17 堅実な歩み
ラディケンヴィルスの地下に隠された九つの迷宮。
それぞれに何故「色」が割り振られているのか、不思議だと思っていた時期があった。しかし、考えたところで迷宮を作った主に会える訳でもなく、そんな疑問は探索の日々の中でいつの間にか忘れ去られていた。
「なるほどな」
不意に思い出し、マリートは口元を歪ませる。
久々に足を踏み入れた緑色の迷宮。蔦が伸びて、壁をところどころ覆っている。咲いている花には毒があるが、その光景は「地下迷宮」にはふさわしくないものだ。
初心者用の、至れりつくせりの「橙」を卒業したら、次に足を踏み入れるのがこの「緑」。ここに慣れれば次は「藍」と、過去に大勢の探索者たちが得た情報をもとに新米たちは順序通りに進んで行く。
「緑」の暖かさは異様だと、マリートはしみじみと思う。
探索者達が命を落としやすいのは、知らずに入った「黄」と「青」が間違いなく一番だ。そもそも無事に戻ることすら難しい二つの渦。その次に探索者達を抱いたまま離さないのは、「藍」の中間と「緑」の奥深くなのだという。
どちらも、探索に慣れてきたと思えるようになった頃に訪れる場所だ。
「藍」は暗闇の罠がある。上層部分は灯りをつけるスイッチがところどころにあるが、下層に行くにつれその間隔は開いていく。探索者たちにわからないように、少しずつ少しずつスイッチの数は減って、いつの間にか道を見失って暗闇の中に葬り去られてしまうようになっている。
同じように、「緑」の奥深くで命を落とす者達。彼らにももちろん、慢心がある。慣れてきた、大丈夫だ、まだ行ける――。そう思って進んで行った末に気が付くのだ。もう、戻れない。
だが、単純に道のりが遠くなっただけではない。
「この色だ」
通路には灯りが付いていて明るいままだし、優しい緑色はかつて暮らしていた故郷を思い出させるのだと話す探索者も多い。
「なにがですか? マリート殿」
小さな小さな呟きを、ウィルフレドは聞き逃さなかった。五人がカッカーの屋敷を出たのは昼近くになってから。探索のスタートのピークを過ぎているからか、緑の迷宮の第二層に人の気配はない。髭の男の低い声はよく通って、静かな迷宮の中に響いていく。
「『緑』は人の心を鈍らせる。迷宮に入っているという緊張感を感じさせないように、わざとこんな造りにしたんだろう」
つくづくこの迷宮を作った魔術師たちは、人が悪い。マリートは思わず、後ろを歩くニーロへ目をやった。
仲間が何を思っているかわかったのか、魔術師の少年はほんのりと笑みを浮かべている。
「安心できる迷宮などない。『緑』はそれを思い知らされる場所です。そう感じない者はもれなく未来を失います」
アデルミラとフェリクスは慌てて表情を引き締めている。
ウィルフレドは鋭い目をじっと前に向けたままだ。真剣な顔の中には、しかしどこか「余裕」が感じられる。マリートはそう感じて、ふっと笑った。
ニーロの言った通りだ。彼は只者ではない。金の香りに誘われてふらふらとやってきた新米たちとはまるで違う。何故この街へやってきたのかはわからないが、恐らくは武人であったのだろうとマリートは思った。
だが、過去について問うのはご法度。本人が望んで話し出さない限り、聞かないのがラディケンヴィルスの流儀だ。過去をほじくり返して何も出てこないのは、カッカーやアデルミラのような神官たちだけだろう。
「ここを降りると、そろそろ敵が出てくるだろう」
道の果てに、三層へ降りる階段が姿を現していた。先頭のマリートは足を止め、仲間達へ振り返ってこう告げる。
「二層までは出ないようになっているのですか?」
「いいや」
アデルミラの問いに、マリートは首を振る。
「朝入った奴らが倒しているんだ。死骸があちこちに散らばっていた」
フェリクスとアデルミラは思わず顔を見合わせた。どこにそんなものが落ちていたのか、まったく気が付いていなかった。
「緑」の迷宮について話をされた時に改めて強くした緊張。そのせいで、周りが見えなくなったのかもしれない。フェリクスはそう思い、気持ちを暗く落ち込ませていた。緊張の余り周囲の様子に気がつかないなんて、本末転倒じゃないか、と。
「蔦の影に隠されていましたから、気が付かなくても無理はありません。強い臭いのするものもいませんし」
ニーロがこう述べて、アデルミラは夢中で頷いて答えた。
「そもそも出てくる敵の数は少ないんだ。どの迷宮も大体そうだが、三層からが勝負。出口へすぐに戻れなくなってからが本当の探索の始まりだ。さあ行こう」
背負っている荷物が急に少し重くなった気がして、アデルミラは大きく息を吐き出した。大丈夫、橙に何度も潜ったし、無事に戻ってきている。それに、ニーロとマリートもいる。ウィルフレドも。
けれど不安だった。どこまで行けるのか、迷宮の中で眠れるかどうか、魔法生物も「橙」とは違って強い物が出てくるに決まっている。
「アデルミラ、いいぞ。自分を疑え。探索者にはそれが必要だ」
マリートの言葉に、神官の少女はきょとんとした表情を浮かべている。
フェリクスはその隣で、「疑え」の意味を噛みしめている。
「あまり慎重過ぎては先には進めませんよ」
「それは今はいいさ、ニーロ。初心者は慎重過ぎるくらいでちょうどいい。生きて帰らなきゃ何にもならないんだからな」
魔術師の肩を叩いて、剣士はニヤリと笑う。そして初心者たちに向き直るとこう話した。
「大事な話を忘れていた。手に入れた物の分配について先に決めておかなきゃな」
基本的に手に入れた物は五等分だ、とマリートは三人に告げる。敵を倒して手に入れたアイテムも、通路の途中に落ちている物も、持ち帰った後平等に分けるのが基本だと。
「たとえば武器や防具の類が落ちていた場合は、欲しい者がいれば渡す。地上に戻った後に不要な物は店に売り払って現金にしてから分けるが、道具をもらった者はその分減らす。厳密に一シュレールまで平等にという訳じゃあなくて、全員がいいだろうと思えればそれが『平等』だ」
まずは今欲しいものがあるかどうか。マリートは三人に問う。
「具体的に欲しい物は先に言っておいてくれ。優先して渡そう」
ただし。剣士の瞳が鋭くなって、アデルミラとフェリクスへ向けられる。
「『帰還の術符』に関しては別だ。あれはとても高価な品。誰か一人に渡すような代物じゃあない。ましてや今はお前たちの訓練の為の探索だからな。これからもこの面子で探索を続ける訳じゃないから、誰かに持たせておくという選択肢はない。何枚も手に入らない限り売り払うから、そのつもりでいてくれ」
アデルミラはそっと、ウィルフレドの横顔を見つめた。特に異論はない。そんな表情を浮かべている。
一文無しで困っているからこそ、早いうちに探索に行きたいと願っていた男だ。術符が見つかれば、五等分しても随分な大金が手に入る。そうなればウィルフレドも助かるだろう。
「わかりました」
アデルミラが答え、フェリクスもそれに続いた。何枚も見つかる可能性は薄い。奇跡を祈りながら、コツコツやっていくほかはない。
「よっぽど高価じゃない限り、優先して何でも渡すぞ。必要な物があるか?」
ニーロとマリートにはないのだろう。二人は澄ました顔で三人の返事を待っている。
アデルミラには今、特別に必要な物はない。フェリクスは自分が何を持つべきなのか、そもそも決められていなくて悩んでいる。
「では私は武具一式を。剣があればまず頂きたい」
「わかった、使えそうな物はまずあんたに見せよう」
ありがたいとウィルフレドは頷き、悩めるフェリクスに向き直ると小さく笑みを作った。
「フェリクス、まだ慣れていないだろうが、一振りくらい自分の物を持っていた方がいいだろう。扱いやすそうなサイズの剣があったら、とりあえず持ってみるといい」
いいだろうかという髭の男の問いに、ニーロもマリートも頷いている。
フェリクスは不思議な気分だった。ウィルフレドは何者なのだろう。現時点では一文無しの流れ者でしかないが、間違いなくそれだけではないはずだ。今、こうして話している間に後ろから襲い掛かってくる何かがいても、すぐに剣を抜いて一刀両断にしてしまうに違いない。そう思わせる凄みが、全身から滲み出ている。
分配についての簡単な取り決めが終わり、一行は三層目へ続く階段を降りた。
最後の一段の先には、通路がまっすぐ伸びている。前衛の三人が一歩進んだ途端、足元に影が駆け寄ってきた。
「鼠だ」
鼠にしては大きい。アデルミラの膝くらいの高さの巨大鼠は一行の前に飛び出してきて、あっさりとウィルフレドの剣に一刀両断にされてしまった。
「見事だな」
マリートは剣に手すらかけていない。フェリクスは、腰の剣に手をかけることすら出来なかった。アデルミラは目の前に溢れる血だまりに、心を痛めている。
「見事ですが、まっぷたつにしてしまっては使える物がなくなります」
ニーロはいつも通りの冷静な表情で、皮を剥ぎ、肉を得る為にはどう仕留めるべきかを話している。ウィルフレドは神妙な顔つきで、大真面目に少年の声に相槌を打っていた。フェリクスも慌てて、ニーロの言葉を頭に刻み付けていく。
「長い探索をする為には、使える物は何一つ無駄にしてはいけません。そのくらいの気持ちでないと、最深部へ辿り着けません」
最深部など、遥か果てにある物だ。フェリクスとアデルミラには、まずそこへ辿り着こうという思いがない。
ウィルフレドは何処を見ているのだろうか。鼠の死骸を見つめながら、アデルミラは考える。迷宮の最深部には「魔竜」が潜んでいるという。どの迷宮にもおそらく平等に、凄まじい強さの魔法生物が探索者達を待ち受けていると聞いた。
探索者達が探索者になる理由。「富を求めて」が圧倒的に多い。過去を清算し、人生をやり直す資金を手に入れる為に。新しい人生を輝かしい物にする為の、信頼できる仲間を得ようとしてやって来る。
しかし時には、純粋に「強さ」を求める者もいるのだという。彼らは「己の強さ」に生きる意味を見出して、迷宮に身を投げていく――。
そこまで考えて、アデルミラはがっくりと肩を落とした。兄を探す為に来たのに、うっかり入る穴を間違えて人を死なせ、とんでもない額の借金を背負わされてやむを得ず探索者になる。こんな間の抜けた運命も、神の用意したものなのだろうか?
「アデルミラ、ぼうっとしていてはいけません」
ニーロの声に、少女は慌てて姿勢を正した。
「すみません」
「謝る必要はありませんよ。気を抜いて命を落とすのはあなた自身ですから」
辺りに敵の姿はない。ウィルフレドの斬った鼠は通路の隅に追いやられ、死の香りを漂わせている。真っ二つにしてしまった死骸から採れる物はないらしく、皮も尻尾もそのままだ。
その後も何匹か鼠が出て、ウィルフレドが剣を振って倒していった。
二匹目からは頭だけが綺麗に切り落とされ、マリートが皮と肉を剥ぎ取っていく。フェリクスは顔をしかめながらもその作業を見つめ、四匹目からは手伝いをするようにした。
探索者になるには、探索者になって稼ぐ為には、誰かから必要とされなくてはならない。剣を振るだけなら誰にでも出来る。今のところ、ウィルフレドがいさえすれば他の剣はまったく必要がなかった。マリートもそう思っているらしく、腰の得物を抜く気配はまったく見られない。
罠の少ない「緑」ならば、スカウトの出番も少ないだろう。最初に考えた通りの展開で、フェリクスはマリートの剥ぎ取りの技を覚えようと懸命に前に出ていった。
「魔法生物というのは、一体何処から来るんですか?」
肉を裂き、皮を剥ぎ取る作業。まず、真正面から見ることすら辛い。戻してしまいそうになるのを必死に堪えながら、気を紛らわせようとフェリクスはこう問いかけた。
「さあな。いつの間にか、どこからか出てくるのが魔法生物だ。それについてはニーロも調べているようだが、答えは出ていない」
そうだろう? と剣士はニーロに向けてニヤリと笑った。
「ええ。迷宮は謎に満ちています。どれ程の数を倒しても、魔法生物は消えません。死骸や汚物もなくなりますし、どのような仕組みで動いているのかはまったく不明です」
三層目の最初で、まっぷたつにされた鼠。あれはいつ頃消えるのだろう。今目の前に転がっている切り落とされた頭も、そのうち消えてなくなってしまうらしい。
「なぜ消えるんだろう」
「死体がゴロゴロ落ちていれば、誰も迷宮には入らなくなるでしょう? 死体は腐りますし、物が溢れれば通れなくなる。血の跡が残ればそこに罠があるのがわかってしまう」
迷宮は「遊び場」なのだと、師は言った。ニーロがまだ六歳の頃、雪が積もって家から出られなくなった日に、師匠はぽつりとそう呟いた事があった。
迷宮都市に来て半年経ち、少年は「藍」の迷宮を歩きながらこう答えた。「本当ですね、ラーデン様」と。
フェリクスにはニーロの言葉の意味がわからず、ただ戸惑うばかりだ。アデルミラも同じだったが、ウィルフレドは口元の髭を撫でながら、何処か遠くを見つめつつ小さく頷いている。
そこに、遠くから誰かの話し声が聞こえていた。まだ小さな声は、少しずつ近づいてきているようだ。
「そろそろ帰りの時間だな」
鼠の尻尾を切り落として通路の端に投げながら、マリートが呟く。
「帰りの?」
「もう夕方だ。日帰りの連中がぞろぞろ上がってくるぞ」
剥ぎ取りの作業を終えて、五人は奥へと向かって歩く。歩き続けて足が、体がもう重い。額に汗を浮かべながら歩くフェリクスとアデルミラの横を、パーティが何組か通り過ぎていった。
嬉しそうに歩く者達もいれば、重苦しい空気に満ちた者達もいる。目的を果たせたか、大した稼ぎにはならなかったか、仲間が全員無事か、それとも何人か欠けてしまったか。
よそのパーティとすれ違う時には、何も言わない、何もしない。それが決まりだ。無用なトラブルを避ける為に、関わり合いにならないようにする。たとえ顔見知りであったとしても、迷宮内ではあまり触れ合う時間を持たないようにするべきである。
「橙」の迷宮では、簡単に出来ていた。日帰りの短い探索の経験しかないし、誰かが大怪我を負うようなトラブルもなかった。
入った迷宮が違うだけで、これ程までに変わるのか。フェリクスは驚いていた。明らかに仲間を失ってしまったであろう四人組、思いがけない幸運に恵まれ、悦びを隠せずに浮足立っている者達、紫色に腫れ上がった足を引きずりながら歩く少年と、迷惑そうな顔をした他の男達――。
「緑」の迷宮は明るいままで、足元には時折愛らしい花が咲いている。触れればダメージを受ける毒なのだと、忘れそうになってしまう程に美しい光景だ。春の訪れのような清々しさが漂っていて、黙って歩いているうちにここが迷宮だと忘れそうになってしまう。
今は、日暮れの時間。そろそろ探索を終えて、食事をとらなくてはならない。緊張感のせいか、空腹を感じない。これ程明るい場所で、眠れるかどうか? 急に湧きあがって来た不安で、足元がよろけてしまう。壁に手を付き、フェリクスは焦った。触れてはいけない。ただの植物ではない。ここは迷宮で、いつ敵が出てくるかわからない場所で――。
「フェリクス、もう少しだ。この先へ進むと、ちょうどいい場所がある」
マリートに声をかけられ、青年はようやく目を覚ました。目を覚ましたような感覚だった。
「長い時間探索を続けるのは疲れるだろう。アデルミラも大丈夫か、もう少し休憩をこまめに入れるべきだったな」
「いえ、ちゃんと充分、休憩はありましたし」
少女は目をしきりにぱちくりとさせて、こちらも落ち着かない様子だ。
「体は多少休められても、心はそうはいかない。なにせ『泊まり』は初めてだろう? 帰り道ならばこの時間でも元気は出るだろうが、今日はそうじゃない。まだまだ先は長い。終わりが見えない状態が続くのは、辛いもんだ」
こう答えたマリートの横で、ウィルフレドは疲れなど微塵も感じさせず、どこか余裕のある表情でまっすぐに立っている。
「ちょうどいい場所とは何ですか?」
「迷宮の中には、時々あるんだ。通路の奥に広くぽっかりと空いたスペースがな」
アデルミラの持っている地図を覗きこみ、マリートは現在地とその先、大きな四角い部屋のような地点を指して三人に見せた。
「こんな風に夜明かしにちょうどいい場所が、何層かごとに設けられている」
「わざわざ用意されているんですか?」
フェリクスの問いには、ニーロが答えた。
「恐らくは」
なにせ、この迷宮を作った魔術師たちは「人を呼び込みたい」のだ。
その為に掃除をし、道具を出現させ、適度な強さの敵を配置して、奥深く潜る者達のためにキャンプ地まで設けている。
迷宮は「遊び場」だ。これを作った魔術師たちは、どこかでニヤニヤと笑いながら探索者達がおっかなびっくり進むのを眺めていたに違いない。
「今から行く場所は安全が確認されています。でも、決して確認を怠らないように。どの迷宮にも夜明かしにちょうど良さそうな場所が用意されていますが、罠が仕掛けられている場合もあります」
それは余りにも恐ろしい話で、アデルミラは思わず雲の神に祈った。
脳裏に浮かぶのは「黄」の迷宮で潰された三人の男達。彼らの辿った無残な運命に、体が震えてしまう。
進んだ通路の先の行き止まりは、地図に描かれた通り大きな部屋のような空間が広がっていた。初心者たちは壁と床に目を凝らして、不審な点がないか調べていく。
「先客がいなくて良かったな」
「緑」のように探索者が多い迷宮だと、限られた「キャンプ地」の奪い合いが起きるのだとマリートは話した。広いスペースにはあと一組くらいは入れそうだが、まるで知らない人間たちと隣り合って眠るのは難しそうだとフェリクスは思う。それがもしも、ジマシュのように容赦のない者だったら?
目を閉じて小さく首を振り、フェリクスは荷物を降ろした。床にはニーロが線を引いて、大きな四角を描いている。
「何をしているんだ?」
「ぐっすり眠れるおまじないです」
この線の中に魔法生物が入れなくなるのだと、魔術師は話した。ニーロが指を振ると、床に描かれた線はほんのりと光を放ち始めている。
マリートが手早く食事の用意を進め、アデルミラはそれを手伝う。確認しておくように指示が出されて、フェリクスとウィルフレドは今日手に入れた「戦利品」の数をかぞえていった。
「これからだ。今は五層、本番は六層目から。出てくる敵も少し手強くなるから、よく休んでおくといい」
「魔術の力で守られているのでしょう。迷宮の中で安心して休めるというのは、素晴らしいですな」
ウィルフレドが笑みを浮かべて言うと、ニーロがすかさずこう釘を刺した。
「寝相が悪い人は気をつけて下さい。この線から出てしまったら効果はありません」
寝ている間の動きまでは、さすがに自信が持てない。寝相が悪くて困った経験はなかったはずだと、アデルミラは深刻な顔でじっと床を見つめている。
準備が終わり、この日の「夕食」が始まる。それぞれの神に祈りを捧げ、街で買ってきた保存食に口をつけた途端、こんな声が響いてきた。
「誰か、誰か、助けてー!」
よそのパーティとすれ違う時には、何も言ってはならない。何もしてはならない。
それは無用な揉め事を起こさない為。トラブルに他のパーティを巻き込まないようにする為の心得だ。
困っている人に、手を貸しなさい。神官達は進んで善を行いなさいと諭してくるが、それは迷宮の外での話だ。
ラディケンヴィルスの地下に隠されている渦の中では、何よりも大事にしなければならないのは自分の命。一人欠ければ、パーティには穴が開く。そうなれば大切な仲間にも危険が及ぶ。
だから、有能な探索者はよそ者を助けない。自分のパーティ以外の人間に、簡単に手を差し伸べることはない。
散々カッカーの屋敷で言われてきたはずなのに。
すっかり忘れたらしいティーオは、通路の先に見知った顔を発見すると嬉しそうに表情を緩めて、フェリクスたちに向かって走り寄って来た。




