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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
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147/244

141 人生の岐路に立ち 2

 夜遅い時間だが、ギアノが考えた通り、神殿にはキーレイの姿があった。


「やあ、ギアノ。なにかあったのかな」

「見てほしい物があって」

 神像の前の長椅子に並んで座り、ギアノは預けられた腕輪をキーレイに差し出した。

 すると問いかける前に、答えはあっさりとわかってしまった。

「『絆の証』じゃないか」

「知ってるんですか」

「これを手に入れるのが流行した時期があったんだ。『橙』の固定の場所に隠されているものだよ」

 アデルミラが考えた通り、迷宮で見つかるものだったらしい。

「固定ということは、『橙』以外では見つからない?」

「おそらくね。二十一層に仕掛けがあって、その奥で手に入るものだ。仲間と協力しないと手に入れられないから、『絆の証』と呼ばれるようになった」


 「橙」の二十一層目。

 また、「あの五人組」に繋がっていく。


「最近ニーロが見たと話していたけど、それのことなのかな?」

「いえ、これは今日持って来た人がいて、預かったものなんです」

 どんな仕掛けが用意されているのか問うと、キーレイは紙とペンを持ってきて、図に現しながら詳しく教えてくれた。

「罠の仕掛けられている道は細くて、一人ずつしか進めないようになっている」

 分厚い刃が飛び出してくる通路の先には、二人以上で行かなければならない。

 その先に例の腕輪が隠されており、手にいれた後はまた誰かがスイッチを押して待つ必要がある。

「その腕輪のところには、二人で行かなきゃならないんですね」

「そうだね。別に三人で行っても構わないだろうが、そんな必要はないだろう」

「通路の罠が動いてしまったら、どうなります?」


 こんな問いをぶつけられて、神官長は驚いたようだ。

 眉をひそめて隣の屋敷の管理人を見つめ、けれど、答えを示してくれた。


「人が通っている時に作動すれば、恐らく命を落とすだろう」

 刃は二か所から飛び出してくる。

 大人の男なら首と腰の辺りを切り裂くであろう仕掛けで、残酷な死には「生き返り」も意味を持たない。

「この罠自体は有名なものなんですか」

「どうかな。『橙』に深く潜る者は少ないだろうし、あまり知られていないと思うが」


 けれど地図は完成しているから、知ること自体は可能だ。

 キーレイの答えに、ぞわぞわと血が騒めいているような気がして、ギアノは体を震わせていた。


 バルジたちは「橙」の底を目指していたのだから、全階層の地図を持っていただろう。

 ならば、特にスカウトには、この罠について知る機会があったのではないか?


 仕掛けの先に誰かが行って、腕輪を手に入れた。

 手に入れる為に通路を歩いて行ったのは、おそらく二人。

 迷宮から戻ったと思える者が三人いて、「絆の証」は「二人の形見」だと言うのなら――?


 真相はわからない。けれど、ヘイリー・ダングに託された手紙のあて先は自分だった。

 デルフィとギアノに共通している知り合いなど、あの五人組以外、世話になっていた宿の主人くらいしかいない。


「ギアノ、どうしたんだい」

 様子がおかしく見えたのだろう。

 ギアノは悩みながらも神官長に事情を話していった。

 王都からやって来た騎士の青年と、手紙、託された腕輪について。

「ダング調査官が……」

 若い女性が自ら命を絶った話に、神官長は悲しげに俯いて、祈りの言葉を囁いていった。

「知っているんですか、キーレイさん」

「以前、『紫』の調査に協力したことがあってね」

「もしかしてウィルフレドさんも一緒だった?」

「ああ、一緒だったよ。カッカー様に頼まれて私とニーロが引き受けたんだが、ウィルフレドも連れていこうとニーロが言いだして」


 ここにもチェニー・ダングを知っている人物がいた。

 女性調査官の印象について、キーレイにも確認しておくべきだろう。


「そうだね……。こう言ってはなんだが、迷宮に入るのは気が進まないようだった。探索を物語として楽しむ人たちもいるが、王都で暮らしている、特に身分の高い人たちは探索など素性のわからない者がするものだと考えているから。ダング調査官もこの街で暮らすのは嫌だったのかもしれない。誠実な女性だったけれど、望んだ仕事ではないと思っているようだった」

「やつれてました?」

「そんな印象はないな。機嫌は少し悪そうだったが、きびきびと歩いていたよ」

「それっていつのことですか」


 ウィルフレドがやって来てから、少し経った頃。

 キーレイがチェニーと会ったのは、最近の話ではないらしい。


「その依頼には、キーレイさんとニーロとウィルフレドさんと、ダング調査官の四人で?」

「それ以外にも調査団の学者たちが三人と、異常を発見した薬草業者も同行していたよ。アードウの店で働いているバリーゼという従業員がね」

「バリーゼさんが」


 西側に行く用事ができたら、アードウの店に寄ってみてもいいかもしれない。

 キーレイから聞いた以上の話が出てくるとはあまり思えないが、なにか知っているかもしれないから。



 長く話しこんでしまったことを詫びて、ギアノは部屋に戻った。

 朝は早く起きて、お菓子を仕上げなければならないから。

 

 目を閉じると、様々な考えが勝手に泡のように浮かび上がってきては弾けていった。


 同じ宿で暮らしていた五人の探索者たち。


 明るく前向きで、夢ばかり大きかったダンティン。

 彼の野望に付き合い、剣の振り方から教え、育てていたバルジ。


 常に祈りと共にあったデントー。鍛冶の神官であることは隠していた、気弱なひょろ長。

 不機嫌そうなスカウトの見習いのドーン。本当は女性で、王都から派遣された調査団の一員。

 頼れそうなスカウトだった寡黙なカヌート。マージの知り合いで、名前は「ヌー」。ギアノを探しているような話を聞かされている。


 まだ推測であって、真相ではない。

 形見だというのが、思い違いであればいい。

 本当は二人も地上に戻っていて、三人とはぐれただけ。

 探索に飽きて、他所の町に流れていってしまったのかもしれない。もしくは、故郷へ戻ったか。

 ギアノとの約束などどうでも良くなったと言われても、無事に生きているなら構わない。


 

 すっきりしない朝を迎えたが、仕事が待っている。

 ギアノは着替えを済ませ、顔を洗い、屋敷のあちこちの灯りをつけて歩いた。

 「橙」やら「緑」に向かいたい初心者がいれば、そろそろ起きだしてくるだろう。

 彼らのためにかまどに火をつけて用意し、ティーオの店のための菓子も準備していく。


 もっと大きなかまどが欲しいな、とギアノは考えていた。

 すっきりとした味のお茶を用意して、揺れる炎を見つめながら。

 やらなければならない事と、自分の周囲で起きていたかもしれない不穏な出来事の真相と。

 考えはあちこちに飛んだり跳ねたりして、いつものようにまとまらなくて困っていた。


「ギアノさん」

「あ、ああ。おはようアデルミラ」

「おはようございます。少し顔色がよくないみたいですけど」

「考え事をしてたから、いつもよりよく寝られなかったのかな」

 

 でも、大丈夫だから。

 ギアノは無理矢理笑顔を作って、かまどへと向き直る。

 雲の神官はひとつひとつ作業を手伝い、起きてきた探索者たちに対応してくれている。


 屋敷の朝は忙しい。

 アダルツォから住処について悩んでいると相談されたが、アデルミラがいてくれてとても助かっている。

 ティーオの店の商品も、アデルミラがいるから毎日用意できていると思えた。

 管理人の仕事は二人で請け負っているということにしたらいいのではないか。

 けれどそれは、神官の暮らしとしては邪道なのかもしれない。

 それとも、偽名を使って暮らすよりはまともだろうか?

 くだらない考えにふっと笑って、ギアノは忙しい時間帯をなんとか切り抜けていく。



「道はわかっているよね」

「うん。もう二回行ったから」

「じゃあ、頼んだよ。届けたらすぐに戻ってきてくれよな」

「はあい、行ってきます」


 今日は探索に行かないというモーリたちに商品の配達を頼んで、ギアノはやれやれと廊下へ戻っていった。

 後片付けをして、掃除をしたら、果実を袋に詰めていこう。

 仕事の順番を組み立てながら厨房へ戻ると、アデルミラが食器を洗っている真っ最中だった。


「ありがとうな、アデルミラ」

 小柄な神官は穏やかに微笑んで、手を止めると、ギアノの前に進んだ。


「一つ提案があるんですけど」

「提案? なにかな」

「この後、片付けと掃除は私が引き受けますから、ギアノさんは少し休むっていうのはどうでしょう」

「え?」

 突然の申し出に驚くギアノに、アデルミラはこう続ける。

「最近ちょっと疲れているように見えるんです」

「もしかして、俺のこと?」

「はい」

「昨日は確かにね。でも、全然、そんなことはないよ」

 

 ギアノが進もうとすると雲の神官も前に出てきて、二人は厨房の入口で向かい合った。


「昨日は特別なことが起きましたから、そのせいでいつもより落ち着かないとは思います。でも、私が言いたいのはそうではなくて」

 ブラウジが来た日から、少し様子がおかしいように思う。

 アデルミラは慎重に言葉を選んで、ギアノの説得を試みているようだ。

「そうかな。そんな風に見える?」

 神官が頷き、管理人は首を傾げている。

 大丈夫だよと答えようとした瞬間、アデルミラの方が先に口を開いた。

「じゃあ……、ギアノさん、いつもと違うお仕事を頼んでもいいですか」

「なんだろう」

「ここに座って、私の働きぶりを見ていてほしいんです」


 厨房の隅には椅子が何脚かあって、アデルミラはそのうちのひとつを持ってくると、ギアノに座るように言った。


「ギアノさんと私では、仕事の早さが全然違うんです。ここで世話になり始めた頃は、私も兄さまも普通とはいえない状態でした。だから最初のうちは仕方なかったと思います。けど、あれから随分経ったのに、ギアノさんみたいにはなかなかできなくって」

「アデルミラは働き者だよ」

「座って下さい、ギアノさん」

 明るい笑顔を向けられ、管理人はゆっくりと腰を下ろしていった。

 アデルミラは洗い物を再開させて、再び口を開いていく。

「手の大きさだとか、経験だとか、そういったものは同じにはできませんよね。だから、それ以外になにか秘密があったら真似してみようと思ったんです」

「秘密なんかあるかな」

「うふふ。私、見つけたんですよ。いくつも見つけました。ギアノさんのお仕事を隣で見ながら、どんな風に作業を進めているか観察していましたから」


 初心者たちが使った食器がきれいになって、積み上げられていく。

 心掛けの良い者は自分で洗うが、ほったらかしにしていく者もいる。

 早く迷宮に行きたいとか、うっかり寝坊して急いでいたとか。

 そんな理由で残された食器を洗って、床に落ちた食べこぼしを片付けて。

 カッカーとヴァージが子供たちの為に屋敷を去ってから、ギアノは様々な仕事を引き受けている。


 洗濯は各自でやる決まりだが、苦手だとかできないだとか、弱音を吐く初心者は手伝ってやらねばならない。

 貸し出し用の装備品の手入れをし、部屋の空気を入れ換え、乱れたベッドを整える。

 どれもたいした仕事ではないが、人数が多いから。

 単純にやることは多くて、アデルミラの観察はさぞはかどったことだろう。


「ギアノさんの仕事には無駄が全然ないんです。なんでも効率よくやれるように、順番を組み立てて、なにか起きればすぐに考え直して入れ替えて、あっちこっちにバタバタ行かなくていいようにしているのがわかりました」

 洗い物が終わったらしく、アデルミラが振り返る。

 今度はお掃除ですねと言ってギアノを立たせ、食堂へ移動し、また隅の椅子に座らせる。

「私、ギアノさんからたくさん学びました。だから、お掃除も少し早くできるようになったんですよ。床にこびりついた汚れがある時はなかなか取れなくて苦労しますけど、そんな時はフォールードさんにお願いするとあっという間なんです」

「力が強いもんな」

「そうなんです。怖い人かと思っていたんですけど、兄さまとはとても仲が良いみたいで」

「神官の言うことはよく聞くらしいよ」

「まあ。それじゃあ、私のお願いも聞いてくれるでしょうか」


 赤い髪に飾った花がゆらゆらと揺れ動く様を、ギアノはぼんやりと眺めていた。

 アデルミラは楽しそうにモップで床を磨いて、終わればテーブルの上を拭いて回っている。

 手伝おうかと立ち上がる度に止められ、結局隅の椅子で座ったままだ。

 雲の神官は小さくて可憐なのに、態度はきっぱりとしていて逆らえなかった。

 最後のテーブルがきれいになるとアデルミラはお茶を運んできて、一緒に一休みしましょうとカップに注いだ。


「ギアノさん、新しい仕事はどうでしたか?」

「仕事かな、さっきのは」

「もちろんです。体を休めるのも仕事のうちですし、時には心だって休めなければいけません」

 アデルミラはにこにこと笑いながら、雲の神官の仕事について教えてくれた。

「迷宮都市ではあまりやらないことなんです。ここはあまり雨が降らないし、気候の変化も少ないところですから」

 けれど他の土地では、昼食の後、ぼんやりと空を眺める時間を時々持つらしい。

「神の指が動くと、雲が生まれます。いろんな色や形のものがあるんですよ。真っ白い雲や、黒い雲、雷を鳴らす雲、人の顔や動物に似た形の雲もあります。私たちは空を眺めて、雲の行方を見守ります」

 崩れたり、雨を降らせたり、氷の粒を巻き散らしたり。

 雲の神官たちは雲の行方の中に、様々な経験や知識を重ね合わせて思索に耽るのだと言う。

「寝てしまう人もいますけどね」

「アダルツォのこと?」

「ふふ、そうなんです。兄さまはしょっちゅう寝てしまって怒られていました。でも、立派な方ほど寝てしまったことを怒らないんですよ。寝てしまうのは眠りが必要な状態だから、そんな時は眠ってしまえばよいのだって。必要な時は休まないと、体も心も弱ってしまいますから」


 目の前の神官が優しく微笑み、シュヴァルが「上玉」と評していたことを思いだす。

 まだ子供なのに、小さな親分の目はとにかく鋭い。


「ギアノさん。ティーオさんのお店はまだ開いたばかりですから、頑張りたい気持ちがあると思います。でも、お菓子の販売はとても順調で、もうあんなに評判になっています。だからティーオさんと相談して、お休みの日を作っていきませんか」

 思いがけない提案を受けて、管理人は慌てて頭を働かせていく。

「そうか。そうだな、確かに勢いだけで営業してて、休みのことはまだ決めてなかった。ティーオ一人でやり続けるのは大変だもんな」

「商品はギアノさん一人でやっているんですよ。それも大変なことです」

「いや、俺は別に。今までも似たようなことはやっていたし、むしろ故郷にいた頃よりは楽をしているよ」


 食堂の隅でギアノの向かいに座っているアデルミラの口が、ほんの少しだけ動いた。

 唇は結局閉じてしまい、なにか言いたいことがあったのではないか、管理人は考える。


「もしかして、ブラウジが来た時のことを気にしてる? あの時はシュヴァルが随分強く言ったらしいんだ。ティーオに聞いたよ。アデルミラが気にすることはなにもないんだ」

「ありがとうございます。……ギアノさん、ひとつ聞いてもいいですか?」

「なにかな」

「本当はお家に帰りたいと思っていませんか」


 答えはすぐに出てこなかった。口から飛び出しもしなかったし、頭の中にも浮かんでこない。

 思考は止まり、唇が少し動いただけで、ギアノはそれ以上はなにもできず、そんな自分に戸惑っていた。


「ギアノさんにここにいてほしくていろいろと言ってしまいましたけど」

「いや、いや、それはいいんだ、アデルミラ。とてもありがたく思ってる」

「家族に会いたいとか、故郷の景色を懐かしく思われることもあるでしょう?」


 小さく頷きながら、アデルミラにはそのどちらももうないことを思い出し、思わず額に手をやってしまう。

 ギアノの心の動きに雲の神官も気付いたようで、私たちのことは気にしなくていいと微笑んでいた。


「ごめんな、アデルミラ」

「この街には、もう戻るところがない人が大勢住んでいますから。私たちが特別に不幸なわけではありません」


 フェリクスにも戻るところはない。ニーロは赤ん坊の頃に魔術師に拾われ、カッカーに預けられた。

 シュヴァルにもどうやら、家族は残されていないようだ。

 聞かされていないだけで、似たような事情を抱えている者もいるのだろう。


 ギアノはそうではない。豊かな海と自然があって、人々が笑顔で暮らしているところに家がある。

 家族は大勢いて、みんな健康に暮らしているだろう。

 父と母と、兄姉と、その子供たち。

 海辺で聞こえる音を思い出すこともある。


「カルレナンに戻りたいと思う日はあるよ。青い海が広がっていて、太陽がここよりも大きく見えるところでね。風の匂いも違うし、魚も美味いんだ。貝を入れて作ったスープの味も懐かしい。迷宮都市にはいろんな物が運ばれてくるけど、海で獲れるものは全然やってこないから」

 アデルミラは静かに頷くだけだ。

 穏やかな瞳には心の隅の暗がりを照らす光が宿っていて、ギアノは観念して悩みを打ち明けていった。

「迷宮都市や探索者の話を偶然聞いて、俺も行ってみたいと思ったんだ。おふくろには真剣に取り合ってもらえなかったんだけど、なんだか……、どうしても行きたいと思っちゃってね」


 ギアノの父の店にやって来た詩人の歌は、海の男たちにはあまり受けなかった。

 けれど働き者の息子の心にやけに強く響いて、ギアノに家を出る決意をさせた。

 迷宮都市に行くからという宣言は聞き流されてしまったけれど。

 ある日の早朝に、ギアノは少ない荷物をまとめて家を出た。


「誰も起きてないくらい早くに出たから、外はまだ真っ暗だったな」

「どうしてそんなに早い時間に家を出たんですか?」

「誰か起きてきたら、仕事を任されると思ったんだ」


 あれをやってと言われたら、断れないから。もう家を出られなくなってしまうから。

 自分から出て来た乾いた笑いに、呆れてしまう。


「ここにブラウジが来た次の日、そこの大通りでブラウジと兄貴に会ったんだ。屋敷に来ようとしていたんだと思う。兄貴は俺に気付かなかったくせに、ブラウジに俺がいるぞって言われた瞬間、怒り出してね。なにをやってるんだとか、勝手に出ていってどういうつもりだとか。お前がやらなくなった仕事をみんなで手分けしてやってやってる。子供が三人も生まれるから、今すぐ家に帰るぞって言われたんだ」


 一方的にまくしたてられている間の感情をどう表したらいいのか、ギアノにはわからなかった。

 理不尽だし、疑問もあったのに、投げ出してきたのだという思いの方が強かったから。


「俺はなんにも言えなくて、それでしょうがないって思ったのかな。シュヴァルが手をパンって叩いてね。二人はそれで黙って、あとはもうシュヴァルの独壇場だよ。ふざけたこと言うな、自分のケツは自分で拭けって」


 はっとして、下品な言い方をしてごめんとギアノは謝り、アデルミラは小さく笑っている。


「あの子に、お前はどうしたいんだって聞かれた。永遠に親兄弟やその子供たちの召使いとして暮らすつもりなのかって。それよりもシュヴァルの子分になった方がいいぞなんて言い出してさ。ちゃんと分け前もくれるんだって。はは、なんの分け前かはわからないけどな。だけどとにかく、俺はいろんな仕事ができるから、子分の中では一番上の身分にしてやるなんて言ってね」


 いちいち抗議しようとする兄と甥を「うるせえ」で黙らせて、シュヴァルはギアノに向けて凄んだ。

 家に帰るか、俺の子分になるか。今選べよ、と。


「シュヴァルの子分になるって言っちゃったんだよな……。子分になりたいわけじゃあなかったんだけど」

 あくまで、「その二択なら」の話だし。迫られて反射的に答えてしまっただけなのに。

「兄貴は怒った顔をして、なにも言わずに去っていった」

「そうだったんですね」

「確かにあれから悩んでるよ」


 アデルミラが元気がないと感じているのは、そのせいだろう。

 なるべく表に出さないよう心掛けていたのに、神官はよく人を見ているから。


「探索者になるつもりで来たけど、俺にはあまり向いてないように思ったんだ。良いパーティを見つけたら他人を追い出してでも入るべきだなんて教えられて、やろうとしたんだけどね。やっぱり心苦しいし、断られた時はほっとした。誰かに嫌な思いをさせてまでやるものなのか悩んだから。……探索以外の仕事もすぐに見つかったしな」


 料理をするのは好きだ。厨房はきれいにしておきたいし、物は使いやすいように片付けておきたい。

 暮らすのに必要な仕事はいろいろあるが、どれもずっとやり続けてきたから、悩むこともない。

 屋敷の管理の仕事は自分に向いていると思っている。

 けれど、迷宮都市に来てまでやるようなことなのかという思いもあった。


「兄貴とブラウジについては、酷い言い方をするもんだなって思ったよ。別に、みんながああいう感じなわけじゃない。チビたちはみんな可愛いし、猟師のおじさんも、海で漁をしている人たちも、よくしてくれた。俺は故郷の人たちや家族が好きだし、海のある風景が好きだ」


 けれど、シュヴァルの言葉に揺れている。

 俺の一番の子分にして、優遇してやるからいい女を見つけてちゃんと捕まえろ。

 そのための時間はちゃんとくれてやる。お前の親きょうだいと違ってな。


 十一歳から出て来た言葉とは思えない。夢でも見ていたのでないかとすら思っている。

 けれど明らかに、シュヴァルの言葉に心を強く揺らされていた。


 召使のような扱いを受けていたわけではないけれど、自分だけの居場所はもうなかった。

 両親と、六人もいる兄のうちの二人が妻子と共に実家で暮らしていたから。別々に暮らしているきょうだいたちも、毎日それぞれの家族を連れて帰ってきたから。

 いつの間にやら寝床は店の奥になっていた。

 早く起きて遅くまで仕事をするのだから、その方が便利だろうと言われて、それもそうかと考えて。

 だけどきっと、心のどこかで納得していなかったのだろう。

 心の底では気が付いていた。ひたすらに家庭をまわす為の歯車としてぐるぐる回り続けているだけなのだと。

 

「俺は探索には向いていないみたいだけど、ここに来て良かったとは思っているよ。みんなやけに褒めてくれるし、喜んでもらえることが多くて。カルレナンのやり方が珍しくて、きっとみんなの好みによくあってるんだろうな」


 ギアノはしょんぼりと萎れていく。

 本音はきちんと心の中に存在しているのに、口に出していいのかがわからないから。

 家族も故郷も大事なのに、「愛している」と言い切るにはなにかが足りない。

 そんな自分がひどく薄情に思えて、どうしてもそこで心が止まってしまう。


「ギアノさん、私たちが来た時のこと、覚えていますか?」


 わけのわからない話をしてしまったと考えるギアノに、アデルミラが問いかける。


「ああ、もちろん。覚えているよ」

「私、すごく驚いたんですよ」

「ヴァージさんが出てくると思ってた?」

「そうですね。確かにそれもびっくりしました。でも、それ以上にギアノさんに驚いたんです」

 

 赤ちゃんの声に気付いて、すぐに三人を守るために動き出してくれた。

 食事、着替え、休むための場所を用意して、赤ん坊の世話も引き受けてくれた。


「メーレスをすぐに引き受けて、上手にお世話をしてくれましたから。私たちはすっかり安心して、眠ってしまったんです。初対面だったのに、ああ、この人なら信じて大丈夫だって思ったんですよ」

「そう?」

「はい。あれからずっとお世話になって、ギアノさんからたくさん学ぶことがありました。でも、ひとつ気になっています」

「なんだろう」

「ギアノさんは他人を優先しすぎ……というか、他人のためにしか動いていないように見えます」

「どういう意味かな」

「自分のための時間がないように思うんです。みんなギアノさんを頼りにしていて、全部に応えてしまうでしょう。頼まれた以上のことまで考えて、次々に仕事に組みこんで、時間の許す限り働いてしまってます」


 ブラウジがやって来た時のこと。

 ティーオは、アデルミラとシュヴァルの話したことはほとんど同じだと言っていた。 

 今かけられた言葉も多分同じだ。


 お前自身のための時間は、一体どこにある?


 考えがまとまらず、ギアノはなにも答えられない。

 黙りこむ管理人の様子をしばらく見つめて、アデルミラはにっこり微笑むと口を開いた。 


「ギアノさん、今日からの新しい仕事、時々頼んでもいいですか」

「新しい仕事って、アデルミラを見守る?」

「ええ、ああいう感じで。私も成長していきますから、内容は少しずつ変えていって」


 大きな目にまっすぐに見つめられて、思わず頷いていた。

 アデルミラはギアノの手を取り、目を閉じて、雲の神への祈りの言葉を囁いていく。


 迷える心に、雲の神の良い導きがありますように。

 人々のために働く勤勉な若者に、特別な恵みが雨のごとく与えられますように。


 祈りが終わると、廊下の向こうから声と足音が聞こえてきて、二人は顔を上げた。


「今日は随分と静かだな」

「カッカー様」


 食堂の入り口に家主のカッカーが現れ、挨拶を交わしていく。

 きれいに保たれた家の様子が確認されて、ギアノには感謝の言葉が贈られていた。


「明後日、子供たちを連れてきたいのだが、いいかな」

「もちろんです。みんなが大好きなものを用意しておきますよ」

 ギアノの返事にカッカーはにんまりと笑っている。

「リーチェがどうしてもギアノに会いに行きたいと言っているんだ」

「そうですか。嬉しいな」

「メーレスも連れてくる」

「メーレスも! じゃあ、フェリクスとアダルツォに言っておかないと」

 互いに近況を報告し合い、カッカーは満足そうに微笑んでいる。

「フォールードはどうかな」

「うまくやっていますよ。フェリクスたちと組んで、活躍しているみたいです」 

「カミルとコルフも一緒ということだな。良い五人組になれたようで良かったよ」


 今日は余分なお菓子がなくて、お土産は用意できない。

 申し訳ない気分で話すギアノに、カッカーは豪快に笑っている。


「では、明後日に期待するとしよう。リーチェたちにもそう伝えておく」

「しっかり準備します」

「頼んだぞ、ギアノ、アデルミラ」

「はい、カッカー様」


 カッカーが去って行くと、早めに探索を切り上げたであろう初心者たちが二組戻って来て、屋敷は騒がしくなっていった。

 ギアノは厨房へ向かい、食料の備蓄を確認して、市場に買い出しに行くための準備を始めた。

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