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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
32_Sense of Justice 〈猟犬と調教師〉

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153/244

147 傷だらけの足でも

「あっ」


 廊下を歩いていると声が聞こえて、ヘイリーは音のした方へゆっくりと目を向けた。

 どうやら食堂らしき場所に、フェリクスが立っている。


「フェリクス」

「ヘイリーさん、どうしたんですか」

 少しだけ声が聞こえたとフェリクスは言う。遠慮がちに、様子を窺うように。

「聞こえていたのか。すまない、少し取り乱してしまって」

 探索者の青年は小さく口を開いたが、なにも言わずに近づいてきて、背中を撫でてくれた。

 フェリクスもまた、妹を失ったばかり。

 こんな状況が重なる者など、なかなかいないだろうと思える。


 どこからやって来たのか、アダルツォがいつの間にか隣に立っていた。

 休んだ方がいいのではないかと気遣われ、食堂の隅へ連れて行かれる。

 小柄な神官はお茶を持ってくると言って去っていき、ヘイリーは二人の親切に感謝して礼を伝えた。


「……君は借金のために探索をしていると言っていたね」

 嫌な共通点について話したくなくて、調査団員は思わずこんな問いを口にしている。

「ええ。強くなるために来たのに、最初にミスをしてしまって」

「ミスか。最初はみんな、失敗するものだ」

「そうですね」

 フェリクスは自嘲的な笑みを浮かべて、ヘイリーをまっすぐに見つめた。

 それでようやく、ヘイリーも背筋を伸ばしている。

「君はこの街に来てどのくらいかな」

「一年と少しくらい。短いですが離れていた時期もあります」

「波打った金髪の男を知らないだろうか。どうやらたいした男前のようなのだが」

 なにげなく放った台詞に、フェリクスの顔色は明らかに変わった。

「知っているのか?」

「知り合いというほどではないんですが」

「見かけたことがあるのかな」

「……それだけの特徴では、あなたが探している人物かどうかはわかりませんよね」


 確かに。フェリクスの言う通り。

 伝え聞いたあやふやな見た目の情報だけでは、人物を特定するのは難しい。


「誰か探しているんですか?」

「ああ、その金髪の男と……」


 ギアノに聞かされた話で、心が乱れていた。

 なにがあったのかわからない。もしもチェニーが本当に「二人」の命を奪ったのだとしたら、どうしようもない理由があってほしかった。

 だから、真実に早くたどり着きたい。どんなに些細な情報でもいいから、誰かに教えてもらいたくて、もう一人の名前を口に出していく。


「鍛冶の神官の、デルフィ・カージンを探している」

「デルフィ?」

 また、フェリクスの顔色は変わった。明らかに驚いた表情で、ヘイリーは慌てて問いかけていく。

「まさか、知っている?」

「……一度会っただけですけど」

「いつだ?」

「随分前です。この街に来たばかりの頃に」


 一年以上も前では、ヒントにはならない。

 か細い糸を掴んだはいいが、切れてしまったようだ。

 ヘイリーの勢いが一瞬でなくなったことに気付いて、フェリクスは戸惑ったような顔で言葉を繋げていった。


「その鍛冶の神官デルフィと一緒に暮らしていましたよ、波打った金髪の男は」

「なに?」

「その男とは二度会ったことがあります。どちらもここへ来たばかりの頃ですが」

「名前はわかるか」


 フェリクスは頷き、男の名を教えてくれた。

 その男はジマシュと名乗り、街に来たばかりの初心者に親切に声をかけてくれたのだと。

 フルネームはわからないというが、青年の口から飛び出してきた言葉は興味深いものだった。


「俺が借金を負う原因になったのが、そのジマシュという男なんです」

「なんだと」

「単に言い間違えただけなのかもしれないけど、『黄』の迷宮の位置を教えられてしまって」


 アダルツォがやってきて、お茶を二人の前に並べてくれる。

 ヘイリーたちの間に流れる緊迫感に気付いたらしく、神官は静かに去っていった。


 「黄」は熟練の者でも手を焼くほどの恐ろしい場所で、「橙」とはまったく違うところなのだという。

 共に入った三人が一瞬で命を失った話は背筋が凍るもので、ヘイリーは迷宮に対する認識を少し改めている。


「大変な目に遭ったんだな」

「はい。本当に運良く助かったし、そのお陰でこの屋敷の世話になることもできたんですが」

「ですが?」

「……ひょっとしたらわざとだったのかもしれないと思っています」


 フェリクスはジマシュへの疑念について、簡単にだが説明してくれた。

 後日再会した時に起きた出来事も、まったくの偶然と考えていいのかわからないのだと。

 鍛冶の神官であるデルフィもその場にいて、酷く苦しんでいたようだ。

 

 金髪の男がそのジマシュかどうかはわからない。

 けれどそこに「鍛冶の神官のデルフィ」も出てくるのなら。

 「あの人」はジマシュであり、「おそろしい人」なのかもしれない。


 迷宮を利用して悪事を働いたとしても、誰もいなければ、どんな出来事があろうと知られずに済む。


 どうやらフェリクスは迷宮の悪用について、調査団に報告をしておきたかったようだ。

 昨日のチェニーの話を聞いて、そう考えたらしい。


「彼は東側にある貸家で暮らしていました」

「行ったのか」

「一度だけ」


 案内してもらえないかと頼むと、フェリクスは快諾してくれた。

 アダルツォと同じ顔のかわいらしい神官に出かけることを告げて、二人で屋敷を出る。

 はっきりと覚えているか心配だと言いつつ、フェリクスはジマシュの貸家へちゃんと案内してくれた。

 だが、扉を叩いても誰も出てこないし、反応はない。

 探索者は家にいない時間も長いというが、何故か窓はすべて板が打ち付けられており、塞がれている。

「もう住んでいないのかもしれないな」

 フェリクスは頷き、そうかもしれないと答え、探索者ならば命を落としている可能性すらあると教えてくれた。


 迷宮とはなんと恐ろしいところなのだろう。

 こんなにも死が溢れた場所で、よく探索などしていられる。

 そう思ったものの、フェリクスの横顔に浮かぶ寂寥に、ヘイリーは口を噤んでいた。

 彼は妹を救おうと考え、この街で資金を稼ぎたかったのに。

 なのに、親切を装った男に邪魔されてしまった。

 決して好きで探索をしているわけではないのかもしれない。

 仲間として過ごしている三人と、フェリクスの様子は明らかに違うと思えた。


 案内に礼を言って、探索者の青年と別れた。

 西へ向かって歩きながら、樹木の神官長を訪ねるつもりだったことをようやく思い出している。


 自分がひどく情けなく思えて、ヘイリーは目頭を押さえて立ち止まった。ついでに、大きなため息も一つ吐き出していく。

 両親は今頃どうしているのだろう。それほど大きくはなくとも、王都に家を構えて、二人の子供を愛情深く育ててくれたのに。

 もうなにも残っていない。娘はいなくなったし、息子の将来も閉ざされた。

 田舎の親戚を頼ると言っていたし、荷物はまとめていたが、ちゃんと出発したかどうか。

 せめて、見届けるべきだったか。謝り続ける母も、酒ばかり呷るようになった父も見ていたくはなかったけれど。

 

「あのう、ひょっとして調査団の方でいらっしゃる?」

 魔術師たちの屋敷が並ぶ通りの途中で、声をかけられて振り返る。

 無精ひげを生やした大柄な男が立っていて、愛想笑いを浮かべていた。

「そうだが、なにか」

「俺ぁスタンって言います。今、仕事を探しているところでして……。調査団で下働きとして雇ってもらえませんかね?」

 力仕事は得意だとスタンは言い、太い腕を見せつけてアピールしている。

「料理人でも洗濯係でも、なんでもやりますぜ」

「私はここへ来たばかりで、職員の採用についてはなにも知らないんだ」

「そうなんで? でも、ほら、お困りのことがあるんじゃないですか」

「特にない」

「おや、顔色が悪うございますよ、調査団さん」


 なにかあったんで?

 スタンが顔を近付けてきたが、ヘイリーは答えずに歩きだしていた。


「待ってください、話を聞いてくださいよ。おや? いやいやさすがは調査団さんだ。実にご立派な体つきをしてらっしゃる」

 王都から来られた騎士はやはり違う。

 スタンの言葉に、ヘイリーは思わず立ち止まっていた。

「私は騎士ではない」

「へ?」

「何故そんなおべっかを使う」

「いや、いや、お姿を見て、ご立派だと思ったんです。おべっかだなんてとんでもない」

「悪いが虫の居所が良くないんだ。出直してくれ」

 強く睨みつけて、再び歩き出す。振り返らずに進んで、進んで、調査団へと帰り着き、部屋に戻って荒々しく扉を閉めた。


「ダング調査官、入りますよ」

 しばらくするとガランがノックをして、勝手に部屋に入り込んできた。

 ベッドの上に倒れこんでいたヘイリーだったが、起き上がって座り、なんの用なのか下働きに問うた。

「パトロールはいかがでしたか」


 本気で聞いているのかどうか、ヘイリーにはよくわからなかった。

 単純に街を見回りに行っていたのではないと、ガランは気が付いているだろうに。


「かわったことはなかった」

「そうですか?」

「ああ」

「そうは見えませんが」


 ガランの言う通りだが、とても口に出せる内容ではない。

 やるせなくてたまらず、ヘイリーは頭を抱えてため息を吐き出し、それでは気持ちが収まるはずもなく、ベッドを強く殴りつけてしまった。


「ダング調査官、落ち着いてください」

「わかっている」

「あなたはとても快活な方だと聞いていました」

 こんな状況で明るく振舞っていられる人間がいたとしたら、よほど強靭な精神を持っているか、心が壊れてしまったかどちらかだろう。

 平凡に生きてきたヘイリーはどちらでもなく、やるせなさに耐えて、物に当たるしかない。

「この街はどうかしている。貴重なものが得られると言うが、そのせいで良くない輩も呼び込んでいるじゃないか」

 ガランはなにも答えない。心配そうな顔で新入りを見つめて、口をきゅっと結んでいる。

「明らかに悪事を働く者がいるのに、罪のない人間を守る者がいないのはなぜだ」


 ヘイリーがこう呻くと、ようやくガランは口を開いた。


「カッカー・パンラに会ってみてはどうですか、ダング調査官。彼は神官という立場を超えて、人々に手を差し伸べる立派な方ですよ」

「あの屋敷にはもう住んでいないのだろう」

「ええ、引っ越しをされたとか。ですが、時々戻って来ているようですから」


 屋敷の人間に聞けば、詳しい事情はわかるはず。

 キーレイ・リシュラは直接の弟子なので、すぐに伝えてもらえるだろうとガランは言う。


「ダング調査官。あなたは深い悲しみの中にいて、辛い目に遭われて来たのに、まだ胸に正義を抱いていらっしゃるのでしょう。誰かを助けようと考え、実際に動くあなたを尊敬します。他の調査官の中にも、自分の仕事に疑問を抱いている方はいらっしゃるんです。行動に移せていないだけで、本当はなにかできないか考えている人がいるんです。あなたが来た事でなにかが変わるかもしれません。今の状況で期待しているなどと言うのは酷だと思いますが……。でも、私はあなたに希望の光を見たような気持ちでいるんです」


 ヘイリーがなにも答えられずにいる間に、ガランはそっと部屋を出ていったようだ。


 一人になった狭い部屋で、青年はゆっくりと息を整えていった。

 それで、心もようやくまともな形に戻ったような気がしていた。

 

 ガランの言葉がありがたい。

 ユレーを助けたのは、半分が八つ当たりのようなものだった。

 なにもしなくていいという言葉に苛立ち、自分の人生は既に狂っているのだからという絶望感で、命令に逆らいたくて逆らっただけ。

 それでも、人助けをしたことを評価して、わざわざ言葉にしてくれたのだ。


 もう一度深く息を吸って吐き出し、目を強く閉じる。


 妹になにが起きたか知る為には、相当な覚悟が必要だった。

 それならば、神官たちの導きは心強い助けになるのかもしれないと思える。


 キーレイ・リシュラには会いに行くべきだし、剣の行方を探していてくれているギアノにも感謝を伝えておきたい。

 真実への道は険しく、一人で進むのは難しい。力を貸してくれる人間がいるだけでもありがたいのだから、繋がった糸が切れないよう振舞わなければならない。



 次の日もパトロールに行くと宿舎を出て、この日はまっすぐに樹木の神殿へ向かった。

 入口にいた神官に面会を頼むと、神官長が現れてすぐにヘイリーを部屋に招いてくれた。

 ギアノから話は聞いているらしく、まずは二人でチェニーの魂の安息を祈る。

 

 背の高い、穏やかな顔の男だった。

 ガランは相当な手練れと話していたが、まだ若い。


「妹さんと会ったのは随分前です。調査団の仕事の為に協力を要請されて、共に『紫』の迷宮へ行きました」

 真剣に取り組んでいたし、迷宮で見つかった死者の身元がわからないか考えていた。

 樹木の神官長はチェニーと会った時のことを丁寧に話し、誠実な女性だったと語ってくれた。

 ヘイリーは礼を言い、カッカー・パンラに会ってみたいと頼んでいく。

「カッカー様に?」


 前神官長は幼い子供を三人育てているので、近くにある農村で今は暮らしているのだという。

 だが東の大門近くに新しい屋敷を建てていて、割と頻繁に迷宮都市にやってくるらしい。


「新しい屋敷を建てるのですか?」

「屋敷というより、探索者になろうとやってきた若者たちに基本的なことを教える場所なんです」


 なにも知らずに迷宮に入り込んでも、初心者はなにもできない。大怪我をしたり、最悪死んでしまうこともある。

 仲間を救うために借金を負ったり、そのせいで無理矢理下働きにさせられたり。

 人生を変えるために来たのに、それどころではなくなる者が多いから。

 カッカー・パンラは彼らを少しでも救おうと考え、心構えについても教え、無理だった場合どうするべきか指導もするための場所を用意しているようだ。


 もう随分と立派な屋敷があるのに何故と疑問に思っていたが、贅沢とはかけ離れた理由を知ってヘイリーは感心していた。


「そうだったのですね。噂通りの立派な方だ」

「カッカー様がいらっしゃった時に話をしておきます。調査団にお伝えに行けばいいですか?」


 話はこれで済んだが、キーレイの瞳に浮かぶ強い光に惹かれて、思わず胸のうちをこぼしていた。

 迷宮都市の有様について正直に印象を語り、不幸な目に遭う人間を救えないか考えてしまうのだと。


「気持ちはよくわかります。迷宮でも、街の中でも、やるせない出来事は様々に起きていますから」

 この街の成り立ちは、他のどことも違うとキーレイは話した。

 良いところも悪いところもあり、住人の年齢層は偏っている。だから、対処法は他の街とは違うし、時の流れと共に変化し続けているのだと。

「私個人としては、調査団にも変化があればと思っています。協力して治安を守る存在になってくれたらどれだけ良いだろうかと。ですが、神殿は九つありますし、ここは商人たちの影響力が強いところですから。個人で勝手にあれこれ言い出すわけにはいかなくて」

「なるほど」


 商人は自治の為に用心棒を置いて、トラブルを防いでいる。神殿は別のやり方で、悩める人々を救っている。

 意見はそれぞれにあり、合わせていかなければならないのだろう。

 キーレイの言わんとすることはよくわかる。騎士団でも、調査団でも同じことだ。


 自分になにができるのかはわからない。

 今はまず、妹の為に出来る限りのことをしてやりたい。

 けれど、ガランやキーレイの言葉も受けとめたいとも思えた。

 時間をかけて考え、実行していくしかないのだろう。


「調査団に入った以上、この街の人々の役に立ちたいと思っています。まずは街について理解していくつもりです」

「とてもありがたい言葉です。ぜひまたいらしてください、ダング調査官」


 神官長の部屋を出て、出口へと向かう。

 すると大柄な男が入ってきて、ヘイリーはおや、と思った。


「ウィルフレド」

「キーレイ殿、お忙しかったでしょうか」

「いいえ、ちょうど話が終わったところです。覚えていますか、調査団のダング調査官を」


 ウィルフレドと呼ばれた男は「紫」での調査に同行しており、チェニーとは面識があると説明を受けた。

 王都での死を知らされた戦士は深く頭を垂れて哀悼の意を示し、祈りの言葉を口にしている。

 

 ブルノー・ルディスに見える。

 過去に一度だけ見かけた、王宮の番人と呼ばれる男と同じ姿をしている。

 けれど彼の名はウィルフレドで、樹木の神官長の友人らしい。

 

 二人が並んで去っていく姿を見送り、ヘイリーは少しだけ混乱しながらカッカーの屋敷を訪ねた。

 出てきた少年にギアノは少し前に雲の神殿へ向かったと教えられる。

 すぐに戻れば追いつけるかもしれないと考え、ヘイリーは西に向かって早足で進んだ。




 道の先を歩く、調査団の制服姿の男を追う。

 あの哀れなチェニー・ダングの兄で、ヘイリー・ダングという名らしい。

 

 ジマシュの一つ目の貸家に調査団員がやって来たという異常事態に、ジュスタンは慌てて声をかけ、身元を探らせた。

 王都から戻ってきた部下が顔を覚えていたお陰で、正体がすぐにわかったのは良かったが。

 何故あの家にたどり着いたのか、絶対に探らなければならない。


 昨日は自分で声をかけてしまったから、今日の尾行はヘリスに頼んでいる。

 元は探索者で、スカウトを目指していた。だから目立たないように行動するのは得意だし、今使える中では最も適任だろう。

 ヌエルではなくヘリスに頼んでいれば、今ごろレテウスの家に入り込めていたかもしれない。

 王都での仕事はヌエルに任せられなかったが、ヘリスを行かせずに他の人間を派遣するべきだった。

 王都に派遣するには最低限の小奇麗さが必要だったから、人選は難しかったのだが。


 胸の奥にため息を押し込みながら、ジュスタンはヘリスの背後を歩いている。

 さぼらないよう見張り、へまをした時にはすぐに対応できるように。

 問題が起きればすぐに事態を収めて、ジマシュに報告しなければならないから。

 

 今日も迷宮都市の細い路地を歩きながら、ジュスタンは自分の仕事にうんざりしていた。

 毎日毎日見つからないように物陰に身を潜め、「仲間」の仕事の成果を見つめている。

 駄目な奴には、言われた通りの裁きを下す。死体は運んで、見つからないように土の下に隠す。


 ヘリスの仕事はいつも丁寧だが、失敗しないでくれと祈りながら歩いていた。

 ヘイリー・ダングはひどく早足で、路地をすいすいと進んでいく。

 調査団の制服を見た人間が道を開けるから、追いかけるのは大変だった。


 まっすぐに西へ進んでいくと、魔術師街へ差し掛かった。

 人通りはまばらになるから、尾行の難度は増す。

 ヘリスもそう考えたらしく、十字路で一度立ち止まっている。

 角に身を潜めて、距離を空けるつもりなのだろう。

 ジュスタンでもそうする場面だ。だから、歩く速度を自然と落としていた。


 考えた通り、ヘリスは魔術師の家を取り囲む塀の影に隠れた。

 ヘイリー・ダングの後ろ姿を確認するために、そっと道の先を覗こうとしている。

 けれど急に黒い影が浮かび上がり、ヘリスは全身の力を無くして倒れていった。

 

 黒い影は一瞬で形をはっきりと人のものに変えた。

 背の低い人物には見覚えがある。最近街に現れたという、正体不明の美しい女だ。


 遠いのにはっきりと「美しい」とわかる。

 肌の色は暗いのに艶やかで、ジュスタンは完璧な横顔から目が離せない。


「何故あの男を付け回す?」


 耳元でそう囁かれた。

 ジュスタンは指先ですら動かすことができなくなって、道の途中で不自然に硬直している。


「知っているぞ、なにもかも」

「ジュスタン・ノープ」


 右と左から同じ声が、別々に聞こえてくる。

 横たわるヘリスを心配そうにのぞき込んでいるのに、聞いたことなどないのに、あの女の声なのだと何故かわかった。


「すべての罪を覚えているか」

 これまでに埋めた死者たちの名が次々と、右の耳に。


「地上に芽吹くあらゆる命は、女神の手の中から生まれ来る」

 祈りの言葉が、左の耳に吹き込まれてくる。

 

 どんなに顔を振っても声は離れていかない。そもそも、誰もジュスタンの隣に居はしないのに。声だけがまとわりついてきて止まらない。


 ヘリスの様子を確認しなければならない。黒い女は膝をついて、倒れた役立たずの頬を撫でているようだ。

 あそこに駆けつけ、親切な第三者を演じて連れ帰らなければならないのに、まとわりつく声のせいでなにもできなかった。


「やめてくれ」

 耐えられなくなってこう漏らすと、嘲笑うような声が右側にあふれた。

 左からはまだ、大地の女神を称える言葉が続いている。

 そして背後から、酷く冷たい声が響いた。


「どれだけうまく立ち回ろうが、所詮愚か者どもの浅知恵に過ぎん。人の命を弄び、すべてを意のままにしようなど無理な話よ」


 悶えながら、ジュスタンが必死になって顔を上げると、黒い肌の女がまっすぐに見つめていた。

 麗しい唇から目が離せない。遠いけれど、驚くほど瞳が大きいから、見開かれているのがはっきりとわかる。


「のう、ジュスタン・ノープ」


 はっきりと名前を呼ばれて、ジュスタンは耳を押さえて駆け出した。

 まとわりつく祈りと侮蔑の言葉を遮ろうと、大声をあげながら走って、走って、逃げた。



 どうしようもない焦燥と激しい動悸のせいで、手の震えが止まらない。

 「今日の店」の「今日の席」で、ジュスタンは頼んだ酒をあおっていた。

 いつもならば、頼むだけで飲まない。そう決めているのに、体が勝手に動いていた。

 震える手ではうまく飲むことはできなくて、酒はテーブル中にまき散らされていく。

 給仕の男が顔をしかめながら通り過ぎていき、ジュスタンは慌ててカップを置き、服の袖でテーブルを拭っていった。


「ここ、いいかい」

 向かいの椅子に、誰かが座る。

 ヘリスだった。やたらとしっとりとしたテーブルに一瞬顔をしかめてみせたが、落ち着いた様子で給仕に声をかけている。

「あの男、まっすぐに戻っていったよ。そのまま出てこなかった」

「誰の話だ」

 ヘリスは鼻に皺を寄せて答えず、運ばれてきた酒をほんの少しだけ口にしている。

「……あんた、顔色が冴えないが大丈夫か?」


 言葉の意味がわかるまで、ひどく時間がかかっていることにジュスタンはようやく気付いていた。

 けれど、その気付きをすぐに忘れてしまって、まともな返事ができない。


 あうあうと口を動かすだけでなにも言えない。

 そんな仲間に眉をひそめて、ヘリスは静かに去っていく。


 そのままぼんやりと、どれくらいの時間が経ったのか。

 ジュスタンがまともな意識を取り戻したのは、もう閉店だと告げられてからだった。


 歩きながら、ようやく気付いていた。

 自分がどこへ向かっているかわからないし、ヘリスの話はおかしかったと。

 

 ヘリスは道の上で倒れた。ヘイリー・ダングを追えたはずがない。

 嘘をついたのだから、裏切りとして報告しなければならない。

 ジマシュに伝えるのだから、向かう先を変えなければいけない。


 身を翻した、その道の先。

 夜の迷宮都市の道の上に、闇と同じ色をした女が佇んでいる。

 ジュスタンと目が合うと口元にうっすらと笑みを浮かべて、大きく腰を振りながらゆっくりと近づいてくる。


 心は怖れで満たされているのに、体は女を求めて燃え上がっている。

 まともに立っていられなくなって、ジュスタンは崩れ落ち、膝をついていた。

 昏い色の服がふわりふわりと揺れている。

 目には入っているのに、どんな色なのかわからない。夜だから。夜の化身のような女だから、今はすべてが思うままにされている。


 顔中から汗が噴き出し、次々に顎まで流れ落ち、雨のように道の上に降っていく。


「どうなさったのです。気分が悪いのですか?」


 けれど注がれたのは、慈愛に満ちた聖母の声で。

 ジュスタンはようやく救われたのだと、涙をこぼしながら女の足に縋りついていた。


「助けてくれ」

「なぜ泣いているのです」

「怖くてたまらねえんだ」

「どうして恐れるのですか。あなたはそんなにも逞しい体をしているのに」


 柔らかな手が優しく、頭を撫でていく。

 幼い頃に母がしてくれたように、ゆっくりと、愛の言葉を囁きながら。

 麗しい唇が揺れ、励ましの言葉も重ねられ。

 腹の下に点けられた炎が全身に広がり、すべてが勇気に塗り替えられていく。


「力強く立ち上がって、戦うのです」

「たたかう」

「大丈夫、あなたはなにもかも知っている。すべてわかっている。だから決して間違えない。心のままに、為すべきことを為すのです」

 口を開けたまま頷くジュスタンに、女は大きな目を細めて笑みを浮かべると、最後にこう囁いた。


「私の為に、できますね?」


 男はそれに、こう答えた。


「ああ、できる」

「では、そうしなさい」

「わかった。わかった……」




 急に力強く立ち上がり、歩きだしたジュスタンの後ろ姿をニーロは不思議な気分で見つめていた。

 問題を解決するために必要な種を蒔きに行こうと誘われ、見ているように言われたが。

 どんな力をどのように使ったのか、さっぱりわからない。


「やれやれ、遅くなってしまったな」

 ふいに隣にロウランが現れ、ニーロに向けてにやりと笑った。

「あの男になにをしたのですか?」

「おや、見えなかったか」

「なにも」

「見えぬのならば、ラーデンの所為だろう」

「ラーデン様の?」

「わかるぞ。ラーデンにとってお前はただの弟子ではなかったのだ」


 ジュスタンの姿はもう見えない。

 夜道で立ち止まる若い魔術師の肩を抱いて、ロウランが囁く。

 

「心配するな。ほんの少し、毒を飲ませただけさ」


 いくつかの言葉の意味を、深く考える必要があるだろう。

 ニーロが小さく頷くと、黒い肌の魔術師は満足そうに口の端を上げた。


「さあ、帰ろう。ウィルフレドが寂しがっているだろうから」


 この軽口にはまだ慣れない。

 だが、「穴」が開いたのかもしれない。

 年齢はわからない。どんな風に生きてきたのかも。

 けれど老練な魔術師は鮮やかに闇の中を奔って、ニーロには出来ない方法で杭を打ち込んだようだ。


 青紫色の瞳には強い光が浮かんでいる。

 体の持ち主だという神官が仕える神は、この魔術師をも護っているのかもしれないとニーロは思った。


「どうした、ニーロ。なにを聞きたい?」

「なにもかもを」

「ははは。そうか。時間がいくらあっても足りんな」


 誰もいない迷宮都市の道の上を、二人の魔術師が去っていく。

 二人の姿は誰にも見られることなく、黒い石を積んでできた小さな家へと吸い込まれていった。


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