃って屋敷を出る。

 アダルツォの顔色は良く、コルフにももう心の重荷は残っていない。

 カッカーの屋敷に滞在する初心者たちの中で唯一、希少職を揃えた期待のパーティ。

 「藍」や「赤」に勇敢に挑む五人組の、真剣な迷宮行が始まる。


 そんな気分でいたというのに。


「アダルツォ、ちょうど良かった!」


 悠々と歩んでいた五人のもとに雲の神官衣を着た女性神官が駆け寄って来て、一同は立ち止まった。

「エリア様、どうされたんですか」

「もしや、これから探索へ?」

「そうですけど」


 エリアと呼ばれた雲の神官は、年は五人よりもだいぶ上に見えたが、穏やかな表情の美しい女性だった。

 清らかさと穏やかさの同居した知性ある横顔に、コルフはもう少し年が近ければなどとのんきに考えている。


「マティルデを見かけたという魔術師を紹介してくれませんか」

「ああ、それなら、ここにいるコルフがそうですけど」


 雲の神官二人に目を向けられ、新米魔術師は目を丸くしていた。

 エリアは邪魔をしたことを詫び、やって来た理由を深刻な顔で語っていく。


「マティルデの無事を確かめたくて、魔術師の屋敷を訪ねたのです。でも、応答がなくて」


 確かにあの娘に会ったのか。

 エリアに尋ねられ、コルフは誠実を心掛けながら答えた。

 

「確かにマティルデでしたよ」

「できれば直接顔を見たいのですが、叶わぬことでしょうか」

 会うのが嫌なら、姿を見るだけでも構わないとエリアは言う。


 自分の証言だけでは駄目なのかとコルフは思う。

 腕組みをして思いを巡らせていくと、確かに面識のない若造が言っただけのことを、疑いもせずまるごと信じるなんてあまりにもおめでたいではないか、と結論が出てしまった。


「魔術師たちの流儀を、我々は知りません」


 エリアの台詞で、四人の仲間の視線が一気に集まっていた。

 アダルツォは祈るような目で見ており、手を貸してくれないかと言いたいのだろう。

 フェリクスも似たようなもので、なんとかマティルデの姿を確認させてあげられないか考えているに違いない。

 カミルとフォールードの意見は完全に同じで、「またか」が正解だろう。

 ここ数日、延期したりあっさり切り上げたり、探索の予定は狂いっぱなしだから。

 単純に稼ぎがないし、連日中止だの延期だので、苛つくのも無理はない。


 コルフがどうしようが、誰も怒ったりはしないだろう。

 多少の文句を言われるだけで、仕方のないことだからで片が付く。

 

「魔術師コルフ、どうか力を貸して下さいませんか」

 

 どうすべきか悩めるコルフの心が、ぐらりと傾いて、決まった。

「みんな、ごめん」

「なんだよまったく」

 すかさずアダルツォが謝り、フォールードは文句を引っ込めていく。

「仕方がない、魔術師の屋敷は少し面倒だから。俺に構わず、みんな行ってくれ」

「コルフなしで?」

「『藍』なら無理しなきゃいけるだろう。どうだい、フォールード」


 コルフが同行を申し出て、エリアは深々と頭を下げている。

 アダルツォと言葉を二、三交わして、四人組になってしまった仲間と別れ、街の中央へと向かう。


 ホーカ・ヒーカムの屋敷は確かにひっそりとしていて、人気(ひとけ)がなかった。

 もしかしたら他の魔術師に弟子入りしたことはバレていて、屋敷に入れなくされているかもと思っていたが、そんなこともないようだ。

 

 エリアを案内して、屋敷の中に入る。

 ヴィ・ジョンは現れないし、呼びかけてみても誰も答えない。

 マティルデの名を呼んでも、返事はなかった。


「おかしいな」

「この屋敷はもう使われていないのですか?」

「いいえ、そんなはずありません。一昨日マティルデに庭で会ったし、同じ日に他の弟子にも会いましたから。授業は休みになっていたけれど再開されたとも聞いてます」


 エリアの表情は曇ったままで、コルフは悩みながらも奥へ進んでいった。

 屋敷に入ってすぐの広場と廊下は自由に歩けたが、あらゆる部屋の扉は締まっていて、中には入れない。だが。

「あ、見てください。これ」

 小部屋のうちのひとつに、札がかかっている。

「まあ。マティルデ・イーデンと書かれていますね」

「師匠の許しが得られた者は、住み込みで学べるようになると聞いたことがあります」


 コルフ自身はこの屋敷に住みたいと思ったことはなかった。

 既にカッカーの世話になっていたからではあるが、ほぼ裸の青年がうろうろしていて、あまりにも不気味だったせいもある。

 住み込みで学んでいるという弟子にも会ったことはない。

 こんな風に名札が掲げられているところを初めて見たが、無意味に現れるものではないだろう。弟子入りした証拠になると考えても良いと思えた。


「では、やはりこの屋敷で暮らしているのでしょうか?」

「エリア様、俺は確かにマティルデとここで会いました。弟子入りも、ローブを着ていたから間違いないと思います。また会うことがあったら、神殿を訪ねるよう声をかけますよ」

 

 雲の神官は短く祈りの言葉をつぶやくと、コルフの目をまっすぐに見つめて頷き、お願いしますと頼んだ。

 ゆっくりと屋敷の入り口に戻り、周囲の様子を窺っていたが、結局なんの音も聞こえてはこなかった。


 エリアと別れ、コルフはやれやれと小さくため息を吐きだしていた。

 中途半端な時間に、一人きり。

 せめて仲間たちが良い探索をできるよう、祈るくらいしかすることがない。


 ホーカ・ヒーカムの屋敷から出てぶらぶら歩いていると、路地の向こうにベルジャンの姿が見えた。

 思わず駆け出し、後を追う。角を曲がってしまった魔術師の弟子を探して、奥へと進んでいく。

 どこへいったのやら、ベルジャンの姿はない。

 入り組んだ裏路地に出てしまったようで、辺りを見回しながら進んでいったが、結局見つからない。


 またやれやれと呟きながら、コルフは大通りを探して歩いた。

 いくつかある高い建物の位置から方角を考えて進んでいくと、ぽっかりと開けた場所に辿り着き、白く輝く後ろ姿が待ち受けていた。


「クリュ?」

 声をかけてみると、樽の上に座っていた問題児が振り返って、にっこりと笑った。

「コルフ。なにしてるの、そんなところで」

「狭い路地に入っちゃってさ」

「そのあたりって確かに、妙に入り組んでるよね」

 クリュは樽からぴょんと飛び降り、背伸びをしている。

 

 いい機会ではないかと、コルフは考えていた。

 警告をするのにちょうどいいタイミングではないかと。


「コルフ」


 すると背後から声がして、魔術師は驚いて振り返った。

「マティルデ」

 ホーカ・ヒーカムの弟子のローブを身に着け、髪を綺麗に編み込んで。

 マティルデの新たな姿は魅力的で、ティーオが見たらやかましいだろうなとコルフは思う。

「誰にも言わないでってお願いしたのに」

「そう言われてもね」

「酷いわ」

 ぷうっと膨れる少女の登場になにを思ったのか、クリュは楽しそうな顔で魔術師を見つめている。

「なにも言わないでいる方が酷いって、俺は思ったんだ」

 せめて一度神殿に顔を出すように告げ、エリアとの約束を果たしていく。

 けれどマティルデは返事をしないまま、コルフの隣にいる能天気な美青年を指さし、問いかけてきた。

「その人、コルフの知り合い?」

 

 クリュの美しい薄青の瞳が向けられる。

 嫌な予感がして、コルフは答えを慎重に選んでいった。


「知り合いだよ」

「クリュっていうの?」

「……クリュミエール・トゥレスだ」

 クリュが余計なことを言わないよう、強めに腰の辺りを叩いておく。

「サークリュード・ルシオじゃなくて?」

「違うよ。マティルデはカッカー・パンラを知ってるかい? クリュはね、『聖なる岸壁』と呼ばれた伝説の探索者の仲間、流水の神官チュールの親戚なんだ」

「チュール?」

「もう二十年も前に活躍していた有名な探索者だよ。『静謐のチュール』って呼ばれていた、すごく美しい神官。聞いたことない?」


 そんな有名な探索者の縁の者を、カッカーの屋敷に案内しなきゃいけないから。

 ぺらぺらと嘘を並べ立て、クリュの手を引いて歩き出す。

 雲の神殿に連れていきたいがあの態度では難しそうだし、マティルデまでクリュを探しているとは驚きだった。


「なんであの子は俺の名前を知ってるんだ」

「あとで話す。とにかく屋敷に急ごう」


 急ぎ足で二人で樹木の神殿に飛び込み、中の通路を使って屋敷へ戻る。

 クリュはすっかり青い顔をして、額から汗を垂らしていた。


「あれ、コルフ、どうした? なんでクリュと一緒に?」

「ギアノ、ちょっと奥の部屋使わせて」

「いいけど」

「誰か訪ねてきても、俺もクリュもいないことにしておいて」

「わかったよ」


 管理人の顔は急に引き締まって、二人を屋敷奥の相談部屋へ通してくれた。

 クリュは怯えたような顔をして、目の端に涙を浮かべている。


「なにが起きてるんだよ、コルフ」

 昨日も似たような後悔をしていたとしみじみと思いながら、コルフは事情を説明していった。

 とはいえ、教えられることはひとつだけだ。

「ホーカ・ヒーカムの屋敷の人間がクリュを探しているらしいんだ。さっき会った女の子と別に、もう一人の弟子も探してる」

「ええ、なんで? どうしてなんだよ、コルフ」

「わからないよ、俺には」

「二人だけ?」

「はっきりわかってるのは二人だけだよ。いや、三人なのかな。依頼を出した人は別にいるから」


 ヴィ・ジョンが街を歩き回るのかどうかは知らないが、ベルジャンは彼に頼まれたと話していた。

 クリュは衝撃的な話にめそめそと泣き出して、宝石のような涙をぽろぽろとこぼしている。


「またあんな格好で閉じ込められるなんて嫌だ」

 

 そりゃあそうだとコルフは考え、今日エリアの頼みを聞いて良かったと思っていた。

 できれば皆と一緒に探索に行きたかったが、自分がいなければマティルデはクリュに話しかけていただろう。

 ベルジャンも近くにいた可能性があり、二対一になればどうなっていたかわからない。

 

「あの辺りにはもう一人で行かない方がいい。ホーカの屋敷に近いから」

「『赤』の入り口のところ?」

「うん。気が付いたらあそこにいたんだろ、クリュは。なにか関係があるのかもしれないし」

「そっか。じゃあ、もうやめとこうかな。はあ、なんでこんな目に遭うんだ……」

 口をつんと尖らせていじけるクリュの姿は、かなり愛らしい。

「コルフ」

「なんだい」

「訳のわからないことを言ってたのって、俺を助けるためだったんだろ」

 袖の端で涙を拭い、クリュは魔術師に「ありがと」と礼を言った。

「まあね」

「カミルとコルフは意地悪だと思ってたけど、優しいところもあるんだな」

 気持ちが正直に顔に出てしまったようで、クリュは慌てて立ち上がった。

「ごめん! ごめん、コルフ。だってほら、いつも俺に冷たいからさ」

「親切にしたらしつこく縋り付いてくるだろ、クリュは」

「だって、いいパーティを組んでるんだもん」


 フォールードが来なかったら、クリュを加えていた可能性もあったかもしれない。

 コルフがぼんやりそう考えていると、部屋の扉を叩く音がして、ギアノが顔を覗かせた。


「今のところ誰も来ないけど、大丈夫か、二人とも」

「俺はいいんだよ。問題はクリュだ」

「クリュがどうかした?」

「探されてるみたいでさ」


 マティルデの話を、ギアノにするべきなのだろうか。

 また妙な悩みが出来たことに気付いて、コルフは迷う。


「コルフ、お茶を用意したから飲むといいよ」

「俺の分もある?」

「もちろん、クリュの分も用意してる」

「お菓子もある?」


 ギアノは呆れた顔をしたが、結局小さな皿を二つ持って来て若者たちに振舞ってくれた。

 これで少し気が晴れたのか、クリュの涙は引っ込んでいる。


 とはいえ、腹が膨れただけで、問題は解決していない。

 空になった皿を見つめて、クリュはため息をついている。


「どうしようかなあ。ねえコルフ、家までついてきてよ」

「そのうちティーオが来るんじゃないの。一緒に帰ればいいだろ」

「それまで待つの?」

 じっとりと見つめられて、コルフはあることに気付き、悩める美青年に提案していく。

「その髪、切ったらどうだい」

 クリュの容姿は人の目を引く。とにかく美しくて目立つが、まずはキラキラの髪だ。

 今日も「赤」の入り口で出会った時、白い輝きが目に入ってすぐにクリュだとわかった。


「アダルツォにもそう言われたよ。一緒に探索をしてた時はもっと短くて、男らしかったって」

「短くすれば、遠目には気付かれにくくなるかもよ」

「そっか。わかった、そうする。コルフは髪切るの得意?」

「俺は不器用だから、任せない方がいいよ。カミルの方が多分上手くやれるし、アダルツォも器用そうだけど」


 皿をさげにギアノがやってきて、コルフはピンと来て管理人に尋ねた。


「髪を切ってくれないか、ギアノ」

「髪を? いいけど」

「やっぱり得意?」

「得意かどうかはわからないけど、チビたちの髪をよく切っていたから。慣れてはいるよ」

「よし、クリュ、ギアノに頼もう」


 追われる美青年は大人しく椅子に座り、長い髪が次々に切られて床に落ちていった。

 もったいないが、身の安全には替えられない。

 ギアノは散髪が得意だったらしく、クリュの頭はすっきりと短く、きれいに整えられている。


「どう、コルフ。これなら目立たない?」

「うん。長い時と全然違うよ。その色が目に入らなくなると、多分もっといいんだろうな」


 印象は随分変わったが、魅力はまったく損なわれていない。

 麗しい美人から、男装の美少女に変わったな、とコルフは思った。


 管理人は箒を持って来て、散髪の後始末をし始めている。

 ギアノの特技がまたひとつ判明して、次に長くなった時は頼もうとコルフは考えていた。


「ギアノ、どこだい」


 聞きなれた声がして、管理人は部屋を出て行く。 

 興味を惹かれたのか、クリュはギアノについていって、廊下に出たところで立ち止まっていた。


「おや、君はクリュか」

「こんにちは」


 やってきたのはキーレイで、短髪になったクリュに「よく似合っているね」と誉め言葉を送っている。

 えへへと笑う美青年を見て、神官長は記憶を刺激されたようだ。


「やはり、流水の神官チュールによく似ている」

「そうなんですか」

 コルフの問いに、キーレイは深く頷いている。

「私も幼かったけれど、チュール様はそれは美しい方だったから。君を見ていると、流水の神官として活躍されていた姿を思い出すよ」

 神官長は穏やかに答えたが、クリュは急に表情を曇らせて、呟くようにこう問いかけていく。

「そのチュールって神官は、なにか悪いことをしてたのかな」

「どうしてそんなことを言うんだい、クリュ」


 クリュは首を傾げて、目を閉じ、小さく唸る。

 コルフたちが黙って見守っていると、やがてぱっちりと薄青の瞳が開いた。


「誰かが言ってたんだ。俺をエルチュール・トゥレスって呼んで……、絶対に許さないって」


 物騒な台詞が飛び出してきて、神官長と目が遭ってしまう。


「誰がそんなことを?」

「わからない。ぼやっとしてるし」

「なにがぼやっとしてるんだい、クリュ」

「全部。声も、見えているものも全部、ぼやっとしてて。よく、わからない」


 クリュの記憶は途切れているという。

 アダルツォと共に乗り越えるはずだったトラブルから逃げ出した後、自身になにが起きたのかわからないらしい。

 今に繋がり始めるのは、ホーカ・ヒーカムの屋敷から解放されて以後。

 それならそのぼんやりとした記憶は、屋敷でのものと考えるべきではないだろうか?


「キーレイさん、ホーカ・ヒーカムとチュールの間になにかトラブルでもあったんですか?」

「そんな話をウィルフレドとしたことがある。実はウィルフレドも、クリュが探されていると相談してきたことがあってね」


 ヴィ・ジョンの訪問があり、クリュ探しについて聞いた美髯の戦士は、コルフ同様しらばっくれたようだ。

 ただし、問題の根本については謎のままで、二十年も前のことではさすがのキーレイにもわからないらしい。


「あのチュール様が誰かと揉めるとは思えないが」

「でも、絶対になにもなかったとは言い切れませんよね?」

 コルフの問いに、キーレイは「確かに」と頷いている。

「カッカー様ならわかりますか?」

「あまり噂などには構わない方ではあるけれど」

 でも、仲間の話だから、知っているかもしれない。

 神官長は穏やかに語り、新しい屋敷の建設現場に行けばカッカーに会えると教えてくれた。


「ギアノに頼みがあって来たんだ。明日の朝カッカー様が新しい屋敷の様子を見に来るから、リーチェたちへのお土産を作って届けてくれないかな」

「お安い御用です」


 快諾するギアノに感心して、コルフはカッカーの頼もしい表情かおを思い出していた。

 この屋敷を出てしまってから、あまり姿を見られていない。

 散々世話になり続けている大恩人であり、素晴らしい探索者であったカッカーに久しぶりに会いたい気持ちが湧き出してきて、ギアノにこう提案していく。


「そのお土産、俺が持って行こうか。カッカー様に久しぶりに会いたいし、新しい屋敷も見てみたいんだ」

「え、いいのか、コルフ」


 こんなやり取りを、キーレイはにこやかに見守っている。

 クリュはギアノにすり寄って、俺にもお菓子をちょうだいとねだって即座に断られていた。


「じゃあ今回はコルフにお願いしようかな。カッカー様への配達は時間が早くて、いつも誰かに頼んでたんだよ」

「早い?」

「早朝に届けるんだ。建設作業が始まってからだとバタバタするし、夕方じゃ都合が悪くて、朝早くに届ける約束になってる」

 配達を頼む手間が省けたとギアノは喜んでいる。


「まあ、『橙』に行くと思えばいいのか。久しぶりだな、そんなに早い時間に起きるのは」

 

 カッカーへの届け物を今更断るわけにはいかず、コルフは久しぶりの超早起きをする決意を固めた。

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