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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
32_Sense of Justice 〈猟犬と調教師〉

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146 揺れ動く

 迷宮の道の途中で凶暴な鼠や兎、犬などと戦いながら進んでいく。

 三層目を歩き通し、四層目、五層目も無事に進んだ。

 そして、辿り着いた六層目。

 こじんまりとした造りの泉が、この冒険のゴールなのだという。


「ここの水を飲むと、疲労や傷なんかが回復するんですよ」

「本当なのか?」


 半信半疑の調査団員にひしゃくが渡されて、水の効果を思い知らされていた。

 頭のてっぺんから足の先までがすっきりとした感覚に包まれ、歩き通してきた道のりの重さが解消されていったから。

 

「こんなものが迷宮の中にあったのだな」

 地上で売ることはできないのかという問いは、迷宮について知らない者が必ず口にする定番の文句だったようだ。

 地上には持ち帰れないし、欲張って何杯も飲むと腹を壊すらしい。

 魔術師とは意地の悪いものなのだろうと考えている間に、五人組の帰りの支度は進んでいった。


 干し肉を手渡され、ヘイリーも一緒になってかじる。

 凝縮されたうまみに驚きながら食事を済ませて、ここで帰ることが確認されていく。

 なにか質問などはあるかと聞かれて、ヘイリーはそういえば、と思い出したことを口にしていった。


「絆の証と呼ばれる腕輪を知っているだろうか?」

 反応が見られたのはカミルとコルフの二人だけ。残りの三人は小さく首を傾げるだけなので、聞いたことはないのだろう。

「確か、『橙』(ここ)で見つかるものだったと思う」

 コルフが答え、カミルが頷いている。

「何人かで協力して罠を抜けた先で手に入るもののはず」

「この迷宮の中で見つかる?」

「二十一層目でしか見つからないと聞いたことがあるけど」

「そこに行けるだろうか?」

 ヘイリーが深く考えずにこぼした疑問に、カミルはいやいや、と手を振って答えた。

「簡単に行ける深さじゃないですよ。探索に随分慣れていれば行けるかもしれないけど、どんなに早くても三日か四日はかかるんじゃないかな」

「三日?」


 探索者は深く潜る為に、迷宮を「泊りがけ」で進んでいくのだという。

 「橙」の上層は敵も少なく、罠も簡単。けれど潜れば潜るほど敵は増えるし強くなる。罠の解除も難しくなっていき、体には疲労がたまっていく。


「泉の水で回復はできるけど、なんといったらいいのかな。心の疲れまでは癒せないから」


 この説明に、ヘイリーはなるほどと納得していた。

 階段にたどり着く度に神官が大丈夫か問いかけてくるのは、精神的な安定を確認しているのだろう。

 いつ襲われるかわからない道を進み、すぐに地上へは戻れない状況なのだから。

 どれだけやる気があっても、どんなに実力があっても、冷静でいられるかどうかはわからない。


「わかった。ありがとう」


 休憩を終えて、地上への道を歩き始めた。

 来た道をそのまま戻るだけ。犬には多少手こずるが、兎と鼠程度ならば簡単に倒せる。

 フェリクスたちの実力がしっかりしているからか、順調に三層目まで戻ってこられた。

 アダルツォに大丈夫か問われ、ヘイリーはゆっくりと頷いていく。

「眠くはないですか」

「問題ない」


 地上に戻る頃には随分遅い時間になっているだろう。

 明日は「仕事」があるはずだが、出番があるかどうかはわからない。

 ユレーが駆け込んできて解決のために走り回ったが、ガランが言うにはあんな相談が持ち込まれるのはかなり稀なことらしい。


「君たちはなぜ、迷宮探索などをしているんだ?」


 二層目にたどり着いて、ヘイリーは思わずこんな問いを投げかけていた。

 ここから上ではもう敵は出ないはずだし、罠も仕掛けられていないというから。

 安堵のせいで心が緩んでしまったのだろう。

 調査団員にとっては素朴な疑問でしかなかったが、投げかけられた五人の目の色は変わったようだった。


「……僕は、得るものが多いから探索をしている」

 短い沈黙ののちに、カミルがまずこう答えた。

 迷宮の中でしか手に入らない得難いものがあるから、探索をするのだと。

 コルフが頷き、自分も同じだと答えている。フォールードも同意して、どんな人間にも平等に多くを与えてくれる場所だからと続けた。


 ヘイリーはこの答えに頷き、残りの二人に目を向ける。

 アダルツォと目が合うと、神官は小さな声でこう答えてくれた。


「俺の場合は、結局は修行の為になるのかな。ここは特別に、神が強く手を貸してくれるところだから」

「最初に来た時もそう考えてたの?」

 コルフに囁かれ、アダルツォは身を縮めている。

「最初は好奇心だったよ。ずっと小さな町で暮らしていたから、冒険したくなっちゃって」

 神官は正直に話し、実際に足を踏み入れた後から考え方は変わったと教えてくれた。

 理由は他にもいろいろとあるものの、今は神官として自身を鍛えたいという思いが一番強いらしい。


「フェリクス、君は違うのか?」

 ヘイリーが問いかけると、剣士の青年は戸惑ったような表情を浮かべた。

「……今は、借金を返すために探索をしています」

「借金?」

 似合わない返事に眉をひそめたヘイリーの右肩を、誰かが強く掴んだ。

「あんたはなんで迷宮に入ろうなんて思ったんだ?」

 フォールードが迫ってきて、ヘイリーは慌てて頭を働かせていく。

 肩を掴む手をゆっくりと引きはがしながら、調査団員になったからには知っておくべきだと考えたからと答えた。

「あんた以外は誰もそんな真似してねえみたいだけどなあ?」


 ガランの言葉が思い出されていく。

 探索者たちと、王都から派遣されてきた調査団員は相容れない存在なのだと。


「迷宮探索なんかバカのすることだと思ってんだろ」

「いや、そうではない。気を悪くさせたのなら謝る」

「そんな必要ないぜ。もう満足しただろ、一応は迷宮がどんなところか見られたんだから」


 明らかに怒っているであろうフォールードを、アダルツォが諫めてくれた。

 最初から喧嘩腰でいてはいけない。些細な言葉遣い程度で責めてはいけないよと。

 けれどカミルとコルフは冷めた目をしていて、気持ちはフォールードと似たようなものなのだろう。

 自ら迷宮を目指さなくなった調査団員に詮索されたり、ああだこうだ言われるのは不本意に違いない。


 今にも掴みかからんばかりだったフォールードが離れて行って、ヘイリーは改めて謝罪の言葉を口にしていった。

 「など」と言ってしまったのは悪かった。言葉には明らかに誤りがあった。

 探索者については、なんとも思っていない。全く知らなかったから、理解したかっただけ。

 誤解を解くために話していくうちに、心に浮かび上がってくる思いがあった。


「私には妹がいた」


 チェニーになにが起きたのか知りたかった。知らねばならないと思って、迷宮都市へやって来た。

 腕輪と共に託された手紙を宛名の主に渡せば、すぐに真相はわかると思ったのに。

 なにが起きたのか、いまだにさっぱりわからない。

 ギアノ・グリアドはなにか思い当たる節があるようなのに、教えてくれない。

 それはきっと、ヘイリーには聞かせたくない内容だからだ。


 王都で兵士になったのに、迷宮都市に配属されて。

 気が進まないながらも、しばらくは働いていた。

 けれどその後、どこかへ行方をくらましていた期間があった。


 そして、命で償うしかないと思い詰めるような出来事が起きた。


「この街で調査団員として働いていたんだ」


 残されていたのは、ギアノ・グリアドとデルフィ・カージンに宛てた手紙が二通。それと、迷宮の深い層で見つかるという腕輪がひとつ。

 探索に行ったきり戻らなかったという鍛冶の神官と、迷宮で見つかる腕輪。

 チェニーが迷宮と無関係でいたとは思えない。まともに仕事をしていなかったのなら、金を得るためにどうしていたのか?

 もしも探索をしていたのなら、暮らすために必要な稼ぎは得られていただろう。

 それに、人の死を目の当たりにする可能性はぐんと上がる。今日の探索とは違って、迷宮が噂通り危険極まりないところだというのなら。


「だが、妹は死んだ」

 ヘイリーの告白に、五人は驚いて目を見開いていた。

「なぜなのかはわからない。妹は家族の待つ家に戻って来たのに、自ら死を選んだ」

「そんなことがあったんですか」

「ああ。……この街でなにかが起きた。それは間違いない。きっとなにかが、思いもよらないようなことが迷宮の中で起きたのだと思う」


 だから自分は、迷宮について知らなければならない。

 五人は調査団員の言葉を受け止め、口を噤んでいる。

 だが、アダルツォだけはなぜか視線をフェリクスに向けて、悲しげな横顔をヘイリーに見せていた。


「なにかあるのか?」

 この問いかけの意味を、フェリクスはすぐに気付いたようだ。

 アダルツォははっとした表情を見せたが、フェリクスは神官を手で制して、ヘイリーに自分の事情を打ち明けてくれた。


「俺も妹を失ったばかりなんです」

「なんだって」

「妹を助けたくてここに来たんです。強くなって、なんとしてでも救ってやりたかった」


 けれど、間に合わなかった。

 悲しげに呟くフェリクスにアダルツォが寄り添い、慰めるように肩に手を置いている。

 

 そこからは会話もなく来た道を戻っていって、六人で無事に入口にたどり着くことができた。

 この日の協力を感謝する以外に、ヘイリーに言えることはない。

 立ち入った話をさせてしまった詫びをするべきか考えている間に、五人は屋敷へ戻っていってしまった。

 わざわざ追いかけることもできず、新入りの調査団員はとぼとぼと西へ向かって歩いて戻る。



「ダング調査官、ああ、よかった。どこに行っていらしたんです?」

 夜更けにようやく宿舎に帰りつくと、部屋のそばにはガランが座り込んでいた。

「しかも、制服のままで」

「迷宮に行ってみたんだ」

「迷宮?」

「『橙』を少し歩いただけだ。協力してくれる者がいたから」

 ガランは勢いよく立ち上がったが、口をぱくぱくさせている。

 無謀な真似をしたと咎めるつもりだったのかもしれない。

「……よく見つけられましたね、協力者を」

「カッカー・パンラの屋敷の管理人が紹介してくれたんだ」

「えっ」

「何度か訪ねたからな」


 ガランはなにか言いたげだったが、結局「早くお休みになったほうがいいですよ」とだけ言い残して去っていった。

 ヘイリーは制服を脱ぎ捨て、ベッドに倒れこみ、ぼんやりと考える。


 自分の行動が正しいのかどうか、よくわからなかった。

 チェニーになにが起きたのか知りたいのに、手掛かりは少ない。

 絆の証と呼ばれる腕輪は「橙」の迷宮で見つかるもの。

 それは「二人の形見」であり、妹は命を以て償うしかないと考え、その通りにしてしまった。


 眠れなくなって医者に薬を出されていた。

 デルフィ・カージンにはひたすら謝り、「あの人」の恐ろしさに慄いている。

 金髪の気障な男は誰なのか?

 それが「あの人」なのか?

 噂が嘘なら、高価な剣の話はどこから出てきた?

 妹が持っていたという美しい剣は、どこから出てきてどこへ消えた?


 疑問に溢れかえった海に浮かんで、波に揉まれて、危うく溺れそうになったところでヘイリーは目覚めた。

 窓から朝日が差し込んできて、眩しい。

 王都とは違って、鳥の囀りなどは聞こえない。

 

 身支度を整えて、ヘイリーは宿舎の部屋を出た。

 廊下で他の団員と目があっても、そらされてしまう。

 食堂でもあからさまに避けられているようで、誰も近くに座ろうとはしない。


 チェニーと親しくしていた団員はいないと聞いている。

 不機嫌な女兵士など、どう扱っていいかわからなかったので。

 正直になにもかも話してほしいと頼んだ結果、こんな返事をもらって落ち込むことになった。


 長い間姿を見せずにさぼった上、悩み落ち込みやせ細ってまともに働けなくなった。挙句、せっかく親元に帰ったのに、死んでしまった。

 そんな同僚の兄など、更に扱いにくいだろう。


 心に更に傷が増えたが、すでにずたぼろの状態なのだから気にすることもない。

 もはや王都に自分の居場所はないのだから、ここで生きていくしかない。


 腰を据えてやっていこうと考えるヘイリーの前に、ガランがやってきて座る。


「おはようございます、ダング調査官」

「ああ、おはよう」


 ガランはしばらく黙ったまま、食事をすすめていた。

 話はなくとも、ひとりぼっちで座る新入りを気にしてくれてのことだろうと考え、ヘイリーも残っていたパンを口に放り入れる。


 相談の当番でない日の仕事について教えるために来てくれたらしく、食事が済むとあれこれと案内をされた。

 初日にいきなり相談対応のために飛び出したせいで、すべてを伝えきれなかったのだろう。

 申し訳ない気分で話を聞いて、自分に与えられた仕事内容を覚えていく。

 ガランの案内はあまり長くないし、要するにさほどやらねばならないこともないようだった。

「ありがとう、ガラン」

 短い説明に礼を言うと、ガランはなにを思ったのかこんなことを言い出している。

「あの、ダング調査官。まだ正式な辞令は出ていないんです。今ならまだ間に合うでしょうし、王都に戻られたらどうでしょうか」

「今更だ。私にはもう王都に戻る理由がない」

「騎士団におられたんですよね?」

「あんな噂が流れて、平気で勤められると思うか?」

「でも、ダング調査官の噂ではありません」

「はは。ダング調査官の噂ではあるがな」

 口の端に笑みを浮かべたヘイリーに、ガランはしまったと身を縮めている。

「両親は親戚のいる田舎に引っ越すと決めてしまったよ。あれほど噂が広まった挙句、チェニーが死んでしまったからな。慌てて嫁ぎ先を探していたこともみんな知っている。チェニーが片付いてから進める予定だった俺の縁談も潰れた」

「そんなことまで……」

「父が真面目に働き周囲の信頼を得て、それで私もようやく騎士になれた。だが、もうどうしようもない。ダング家は終わりだよ」


 もっと身分の高い家の人間だったら、話はきっと違っていただろう。

 噂はされたとしても、あからさまに指をさされたりはしなかっただろうから。


「お気の毒です、ダング調査官」

「いいんだ」

「実は、王都から来た騎士様と聞いて身構えていたのです。少し前に、ご存じでしょうか? バロット家のご子息がいらしたのですが、とても偉そうに振舞われておられましたので」

 この言葉に思わずヘイリーが噴き出すと、ガランもほっとした様子で笑みを浮かべた。

「久しぶりに笑った気がするよ」

「そうですか。そうですよね。チェニー調査官にはいろいろと思うことがありますが、本当にお気の毒だとは思っているんです」


 特に急ぎの仕事もなさそうだと考えて、ヘイリーはガランを自室に誘った。

 少し話を聞かせてほしいという新入りの願いに、戸惑いつつも了承してくれたようだ。


「チェニーをどう思っていた?」

 主観で構わないから、正直に話してほしい。

 こんな問いは既に一度していたが、あの時よりは緊張も薄れただろうとヘイリーは思う。


「そうですね。……絶えず苛々していました。この街で勤めるのは、本当に嫌そうでした」

「済まなかったな」

「いえ。その、唯一の女性でしたから、厳しく当たられることもあったのだと思います。望んで訓練をして兵士になったのだから、女のくせになんて扱いをされたら気を悪くするのも当然でしょう」

 ありがとうとヘイリーは呟き、続けて「噂」についてもう一度問う。

「男漁りなど、チェニーには無理だと全員が言っていた。君もそう話していたね」

「ええ、あの時はその、そう言ってしまいました」

「そう考えたのなら仕方がない」

 気にする必要はないとヘイリーは伝えたが、ガランは首をひねって、新たな証言を付け加えてくれた。

「話をした後、少し考えたんです。そんな噂がここでは一切流れていないのは変じゃないかって」

「ここでは、とは?」

「迷宮都市は探索者だけではなく、商売人がたくさん来るところでして、彼らはとても噂に敏感なんです。探索者の話だけではなく、流行だとか、醜聞なんかにも目がなくて」

 チェニーがそんなに派手な真似をしていたら、間違いなく迷宮都市で先に噂になったはずだとガランは言う。

「そこらの初心者や下働き程度では金なんてロクに持っていません。金を毟り取れる相手は、この街では成功してる商人だとか探索者になります」

 間違いなく町中に知れ渡るはずの内容であり、王都だけで噂になるのは不自然だと思う。

 ガランの話は興味深いもので、ヘイリーは思わず身を乗り出していた。

「随分前ですが、チェニー調査官を訪ねてきた男がいました」

「金髪の気障な男かな」

「聞いていたんですね。案内したのはノーリスだったんですが、やって来た時私も近くにいたんです。チェニー調査官の婚約者だと名乗っていて、詐欺ではないかと考えたのを思い出しました」

「チェニーがそんなことをするだろうか?」

「いえいえ、違います。逆ですよ。チェニー調査官が騙されているんじゃないかって私は思ったんです」


 ガランは言いづらそうにだが、自分の考えをヘイリーに伝えてくれた。

 チェニーは男に慣れているように見えなかった。男だらけの環境に身を置いていただろうが、「女性として扱われる」ことには不慣れだったのではないかと思ったのだと。


「今考えてみると、仕事を堂々とさぼりだしたのもその男が現れた後からだと思うんです」

「確かなのか?」

「いやあ、多分です、申し訳ありません。他の連中にも確かめた方がいいと思います。でもあの頃、あの男にのぼせてしまったのかなと考えておりました」


 やって来た男は美しい顔をしていて、いかにも女性が好みそうな雰囲気だったから。

 色恋沙汰に慣れていない娘なら、すぐにころりといってしまいそうだとガランは思ったのだという。


「申し訳ありません、大切な妹さんのことをこんな風に」

「いや、いいんだ。私の記憶の中のチェニーは幼い頃の姿のままなのだろうと思う。私は早くに家を出ているから、最近ではほとんど会うこともなかったんだ」


 誰になんと言われようがへこたれず、剣を振り回し、体を鍛えていた姿しか知らない。

 妹があんなにも、消え入りそうなほどに弱ってしまった理由を、変わってしまったというなら、何故だったのかどうしても知りたい。

 最後のヒントになるであろうデルフィ・カージンへの手紙は、不明瞭な言葉ばかりが並んでいた。

 誰を、なにを指すのかはわからないままだ。けれど、悔いや怖れ、混乱に満たされていたのは間違いない。


 あの人は恐ろしい人だったのかもしれない

 わたしはそれを認めたくなかった

 真実などひとつたりとも知らなかった――


「チェニーは手紙を残していた。誰かに騙されていたのではないかと思えるような文言があったんだ」

「だからこの街へいらしたのですね」


 手紙の内容は迷宮都市に来てから確認している。ここへ来たのは、ギアノ宛ての手紙を託されたからだ。

 だが、ガランにそこまで詳しく伝える必要はないだろう。


「波打った金髪の男を探したい。人を探すのが得意な者はいないだろうか?」

「うーん、そうですね。顔が広いのは商人か神官だと思います」

 この二択なら、神官の方が良いと思うとガランは付け加えた。

 商人は取引相手を売るような真似をしないから、と。

 公平に話を聞かせてくれるのは神官の方だというガランの主張に納得して、ヘイリーは頷いている。

「雲の神殿なら近くにあります。神官長のゲルカ様は、とても立派な人物です」


 迷宮都市には九つの神殿があると聞いていた。

 街のあちこちに散らばっているし、考え方も少しずつ違う。

 だからそれぞれ、訪れる人物にも違いがあるだろう。


 ヘイリーはギアノに聞かされた話を思い出し、ガランに尋ねた。

「樹木の神官長はどんな人物か知っているかな」

「街で一番有名な方ですよ。探索歴は誰よりも長いし、有名な薬草店の息子でもあります」

 探索者からも、商売人たちからも、一目置かれる存在だと思う。

 以前訪ねた時は留守で会えなかったキーレイ・リシュラについてこう聞かされ、ヘイリーはもう一度行ってみようと決意を固めていた。


 街の中をパトロールしてくると宣言して、ヘイリーは宿舎を出ていた。

 そんな必要はないと声をかけてくる者がいたが、立ち止まらずに進む。

 宿舎から出て東に向かい、まっすぐに道を通り抜けていく。


 たどり着いた東側の道の先に、樹木の神殿とカッカー・パンラの屋敷が並んで建っていた。

 探索の協力をしてもらった礼を言っておくべきか。ヘイリーはそう考えて、どちらへ先に向かうか悩んだ。

 ギアノがなにか調べてくれているかもしれない。昨日は先に迷宮に行ってみたいと話したせいで、他のことについては聞けていない。

 樹木の神官長への取り次ぎも、頼んだ方がスムーズに行くかもしれない。

 最終的にそんな風に考えて、ヘイリーは屋敷の扉を叩いた。


「ああ、ヘイリーさん。調子はどうですか」

 前にも見た少年がすぐに管理人を呼んでくれて、奥の部屋へ通される。

 ギアノは手慣れた様子でお茶の準備をしながら、迷宮へ行くと疲れるでしょうと労りの言葉をかけてくれた。

「フェリクスたちのお陰で無事に戻ってこられた。道中でも様々なことを教えてもらったよ」

 感謝と、少しの非礼について詫びていく。ギアノは話に何度も頷いて、初対面の相手と多少の行き違いがあるのは仕方がないことだと理解を示してくれた。

「なにかわかったことはあったかな?」


 一瞬だけ、管理人の表情に躊躇いの影が差したように、ヘイリーは思った。


「妹さんが持っていたという剣の行方がわかりました」

「剣の行方が?」

「実はまだ確認できたわけではないんですけど、王都に戻る直前くらいに道具屋で売ろうとしていたらしくって」


 薬草業者への支払いがあり、剣を売ろうとしていたが、結局処分はされず、チェニーは逃げていってしまった。

 ギアノはそんな話をヘイリーに聞かせて、剣はその時居合わせていた薬草業者が預かっているらしいと説明してくれた。


「店に行ってみたんですけど、その時の従業員は薬草採集のために迷宮に潜っていて」

 深い層への採集に行っているので、戻るまで少しかかると言われたらしい。

 また迷宮か、とヘイリーは苛立ちを感じている。


「支払いというのは、睡眠薬の代金か?」

「いやあ……、違うと思いますよ。医者に出される薬はそう高くもないし、わざわざ業者のところで買うようなものではありませんし」

「では、なぜ?」

「まだわかりません。事情を知っている者がいなかったんです。何日かしたらまた訪ねてみます」

 ギアノの言葉に頷きながら、ヘイリーは思わずこうこぼしていた。

「チェニーを訪ねてきたという男を探してみようと思っているんだ」

「金髪の、気障な男?」

「ああ。調査団で働いている者がいろいろと話してくれてね」


 男についての情報は、見た目以外にはない。

 チェニーになにが起きたのか、誰も知らない。

 剣が売られた理由は調べるとして、それ以上に金髪の男について調べてみるべきではないかと思える。

 そう話すとギアノは小さく頷いて、ほんの少しだけ視線を窓の方へ向けると、こう諭してきた。


「ヘイリーさん、逸る気持ちはわかりますが、少しずつやっていった方がいいんじゃないですか」

「少しずつ?」

「調査団に入ったのならそちらの仕事もあるでしょうし。街にもまだ不慣れだろうし」


 カッカーの屋敷の管理人はどこかで見た顔で、いつでも穏やかな態度で接してくれる。

 突然やってきたヘイリーに対しても親切で、チェニーについて知る者がいないか探してくれている。


「何故だ」

「えっ」

「何故そんな風に言う?」


 本当にかすかなものだ。ギアノの表情をよぎっていった、不安のような影は。

 だがその砂粒ほどの些細な違和感にヘイリーは気付いて、管理人へ鋭い目を向けている。


「なにか隠しているだろう」

「そんなことはないですよ」

「金髪の男を知っているのか?」

「いやいや、知りません。なんにも知りません、残念ですが」

「嘘を言うな!」


 やけになったような気分だった。確信などありはしない。違和感と言っても、気のせいかもしれない、勘違いの可能性の方が圧倒的に高い。

 そう思っていたのに、ヘイリーは机に拳を打ち付けたあげく立ち上がっていた。

 ギアノなら許してくれるだろうという甘えも少しあったのだろうと思う。


「落ち着いてください、ヘイリーさん。わかっていることだけ伝えますから」

 カップに残っていた茶が揺れて、一粒だけ床に落ちていく。

 後悔していたのに、管理人の反応は思いもよらぬもので、ヘイリーは慌てて詰め寄っていた。

「わかっていることだけとは、なんだ」

「正直、お伝えしたくありませんでした。でも、仕方ない。妹さんになにが起きたか探るためには、なにもかも知らなければいけないでしょうから」

「なんだ」

「預かった腕輪について教えてもらったんです。あれは迷宮の中で見つかるものですが、とても特殊な方法でしか手に入れられないんです」


 ギアノが新たに教えてくれたのは、「絆の証」と呼ばれる腕輪の入手方法だった。

 二人が細い通路の先に行って、残った者が罠を操作しなければいけない。

 管理人が示したのは、可能性だ。判明した事実の先にある、手紙の内容に繋がるかもしれない「もしかしたら」について。


「腕輪を手に入れた後、二人は通路を戻ります。その時スイッチを押せば、通路を歩く二人は間違いなく死んでしまう」


 チェニーは敢えてスイッチを押した。どうなるかわかっていたのに、押して、二人を殺した。

 真実が示すのは「最悪」の可能性だ。

 胸の奥を掴まれたような、締め上げられているような息苦しさに喘ぎながら。

 ヘイリーが言えたのはようやく、たったのこれだけだった。


「なんのために?」

「わかりません。本当に、どうしてかまではわからない。だけど腕輪は妹さんが持っていて、二人の形見だと言っている。デルフィに祈ってほしいとも」

「何故なんだ……」


 こんな問いに意味などないとわかっている。ギアノが理由を知っているはずがない。

 伝えたくなかったのも当たり前だ。死んでしまった妹が人を殺したかもしれないなど、言いたくはなかっただろう。


「すみません、ヘイリーさん」


 謝って来たギアノに、しばらく返事をすることはできなかった。

 いいんだ、私が頼んだのだから。無理矢理ギアノの口から引き出して、勝手に傷ついているだけなのだから。


 そう思うまでに、随分時間がかかっていた。

 ヘイリーは黒く染まった心をなんとか鎮めると、誠実な管理人へ礼を言って、部屋を後にした。


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