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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
  X13-A_Scheme of Magicians

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159 暗夜、激流(中)

 踊りが出来ない子はこれを着るのよ。

 そんな言葉とともに差し出された「給仕」用の衣装は、踊り子のものとあまり変わりはないようだ。


 コルディの青空もグラッディアの盃も、給仕係の服装はこんな風ではない。

 店によって色を揃えているとか、どこかにリボンを巻いているだとか、そんな違いがあるくらいでごく普通の洋服を着ているのに。

 ウベーザ劇場ではそうではないらしく、胸と尻を覆う部分以外は透けた布だとか、紐でできている。

 いや、むしろ踊り子よりも露出が多いように思える。昨日の夜無理矢理着せられたものよりも、体を覆う物が少ないとマティルデは思った。


「お、新入りか」

 戸惑う少女の背後から急に声がして、尻になにかが当たる。

 大きな手が撫でたのだとわかって、マティルデは驚いて飛びのき、隣の少女に思い切り激突してしまう。

「ちょっと、なにすんのよ!」

「そんなの私の台詞だわ。この人……」

 

 指さした先にいるのが恰幅の良い中年男だと気づき、マティルデは「お尻を触られた」と言い出せなくなっている。

 中年男はじろじろと頭から足の先まで舐めるように見つめており、上を隠すか下を隠すか、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。


「貧相な体だなあ。誰が連れてきたんだ?」

 そう言いながらも男の顔は笑っており、マティルデの足はますます竦んでしまう。

「ザグよ、きっと。あいつ、いつもいい加減だもの」


 腰をふりふりやって来たのはラジュで、衣装も化粧も既にばっちりと決まっている。

 足も胸もむき出しといって差し支えないほどの露出度だが、抜群のプロポーションのお陰かよく似合っており、マティルデとは仕上がりが違った。


「大丈夫よ、胸に詰め物すれば。暗いしみんな酔っぱらっちまうから、気付かれないよ」

「ねえ、私、ここで働くんじゃないの。昨日の夜も言ったけど、ちょっと覗いていただけでね」

「わかったわかった。慣れなくて不安だよね」

「そうじゃなくて、本当なの。雲の神殿の神官長さんに聞いてもらえばすぐにわかるから。私は神殿で過ごさせてもらっていたの」

「へえ、そうなんだ」

「本当だってば! 勝手に出てきちゃったから、きっと騒ぎになってるわ」

「勝手に出てきたのかい、マティ」


 急にまっすぐに見つめられ、ドキリとしてしまう。

 ラジュだけではなく、中年男もじっとりとした視線を向けており、マティルデの勢いはしぼんでいく。


「……そうだけど」

「嫌だったんだろ、神殿暮らしなんか。なんでそんなとこにいたのか知らないけど、逃げ出してきたんだろ」

 ズバリと言われて、答えに詰まってしまう。

 そんなマティルデの様子に、ラジュは赤い唇をにやりとさせている。

「だったらいいじゃないか。あんたみたいな可愛い子は、若いうちにがっぽり稼げるんだよ。神殿じゃ教えてくれないやり方でね」

「そんなの」

「お金はあった方がいいよ、マティ。そこらの店で働いたって、たいして儲かりはしないんだ。ここで働いて一晩でいくらもらえるか知ったら、あんた、絶対に後悔するよ」


 ねえ、とラジュは男を振り返る。

 男はにんまりと笑って、何度も頷き、胸をもっと盛るように話した。


「ジュエット! この子もうちょっと大きくして!」

 ジュエットがやって来て、マティルデに来るように言う。

 またも話を聞いてもらえない状況に焦り、慌てて見えていた扉へと走った。

 誰も追ってこないと思いきや、扉を開けた先にはよく日焼けをした大男が立っており、行く手はあっさり塞がれてしまった。

「新入りか、見ない顔だ」

「わ、……私は新入りじゃないの。間違えて入っただけで、ここで働くんじゃないのよ」

 顔も怖い大男相手に勇気を振り絞るが、声が小さい。

 足を震わせるマティルデに、大男もにやにやと笑った。

「大丈夫さ、すぐに慣れる。故郷の幼馴染の男なんか、さっさと忘れちまいな」


 結局流れは同じで、話はろくに聞いてもらえない。

 マティルデの訴えを受け止める者はいない。

 やたらと肌を出した姿の少女ばかりだし、よく見てみれば、偉そうな中年男は少女たちに近づいてはべたべたと触っているのがわかった。

 みんなお尻を触られているが、反応はそれぞれに違う。身を縮めている子もいれば、笑みを浮かべてくねくねと体を揺らす娘もいる。

 結局ジュエットにつかまり、胸を膨らませるための詰め物が入れられ、マティルデはぐったりとうなだれていた。


 ありとあらゆる扉に大男が配置されているらしく、逃げ道がない。

 マティルデが迷っていようが関係なしに移動させられ、給仕の仕事を叩きこまれていく。

 歩く時はゆっくりと、お尻を振るよう言われ、やってみろと命令される。

 大きな舞台の下にはゆったりとした造りの客席があって男たちが何人か座っていた。

 トレイを渡され、グラスを載せられて。

「マティ、歩いてみて」

 嫌でたまらないが、ジュエットの視線は鋭い。

「やらなきゃいつまでも終わらないよ」

 言葉は冷たく、逆らえる雰囲気ではない。

「ねえ、マティ。お願い、早く……」

 同じ衣装を身に着けた他の少女に涙声で囁かれ、仕方なく歩きだす。

「もっとお尻を振りなさい」

「そんなこと言われても」

「ちっさいもんねえ、あんたのお尻。よっぽど軽いんだろうけど、頑張んな。大きく振るんだ、ほら、右、左!」

 そんな歩き方などしたことがない。そもそも、こんな仕事をする気などないのに。

「できないわ、そんなの!」

 マティルデが思い切って叫ぶと、客席に座っていた男が立ち上がった。

「俺が教えてやるよ」

 ニヤけ顔で近付いてきた男にすっかり驚き、逃げようとするがうまくいかない。

 ひらひらとした衣装の裾が邪魔だし、慣れない靴を履いているから。

 飛ぶようにして近づいてきた男から逃れられず、べたべたと腰に触れられる。

 こうやって、大きく左右に振るんだ。

 耳元で囁かれて気持ちがわるい。大きな手が腰だけではなく、尻にも触れて、悲鳴をあげてしまう。

 大きな声をあげれば離れてくれると思っていたのに、男は笑うだけ。

「初々しくて可愛いねえ。なあ、こういうのもいいんじゃないのか」

 結局いいように触られ、お尻を振る練習をさせられて、ようやく解放されたけれど。


 座り込むことも、涙を流すことも許されてはいないらしい。

 どんな抗議も笑って流されるし、動かずにいれば他の少女たちに文句を言われてしまう。


 みんな、連帯責任なんだよ、と。

 誰かひとりでもやらずにいれば、全員が「お仕置き」をされるらしい。

 お願い、マティ、ちゃんとやって。

 お仕置きは嫌よと何度も何度も囁かれては、やらずにはいられなくなってしまう。

 こんなにもとんでもない場所で与えられる「お仕置き」なんて、嫌な予感しかしない。


 名前もわからない少女たちと一緒になって、散々「練習」に時間を割いたら、昼食の時間になった。

 みんな派手な化粧に衣装のまま、ボロ布を膝にかけて食事をとっている。

 マティルデも同じように振舞うしかない。胸に詰められた布が邪魔で仕方がないが、勝手なことはできなくて、我慢するしかなかった。


 その後も何度か、何人かに自分が無関係であることを訴えてはみたが、取り合ってくれる人間はいなかった。

 迷宮でいきなり殴られるなどというとんでもない異常事態を経験していたマティルデにとっても、今置かれている状況は信じられないものであり、理解が追い付かない。

 

 あれこれ命じられて、なんとかそれについていくうちに、時が流れていく。

 今日開店するというウベーザ劇場には少女たち以外にもたくさんの従業員がいるようで、控室の外はひどく騒がしい。

 料理の香りが漂ってくるし、なにかわからないがとにかく様々な物音が聞こえていた。


「さあさあ、準備は済んだかい。そろそろ店に移動するよ!」

 ジュエットの声が響き渡り、少女たちがそわそわと立ち上がる。

 誰に言われなくても踊り子と給仕に別れて、それぞれに列を作って並んでいる。

 

 マティルデが座りこんだまま動けずにいると、すぐに気付いてジュエットが飛んできて、腕を掴んだ。

「マティ、さあ行くよ」

「私、ここへ働きに来たんじゃないわ!」

 これが最後のチャンスだ。店が開いて、働き始めたらもうおしまいだろうから。

 そう考えてマティルデが叫ぶと、ジュエットの顔からすっと表情が消えた。


「立ちなさい」


 マティルデは床に座り込んでいて、ジュエットはそのすぐ前に立っている。

 だから顔には影が落ちていて、はっきりとは見えない。

 それでも、いや、それゆえに瞳から放たれた圧をひしひしと感じている。

 

 逆らってはならないのだと悟って、マティルデは慌てて立ち上がった。


 「従順」な少女にジュエットはにっこり笑う。

 女はマティルデの耳に唇を寄せると、こう囁いた。


「次はないよ」


 

 

 ピカピカに磨かれたトレイを持たされて、マティルデはウベーザ劇場の入口に立っていた。

 他の給仕の少女たちと一列に並んで、お客様が入って来たら頭を下げ、笑顔を振りまくよう言われている。

 今立っている位置から勝手に動くことは許されない。近くに男の従業員たちが大勢いるし、一際大きな体の用心棒も何人もいる。

 他の少女たちの視線も厳しい。余計なことをしてくれるなよ、という思いをひしひしと感じている。


 心に浮かんでくるのは、反省、反省、また反省、だ。

 もしくは、後悔、後悔、更に後悔。

 自分がいかに守られていたか、今更思い知っている。

 いきなり声をかけただけなのに、受け入れて家に住まわせてくれたマージ。

 家のことはなんでもやってくれて、わがままを聞いてくれたユレー。

 手を差し伸べてくれたギアノも、なんの文句も言わず気遣ってくれるアデルミラも。

 あんな出会い方をしたのに、友達になってくれたキャリン。

 そして、命を救ってくれたティーオ。


 みんなみんな親切で、マティルデの受けた傷を優しさで埋めてくれた。

 あんなひどい目にあった少女に、手を差し伸べてくれた。


 これからについて、真剣に考えないと駄目だというギアノの言葉を思い出す。

 努力ができない者はここにはいられない。

 あの時、心に痛みを感じながらも、少しくらいは納得していたはずなのに。


 努力なんてしなくても、なんだってなるようになるのだと心のどこかで思ってしまっている。

 はいはいと返事をしながら、能天気にそう考えていた。

 だから、こんな目に遭っているんだろう。

 まるで裸のような恰好をさせられ、やって来た客に笑顔を振りまき、酒をたくさん注文させろと命令されて、逆らえない。

 

「お待たせいたしました、お客様方。迷宮都市に新しく出来たるは、歌と踊りの殿堂! 愛らしい少女たちの踊りと、歌姫ラジュの美しい歌声を楽しめるのは、そう、このウベーザ大劇場でございます!」


 声がして、扉が開かれる。

 外の空気が流れてきて、また逃げ出したい気持ちが湧き出してくる。

 ぶるっと震えたマティルデの肩を、隣に立っていた少女が掴んだ。

「駄目よ、マティ!」

 小さいが鋭い声に留められ、逃亡計画は一瞬で潰えた。計画なんてたいしたものではなく、ただの衝動に過ぎなかったけれど。

「笑って」

 泣きそうな気持ちを抑えて、顔を動かしていく。自分が笑えているのかどうか、マティルデにはもうわからなかった。

 客が入って来て、頭を下げて。それでなんとか誤魔化すしかない。


「さあさあ、酒を運ぶよ」

 ジュエットの号令で少女たちが歩き出して、マティルデも慌ててついていった。

 既に酒の注がれた盃が大量に並んでおり、トレイにいくつか載せて。

 席についている客に振舞うように命じられて、こぼさないように歩いた。

 たくさんあった席はすべて埋まったようで、入りきれなかった客が騒いでいるようだ。


 そこで少女は、ようやく気付いていた。

 店に入ってきた大勢の客のほとんどが、男性なのだと。

 

 緊張と不安で、歩くだけで精一杯だった。

 笑顔も浮かべていないし、腰を振って歩くこともできやしない。

 マティルデは何も置かれていないテーブルに、なんとか酒を配るだけ。


 必死になって動きまわるうちに、支配人の男が現れ、ステージが始まった。

 音楽が流れ、少女たちが踊りながら現れて。

 ラジュが出てきて歌い始めると、店の中の空気は一気に変わった。

 客は喜び、拍手をして盛り上がっている。


「さあ、料理を運ぶよ!」

 頭が働かなくなって、言われるがままに動いていく。

 皿の置かれていないテーブルへ向かって、料理を置いて。

 なんとか労働をこなしてふと息を吐くと、客の手が伸びてきて尻を撫でられてしまう。

「きゃあ!」

「ははは。可愛い声だね」

 

 給仕の衣装は薄いし小さい。服としての意味などないのではないかと思える。

 マティルデが目の端に涙を浮かべながら慌てて客席から離れると、誰かに腕を掴まれ、店の端へと連れていかれた。


 腕を掴んでいたのは朝出会った中年男で、厳しい表情でマティルデを咎めた。

「おい、ちゃんと教えた通りにやれ」

「だって、急に触って来たから」

「馬鹿かお前は。名前はなんだっけ?」

 答えずに唇を尖らせるマティルデに、男は目を据わらせている。

「笑え、新入り」

 こんな状況で、笑えるはずがない。

 マティルデの意思などないかのように扱われ、勝手に働くことにされただけなのに。

「わかってるんだろうな。ここで逆らったらどうなるか」

 

 ラジュの歌声は朗々と響いて、恋する女の物語を見事に歌い上げている。

 男の視線の冷たさは、その対極。冷酷な仕打ちが待ち受けていると、マティルデを最悪の予感で震わせている。


 小刻みに震えながら、必死になって笑顔を作っていく。

 涙をこぼさないように堪えて、堪えて、やっと口の端をあげて、それでようやく許されたようだった。


「そうだよ、新入り。それでいいんだ。可愛い顔をしているんだから、よおく見せて、気に入ってもらえ。きっといいことが起きるから」

 男はじろりとマティルデを睨むと、腰を一発、強い力で叩く。

「お前の貧相な尻くらい、いくらでも触らせろ」

 減りはしないんだからな、と男が去っていく。

 早く次の皿を運ぶよう言われて、マティルデも急ぐ。


 離れた位置から見てわかったが、他の女の子たちもみんなべたべたと体を触られているようだった。

 練習の時と同じ。あれは店の者が調子にのって悪ふざけをしているのだろうと思っていたのに。

 まさか、本番を想定してのものだったのだろうか。

 わからないまま、マティルデは歩く。料理の皿が並べられたところへ急ぐ合間に、舞台の美しさにも気付かされていた。


 衣装につけられた飾りがキラキラと輝いている。

 舞台の上は夢のように美しい。歌と音楽に合わせて、足をあげ、くるくるとまわり、位置を入れ替え、ポーズを決めて。


 舞い踊るラジュたちがうらやましくてたまらなかった。

 客は喜び、歓声を上げ、夢中で手を叩いている。

 優雅に一礼する動きも美しく、ラジュの笑顔は光り輝いていた。


 あそこは安全地帯なのだとマティルデは悟った。

 自分が踊りの達人だったら、見知らぬ男に尻を撫でられろなどと命令されずに済んだのだと。


 ところがこの考えは間違いだったことが、すぐにわかった。

 歌が終わるとラジュたちは舞台を降りて、客席を練り歩き始めたから。

 踊り子は客に呼び止められると、席に一緒になって座り、笑顔を振りまいている。

 笑顔を振りまく踊り子の体はやはりべたべたと触れられ、服の中に手を入れられている娘が目に入り、マティルデは愕然としていた。


「おおい、ちょっと」


 あんなに小さな布のかけらで隠せる範囲など、ほんの僅かなのに。


「君! ねえ、君だよ」


 明らかに自分に声がかかっていると、気付きたくない。

 客のところへ行けば、あの少女と同じようなことをされるに違いないから。

 

「ほら、こっちだよ」


 背後から背中をつつかれ、もう振り返るしかなくなってしまう。

 マティルデの目の前には既に酔いが回ったのか、だらしない笑顔を浮かべた男が立っていて、上機嫌で少女の手を引いて席へ連れ込まれてしまう。


 ぴったりと体がくっつくほどに、近い。酒を飲むように言われて、なんとか誤魔化して。

 髪を撫でられ、肩にふれられ。手がどんどん下がって、腰まで降りてくる。

「可愛いねえ、何歳だい?」

 男の酒臭い息が、体中にかかって、気持ち悪くてたまらない。

「ここに座ってよ」

 膝の上を指さされ、嫌でたまらず、どうしたらいいのかわからない。

「ほら、あの子みたいに」

 隣の席では、客の膝に座ってにこにこと微笑む踊り子の姿があった。

 それどころか、胸に顔を埋められている。

 それを、やだあ、と笑って受け入れているようだ。

「……できないわ」

 震えながら答えると、客はあきらかに白けたようだった。

 舌打ちをして、マティルデに立つようにいい、もういいと放り出されてしまう。

 代わりに通りかかった他の給仕の娘を呼んで、膝に座らせ、べたべたと触れて楽しんでいるようだ。


 もちろん、こんな態度は許されないもので、すべてを目にしていた店の男に怒られてしまった。

 お前はもういいからと奥の部屋に連れていかれ、暗い部屋に閉じ込められている。

 反省するように言われたが、何を反省すればいいのかわからない。

 屈辱と怒りで頭がどうにかなりそうだった。けれど一方で、不安でたまらない気持ちもある。

 自分がなにをしているのか、さっぱりわからない。ここから出る為に必要な意思表示はしたのに、すべて無視されるなんて予想外だったから。

 勝手に組み込まれた連帯に、責任だけ負わされて、納得いかない。

 自分とは関係ない少女たちへの罰を人質にとられて、責められるのもおかしいと思うのに。


 膝を抱えて悶々としているうちに時が過ぎたらしく、店の営業は終わり、少女たちが戻ってきた。

 遅い時間にようやく衣装を脱いで、体を洗い、食事が振舞われ、眠りに就いて。

 有無を言わさず団体行動を強いられ、また硬いベッドの上に横たわっている。

 

 このままでは、また明日、「仕事」に駆り出されてしまう。

 そんなのは絶対に嫌だ。

 なんとか誰かと連絡をとる方法はないだろうか。

 考えても、なにも思い浮かばず、マティルデは途方に暮れていた。

 雲の神官たちはとっくに少女が消えたことに気付いているだろう。

 けれど、まさか新しい劇場で無理矢理働かされているなんて、気付けるとは思えない。

 少しだけ親切な従業員が一人でもいれば、協力してもらえるだろうか。


 悩みと疲労に流され、気付いた時には既に朝で、また途方に暮れてしまう。

 支度をするよう促す声が聞こえてきて、のろのろと立ち上がり、他の少女の後をついて歩いていく。


「ちょっと、マティ」


 用を足したところでラジュが現れ、別室へと連れていかれる。

 まさか、お仕置きをされるのだろうか。

 身構えるマティルデに、歌姫は小さく噴き出すようにして笑った。


「あんた、なんて顔してるんだい。そんなに構えなくていいよ。あんたをどうこうしようって話じゃないから」

「そうなの?」

「そうだよ。……まだね」


 ラジュはにっこり笑って、これは最後の警告だとマティルデに告げた。

 今夜の仕事をちゃんとやれなかったら、仕方がないのだと。


「マティ、男に触られるなんて嫌だって思ってるんだろう。わかるよ、あたしも最初は嫌だったからね。客を殴って大騒ぎになっちまったから、あんたの方がだいぶ上等だよ」

「殴ったの?」

 少女の問いに、ラジュはふと笑っただけで答えない。

「なんてことないんだよ、マティ。目を閉じていればすぐに終わるんだから。夢だと思っていりゃあいいのさ」

 今日も朝からきれいに化粧をしたラジュは、それは優しくマティルデの肩を抱いて囁く。

「みんな昨日は相当稼いだんだよ。開店初日の大盤振る舞いってやつでね。稼ぎの良い商人をたくさん招待したから、気前よく払ってくれたのさ。あたしも半信半疑だったんだよ、王都よりも稼げるなんて話は。だけど本当だった。迷宮都市は地下から無限に富が生まれるところだっていうのは、本当だったんだ。迷宮さまさまってやつだよ、ねえ、マティ!」

「あたしはその迷宮に行くのよ。魔術師になる為にここに来たの」

「はあ?」


 ラジュは心底呆れたといった顔をして、少女を見つめている。


「なにを言ってんのよ、化け物が出るんでしょ。あんたみたいな可愛い子が行くところじゃないわ」

 安全で簡単に稼げる方法はここにある。

 ラジュの主張は一貫していて、揺るぎない。

 もちろんマティルデが納得するわけがなく、最後に残った勇気をかき集めて、反論の言葉を探した。

「私は魔術師になって、有名な探索者になる為にこの街へ来たの。本当に、本当にこの劇場で働くんじゃないのよ。いろいろあって、雲の神殿のお世話になってて、ちょっと抜け出して散歩をしていただけ。だから、ここから出して。勝手に覗いたりして本当に悪かった。それについては謝るから」


 歌姫はまっすぐにマティルデを見つめている。

 口をぽかんと開けて、なにを言っているのか理解できないとでも言いたげな顔で、動かない。


「あの……、ラジュ、聞こえた?」

「ああ、聞こえてるけど。本気で言ってるのかい?」

「もちろん本気よ」

「その細腕でどうやって、迷宮に出てくるバケモンとやり合うってのさ」

「だから、魔術を習うのよ。そうすれば私だって、探索で役に立てるし、強い敵だって倒せるようになるわ」


 マティルデの言葉に、ラジュの反応はなかった。

 困惑した表情のまましばらく固まっていたが、沈黙は急に破られ、女は驚くほど大きな声を上げて笑い出した。


「なんで笑うの」

「だって……、あんた……、あははは!」

 

 あまりにも大きな声だから、外にも聞こえていたのだろう。 

 何人か様子を見に来たが、すべてラジュが笑いながら追い返してしまった。


 結局、結果は同じ。冷たい言葉を投げかけられなかっただけで、マティルデの主張はしらんぷりされたままだ。

 ラジュは長い間げらげらと笑って、涙までこぼしていたが、ようやく収まったのか息を吸って吐いて、整えている。


「はあ、ここ数年で一番面白かったよ、マティ」


 今夜の仕事ぶりであんたの運命は決まるから。

 そんな言葉を残して、ラジュは去っていってしまった。



 要するに、探索者になるなんて無理だと思っているのだろう。

 胸の底から悔しい気持ちが湧き出してきて、マティルデは震えていた。


 踊りを覚えるように言われ、練習場へ連れていかれて、揃って昼食の時間を持たされ、また尻を振る練習をさせられ、勝手に化粧を施され。


 憤慨するマティルデの唇はゆがんでいて、紅を塗るのは難しいらしい。

 自分の準備を既に終えている踊り子の少女は、声を潜めて忠告の言葉をくれた。


「ねえ、マティ。あなたこのままじゃ大変なことになるよ」

 

 目の前にいる踊り子の名前はわからない。

 昨日から何度か見かけたとは思うけれど、互いを知り合う時間などなかったから。


「ここに来てから、全然踊りができなかったり、言うことを聞かなかった子がいたの。エリサと、マール。エリサは泣いてばかりだったし、マールはこんなことしたくないってあなたみたいに反抗してた」

 ひそひそと囁くように、踊り子は言う。

「二人ともいなくなったのよ」


 ここで働けないと判断されたのなら。

 二人は、クビになった。マティルデは単純にそう考えていた。

 壺に飾りをつける仕事をしていた時、やって来たマッデンを殴って騒いだせいで、解雇された経験があったから。


「……日焼けした人いるでしょ。ザランっていう」

「わかんないわ」

「扉の外にいる用心棒よ。あの人が教えてくれたの。二人は娼館に売られちゃったんだって」


 娼館の話は、ごく最近聞いた。

 神殿を抜け出してきた日。つい一昨日、夕方頃。カリネラの青白い横顔と、瞳から零れ落ちた涙が脳裏に蘇る。


「売られる? どうして? なんで?」

 

 静かにするよう伝えられたが、そんな理不尽な話があるかと、マティルデの心は沸騰していく。


「マティ、歌や踊りを覚えたら、あなたはきっと人気者になれるわ。だってとっても綺麗だもの」

「なによ、そんなの。人気なんていらないわ」

「でも、これ以上逆らったら……。娼館に行かされたら大変だよ。狭い部屋に閉じ込められて、ずーっと男の人の相手をさせられるんだから。ここで頑張った方がずっとマシよ。ラジュみたいに認められたら、一人で出歩いても良くなるって聞いたし。ねえ、嫌なことも少し我慢して、少なくとも、食ってかかるような態度は止めた方がいいと思うよ」


 誰かの声が聞こえてきて、少女はさっとマティルデから離れていってしまった。

 親切心から忠告してくれたのだろう。それはわかる。

 けれど伝えられた内容は最低最悪、極悪非道でしかなく、心の中に怒りの炎が燃え上がっていった。


 ちょっと覗いてみただけの少女の話を全部無視して勝手に働かせた挙句、気に入らなかったら売り飛ばす。

 そんな行いが許されていいはずがない。

 大体、売り飛ばすとは何事なのか。いくらで売れて、誰の懐に入るのか?

 この劇場の支配人に? なぜ? マティルデが勝手に売り飛ばされて、悪の支配人が儲かるなんて。

 売られたくなかったら、我慢してここで笑顔を振りまいて働く?


「冗談じゃないわ」


 絶対にこんな店では働かないし、勝手な取引などさせはしない。

 マティルデはめそめそ、ぐだぐだしていたこの二日間の自分の頬を思い切りひっぱたくと、店から脱出する方法を考え始めた。

 

 

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