163 闇夜、濁流 3
灯りを掲げながらそっと建物の中を歩いていく。
背後には美しい魔術師がついてきており、腕を高く上げて周囲を照らしてくれているようだ。
床が特にひどく燃えたようで、真っ黒になっている。
中に濡れた気配はなく、どうやって火を消したのかは想像がつかない。
「思いのほか燃えたようだな」
ロウランの呟きに小さく頷きながら、黒焦げになった部屋の様子を見渡す。
二階に続く階段はかろうじて形を留めているが、登れるかどうかはわからない。
入ってすぐの部屋にはなにも置かれていなかったのか、焦げた床の上にはなにもないようだ。
店だったのか宿だったのかは知らないが、誰も使っていなかったのなら当たり前なのだろう。
「奥の部屋を見てみましょう」
魔術師に声を掛け、ゆっくりと進んでいく。
「足元に気を付けてください」
「ああ」
魔術師の手助けがなければ、中の様子など見られなかっただろう。
偶然の出会いに感謝しながら、ヘイリーはそろそろと歩みを進めていく。
奥へと続く扉はやはり黒焦げになっており、調査団員は足の先で何度かつついてから、強く蹴り飛ばして扉だったものを壊した。
中は真っ黒に染まっていて、最初の部屋よりも激しく燃えたように見える。
ヘイリーが足を踏み入れ、灯りを高く掲げて中を照らすと、大きな部屋の真ん中辺りには黒い炭でできたような山があった。
山を形作るいくつかの黒い塊。
嫌な形の正体にあっという間に気付いて、ヘイリーは全身を震わせている。
「まさか……」
「どうした?」
「魔術師ロウラン、止まって下さい。見ない方が良い」
勝手に寝泊まりしているとか、見られると不都合な物を隠していたとか。
廃屋が燃えた理由はそんなものだと思っていたのに。
部屋の真ん中に積み上がっている物は明らかに人の形をしていて、ヘイリーの想像を超える惨劇が起きたことを物語っている。
「死体か」
「そのようです」
眉をひそめた美しい魔術師を促して、外へ出る。
黒焦げになった死体は一人や二人分どころではなく、助力が必要だった。
外に出ると路地にはまだ野次馬がちらほらと残っていて、迷宮調査団の男の登場にみんな背筋を伸ばしている。
「すまないが、この道を塞ぐ手伝いをしてもらえないか」
「なにかあったんですか?」
「ああ。誰も出入りしないようにしなければならない。もう一件の火事の現場を見に行かねばならないんだ。協力してもらえないだろうか」
若者たちは顔を見合わせると、わかりましたと口々に答えて、道を塞ぐために使える物を探し始めたようだ。
もう、道に落ちている二人の死体だけを先に運ぶわけにはいかなくなってしまった。
夜の遅い時間帯であることが恨めしい。
王都のように治安を守る専門の人間がいればと思うが、ないものは仕方がない。そうわかっているが、やるせない。
「ヘイリーよ、この男らも少し奥に運んではどうだ」
「確かにその方がいいでしょうね」
スタンと名乗った男たちの死体は誰かの店のすぐ前に転がっていて、店主はさぞかし不安な気持ちでいるだろう。
若者たちはちらちらと視線を向けており、気になってはいても、運べと言われるのは嫌に違いない。
ガランが戻ってきたら、二人でやるしかないとヘイリーは考える。
「そこの背の高いの。そう、お前だ。それに、そっちの。良い体をしているな」
ヘイリーが思い悩んでいるのを察したのか、ロウランが大柄な若者に声をかけ、死体を運ぶよう指示を出していた。
「力を貸してくれ。この髭の男は重たいだろうが、お前らならば大丈夫だ」
魔術師は大きな目を細めて若者たちの腕を撫で、大変な仕事だろうが頼むと声をかけている。
美しい女性に触れられて気を良くしたらしく、声をかけられた二人はスタンの手足を掴んで持ち上げ、奥の暗がりへ運んでくれた。
「嫌な仕事を頼んでしまってすまない」
「いやいや、調査団さんのお役に立てるならこれくらいなんてことありません」
視線は明らかにヘイリーには向いていないが、そんなことはどうでもいいだろう。
美女にいいところを見せようと思ったのか、他の若者たちもきびきびと道を塞ぐ作業を進めている。
「ここはもう良さそうではないか、ヘイリーよ。もう一か所の現場を見に行こう」
「まだ付き合って下さるのですか」
「火を消したのは俺だからな」
魔術で火事を収めた場合、魔術師にしかわからない注意事項でもあるのだろうか。
自分では判断のつかないことがあるのなら、共に来てもらった方が安全なのかもしれない。
「わかりました。こんなに遅い時間まで、本当にありがとうございます」
「何度礼を言うつもりだ。もういいぞ」
少し前まで、王都で騎士として働いていた。
そろそろお前も年頃だからと縁談の話が持ち上がり、引き合わされた女性がいたことをヘイリーは思い出している。
この話は潰れてなくなり、そう告げられた時は胸がひどく傷んだものだった。
彼女と引き合わされた時、なんと可憐な娘だろうと思った。もう二度と会わないだろうと思うと、悲しかったし苦しかった。
けれど今、もうどんな顔だったか思い出せずにいる。
隣で笑う魔術師があまりにも美しすぎて、思い出はぼんやりと霞んで今にも消えてしまいそうだった。
「ガランが戻って来た時、誰もいないと困るかもしれません」
「そうか? あの男なら、もう一つの現場に行っているとちゃんと気付くのではないか」
なんとか目を逸らしたのに、結局また視線が向いてしまう。
ロウランはまっすぐに調査団員を見つめて、ヘイリーの助手をこう評した。
「気の利く男のようだから大丈夫だ。勝手な真似もしないだろうよ」
確かに、ガランは勝手な真似をしない。一人で判断せず、必ず指示を仰いでくる。
神官たちに声をかけて台車まで用意するのなら、すぐに戻ることもないかもしれない。
「あなたの言う通りです」
「では行こうか」
手伝ってくれた若者たちへ再度礼を告げて、二人でもう一つの火事の現場へ向かう。
今いる現場は安宿街の西の端で、もう一か所は北側の細い路地の先だ。
小さな宿が作る狭い道を二人で歩いて抜けていく。
野次馬たちもそれぞれの宿に戻ったのか、道の上に残っている者は少ない。
火事が起きたと知らされて最初に向かったのは、北の現場の方だ。
周辺に落ちていたがらくたにも燃え移ったようだが、営業をしている宿まで火は来なかったようで、宿の主人たちもほっとしているだろう。
看板を掲げ、外に灯りをともしている宿が途切れて、その先は暗闇に包まれている。
闇の手前は木の棒などで作られたバリケードがあり、人が通れなくなっている。
「あ、調査団さん」
一番奥の店の宿の主人が待っていて、ヘイリーに声をかけてくる。
「協力ありがとう。これから少し、中を調べる」
「あの……、奥にはいくつも使っていない店舗が残されていて、たまにこそこそと入り込んでいた奴らがいたようなんです」
「人相などはわかるかな」
「いやあ、出入りしてる気配があるってだけで、はっきりと見た訳ではなくて」
もっと大勢に聞いてまわれば、見かけた者もいるかもしれない。
けれど、どんな活動をするにも夜が明けた後からになるだろう。
宿の主人に戻るように言って、バリケードを乗り越え、魔術師に手を貸していく。
「大丈夫ですか」
「この程度どうということはない。ここまで長い旅をしてきたのだからな」
「あなたはどこからいらしたのです?」
「言っても、お前は知らんだろうよ。遠い遠い西の果てから、長い時間をかけてやって来たのさ」
ロウランは障害物を乗り越え、ひらりと着地してヘイリーの隣に並んだ。
妻として迎えようと思っていた女性とは、似ても似つかない。
上品で、恥ずかしがりやで、笑う時は口元を抑えていて、奥ゆかしいところが良いと思っていたのに。
今は目の前の魔術師の力強い振る舞いに心が惹かれている。
「中に入っても平気でしょうか」
「ああ、大丈夫だろう。扉は焼け落ちてしまったようだな」
石造りの建物に、ぽっかりと黒い穴が開いている。
四角い口の中に入るとやはり中は黒く染まっていて、入ってすぐの部屋にはなにも残っていない。
「奥に部屋があるようです」
嫌な記憶が蘇り、足が竦んでしまう。
同じ日に、同じ地域で、誰かが打ち捨てていった廃屋で火事が起きた。
単なる偶然であってほしい。ヘイリーは願ったが、奥に進むとまた同じ光景が広がっていた。
「なんてことだ」
黒く焦げた塊。人のような形に見える。それとも、違うのだろうか。
違っていてほしいが、わからない。
「また誰か死んでおったのか」
「……どう思われますか?」
一軒目では見ない方がいいと言ったのに、思わず意見を求めてしまう。
ロウランは塊のそばに進んで灯りを近づけ、美しい瞳を瞬かせながら答えた。
「これは人だろう。激しく焼けたせいで崩れてしまったのではないか」
灯り代わりの木の棒で、ここが足、ここが体と魔術師の見解が示されていく。
女性らしからぬ豪胆な精神に感心したし、言われてみれば納得するしかなくて、ヘイリーも頷いている。
「もう一つの火事の現場と関係あるでしょうか?」
「状況はまったく同じだ。無関係とは思えんな」
「そうですよね」
「恐ろしい事件が起きたものだな、ヘイリーよ」
さっき出会ったばかりなのに、魔術師の呼びかけは気安い。
けれどちっとも嫌ではなく、むしろ親しげな態度は喜ばしいくらいだとヘイリーは気付いていた。
「あちらと合わせると相当な人数になる。お前とガランだけでは手に負えまい」
「はい、他に協力者が必要です」
「神殿に力を借りるなら、長に声をかけた方が良いぞ」
正式に頼んで、助力を仰げとロウランは言う。その通りだと納得して、ヘイリーは頷いて答えた。
「彼らを弔ってやらなければいけませんし、明日いくつか神殿を訪ねてみます」
死体は焼けているどころか、崩れて何人分なのかすらわからない。
もう、どこの誰だか知る術はないだろう。
せめてこんな真似をした無法者が誰なのか知りたいが、自分の力でやれるかどうか、自信がなかった。
「魔術師ロウラン、本当にありがとうございました」
「たいしたことはしておらん。もっと手伝ってやりたいくらいだがな」
「さすがにこれ以上あなたの手を煩わせるわけにはいきません」
「そうか?」
「実は、私も一人で出てきたのです」
調査団が動く可能性はあまり高いとは思えないが、報告せずに続けるのも良くないだろう。
こんな風に大きな事件が起きた時、誰がどう始末をするのか。
迷宮都市の流儀は、まだわからないのだから。
「大きな事件のようですから、協力者を探して、解決していきます」
二人が揃って現場を出ると、道の先からガランが走ってくるのが見えた。
「ダング調査官!」
「ガラン、よくわかったな」
「あちらにいた若者が教えてくれまして」
自主的に「見張り」を続ける若者がいて、情報を伝えてくれたようだ。
「皿の神官が手を貸してくれまして、今、台車に二人を載せています」
「ガラン、実は焼けた建物の中にも死んでいる者がいたんだ」
「え、中にも?」
「それも、一人や二人じゃない。あちらだけではなく、ここにもいた」
「ひぃ……、そんな、なんて恐ろしい」
ガランは手を組んで、大地の女神への祈りの言葉を呟いている。
「さすがに団長に報告せねばならない。神殿の助力ももっと必要だ」
「そうですね。いやはや、なんてことでしょう」
「あの道の上に倒れていた二人は、すぐに埋葬しないようにしなければ。少し調べたいからな」
「埋葬しないとなると……、神殿で預かってもらえますかね?」
「わからない。頼んでみるしかないだろう」
ガランの顔は真っ蒼に染まっていて、めまいでも起こしたのか頭を抑えている。
ただの下働きに頼むには仕事が大きすぎるが、ヘイリーはふうと息を吐き出し、この夜最後の願いを伝えた。
「ガラン、魔術師殿を送り届けてくる。神官殿に指示を伝えてもらっていいか」
「ああ、そうですね、確かにそうされた方が良いでしょう。ロウラン様、手を貸して下さって本当にありがとうございました」
「ふふ、律儀なのだな、二人とも」
美女の微笑みの力なのか、ガランの顔色は少し良くなったようだ。
ロウランはヘイリーの申し出を受け、深夜の道を二人で歩くことが決まる。
凄惨な事件に立ち会った後で、会話はほとんどないまま魔術師の家に辿り着いてしまった。
黒い石を積んだ家は小さく、おそらく売家と呼ばれるものだろうとヘイリーは考える。
「あまり無理をするなよ」
魔術師は最後まで麗しいまま、微笑みを残して家の中に消えてしまった。
このまま眠れば良い夢が見られるに違いないが、ガランを残したままでは帰れない。
疲れた体に鞭を打って街の北東へ向かい、力を貸してくれた神官たちと話してから、ようやくヘイリーたちは寮へと戻った。
次の日。早い時間に起き出したせいで、頭が重い。
けれどヘイリーは急いで着替えを済ませると、団長の部屋へと向かった。
迷宮調査団団長であるショーゲンは面倒なことは嫌がるが、起きる時間は早い。
こっそりと遊びに行くことも多いが、早い時間に出かけて戻ってくるので、朝は必ずしっかりと起きて一日を始めるのだと聞いている。
昨日の夜起きた事件について報告すると、ショーゲンはあからさまに顔を歪めた。
だが、放っておいて良い事態ではないと、ヘイリーは我慢強く説明していく。
突発的に暴力が振るわれ、人が傷つくようなことはそれなりに起きる。簡単な事件ならば、周囲の者が止めたり、用心棒が取り押さえて片が付く。
だが昨夜起きたのはそんな単純なものではない。犠牲者の多い「大事件」だ。
「どれほどの人命が失われたのかしっかりと調べて、どう始末をつけるのか考える必要があります」
最初のうちは「神殿に任せればいい」と言っていたショーゲンも、さすがに放っておけないと思ったらしく、反対意見はいつの間にかなくなっていた。
「私は昨日、現場にいた若者たちに話を聞きました。二件の火事が起き、何人もの死者を発見しています。路上で争いが起き、死んでしまった二人の男がいたことも把握しています」
「わかった、わかった。では、君に任せよう」
「よろしいのですか」
今から現場に行った者たちだけでは戸惑うに違いないし、全体を理解している者がいた方がいいに決まっている。
団長はそう呟き、二名の団員を連れて行くよう話した。
ガランの姿をまだ見ていない。いつもならばきちんと起きる男だから、きっとひどく疲れているのだろう。
普段から団員たちのための様々な仕事をこなしているのに、深夜まで付き合わせて、申し訳ないことをしてしまったとヘイリーは思う。
二人の団員、ナグとロッシを連れて、現場へ向かいながら事情を話した。
ヘイリーの説明に二人は困惑していたが、少しずつ事の重大さが理解できてきたようで、今は真剣な顔で共に歩いてくれている。
まずは安宿街の奥へと向かおうとすると、神官の集団が目に入った。
協力してくれた皿の神官だけではなく、なぜか樹木の神官衣を着た者が混じっている。
「あ、調査団の方」
皿の神官に声をかけられ、互いに名乗っていく。
樹木の神官に目を向けると、まだ若いであろう二人はそれぞれロカとシュクルと名乗り、神官長に言われて手伝いに来たと話した。
「神官長は後から参ります」
樹木の神官長が何故今回の事件についてもう知っているのか、尋ねてみたがそこまではわからないようだ。
安宿街の朝は大勢の若者で賑わっていて、調査団と神官の作った小さな集団を物珍しそうに見つめている。
彼らは珍しい集団からは距離を取り、興味を惹かれつつも黙って去っていく。
「現場は二か所。どちらも廃屋だったところで、火事が起きて焼けています」
その中に死者が何人もいると話すと、神官たちはそれぞれに祈りを捧げ、ヘイリーも手を組んで付き合う。
「昨日は夜だったし、人手がなかったので詳しい調査はできていません」
なのでなにか焼け残っている物があれば、回収してほしい。
廃屋も気になるが、外に倒れていた二人についても詳しく調べたい。
ヘイリーは自分がなにを担当するか考え、ナグとロッシに一軒ずつ担当してもらい、遺体の搬出と中の捜索を進めるよう頼んだ。
「遺体はどうしましょう」
「西の墓地に埋葬するしかないだろう。なにか持ち物が残っていたらいいのだが」
「調査団さん。遺体を運ぶのなら、裏通りを使ってはどうでしょう」
「裏通り?」
「いや、通りというほど立派なものではないのですが。火事が起きたのはかなり奥の方なんですよね」
ヘイリーが場所を説明すると、それなら裏側から行った方が良いと皿の神官は話した。
「もう街の外と言った方がいいかもしれませんが、宿の向こう側も通ることができるんです」
「なるほど」
「大廻りになるので時間はかかるかもしれませんが」
店が営業している狭い通りを、遺体を載せて運ぶのはどうかと思っての提案なのだろう。
台車の数は少ないから、何回か往復する必要がある。人目の多い狭いところを通り抜けるのは、できれば避けたいことだと思えた。
「時間はかかっても構いません。外側を通るようにしましょう」
助言に感謝して、門を出て街の外側から行く計画を立てていく。
神官たちは台車だけではなく、載せたものに掛けるための大きな布も用意してくれていた。
そろそろ現場へ案内しようかと考えているところに、またも神官の集団が現れる。
今度は石と車輪の神官らしく、合わせて五人。そのうちの一人、女性の神官に声を掛けられ、ヘイリーは驚いていた。
「石の神殿をまとめております、レオミオラ・モールと申します」
「神官長様なのですか」
「樹木の神殿のリシュラ神官長から大変な事態が起きていると聞き、参りました」
どうやら車輪の神殿からも同じ理由で人が寄こされたようだ。
他の神殿にも使者が行っているらしく、南側の船と流水から人が来るには時間がかかるとレオミオラは語る。
「後からここに来る神官の為に、案内係を残しましょう」
「お願いしてよろしいですか」
「もちろんです。現場での対応だけではなく、その後についてもどうすべきか話し合いを持つよう、手配がされています」
「もうそんな話になっているのですか?」
以前から、大きな犯罪が起きた時にどうすべきかという議題があったのだと石の神官長は言う。
まだ起きていないからという理由で、後回しにされてきたのだと。
「迷宮都市だけの神殿の決まりもあります。それについても話し合いが必要になるだろうと、リシュラ神官長は仰いました」
樹木の神官長は誰になんと言われて、こんなに早く動き出したのだろう。
昨日手を貸してくれた美しい魔術師の仕業なのだろうか。
他に心当たりはない。商売人たちから提案があったのなら、神官たちもそう言うだろう。
「近くの店に場所を貸してもらえるよう頼んでみます。協力的な店主に何人か心当たりがありますから、そこを本部にして動けば無駄がなくて済むでしょう」
「とてもありがたい申し出です、モール神官長」
きりりとした女性神官長の指示で、神官たちが動き出していた。
思いがけず協力者を得られて、ヘイリーはほっとしている。
寝不足のせいで鈍っていた頭が一気に働き出して、視界が明るく感じられるほどだ。
本部の設置や火事の起きた廃屋の調査を任せて、ヘイリーは皿の神殿へ向かった。
神殿では神官長が待ち受けており、やってきた調査官の姿を見て笑みを浮かべている。
「君はドニオンを連れて来てくれた調査団員だな」
「あの時は、その……、失礼致しました」
勢い余って怒鳴り込むような形で皿の神殿へ来たことが思い出されて、ヘイリーは額に汗を浮かべている。
タグロン・メムレスはゆっくりと首を振り、祈りの言葉を囁くとこう続けた。
「いいのだよ。あれから神殿の空気も少し、締まったように思う。君のお陰だな」
恰幅の良い壮年である神官長は調査団員を奥の部屋へ案内しながら、「橙」近くのこの神殿は昼間は大変込み合うところだと話してくれた。
傷を負った探索初心者がたくさん来るのだろう。皿とかまどは「橙」に、雲は「緑」に近く、日中は癒しの為に多くの神官が控えているらしい。
小さな神像の前に、髭の「スタン」ともう一人の男が横たわっていた。
それぞれの脇に、こまごまとした物が一列に並べられている。
皿の神官は二人の持ち物をすべて明らかにして並べ、負った傷がどのようなものか調べてくれたらしい。
二人は共に殴られ、刃物で切られた痕があるという。
「切り傷はどちらもそう深くはなく、致命傷になったのは頭への強い殴打だと思われます」
あの場にいた者たちの話によると、どうやら髭の男が先に襲い掛かったらしかった。
細身の男は火事の起きた路地の奥から姿を現し、追われている、殺されると訴えていたという。
すっかり血の気を失った二人の男のそばに並べられた持ち物は、ほんの少ししかない。
中身の乏しい財布と、小さなナイフ、荷物を入れるためのポーチ。
それに加えて、髭の男の傍らには鍵の束が置かれていた。
「すみません、遅くなりました」
「リシュラ神官長」
タグロンの声に振り返ると、キーレイが皿の神官長と挨拶を交わしていた。
「ダング調査官、昨日は大変な事件が起きたとか」
樹木の神官長に労をねぎらわれ、ヘイリーは小さく頭を下げる。
「死者が多く出たと聞いて、すべての神殿に呼びかけています」
「事件については魔術師ロウランから聞いたのでしょうか?」
「そうです。昨日の夜、あなたがたった一人で調査をしていたと聞かされました」
キーレイとロウランはどのような関係なのだろう。
気になるが、今はこの異常事態を解決する方が先だ。
「ありがとうございます、リシュラ神官長」
「礼を言うのはこちらの方です。街の人々を助ける為に行動してくださったのですから」
キーレイとタグロンはそれぞれに祈りの言葉を囁いている。
「火を消し止めてくれたのは魔術師ロウランです。あの方の協力がなければ、なにもできませんでした」
「珍しい魔術師がいたものですな」
タグロンは感心した様子で頷いている。
「ダング調査官、その二人が路上で争っていたのですか」
「そうです。彼らについて詳しく調べようとしていました」
「火事が起きたところから出てきた者がいたと聞きましたが、彼らが?」
「おそらくは。はっきりと見た者はいないのですが」
ヘイリーの話に頷き、キーレイは後ろを振り返る。
「似せ書きを作っておいてはどうだろうかと思って、得意な者を連れてきたのです」
似せ書きがあれば、彼らについて知っている者がいないか調べる時に役に立つだろう。
神官長の手際の良さに感心していると、知った顔の男が入って来て、ヘイリーは驚いていた。
「君は、アダルツォか」
「会ったことがありましたか」
「一度迷宮に入ってみるべきだと考えて、ギアノ・グリアドに紹介してもらったのです」
雲の神官のアダルツォは緊張した顔で進んでくると、神官長と調査団員にぺこりと頭を下げた。
死んだ人間の顔を描くのは初めてらしく、顔色が良くない。
「目を開けたところを描いた方がいいのかな」
雲の神官は死者に向けて祈りの言葉を呟き、おそるおそるといった様子で男の顔に触れている。
絵を描くのは任せて、ヘイリーは再び調査へ戻る。
持ち物の中で気になるのは一つだけ。鍵の束だ。
ヘイリーが鍵束を拾い上げると、キーレイが気付いて首を傾げた。
「こんなに鍵を? いくつも店を経営しているだとか、不動産業者ならば理解できますが」
「そんな風には見えませんな」
タグロンの視線は鋭く、手広く商売をしているなら知り合いが多くいるはずだと話した。
髭の男はヘイリーに仕事がないか話を持ち掛けてきた。
まともな職に就いているのなら、あんな声掛けをする必要もないだろうと思える。
「その鍵、廃屋の物なのでは?」
キーレイの発言に、妙に納得させられている。
宿屋の主人も、こそこそと入り込んでいる者がいると話していた。
あの北東の辺りには打ち捨てられた店や宿がいくつもあるという。
「使われていない建物を調べる必要がありそうですね」
タグロンが頷き、近くにいくつか打ち捨てられた店や宿があると教えてくれた。
大抵は中に入れないようにしてあるらしいが、絶対に侵入できないわけでもないのだろう。
二人の死者は、似せ書きが完成した後、西の墓地に運ばれることが決まる。
火事の現場で見つかった者たちと共に埋葬しようと話はまとまっていた。
「ダング調査官!」
一度「本部」とやらへ行ってみるかとヘイリーが考えていると、ガランが駆けこんできた。
神官長たちが並んでいることに気付き、慌てて頭を下げ、名乗り、最後にヘイリーへ遅れてしまったと詫びている。
「昨日は夜遅くまで付き合ってくれたのだから」
「でも、ダング調査官は朝からこちらにいらしていたのでしょう?」
この言葉に、調査団員は小さく笑った。
「ガラン、来てくれてありがとう」
これで緊張が解けたらしく、ガランはほっと息を吐いている。
「礼など不要です。なにをしたら良いですか」
まずはナグとロッシから報告を聞くべきだろう。
そしてできれば、髭の男の持っていた鍵がどこの物なのか知りたい。
「この鍵がどこの物か知る方法はないでしょうか」
この問いかけに、キーレイは不動産業者に聞いてみるべきだと話した。
「使いをやって、協力してもらえるよう頼んでみます」
手配は神官長に任せ、ガランを促して皿の神殿を出る。
レオミオラが用意した本部には、更に色とりどりの神官衣を着た者が集まっていた。




