155 信頼の引綱
再び、薬草業者としての日々が過ぎていく。
メハルは手紙をどうしたのかわからないことをひどく気にしていて、そんなルームメイトの様子にデルフィは悩んでいた。
万が一落としてしまった場合についても考えていたので、所在や連絡方法などについては書いていない。
その場で読んで、返事をもらい、また手紙を届けるというやり方をするつもりだった。
だが、勝手に第三者に預かられてしまうというのは予想外で、どうしたものか悩ましい。
ニーロの家にいたという女性が手紙を預かっていて、家主に手紙を渡してくれていたらいいのだが。
けれど、連絡する方法も書かれておらず、どういうつもりだと思われているかもしれない。
すぐにもう一通用意すべきだったのかもしれないが、採集の仕事が入ってしまった。
メハルが気落ちしているのも気にかかる。
器用で機転が利く少年はこれまでに大きな失敗をしたことがなかったから、今回のことはショックだったのだろう。
焦ってもどうにもならない。
今は我慢の時だ。事態がどうなっているか知る術がないのだから、まずはメハルを落ち着かせた方がいい。
自分にはなにもできない、ろくでなしの役立たずだから。
出会った頃のメハルの暗い瞳を思い出す。
どんなこともやってみなければわからないし、この街で自分にふさわしい仕事に出会えるかもしれないから。
そんな風に励まし、手を貸し、共に歩いて、ここまでやってきた。
教えればどんなこともすぐに覚えて、あっという間にこなせるようになった。
今までやれなかっただけ、与えられなかっただけ。必要な栄養を与えられ、メハルは凄まじい勢いで成長していった。
「よし、それじゃあ行くぞ。メハル、準備はいいか」
「大丈夫だよ、ルンゲさん」
「緑」の迷宮の入り口で、ルンゲは眉間に皺を寄せている。
とても鋭い人だから、メハルが隠している落ち込みに気付いているのかもしれない。
人生に失敗はつきもので、成功だけに満たされた道など存在しない。
これまでがうまく行っていたから、些細な失敗であっても反動が大きいのだろう。
心が震えても、傷ついていても、乗り越えなければいけない。
メハルならば大丈夫だとデルフィは思っている。目の前にある山が案外小さいとすぐに気付いて、また前に進み出せるはずだ。
緑色の道を歩いて、草を集めていく。
群生地帯では特別に注意をしながら、たくさん拾って籠を重たくしていく。
今日拾ったものは、探索者たちの為の傷薬のもとだ。
初心者たちが必ず迷宮に持ち込む、魔法生物との戦いでできた傷に塗る薬になる。
ダンティンの手や足に、何度塗ってやっただろう。
剣の扱いが下手で、戦いのたびに怪我をしていた。
自分でやれとベリオは言ったが、ダンティンは不器用で薬をかなり無駄に使っていたから、見ていられなくて手伝うようになった。
「デントー、……いつも、ありがとうな」
最初のうちはふくれっつらで手当てを受けていたが、いつの頃からか礼を言われるようになった。
誰かが注意したのかもしれないし、感謝するべきだと自分で気づいたのかもしれない。
無鉄砲で人の話を聞かなくて、実力はないのにいつだって自信満々だった。
薬草採集の仕事は、ダンティンには出来ないだろう。
心に浮かび上がって来たこんな考えに、デルフィはふっと笑う。
声が出てしまって、慌てて下らない冗談を言って、ミンゲのことも笑わせてやる。
ダンティンが好んでこんな仕事をするはずがない。
彼の目指しているのは「頂き」なのだから。
迷宮を三十六層歩き通して、魔竜と戦い、たんまりとお宝を手に入れて、意気揚々と地上へ戻る。
そんな夢を声高に語り、腕を振り上げ、四人の仲間に呆れられていた。
「オーリー、ちょっといいか」
無事に採集を終えて地上へ戻り、次の日。
倉庫へ籠を運んでいると、ミンゲが現れ声をかけてきた。
「なんだい、ミンゲ」
手招きされて、籠を持ったままついていく。
誰もいない工房の裏までたどり着くと、ミンゲはデルフィが抱えたままの籠に一瞬顔を曇らせたが、声を潜めて話し出した。
「メハルになにかあったか?」
「なにかって、なんだあ?」
「あいつは別になにもないって言うけど、もしかして誰かにいじめられたりしてねえかな」
同じ部屋のお前になら話すんじゃないか。
ミンゲはいつになく真剣な顔で、デルフィへ問いかける。
「あんなに可愛いメハルをいじめる奴なんか、いるかなあ」
「確かにメハルは素直だし、よく可愛がられているよ。でもなあ、お前に理解できるかわからねえけど、採集班は他よりも多くもらってんだよ」
「多くって、なにを?」
「給料だよ。工房や店の仕事しかしてない連中より、だいぶ高いんだ」
難しい調合を任される者も、賃金は高い。
デルフィはもちろん理解しているが、わかっていないふりをして首を傾げてみせる。
「メハルはまだ若いだろ。見た目のせいで年よりもちょっと幼く見えるし、生意気だと思う奴がいるかもしれねえ。前にもシュナにああだこうだ言われたみたいだし、誰かに変ないいがかりつけられてんじゃないかと思ってよ」
「うう、そうなのかあ。メハルがいじめられるのは嫌だなあ」
「オーリー、まだ決まったわけじゃないんだ。誰かになにかされてるって証拠はない。お前ならなにか知ってるかと思って聞いたんだよ」
誰かと揉めたり、なにか言われたと話していないか?
ミンゲの問いに、デルフィはゆっくりと首を振って、なにも聞いていないと答えていく。
「そうか。もしなにか打ち明けられたら、教えてくれよ」
「ミンゲもメハルが可愛いんだなあ」
「はは、まあな。兄貴もだけど、メハルを弟みたいに思っているよ」
「ルンゲさんの弟はミンゲだろお?」
「馬鹿だな、オーリー。お前、一人っ子なのか?」
デルフィは笑ったままなにも答えず、ミンゲは呆れたような顔をした後、こう続けた。
「俺の下にまだきょうだいがいるんだよ。まだちっせえ弟が、故郷で暮らしてるのさ」
仕事中に悪かったなと呟くと、ミンゲは去っていき、デルフィは改めて籠を運んだ。
ルンゲとミンゲだってまだ若い。二人も生意気だと言われたことがあったのかもしれない。
二人に余計な心配をさせているのだと、デルフィは思った。
ルンゲとミンゲの優しさと面倒見の良さに感心し、頼もしい兄弟の身がいつまでも護られるよう、鍛冶の神に祈る。
メハルを励ましたいが、あまり言いすぎても逆効果になってしまいそうだ。
けれどただ放っておきたくもない。あの少年に相応しい言葉を見つけだして、送りたいと鍛冶の神官は考える。
二日後、自分が休みの日が訪れて、デルフィは出かける準備を始めた。
薬草屋の陽気なひょろ長はなにも考えていない能天気だが、買い物に出かけることはある。
すれ違う従業員にからかわれながら外へ出て、まずは東に向かって歩き出した。
「オーリー」が買い物をしに向かうところといえば、特別に大きな服を扱っている洋品店だ。
従業員に作業着は支給されるが、デルフィに合うサイズのものはない。あってもブカブカで、ズボンがずり落ちてしまう。
履物もちょうどいい物はなかなか見つからないので、オーリーのお出かけは大抵が「着る物探し」になる。
だから出掛けるオーリーを見つけた者は、こんな風に声をかけてくる。
「よお、オーリー。新しい靴でも買いにいくのか?」
「そうだよお。草を摘むために、いっぱい歩いているからなあ」
薬草店を支えているのは、迷宮から薬草、毒草を集めてくる採集班だ。
だから大抵の従業員たちは、迷宮に足を踏み入れる勇者たちを大事に扱う。
陽気でやかましい阿呆なオーリーでも、迷宮に行って草を集めてくるから、不当な扱いをしてはならない。
ただ歩いているだけの道のりも、適当な鼻歌と共に進んでいく。
弾むような足取りであちこちの店を覗きながら、じぐざぐと漂っている。
南の市場が近くなってきたら、今度は北へ向かう。
向かっているのは、オーリー御用達の洋品店ではなく、そのもっと先だ。
あの日と同じ景色が近づいてくる。
樹木の神殿の入り口には大きな神像が建っていて、人々が出入りする様子が見えた。
「藍」や「赤」の迷宮が近いから、怪我をした場合、頼りになるのは樹木の神殿だろう。
カッカー・パンラの名は王国中に轟いて、強い信仰を持つ者が多く集まっていると聞く。
デルフィはへらへらと笑いながら神殿を行き過ぎて、あたりを見回していた。
聞いた話ではこの辺りのはずで、交差する道のど真ん中でくるくると回っていた。
すると、ひとつの路地から少女の集団が現れたことに気付いた。
一人だったり、二人だったり、にこにこと幸せそうな若い娘たちが次々に出てきて、デルフィはここだと確信して進んでいく。
細い道を少女たちとすれ違いながら歩いていくと、目当ての小さな店を見つけることが出来た。
「ティーオの良品」と書かれた看板があり、小柄な男が「本日の焼き菓子は完売」の札を掛けている。
最後に落胆した少女の団体が去っていって、デルフィは店に入った。
「いらっしゃい、ようこそ『ティーオの良品』へ」
札をかけていた男が、カウンターに入りながら声をかけてくる。
「初めてのお客さんだよね」
「ああ、初めて来た! おいしいものがあるって聞いたんだ」
「ティッティ、聞いたか? 女の子以外のお客も増えてきたみたいだぞ」
ティーオは機嫌よく笑っているが、ティッティは疲れた様子で愛想笑いを浮かべただけだ。
店の大きさに対し、路地から出てきた少女たちの数はかなり多かったように思える。ティッティと呼ばれた少女は、怒涛の接客に疲れてしまったのだろう。
カウンター前の箱はすべて空になっているし、棚もひとつはなにも置かれていない。
保存食はいくつか並んでいて、味付けの種類はかなりあるようだった。
「この干し肉、わけてもらったよ。とてもとても旨かったんだあ」
「それは良かった。最近また新しい味のものが増えてね。どれも自信作だよ」
「なあ、こっちはなんだい。食べ物じゃないのもあるのかい」
「革製品も取り扱ってるんだよ。慧眼の剣士を知っているかな。探索者だけど手先が器用でね。これ、ただの袋に見えるだろう。でも違うんだ、そこらで売ってるものより、圧倒的に軽くて丈夫で使いやすい」
「靴はないのかなあ?」
「靴は……、ごめん、見たことがないや。作ってないと思うし、あなたのその大きな足に合うものは、特別に頼まないといけないんじゃないかな」
それもそうだとデルフィが笑うと、ティーオもにこにこと笑った。
メハルが話していた通り、親切で人の好い店主らしい。
「メハルに聞いてきたんだよ、ここの店のことを」
「メハルって、薬草屋で働いている?」
「そうさ! 俺はメハルと一緒に働いているんだ」
「ありがたいな。メハルの紹介で来てくれたのは、あなたが三人目だよ」
「三人? 誰だろう。ルンゲさんとミンゲと、あとは誰だ?」
「はは、みんな知り合いなのか。その人たちと、あなたで三人だよ」
「え、俺なのか!」
「そうだよ、ははは! ミッシュ商会はもうお得意さんになっちゃったなあ」
小さなかけらを振舞われた時、ルンゲもミンゲもこの店の商品をかなり気に入ったようだった。
ギアノの作るものはおいしいから。
あんなに小さなかけらでも、デルフィに大きな喜びと勇気を与えてくれている。
「メハルが、甘酸っぱいお菓子をわけてくれたんだけど……」
「乾燥果実のことかな」
「ああ。それだ。それは、売ってないのか?」
「今日はもう売り切れちゃったんだ」
ごめん、とティーオは言う。
すぐに売り切れてしまうと聞いていたけれど。
運が良ければ、買えるかもしれないと思っていた。
「そうかあ……」
メハルがお菓子を買ってきた日。せっかく買ってきたのに、シュナに取られてしまったあの日。
オーリーに食べさせてあげたかったのにと言って、メハルは泣いた。
朝も少し泣いていたけれど、あの日の夜に見た涙は一生忘れないだろうと思う。
メハルの存在に自分がどれだけ支えられているか、思い知ったからだ。
「そんなに気に入ってもらえたのかな」
しょんぼりしたデルフィをどう思ったのか、ティーオは苦笑している。
「いんやあ。メハルはあのお菓子を、人に取られちゃったんだよ」
「え、そうなの?」
「俺ぁ見てないからわからないけど、女の子が勝手に取って全部食べちゃったんだと」
「あらら」
ティッティが呟き、ティーオも唸る。
「ここのお店のお菓子がすごーく美味しかったって言ってたから、俺が買って、食べさせてやろうと思ったんだよ」
「そうだったんだ。……そっか。ごめん、俺」
「なにがごめん?」
「あ? いや、なんだろう。違うな、ごめんじゃないよね」
店主は誤魔化すようにあははと笑うと、少し待つように言い残してカウンターの奥に潜った。
そしてすぐに戻ってきて、小さな袋をデルフィに差し出している。
「これ、良かったら買っていく?」
ティーオは声をひそめているのに、オーリーの声は大きい。
「まだあったのかあ!」
「ちょっと、静かにお願い。実は知り合いに頼まれてた分なんだけど、あなたに譲るよ」
「売ってくれる?」
「ああ。あいつらは別に、明日とか明後日でいいんだ。だからさ、メハルにまた買い物に来てって伝えてくれる?」
「メハルに来てほしいんだな! 良い子だからなあ、メハルは。可愛いし、俺と違って頭もいいんだ」
「随分可愛がってるんだね。あのさ、良かったら干し肉もどうかな。新商品が二種類あるんだよ」
店主の親切に感謝して、新商品もいくつか買って、袋にしまう。
店を出てから路地を抜けるまで、できる限りゆっくりと歩いたけれど、誰ともすれ違うことはなかった。
ひょっとしたらギアノが現れるかもしれないと思っていたが、そう都合よくはいかないらしい。
寮に帰り着く前に、店の外に出ていたルンゲたちとばったり出会い、声をかけられる。
「オーリー、今日は休みか。お前が出かけるなんて珍しいな」
「服が駄目になったのか?」
仲良し兄弟の足元には籠がいくつも並んでおり、中には採集用の装備品が入っているようだ。
「修繕が必要なモンがあってな。まとめて直してもらってたんだ」
「これ全部運ばなきゃならなくてよ。オーリー、ちょっと手伝ってくれないか」
「こいつは休みだろ、ミンゲ」
「でも、上の方にしまわなきゃいけないだろ。オーリーがいてくれたらすぐに済むじゃないか」
ミンゲに頼まれ、デルフィは頷く。ルンゲは休みの日なのにとまた言ったが、メハルなら手伝うと思うと話すと、そうだなと笑った。
「ありがとよ、オーリー」
片づけを済ませると、すぐに戻っていいと言われたが、デルフィは思い立って腰のポーチを探った。
「この間、メハルがくれたお菓子を俺も買いに行ったんだあ」
「なんだと」
取り出した小袋に、ルンゲは目を輝かせている。
「メハルにもあげるから、全部は駄目だよ、ルンゲさん」
「俺はそんなに欲張りじゃねえ」
「はは、兄貴。そんな顔して!」
笑った弟に一発蹴りを放って、ルンゲは菓子を受け取り、口に放り入れた。
長く味わおうとしているのか、もぐもぐしたままじっと黙っている。
そんな兄の姿を見てミンゲはケラケラと笑うと、自分の分も口に放り込み、うめえなあと呟いて、こんな話をデルフィに聞かせた。
「修繕を頼んだ店のそばに、南の港町名物って菓子を売ってるところがあってさ」
パンのような物が並んでいたので、二人は興味を惹かれて買ってみたという。
「うまく……、なくはなかったけど、別にそこまでじゃなかったというか」
「馬鹿言うな、ミンゲ。べちゃべちゃしててちっともうまくなかったじゃねえか」
「そうか?」
「メハルはあんなに褒めてたんだぞ。あんなお粗末なモン、適当に真似して作っただけなんだよ、あれは」
デルフィはふんふんと頷き、とぼけた顔をして問いかける。
「ルンゲさんたちは、あの美味しい店に行ってないのかあ?」
「行ったよ。行ったけど、菓子は買えてねえ。まだ干し肉と鞄だけだ」
「鞄も良かったよな、買って」
「そうだな」
ルンゲは頷き、ミンゲは威張る。
「ほら、オーリーに手伝いを頼んで良かったんだ! こいつは俺の手柄だろ、兄貴」
「調子にのんなよ、ミンゲ。でもまあ、その通りだな。うめえモンをもらったお陰でスッキリしたぜ。ありがとよ、オーリー」
珍しく蹴りは繰り出されず、平和のうちに二人と別れて、デルフィは寮へと戻った。
仕事終わりの時間になるとメハルが戻って来て、二人は顔を合わせた。
「オーリー、どこかに行ってたの?」
「行ってた。ほら、これ、メハルにあげるよ」
「なに?」
差し出された小袋に、メハルは大きな目をぱっちりと開いている。
「ティーオの店に行ってきたの?」
「そうだぞお。美味しい物を食べたら、元気が出るからなあ」
「よく買えたね」
袋からひとつ取り出して、メハルに渡す。
「食事の前だけど、ひとつくらいなら平気さあ」
「……ありがとう。本当に美味しいんだよね、これ」
少年の顔から力が抜けて、ほっとしたような笑顔が現れる。
デルフィもそれに安堵を覚えて、夕食の時間を過ごしていった。
一日の予定がすべて終わって、夜。
また部屋に戻って来て二人で向かいあうと、メハルはデルフィにこんな問いを投げてきた。
「もしかして、ギアノ・グリアドに会いに行ったの?」
「いいえ。……ひょっとしたら会えるかもしれないと思いはしましたが、その為に行ったんじゃありません」
「お菓子を買いに?」
「そうですよ。メハルを元気づけたかったから」
デルフィの答えに、メハルは驚いたようだ。
「残りは二人で山分けにしましょう」
「でも」
「大丈夫、ルンゲさんたちにはもうあげましたから」
この答えはおかしかったようで、メハルは小さく噴き出し、とうとうケラケラと笑いだしている。
子供らしい笑い声が響いて、デルフィの頬も自然と緩んでいく。
笑い疲れてベッドに入ると、メハルは小声でこう囁いてきた。
「あの店に行って、お菓子を作っている人の名前を聞いてみようか」
ギアノの名前を聞き出せれば、ティーオに協力を仰げるのではないかとメハルは考えたようだ。
確かに、あの朗らかな店主ならと思わなくもない。
けれど、ミンゲに聞かされた話を思い出して、デルフィはこう答えた。
「メハル、どうやらあの菓子を真似して出す店が出来たようなんです」
「真似? なるほど、買えずに帰る客も多かったから、同じものが売っていたら買うよね」
「ギアノは以前も新しい料理を作ったんです。けれどそれも真似をされて、彼の働いていた店は潰れてしまいました」
コルディの青空がなくなった理由は、周囲の店に薬効料理を真似されてしまったからだと聞かされた。
迷宮都市ではさまざまな物が流行し、なにかが流行ると模倣品があふれ出すところだから。
「今、料理を担当している人間について聞くと、警戒されてしまうかもしれません」
ルンゲたちから聞かされた話を伝えると、メハルもすぐに理解できたらしい。
「……ああ、そっか。作り方がわからないから、作っている人に聞きたいよね。いや、作ってる人が来てくれたら一番いいのか」
「ギアノを引き抜こうとしていると思われたら、話がこじれてしまうかもしれません。だからメハル、その話をしにいくのはやめておきましょう」
ギアノが金で動くとはあまり思えないが、店主のティーオがどう考えるかはまた別な話だ。
菓子と干し肉がメインの売り物なのだから、調理担当がいなくなってはあの店は立ち行かなくなってしまう。
引き抜きの気配を感じたら、態度を硬化させるかもしれない。
「ごめんね、オーリー。俺が失敗しちゃったから」
「メハル、それは違います。失敗したと考える必要はありません」
「そうかな」
「だって、悪いことはなにも起きていないんですよ」
あの手紙が原因で起きたことは、まだなにもない。
無彩の魔術師と繋がってもいないが、悪い展開もここまでなかった。
「メハルは本当によくやってくれています。僕が君にどれだけ感謝してるか、心の中を見せられたいいのに」
「……そんなに?」
「きっと、君が僕に感謝してくれているのと同じくらいです」
「同じくらい?」
「間違えました。多分それ以上です。メハル、僕はあの日、君を見つけられて、声をかけて本当に良かったと思っています」
メハルの返事はなかったが、小さく鼻をすすり上げる音が聞こえた。
狭い二人部屋の中では、涙をごまかすのは難しい。
けれど今はこれ以上の言葉は必要ないと感じて、デルフィは静かに目を閉じた。
次の日。神官が考えた通りだったようで、新しい朝を迎えた少年の顔はとても晴れやかだった。
「おはよう、オーリー」
デルフィも起き上がって、元気よく腕を振り上げる。
「おう、おう! 今日も元気だ! おはよう、可愛いメハル!」
「やめてよもう、いちいち可愛いなんて言わなくていいから」
鬱陶しい同僚を軽くあしらうと、メハルは朝の支度を始めた。
デルフィもほっとして、まずは着替えをしていく。
まだ、寮の部屋で二人きりだ。
だからメハルはひっそりと抑えた声で、こう呟いた。
「ギアノ・グリアドはすごく優しそうな人だった」
会って話した時間は短かったが、そう感じたと少年は言う。
「だからきっと、あんなに美味しい物を作れるんだね」
オーリーとギアノ・グリアドが、また会えますように。
メハルは時々閊えながらも祈りの言葉を紡いで、最後に鍛冶の神の名を称えた。
「ありがとう、メハル……」
「駄目だよ、オーリー。もっと笑って」
デルフィは頷き、両手を思い切り高く振り上げる。
「そうだなあ、オーリーは、元気だけが取り柄なんだからなあ!」
楽しげに笑うと、メハルはまた声を抑えて話し始めた。
「明後日、俺、休みなんだ。手紙を届けにいくよ。今度は他の人には絶対に渡さない」
だから、また書いてくれる?
力強い瞳に、デルフィは思わず頷いていた。
前の手紙はちゃんと届いているかもしれないのだから、次の訪問で返事を確認できるかもしれない。
夜の間に再び無彩の魔術師への手紙を認めて、メハルに預ける。
少年の休日が過ぎて、再び夜になり、部屋で落ち合うと、メハルはがっかりした様子で結果を教えてくれた。
「駄目だった。留守にしてたみたいで、誰も出てこなかったよ」
「そうでしたか」
あまり何度も家を訪ねると、メハルの姿が誰かに覚えられてしまうかもしれない。
ただの薬草屋の少年が高名な探索者の家を直接訪れてなにをしているのか、訝しむ者が現れるようなことだってあるかもしれない。
メハルを守る為には、慎重になりすぎるくらいがいい。
だから、また行ってくるよという少年に、その必要はないと告げる。
「他の方法を考えます。焦る必要はありませんから」
ギアノがまだ迷宮都市で暮らしているとわかっただけでも、大きな前進だった。
デルフィの話に、メハルは複雑な顔で首を傾げている。
「俺が探し当てたわけじゃないけど」
「でも、メハルがあの場にいたことがギアノに繋がったんです」
「そっか」
デルフィは頷き、新たな道がどこにあるか考えていく。
最後の手段として、雲の神官長であるゲルカに頼ってもいい。
ゲルカから樹木の神官長を通じて、彼の探索仲間であるという魔術師ニーロに伝えてもらう。
少し遠回りなやり方だが、神殿を纏める立場の二人ならば信頼できる。
次の計画を考えながらベッドに入ると、向かいから小さく声が聞こえた。
「俺、なんでも手伝うからね」
「メハル」
「力になるから。だから、遠慮しないでなんでも言って」
いつの間にこんなに成長したのかとデルフィは思った。
寂しげに蹲っていた頼りない子供の面影は消えて、力強い相棒になってくれたのだと。
素直で、可愛げがあって、まっすぐなメハルは、ベリオとは正反対だとデルフィは思った。
ひねくれていて、簡単に信用せず、周囲からは誤解されていた、前の相棒とは正反対だと。
そんな風に考えたら、怒るだろうか。
夢の中で文句を言われるかもしれないと思ったが、朝目覚めた時にはなにも記憶に残っていなかった。




