表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12 Gates City  作者: 澤群キョウ
28_Run through a Night 〈罠の研究家〉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

132/244

127 藍色の逃避行

 くだらない木っ端魔術師などを追いかけるのは諦めて、帰ってくれたらいいのに。

 ポンパの願いは控えめなものだったが、叶わなかった。


 理由はわかっている。

 六層目についてしまったからだ。

 彼らが迷宮について多少なりとも知っていれば、の話なのだが。

 長い追跡で消耗しているから、「回復の泉」を使おうと考えているのだろう。


 追っ手はどうやって地上へ戻るつもりなのか。

 よろよろと進みながらポンパは考える。

 迷宮の中まで追い続けるのも想定内、迷宮探索の熟練者で金に余裕もあるのなら、術符の用意があるかもしれない。


 そんなわけがあるか、と魔術師は唸る。

 しょうもない魔術師ひとり、あっという間に捕まえてしまうつもりだっただろう。

 ここまで無謀に追いかけてくるのは、彼らが迷宮をあまり知らないか、よほどの阿呆だからのどちらかだ。


 ポンパについてどこまでわかっているのだろう。魔術師なのは知っているだろうが。

 とっ捕まえた後に殴りつけて、脱出の魔術を使わせようと考えているのかもしれない。


 逃げながら、ポンパは思案を巡らせていた。

 彼らをうまく撒くことができたら、ひとり悠々と脱出できるのに。

 いやしかし、帰還者の門で待ち受けている仲間でもいたらどうしたらいい?


 無彩の魔術師に教わって、入り口以外でも自由に脱出できることは知っている。

 何度か試したので、ポンパにもできる。

 だが単純な脱出よりも細やかな調整が必要で、集中する時間も長くなるし、体調もできる限り整えた状態で挑みたい。

 

 ニーロちゃんならば、追われながらでもできるのだろう。


 ポンパはうんと年下の魔術師の顔を思い浮かべながら、自らの不甲斐なさを嘆いた。

 嘆きながらも進み、足止めに使えそうな罠を作動させていく。


 とはいえ、槍はそのうち引っ込んでしまうし、落とし穴もいつかは閉まる。

 追いつかれるかどうか、ギリギリの状態だった。

 それでもなんとか回復の泉にたどり着き、ポンパはしがみつくようにして柄杓を掴んだ。


 手が滑って、奇跡の水を思いきり顔にぶちまけてしまう。

 頬を濡らしている水を手でかき集めて、口の中に流し込んでいく。

 そんなやり方でも、効果は現れる。ちゃんと飲んだ時に比べれば弱いのだが。

 体が少し軽くなって、ポンパは再び動き出した。


 回復はしたものの、睡魔を黙らせることはできない。

 泉の水は傷を癒し疲労を消し去るが、眠らずに進むことだけは許さないようだった。


 体は軽くなったのに、頭がひどく重たい。

 いつもならぐうぐう眠って素敵な夢を見ている時間なのに、「藍」の迷宮なんぞで逃げ回っているのだから仕方がない。

 背後から足音が近づいて来て、ポンパは足を速めていく。

 下層へ向かう道ではなく、反対側へ。

 もうこれ以上逃げられない。追手が元気を取り戻したら、あっという間に追いつかれてしまうだろう。

 

 怒声が聞こえてくる。狼藉者たちは怒っている。

 間抜けな魔術師ひとり、すぐに捕らえて殴ろうと考えていただろうに、こんなにも長い追いかけっこを強いられたのだから。

 三人いたはずの男たちだが、二人しか追ってきていない。槍の罠に貫かれた一人は置き去りにされた。よほど運がよくて、体が頑丈で、薬をちゃんと持ってきていたのなら、今頃地上へ戻っているかもしれないが。


 罠にかかった愚かな探索者の体を貫いた槍は、いずれ壁の中へと戻っていく。

 刺さる時も痛いが、抜ける時もきっと痛い。傷が開くだろうし、万が一どこかにひっかかったら壁に叩きつけられてしまうだろう。


 見てみたかった、とポンパは思った。

 どう作動するのかは動かしてみればわかるが、かかった人間がどんな思いをし、どれくらいの傷を受けるかは実際にはなかなか見られないものだから。

 わけのわからない暴力的な誰かに天罰として降りかかった「事故」ならば、そう心が痛まずに済んだはずで。


 こんなろくでもないことを考えながら、ポンパは走った。走りながら集中して、狙うべき箇所を確認していた。

 まずは自身にひとつ、魔力を働かせていく。

 ぎりぎりを狙わなければいけない。

 指を動かし、次に備え、よろめき、立て直す。

 なんとか踏ん張って、自分の足を応援しながら、力を放った。


 「藍」の通路から、斜め上へと飛んでいく。

 壁を蹴って、一歩、二歩。重力に逆らったまま三歩目も無事に壁に着地して、目標すれすれの地点で水平に戻る。

 床の仕掛けが広範囲に仕掛けられている場合に使おうと考えていた、魔術による壁移動。

 今の集中力では危険かと思っていたが、出来た。


「待ちやがれ!」


 やはり泉の世話になったのだろう、背後から聞こえた声はやたらと力強い。

 ポンパは振り返り、準備していた力を天井に向けて放つ。

 蛇が降ってくる穴の縁を叩いて、悪夢へ続く扉を開いた。

 にょろにょろと振ってきた蛇に驚き、男たちは慌てている。

 放っておいても踏むかもしれない。だが、運があれば避けられてしまうから。

 最後の力を振り絞って、ポンパは三度目の力を放った。

 たかだか六層目だというのに仕掛けられている、上層では最大級の悪意の塊。

 大きな口が開いて、男たちの体は一瞬で飲み込まれてしまった。


 落ちたら最後、戻る術はないと言われている「藍」の大穴は、しばらくすると何事もなかったかのようにその口を閉じた。

 蛇と男たちを飲み込んで、今はただ静けさだけが満ちている。


 ポンパはようやく安堵の息を吐き、用心深く来た道を戻っていった。

 今度はまともに水を汲み、ゆっくりと飲み干していく。

 マナーの悪い悪漢たちが放っていた柄杓は拾って、正しい位置に並べておく。


 不安はまだ、消え去ってはいない。

 きっとまだまだ、油断はしない方がいい。


 けれどどうしても眠気が酷くて、ポンパの脱出は完全なものにはならなかった。


 帰還者の門ではない、どこか別の、街の中に立っている。

 想定した位置とは違うところに出てしまったようだ。

 ポンパはふらふらとよろめきながら、ここがどこなのか、目印を探すべく彷徨い始めた。

 夜明けの迷宮都市は薄暗くて、肌寒い。

 勤勉な初心者や、早起き相手の商売人たちがちらほらと歩いていくのが遠くに見える。

 狭い路地の隙間を歩いていく。木箱や樽や、誰かの捨てたであろうがらくたがところどころに落ちていた。


 なんとなくそうした方がいいだろうと無意識に考えていたのか、ポンパは極力音を立てないように必死だった。

 乾いた道を踏みしめる音も、寒気のせいで出てしまったくしゃみの音も、なにもかもがやかましい。

 追っ手に気付かれてしまう。聞きつけられたら、彼らは一気に飛び掛かってきて、魔術師を地面に組み伏せてしまうだろう。


 ポンパが不安で震えると、腕の端が当たったのか、積まれた樽がバランスを崩し、落ちていってしまった。

 どこにそんなに積んであったのか。樽は何段か重ねられていたようで、次々に激しく音を立てながら落ち、次々に割れていく。


「いたぞ!」


 やっぱり、やっぱり。


 全身から血が引いていくのを感じた。体中を震えが駆け巡っていくのがわかった。

 ポンパは走って逃げようとしたが、うまく動けず、絨毯のように広がった破片の上に倒れてしまう。

 

「手間をかけさせやがって、この禿が!」

 右側だけに残っている長い髪が引っ張られて、魔術師は悲鳴を上げている。

「思い知らせてやるからな」


 なにをどう思い知らされるのだろう。

 ポンパはなにもしていないのに。

 どんな用向きなのか聞いてもいないのに。

 いつの間にこんなに憎悪を向けられることになってしまったのか。

 わからないが涙が溢れてきて、魔術師は泣きながら故郷で眠る母の名を呼んだ。




「大丈夫ですか」


 顔の見えない男たちが手を伸ばして来た。と、思っていた。

 だが今、ポンパの目の前にいるのは柔らかな緑色の服を着た、穏やかな顔をした若い男だった。

「落ち着いて下さい、ここにあなたを傷つける者はおりません」

「は……、あれ?」

 魔術師は身を起こしてあたりを見回していった。

 目の前で困った顔をしている若者が着ているのは神官衣のようだし、部屋の中の様子も神殿のような気配が漂っている。

「ここは?」

「樹木の神殿です。近くで倒れておられたのを、ここの神官が見つけて保護したんですよ」

「ほご」

「ええ。誰かになにかされたのですか。あなたは何も持っておられませんでしたし、それに……」

 若い樹木の神官は気の毒そうにポンパの頭にちらちらと視線を向けている。

 倒れていた。樹木の神殿の近くに。そんなポンパを神官が見つけて、助けてくれたというのなら。

「あれは夢だったのだな」

「確かに、ひどくうなされていましたよ」

「どこからどこまでが夢なのだろう」

「それはさすがにわかりません」

 若い神官は困った顔で魔術師に謝り、ポンパは慌てて「独り言だから」と言い訳をした。

「水を用意してありますが、飲みますか? なにかお困りのことがありましたら言って下さい。我々は樹木の神に仕える者。慈悲深い神のしもべが、出来る限り力になります」

「では、神官長殿を呼んでいただけないか」

「リシュラ神官長ですか」

「ああ。もしくは、神官長の友である無彩の魔術師を」

「ニーロさんを? 知り合いなのですか?」

「ポンパ・オーエンが呼んでいると伝えてくれればわかる」


 神官長の知り合いならば急がなければと思ったのかもしれない。

 若い樹木の神官ロカは慌てて部屋を出ていって、ポンパは水を一口飲み、夢の内容をゆっくりと思い出していった。


 

 樹木の神殿に仕える者が嘘をつくはずがないので、保護されたのは本当だろう。

 この近くで倒れていたのなら、追っ手に禿呼ばわりされ、捕らえられたのは夢。

 ではその前は、どこまでが現実なのか。

 普段通りの暮らしなら、こんなに腹ペコで外に倒れるはずがなし。

 では、追われて逃げて迷宮を彷徨い、脱出したところまでが現実だと考えるべきだろう。


 長い逃亡の間に、罠を利用して三人を振り切った。槍に貫かれた男と、穴に落とした二人。

 彼らの旅はまだ、今この時も続いているのだろうか。

 頭に手をやっても、左側にはもう髪の毛が残っていない。

 ポンパはベッドの上でしょんぼりと萎れて、おなかがすいたな、と思った。


 なにか食べ物を頼もうかと立ち上がると、足音が近づいて来て、扉が開かれた。

「ポンパ、どうしたのですか。保護されたと聞きましたが」

「ニーロちゃん」

 やって来たのは無彩の魔術師で、普段はポンパがどう呼ぼうが気にする様子はない。

 だが今は隣に若い神官がいて、「ニーロちゃん?」と呟いたからか、眉間に小さく皺を寄せている。

「よく来てくれた、ニーロちゃん」

「キーレイさんに話したいことがあって、偶然来ていました」

 ただ、神官長は留守にしていて帰るところだったと無彩の魔術師は言う。

 運が良かったと笑うポンパに、ニーロはこう問いかけてきた。

「なにかあったのですか」

「変な奴が家に来たんだ。なんだか様子が変だったから仲間のところに行こうとしたら、後をつけて来た奴がいて。それで仕方なく迷宮に入った。『藍』に行って、なんとか脱出して撒いてやろうとしたのだけれども」

「迷宮の中へ?」

「だって、ポンパは足が遅いから。木っ端魔術師だから、それはもう仕方がないと思う。長く歩き続ける力はあるけれども、早く走るとなると話が違う」

「そうですか」

「だが奴ら、迷宮の中までついてきたのだ。どこまでも、しつこく。だから仕方なくいろいろと頑張った。撒こうとした結果時間がかかって、眠くなって力尽きたのか、こんなことになったようだ」

「よくわかりません。順番にひとつずつ説明してくれませんか」


 ニーロはロカにこの部屋を使っていいか聞いて、許可を得たようだ。

 ものはついでとばかりにポンパがなにか食べ物をくれないか頼むと、神官はわかりましたと快く引き受けてくれた。


「ポンパ、最初からです。あなたは家にいたのですか」

「いたとも。御馳走を用意して食べようとしていたのに。そこに見知らぬ男が現れて……。そうだ、そうだ、ザックレン・カロンの家の後始末について問われたのだ」

「ザックレンの家について?」

「そう。家の後始末をしたのはお前だなと。ポンパはしらばっくれた。男は次に特殊な薬の調合ができる魔術師を紹介してくれと言い出して、これにもポンパはしらばっくれている」

「その男があなたを迷宮の中まで追いかけたのですか」

「それが違うのだニーロちゃん。男の滞在は短かった。知らないと言ったらそれで帰っていったんだ」


 本当かわからないが、ジュプと名乗った。

 薬に詳しい魔術師を紹介する気になったら連絡してくれと言われたことも話していく。


「その後、他の誰かがあなたを追いかけたのですか」

「そう。窓の外から視線を感じて、不気味で怖くて嫌になってしまった。売家街に向かっていたところ、追われているのに気付いた」

「迷宮の中で振り切ったのですね」

「振り切った……。そう、振り切った。追いつかれたくなくて、罠を利用したんだ。ニーロちゃん、怒らないで聞いてほしい。一人は槍で足止めしようとしたんだけれど、タイミングが悪くて直撃させてしまった。あとの二人はどうしようもなかったから、大穴に落とした」

 ニーロの鋭い目が細められ、厳しさが増していく。

「大穴にですか」

「ああ。二人落ちていった」

「彼らに脱出の手段はありそうでしたか」

 ポンパは少し悩んだものの、なさそうだったと答えた。

 彼らは迷宮歩きに慣れているようではなく、無謀なまま魔術師を追ってきたと思える。


 無彩の魔術師は黙ったまま頷くと、次の質問をポンパにぶつけた。

「彼らは何故あなたを追いかけたのでしょう」

「わからない。なんの用か聞いたが、答えてくれなかったから」

「話はしていないのですか」

「槍が刺さった時は怒られた」

「家にやってきたジュプという男と、追いかけて来た三人は関係あったのでしょうか」

「わからない。逃げるので精いっぱいで。だが、追いかけて来たのは粗野な連中だった。槍が刺さった後は怒鳴られたし、短剣を投げられた。『穏便にやってられるか』と言っていた気がする」

「あなたを捕らえるつもりだったのですね」

「そうかもしれない。こんな木っ端魔術師を捕まえてもいいことなどはないと思うのだが」


 ニーロは顎に手をあてて、なにか考えているようだ。

 この若い魔術師について、思案に耽る顔が特に良いとポンパは思っている。

 鋭い瞳はなにもかもを見透かしているようで、灰色の目に宿る光を集めて瓶に入れておきたいな、といつも考えていた。


「食事を持ってきました。簡単なものですけれど」

 ロカが戻って来て、テーブルの上に皿を並べていく。

 肉と野菜がたくさん入ったスープと、パン、いい香りの漂うお茶。

 ありがたしと頭を下げて、おなかがすいてたまらないのでとニーロに断り、まずはパンをかじっていく。

「あの、ニーロさん。この方はニーロさんのお友達なのですよね」

「そう考えてくれて結構です」

「寝泊りするところの用意などは……」

「彼は街の中央に自分の家を持つ魔術師です。行き倒れのように世話をする必要はありません」

 若い神官は明らかにほっとして、笑顔で部屋を出ていった。

 行き倒れの保護は、一宿一飯では済まない。神官たちはその後の暮らしが安定したものになるよう、手を尽くしてくれるという。


 ニーロの友達として認められたのが嬉しくて、ポンパは上機嫌で食事をすすめていった。

 どこの誰が用意したのかわからないが、スープがとにかく旨い。そしてお茶はもっと美味しかった。

 食事は見事に完食。

 おなかをさすって満足するポンパへ、厳しい現実が付きつけられる。


「ポンパ、家に戻るのは危険だと思います。どこか身を寄せられる知り合いはいますか」

「危険とな」

「ザックレンの家の処分に関わった者の中であなたを訪ねたとなれば、単純な家の権利などの問題ではないでしょう。もっと深く探ろうとしている者がいるということです。ザックレンには仲間がいたのかもしれませんね」

「あの双子のスカウトは、もう死んだのでは?」

「彼らは利用されただけなのではないかと思います。家もザックレンに乗っ取られてしまったような様子でしたし」

「ザックレンに仲間など……。あのような奴にいるとは思えないが」

「探索以外のことで協力関係にあった者がいるかもしれません」

「なるほど」

「薬の話が出てきたのも気になります」

 確かにそうだ、とポンパは思う。

 ニーロちゃんは賢いなと感心しながら、改めて自分の身に起きたとんでもない出来事について考えを巡らせていく。

「家に戻るのは危険と言ったかな」

「言いました。迷宮の中まで追って来たのでしょう。異常ではありませんか」


 彼らは迷宮に踏み入る準備をしていたとは思えない。ポンパも逃げながらそう考えていた。

 六層まで進めたのは偶然の産物で、どうやって帰るか心配だったくらいなのだから。

 「橙」ならまだわかる。あとからどんどん初心者がやって来て、どさくさに紛れてついていけば無事に地上に出られるだろう。

 だが「藍」は、灯りが切れてしまえば終わりだ。だから彼らは恐ろしいほどの手練れか、まったくのド素人のどちらかであり、前者の可能性は限りなく低い。


 なにも知らずに命令されて追いかけただけ。

 昨日の三人がそんな素人連中だったとしたら、彼らの背後には命令を下した誰かがいることになる。

 だとしたら?

 また、追われるのかもしれない。


「ニーロちゃんの言う通りだな」

 正体も目的もわからない誰かに狙われている可能性があるのだと気づき、ポンパは身を震わせている。

「仲間たちのところに身を寄せれば大丈夫だろうか」


 一人にならない方がいいと若い魔術師は話した。

 人目があればいきなり襲われる可能性は低くなるはずだと。

 構わずにまとめて襲われるかもしれないが、それでも、誰かといた方が事態はマシになるだろう。


「ニーロちゃんの家に置いてもらうことはできないだろうか」

「できません。同居人もいますし、あまり人が暮らすのに向いている作りではありませんから」

「向いてないとな」

「あなたの家のように家具を揃えていないのです」


 家具を揃えずにどうやって暮らしているのだろう。

 ニーロの家の様子が気になって仕方ないが、今の表情から察するに、ポンパの入る余地はなさそうだと思えた。


「では、探索仲間のところに行ってみる。けれど、そのう……。一緒に来てはもらえないだろうか、ニーロちゃん」

「そうですね。一緒に行きましょう。少し待っていて下さい」


 ポンパに休むように言い残して、ニーロが去って行く。

 同居人がいるというが、どんな人物なのだろう。

 無彩の魔術師と共に過ごすには、魔術の深い知識が必要ではないかと思える。

 ポンパのような木っ端魔術師ではなく、豊かな経験と高い知性を有した立派な人物に違いない。


 想像上のニーロの同居人に勝手な憧れを抱きながら、ポンパはぼんやりと過ごしていた。

 昨日の出来事はまるで夢のように思える。

 けれどすべて本当のできごとだった。

 「藍」の大穴の底では、まだ、落ちていった二人が帰る道を探して彷徨っているのではないか。

 

 あの恐ろしい穴の底に、ニーロは降りたのだと言う。

 知り合いの探索者がうっかり罠にかかって落ち、即死の罠がないとわかったから行ってきたのだと話してくれた。


 スカウトの仕事を自分でこなせないか。

 迷宮の中で動く罠の仕組みについて、もっと深く知ることはできないか。

 無彩の魔術師はそう考えていて、噂を聞きつけポンパのもとを訪れた。

 魔術で罠を感知し、作動させている魔術師がいると聞きました、と。


 罠の感知は難しい。あの迷宮を作り上げたのは魔術師なのだから、魔術の力で罠をどうにかできるのではないかと考えて研究をし始めたのだが、いまだに簡単な罠にしか対応できない。

 ポンパが教えられるのは僅かで、基本中の基本でしかなかった。

 けれどニーロは真摯に学び、実践し、新たな発想があればポンパに伝えて、共に考えてくれる存在になった。

 スカウトの師匠もいるらしく、技術を身に着けているのも役に立っているようだ。


「ポンパ、では行きましょう」

 戻ってきたニーロは、どこから連れて来たのかわからないが逞しい若者を一人連れていた。

 その隣には、細身の青年もいる。こちらは体格はそこそこだが、目つきが鋭く隙がない。

「どこのどなたを連れて来たのか」

「隣の屋敷に滞在している探索者です。スカウトのカミルと、戦士のフォールード。魔術師二人で行くよりは安全になるでしょうから、仲間の家まで一緒に来てもらいます。ポンパ、あなたの仲間ですが、留守にしている可能性もありますか」

「あるかもしれない」

「では、その時は別の方法を考えましょう」


 カミルとフォールードの二人はまだ事情がよくわかっていないのか、ニーロとポンパへ交互にちらちらと視線を向けている。

 カミルは神妙な顔で黙っているが、フォールードはじろじろとポンパの頭を見つめていて、今にも無礼極まりない言葉を繰り出しそうな顔をしていた。


「なあ、あんたがニーロさんなんだな。会ってみたかったんだよ」

 四人で神殿を出たところで、フォールードは早速話し始めた。

 先頭はカミルが引き受けてくれていて、その少し後ろをポンパは歩いている。

 ニーロが後ろについて、フォールードはその隣。

「僕にですか?」

「ああ。あんた、ラーデンとかいう魔術師に育てられた弟子なんだってな」

「そうです。ラーデン様に育てられ、この街へ連れてこられました」


 あの大魔術師ラーデンを、「とかいう」呼ばわりするとは。

 ポンパはぶりぶりと怒っているが、フォールードの放つ空気は最も苦手な人種のもので、なにも言い出せない。


「そのお師匠さん、チュール様の仲間だったんだろう。会ったことはあるのかい」

「チュールとは、カッカー様の仲間でもあったという流水の神官のことですか」

「呼び捨てにするなよ」

 フォールードは短くこう言い放ったものの、確認されたことについてはそうだと答えている。

「僕は七年ほど前にこの街に来ました。それ以前は、ラーデン様以外の人間と会ったことはありません」

「本当なのか、その話」

「証明しようがありませんから、疑われても仕方ありませんね」

 けれど本当だとニーロは言い、他の都市に出向いたこともないのだと続けた。

「なのでこの七年の間にこの街にいた人物にしか会うことはできません」

「そうなのか。わかったよ」

「何故そんな質問をしたのですか」

「別に。興味本位ってやつさ」


 聞きたかったのは本当にこれだけだったようで、会話は終わってしまった。

 会話が終わったせいで興味はポンパの髪型に移ったらしく、フォールードは魔術師の右側の髪を掴んで引っ張るという蛮行を働き始めた。


「なにをする!」

 ポンパが声をあげると、カミルが驚いて振り返り、仲間を諫めた。

「やめろよ、可哀そうだろう、フォールード」

「だっておかしいじゃないか、半分しか生えてないなんて。諦めてまるめりゃいいのに」

「そうかもしれないけど、どうするかは本人の自由だろう」

「見苦しいぜ、魔術師さんよ。これじゃ女も寄ってこないぞ」

 おそらくは皆が内心で思っているが口には出さないでいたことをズバズバと言われてしまい、ポンパは落ち込んでいく。

「ニーロちゃんもそう思っているのか」

「……いえ。ですが乱れてはいますから、せめて結ぶか編めば良いのではないですか」


 木っ端魔術師はしょんぼりしながら、右側に垂れた長い髪を撫でていった。

 確かに手入れをしていないからぼさぼさだし、長さもまちまち、ちりちりとして広がっている。

 

 こんなやりとりの間に、ポンパの仲間であるセデルとノーアンの家にたどり着いていた。

 二人は売家街の端にある小ぶりな家に住んでいて、気の合う仲間同士、うまく同居を続けているのだと聞いている。


「セデル、ノーアン」

 魔術師が扉を叩いて呼びかけてみると、中から大柄な戦士のセデルが現れ、突然の訪問に驚いたことを告げられた。

「珍しいな、あんたが来るなんて」

「事情があって」

「なんの用なんだい。急ぎの探索でもあるのか」

 それにしては、お供に三人も連れているのは妙だと思ったのだろう。

 セデルは扉を開けて出てくると、一人が無彩の魔術師だと気づいて驚きの声を上げた。

「魔術師ニーロがなんで一緒に?」

「セデル、詳しい話は長くなるんだ。実は今追われているようで一人になりたくない。ここで匿ってはもらえないだろうか」

「追われてるって……。なにをしでかしたんだ、ポンパ」

「わからない。いきなりのことでポンパも混乱していて」

「悪いけど今は駄目だ。ファリンならいいって言うかもな。行ってみたらどうだい」

 あっさりと扉を閉められて、ポンパは愕然としている。

 何故かフォールードが優しく背中を叩いて来て、胸中はますます複雑になっていく。


 残りの仲間の二人が暮らしているのも、売家街の端の小さな家だ。

 ファリンとエーヴも馬が合うらしく、セデルたち同様気ままな二人暮らしを続けている。


 すぐ近くだからと四人で歩いて行ったものの、対応はセデルとほぼ同じだった。

 家の中から出て来たエーヴは困った顔をしてポンパの借り住まいを拒否し、悲しむ魔術師に正直な思いを話してくれた。

「ポンパのことは尊敬してるよ。あんたは自分を木っ端魔術師なんていうけど、腕はいいと思ってるんだ」

「そんなポンパでも駄目なのか」

「ちょっとね。しょっちゅう髪をむしるだろ。あれが怖いんだよな。むしるのも怖いし、むしった後のその頭もすごく嫌だ。なるべくなら見たくない」

「あんた正直だねえ」

 フォールードはガハガハ笑って、ポンパの背中をまた叩いた。

 それでエーヴの発言は許されたような空気になって、じゃあまたなと扉を閉められてしまった。


「どうしようニーロちゃん」

「そうですね」

 売家街の端で、ポンパは現実の厳しさに打ちのめされている。

 カミルは気の毒そうに、フォールードは楽しげに魔術師を見つめていて、最後の一人は表情を変えずにこんな提案をしてくれた。


「誰か雇って家に来てもらったらどうでしょう」

「家に? それはポンパが落ち着かない」

「人んちに厄介になるのはいいのに?」

「魔術師にはいろいろとあるのだ!」

 ただし、ニーロちゃんならば歓迎したい。

 ポンパはじっとりとした目で無彩の魔術師を見つめていたが、どうやら思いは伝わらなかったようだ。

「では、家に仕掛けをしてみてはどうでしょう」

「仕掛けを」

「あなたは専門家なのですから、できるのではないですか。街中で魔術を使うのは嫌がられますが、個人の家の中ならば問題は起きないでしょう」


 専門家の響きに一気に心が浮かび上がって、ポンパは笑顔を浮かべた。

 家まで送ると申し出もあって、四人は迷宮都市のど真ん中まで一緒に歩いていく。


「こんな風だったんだな」

 カミルが呟き、フォールードもきょろきょろと魔術師たちの住処の変わり様を眺めている。

 家には無事についた。誰も現れはしなかった。カミルが言うには、後をつけてくる者もいなかったらしい。

「ポンパ、家の守りを工夫してみて下さい。あなたならばうまくやれます」

「わかった、ニーロちゃん。早速試してみる」

「あなたを訪ねて来た男について調べてみます。ザックレンの家についても、関わった者を当たってみましょう」

「いいのかニーロちゃん」

「無視していいこととは思えないので」

 散々な目にあったことを忘れて、ポンパはうっとりとニーロの姿を眺めていた。

 自分もこんな魔術師になりたいと願いながら、協力してくれた三人を見送ろうとした。だが。


「なああんた、その頭は絶対になんとかしろよ」

「やめろよフォールード」


 カミルは諫めてくれたが、正直すぎるぞ、の囁きも聞こえてしまっている。

 ポンパ・オーエンは家に入るとしっかり鍵をしめて、あちこちに侵入者を追い出す仕掛けをいくつか用意した後、鏡と向かいあって残った髪を梳かしていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ