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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
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144 人生の岐路に立ち 5

「あの手紙を?」


 ギアノに宛てた手紙に「決して開けないでほしい」と書かれていた。

 一緒に確認したのだから、ヘイリーも承知の上で言っているのだろう。


「他に手がかりはない」

「でも」

「君はデルフィ・カージンはもう死んだと思っていたのだろう?」

 騎士の青年の瞳は昏く、希望とは真逆の力が満ちている。

「確かにそうです。ただ、あなたの話を聞いて、ひょっとしたらと思っていることがあるんです」

「生きているのか?」

「まだわかりません。話を聞けそうな人がまだいますから、待ってくれませんか?」


 マージから「ヌー」の話を聞ければ、ヒントくらいは得られるかもしれない。

 痩せた背の高い雲の神官についても、もう少しじっくり探してもいいと思う。

 だがヘイリーは納得いかなかったようで、強い目でギアノを睨みつけていた。


「これ以上待ってなんになる?」

「ヘイリーさん」

「妹が死んだのだ!」


 机が強く叩かれて揺れ、カップが倒れて転がり、床へ落ちていく。


「女だてらに剣を振りまわし、私の後をずっとついてきた妹が、騎士になろうと鍛錬に励んでいた妹が、汚名に塗れ、苦しみ抜いた末に死んだ! 痩せて骨と皮だけになった挙句、自ら命を絶って死んだのだ!」

 口さがない連中に言いたい放題言われ、噂は王都中に知れ渡り、ダング家の名は地に落ちた。

「もうなにもかもが今まで通りではない。なんとしても汚名を雪いでやらねばならないんだ。絶対に、真実を突き止めなければならない!」

「わかりました、わかったから、落ち着いて」


 体を震わせるヘイリーに寄り添い、ギアノは背中を優しく叩きながら、手紙を開けようと囁いていった。

 騎士の青年はよろよろと力なく座りこみ、管理人は床に落ちたカップを拾ってテーブルに置き直すと、鍵のかかった引き出しを開けた。


 デルフィへの手紙は封がされているだけで、宛名も書かれていない。

 ギアノは手紙をヘイリーに差し出し、目の前で開けていく。


 ギアノへの手紙も文字は乱れていたが、デルフィ宛てのものはもっと弱々しく震えていた。




 デルフィ


 あなたの真意を確かめぬまま

 言われるがままに大変なことをしてしまった

 あの人は恐ろしい人だったのかもしれない

 わたしはそれを認めたくなかった

 なにも知らずにいたかった

 すべてを理解していない

 真実などひとつたりとも知らなかった

 二人はもう戻らない 命で償うほかない


 腕輪の名は絆の証 


 彼らのために祈って欲しい




 手紙に書かれていたのはこれだけで、ギアノたちは意味が分からず戸惑っていた。

 深刻なことだけはわかる。けれど、それ以外はわからない。


「腕輪の名は絆の証?」

「預かった腕輪は迷宮で見つかるもので、そう呼ばれているそうなんです」

「あの人とは一体誰なんだ」


 ヘイリーの問いはこれだけで、それ以上ギアノに聞くことは見つからなかったようだ。

 客は目を赤くして押し黙ったままで、時間ばかりが過ぎていく。


 扉の向こうから、がやがやと騒ぐ声が聞こえてきた。

 夕方になって、初心者たちが帰って来たのだろう。

 声が少しずつ近づいてきて、騎士の青年はため息を大きく一つ吐き出している。


「チェニーはこの街を去る前、医師から睡眠薬を出されていたそうだ。それに、給料の前借りを頼んだらしい」

 素行不良を理由に断られたらしいがな。

 ヘイリーは吐き捨てるように言い、ギアノは考えを巡らせていく。


 ひどくやつれていたのは、悩んでいたからなのだろう。それで眠れず、薬を出された。

 前借りを頼んだのは必要だったからだろうが、なんのためなのかはわからない。

 家に戻った時にも、金は持っていなかったとヘイリーは言っている。


「随分深い悩みがあったみたいですね」

「なにを悔いていたのだろうな……。命で償うほかないと思うほどの、なにがあったのだろう」

「でもそんなにも悔やんでいたのなら、少なくとも平気で男を騙すようなことはしていなかったんじゃないですか」

「そうだろうか。そう思うか、ギアノ・グリアドは」


 ギアノは頷き、噂の内容とは合わないと思うと話した。

 ヘイリーはしばらく目を閉じたままなにか考えていたが、ようやく顔をあげ、椅子から立ち上がった。


「ギアノ・グリアド、本当にすまない。他に手がかりが見つからないからといって、君には随分迷惑をかけているな」

「いいんです。非常事態でしょうから」

「他にも話を聞けそうな人物がいると言っていたね」

「ええ。ただ、すぐに会えるかどうかはわからないんです。俺もいろいろと気になっているので、話は必ず聞きに行きます」

「ありがとう。私はしばらくこの街に滞在するつもりだ」


 また来てもいいか問われ、ギアノは構わないと答えた。

 ヘイリーを玄関まで見送ってから一人で部屋に戻り、湧き上がって来た後悔に浸っていく。



 デルフィへの手紙の内容からして、チェニー・ダングは「橙」の二十一層に行ったのだろう。

 そこで二人が死んだ。おそらく、バルジとダンティンが。

 彼らのために祈ってほしいと願うのは、命を以て償うしかないのは、二人の命を奪ったからだ。


 だが、謎がひとつ生まれている。

 そこにデルフィはいなかったのだろうか?

 五人で「橙」の底を目指して出かけて、戻らなかったのに。

 二十一層、絆の証を手に入れられる通路に辿り着いたと考えられるのは、チェニー、バルジ、ダンティンの三人だけ。

 デルフィとカヌートは? いたのなら、何故こんな手紙をデルフィに宛てて書く必要がある?

 

「ギアノ、入ってもいい?」


 扉が開いて、ティーオが顔をのぞかせている。

 今日の営業が終わり、売り上げ金を持って来たのだろう。

 明日は休みだねと笑う顔に、ほっとさせられている。

 その逆で、ティーオは怪訝な顔をしており、ギアノの様子がおかしいと思ったようだ。


「どうかした?」

「ちょっとね」

「なにかあったの」

「うん」


 ティーオは少しの間ギアノを見つめていたが、なにも言わずに肩を叩いて去っていった。



 やれることからやっていく以外にない。

 マージに会えたら話を聞いて、雲の神殿にも行ってみればいい。

 マティルデの様子を見に行けるかどうかはわからないが、西の市場に行くついでに寄ればいいだろう。


 気を取り直して厨房へ向かい、今日も混雑の時間を乗り越えていく。

 ギアノがいなくてもアデルミラが指示をしてくれていて、混乱は起きていない。

 アダルツォが笑顔で手を振ってきて、昨日の話を思い出し、悩みが置き換わっていく。

 

 「悲劇が起きて死んでしまった妹」から、「絶対に幸せになってほしい妹」へ。


 だが、アダルツォの向かいにフェリクスが座っているのに気が付いて、ギアノは思わず目を閉じていた。

 様々な感情が渦巻いて、心が混沌としていくのがわかる。

 

 厨房へ向かって、ゆっくりと鍋をかき混ぜていった。

 誰か来たら皿を用意して、必要なものを盛りつけて。

 手伝いを求められたら答えて、後片付けを一緒にしていく。

 

 仕事に集中するとようやく、心が落ちついていった。

 まだ戻って来ていない者のために追加でスープを作り、明日の朝の分の下ごしらえをして。

 こんなことなら、なにも考えなくてもやれる。大勢の食事を作るのも慣れているから。

 野菜を刻んで、肉を焼いて。調味料を入れて、壺の中に漬け込んで。


 無心になって作業を進めていたギアノは、あることに気付いていた。

 家に居た時もこんな風に過ごしていたと。

 

 手伝いを言いつけられても遊びに行った兄のかわりに、家の掃除をしたり。

 本当は自分が任されていたのに、姉に命令されて洗濯をしたり。

 年上のきょうだいたちがうまく立ち回って、様々な仕事がギアノに押し付けられていった。

 いつか自分より年下のきょうだいが出来たら同じようにできるのかと思っていたのに。

 甥や姪たちはその親たちに護られていて、回って来た仕事は自分でやらなければならなかった。


 やればやるほど「ギアノに任せれば安心だ」と褒められて、次から次へ頼まれて。


 不満を押し殺すために、無心になる必要があって。


 だから次から次へとやることを積み上げていった。

 没頭していれば、自分だけが何故と考えずに済んだから。



 やるべきことはすべて片付いた。

 初心者たちの夕食の時間も大体終わって、すっかり静かになっている。


「ギアノさん」

 振り返るとアデルミラが厨房の入り口から覗いていて、大きな目の輝きが見えた。

「食堂の掃除は終わりました」

「そうか。ありがとう」

「ギアノさんのお食事はまだですよね?」

「うん」

「じゃあ、一緒に食べましょう」

「アデルミラもまだなの?」

「はい。今日はまだ」


 大抵はアダルツォと一緒になって食べているのに。

 食堂の掃除は、食事を終わらせた後にしているのに。


「じゃあ、用意しよう」

「お手伝いします」

「いや、今日は俺が作るよ。昨日のお礼に」


 アデルミラはよく周囲の様子を見ている。

 ギアノのこともよく見て、理解しようとしてくれている。

 だからきっと、今日、悩みの中に沈んでいるのに気が付いたのだろう。

 仕事しすぎだと言っていたのに、今日はそっとしておいてくれた。

 

 アデルミラの優しさを勝手に感じて、ギアノは二人分の夕食を作っていった。

 漬け込んだ肉を少し取り出して、じっくりと焼いて。

 お茶もいつもより丁寧に淹れて、カップに注いでいく。


 時間をかけて作った夕食を並べると、アデルミラは目を輝かせて喜んでくれた。

「とてもいい匂いがしますね」

「そうだろ」

「誰かが嗅ぎつけてきたらどうしましょう」

 雲の神官は楽しそうに笑っていて、ギアノも頬を緩ませながらこう答えた。

「俺たちの特別なディナーだって追い返すから、大丈夫」

「ふふ。ありがとうございます、ギアノさん」


 二人で向かい合って食事をとりながら、ギアノはアデルミラにお礼と謝罪を伝えていった。

 マティルデの世話を引き受け、雲の神殿へ案内してくれたこと。

 そして、勝手に「屋敷の管理を一緒にやる」と言い出したこと。


「いきなりあんなことを言って、驚かせちゃったよな」

「少し。でも私、とても嬉しかったんです。これからどうしていこうか兄さまと話してはいたんですけど、なかなか決められずにいたので」


 神官の為の寮に移れば、兄妹で会う時間は自由に取れなくなってしまう。

 それも仕方ないとアデルミラは考えていたが、アダルツォはまだ早いと反対したらしい。


「魔術師たちが住んでいる辺りもまっすぐに通り抜けられるようになったから、神殿に用がある時には自由に行って。勤めっていうのがあるんだろう?」

「ありがとうございます、ギアノさん。そんなことも考えてくださってたんですね」

「ロカもララも神殿であれこれ引き受けているし、やっぱり必要なんだろうと思って」


 これまでの人生で、神殿の世話になったことはほとんどなかったのに。

 迷宮都市に来てからは、大勢の神官が身近にいるようになった。

 樹木と雲の神に捧げられる祈りの言葉を、ギアノも少しずつ覚え始めている。

 アデルミラの優しい声に揺られながら、管理人の青年は海の上に浮かぶ大きな雲を思い出していた。



 次の日、いつものように目覚めて、ギアノは朝の支度を進めていった。

 店のために焼く菓子はないけれど、探索に行く初心者たちの準備を手伝わなければならないから。


 ヘイリーの訪問の記憶は重たいが、マティルデの心配はしなくて済んでいる。

 デルフィの安否は気にかかるが、今日、リーチェたちが来るのが楽しみだった。


 心のバランスを取りながら朝の混雑した時間帯を乗り切って、食堂をきれいに片づけて。

 カミルとコルフは買い物に出かけると言って、フォールードを連れだしたようだ。

 カッカーたちを迎える準備は着々と進んでいく。アダルツォとフェリクスも手伝ってくれたので、あっという間に整っていった。


「ギアノー!」


 昼になる前に扉が開いて、まずはリーチェが飛び込んで来る。

 可愛い小さなリーチェを抱き上げて、ちょこちょこと歩いてきたビアーナも出迎えて。

「やあ、随分といい匂いだな」

 カッカーが入って来て、すぐにヴァージも現れる。腕には小さな赤ん坊が抱かれており、きょろきょろと屋敷の様子を見つめていた。


「メーレス! ああ、大きくなったなあ!」

 アダルツォが声をあげて、ヴァージから赤ん坊を渡されている。

 雲の神官は嬉しそうに赤ん坊を優しく抱いて頭を撫で、祝福の言葉を囁いてフェリクスに手渡した。


「お帰りなさいカッカー様。ヴァージさんも」

「ようやく全員で戻ったぞ」

「すぐに食事の支度をしますね。リーチェ、ビアーナ、ちょっと待っててくれるかな」

「リーチェもてつだう!」

「そう? じゃあ、テーブルを拭いてもらおうかな」


 食堂が一気に騒がしくなり、ギアノはふきんを用意してリーチェに渡す。

 メーレスが泣き出して、ビアーナが転んで、騒がしくとも幸せな空気が満ちていった。


 キーレイがやって来て、ティーオも顔を出し、穏やかな時が流れていく。

 ギアノも呼ばれてリーチェの隣に座り、一緒に食事をとるよう勧められる。

 子供たちのそばにはヴァージがいて、幸せそうに娘の髪を撫でながらこう話してくれた。

 

「北の村でたくさん友達が出来たの」

「それは良かった。なあ、リーチェ」

「他の子に自慢してるのよ。私のお家にはギアノがいるんだって」

「俺を?」

 母の暴露が恥ずかしいのか、リーチェはテーブルの下に潜ってしまう。

「大好きなんですって」

「はは、頑張ってお菓子を作ったかいがあったかな。喜んでもらえて嬉しいです」

「お菓子もだけど、あなたのことが好きなのよ」


 ヴァージに囁かれると、腰の辺りがむずむずしてしまう。

 テーブルの下を覗いてみると、リーチェは頬をピンク色に染めて、母の足の陰で微笑んでいた。


 お菓子を用意するとララが姿を現し、ごく自然に一緒におやつの時間を楽しんでいる。

 和やかな時間が過ぎていき、アデルミラと共にお土産を用意して、ギアノは二人でカッカーのもとへと向かった。


「カッカー様」


 最近の屋敷の事情などを素直に伝えて、二人で管理の仕事をしていきたいと説明していく。

 カッカーはなにか言いかけたが、ヴァージに耳打ちをされると急にぱっと笑顔を浮かべて、「それはいい」と笑いだした。


「雲の神殿に行く時間もちゃんと持ちますから」

「ああ、それは良かった。アデルミラ、これからもよろしく頼むぞ」


 夕日が落ちてくる前に、カッカーたちは帰っていった。

 初心者集団が帰って来る前に片づけをしようと考え、ギアノはまた厨房に篭っている。

 食堂の片づけはアダルツォたちが引き受け、アデルミラが食器を運んで持ってきてくれた。


「メーレスはすごく大きくなってたな」

「本当に。赤ちゃんってあんなにすぐに大きくなってしまうんですね」

「ビアーナも歩くのが上手になってた」


 初めて会った時はふらふらと立っているだけで精一杯だったのに。

 ギアノは笑い、アデルミラも微笑んでいる。


「リーチェは少し泣いていましたね」

「あはは。よく懐いてくれてるからな」

 帰り際、見送りに出た時、リーチェは帰りたくないと言ってギアノの足にしがみついてきた。

「ギアノさんのことが大好きなんですね」

「美味しいお菓子のおじさんってところかなあ」


 いや、「お兄さん」でもいいか。

 のんきにそう考えるギアノへ、アデルミラが問いかける。


「ギアノさんは時々、『自分のことを好きになったか』って聞きますよね」

「うん?」

「仲良くなった人に、俺のこと好きになってきたかって」

「ああ……。そうかもな」


 バルディには言ったような気がする。

 キーレイにも似たようなことを言ったように思う。


「もしかして、自信がありませんか?」

「なんの自信?」

「人から好かれていると、自分ではあまり思っていないのではありませんか」


 アデルミラの言葉の意味が、ギアノにはよくわからない。

 仲良くなれば様々なことを頼まれるようになる。

 相談にのってくれそうだとか、仕事を任せられそうだとか。

 頼られているのかな、とは思っている。


「ギアノさん、みんなあなたが大好きなんですよ」

「好き」

 かなり間抜けな声で答えたギアノに、アデルミラは優しく微笑みながら答えた。

「ええ。仕事を頼めるとか、なんでもやってくれるからではなくて、優しいあなたが好きなんです。兄さまなんか、しょっちゅうギアノさんを褒めるんですよ。いい奴だ、なんでもできてすごいって」

「それは仕事を任せられるって意味じゃないの?」

「それと好きとは別なんです。いまほどなんでもできなかったとしても、好きだと思う気持ちは変わりません」

「できなくても?」

「できなくてもです」

「みんな?」

「ええ、みんな。兄さまもティーオさんも、フェリクスさんたちも、リーチェも。もちろん、私もです」

「……アデルミラも?」

「はい。私も、ギアノさんが大好きです」


 こんなやり取りの後のことは、ギアノの記憶には一切残っていなかった。

 慌ただしい夕食の時間をなんとか乗り越えたのだと思う。

 明日の菓子の仕込みは終わっていたし、干していた果実もちゃんとまとめられていた。

 夕食は食べたのか食べていないのか、定かではない。

 胸がいっぱいなのはわかるが、空腹かどうかはわからなかった。


 さすがに、ヘイリーは来ていないのだろう。

 彼が来れば記憶にしっかりと残るはずだから。


 

 今がどれくらいの時間か知りたくて、ギアノは食堂を覗いた。

 カミルとコルフが並んで座っており、やあ、と手を挙げてくる。


「ギアノ、今日はヴァージさんが来たんだろ」

「家族みんなで来たよ。カッカー様も、メーレスも一緒に」

「アダルツォが喜んでいたよ。フェリクスも。笑うようになってますます可愛くなったって」

 二人は今日なにをしていたのか問いかけると、フォールードを連れて流水の神殿まで行ってきたと教えてくれた。

「流水か。チュール様がいたっていう」

「そう。フォールードはよっぽど恩を感じてるんだろうな」

「ははは」

「それでさ。流水の神殿から帰る途中、ニーロさんを見かけたんだよ」


 カミルとコルフは顔を見合わせて、揃ってニヤリと笑っている。


「ニーロがどうかした?」

「すんごいきれいな女の人を連れてたんだ。連れてたというか、連れられていたというか」

 それで今の表情か、とギアノは納得していく。

 だが、単に女性連れだったという話ではないらしく、カミルは続けてこう話した。

「どうやらその人、ウィルフレドの恋人らしいんだよね」

「え?」

「商人がこそこそ話してたのが聞こえちゃったんだよ。あの髭の戦士から奪ったとかなんとかって」

 ウィルフレドに恋人ができたのは意外ではないが、驚きではある。

 めでたいことだとギアノは考え、略奪についてはありえないと率直に思う。 

「そんなことするかな、ニーロが」

「しそうにないよな、わかるよギアノ」

 カミルはにやりと笑い、コルフがこう続ける。

「俺は、あの女の人は魔術師だと思ったんだ。だから単に魔術師同士でなにか用があっただけなんじゃないかなって」

「女性魔術師って、ここには一人しかいないって言ってなかったっけ」

「うん、今まではね。それとは別の新しい、それもとんでもない美女が現れたってことだよ」


 マティルデの師匠になってもらえないだろうかとギアノは考える。

 弟子をとっているかわからないし、本当に魔術師かもまだ不明だし、男性恐怖症をあっさり克服して帰ってくるかもしれないが。

 ニーロとウィルフレドにもチェニーについて聞いておきたいのだから、訪ねてみても良いのではないかと思えた。


「ニーロは家にいるかな」

「今? 探索に行ってないんだろうし、いるんじゃないかな。なにか用があるの、ギアノ」

「聞きたいことがあるんだ」

「ちょっと遅いけど、今行ってみたらどう? 明日から探索に出ちゃうかもしれないし。腕の良い人は一度潜ったら長いからね」


 カミルとコルフの話に納得して、ギアノは手早く出かける支度を済ませた。

 アデルミラは部屋にいるのか、見当たらない。

 わざわざ声をかけに行くのは妙に気が引けて、食堂に残っていた二人に伝言を頼み、屋敷を出る。



「どうしたのですか、こんな夜更けに」

 急いで向かった黒い壁の家の扉を叩くと、ニーロが出迎えてくれた。

「ごめん、今なら家にいるんじゃないかと思って。聞きたいことがあるんだ」

「僕にですか?」

「うん。ウィルフレドさんにも確認したいんだけど」

「今は食事に出かけています」


 噂の美女についても気になるが、まずは調査官について尋ねるべきだろう。

 家の中に招かれ、椅子を差し出されて座る。

 灰色の瞳とまっすぐに向かい合い、ギアノは口を開いた。


「チェニー・ダングについて聞きたいんだ。王都の調査団にいた女性で、キーレイさんから一緒に調査に行ったって教えてもらった」

「ダング調査官ならば、少し前に南にある道具屋で会いました」

「へ?」

「キーレイさんの言う通り、『紫』の調査に同行しています。それ以来会うことはありませんでしたが、つい最近、道具屋で偶然会いました」

「その時、なにか話した?」

「挨拶をかわした程度です。彼女はひどく狼狽えていて、ろくに用事も済まさずに去ってしまいました」

「なんで?」

「理由はわかりません。けれど、普通の状態とは思えませんでしたね」 


 ひどくやつれていて、別人かと思うほどだったとニーロは言う。

 外見については、レテウスと同じような印象を持ったようだ。


「道具屋でなにをしていたのかはわかる?」

「剣を処分しようとしていました」

「剣って……。それって、立派なやつ? 高く売れそうな」

「そうですね。あれは『緑』の迷宮の奥深くで見つかる特別な剣です」

「詳しいね」

「鑑定のために呼ばれたので。と言っても、僕は偶然居合わせただけです。他の用事でその店を訪れていて、そこに彼女が薬草業者と共にやってきました」

「薬草業者と?」

「理由はわかりませんが、支払いをしなければならなかったようですよ」


 前借りをしようとした理由はこれだろうか。

 断られたから、別の方法で金を得ようとしたのかもしれない。


「それで剣を売ったのか」

「売ろうとしていたんです。結局、剣は売却されませんでした」


 チェニーは逃げていき、剣は置き去りにされた。

 こんな経緯にギアノは驚き、剣はどうなってしまったのか、ニーロに問う。


「その薬草業者が持ち帰りました。ひょっとしたら戻ってくるかもしれないからと」

「どこの店の誰かはわかる?」

「ミッシュ商会の従業員でしたよ。名前はわかりませんが、まだ若い男性でした」


 大収穫だ、とギアノは思う。

 ミッシュ商会の、調査団の女性の剣を預かった男性の従業員。探せばすぐに見つかるはずだ。

 詳しく事情を聞けば、チェニーがなにも持っていなかった理由がわかるかもしれない。

 そう考えて、ふと気づき、また魔術師へ問いかける。


「その剣の特徴って、詳しく教えてもらってもいいかな。見た目とか……。覚えてる?」

「ええ、覚えていますよ」

 ニーロから語られた剣の特徴は、バルジのものと一致している。つまり、チェニーの剣とも同じだ。

「よく覚えてるね」

 さすがだと思ってギアノはこう呟いたのだが、予想外の答えが返って来た。

「もともと僕が見つけたものだったので」

「え?」

「『緑』の探索で見つけて持ち帰って、家に置いておいたものでしたから」

「それがどうしてダング調査官のもとに?」

「さあ」

「さあって……」

「以前共に探索をしていたベリオという探索者が気に入って使っていたのです。彼はふらっと出ていったきりで、剣も持っていったのだろうと考えていました」

「ベリオ?」

「ベリオ・アッジ。剣を使う探索者です」

「バルジじゃなくて?」


 念のために、ベリオの特徴も聞いていく。

 ニーロは怪訝な表情をしたが、答えてくれた。


「体格はあなたと同じくらいでしょうか。髪は赤茶色で、棘のあるものの言い方をします」

 髪の色と体格はありふれており、同じような若者は大勢いる。

 ものの言い方については難しい。バルジの話し方は確かに優しくはなかった。だが、棘があると思うかどうかは聞き手によって変わるだろう。

「他になにか、特徴ってないかな」

「そうですね。……よく娼館に通っているようでした」

 それは特徴といえるのか、ギアノは顔を熱くしながら考える。

「あの程度の実力で娼館に通い続けるのは難しいでしょうから、僕の家を出てからは行かなくなったかもしれません」

「ニーロの金で遊んでたってこと?」

「そうです」


 妙な情報を入れられてしまった。と思ったが、ギアノはふと気づいていた。

 女遊びをよくしていたのなら、女の扱いにも慣れていたのかもしれないと。

 バルジとドーンの関係はとてもドライなもので、互いに深入りする気はなさそうに見えた。

 

「ありがとう、ニーロ。いきなり変なことを聞きにきてごめん」

「ダング調査官になにかありましたか?」

「……死んだらしいんだ。それで彼女の兄が来て、なにが起きたか調べてる」

「そうでしたか」


 無彩の魔術師は視線を床に向け、なにか考えているようだ。

 そろそろ屋敷へ戻ろうかとギアノは思ったが、ニーロの発言に引き留められることになった。


「ダング調査官は『絆の証』を持っていました」

「橙の腕輪?」

「知っているのですか」

「形見として残されてたんだ。いや、彼女の形見じゃないんだけど」


 では、キーレイが言っていた「ニーロが最近見かけたもの」は、ヘイリーの届けた「二人の形見」だったというわけだ。

 迷宮の深いところで見つかるものが、そうたくさんあるわけがない。

 あの腕輪は王都へ行って、再び迷宮都市へと戻って来た。

 まるで調査官になにが起きたのか知らせようとしているのではないかとギアノは思う。

 

「形見とはどういう意味でしょう」

「はっきりとはわからないけど、手紙に『二人はもう戻らない』、『腕輪は二人の形見』だと書いてあって」


 無彩の魔術師の問いに、ギアノは少しずつ説明をしていった。

 ヘイリーがやって来て、手紙を渡されたところから。


 バルジとデントーの二人に出会い、共に暮らし、神官の名を知らされたが、彼らは探索に出たきり戻ってこなかった。

 「橙」の底を目指しており、組んだ五人組のうちの一人がドーンと名乗っていたスカウトで、チェニーだったのではないかと思う。

 ギアノの説明を聞き、ニーロは鋭い目を何度か瞬かせると、こんな話をし始めた。


「道具屋で調査官と会うよりも前の話ですが、樹木の神殿の前で雲の神官のケープを着ていた男に声をかけられました」


 背が高く、痩せていて、髭と髪をぼうぼうに伸ばした男だった。

 アダルツォとアデルミラを助けてくれた雲の神官に違いない。


「彼は僕にいくつか問いかけてきました。あなたが無彩の魔術師かと聞かれ、僕はそうだと答えました」

「それから?」

「次の質問は、『ベリオ・アッジを知っているか』」


 ニーロの答えは、「知っている」。

 彼はこの街にいるのか? それは、わからない。


「最後に、探索者の行方を知る方法はないのか聞かれました」

「行方を知る方法……」

「彼がデルフィ・カージンだったのですね」

「ニーロはなにか知ってるの?」

「いいえ。まだ知りません」

「まだ?」

「ずっと探っていることがあります。鍛冶の神官デルフィ・カージンと共に暮らしていた男について」

「誰なんだ」

「名前はジマシュ・カレートです。非常に紳士的で、知的で、見目もよい魅力的な人物です」

「……もしかして、髪は金色で、波打っている?」

「知っているのですか」

「いや、ダング調査官を訪ねてきた男がいたらしくて」


 そんな情報を聞いただけ。

 ギアノが正直に話すと、ニーロは力強く頷いてこう続けた。


「彼に近付いてはいけません。とても危険な人物ですから」

 本当は名前も知らせたくないくらいだと魔術師は言う。

「なにが危険?」

「なにもかもがです。同じ人間だなどと考えない方がいい。下手に近付けば、あなたが想像もしないようなやり方で仕掛けてきます」

「仕掛けるって、なにを」

「狙った人間を苦しめるために最も効果のあるやり方を、容赦なく」


 ニーロは目を伏せて、小さく息を吐き出している。


「ダング調査官の兄には話さないでください。デルフィ・カージンを探すのは構いませんが、なるべく目立たないように行動した方がいい」

「そんなに?」

「ええ。もしも鍛冶の神官を見つけたら、僕にも教えてください。安全に会うために力を貸しましょう。僕も彼に確認したいことがありますから」


 最後に「いいですね」と念を押され、ギアノはわかったと答えて屋敷へと戻った。

 静かに扉を開けて、足音を立てないように廊下を進んでいく。

 すると厨房のそばに、アデルミラが佇んでいた。


 おろした赤い髪がふわふわと広がっていて、愛らしい顔立ちを美しく浮かび上がらせている。


「ギアノさん、どこかへ出かけていたんですか?」

「うん、ちょっと。ニーロのところに」

 ギアノの答えに、アデルミラは「そうでしたか」と呟いている。

「カミルさんたちにそう聞いていたんですけど、遅かったので心配になってしまって」

「話が長くなったんだ。ごめんな、早く戻ればよかったよ」


 神官の指がゆっくりと動く。

 祈りの言葉は聞こえなかったが、きっと、無事に戻ったことを感謝したのだろうとギアノは思った。


「私が余計なことを言ったから、気にされたんじゃないかと思って」


 アデルミラの浮かべた表情に強く胸をつかれて、管理人は前に進んだ。

 この数日、様々なことが起きた。悲劇について聞かされ、喜びに満ちた時も過ごした。

 その中で、しばらく抱え続けてきた複雑な思いとも向き合ってきた。


 迷う心に光を当てられ、絡まった糸が少しずつ優しい指に解かれ、今。

 出口が見つかったのだとギアノは感じている。


「そんなことない。アデルミラ、俺はやっとわかったし、決められたんだよ」


 もう、忙しさでなにもかも埋める必要はないと気付いた。

 自分の居場所も生きる道も、みんな自分で選んでいると改めて知り、ようやく、ギアノ自身もそうして良いのだと理解できたから。


「俺はここで暮らしていく。探索をする連中の助けになるし、みんなが喜ぶものを作る。頼りにされたり、好きだと思ってもらえるのが嬉しいんだ」


 アデルミラの前に辿り着き、ギアノは愛らしい神官の手を取って強く握った。


「雲の神の導きに感謝している」

「ギアノさん」

「アデルミラ、本当にありがとう。俺のことを考えてくれて。また迷うことはあるかもしれないけど、その時は力になってほしい」

「もちろんです。いつでも頼って下さい」


 優しく微笑んだ顔を見ているうちに、抱きしめてしまいたいという思いが芽生えていた。

 けれどぐっとこらえて、ゆっくりと手を離し、また明日と囁いて、部屋へと戻る。



 なにから取り掛かるべきか考えながら、管理人は眠りについた。

 ミッシュ商会を訪ねるか、マージを探すか、それとも雲の神殿に行ってみるか。


 まだ嵐は終わっていない。ひょっとしたらもっと激しいものが訪れるかもしれない。

 そんな不安はあったが、なぜだか、大丈夫だという確信がある。


 その日見た夢にはバルジが現れ、目覚めたギアノの中には、いつか必ずデルフィと再会できるという予感が残った。

  

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