164 闇夜、濁流 4
大通りに面した食堂は思いのほか広い店で、集まった神官たちに飲み物などを振舞っているようだ。
店の中央にはレオミオラがいて、それぞれ違った衣をまとう神官たちに指示を出している。
「ダング調査官」
声をかけられ、ヘイリーも向かう。
火事の起きた現場の調査は進んでおり、建物が崩れ落ちないか、危険を確認するために建築業の者にも声を掛けているという。
「北側では六名、西側ではどうやら四名が亡くなっていたようです」
神官長は小声で祈りを捧げて、報告を続けた。
「遺体は西の墓地に運んでいる最中です。全員揃ったら、皆で祈りの時間を持とうと考えています」
「なにか、持ち物などは発見されたでしょうか?」
「いいえ。まだ、なにも」
調査官たちはまだそれぞれの現場に残って居るようなので、一度行ってみるべきだろう。
ガランと話し合い、本部から近い北の現場へ先に向かう。
火事が起きた店の辺りには入れないようバリケードが用意されているが、その手前には結構な数の野次馬が集まっていた。
彼らはひそひそとなにか話していたが、ヘイリーの姿に気付くと慌てて道を開け、調査官を通してくれた。
「ロッシ」
朝から付き合ってくれた若い調査官に声をかけると、ロッシはほっとした顔で報告を始めた。
「ここにいた者たちは、どうやら死んだ後に火をかけられたのではないかと思われます」
「死んだ後に?」
「はい。全員が一か所に集められた上で火をかけられたようだと、神官殿が」
手伝いに来てくれた神官が死者の様子を調べ、全員が積み重ねられた状態で燃やされたのではと考えたらしい。
「燃料をかけられたのではないかとも言っていました」
「なるほど」
昨夜は詳しく調べられなかったが、確かに死体は黒焦げになっていたし、崩れていた。
単純に火がついただけであそこまで燃えてしまうものだろうかと、ヘイリーも疑問に思っている。
「ダング調査官!」
声が聞こえて燃えた廃宿から出ると、強面の大男がガランの隣に立っていた。
「この辺りで建物の修繕などを請け負っておられる、ボーグラン殿です」
レオミオラが話していた、倒壊の危険を調べるために依頼された業者なのだろう。
「火事が起きたのは知ってたんですがね。ここらの建物は持ち主がいないでしょう?」
ヘイリーには真偽がわからないことで、そうなのかと考えつつ、頷いていく。
「修繕するとなると、どなたがお支払いしてくださるんでしょう」
「申し訳ないがその質問には答えられない。修繕が必要かどうかではなく、今、このまま放置していても問題ないか知りたいだけだ」
「修繕はなさらない?」
「するかどうか答える立場にないんだ。中が激しく燃えてしまったから、崩れてしまわないか、どのくらい危険なのかを確認したいだけで」
「そうですか」
「この辺りで商売をしているのかな」
「ええ。ここらの小さな宿はあんまり頑丈に作られていないんでさ。しょっちゅうガタがくるんで、そんな時はボーグランの店に一声頂ければってもんです。ささっと直して、宿の主もにっこり一安心! てな話ですよ」
ヘイリーの考えていた業者像とは違う者が来たようだが、今は贅沢は言っていられない。
ボーグランはちらちらとこちらの様子を窺っており、どう答えるのが適切か考える。
「いくら使われていない廃屋といっても、急に崩れ落ちたりすれば誰かが巻き込まれるかもしれないだろう」
「確かに、こんな奥の物件でも、見に来る物好きもいるかもしれねえですからね」
「協力してもらえないだろうか、ボーグラン。事件解決の協力者として、神殿や街の治安の為に働く優良な工務店だとこの辺りの店主たちに伝えるから」
ボーグランはふむふむと頷き、大げさに表情をころころと変えてから、仕方ないと答えた。
「お引き受けしましょうかね。なにせ王都の調査団さんがやって来て、このボーグランに頼むと言われたんだから」
「西側にももう一軒あるのだが、見てもらえるかな」
「西側? 仕方ありませんねえ。ボーグランの店は宿屋街の東にありますが、特別に出張させて頂きますよ!」
自分の名前を散々連呼して、ボーグランは焼けた建物の中に入っていった。
ヘイリーはロッシのもとへ戻り、状況の確認を進めていく。
「墓地への搬送はもう終わったのか」
「いえ、一度に載せられなかったので。もう一往復すれば完了する予定です」
死者は建物の外、「裏通り」で順番を待っているらしい。
案内されてヘイリーが向かうと、確かにそこはもう街の外で、一面の荒野が広がっていた。
王都からやって来た時は、大きな街のシルエットに気を取られていたが。
「こんなところだったんだな」
ヘイリーはぼそりと呟き、隣ではガランが小さく頷いている。
中へ戻るとボーグランが壁や天井の様子を見ており、ヘイリーに気付くと大げさに肩をすくめて「やれやれですぜ」と声をかけてきた。
「早めに取り壊した方がいいかもしれません。木でできた部分が全部焼けちまってますからね」
「そうか。では、封鎖したままにしておこう」
廃屋の管理をする者などいないだろうから、誰かが費用を負担しなければならない。
そんなことも神官たちは話し合ってくれるだろうか?
「もうひとつの現場へ向かうから、一緒に来てもらってもいいかな」
「そりゃあもう。ボーグランの店では解体も請け負っておりますよ!」
絶好の売り込みの機会だと思ってくれたのだろう、強面の大男は機嫌よく二軒目の現場にも付きあって、建物の状態の確認を早速始めている。
ヘイリーはナグを呼び止め、なにかわかったことがないか聞いていく。
「彼らはこう、重なった状態で焼けていたのですが、そのお陰で下になった者に傷があったことがわかりました」
「傷が?」
「確認できたのは一人だけですが、首を刺されていたようです」
ナグの報告に、ガランは祈りの言葉を呟いている。
「それから、どうも酒を飲んでいたのではないかと」
持ち物などはすべて焼けてしまったようだが、部屋の中には壺やカップらしきもののかけらが落ちていたらしい。
「酒を入れる壺だとわかるのか」
「かまどの神官がそう言っていたのです。迷宮都市では、水と酒で違う形の壺を使うんだとか」
「そうなのか」
こんなところで酒を飲んで、酔ったところを襲われたのだろうか?
廃屋に出入りする連中がいること自体は気付かれていたが、はっきりと見たという証言は聞いていない。
昨夜は偶然、のんびりと酒を飲んでいたのか。酔ったか寝てしまったか、前後不覚になったところを襲われた?
「話が出来すぎじゃないか」
小さく呟き、息を吐き出していく。
なにもかもが偶然なはずがない。誰かが悪意を以て、こんなにも大きな事件を起こしたに違いないとヘイリーは思う。
「こちらにも燃料が撒かれていたのかな」
「燃料ですか」
「ただ火を放ったにしては、焼けすぎではないかと言う神官がいたんだ」
ナグは頷き、可能性はあると思うと話した。
悲惨な現場を調べたからなのか、顔色は蒼褪めている。
「調査団さん、こちらの建物も早めに取り壊した方が安全かもしれませんよ!」
ボーグランが乱入してきて、もう一軒と似たような報告がされていく。
こちらも封鎖をしておく必要があるだろう。周辺に集まった野次馬にも、近くにある店の主たちにも伝えておかねばならない。
「わかった。ありがとう、ボーグラン。君の協力に感謝する」
「ボーグランがしっかりと確認したと、言って頂けるんですよね?」
「もちろんだ。この建物をどうするか話し合う時に、君の協力があったことも合わせて報告させてもらう」
「それにしても、火事が起きたんですよね」
「君も見たと話していなかったか?」
「ええ、ちらりと。大勢で水を運んでいるところなんかをね」
ボーグランは首を傾げており、なにが不思議なのかヘイリーは問う。
「いや、どうやって消したのかなと思いまして」
わざわざこう言うのは、ただ水をかけただけとは違いがあるからなのだろう。
ヘイリーも、ロウランがどうやって消火したのか不思議に思っていた。
「たまたまこの通りに魔術師がいて、協力してもらったんだ」
「魔術ぅ? へえ、そうなんですか。……奴ら、がめついでしょう。いくら請求されたんで?」
なんと返せばいいかわからず、ヘイリーは視線を逸らした。
すると隣にいたガランと目が合い、有能な助手が代わりに答えてくれる。
「申し訳ありませんが、詳しく教えることはできません」
「ひゃひゃっ! そんなに高かったかあ!」
「いえいえ、そんなことはないのですが」
ボーグランはなにを思ったのか、ガランの肩をばしばしと強く叩くと出て行ってしまった。
ナグは不安そうな目を向けており、ヘイリーは代金の請求などなかったことを説明していく。
「無料で手を貸してくれる魔術師がいるんですね」
「他言はしないでください」
ガランが注意してきて、何故なのかとナグは問う。
「無料で引き受けてくれると噂になってはロウラン様に迷惑がかかってしまいます。有料で問題解決を引き受けている魔術師から営業妨害だと思われてしまうかもしれませんから」
値段の話はトラブルのもと。ガランの話に調査官たちは揃って頷き、余計な話はしないと誓った。
外から声がして、ヘイリーたちは街の裏側へと向かう。
台車が帰って来て、神官たちが二回目の輸送をするための準備を進めていた。
「ダング調査官、お疲れではありませんか」
「大丈夫だ、ガラン。一度本部に戻るぞ。似せ書きができているかもしれないし、鍵の正体も調べたい」
「鍵、ですか」
「昨日路上で倒れていた髭の男が、鍵の束を持っていたんだ」
「束にするほど?」
「ああ。店や家をたくさん管理する立場の者なら不思議ではないが、そうは見えなかったから」
神官長たちの見解も含めて説明しながら、ガランと共に本部へと向かう。
ナグとロッシには現場の封鎖をしっかりとして、周辺で暮らす者たちにも伝えるよう頼んだ。
大丈夫と言ったが、頭が重い。体もだるいし、今座ったら眠ってしまいそうだと思える。
眠気を覚ます薬でもあればいいが、ガランに頼めば休むよう言われてしまうだろう。
ヘイリーが本部へ戻ると、神官の数はまた増えていた。
雲、流水、船からも人が来たようで、神官たちは立て札の用意をしたり、穴を掘るための道具を集めたりしているようだ。
もう昼になるからか、テーブルの上に軽食が並べられている。
調査団員に気付いたレオミオラがやって来て、休憩をとるよう声をかけてくれた。
「昨日の夜なにか見ていた者はいないか、神官たちに聞きに行ってもらいました」
勧められて食事を受け取り、食べている間に報告がされていく。
大抵の話はすべて知っていたが、最後に気になる情報が神官長の口から語られていった。
「宿屋街の奥に出入りする者の噂はいくつか聞いたのですが、三人から同じ不思議な話があったそうです」
「不思議な話ですか」
「ええ。少し前に、昼間に宿屋街の奥へ向かう悪霊を見たというものです。ダング調査官も耳にしておられますか」
「悪霊? 昼間に出るものなのですか、悪霊というのは」
レオミオラは微笑みを浮かべて頷き、その妙な噂の詳細を教えてくれた。
「血塗れの姿で、美しい剣を抱いて足早に進んでいたとか」
「剣を……、抱いて?」
「その悪霊が入っていったのが、今回火事のあった廃宿ではないかという言う者もいました」
美しい剣。
それは一体、どんな剣なのだろう?
自分を打ちのめした悲劇と、それを招いた不穏な噂。
妹は知らないと言ったが、迷宮都市を発つ前に、迷宮で見つかる貴重な剣を持っていたという。
ヘイリーの心はぐるぐると一気に渦巻いて、激しく揺れ動いていった。
昨日の夜出くわした大変な事件について調べるためにここにいるのに。
「どうなさいました」
「すみません。少し、待って頂けますか」
ガランに水を一杯持ってくるよう頼み、ゆっくりと息を整えていく。
血塗れで、剣を抱いて歩いていた「悪霊」。
まだわからない。なにもわかっていない。決めつけてはいけない。けれど、心の底に出来た暗い渦を止められない。
「ダング調査官、水です」
カップを差し出しながら、ガランは心配そうに調査団員の顔をのぞき込んでいる。
「もう休まれてはどうですか。あまり無理をされては体に障ります」
「そんなことを言える状況ではない」
「でも、大変な事件ではありませんか。彼らを埋葬するだけなら今日で済みますが、なにが起きたか調べるにはきっと、一日や二日では足りませんよ」
「だが……」
「なんです?」
助手にまっすぐに見つめられて、ヘイリーは答えに詰まった。
自分がこの後も捜査を任せられるのか、続けられるのかわからない。
後は神官たちに任せろと言われたら、引くしかなくなってしまう。
「似せ書きが出来上がりました」
悩める調査団にはお構いなしに時は進んで、雲の神官が現れる。
アダルツォの隣には立派な神官衣を着た壮年の男性がおり、ガランが「神官長様です」と囁いてきた。
ヘイリーが立ち上がって挨拶をし、ゲルカも名乗る。
「新しく来た調査団員だそうだね」
ゲルカ・クラステンは目をきらりと輝かせながら、ヘイリーの手を強く握った。
「熱心に街の見廻りをしていると聞いたよ」
「ええ、その」
「君の正しい行動に、雲の神の恵みがあるように」
自分と調査団の働きについて、思うことが山のようにある。
けれどゲルカは言葉を求めず、アダルツォが描き上げた男らの絵を差し出し、ヘイリーたちに見せた。
「ああ、君は本当に絵が得意なんだな」
小柄な神官はほっとしたようで、口元に笑みを浮かべている。
「これは今日集まった神官で見て、知っている者がいないか確認しようという話になった」
ゲルカはアダルツォの隣に立ち、「この後」について語る。
「鍵の束を持っているということで、不動産業の者たちにも確認すべきではないかとキーレイ殿が言っていてね」
なので似せ書きは不動産業者にも回覧されるらしい。
髭の男はまっとうな仕事をしていたかもしれないのだから、確認はされるべきだろう。納得して、ヘイリーは頷いている。
「どこの建物のものなのかについても、協力してもらえるでしょうか」
「キーレイ・リシュラの要請となれば、断るのは難しいだろう」
半分くらいは冗談のつもりだったのか、雲の神官長はにやりと笑っている。
「もう少ししたら遺体の搬送が終わるだろうから、手の空いている者は皆、西門に集合する予定になった」
君たちも来てもらえるだろうか。
ゲルカの問いに、ヘイリーとガランは揃って了承していく。
「ショーゲン殿はどうかな。君たちを派遣してくれたのなら、今回のような問題に調査団も力を貸そうと考えておられるだろうか」
この言葉には、なんと答えるべきかわからない。ヘイリーは悩み、ガランは神官長と調査団員の間で視線を彷徨わせている。
そんな態度をどう思ったのか、ゲルカは両手を大きく広げると二人の肩を力強く叩いた。
商人たちが雇っている用心棒は、盗みを働いた者を叩きのめすだけ。
神官は救いを求めてやってきた者に寄り添い、話を聞いて祈るだけ。
雲の神官長はそう囁き、悪事を働いて逃げおおせた者、繰り返す者を取り締まる存在が欲しいと続けた。
ヘイリーとガランに直接訴えるわけではなく、まるで独り言のように、そんな役割を引き受けてくれる者がいれば、と呟いている。
「わかりました。一度調査団に戻って、話をしてから西門で合流します」
調査団員の言葉に、ゲルカは静かに頷いている。
「戻られるのですか、ダング調査官」
「ああ。報告もしなければならないだろう」
ナグとロッシももうすぐ戻ってくるだろうが、ショーゲンへ話すなら早い方がいい。
ヘイリーはそう考え、ガランに二人と共に戻るように言って、一人で調査団へ急いだ。
睡魔に襲われながら歩いていると、昨日からの出来事が次々に思い出されていった。
路上に倒れた二人の男と、燃える家。闇の中に浮かぶ赤い光と、手を差し伸べてくれた美しい魔術師。
炭と化してしまった誰かの無念を晴らしてやりたい。けれど、「悪霊」の正体も気にかかる。
白昼堂々、血塗れの状態で街を歩くなど、正気とは思えない。本当に悪霊ならば、普通なのかもしれないが。
けれど――。
ずっと抱え続けている胸の痛みに耐えながら、街の西側へ。
迷宮都市の人ごみにも随分慣れてきた。調査団の制服を見たものは大抵道を譲るので、ヘイリーはすいすいと道を進んで、職場へとたどり着いていた。
昼食のためにどこかへ出かけているのではと心配していたが、ショーゲンは団長室にいたし、戻って来た勝手な団員に椅子に座るよう促している。
「調査は進んだかな」
「はい。……すべてが関連した事件かどうかはまだはっきりしていませんが、昨日の夜北東の宿屋街で発見された死者は十二名もいました。二人は路上で争った末に死亡しており、火事の現場からそれぞれ六名と四名が見つかっています」
昨夜現場に駆けつけてから見たもの、知ったことについてざっと説明をすると、ショーゲンはなるほどと頷き、大きなため息を吐き出した。
「雲の神官長から呼ばれていてね」
「話し合いに行かれるのですか」
「最近調査団が変わってきたようだし、街の今後について一緒に考えてほしい、そうだ」
嫌みったらしい言い方だが、ショーゲンは出かける支度を既に済ませているようだった。
服装はきっちりと整えられており、ゲルカは断れないような言い方をしたのかもしれないとヘイリーは考える。
「この後、西門に集合して、被害者を埋葬すると聞いています」
「わかった。君はもう休みたまえ。ろくに寝ていないのだろう?」
「私も行きます」
「急な招集だが、すべての神官長が集まる正式なものだ。君は勝手に騎士団から離れ、勝手にこの調査団に入った。正式な団員になる手続きはまだ終わっていない」
だから、ヘイリーは連れていけない。
ショーゲンは背後の小机に置かれていた手紙を取って、新入りへ差し出している。
「これに署名でもすればいいのですか?」
「それは手紙だよ。君の両親からだ」
ヘイリーが正式な団員になるために必要な手続きは、あと二、三日もすれば完了するだろうと団長は言う。
両親からの手紙は王都の騎士団に預けられたもので、「ホーナーという名の騎士がわざわざ届けてくれた」と伝えられる。
「ホーナーが……」
「ついさっきのことだ。君に会いたかったようだが、勤めがあるからと帰っていったよ」
父の名が書かれた封筒を受け取ったまま黙りこくるヘイリーに、ショーゲンは語りかける。
「ガランは事件の全容を知っているのかな」
「はい、共に働いてくれましたので」
「では、問題はないだろう。とにかく君は少し休みたまえ。がむしゃらに動き続ければいいというものではない。しっかり食事をとって、両親に手紙を書いて送ってやるといい」
「私は」
「命令だ、ダング調査官。今は休め」
「ではせめて、埋葬には立ち会わせて下さい」
ショーゲンは渋い顔をしたものの、墓地への同行は許可してくれた。
制服の乱れがないか確認するよう言われ、鏡の前に立ち、髪を整えて玄関へと向かう。
街の西門の外側の景色も、初めて目にしていた。
宿屋街の向こう側と同じで、彩りのない荒れた土地が一面に広がっていて、寒々しい気分になっていく。
けれどそこに神官たちが現れると、景色は急に変わった。
九種の衣を身に着けた神官たちは、長たちに導かれ、荒れ地の先へと向かって歩いていく。
荒野には既に穴が掘られていたし、遺体は穴の底に並べられていた。
真っ黒に焦げて正体のわからない誰かは、土をかけられて見えなくなっていく。
神官長たちは一人ずつ、死者の魂が神のひざ元へ辿り着くよう祈りを捧げていった。
あの髭の男と、争っていた誰かも土をかけられ、景色は再び荒野に戻されていく。
彼らは何故死んだのだろう。
まだなにもわからない。真実はほんのかけら程度しか見つかっておらず、もうヘイリーの手に届かないものになろうとしていた。
ショーゲンとガラン、ナグたちを見送り、一人寮へと戻る。
手紙を運んできてくれたホーナーの顔を思い出し、友人がどんな気分でやって来たのか、ヘイリーは考えていた。
同情していたか、仕方なく届けてくれたのか。わからないし、知るべきかどうかすら悩ましい。
両親からの手紙は簡素なもので、二人が父の兄弟の暮らす街へ辿り着いたことと、なにかあった時には伝えてほしい旨しか書かれていなかった。
制服を脱ぎ捨て、ベッドに身を投げ出す。
頭はぐるぐると廻っているのに、体は眠りの波にさらわれて、深いところへ落ちて動かなくなっていった。
「ダング調査官」
扉を叩く音と自分を呼ぶ声にふいに気付いて、ヘイリーは飛び起きていた。
窓からは朝の光が差し込んでおり、聞こえているのがガランの声だとわかって扉へと向かう。
「おはようございます。よく休まれましたか」
「ああ。すっかり寝入っていたようだ」
肌着姿のヘイリーにガランは小さく頷き、そろそろ朝礼の時間だと教えてくれた。
調査団では時々、朝集合がかかることがある。いつもたいした話はないが、今日はさすがに違うのではないか。
そんな期待を胸に身支度を整え、髪を撫でつけて部屋を出る。
団長の部屋へ向かうと、まずはショーゲンのうんざりとした顔が目に入った。
神官長たちの集まりに駆り出されて、なにを言われたのだろう。
なんにせよ、面倒な話になったと思っているに違いなく、胸のうちに期待が膨らんでいく。
やがて全員が集まり、最初に告げられたのは「ヘイリー・ダングが正式に調査団に加入した」ことだった。
急いでもらえたのか、昨日の話が適当だったのかはわからない。
なんにせよ、手続きは終わり、もう騎士団へは戻れなくなってしまったことだけが確かだった。
「よろしく頼む、ダング調査官」
正式に加わる前から、呼び名は変わっていない。
チェニーからそのまま引き継いだと思われていたのかもしれない。
妹について思いだすと、胸が苦しかった。
大きなつかえを抱えたまま、他の調査団員たちに向けて頭を下げ、ヘイリーも挨拶を済ませていく。
「さて、聞いていた者も多いかもしれないが、一昨日大きな事件が起きた」
ショーゲンは火事が二か所で起きたこと、死者が多く出たこと、街のあちこちに廃屋があり、そこに出入りする不審者がいることなどを話している。
「昨日、神官や周辺の店主たちの協力のもと、打ち捨てられたままの店舗や宿などの捜索が行われた。そして廃屋のひとつで、五人の男が死んだ状態で発見された」
この新たな報告にヘイリーは驚き、他の団員同様絶句している。
団長は右手をさっと挙げてどよめく部下たちを鎮め、新たな仕事を請け負ったことを報告していく。
「この街は随分大きくなった。君たちにはわからないだろうが、この十年で随分と人が入って来て、暮らす者はかなり増えたのだ」
人が増えれば犯罪も増える。
それはショーゲンの考えでもあり、神官たちが懸念していたことでもあるらしい。
団長は額を抑えてため息を吐き出したが、もともとは騎士であった頃の光を瞳に取り戻したようで、強い視線でひとりひとりを見つめながらこう続けた。
「まだ、なにも決まってはいない。調査団は迷宮を歩き、どのようなものか調べるためのものだ。だから我々は、王都の治安を守る時と同じような役割は持っていない」
しかし、皆王都の騎士であったり、兵士として働いていた者だから。
「牢屋もなく、罪人を裁く法もない。だが、考え直す時が来た。変わるのはこれからだが、決まるまでただ待つわけにはいかない。これからは街の安全を守るべく、神官たちに協力していく」
「協力ですって?」
誰かのあげた声に、団長は静かに頷いている。
「既に勝手に実行している者がいるようだが、北側半分の見廻りを引き受けた。王都から派遣されてきた者が制服姿で歩いているだけで、効果はあるだろうということでね」
これまでにも、見廻りの仕事はあった。ガランからそう言われていたが、まともに実行されていなかった。
これからは全員で分担して、なにか起きれば対応する。ショーゲンからされた宣言は、ヘイリーの暗く染まった心を光で照らしていった。
見廻りの当番の担当は勝手に組まれていたらしく、各自で確認するよう伝えられて朝礼は終わった。
最後の一人として残ったヘイリーに、ショーゲンが近づいてくる。
「満足かね、ダング調査官」
嫌みたっぷりで言われて、ヘイリーはなんと返せばいいのか迷う。
「冗談だよ。すべて神官長たちに仕組まれていたことだ。まったく、神官たちに束になられてはかなわんな」
面白くもなさそうにふんと笑って、ショーゲンはヘイリーへこう伝えた。
「南側は成功者たちの住むところだ。あちらにはあまり行かないでくれ」
「わかりました」
「魔術師街は歩いてもいいが、あそこの住人とは揉めない方がいい。我々とは違う人種だ。話が通じる者もいるが、通じない者もいる」
手を貸してくれた麗しい魔術師はきっと、通じる者のうちの一人なのだろう。
ガランの話も思い出し、心に刻んでおくべきだろうと調査団員は考える。
「昨日発見された死者についてはどうするのですか」
「なにも残っていないらしい。五人の男が死んでいた以外、なにもな」
火事が起きた二軒と関連があるかどうかはわからない。
ショーゲンはそう話したが、ヘイリーに目を向けるとこう続けた。
「現場は東門の近く、酒場が多く並んでいる辺りだ。神殿が近いからか、石の神官長が調査をすると言っていたよ」
「モール神官長ですね」
「すべての神殿が同じ考えでいる訳ではない。君が調査をするのは構わんが、見極めはしっかりとしたまえ」
「よろしいのですか」
「代わりに必ず報告をするように。大きな事件に繋がるようなら猶更だ。なにもかも一人で解決しようとしてはいかん」
性質の悪い連中もいるのだから。
ショーゲンの言葉にヘイリーは素直に頷き、礼を告げる。
「おかしな話だな。礼を言われるなんて」
「……申し訳ありません」
「仕方がない。調査団をろくでもないものにしたままでいたのは私なのだから」
団長はなにか言いかけたが、結局口を噤んだまま去っていってしまった。
ヘイリーも団長室から出ると、廊下にはガランがいて駆け寄ってきた。
「ダング調査官、ショーゲン様からなにか言われましたか?」
「調査をしても良いが、一人で抱え込まないよう注意された」
「では、団長も前向きに考えておられるのですね」
「昨日の話し合い、ガランも参加していたのか」
「はい。ダング調査官が調べたことをお伝えする為に同席していました」
神官長たちの意見は大体三つに分かれていたとガランは言う。
街の治安がこれ以上悪化する前になにか手を打とうと考えているのは、樹木と雲、石、皿の神官長たち。
今のままで十分ではないかと楽観しているのが、かまどと車輪、鍛冶の神官長。
神殿だけで決めるべきではない、勝手に動かない方がいいと主張したのは船と流水の神官長らしい。
「雲の神官長であるゲルカ様と、石の神官長のレオミオラ様がうまく立ち回って、ショーゲン様に約束を取り付けました」
「あのお二人か」
「神殿のある位置も関係しているのでしょう。トラブルが多いのは探索初心者が集う北側の方だから、そちらを重点的に見守ることから始めないかと」
調査団の制服姿は、初心者の若者たちに威力があるものだから。
特別に手出しをしなくとも、いてくれるだけで十分だから。
こんな主張を繰り返し、反対派の意見をうまくかわした上、ショーゲンの協力を取り付けたようだ。
「事件については?」
「火事ですべて焼けてしまって、被害者が誰かすらわからないのでは解決しようがないと話はまとまったのです。その後、もう一軒で事件が起きていたことがわかりました。これは、話し合いが終わった直後に判明したんです。ちなみに不動産業者への似せ書きの確認はまだ終わっていませんし、鍵だけでどこのものかわかることはないだろうとも言われています。死者が見つかったのは偶然で、神官たちが調査のために歩いていたところに、誰か出入りしていそうな建物があると宿屋の主人からの情報があって、念のために覗いてみたら……という話でした」
新たに見つかった死者は、石の神殿が調査に当たり、埋葬も済ませる予定だという。
「ガラン、君は情報をまとめるのが随分得意なのだな」
「へ? そうでしょうか。しっかりお伝えしなければとは思っていますけれども」
必要な情報が簡潔にまとめられて、すっきりと理解できる形で伝えられている。
なかなかできることではないとヘイリーが褒めると、下働きの男は照れたようで顔を赤く染め、もじもじと身を縮めた。
「いえいえ。それよりダング調査官、あなたのお陰で歴史が動きました」
「歴史?」
「調査団が変化しようとしています。見廻りをしたり、人々の相談に乗ったり手を貸したり、活動をしてきた成果です」
「そんなことはないだろう。まだ来て日も浅いし、たいした活動は」
「実は、あなたに触発されて見廻りを始めた団員が他にもいたんです」
ガランの言葉に、ヘイリーは驚いている。
そんな調査団の変化が噂され、神官たちの説得の材料になったと伝えられたからだ。
「皆あなたほど精力的に活動している訳ではないのですが。でも、団長から指示が出たのです。これからはもっと積極的に動き始めるはずですよ」
うきうきとした様子のガランに、ヘイリーは目を伏せている。
調査団が変わるのなら、誰かの役に立つ組織になれるのは喜ばしいことだ。
けれどここへやって来た理由を思い出すと、胸が苦しかった。
曖昧だった身分ははっきりとして、騎士団の人間ではなくなってしまった。
両親は今、なにを思っているのだろう。
たいしたことの書かれていなかった手紙に、責任を感じている。
もう少し二人に寄り添って、チェニーを思う時間を共に持つべきだったのかもしれない。
怒りややるせなさに突き動かされて、衝動的に迷宮都市へやって来てしまったけれど。
「ダング調査官、どうかなさいましたか」
「なにから手を付けるべきかと考えていただけだ」
「確かにそうですね。たくさんのことがいっぺんに起きたようですから」
火事、争い、新たな死体。
石の神殿へ行くべきだろうが、「悪霊」の噂についても調べたい。
そういえば、ギアノは剣の行方を確認してくれたのだろうか。
留守にしていたという薬草業者に会ったのか聞いておきたいし、事件に素早く対応してくれたキーレイにも礼を言うべきではないか。
もしかしたら、会えるかもしれない。
あの夜、随分遅くに帰ったはずなのに、朝早くからキーレイは動きだしていたようだから。
あんなにも短い時間の間にわざわざ事態を伝えに行ってくれたであろう、あの美しい魔術師にも。
「ロウラン様にもお礼をしておきたいですね、ダング調査官」
ふいにガランがこう言い出して、ヘイリーはなぜかどきりとしている。
「あの方が手を貸して下さらなかったら、どうなっていたかわかりません」
確かに、ロウランがいなければ火事がいつ収まっていたかわからない。
燃え広がって、被害者が増えていた可能性もあっただろう。
皿の神殿に助力を求めなければ、その後の展開も随分違っていたはずだ。
「そうだな」
礼など不要だと魔術師は言ったが、また会いたいとヘイリーは思っている。
あの大きな瞳に見つめられ、名を呼ばれたいと心の底で願っていた。
そんな思いはしかし、今はしまっておくべきだろう。
「まずは石の神殿を訪ねよう。モール神官長にも随分力を貸して頂いた」
「そうですね。発見された五人についても調べておられるでしょうし、なにか手掛かりがあるかもしれません」
一連の事件がすべて繋がっているのか、何故そんなことが起きたのか。
解明できるかどうかはわからない。
けれど、機会が巡ってきた。
妹の為にやって来た迷宮都市だが、それ以上の働きができるのかもしれない。
悲しみや嘆きに落とされた人々を救い、悪事を未然に防ぐような存在になれたらいいとヘイリーは思う。
そんな未来を掴めれば、この人生にもきっと意味を見出せるだろう、と。
「しっかり朝食をとりましょう、ダング調査官」
廊下を足早に進みながら、まずは石の神殿を訪ねると決めて、二人は調査団の食堂へと向かった。




