151 波乱
――本当に迷い道がなくなっている。
以前とはうってかわってすっきりとした通りを、スカウトの男は軽い足取りで歩いていた。
そろそろ次の探索の相談をしなければならないけれど、皆、魔術師を呼びに行くのは面倒だと思っているから。
なので、ノーアン・パルトはひとり、人気のない静かな道を歩いていた。
四人の探索者に協力してくれる魔術師の名は、ポンパ・オーエン。
付き合いはそれなりに続いている。
が、ノーアンの仲間たちは彼を余り「好きではない」ようだ。
罠について詳しい上、貴重な「脱出」の使い手だし、攻撃の魔術も様々に使えるのに。
魔術師にしては珍しくちっともがめつくないのにも関わらず、好かれていない。
固定の仲間であろうがなかろうが、魔術師たちは大抵、取り分を多くするよう求めてくる。
その中でも特に「脱出」を使える者は、自分を特別扱いするよう主張する。
君たちを安全に運ぶのは、時間と金をかけて学んだ奇跡の力なのだからと。
多少は譲ってもらえても、結局魔術師の取り分は少し多くなる。そう決まっている。
「帰還の術符」は使えばなくなるからだ。
魔術師は死なない限り、何度でも安全に迷宮から飛び出せる。
だから魔術師の要求は仕方がない。探索者にとっては「そういうもの」ということになっていた。
けれど、ポンパは違う。彼は請求しない。たまに「橙」の二十一層に付き合ってくれれば皆と同じ額で良いと言ってくれる。
目的の屋敷に辿り着き、ノーアンは扉の前で立ち止まった。
欲張らないし、腕も悪くないけれど。
仲間たちはそうぼやく。
もっと良い魔術師を仲間に迎えたいと考えているようだった。
魔術師は特に大勢から求められていて、良い人材ほど決まった仲間がいる。だから、すぐに代わりは見つからない。
探索に挑む時、脱出の使い手がいるかいないかの違いは余りにも大きい。この切り札は、絶対にあった方が良い。
だから妙な頭の変人でも妥協するべきであり、ノーアンには呼びに行く役目が任されている。
「ポンパ、いるかい」
扉を叩いて、呼びかけて。
返事はなく、留守にしているのかとノーアンは考える。
試しに手をかけてみると、扉はすんなりと開いてしまった。
「ポンパ? ノーアンだけど」
と、言ったつもりだった。お馴染みの探索者だと名乗ろうとしたが、ノーアンは身を躱し、床に転がっていた。
汗をどばっと噴き出しながらもう一度家主の名を呼ぶと、ぱたぱたと足音が聞こえてきて、ポンパが笑いながら現れる。
「はは、さすがはノーアン。うまく避けたな! 素人なら腹に穴があいていただろう!」
どうやら罠が仕掛けてあったらしく、玄関には槍が突き刺さっていた。
天井から伸びてきた槍は太く鋭く、ドアを開けた者を容赦なく貫く気しかないように見える。
「冗談きついよ、家の中に罠なんて」
「むう! 誰も手を貸してくれなかったのはそちらなのだから、仕方がない」
「なんの話?」
聞き出すのに少し時間がかかったが、どうやらポンパは謎の男たちの襲撃を受け、仲間たちへ匿ってほしいと頼んだのに断られてしまったという経緯があったようだ。
「セデルから聞いていないのか」
「聞いてない」
「伝えていないとな? なんと薄情な男だ! あんなに男らしい良い体をしているというのに!」
「へえ、そう思ってるんだ」
二人暮らしをするノーアンの同居人は戦士のセデルで、確かに体格は良い。頼もしく見えるようで、女性にもモテる。
ノーアンにわかるのはそのくらいだ。
二人で暮らしてはいるが、親密な交流をしているわけではない。同じ家に住んでいるのに何日も顔を合わせないことだってある。
大事なことだけ伝えておけば、問題は起きない。セデルはそんなやり方ができる相手で、同居するのにちょうどいい仲間だった。
セデルにとってポンパの訪問は「大事な話」ではなかったのだろう。だから、ノーアンが知らなかったのは仕方がない。
「罠のことはわかったよ。そもそも勝手に開けたのが悪いんだしね」
「いや、ノーアン。ポンパも悪かった。こんな仕掛けをしているのだから、素早く応対しなければならなかったのだ」
「鍵をかけて、簡単に開かないようにしておいたらどうかな」
「その通りだな。わかった。この木っ端魔術師は考えが足りない! 反省しなければならぬ」
「で、ポンパ。そろそろ探索に行きたくてさ。集まりに来てもらってもいいかな」
ポンパは毛のない方の頭をさすりながら、わかったと答えてくれた。
「今から行ける?」
「なんだと? まったく、いつも急なのだな」
「無理なら別の日でもいいよ」
「いや、いや、大丈夫。一緒に歩いてくれるのだよな、ノーアンは」
支度が済むのを待ちながら、ノーアンは魔術師の家の中をうろついていた。
ポンパは自分の見た目にはこだわらないのに、家具や食器は良い物を揃えていているからだ。
お構いなしに皿やカップに触られるのをポンパは嫌がるが、文句を言ってくることはない。
魔術師はそわそわしながらも準備をすすめ、着替えを済ませ、靴を履き替え、髪をひとつに束ねている。
出かける準備の最後に、招かれざる客が来た時のための撃退用魔術の用意があって、家を出るまでには時間がかかった。
この日の集まりは残りの二人、ファリンとエーヴが暮らす売家で、ポンパと並んで一緒に向かう。
ノーアンは気にしないが、ひょっとしたら仲間たちから遅いと文句を言われるかもしれない。
エーヴはせっかちな性格で、集合後に案の定「どうしてこんなに遅いのか」と責められてしまった。
「いや、こっちがポンパを急に呼びつけたんだからね。とにかく次の探索の話をしよう」
ノーアンの言葉で場は落ち着き、話し合いが始まる。
二軒の売家にわかれて暮らしている探索者たちが次に目指すべき道は、いくつかあった。
生活費を稼ぐのはもちろんだが、ここらでひとつ「これまでにやらなかったこと」を試してみないかという話になっていた。
そうなると当然、「いずれかの渦の底に辿り着いてみないか」という案が浮上してくる。
初の踏破者を狙うのは難しいし、「橙」や「緑」ではうまみもなく自慢にもならない。
だからもし底を目指すのなら、「藍」か「赤」が妥当だ。できれば「赤」で、十三層を制した上で最下層へたどり着くのがいいだろう。
「『藍』で試した後、『赤』に行くっていうのはどうかな」
「確かに、いきなり『赤』に行くよりはいいな」
前衛の戦士であるセデルとエーヴが話し合い、どうだろうと仲間に意見を求めてくる。
ポンパは隅にちょこんと座っていて、うつむいたままじっと視線だけを四人に向けていた。
「藍」は敵がさほど強いわけではないが、灯りの仕掛けがある。戦闘はなるべく早く終わらせて、罠の位置を正確に把握しておかなければ底には辿り着けない。
探索に必要な技術が多く求められるところで、更なる強さを求められる「赤」に挑む前の良い鍛錬になるだろう。
それになにより、鹿が出るのが良い。
稼ぎも見込めるし、セデルは肉を焼くのが上手いから。迷宮内でしか味わえないワイルドな肉料理は、探索中の数少ない楽しみだった。
「そういえばさ、ノーアン」
話がまとまりかけたところで声をあげたのは、船の神官であるファリンだった。
四人はみんな似たような年頃の若者だが、この神官は他の三人と違って裕福な家の出で、話し方もゆっくりだし、基本的に贅沢を好むという探索者らしからぬ男だ。
「無彩の魔術師と『白』のふかーいところまで行ったっていうのは本当なのか」
「誰に聞いた?」
「誰に聞いたかなんて関係ないだろう。本当なのかって確認しているんだよ」
「うん、まあ。そうだな。行ったよ」
ニーロに誘われ、彼の仲間たちと「白」の下層まで行った。
ノーアンは素直に認めたが、ファリンは何層まで行ったのか、同行者が誰だったのか正確に教えろと迫ってくる。
「ノーアン、いつの間にそんな探索に?」
セデルが唸り、エーヴが驚く。
「なんで知らないんだよ、セデル」
「どうせ女と遊んでたんだろう」
「俺のことなんかどうでもいいだろう。いや、ノーアン、お前すごいな」
ファリンは笑い、エーヴはなぜか青ざめ、セデルは興奮している。
そして四人から少し離れて座るポンパは、鋭い目をしてノーアンを睨んでいた。
「いやいや、三十層まで? 初めてだよな、そこまで潜った探索者は」
「知らないだけで、既にいたのかもしれないけどね」
「謙遜するなよ、ノーアン。なんにせよあの無彩の魔術師たちと長い探索をしたんだ。どうして教えてくれなかった。そういう話は全員に聞かせるべきだろう」
「興味ある?」
「あるに決まってる。なあ、儲かったのか?」
ファリンが中心になってわあわあ騒いで、話せることはすべて打ち明けた後。
ようやく落ち着いたかと思ったのに、マイペースな船の神官はとんでもないことを言いだしている。
「こっちはノーアンを貸し出したんだから、無彩の魔術師に来てもらえないかな」
仲間たちの瞳が輝く。
セデルとエーヴはいいアイディアだと思ったようで笑みを浮かべているが、ポンパの目のギラつきは増したようで、ノーアンは不穏な気配を感じている。
「どうかした、ポンパ」
ノーアンが声をかけると、低い唸るような声がかすかに聞こえた。
なにか言ったようだが、三人がはしゃいでいるせいで内容はわからない。
「それはいいな。無彩の魔術師が来てくれたら心強い」
「少し風変りだって聞くけど、どうだった?」
「変なところなんかなかったよ」
むしろどんなこともハッキリしていて、付き合いやすそうだと思ったくらいだ。
ポンパの唯一の長所である「がめつくない」についても、ニーロはクリアしている。
新しく発見できた物をもらうかわりに、自分の取り分を減らしていた。
確かに新発見ではあるが、魔法生物の小さなかけらなど、さほど高く売れるとは思えない。あの「白」の探索で一番儲けが少なかったのは魔術師であるニーロだ。
「ノーアン、呼んできてくれよ」
セデルは軽く言うが、そんなにほいほいと来てくれるかどうか、スカウトは首を傾げている。
「あとさあ、ノーアン」
船の神官はどこで情報を仕入れているのか、有名な上級探索者たちとの迷宮行について詳しく知っていたらしい。
「もう一人いたんだろう、魔術師が。あの美髯の騎士殿の恋人って噂の、異国から来たっていう驚くほど美しい女性が」
セデルとエーヴは頬を紅潮させ、なんだそれはと鼻息を荒くしている。
ファリンは詳しく話すよう促してくるが、どう答えたものか、ノーアンは悩む。
確かに美しい人だったし、異国から来たのは間違いない。魔術師なのも確実だろう。
けれど本当に女性だったのかよくわからないし、ウィルフレドとの関係性も複雑そうだった。
「きれいな人ではあったよ。珍しい肌の色をしていてね」
「黒い肌なんだって?」
「それは間違いない」
「おい、勿体ぶるなよ、ノーアン」
「いや、あんまり個人的な話はね。たいして聞いていないし、勝手に話すのもどうかと思うんだ」
こんな会話から、ノーアンが「白」の探索をしている時に「異国から来た美人魔術師が一緒だった」ことだけが確定してしまう。
ニーロよりもその美女を誘ってはどうかとファリンが言い出し、光の速さでセデルが同意する。
「腕はどうなんだ、その美しい人は」
エーヴに鼻先まで迫られ、ノーアンは正直に「良かった」と答えてしまった。
戸惑うスカウトにはお構いなしに、セデルたちは「その魔術師を呼ぶべきだ」と結論を出したようだ。
「ノーアン、駄目だぞ。美女と一緒に探索に行くなんて経験を独り占めするなんて」
「独り占め?」
「大事な仲間を差し置いて、ズルいじゃないか。明るくて気さくで、なのに信じられないくらいの美しさだって聞いたよ」
「明るくて気さくで美人?」
「カッカー・パンラ夫人みたいな感じか」
「いや、ヴァージ・パンラよりもずっとずっときれいだって商人たちは話していたよ。神秘的で、男なら誰もが抱きたいと思わせるような女なんだと」
ファリンから飛び出してきた情報について、セデルとエーヴは聞き捨てならないと思ったようだ。
「本当か、ノーアン」
なんてことを確認してくるんだと思いつつ、スカウトは首を捻って考える。
「確かに魅力的だったよ。目がとにかく大きくて」
ロウランは確かに途轍もなく美しかった。
だが、態度や話し方は年配の男性のようだった。
言い出しにくくて、ノーアンは内心でこう思っている。
内心で済ませてしまったので、興奮した三人の仲間には伝わらない。
「どこにいるのかは知ってるか、ノーアン」
「いや、もうポンパを呼んできたんだよ」
ニーロもロウランも来てくれるかどうかわからないのだし、この話はまた別で考えるべきではないか。
冷静な提案に、三人は不満らしく顔をしかめている。
一方、形容しがたい顔をしていたポンパは、この発言で正気を取り戻したようだ。
「まずは『藍』の底を目指して、無事に辿り着けたら次は『赤』。さっき決めた通りに挑戦していこう」
ごくごくまともに話はまとまって、三日後から探索に行くことが決まる。
これで、集まりは解散となった。
最下層を目指す探索なのだから準備は入念にしなければならない。
底へ続く道のりか判明しているとはいえ、「藍」には未踏のエリアがあまりにも多いから。
地図をよく確認しておこうと考えながら、ノーアンは同居人と共に家路を歩いていた。
「おーい、セデル、ノーアン! ちょっと待ってくれ」
後ろからした声で立ち止まる二人のもとに、ファリンとエーヴが揃って駆けてくる。
「どうした、なにか忘れたか?」
「いや、今から行ってみないか。魔術師ニーロの家に」
こんな提案をされて、セデルはニヤリと笑っている。
もう済んだ話ではないかと戸惑うノーアンに、ファリンは何故追ってきたのか、説明を始めた。
「この間聞いた話を思い出したんだ。魔術師ニーロと例のとてつもなく美しい人が、一緒に歩いていたってね」
二人の仲はかなり親密なのではないか、噂になっているとファリンは言う。
人から人へ伝えられた結果なので、多少の間違いはあるかもしれないが、とにかく二人で連れ立って歩く仲なのは間違いないと。
「無彩の魔術師でもいいし、その美女でもいいと思わないか」
「思う」
間髪入れずにセデルが頷く。エーヴは既にこの話を聞かされ、同意しているのだろう。
実際に見ていたノーアンとしても、二人の仲は親密なのだろうと思う。まだ出会ってから日が浅そうな雰囲気だったが、迷宮を歩きながら距離を縮めているように見えた。
「いや、でも、もうポンパを」
「そんなことはわかっているさ。そもそも、いきなりの訪問だよ。無彩の魔術師は留守にしているかもしれないだろう? 在宅ならとりあえず話を持ち掛けてみればいいし、可能なら例の美女を紹介してもらえばいいんだ」
とにかく聞いてみなければわからないのだから。
この勢いに抗えず、結局ノーアンは仲間たちと夕暮れの町を歩いていた。
道案内をさせられ、黒い石を積んだ家に辿り着いてしまう。
顔見知りなのだからと促されて、扉を叩く役目まで負わされて。
仕方なく扉を二回叩くと、中から鍵を開ける音が響いた。
「おお、ノーアンではないか。よく来たな」
客の姿を確認すると、ロウランは大きな目を細めて微笑み、歓迎してくれた。
一緒に「白」に行っただけの間柄なのに、名前をはっきりと覚えてくれていたようだ。
魔術師は来客の前に進み出てきて、腕に触れ、元気にしていたかと囁いてくる。
あまりにも麗しい美女が出てきて興奮したのだろう、背後の三人が揃って息を呑む音が聞こえていた。
「ニーロは買い物に行っている。俺もついていったのだが、余計な口出しをしないでくれと追い出されてしまってな」
だから一人で帰って来て、ニーロを待っているのだろうか?
無彩の魔術師の家にいる理由は不明だが、暇を持て余していたのか、「いいところに来た」とロウランは笑っている。
相変わらずの美しさだが、ノーアンはふと違和感を覚え、記憶を探った。
魔術師は上機嫌な様子で腰に手を回してきた上、頬を撫でまわしてきて、それで気が付いた。
瞳の色が違う。黄色がかった緑色だったはずが、赤みを帯びた深い青に変わっている。
「おや、後ろの連中は? お前の連れか」
「そうです。みんなあなたの噂を聞いて、……なんと言ったらいいのかな」
「ははは、なるほど。女の噂を聞きつけて、どんなものか確かめに来たのだな」
ノーアンの脇をするりと抜けて、ロウランはセデルたちの前に進んだ。
瞳とお揃いの青紫色のローブの裾をゆらゆらと揺らしながら歩いているだけなのに、三人の鼻息は荒くなっていく。
「想像した通りだったか?」
「いや、それ以上です」
「あなたは魔術師なのですか」
顔を真っ赤に染めたファリンの問いに、ロウランはにっと笑った。
「一緒に探索に行ってほしいんです」
セデルの顔はだらしなく緩んでいて、下心はもう隠しきれないほどに膨らんでいるようだ。
「ほう、どこへ向かう気だ。『黒』か、それとも『青』か?」
「いや、さすがにその二か所は……。我々は今『藍』と『赤』に挑む計画を立てているんです」
戦士の正直な告白に、魔術師はまたくすくすと笑った。
手で口を抑えた姿にうっとりとして頬を染め、エーヴは心のうちを漏らしてしまっている。
「なんてきれいな人だ」
セデルとファリンはこくこくと頷き、ロウランはそんな三人に笑みを浮かべ、こう問いかけた。
「抱きたいか?」
ノーアンは耳が良いので、セデルの小さな小さな独り言を聞き逃さなかった。
ロウランにも聞こえていたようで、戦士の「いいのか?」に対し、答えを示している。
「いいぞ。どんな迷宮の底にでもたどり着ける程の強さを持っているのならな」
色めき立っていられたのは一瞬だけで、三人はあきらかに肩を落としている。
その様子がおかしかったのか、ロウランは笑いながらノーアンの隣に戻り、しなだれかかってきた。
「『藍』と『赤』に挑むのか」
「そうです。あの……」
魔術師はおかまいなしにスカウトの体のあちこちに触れ、仲間たちそれぞれの瞳に嫉妬の炎が燃え上がっていく。
「なにを目的とした探索だ?」
「最下層を目指そうと思って」
「お前らは四人組のようだな。魔術師はおらんのか」
ノーアンが口籠る間に、三人がそれぞれに肯定の言葉を並べていた。だから来た、噂を聞いた、力を借りたい、あなたと行きたい、と。
ロウランは自分に対する誘い文句すべてに頷き、こう囁く。
「ふふ、ノーアン、お前と組んでいるのなら、腕は悪くないのだろう」
魔術師の言葉に手応えを感じつつも、仲間に対する嫉妬は深まっているのか、三人はそれぞれに複雑な表情を浮かべている。
「ところで、あそこから覗いている男は知り合いか?」
ロウランの肌は艶やかで、指を立て、路地を指す動きですらも華麗で魅惑的だった。
三人はうっとりとしたままぼんやりと魔術師を見つめており、建物の陰からこちらを見ているポンパには気付いていないらしい。
「ポンパ」
ノーアンが声をかけると、覗き見していた木っ端魔術師はぴょんと飛び上がり、一度は背を向けて逃げようとした。
だが三歩ほど進んだ先で気が変わったのか、くるりと振り返ってニーロの家の前まで近づいてきた。
「知り合いか、ノーアン」
「協力してもらっている魔術師で」
セデルたちはとんだ邪魔者の登場に顔をしかめ、ロウランは興味深げに新たに登場した男を見つめている。
ポンパは頭まで赤く染めて、自分を見つめる麗人に息を荒くしていた。
「はあ、はあ……。なんとお美しい方だ。こんな木っ端魔術師では到底直視できない! ノーアン!」
「なんだいポンパ」
両手で目を隠して悶えながら、紹介してくれい、とポンパは呟いている。
ノーアンが困った気分でロウランへ目を向けると、麗しの魔術師はゆっくりと頷いて答えた。
「珍妙な禿げ方だが、魔術師としては悪くはなかろう。目指してみてはどうだ、最下層を」
そんな、と声を合わせたセデルとエーヴに、ロウランはふふんと笑う。
「無事にたどり着いて戻って来たら、同行してやってもいいぞ」
「え、本当ですか?」
「ああ。見てみたいからな、魔竜とやらを」
底まで歩き抜く力があることを示せれば、異国から来た美女との探索が楽しめる。
条件つきとはいえ、明言された。セデルたちは喜び、準備をしなくてはいそいそと去っていく。
ポンパは黙ったまま立ち尽くしており、そのせいでノーアンもこの場を離れられない。
「あの、本当にいいんですか」
「なにがだ、ノーアン」
「一緒に行くなんて約束をしちゃって」
「構わんぞ。どんな迷宮だろうが、三十六層も歩いて進むのは大変なこと。成し遂げられる者となら、進むのは楽しいだろうからな」
なあ、と同意を求められ、ポンパは身を縮めている。
顔を覆っている指の隙間からちらちらと覗き見はしているようだが、本人の言う通り「直視」はできないのだろう。
「どうした、何故なにも言わん?」
「ひぃ! ノーアン、ああ、ノーアン、あとは頼んだぞ!」
木っ端魔術師も走り去っていき、取り残されてしまう。
そんなノーアンを見て、ロウランはまた笑った。
「随分と面白い仲間がいるのだな」
「そうなの……、かな」
「どちらに行くのか知らんが、底を目指すのだろう?」
「まずは『藍』に行く予定です」
ノーアンの答えに口元を緩ませ、ロウランはぴったりと身を寄せてくる。
「無事に戻って来い、ノーアン。いいな。必ずだぞ」
最後にまた頬を優しく撫でると、麗しの魔術師は家の中に去っていってしまった。
それでようやくスカウトも帰路について、底を目指す探索の準備に取り掛かる。
必要な物を取り揃え、並べ、セデルと一緒に互いに忘れ物がないか確認していく。
手持ちの「藍」の地図を広げて、最下層へ続く道のりを辿り、頭に叩き込んでいく。
灯りの仕掛けは、どれも等間隔に設置されているわけではない。特別に間が空いている箇所が何層にあるのかも記憶して、自分で書きこんだ注意書きも読み返しておくべきだろう。
セデルは装備品の点検をしながら、ご機嫌な様子で鼻歌を歌っている。
彼の故郷の歌なのか、初めて耳にする旋律だとノーアンは考えていた。
「俺たち、行けるよな、ノーアン」
「『藍』の底に?」
「そういやあの人、なんて名前なんだい」
名前も知らずにこんなに浮かれて、共に歩く日を夢見ているのか。
いや、違う。その先にちらりと顔を出している「もっと深い仲」に、もう期待してしまっているのだろう。
「ロウランだよ」
「ロウラン、だけ?」
「それ以上は聞いてない」
そう、それ以上はなにも知らない。いきなりやって来て、魔術師だと紹介されただけだ。
探索の間に全員に平等にちょっかいを出していたが、個人的な話などしなかった。
迷宮都市では珍しくない人間関係だが、さすがに不思議で不可解な人物だとノーアンは思っている。
瞳の色が変わることなどあるのだろうか。それすらも魔術なのだろうか。
「白」の迷宮の入り口で出会った時に見た黄緑色の輝きは、神秘的で、これまでで感じたことのない魅力をまき散らしていた。
今日再会したロウランと姿形は変わりないのに、全身から放たれていたものはなくなってしまったように思える。
「そうか。ところでちょっと……、聞いておきたいんだけど」
「なに?」
セデルは仲間をじっと見つめたまま小さく口を開いたが、結局質問は飛び出してこなかった。
「そんなわけないな」
「なにが?」
「いや、いいんだ。すまない」
持ち物を確認しながら、ノーアンはふと気づいていた。
なくなったのではなく、変わったのだと。
瞳の色と同様に、ロウランからにじみ出ているものにも変化があっただけだ。
勝手にひとりで納得をして、スカウトは探索に必要なものを袋に詰めていった。
準備や確認にしっかりと二日を費やし、約束の日がやって来る。
朝早くは「稼ぐ探索」の為に大勢が集まるので、それなりの実力者であるノーアンたちが集ったのは昼を過ぎてからだった。
集合場所には既にポンパの姿があり、セデルとノーアンがたどり着くと、少し遅れてエーヴとファリンがやって来た。
「よし、それじゃあ最下層を目指す探索に向かうぞ」
こういった時にまとめ役を買って出るのは、前衛を務める戦士の一人であるエーヴと決まっている。
「報酬は五等分でいいな」
セデル、ファリン、ノーアンが頷き、返事をしないポンパに視線が集まる。
「ポンパ、いいかい」
この魔術師はよく黙りこむのだが、今日はやけに表情が硬い。
ノーアンが確認すると、小さな声で返事があった。もちろん、構わないと。
「忘れ物はないか。食糧は十分に持っているか」
最後の確認を済ませて、梯子を下りる。
張り切って朝から挑む連中はもういなくて、扉の前にすんなりと辿りつく。
五人組の先頭を行くエーヴは、迷宮の入り口前に進むと、ニヤリと笑った。
セデルは気付いていないが、ノーアンには見えた。
「行こう」
どうやらエーヴも、今回の探索より、その先に待ち構えている「お楽しみ」に気をとられているようだ。
どこかで注意する必要があるかもしれない。そんな少しばかりの懸念を抱えて、ノーアンは前に進んだ。




