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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
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149/244

143 人生の岐路に立ち 4

「ギアノさん、おはようございます」


 朝から菓子の準備をしているところにアデルミラが現れて、ギアノは緊張していた。

 用意していた平常心を前に前に押し出して、普段通りの顔を意識して作り、おはようと手を挙げる。


「明日はお店をお休みにしたってティーオさんから聞きました」

「そうだ。伝えるのを忘れてたよ」

「お休みの日が出来て良かったです。でも、カッカー様たちのためにお菓子は作らなきゃいけませんね」


 雲の神官はにこにこと笑いながら、自然とギアノの隣にやってきて作業を手伝い始めていた。

 指示はなくてもやるべきことはわかっているらしく、朝の作業はすいすいと進んでいく。


「マティルデさんはまだ寝ています。不安だったみたいで、少し泣いていました。あとでまた様子を見に行きますね」

「本当にありがとう、なにからなにまで」


 ゾースの来訪について、伝えておくべきだろう。

 起きて食事が済んだら、話し合いをしなければならない。

 

 少しずつ初心者が起きてきて、屋敷が騒がしくなっていく。

 アダルツォもやって来て、ギアノに声をかけてきた。


「おはようギアノ」

「おはようアダルツォ、今日は探索に行く?」

「行ってくる。寝床は移動するのかな」

「ああ、……ああ。フォールードの隣でいい?」

「いいよ。なんだか喜ばれそうな気がするし」


 寝床の移動については考えていなかったのに、昨日のやりとりを思い出してつい、移動と言ってしまった。

 雲の神官の兄妹は厨房の隅で朝の祈りを捧げていて、頭がカッカしてしまう。


「ねえギアノ、これ食べてもいいの?」

「いいよ。何人分いる?」


 やってくる屋敷の住人たちの対応に没頭して、なんとか熱を払っていった。

 順番に食事を終えて、皿が運ばれてきて、洗うのを手伝い、合間合間に必要な作業を進めていく。


 ティーオの店に運ぶ商品を揃えて、配達を頼める者がいないか探す。

 今日はみんな出かけてしまうらしいので、自分で行こうとギアノは決めた。


「アデルミラ、届けてくるからあとを頼んでいいかな」

「はい、わかりました。ギアノさん、気を付けて」


 屋敷を出てから、マティルデの様子を見るのを忘れていたことを思いだす。

 アデルミラのお陰で不安はないが、任せきりになってしまっているのは申し訳ない。


 ティーオの良品まで速足で進むと、店の中はいつもより賑やかだった。

 レテウスとシュヴァル、クリュが揃って来店しており、菓子の到着を待っていたようだ。


「やっと来た」

 クリュがうきうきしながら近寄ってくる。

 美しい顔を輝かせながら箱をのぞき込んできて、首のあたりについたあざがちらりと見える。


 妙な男に襲われて、首を絞められたと聞いた。

 フォールードが悲鳴に気付いて、庭から飛び出し、クリュを救ったのだと。

 白い肌についた痕は見ないふりをして、商品を並べていく。

 レテウスとシュヴァルは何故だか隅でじっと待っており、特に小さな親分の視線を強く感じている。


「どれにしようかな。シュヴァルはどれがいい? 甘いのと、ちょっと酸っぱいのとどっちが好きかな」

「どれも美味いんだろ。なんでもいいぜ」

「可愛くないこと……でもないか。確かにどれも美味しいもんね。俺なら、まだ食べたことないやつがいいけど」


 どうやら買い物をする係はクリュと決まっているようだ。

 サイズも印象も違うでこぼこした三人組を、ティッテイは興味深げに眺めている。


「レテウスさん、ちょっとだけ聞きたいことがあるんだけどいいかな」

「構わない。なにかな」

「ダング調査官が持っていた剣の特徴を教えてほしいんだ。覚えてるかな」

「もちろんだとも」


 クリュがうきうきと菓子を選んでいる間に聞かされた「美しい剣」の特徴には、覚えがあった。

 色、長さ、細工の様子など。剣に関しては思い入れがあるらしく、レテウスは珍しく詳細に、わかりやすく説明をしてくれたから。


 間違いない。

 バルジが持っていたものだ。

 彼の剣もあまり見かけない色の、美しいものだった。


「ありがとう、レテウスさん」


 もう、間違いない。

 噂通りに破滅に追いやられた男がいるとしたら、それはバルジだ。

 妙な腕輪を形見に残した二人のうちの一人。生きていてほしかったが、望みはもう相当に薄い。


 嫌な予感に沈む子分に気付いたようで、うつむくギアノにシュヴァルが近付いてくる。

「どうした、料理人。ひでえ顔だ」

「ちょっとね」

「どうせ働きっぱなしでまともに休んでねえんだろ。帰って寝ろ。できれば飯を食ってから寝ろ」

 シュヴァルはそう言い放つと、箱を持って運んでやるようレテウスに命じた。

「大丈夫だ、空き箱だから。重たくもないし」

「いいから眉毛に持たせとけ。ギアノ、お前は少しサボる癖をつけろ」


 クリュに早く買い物を済ませろという命令が出て、会計が任される。

 ティーオがまけてくれなかったと文句を言われながら、親分と子分たちで店を出た。


「ちょっと待ってよ、置いていかないで」

 お菓子を抱えたクリュが追いかけてきて、ギアノの隣に並ぶ。

「もう、意地悪だな、シュヴァルは」

「しっかりしろよ、リュード。いつまでもビビってられねえだろ」

「わかってるよ」


 襲われた恐怖が残っているのか、クリュの表情は冴えない。

 マティルデと似たような状態なのかもしれないとギアノは考え、金髪の美青年に声をかけた。


「大丈夫か、クリュ」

「心配してくれるの? ありがと、ギアノ」

 クリュはほっとした様子で、ギアノとの距離を少し縮めている。


 結局小さな親分とその子分たちは揃ってカッカーの屋敷へ戻った。

 入り口までで良いという申し出は断られて、箱は厨房まで運ばれることが決まる。

 初心者たちは出払っていて、誰もいない。

 そう思っていたのに、廊下を進んだ先に二人の少女が立っていた。


「きゃあー!」


 マティルデの叫び声が響いて、ギアノは焦る。

 先頭にいたのはレテウスで、男性恐怖症の少女には恐ろしかったのだろう。


「何故叫ぶ? 私はなにもしていないぞ!」

「マティルデ、大丈夫だ。この人は……」


 マティルデは驚いたのか逃げていき、その後を慌ててアデルミラが追いかけていく。

 叫ばれたレテウスも混乱しているのか、野太い声でなぜだなんだと騒いでいる。


「箱、ありがとう。ここに置いて」

「ああ置く!」

「説明するから、ちょっと外に出よう」


 レテウスの背中を押して、シュヴァルとクリュも一緒になって外へ出る。

 どうして叫ぶ、なにもしていないのに、あの娘は一体なんなんだ。

 捲し立てるレテウスに声をかけながら歩いて、結局貸家に辿り着いてしまった。


「あの子は男が怖くってね。レテウスさんは体が大きくて迫力があるから、びっくりしたんだと思う」

「私の顔はそんなに恐ろしく見えるのだろうか」

「どんな男も駄目なんだ。事情があって、たまたま昨日からあの屋敷に来ていてね。本当に申し訳ない。せっかく手伝ってくれたのに」


 家に戻って座らせると、ようやくレテウスも落ち着きを取り戻したようだ。

 どうやら驚きよりも、愛らしい少女に怖がられたことがショックなようで、悲しげに項垂れている。


「おいギアノ、せっかく来たんだ。飯を作ってくれよ」

「え? ……わかった、作るよ」


 鋭い視線に負けて了承すると、小さな親分はにやりと笑った。

 クリュに手伝ってやれと命令が出されて、金髪の美青年がしぶしぶかまどの前までやってくる。


 視界の端に、金色の髪のきらめきがちらちらと入って来る。

 クリュは大人しく野菜の皮を剥いていて、ギアノは思わずこんな質問をしてしまった。


「随分怖い思いをしたんだろ? 家に戻ろうとは思わないのか」


 探索をしたいなら、仲間を探さなければならない。

 その仲間探しで苦労をしているのに、嫌にならないのかと考えて問いかけたのだが、クリュは唇をつんと尖らせている。


「思わない」

「もしかして、もう戻るところがないとか? だったら」

 無神経な発言をしたのなら謝らなければ。ギアノはそう思ったが、クリュは間髪入れずにこう答えた。

「家はあるよ。だけどあんなとこ、絶対に戻りたくない」


 ギアノが思わず振り返ると、レテウスとシュヴァルも揃って視線を向けていた。

 それに気づいているのかいないのか、クリュはため息をついている。


「アダルツォたちが俺を仲間に入れてくれたらいいのに。この間も助けてくれたんだ。コルフとフェリクスだっけ。二人で俺を樹木の神殿まで運んでくれて」

「フォールードが助けたんじゃないのか?」

「あのおっかない大きい奴だよね、それ。そうだよ。エルディオをやっつけたのはそいつだし、カミルも来てくれたって聞いてる。アダルツォも心配して付き添ってくれた」

「エルディオ?」

「探索を一緒にしようってしつこく付きまとって来たんだ。変な奴だったよ。初心者のフリして、仲間探しをしてた。ティーオの店にも来たから、会わないように気をつけてたのに」


 話していくうちにクリュの横顔には怒りの色が浮かんでいった。

 ギアノは手を伸ばして美青年の背中を撫で、それでクリュは少し落ち着いたようだ。

 ところがこの貸家の主は空気を読まない男で、思いついたであろう疑問をそのまま口にしてしまう。


「サークリュードも勘当されたのか?」

「違うよ。レテウスと一緒にしないで」

 クリュの機嫌はまた悪くなったようで、振り返ってぷりぷりと怒っている。

「そんな言い方はないだろう」

「こっちの台詞だよ。レテウスは逆らったり適当なことをして家族を怒らせたんだろ。俺はなんにも悪いことなんかしてない」

「では何故、絶対に戻らないなどと言うんだ」


 クリュは何故かギアノに目を向けてきた。

 どうしてかはわからない。怒っていても薄青色の瞳は美しく、きらきらと光っている。


「俺がいると駄目なんだって」

 クリュはしょんぼりと項垂れ、ギアノの肩にもたれかかってきた。

「俺がいると、姉さんたちが結婚できないんだって。妹の方がいいって言われるんだって。俺、弟なのに」

「そうか」

「お前なんかいなくなれって言われるし、父さんまで本当に俺の子なのかとか言い出すし」

「わかった。もういいよ、クリュ」


 ぼそぼそとしたしゃべりは、レテウスたちには聞こえていないだろう。

 可哀想な美青年をなだめ、慰め、座らせて、ギアノは一人で調理を進めていく。


 料理を作ってテーブルに並べ、気まずい昼食の時間が始まる。

 空気を変えようとギアノは考え、明るい声で家主に質問を投げかけていった。


「レテウスさんたちって普段はなにをしてるの。家にいる時間が長いんだろ」

「散歩に出ることはあるが、毎日必ずシュヴァルに文字や計算を教えるようにしているよ」

 小さな親分は物覚えが良く、かなりできるようになってきたらしい。

「だが、礼儀だけはどうもな……」

「なんだと? ちゃんと覚えてるぞ、俺は」

「いくら言っても言葉遣いは改まらないではないか」

 レテウスが文句を言うと、ようやくクリュが小さく笑った。

 シュヴァルはじろりと貴族の青年を睨んで、できるぞとぼそりと呟いている。


「言葉遣いは丁寧にしろと言うのだろう。教えられたことなら、すべて覚えた。失礼な言い方をするな、レテウス」


「うわ、レテウスとおんなじしゃべり方だ!」

 ギアノもクリュと同じ感想を持って、思わず笑ってしまう。

「丁寧というより、偉そうに聞こえるね」

「シュヴァルも偉そうだからちょうどいいんじゃない?」


 レテウスはばつの悪い顔をして黙り込み、シュヴァルはふふんと鼻を鳴らしている。

 本当はちゃんと理解しているのだろう。頭の回転が早い親分に、ギアノは感心していた。


「いいね、文字を教えてもらえるのは。俺もレテウスさんに教わろうかな」

「ギアノも書けないの?」

「全然わからないわけじゃないけど、正式に習ったことはないんだ」

 硬い表現になるとわからないと正直に話すと、シュヴァルが返事をしてくれた。

「いいぜ。どうせレテウスは暇だ」

「シュヴァル」

「かわりにギアノの得意なことを教えてもらえ。絶対に役に立つぞ、こいつからいろいろ教えてもらったら」


 食事は終わって、屋敷に戻らなければならない。

 文字の学習については改めて頼むからと告げて、貸家を出る。


 昼過ぎにようやく屋敷に戻ると、誰の姿もなかった。

 倉庫の前まで進んで、アデルミラの名を呼んでみる。

 すると雲の神官は部屋から出て来て、マティルデもここにいると教えてくれた。


「戻るのが遅くなってごめん」

「大丈夫ですよ。お昼も食べましたし、それに今日はどなたも残っていなかったので、マティルデさんに少しお話をしていたんです」

「励ましてくれたとか?」


 時間は空いているか問われ、ギアノが了承すると扉は開いた。

 もともとは倉庫だったスペースは天井が低く、薄暗い。

 奥には元気のない顔のマティルデがいて、アデルミラと一緒になって近くに座る。


「マティルデさんに、雲の神殿に頼ってみないか提案していたんです」


 雲の神殿の役割のひとつに、暴力を受けた女性を支え、立ち直る手伝いをするというものがあると教えられる。

 そういった役割があるから、フェリクスの妹も預けられ、出会うことになったらしい。


「心に受けた傷を癒すのは難しいことです。でも、必ず乗り越えられるものですし、乗り越えたことが自信に繋がりますから。神殿での世話を引き受けてくれるのは女性の神官だけですから心配はいりません。少し時間はかかるかもしれませんけど、前向きになれるように助けてもらったら良いんじゃないかと思うんです」

「なるほど、そんなことも引き受けてくれるんだな」


 当のマティルデは気乗りしないのか、下を向いてしょぼくれている。


「マティルデ、昨日の夜マージから言伝を預かったって男が来たんだ」

「マージから?」

「ああ、少しの間面倒見てくれって頼まれた」

「どうしてなの? なにがあったの?」

「わからない。詳しい事情は教えてくれなかったんだ。長引くようなら聞きに行こうとは思ってる。その男の名前は聞いたから」

「なんて人?」

「ゾースと名乗ったよ。酒場をやってるって」


 心当たりがないらしく、マティルデは困った顔のままだ。


「マージの家に一人でいるよりはいいと思うけど、ここは男だらけだし、マティルデには窮屈だろう? それに、探索初心者を支援するためのところだから、長く居続けさせるのもどうなのかなって思うところはあるんだ」

「ここにいたら駄目?」

「他の連中と探索に行くっていうなら、いいと思うんだけど。できるか?」


 少女の体は小さく震えて、できるともできないとも答えなかった。

 意地悪な質問をしてしまったとは思う。けれどここはギアノの家ではないから、管理人として、無責任に受け入れるわけにもいかない。


「マージたちがいつ戻ってくるかわからない以上、どうするべきか考えた方がいいと思うんだ。できるっていうなら、マージの家で一人で暮らしてもいい。でも、仕事はしなきゃならない。しばらく我慢して働く気があるなら、どこかの店の寮に入る方が安心だとは思う。魔術師になりたいなら、授業料を用意しなきゃならないだろう?」

「うん……」

「だけどどれも大変だよな。結局、どこに行っても女だけなんてところはないんだし、男が怖くてどうしようもないっていう状態をなんとかした方がいい。さっきのアデルミラの話、俺はいいと思うけど、どうだろう」


 マティルデの大きな瞳は、ゆっくりと、あちこちに彷徨っている。

 急に頼りにできる人たちがいなくなって、放り出されてしまったのだから、不安なのは無理もない。


「気が進まないか?」

「わかんない」


 正直な答えはマティルデらしくて、予想通りではある。

 けれど、それで良いと言える状況ではない。

 解決に向かうためには、厳しい言葉が必要だった。


「マティルデ、今までが恵まれすぎてたんだ。マージたちと出会って住むところにも困らなかったし、仕事をサボっても二人はあまり怒らなかったもんな。でも、本当はそれじゃ駄目だったんだ。この街に来たのは探索者になるためなんだろう?」


 魔術師になって、有名な探索者になる。

 女だけのパーティを作ろうと考えたのは、男に酷い目にあわされたからであって、最初はそうではなかったはずだ。


「みんな自分の力で頑張ってるんだよ。辛い目にあっても、怖い思いをしても、本気で探索者を目指してる奴らは歯を食いしばって乗り越えてる。探索者を諦めても、この街に残りたいなら仕事を探して働いて、居場所をちゃんと見つけてる。そうやって生活してるんだ。いつまでもあれはできない、やりたくないじゃ駄目だ。努力をできないなら、家に戻った方がいい」

「ギアノ……」

「ゆっくり休んでからまた来たっていいんだ。だけどとにかく、今、これからについて真剣に考えないと」


 気弱な顔で肩にもたれかかってきたクリュと、呟いた言葉を思いだしていた。

 語ったのはほんの少しだけで、もっといろいろなことがあったのだろう。

 家はあるけれど、戻りたくない。だから、嫌な思いをしても、この街に留まろうと踏ん張っている。


「アデルミラも探索に行ってるの?」


 マティルデがこんな問いを投げ掛けて来たのは、この屋敷に留まる条件を話したからなのだろう。


 雲の神官の視線を感じる。

 どんな答えを用意しているのかは、わからないが。


「いや、行っていないよ。ここに来たのは理由があってのことで、最初のうちはマティルデのように助けが必要だったからだ」


 なんと答えられても構わないが、アデルミラにいなくなられては困る。

 頭の中が凄まじい速度で回って、ギアノは勢いのまま答えていった。


「今は屋敷のことを手伝ってもらってる。ここの管理は二人でやってるんだ。アデルミラはこの屋敷の利用者じゃないんだよ」


 アデルミラは大きな目をぱちくりさせてギアノを見つめている。


「そういう風にやっているって、明日カッカー様に話すつもりだ。いいかな?」

「……はい」

「良かった」


 勝手に決めたことについては後で謝ろうと決めて、改めてギアノはマティルデに向き直った。


「マティルデ、今のままじゃなにをするにも難しいだろ。雲の神殿に頼るのはいい話だと思う。根本的な解決ができるかもしれないから。マッデンと一緒に来たんだし、昔は男を怖がっていたわけじゃないんだろう?」

「うん」

「マージとユレーになにがあったのかわからないけど、きっと今、困っているんだろうと思う。二人には世話になったんだ。少し強くなって、二人を助けてやろうって考えてみたらどうだろう」

「……そうね。私、二人の助けになりたい」


 最後にぽろりと一粒涙をこぼすと、マティルデは袖で目を拭って立ち上がった。


「アデルミラ、頼んでもいい?」

「ええ、もちろんです」

「私頑張る。絶対に魔術師になるし、有名な探索者になるし、マージたちを助けてあげるの」

「すごくマティルデらしいよ」

「よし! じゃあ行こう、アデルミラ!」

「今から? わかりました、すぐに支度しますね」


 必要なものはないのかギアノは慌てたが、特になにも持っていなくても問題ないらしい。

 アデルミラはあっという間に出かける準備を済ませて、マティルデを連れて出ていってしまった。



 ギアノ一人が取り残されて、屋敷の中はしんと静まり返っている。

 朝から急展開が続いていて、ようやく訪れた静寂にぼんやりとしてしまう。

 けれどすぐにお茶の時間が近づいていることに気付いて、厨房へと向かった。


 お隣で働く神官たちのために、お茶とお菓子を用意していく。

 どうやら留守の間にアデルミラが準備をしてくれていたようで、やることはそう多くない。


 時間になるとララがうきうきとやってきて、二人で必要なものを運んだ。

 神官たちに礼を言われ、短い祈りに付き合って、屋敷へと戻って、明日の準備に取り掛かる。


 リーチェとビアーナの為の小さなサイズのものを作り、ヴァージの喜ぶ顔を思い浮かべながら土産にする分を用意していく。

 あの生まれたばかりだった赤ん坊は、大きくなっているだろう。

 アダルツォとアデルミラは再会を喜ぶだろうし、フェリクスも安心するに違いない。


 赤ん坊を抱いた時の感覚を思い出し、ギアノはそんな自分に驚いていた。

 実家にいる時は小さい子供にまとわりつかれたり、世話をしたりで大変だった。

 幼い子供がいない瞬間など、森か海に行っている間だけだったのに。


 三つの新しい命はもう生まれたのかな、とギアノは考える。

 長兄の子供は既に四人いて、次に生まれるのは五人目のはずだ。

 あとの二人はどのきょうだいの子供なのだろう。

 なんにせよ三人とも実家に並んで寝かせられ、一緒に育っていくに違いない。


 泣いたら抱いて、おしめを取り換えて。

 平和で平凡な暮らしだと思っていたが、離れてみて、そうではないとわかった。

 寝る間もなく、労働、労働の暮らしだ。掃除、洗濯、子供の世話、店の手伝い、狩り、漁、買い出し……。

 自分がどれだけ激しく回り続けていたのか、ようやく気付かされている。


 生地をまるめて整えながら、ギアノはため息をついていた。

 マティルデに偉そうにいろいろと言ってしまったが、自分こそしっかり決着をつける必要があるだろう。

 

 まだ迷いはある。すっきりと受け止めきれない部分があって、戸惑ってはいるけれど。

 昨日の夜、アダルツォと話した時、ここで働き続けると答えた。

 さきほどのマティルデとの話の中で、アデルミラと二人でやっていくと言ってしまった。


 心の奥底には、はっきりとした決意が既にある。

 ギアノはようやくそれに気づいて、まずはひとつ、受け止めていく。


「ギアノさん、戻りました」

 

 作業が済んだところで声が聞こえてきて、ギアノは急いで玄関へ向かう。

「今日は本当にありがとう」

「これも神官の仕事ですから。なんだか久しぶりにちゃんと神官らしいことをした気がします」

「アデルミラはいつだって神官らしいよ」


 マティルデにはしっかりと説明が為され、しばらく雲の神殿で暮らすことが決まったらしい。

 絶対に克服してみせると息巻いていたらしく、時々様子を見に行くとアデルミラは話してくれた。


「ギアノ・グリアド、いるかな」

 重ねて礼を言おうとしたところで扉が勢いよく開き、ヘイリーが現れる。

 騎士の青年はすぐそばに立っていたアデルミラに目を留め、やつれた顔を微笑ませた。

「見習いの娘かな。可愛いね」

「彼女は立派な神官です。アデルミラ、部屋で話してくる。明日の準備は済んだけど、片付けがまだなんだ」

「わかりました。あとでお茶をお持ちしますね」


 話の早い相棒に礼を言い、ヘイリーと共に管理人の部屋へと向かう。

 椅子に座った途端、客の表情は暗く沈んで、ため息をつく音が響いた。


「連日押しかけてすまない」

 思わず、そうですねと言いかけて、ギアノは首を振った。

「仕方ありませんよ。なにか新しいこと、わかりました?」

「いや」


 ヘイリーは口を噤み、ギアノは黙って続きを待つ。

 苦悩に満ちた青年はしばらくの沈黙の後、ため息交じりに語り始めた。


「今日はどこにも行っていないし、誰にも話を聞いていないんだ」

 客は大きく体を震わせ、椅子をがたんと鳴らしてから、こう続けた。

「調査団でチェニーについて聞かされた。いや、聞かせてもらったのだ、昨日」


 扉を叩く音が聞こえて、アデルミラが顔をのぞかせる。

 運ばれて来たトレイを受け取り、ギアノはまた雲の神官を戻らせて、カップにお茶を注いでいった。


 ヘイリーはカップを手に取り、黙ったまましばらく見つめ続けた。

 表情はますます暗くなり、昨日よりも絶望が深まったように見える。


「埒が明かなくてな」

 ぼそりと呟いた声は小さい。

「遠慮しあっていては真相がわからないと思って、聞いたんだ。王都で流れた噂について」

「ああ」

「団長だけではなく、ほとんどの団員に聞いた。本当のことを話してくれと頼んでね。みんな答えは同じだったよ。チェニーがそんな真似をしていたとは思えないらしい」

「男たちと関係をって部分ですよね」

「ああ。否定されたのは喜ばしいのだが」


 ぽつりぽつりと語ったことをまとめると、「チェニー・ダングには女としての魅力などなかったから男を誑かすなど無理ではないか」と暗に伝えられたようだ。

 兄としては複雑な気分なのだろう。


 バルジと関係を持っていたことを知っているギアノとしても、複雑な気分ではあった。

 確かに女性的な魅力は乏しかったが、必要とあれば男に体を差し出していたようだったから。

 二人は恋愛関係にあるようには見えなかった。あくまで仲間でいさせてもらう対価として、女であることを利用していたのだと思っている。


「もう、なにを信じればいいのか……」


 ヘイリーの呟きが聞こえてくる。


 「ドーン」について教えるべきなのだろうか。

 ギアノは悩み、バルジの顔を思い出している。


 レテウスに確認した剣の情報も教えるべきだろうか。

 だが、剣がどこへ消えたのか不明のままだ。バルジの剣だったようだが、考えてみれば「奪ったかどうか」はわからない。


 不確かな情報を、しかも更に悲しませる内容のものを聞かせていいのか。

 真実を伝えずにいるのは、不誠実か。

 わからないまま黙りこくる管理人に、騎士の囁きが届いた。


「ギアノ・グリアド。……デルフィ・カージン宛ての手紙を開けてくれないか?」

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― 新着の感想 ―
探偵ギアノさん今までで1番主人公ムーブしてますね。
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