133 沈殿
朝がやってきたが、同じベッドで眠っているのは神官ではなくまだ魔術師のようだった。
足を広げたあられもない姿で横たわっていても、男を刺激するものはまったくなかったから。
長い睫毛がゆらゆらと揺れて、黄緑色の瞳が輝く。
目覚めた浅黒い肌の魔術師は、ウィルフレドが見つめていることに気付くとにやりと笑ってみせた。
寝ぼけ眼のロウランを連れて一階へ降り、探索の支度を進めていく。
荷物の準備は既に済んでいるから、背負って「白」へ向かうだけでいい。
ニーロと共に、奇妙な三人組で迷宮へと歩いていく。
「白」の入口には既に残りのメンバーがいて、やって来た人数に首を傾げている。
「急な話ですが、共に探索へ向かいます。魔術師で、名前はロウランだそうです」
更にニーロからこんな言葉が飛び出して来て、それぞれ違った反応を見せた。
マリートは面食らったような顔をし、ノーアンは呑気に「誰なのかな」と呟いている。
キーレイは困惑した様子で目をぱちくりさせ、ウィルフレドを見つめていた。
「ノーアン、先頭をお願いします。前列はマリートさんとウィルフレド、僕たちは後列を行きましょう」
ニーロに声をかけられて、樹木の神官長は首を捻りながら疑問を口にしていく。
「それは構わないし、……一人増えるのもいいのだが」
「お前はラフィに出会っているんだな、緑色の神官。これには理由がある。歩きながらじっくり説明してやろう」
突然参加することになった魔術師は夜の神官の姿をしているのに、服装も眼差しも醸し出す気配も、なにもかもがラフィとは違う。
昨日買ってきた青紫色のローブの裾を揺らしているだけで、他の持ち物は特にない。
靴は黒く染めた革のもので、夜の神官の涼しげな装いとはずいぶん印象が違った。
説明されたところで、キーレイはどこまで理解するだろう。
魔術師の話はどこまで真実かわからないし、大体、途中でラフィに変わってしまうかもしれないのに。
「ノーアン、扉を開けて下さい」
「もしかして、報酬は六等分?」
「嫌ですか」
「……いや、いいよ。それでもきっと多いだろうし。俺は全然構わない」
「皆さんもいいですか」
マリートは答えなかったが、ウィルフレドとキーレイは了承した。
ロウランがどういう意味かニーロに問い、説明を受けて、「それはすまなかった」と答えている。
「人数が増えると分け前が減ってしまう。当たり前のことだな。では、高く売れるものを探せばいいか?」
「深く潜れば自然と集まります」
「ほう、勝手に? 随分と親切な造りじゃないか」
「簡単な場所ではありませんよ」
「それはなにより」
ロウランの余裕の発言に、ニーロも笑みを浮かべている。
「ウィルフレド、あの……魔術師は、探索をしたことがあるのですか」
「どうでしょう。ないかもしれません」
「神官ラフィとは別人なのですか?」
「おそらくは」
ウィルフレドにもわからないと察知したのか、キーレイは短い質問を終えて離れていった。
扉はもう開いてしまった。ノーアンが一歩踏み出したのだから、ウィルフレドは前を行かねばならない。
マリートがじろじろと視線を向けてきたが、こちらはなにも言わないままだ。
「お二人はすごく強いって聞いています」
ノーアンは地図を確認しては進んでいき、合間に声をかけてくる。
マリートは不穏なはじまりに気を悪くしているのか、いつもより表情が硬い。
なのでウィルフレドがかわりに答えているが、そんな前列をよそに後列の魔術師たちはよくしゃべった。
「迷宮はこんな風にどこも一色なのか」
「いいえ、ここまで徹底して同じ色に染めてあるのは『白』だけです」
「全部で八つ?」
「九つの迷宮が見つかっています」
迷宮都市にやって来た若者が受けるような説明が、ニーロの口から語られていく。
ロウランはそれに頷き、疑問をぶつけ、答えを示されては次の問いを投げている。
キーレイにも親しげに声をかけ、会話を重ねているようだ。
「なんなんだ、あいつは」
二層への階段を下りる途中でようやくマリートが口を開いた。
「お前の連れなのか、ウィルフレド」
答えに迷う戦士に、恋人の噂を聞いたとマリートは続ける。
今となっては困った噂でしかないが、結局ウィルフレドはこう答えた。
「私の連れではあります。ですがあの魔術師には複雑な事情がありまして」
「あいつ、男なのか?」
「今は……、恐らくはそうかと」
「なんだその答えは」
マリートと同じことをノーアンも思ったらしく、不思議そうな顔でウィルフレドを見つめていた。
けれど迷宮探索は続いているので、余計な口を挟む暇はない。
階段を下りればもう油断をしてはならない場所で、スカウトは慎重に地図を確認しながら六人を導いていった。
進むうちにノーアンの硬さは取れて、マリートの集中も高まっていく。
ウィルフレドもまだ戸惑いの中にあったが、意識を迷宮に向け、余計な考えを振り払おうと努力していた。
「好きな地点に移動することはできんのか?」
「できません。中から地上へ戻ることはできますが」
「できそうなものだがな」
「あなたならば可能ですか?」
「そう思える。お前にもできるだろう。そのうちきっとわかる。ここが一体どこにあるのか、通ううちに理解が進むはずだ」
後方から漏れ聞こえてくる魔術師同士の会話については、さっぱり理解ができない。
ニーロとの会話は楽しげで、ロウランの調子は良さそうだとは思うが。
どんな風にラフィと入れ替わるかわからず、ウィルフレドは魔術師の様子がどうしても気になってしまう。
こんな風に不安を孕んだ探索だったが、六層目まで順調に進んで、泉のそばで休憩をとることになった。
ロウランは泉の水を飲むとウィルフレドの隣にやって来て、ぴたりと寄り添い、何故か頬を撫でてきた。
「なにをする」
「こうされたいかと思ったが、違ったか」
なにを馬鹿なと思ったが、戦士はふと気づかされていた。
今となっては目の前にラフィがいてこんな風に寄り添われたとしても、素直に受け入れることはできないだろうと。
魔術師の植え付けた疑惑は既に芽を出し、育って葉を揺らしている。
魔術師についてもわからないが、夜の神官の真意も理解できていない。
ロウランの言葉が気にかかっていた。
「かつて愛した男」について。
ラフィも似ていると感じたのかもしれない。身代わりにされていたのかもしれない。
けれどこんな考えもなんの根拠もない不確かなもので、心がざわめいて落ち着かない。
ロウランとラフィは互いを嘘つきと呼んでいるが、夜の神官が陥れられ、命を落とした話だけは一致している。
ならば、不幸な身の上話だけは真実なのだろうか。
迷宮の中で心を揺らしていられるのは、立ち止まっている間だけ。
歩き始めれば迷いは捨てて、今は白い道の先だけを見つめなければならない。
「なにか来る」
ノーアンの声がして、ウィルフレドは剣を握り直した。
耳を澄ませて音を聞き、白の中に落ちる影に目を凝らす。
敵の出現は「白」の中では恵みに変わる。
真っ白いだけの道は心を乱し、不安を呼び起こすものから。
「嫌な道だな、ウィルフレド」
戦いが終わると背後から声がして、ウィルフレドは振り返った。
ロウランは倒した魔法生物の死骸の上をぴょんと飛び越え、壁に飛び散った血の跡を靴の裏でなぞっている。
「余計な雑念が湧きやすい」
「確かに」
「白は嫌いだ」
ロウランの姿は「白」の迷宮では特に目立つのかもしれない。
影が動いて揺れているようだとウィルフレドは思い、青紫色のローブが揺れるさまを眺めていた。
「もっと愉快な迷宮はないのか?」
「迷宮は愉快なところではない」
「そうかな。どうなんだ、ニーロ」
「あなたが愉快に思う場所はあるかもしれませんが、今は『白』の底を目指します」
「ふふ、そうだな。急に同行させてもらったんだ。最後まで付き合って、お前に金を返さねばならんのに」
わがままを言える立場ではなかったと、ロウランは笑う。
靴底についた血を床に擦りつけて、今度はキーレイの隣に進んだ。
「お前の魂にも強靭なものを感じるよ、緑色の神官」
「魔術師ロウラン、私は樹木の神に仕えています」
「街の中には木などほとんどなかったようだが」
「だからこそ、樹木の神に仕える我々が必要なのだと考えています」
「ふうん?」
「確かにこの街の周辺には緑が乏しいですが、人々の暮らしに自然は欠かせないものですから」
「やれやれ、神殿の長というのはやはりご立派な人間がなるもののようだな」
魔術師はキーレイの背中を叩くと、白い通路をしばらく見渡し続けた。
マリートが肉を拾い、後始末を終わらせるまで、遠くを見続けていた。
「一番底までどのくらい降りる?」
ロウランは誰にともなく呟いたが、この問いにはニーロが答えた。
「三十六層が底だと考えられています」
「確かなのか」
「これまでに四つの迷宮の底に辿り着きました。どれも三十六層目が一番底で、特殊な造りになっています」
魔術師たちは迷宮の話をし始めて、探索を再開させてもしばらくの間続けていた。
まだ上層部分の探索で、二人がどうしても戦いに参加しなければならないような危機は訪れていない。
ノーアンは時々背後に視線を向けたし、マリートは落ち着かないようだが、誰も文句を言いはしなかった。
ウィルフレドが心配していたのは、いつラフィが現れるかだったのだが。
夜の神官が現れるかどうかよりも、次に出会った時にどう向き合えばいいのかわからないことの方が気になっている。
階段を下りたり、時々登ったりしながら進んで、十二層に辿り着いていた。
かなり早いペースで進んでいたし、長い時間歩き続けたとも思えた。
二つ目の泉に辿り着いて、食事を取り、休むことが決まる。
迷宮の中を初めて歩いたであろう飛び入りの魔術師は、動揺の類は一切見せなかったし、こんな危険な場所で眠るとはとどこか嬉しそうに呟いていた。
「ウィルフレド、お前の隣で眠らせてくれ」
ラフィが現れた時に備える為、なのだろう。
戦士は断ることができず、キーレイとマリートは困惑の視線を向けている。
「見張りはいらないんだっけ?」
「ええ、心配いりません。もっと深くなってからは少し警戒が必要でしょうが」
ニーロのおまじないの線が二重に引かれて、きらりと輝いている。
ノーアンは感心した顔で、ポンパにも教えてやってくれないかと頼んでいた。
すべての支度が終わったので、眠らなければならない。
ウィルフレドが腰を下ろすと、ロウランが身を寄せて来て戦士の腕の中にすっぽりと収まっていた。
「もう少し離れてもらえないか」
「何故だ? お前は寝相も悪くないのに」
キーレイは目を逸らしてくれたが、マリートの刺すような視線が痛い。
体を休めなければ迷宮を進んでいけなくなってしまう。
魔術師はすぐに寝息を立て始めて、緊張のなさがうらやましいほどだった。
考えてみれば、どれほどの魔術の使い手なのかもわからない。
ニーロがなにも言わないのだから、きっと同行に問題はないのだろうが。
よくもこんな探索をしているとウィルフレドは思った。
ラフィの実力は確かだったが、それだって自分以外誰も見てはいないのに。
キーレイもマリートも反対せず、よく受け入れてくれたものだ。
いつの間にか眠りに落ちて、目覚めると既にキーレイとニーロは支度を始めているのがわかった。
戦士が起き上がると、胸の中の仲間も目を覚ましたようだ。
起き上がってしばらくぼんやりとしていたが、そのうちウィルフレドを見てにやりと笑った。
つまり、ラフィと入れ替わってはいない。
ロウランは気ままに用を足しに行ったり、マリートの用意した食事をつまみ食いしたり、ノーアンの広げた地図をのぞき込んだりしている。
「三十六層か。時間がかかりそうだ」
昨日と同じ順番で並んで、六人は歩き出した。
最後列の飛び入り魔術師はしばらく歩いたところで、こんなことを言いだしている。
「一番底の階層は他と違って、天井が高い造りになっているな?」
「その通りです」
「大きな敵が潜んでいそうだ」
「必ずではありませんが、魔竜と呼ばれる敵が現れます」
「魔竜の色は、迷宮の色と近しい?」
ロウランの言葉にニーロが答えている。
ラフィが体を動かしている間、音は聞こえていないとロウランは話していた。
迷宮の知識をどこでどうやって得たのだろう。
それとも今、歩きながら探るような真似ができるのだろうか。
「どうやって見ているのです」
「目を閉じればわかる」
「聞こえますか?」
「ああ、聞こえるよ」
魔術師にしかわからない会話が始まったらしく、内容は理解できなくなっていった。
罠の解除を見守り、敵と戦い、高く売れる物を採集しなければならないから。
だから魔術師たちの話に耳を傾け続けることなど不可能だった。
「そうではない、ニーロ。考え方を変えなければならん」
「つまり、必ず固定されているというのですか」
「基本的にはそうだが、そうではない部分もある」
罠も戦いも前列の者に任せて、ニーロはロウランとの会話に夢中になっているようだ。
二人の会話は謎に満ちているが、声はどことなく弾んでいるように聞こえる。
時々キーレイが声をかけて集中するよう促しているが、しばらくするとまた声が響いていた。
「そろそろ石人形が出始めるから、ニーロ」
「大丈夫です。備えています」
言葉通り、強敵の出現の時も戦いはスムーズに進んだ。
マリートとウィルフレドの剣を強化し、石の塊を砕く力を分け与えてくれる。
「ただの剣でも倒せるのだな、なるほど」
ここまで、ロウランはただ見ているだけだ。
歩いて一緒に進んで来ただけ、他人の食料をつまみ食いしただけの探索をしている。
「これまでにはなかった種類の敵もいるか、ニーロ」
「いるかもしれません。大抵の敵は地上の獣を模したものですが、先ほどの石人形のようなタイプもいますし、ここはまだ足を踏み入れたことのない層が残っていますから」
「まったくの未知が潜んでいる可能性があるのだな」
「ええ」
「いるとしたらどんな風だろう」
小柄な魔術師は楽しげに笑っている。
ニーロとはずいぶん打ち解けたようで、距離が近い。
気安い様子で肩を抱き、胸を叩いたり、冗談をぶつけたりしているようだ。
「戦えますか」
「任せておけ」
十五層目の下り階段にたどり着いたところで、隊列の入れ替えをすることになった。
ノーアンのすぐ後ろにニーロが入り、隣にはマリートが付く。
殿を任されるのはウィルフレドで、キーレイとロウランがその少しだけ前を行く。
後列へ下がって来た戦士を見て何を思ったのか、飛び入りの魔術師は余計なことを言い始めている。
「良い体をしているな、ウィルフレド・メティス。お前は見たことがあるか、緑の神官長。この色男は澄ました顔をしているが、これまでに相当な数の女を泣かせてきたに違いないぞ」
キーレイは困った顔をしたきり返事をせず、ロウランは愉快そうに笑った。
「樹木の神とやらのしもべよ、どうやら魔術の素養があるようだな。俺が仕込んでやろう」
「いえ……」
「遠慮するな、出来ることは多い方が良いのだから。お前ならすぐに会得できる」
夜の神官とは違った距離の近さに、ウィルフレドの眉間に皺が寄ってしまう。
それにも目ざとくすぐ気が付いて、飛び入りの魔術師は戦士の腹を拳でつついた。
「心配しなくていいぞ。あれほどうまくはやれないが、戦い方はわかっている。魔術に関しては、ラフィよりもずっと上手く使えるからな」
「ラフィも魔術を使えるのか?」
「俺と共に生きているのだ。見る機会はいくらでもある」
魔術は見ただけで会得できるものなのか。
ウィルフレドにはわからないし、キーレイも同じ体に住まう二人の関係がさっぱり理解できないようだ。
「神官ラフィは今どこでどうしていると解釈したらいいのですか」
「不貞腐れて眠っているのさ」
「不貞腐れて?」
「この男を完全に堕とせなかったのが悔しくてたまらんのだ、あれは。みんな自分のことしか考えられなくなるのが普通だったのに、こいつが踏みとどまってしまったからな。あんなに抱かせたのに、はははは。確かにこの体は、一度溺れたら断ち切るのは至難の業だ。緑の神官、お前もなかなか強そうではあるが、狙われていたらどうなっていたかはわからんぞ」
キーレイは額を抑えて俯いてしまった。
質問したのを後悔しているに違いない。
ウィルフレドにとっても困った受け答えをされているが、ロウランを止めるのは難しいだろうと思う。
六人組の輪を乱すばかりの魔術師だったが、一層降りたところでようやく活躍の機会を迎えていた。
マリートとニーロが前方に出て来た敵と戦い始めると、白い毛の獣が一頭、わき道から飛び出して来て吠えた。
その白い獣は、大きな猫のようなものだったとウィルフレドは思う。
初めて見る姿の敵だった。だが、もう確認のしようがない。
戦士が振り返ると同時、ロウランが手を突き出したから。
すさまじい衝撃が指先から生じ、ごうっと重たい音がして、白い毛のなにかは吹き飛ばされて消えた。
突き当りの壁に叩きつけられたわけではない。なにも落ちてはいないし、跡も残っていないから。
ロウランの放った力は、獣をかけらも残さず消し去るようなものだったらしい。
「なんだ、なにが起きた?」
マリートが剣を突き出しながら叫んでいる。
音に驚きながらも石人形の中心を貫き、見事に倒してみせたようだ。
「すまん、見誤った」
ロウランは手首を曲げ、指を順に動かしながら、敵が現れたはずの通路を見つめている。
「随分と脆弱な造りなのだな」
「あの敵がですか」
「そうだよ、緑の神官。他になにがいる?」
「いえ……」
「何分初めてのことでわかっていなかった。すまんな。戦利品を手に入れなければならんのだろう?」
「そうですね。なにも採れないものもいますけれど」
「次は少し抑えよう」
キーレイの顔は珍しく蒼く染まっていた。
神官長はニーロに声をかけて、出て来た敵を見たか確認している。
「見ていません」
「ウィルフレドはどうですか」
「一瞬しか見られておりませんが、猫のような形をしていたように思います」
初めて見る敵だったと、神官長は言う。
まだ深い層に辿り着いていないのに新種と出会ったのなら、できる限りを把握しておきたいものなのだろう。
新種を一瞬で消し去った魔術師を、マリートはじっとりした目で睨んでいた。
ノーアンは石人形を崩して戦利品を探しており、ロウランは視線が集まっていることに気付いて笑っている。
「体を動かすのは久しぶりなんだ、なに、すぐに慣れる。いくつか失敗するかもしれんが許してくれ」
「なんなんだよこいつは、ウィルフレド」
マリートに毒づかれて、戦士は思わず謝罪の言葉を口にしていた。
飛び入りで参加させたことも、巷の噂になっていることも、ロウランの口からこぼれた下世話な話題についても申し訳ない思いがあってのことだ。
「なにを謝る必要がある、ウィルフレド・メティス。悪いのは夜の神官だろう。お前を誑し込んで、沼に引きずりこもうとしたのだから」
だが、戦士の思いなど関係ないのだろう。ロウランはウィルフレドの手に触れ、勝手な発言を続けていった。
「だが、俺にとってはお前は救世主だよ。こうして自由に動き、話せるようになったのはお前のお陰だ」
魔術師は笑い、次に剣士に向かって「だから怒るな」と囁いている。
謎の六人目に迫られて、マリートはのけ反るようにして後ずさっていく。
「次はうまくやる。今のでわかったからな」
「どんな力を放ったのですか」
「教えてやろう、ニーロ。こちらへ来い、さあ早く」
この言葉の通り、ロウランは次の戦いから見事な活躍を見せ始めた。
白い猫のような獣は現れなかったが、あらゆる敵を一撃で仕留め、迷宮の白い床の上に倒していった。
ウィルフレドの出番はなくなり、採集の手伝いばかりをさせられている。
それに不満はない。採集も迷宮探索の一部なのだから。
敵がすぐに倒されれば、誰も怪我をしなくて済む。
強い戦力があれば、スカウトも罠に集中できる。
魔力が尽きたとしても、マリートとウィルフレドがいるし、ニーロもいる。キーレイも控えている。
安全に進めれば、より深い層に挑み続けていける。
こんな進み方でいいのだろうかと思えるほどの道のりだが、明らかに無彩の魔術師の機嫌は良かった。
ロウランの正体は謎に満ちているが、自分と同等かそれ以上の力を持つ魔術の使い手がいて、学ぶことがあるのかもしれない。
ウィルフレドはそう考えていたが、現実はそれ以上だったようだ。
「あなたの魔術の源はどこにあるのですか?」
二十層目に到達して、二回目の夜明かしの準備を進めていく。
ニーロのおまじないの線は三重になり、今夜も強く光を放っている。
「源とはなんだ」
「あれほどの攻撃を放っているのに、尽きる気配がありません」
「根本的な考え方の相違がありそうだな。話すと長くなる。それについては出てからにしよう」
この日も支度をするマリートから勝手に肉を奪い、ロウランは手短に食事を済ませていった。
用を足し、キーレイにいくつか声を掛け、ノーアンの広げた地図をのぞき込み、ウィルフレドの隣にやって来て寝そべっている。
「ニーロ、随分楽しそうだな」
マリートの沈んだ声に、無彩の魔術師の答えはこうだった。
「ラーデン様と話しているような気分です」
「ラーデンとは誰だ?」
床に横たわったまま声をあげたロウランに、ニーロが振り返る。
「僕を育てた魔術師です」
「親ではないのか」
「僕に親はいません。赤ん坊の頃に森で拾われたと聞いています」
「ほう、だからお前には無駄がないのだな。理想的だ」
ウィルフレドの足を撫でながら、ロウランは「なあ」と声をかけてきた。
魔術師のいわんとすることについて、理解が追いつかない。
ニーロに「無駄がない」のは、なんとなくわかるような気はする。
魔術師になるべく育てられ、実際に相当な使い手になっているのだから。
そんな風に生きるには、赤ん坊の頃から容赦なく仕込まれるのが「理想的」なのかもしれない。
「緑の神官も迷宮を歩くための体をしているな。お前にも無駄がないぞ」
「そうですか」
「もっと誇れ、素晴らしい才を持っているのだから」
結局キーレイは一日中困った顔のままだし、マリートは恨めしい表情を崩さない。
誰とも接点がなかったのが良かったのか、ノーアンはどこか楽しそうに仲間たちを見つめている。
「二日歩いてわかったことが山のようにある。三日歩けば更に高い山になるのだな、ふふ、面白いな」
ロウランは急に起き上がると、ウィルフレドから離れてニーロの隣に腰を下ろした。
「ここで眠るがいいか」
「構いません」
「何故膝を抱えて眠る? 体に悪かろう」
「僕が育った家には、眠るための場所がなかったのです」
「ラーデンのせいか」
「そうなりますね」
「ラーデンはどうやって眠っていた?」
「眠っているところを見たことがないので、わかりません」
こんな会話に満足そうに笑うと、ロウランはニーロの隣で眠ってしまった。
「きれいな人なのに……」
なにを思ったのかノーアンがこう呟き、ウィルフレドをじっと見つめている。
「恋人なんですよね?」
「いや、違うのだが。……簡単な話ではなくて。申し訳ないが、説明するのも難しい」
「ああ、いいんです。皆いろいろありますもんね、大丈夫です。誰にも話しゃあしません」
ノーアンの奥に座りこむマリートの視線も痛くて、「頼む」と答えるのが精いっぱいだった。
ウィルフレドは息を大きく吐き出すとキーレイの隣に進んで、この日は平穏を祈ってから横たわり、体を休めた。




