129 見つけた
次の日の朝早くに貸家街へやって来て、ヌエルは再びレテウスの家を見張っていた。
一番最初に姿を見せたのはクリュで、家を出るなりどこかへ向かって歩きだしている。
昨日と同じように探索仲間を探すつもりなのか、北に向かっているようだ。
酒場や食堂、あちこちを覗いては彷徨っていて、金髪の美青年はなかなか落ち着かない。
結局この日、クリュは探索者同士の出会いの店に収まることはなかった。
散々覗き歩いたのに結局、南の方角へ去っていく。
貸家に戻るかと思いきや、クリュがたどり着いたのは「赤」の入り口だった。
入り口まで来たのに迷宮には入らず、穴のそばにあった樽の上に座り込み、ぼんやりとしているだけ。
昨日まだ駆け出しのスカウトだと名乗ってしまった以上、「偶然通りかかった」は通らないだろう。
初心者たちはあまり南側には行かないし、五番目に挑むべき渦に一人でやってきたりはしないから。
ヌエルが物陰から様子を窺っていると、連絡役のラリードという名の男が近づいてきた。
小柄なヌエルよりももっと小さく、すばしこく隠れるのが得意なのが自慢の脱落者だ。
「おう、おう。あそこに座ってるのが例の奴か」
体が小さいからか、ラリードは子供とよく間違われる。
声も甲高くてやかましいので余計にそう思われてしまう。
そんなラリードは樽の上に座るクリュを眺めて、いやらしい顔でニヤニヤと笑っていた。
醜悪な笑みは男の本性をはっきりと浮かび上がらせて、この顔ならば子供と間違われることはないだろうとヌエルは思う。
「へえ、ほお。驚いたな、本当に綺麗な顔をしているじゃないか。あんな色の髪は初めて見たぞ」
「そうか」
「ガドなんかよ、あれなら男でも構わねえって言ってたんだぜ。あいつ、汚ねえ顔を真っ赤にしてよう。嘘付き野郎めと思っていたが……」
ラリードは歯を剥きだしにして笑うと、ヌエルをじっとりと見つめた。
クリュならば「お前と違って」、女の代わりにしてやってもいい。
そんな下衆な考えが伝わってきて、腹立たしくて仕方ない。
なんとか堪えるヌエルの腕を、ラリードは爪を立てるようにして掴む。
「で、うまくやれそうなのか。あの金髪とは会ったんだろう?」
「まだ始めたばかりだ。もう少しかかる」
「なあんだ。使えない奴だな、ヌエルは」
「あいつはおっとりしているように見えて、警戒心が強いんだ」
小男は肩をすくめて呆れたような顔で笑うと、ヌエルをまっすぐに見つめた。
「もういいよ、お前なんか。神官は逃がしたまんまで見つけられねえし、あんな女みたいな奴一人どうにもできねえんだから。ジマシュの旦那もさぞがっかりしているだろうよ」
胸の底から怒りがこみあげて来て、ヌエルは腕を振り払い、ラリードを睨みつけた。
小男はわざとらしく震える真似をして、おっかねえ顔だと吐き捨てるように呟いている。
「邪魔をするな。気づかれたらお前のせいだぞ」
「そうかいそうかい、わかったよ」
「なんの用もないのに来たのか」
ラリードはへらへら笑うと、せいぜい頑張るんだなと捨て台詞を残して去って行った。
鼻で笑われて、気分が悪い。
クリュはまだぼんやりと座ったままで、昇って来た太陽の光を受けてやたらときらきら輝いている。
この苛立ちはラリードのせい。
あいつの見た目とは関係ない。
ジマシュの顔を瞼の裏に思い描いて、ヌエルは心を鎮めていった。
怒りも嫉妬もすべて抑えて、ただ為すべきことを為す。
望むものを手に入れる為には、手柄が必要だった。
失敗を埋めるくらいの大きな手柄でなければ、認めてはもらえないだろうから。
もどかしくても、時間をかけてやっていくしかない。
決意も新たに、ヌエルはじっと暗がりの中に潜み続けた。
クリュのぼんやりとした時間は長く続いて、動きがあったのは昼をとうに過ぎた後。
金髪の美青年は立ち上がり、ふらふらと歩き出している。
見つからないように後をつけたいが、クリュは細い裏道ばかりを選んで行く癖があるようで、尾行は難しいものになった。
それでも見落とさずについていくと、「藍」の迷宮に近い裏通りにたどり着いた。
道の上にクリュの姿はない。かわりに、いい香りが漂っている。
空腹を刺激される匂いは言い訳にできるもので、ヌエルは細い道を進んでいった。
寂れた裏通りだが、店が一軒営業している。
看板には「ティーオの良品」と書いてあり、保存食や革の道具が売られているようだ。
辺鄙なところだと思いつつ中を覗くと、店の奥にクリュが座っていた。
店員に親しげに話しかけているが、気を悪くすることがあったのか頬を膨らませている。
あの貸家に住んでいる四人目の人物。最近加わったという「商売人」は、この店に関わりがあるのではないか。
建物自体はそう新しくもないが、看板はまだ真新しい。
店番をしているのはまだ若い男と素朴な顔の少女の二人だけのようだ。
最近まで探索をしていたという商売人。あの男が、同居している「四人目」なのかもしれない。
ヌエルは意を決して店の中に入った。
きょろきょろと店内を見回して、声をかけてきた少女に向かって手を挙げる。
「いらっしゃいませ、『ティーオの良品』へようこそ」
「なんだかやけにいい匂いがしたんだけど、保存食の専門店なのかな」
「保存食だけじゃあなくて。今はないんですけども、えっと、……ティーオさん!」
ヌエルと同じサイズの男が笑顔で寄って来て、いらっしゃいと微笑んでいる。
「やあ。ここは旨い味付き保存食を扱っているんだけど、それだけじゃないんだ。上質な革の小物と、他では扱っていない新しい菓子も売ってるよ」
菓子は今日の分は売り切れてしまったけど、とティーオは話した。
店の名前からして、この男が店主なのだろう。かなり若いが、探索者あがりという点には納得がいく。
「エルディオ?」
「あれ、……クリュじゃないか」
店の奥からかけられた声に、驚いた顔で返していく。
クリュはなにか食べているらしく、手に小さな袋を持ち、口をもぐもぐと動かしている。
「ここで働いてるのか?」
「ううん、ちょっと一休みさせてもらってるだけ」
「そんなサービスもしてるのか、この店は」
ヌエルが大袈裟に驚いてみせると、ティーオは慌ててこう否定をした。
「まさか。こいつはちょっとした知り合いでね。図々しいんだ。なにを言われても気にしないだけ」
少女が笑い、ヌエルも「つられて」笑ってみせた。
店内の様子を窺って、保存食の並べられた棚の前に進む。
ティーオはなんでも聞いてと言い残してカウンターの中へ戻っていき、そんな店主にクリュが問いかける。
「ねえ、あの美味しいのはもうないの?」
「すぐ売り切れちゃうんだよ。わかるだろ。もっと早く来ないと駄目だ」
「えー。料理人のところに行ったらまだあるかな」
「さあな、俺にはわからないけど」
「行ってみようかな。もしかしたらあるかもしれないもんな」
クリュは独り言のようにこう呟くと立ち上がり、店の出口に向かって歩き出した。
「じゃあね、エルディオ」
髪から放たれる輝きが、通りの向こうに消えていく。
ヌエルはいくつか保存食を選んで、会計を済ませ、店を出る。
かなり遠いが、まだ道の先にクリュの姿が見えた。
ヌエルは速足で進んで、金髪のあとを追いかけていく。
どこか浮かれた足取りの美青年は貸家街の方角へ向かっているが、目的地はその手前だったようだ。
樹木の神殿のすぐ隣。大きな屋敷の前でクリュは立ち止まっている。
なにを悩んでいるのか、扉の前で立ち止まってきょろきょろしている。
樹木の神殿隣の大きな屋敷といえば、前神官長であるカッカー・パンラの住まいのはずだ。
二十年以上も探索を続けて生き残り、人々に手を差し伸べて回る人格者。
探索で得た富で屋敷を建て、人助けに利用していると聞いたことがある。
そんなところにクリュは何をしに来たのだろう。
「料理人」とやらがいるのか、ヌエルはそばにある建物の影で人を待つふりをしながら、様子を窺っていく。
すると屋敷から一人の男が現れて、クリュに声をかけた。
なにを話しているのかはわからない。
だが、男の顔に見覚えがある。
クリュに腕を掴まれて、男は困った様子ながらも笑っている。
その瞬間、わかった。
ギアノ・グリアド。ベリオとデルフィ、二人と同じ部屋で暮らしていた料理が得意なあの男だ。
これまでギアノのような男を山のように見つけてきたが、とうとう本物が現れた。
似ているだけの連中とは違う、どこか余裕を漂わせたあの雰囲気。
ベリオとデルフィ、身を隠そうと慎重に行動していた二人と打ち解けた男を、とうとう見つけ出した。
なるほど、料理人と呼ばれるわけだ。
そして、探索者の集うところで見つけられなかったわけだとヌエルは思った。
親しげな気配は、二人が知り合いだからなのだろう。
クリュとの関係も気になるが、デルフィと今でも繋がりがあるかどうか、探りたい。
隣の部屋で暮らしていたスカウトの「カヌート」を、彼はどれくらい覚えているだろう。
あの頃とは髪型も、服装も変えている。
けれど背丈も声も変えられない。顔もだ。
はっきり覚えていたら、パーティ丸ごと姿を消したはずのカヌートがいたと気付かれてしまうだろう。
デルフィの行方は自分で掴みたい。
だが、どう考えても誰かに任せた方が安全だ。
歯がゆくてたまらない。
ヌエルは首を振り、大きく息を吐いて、心を整えていった。
そうではない。目先だけでなく、その向こうにある大きな成功のために動かなければ。
今日はクリュには近づけなかったが、思いがけない発見があった。
カッカー・パンラの屋敷に、ギアノ・グリアドがいる。
住んでいるのか働いているのかはわからないが、出入りはしている。
デルフィ探しは他の誰かに任せるとしても、この情報には価値があるはずだ。
クリュはしばらくギアノと話をすると、一緒に屋敷の中に入っていった。
夕暮れ時にようやく出て来て、貸家街の方へ歩いていく。
こっそりと後をつけて、帰宅を確認してもまだ暗がりに留まって。
待っていると、やはり寄り道をしていた店で見た男がやって来て、レテウスの家に入っていった。
夜が更けてから「今日の店」を訪れると、一番奥の席にジュスタンが座っていた。
「ここ、いいか?」
酒を一杯頼んで、席に着く。
ジュスタンは囁くような声で、報告できることがあるのかヌエルに問う。
「ギアノ・グリアドを見つけた」
「誰だ、それ」
「あの神官と同じ部屋に逗留してた奴だ。長く一緒にいたし、協力している可能性がある」
ヌエルとしては大発見を報告したつもりだったが、ジュスタンの反応は芳しくない。
「可能性ねえ」
「あの神官が頼れる相手なんて、ほとんどいない」
「確かにな。雲の神殿への出入りもなさそうだし」
「だから」
探るべきだと言いたかったのに、指一本で止められてしまった。
「あのひょろ長がうろうろしてりゃ、誰かが見ているはずだろ。実際に会っているって証拠がなきゃ駄目だ。今は人手も足りてない」
「俺はあいつに顔を覚えられているかもしれないから」
「だから人を出せって? 生意気だな、ヌエル。今はレテウス・バロットが先だ。ジマシュも動いているらしいし、よっぽど旨い話なんだろうよ」
ジマシュの下で働いている者が何人いるのか、具体的な数字はわからない。
街のあちこちに潜んでいて、みんなそれぞれの仕事をしながら、デルフィの行方も探っている。
「あれだけ目立つ奴なんだ。動けば必ず誰かが気付く。今はお前の仕事をしろ、ヌエル」
自分の発言の扱われ方に、ヌエルは気落ちしていた。
ジュスタンはああ言ったが、結局はジマシュに報告されるだろう。
そして誰かがギアノを見張り、デルフィとの接触をいつか確認したら。
手柄はその誰かに奪われる。きっとそうなる。
ろくに食べていないし、結局酒も飲んでいない。
空腹を抱えて歩き、屋台で食事を買って、宿へと向かう。
無数にある安宿の中から適当に選んで、この日最後の客になった。
明日も早く動き出して、クリュの行方を追わねばならない。
だが、昨日の「偶然の再会」にもそっけなかった。
ティーオとかいう商人と、ギアノには親しげに話していた。
どのくらいの付き合いで警戒を解くのだろう。どんな話し方をして、どんな話題を振れば喜ぶ?
もう一人か二人いれば、探索の途中で仕掛けて、恩人になることができるのに。
「間抜けなヌエル」のために出せる余力はなくて、一人でなんとかしなければならない。
悩みながら眠ったせいか、嫌な夢をみてしまった。
ろくでもない思い出で埋め尽くされた故郷を思い出して、ヌエルは頭を抱えている。
けれど、どんなに陰鬱な気分でも動き出さなければならない。
ジマシュの「特別」でない者は、与えられた仕事に対して常に前向きでいなければならなかった。
さぼっていれば必ず見つかる。いつまでも成果を上げられないままなら、「命令に背いた」とみなされる。
ジマシュは美しく微笑んで、怠け者に罰を与える。
罰を与えられるほどの役立たずは追放され、二度と彼の前に出ることを許されない。
そうはならない。ジマシュの「特別」になって、側に置いてもらうのだ。
ヌエルは強く決意をして眠気を払った。短い休息を終え、夜明け前に宿を出て、貸家街へと向かう。
今狙っているのはクリュだが、本来の目的であるレテウスの姿も確認しておきたい。
怠い体を暗がりに隠したまま、ヌエルは貸家の様子を見つめていた。
日が少しずつ高くなっていって、まずはクリュが家から出てくる。
今日もまた偶然を装うのはどうかという気持ちがあって、ヌエルは路地裏から動かなかった。
北に向かって歩いて行ったのだから、探索の仲間を探すつもりだろう。
少し遅れても追いつける。留まるヌエルの視線の先に、今度はティーオが現れていた。
商売のために店に行くのだろう。
昨日クリュが食べたがっていた「旨いもの」。
あの時の発言からして、ギアノ・グリアドが作っているのではないか。
ティーオについても覚えておこうとヌエルは考えた。
店の商品を気に入ったと言えば、商人なら喜び、大事な客として扱うだろうから。
ギアノとの仲が深いものなら、多少の交流関係くらい聞いているかもしれない。
ご機嫌な様子の商売人が通り過ぎていっても、ヌエルはまだ路地裏に潜んでいた。
レテウスか、同居しているという子供。どちらでもいい。確認しておきたい。
だが誰も貸家から出てくる様子はなかった。
腹が減って来て、購入した保存食を取り出し、ちびちびと噛んでいく。
確かに美味い。ただ干しただけのものと違って、豊かで複雑な味わいに満ちている。
食堂で働いているのは知っていたが、随分腕が良かったようだ。
ギアノの料理の腕に感心していると、貸家の前で立ち止まる者が現れた。
女。
女は一人でやってきて、扉を叩き、反応を待っているようだ。
やがて扉が開かれ、女は中に入っていった。
家主の姿は見えないままだ。
地味な顔の女だった。外に一歩も出ない貴族の青年が、なんのために女を入れたのだろう。
いや、決まっている。わざわざ呼び寄せたのだ。
同じ家で暮らしている男よりも見た目が随分劣った女で、それでいいのかとヌエルは思う。
ひどく苛つかされていた。
ここのところうまく活躍できていないし、周囲から軽んじられるようになったから。
レテウス・バロットが姿を現さないから。男のくせに、クリュが美しすぎるから。
時がたっぷりと流れ、女が家から出てきて去って行く。
扉を開けたままなにか話していたようだが、朗らかに笑っていて家主との親しさを感じさせられた。
ジュスタンからはなにも聞いていない。
女の出入りがあるとは言っていなかったはずだ。
謎の女は西に向かって歩いていく。
ヌエルは思い立って、後をつけていくことにした。
女が一人で歩いているのに、声をかける男はいない。
そう人通りが多いところではないが、迷宮都市ではなかなかない機会なのに。
きっと不細工だからだ。後ろ姿でもわかる。魅力的な体つきでもないと。
胸の中で鬱憤を晴らしながら歩いていくと、女の行き着いた場所はまたもカッカー・パンラの屋敷だった。
一体ここになにがあるのか。
また近くの物陰に身を潜めて、ヌエルは女が出てくるのを待つ。
すると、地味な女はすぐに屋敷から出て来た。
もう一人、少女を連れている。
こちらは長い茶色の髪に大きな瞳の美しい少女で、折れてしまいそうなほどの細い手足が目立つ。
カッカー・パンラは人助けが好きな人情家。行き倒れを助けることもしょっちゅうなのだという。
あの女たちも、高名な元探索者になにか助けられているのだろうか。
二人は合流するとまた歩き出し、南に向かって進み始めた。
この合流も、カッカーの屋敷で落ち合うのも、娼婦にしては不自然ではないか。
では、あの女の正体はなんなのだろう。南へ向かって進む二人を追って、ヌエルもそっと後をつけていく。
二人の女の迷宮都市歩きは、ほどなく終わった。
女たちは食堂らしき店の前で立ち止まり、ヌエルは次の瞬間、驚いて目を大きく見開いていた。
「やあ、お待たせ。どうだい、今日もいいものを出してもらえたのかい」
「もちろんよ。マージの分ももらったんだから」
「匂いでわかるよ。ああ、あいつは本当に面倒見のいい男だねえ」
通りの向こうから現れて、二人の女の肩を親しげに抱いて、はしゃいで。
ジャファトは女たちと楽しげに話しながら、「グラッディアの盃」の中に消えた。
「ジャファトは来ているか」
夜になってゾースの小瓶を訪れ、ヌエルは店主に問いかける。
「今日はまだ来ていないよ」
「来たら教えてくれ」
二人で来る時はいつも、奥から二つ目のテーブルで盃を交わしていた。
なんとなくここがいいとジャファトが言ったから。
反対する理由はなくて、ヌエルはいつも手前、入り口に背を向ける席に座っていた。
「どうした、ヌエル。顔色が良くない」
ゾースの声を無視して、酒を一杯頼む。
今夜は来ないかもしれない。毎日来るとは限らないし、会う約束などしていないのだから。
それでもヌエルがいつもの席に陣取っていると、誰かが入って来て、ゾースが声をかけた。
「ジャファト、ヌエルが待ってる」
「ヌウが?」
久しぶりにやって来たから、だからあの表情なのだろう。
ジャファトは笑みを浮かべたまま駆け寄ってきて、けれど、ヌエルの表情を見た途端、ぴたりと足を止めた。
「どうしたの、ヌウ。そんな怖い顔して」
「教えてくれ、ジャファト」
「なにを」
おそるおそるといった様子で、ジャファトはヌエルの前に腰を下ろしていく。
たった一人の親友といっていい存在だ。
故郷に居場所が見つけられなくて、誰からも受け入れられなくて、孤独な旅の末に迷宮都市に流れ着き。
街の隅で暮らし始めて、この店にたどり着いた。安心していられる場所で、初めて出会った「仲間」だった。
だからこそ許せない。
「ギアノ・グリアドを知っていたな?」
鮮やかな色のジャファトの唇が、小さく震えた。
「お前に騙されるとはな」
「待って、違うんだよヌウ。ごめん、本当に。だけどね」
「よくも裏切ったな!」
思っていたよりも大きな声が出ていた。
ヌエルが立ち上がり、吠えるように怒鳴りつけると、店主のゾースが慌てて飛んできて客を諫めた。
「どうした、ヌウ。なにを騒いでいる」
「こいつは俺を裏切った。力になる、親友だと言いながら、嘘をついて俺を騙していたんだ!」
「ごめん、ごめん、ヌウ。騙すつもりなんてなかったんだ」
「裏切った奴の常套句だな」
「だって、……ギアノには、今一緒に暮らしている子たちが世話になってるんだ。ヌウがあんまり怖い顔をしていたから、おかしなことに巻き込まれているんじゃないかと思って」
「はっ、そりゃあそうだな。お前と女同士で仲良く暮らせるんだ、さぞ大切な仲間なんだろうよ」
「ヌウだって大切だよ。危ないことをしているならやめてって言おうと思ってた。大事な人がいるっていうけど、あんたが昔と変わってしまったように見えたから」
「お前もだろう、ジャファト」
「ヌウ、聞いてよ。ギアノは良い奴なんだ。あいつとは偶然出会っただけだよ。ただの料理上手な働き者で、ヌウの探している神官とは付き合いなんてないんだ。本人に聞いたんだよ。神官なんて、お隣の樹木の人たちしか知らないって」
「信じられるか!」
「ギアノはあたしが男だってわかってるんだ。多分初めて会った時にもう気付いてたと思う。だけどさ、あいつはあたしをただの派手な化粧の大女として扱ってくれる。男のくせに女の格好をしているなんて言わないし、誰かに面白おかしく話したりもしない。わかって、黙って認めてくれてるんだ。他の誰とも区別しないで、あたしが喜ぶことをしてくれる。嘘だってつかない。本当に親切で優しい奴なんだ。……わかってくれる人なんだよ、ヌウ」
ジャファトは涙を流しながら訴えていた。化粧が崩れて頬を流れ落ちても気にせず、悲しみながらもヌエルに思いの丈をぶつけてくる。
言いたいことはわかる。そんな人間は貴重だとも。
だが、そんなことは関係ない。今目の前にある問題に、なにひとつ関係はなかった。
「それがどうした」
「ヌウ」
「あいつが良い奴だったら、俺を裏切っても構わない?」
「違うよ」
「お前がそう言ったんだ」
「そうじゃないってば」
すがりついてきたジャファトの頬を、ヌエルは思い切り殴りつけた。
背の高いスカウトは床の上に倒れて咽び泣き、ゾースはヌエルの暴力を責める。
もうなにも言うことはなくて、ヌエルは店を飛び出していった。
いつまでもジャファトの嘆く声が耳の奥に残って、腹立たしくてたまらない。
「おい、なにをやっているんだ。無駄な騒ぎを起こしやがって」
足早に迷宮都市の夜を行くヌエルの隣に、ジュスタンの影が浮かび上がってくる。
「今日一日なにもしていないくせに、問題だけは一丁前に起こすんだな」
なにも答えないヌエルの肩を、監視役は強く掴んだ。
「真面目にやれ、この怠け者」
手を払うとジュスタンは怒ったらしく、今度は背中を殴りつけてきた。
大柄な髭男は力が強く、小柄なヌエルはよろけ、地面に手をついてしまう。
「あの変態どもが集まる酒場で良かったよ。あいつら、目立つのを嫌がるもんなあ。良かったなヌエル。大事なお仲間たちに感謝しろよ? 今日だけは見逃してやるから、これ以上問題は起こすな。明日はちゃんとやれ。お前のやれることは全部やるんだ」
最後にこう言い残して、ジュスタンは去って行った。
「全て見ている。なにもかもが報告されている。……忘れるなよ」




