15 新しい風
「ニーロは今何処にいるか、わかるか?」
夫の質問に、ヴァージは次女を抱いたまま首を傾げている。
「『藍』に行くって五日前に聞いたわ。『術符』を探すんだって」
「まだ戻って来ていないかな」
「さすがにそろそろ帰ると思うけど」
妻の答えにそうか、と答え、カッカー・パンラは屋敷を出た。
すぐ隣の樹木の神殿にも、ニーロの姿はない。
特に信仰があるわけでもないだろうに、ニーロはよく朝早くに樹木の神殿を訪れていた。祈るわけでもなく、神殿の隅でじっと目を閉じて座っている少年が何を思っているのか、六年の付き合いがあるカッカーにもわからない。
「キーレイ、ニーロはまだ戻っていないか?」
神殿の前にはキーレイとアデルミラがいて、朝の掃除に勤しんでいる。
「おはようございますカッカー様。ニーロは、そういえばまだ見かけていませんね」
「おはようございます」
キーレイの言葉が終わるのを待って、アデルミラはちょこんと頭を下げた。すっかり世話になっている屋敷の主だが、実際に会うのはまだ三回目だ。探索者たちの相談に乗ったり、何処かへ出かけたりと、元神官探索者は忙しいらしい。
「アデルミラ、だったか。ラディケンヴィルスの暮らしにはもう慣れたかな?」
「ええ、皆さんによくして頂いていますから」
小柄な少女の笑顔にカッカーも微笑む。
「ニーロとはどうだ。あの子に借金をさせられたと聞いたが」
「それがまだ、会えてないんです」
ある朝突然やって来た二人の新参者が十万シュレールもの借金を負っているという話は、キーレイから聞かされていた。ヴァージも同じ話を夫にしており、カッカーはなんとかならないものかと思い続けている。
しかし、今日あの若い魔術師に相談したいのは「帰還の術符」の代金の話ではない。昨日の夜に起きたあまりにも不幸な話。「青」の迷宮へ飛び込んで死んだであろう男女の話はすぐに町中に広まって、朝食の際にカッカーの耳にも届いていた。
「まだ会えてない?」
「ええ、なんだかタイミングが悪いみたいで」
一度お会いして、お礼を言いたいのですけれど。アデルミラは困った顔で首を傾げている。
いくらなんでも五日は行き過ぎだと、カッカーは思う。
ニーロは恐らくベリオと二人で迷宮へ向かっている。「帰還の術符」が欲しいのならば、分け前を求めてくる仲間はいない方がいい。ベリオは不思議な青年で、迷宮の中を通りかかったニーロに勝手について来たと聞いている。名前すら知らないままついてまわって、いつの間にか相棒の座に収まっているようだった。
ニーロが一時期の様にたった一人で迷宮へ行かなくなったのはいいが、それでもやはり「二人」は頼りない。カッカーは屋敷へ戻って上着を着込むと、無事で居るよう祈りながらトゥメレン通りへ向かって歩き出した。
黒い壁に囲まれた家の扉はあっさりと開いた。
「カッカー様、珍しいですね」
「『藍』の迷宮へ行くと言ったきり、もう五日も見ていないと聞いたから。さすがにな」
ニーロの白い顔には疲労の色が浮かんでいる。いつもよりも目に鋭さがなく、隈ができていてどこかとろんとした様子だ。
「何日いたんだ?」
「昨日の夕方戻りました」
それは疲れただろうとカッカーが肩を叩くと、ニーロは小さく首を振って答えた。
「探索には特に苦労はしていません。夜遅くまで『術符』をいじっていたせいです」
「『術符』を? 何を企んでいるんだ」
家の中は沢山の物が溢れて散らばっている。だが、ニーロの愛用している机の上だけは整然としていて、青い札が十枚ほど並べられていた。
魔術師は恩人の質問に答える気がないらしく、小さく首を傾げただけだ。
「わざわざ訪ねてきたのは、理由があるのでしょう?」
「私がお前の心配をするとは思わないのか?」
カッカーは小さく笑うと、その通りだよと答え、散らかった部屋の中から椅子を探し出してくるとそこに座って「相談」をし始めた。
迷宮都市には毎日、迷宮で一山当てようと「新参者」たちがやって来る。
しかし彼らは何も知らない。何を用意すべきなのか、何人で行くべきなのか、まず何から始めるべきなのか。彼らが知っているのは「成功者の物語」ばかりで、自分たちもすぐにそうなれるものだと信じているのか、何の用意もない状態でやってくる。
親切な誰かに出会ってまずは宿屋のシステムから学び、ちょうどいい仲間を集めている最中にようやく現実を知って、隣を歩く者が信頼できるかどうかわからないままビクビクと迷宮へ足を踏み入れられるようになるのだ。
なにも知らない新参たちが適当に迷宮へ足を踏み入れた場合、大抵の者が必ずなんらかの「失敗」をする。
誰かが命を落としたり、大怪我を負ったり、罠にかかって何処にいるかわからなくなった上、何日もかけてようやく地上へ戻れば荷物が処分されてしまっている。
そういった新参たちを狙う「金貸し」は多く存在していて、装備を整える為、日々の生活の為、死んだ仲間を何がなんでも「生き返らせてやらなくては」と思うあまり、高額な「生き返り」の資金を借りてしまう。
良心的な金貸しももちろんいるのだが、何も知らない新参を騙して高い利子をつける者はそれよりもずっと多い。
カッカーが探索者をやめてから気にしていたのは、そういった「新しく迷宮都市を訪れた」者たちについてだった。
自分の屋敷を解放し、やってきた者たちに手を差し伸べている。
だが、手助けしてやれるのはほんの一部、運良くカッカーの屋敷の事を知り、素直に助けてもらおうと街の南へ歩いてきた者たちだけだ。
「『青』と『黄』の入口に、注意書きを?」
そうだ、とカッカーは重々しく頷く。
「なんとか『消えない』ものが作れないだろうか? ここは危険で、初心者の入る場所ではないと」
ニーロは目を閉じて思案を始めている。
「立札は何度も立てたが、必ず誰かが引っこ抜いてしまう」
誰がやっているのかはわからない。毎回同じ者が取っていくのかもしれないし、たまたまやってきた酔っぱらいが蹴り倒してしまうのかもしれなかった。
「王都の連中に頼んでも動いてもらえないし、あの二箇所には『荷運び屋』もなかなか来ないからな」
人が多く出入りする迷宮の入口には、「荷運び屋」と呼ばれる者たちがいる。
「帰還者の門」がよく見える場所に陣取って、戻って来た探索者たちの荷物運びを手伝うのだ。だが彼らは、人気のない迷宮、その中でも「黄」と「青」には特に寄り付かない。もしもこの二つへ潜る場合には、事前に荷運び屋にその旨を伝え、何日後に手伝いに来てくれと「予約」する必要があった。
新参たちの手助けをする為の機関を作りたいとカッカーは願っている。
自身の屋敷でしている事を、もっと大きな組織でやれないか。そう願って、他の神殿や調査団などに働きかけているが、どうにも話が進んで行かない。
迷宮探索は「自己責任」。誰がいつやってきて、どの渦に入り込もうと勝手だ。これが、迷宮探索の「原則」になっている。
新たにやってくる探索者志望は後を絶たない。彼らの世話などしていられるかというのが、この街の「普通」の考えだった。
「ニーロ、アデルミラやフェリクスと同じように、『橙』と間違えて『黄』に足を踏み入れる者が少なからずいるようなんだ。それに、『藍』と『青』を間違える者も」
「……知っています」
若い魔術師は瞳を鋭く光らせてこう答えた。
カッカーは「救いたい」。
ニーロは、「知りたい」。
新しく街を訪れた者に、親切なフリをして「黄」の迷宮へ行くように仕向けている「誰か」がいる。悪意に満ちたその人物を、ニーロは追っていた。そんな「誰か」が本当に存在しているかはわからない。恐らくそういった人物がいるであろうと考えているだけに過ぎなかった。
しかし、フェリクスとアデルミラ、彼らと「黄」の迷宮の中で出会って疑惑はほんの少しだが、確信へと近付いている。
「立札はいつも同じ者が?」
「それはわからない。気が付くとなくなっているんだ。しかし立札があって助かったという者も少しだが、いる。なんとかいい方法ができるまで『抜けない立札』を用意出来ないかと思うんだが、無理か?」
「無理です」
素っ気ないニーロの返事に、カッカーは思わず顔を歪めてしまう。
「立札一つにつき、魔術師が一人必要になります。永遠に抜けないなんて……」
そこで言葉を止め、ニーロもまた眉間に皺を寄せた。
永遠に続く力。どうやって動き続けているのだろう? あの迷宮の中の罠や、清掃の仕掛け。
九つの渦の中に満ちる「魔術」の神秘に、ニーロはまた目を閉じる。
「魔術師を雇うには随分金がかかりそうだな」
「そうですね」
再びの気の無い返事に、カッカーは思わず笑いを漏らした。
「仕方ない、そちらは地道にやっていこう。協力してくれる者がいてくれればいいが……。なかなかうまくいかないものだ」
「大きな成功を収めた者は皆この街から出ていってしまいます。そうでない者は、日々を生きるだけで精一杯です」
他人の心配など、この街の住人はしないでしょうね。そう呟く青年の姿に、カッカーはふと笑みを浮かべた。
生まれて間もない頃から「魔術」を教え込まれ、ニーロは最早並ぶ者がない程の使い手になっている。
彼は他の探索者達とは違う。ただひたすら純粋に、迷宮がどのような物なのか、どんな魔術でもってつくられたのか追求しているようだ。
そこで得られる富にも、興味がないように見える。この小さな家にどれだけ蓄えがあるかは想像がつかないし、それを大切にしている様子もニーロからは感じられなかった。
「それにしても相変わらず、大変な散らかりようだ」
貴重な物がごろごろと転がる部屋を見渡し、カッカーは肩をすくめている。
「……わかりました。また道具屋を呼んで処分します。カッカー様のご用の為に使ってください」
「悪いな、ニーロ」
「お世話になりましたから」
年に何回か、家に転がる道具の処分をする日がある。カッカーかヴァージ、どちらかが訪ねてきて、注意されたら「その日」だ。
引き取られた道具の代金はカッカーの屋敷へ。独り立ちして以来、世話になってきた礼のかわりに渡すようになっていた。
「最近、やって来る新参が増えて大変なのでしょう?」
カッカーには探索者時代の蓄えがある。しかし、辞めてから既に三年。神殿の務めからも離れ、子供も二人生まれた。
あの屋敷の財政の状況はどうなっているのか、魔術師の青年も少しくらいは気にしていた。
「そうだな、だが別にその為だけに来たんじゃないぞ」
「わかっていますよ」
苦い表情で笑う恩人に向けて、ニーロは微笑んで答える。
「そうだ、アデルミラがお前に会いたがっていたよ。一度ちゃんと礼がしたいそうだ」
「礼など必要ありません」
「お前はそう思っているかもしれないが、あの子には必要なんだ。何か大切な物を預かっているんだろう? なんとか返済しようと毎日頑張っているようだから、一度屋敷へ来てくれ」
面倒なことだ。そんな意識がニーロの表情のない顔の中を通り過ぎていくのをカッカーは見逃さない。
「ニーロ」
強い口調で窘められ、魔術師の青年は小さく息を吐いて答えた。
「わかりました。明日行きます。彼女にそう伝えて下さい」
道具屋を呼んで不要品を処分し、その代金を持って次の日、ニーロはベリオと共にカッカーの屋敷へと向かった。
屋敷の中に人の姿はほとんどなかったが、奥から大勢の声がする。二人が庭へ向かうと、どうやら戦いの練習をしているらしく、剣を持って振るっている新参者たちの姿があった。
彼らの前に立っているのは、剣士のマリート。カッカーの屋敷では手の空いている者がこんな風に、探索に必要な技術を教えるようになっている。
それはいつも通りの「初心者の為の館」で繰り広げられる光景。
だが今日は、その光景の中にはっきりと「違和感」があった。
「なんだあのオッサンは?」
ベリオとニーロ、二人の目には、口元に髭を蓄えた見知らぬ男の姿が映っている。
「王都の調査団か?」
「調査団が剣の使い方を教えるでしょうか」
男の体がどれだけ鍛えられているか、露わになっている上半身が雄弁に物語っている。
髭の男はフェリクスとティーオにどう構えるか、どう踏み込むか、手取り足取り指導しているらしい。アデルミラも横でその様子を見つめ、時折真似をしてナイフで空を切っている。
「教えるかもしれないぞ。たまにはそんな親切なヤツもいるのかもな」
「違うわ」
二人が振り返ると、背後にはいつの間に現れたのか、ヴァージが立っている。
「いらっしゃい、ニーロ」
「ヴァージさん、今回の分です」
金の詰まった重たい袋を手渡すと、カッカー夫人は真っ赤な唇を緩ませて、若い魔術師に礼を告げた。
「いつも悪いわね」
「どうせ使いません」
それに家も片付きますからとニーロが続け、ヴァージはいつも通りのその台詞に笑みをこぼす。
「で、あの髭の男は何なんだ?」
存在を無視された事に軽く苛立ちながら、ベリオが二人の間に割り込む。
「ああ見えて新人なのよ、彼も。名前はウィルフレド。剣は使えるけど、一文無しなんですって」
アデルミラが柄の悪い連中に絡まれたところを助け、屋敷へやってきたという経緯が説明されたが、ベリオは納得がいかないのか腕を組んで首を傾げている。
「あのなりで? しかも一文無し?」
「本当に何も持っていないみたいよ。皆驚いてる」
「初めて見るタイプだな」
同意を求められたはずのニーロはじっと黙ったまま、ベリオに顔すら向けない。
ヴァージは廊下の向こうから娘の泣く声が聞こえてきて、慌てて去って行く。
「密偵とかなんじゃないか? 王都から派遣されてきて、探っているのかも」
「あんなに目立つ密偵がいるでしょうか」
それもそうか、とベリオは呟く。
やがて戦いの練習は終わったらしく、庭に集っていた面々は礼をすると思い思いの方向へ散らばり始めた。
「お、ニーロじゃないか。久しぶりだな」
声をあげたのは「講師役」のマリートで、庭の隅に姿を現した若い魔術師を両手を広げて出迎えている。
「久しぶりですか?」
「ああ、髪が随分伸びている。前に会った時は肩につくくらいだったろう? よし、久しぶりに俺が切ってやろう」
「やめて下さい。目障りだというなら切りますが、ヴァージさんに頼みます」
こげ茶色の柔らかい髪に白いバンダナを巻いた無口な剣士。マリートは屋敷に集う者達からはそう認識されている。かつてはカッカーと共に探索をした剣士で、魔法生物の弱点を見抜く達人であり、剥ぎ取り加工の名人。
話しかければ何でも丁寧に教えてくれるが、基本的には一人で過ごしている。静かで群れない印象のマリートだが、ニーロ相手には随分気安いらしい。
「探索ならいつでも付き合うぞ」
「わかりました」
マリートの横を通り過ぎ、ニーロは庭の奥へと進む。
剣士の声のおかげで恩人の訪問に気が付いて、フェリクスとアデルミラは緊張した面持ちで並んでいた。
「ニーロさん」
「黄」の迷宮以来の再会をして、アデルミラとフェリクスは揃ってニーロに頭を下げる。
「本当にありがとうございました」
「礼を言われるようなことはしていません」
してるだろう、と横でベリオは思う。いくら余っているとはいえ、貴重な「術符」を譲るなんて。
これまでに何度、打つ手を失くして途方に暮れている探索者達の隣を通り過ぎて来ただろう。彼らが「誰か助けて」と臆面もなく叫ぶことができる初心者だったならば、ニーロはいちいち手を貸しただろうか?
そんな訳がない。ベリオはぶつぶつと、ニーロに聞こえないように呟いている。
「探索にはもう行きましたか?」
「ええ、『橙』に三回程行ってきました」
屋敷に集う「先輩」たちに連れられて、まずは探索の基本を教えてもらうために初心者用の迷宮へ。
初日にジマシュが話したように、まずは「三層目」まで。足を踏み入れ、地図を描き、出てきた魔法生物を倒して、歩いて戻る。そんな訓練をゆっくりと続けている。
アデルミラが一生懸命話している横で、フェリクスはじっと黙っている。
「黒」の迷宮へ足を踏み入れて手に入れた報酬について、いまだにアデルミラに伝えていない。あの「事件」について話すのはどうしても気が進まず、二人の借金返済の為には伝えておかねばならないと思っていながらも、三千シュレールは使われないまま荷物の奥底に隠され続けていた。
「ではそろそろ、仲間を探して自分たちだけで行ってみてもいいでしょうね」
「ええ……」
アデルミラの声は途端に小さくなっていく。
ここまでは道案内つきで初心者用の迷宮へ探索へ行っていた。入ってすぐの何層かは、うろうろと彷徨う新参者が溢れていて、緊張感からはほど遠い。
あの程度の事を「経験」とみなして、自分たちだけで足を踏み入れて大丈夫なのか。そんな不安が生まれ、渦を巻く。
「仲間探しも探索のうち。なんでもやってみて損はありません。あなたは神官でしょう? 神官ならば、後はスカウトと戦士を探していけばいい。奥深くまで行くつもりがないのなら、魔術師は不要です」
「はい」
なんとか頷くアデルミラの隣で、フェリクスはじっと黙っている。
その様子に違和感を覚えて、ニーロは青年へ視線を向けた。思い悩んでいるような表情。何か隠しているのではないか。そう考えるニーロへ、アデルミラがこう問いかける。
「あの、ニーロさん。『脱出の魔術』を教えて頂くわけにはいかないでしょうか?」
「無理です」
返事は余りにも早く、鋭い。神官の少女は小さく口を開けたまま、目をぱちくりさせている。
「あれは魔術の素養がある者でなければ扱えません。どのようにして力を扱うか、下地が出来ていなければ教えられませんから」
「そうなんですか……。その、下地を作る為にはどうしたらいいかというのは」
「それも教えられません。他人に教える事を生業にしている魔術師はいくらでもいますから、その方たちに教わってきて下さい」
「どうして?」
にべもなく断るニーロに、ようやくフェリクスが口を開く。
「……あなたはこの街で一番の魔術の使い手だと聞いている。教えるくらい、訳ないんじゃないか?」
ニーロがやって来ると聞かされて、朝の食事の時間にアデルミラはこう話していた。
「『脱出の魔術』を使えるようになったらいいと思うんです」
「帰還の術符」に頼ることなく迷宮を出られるようになれば探索は捗るだろうし、術符を消費せずに戻れるようになれば、指輪を返してもらえる日はきっと近くなる。
アデルミラは瞳をキラキラと輝かせ、ニーロに教えてもらえないか聞いてみようとフェリクスへ語っていた。
ニーロは表情を一切変えないまま、静かにこう答える。
「僕の教え方では『わからない』らしいのです。僕にとって『魔術』は空気同然、使えて当たり前の物なのです。何をどうしたら扱えるようになるか、僕は知らない。ですから、人に教えることはできません」
「それは」
ニーロの言葉はすんなりと頭に入ってくるものではなく、フェリクスは眉間に皺を寄せて黙ってしまった。その隣でアデルミラも同じように表情を曇らせている。
「大体なあ、魔術を教わるには金が要るんだ。いくらニーロがこの屋敷に出入りしているからって、その辺りを曖昧にされちゃあ困るぜ」
タダで教えてたら、街で私塾を経営している魔術師たちの恨みを買うだろう。
ベリオが訳知り顔で話すと、二人はようやく納得がいったらしく、小さな声で詫びた。
「では、探索へ共に行って頂くのは? 可能でしょうか」
話し合う若者たちの上に影が落ちる。
全員が視線を向けた先には、太陽を背にして立つウィルフレドの姿があった。
先程までは着ていなかった上着を身にまとい、髪は綺麗に撫でつけられて後ろへ流されている。
「なんだって?」
突然乱入してきた「新入り」に、ベリオは顔を思い切り顔をしかめた。
「『脱出の魔術』を教えていただけないのはわかりました。共に探索へ行ってほしいと頼むのは? それも、不可能ですか」
「呆れた」というベリオの言葉にも、ウィルフレドの真剣な表情は崩れない。
「私はウィルフレド・メティスと申します。この迷宮都市へやって来たばかりの新米ですが、剣はそれなりに使えます。決して足手まといにはなりません」
大胆な新入りの視線は、まっすぐに魔術師の青年へと向けられている。
「僕と探索へ?」
ニーロの視線は鋭い。しかしウィルフレドは口元に小さく微笑みを浮かべると、こう続けた。
「ええ。『橙』へは一度行きました。次に行くのなら、『緑』か『藍』あたりが妥当でしょう。どちらか……そうですな、『緑』の迷宮へ探索へ行きたいのですが、私とフェリクス、アデルミラと共に来て頂けませんか?」




