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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
28_Run through a Night 〈罠の研究家〉

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126 夜の訪問者

「よし、ではコルフ」


 迷宮探索の最終奥義、ただでさえ希少な魔術師の価値を更に何倍にも上げる秘術「脱出」を学び始めて数日。

 ホーカ・ヒーカムに代わり新たに弟子入りした私塾の講師、グラジラムに声をかけられてコルフは振り返った。


「明日実践してみよう。空いているところがいいんだが、『黄』でいいかな」


 大枚をはたいて学び始め、仲間たちを待たせている。

 なので「脱出」を早く会得したいが、「黄」の迷宮でやってみるという提案には心がすくんでしまう。


「あの、『黄』じゃないと駄目ですか」

「いいや、駄目じゃあないよ。そうだな、『赤』か『白』あたりでもいいんだけども」


 「青」と「黒」は、危険だから駄目。

 「橙」と「藍」は、混んでいるからやめた方がいい。

 「緑」と「紫」は、毒の効果が出るかもしれないから避けるべき。


 グラジラムの年齢は四十歳くらいだと聞いている。のんびりとした喋りが魔術師らしからぬ様子で、親切で穏やかな指導が売りの、迷宮都市では珍しいタイプの男だった。

 教え方は丁寧でわかりやすいが、その分日数がかかり、授業料が嵩む。


 厳しい指導で短く済ませるか、自分のペースでじっくり学んで余計に支払うか。

 コルフも随分悩んだ末に、グラジラムのもとで学んでいた。

 キーレイの「失敗するととんでもないことになる」という言葉が引っかかっての選択だった。


 安く済ませたいひよっこ魔術師たちはグラジラムのもとにはあまり寄り付かないので、コルフはじっくりと学び、新たな師と語り合う時間を持つことができた。

 本当に「失敗するととんでもないことになるのか」聞いてみたところ、授業の仕上げ、実践の時に行方不明になる者もいると答えられている。


 じっくり学べば絶対に失敗しないわけではないのだろうが、焦って詰め込んだり、疲労を重ねた状態で試すよりはマシだろう。

 コルフはそう考えていたし、納得していたが、それでもとうとうやってきた「本番」に怖れを抱いていた。


「コルフ、『黄』はいいよ。最初のうちは罠もないし、慣れた『橙』と同じ形だから地形の把握もしやすい。敵も出ない。練習にはうってつけだ」

「本当ですか」

「本当だとも。誰もいないだろうから、他人を巻き込む心配もない」

 あんまり混み合ったところで慌てていると、赤の他人を移動に巻き込んでしまうこともあるのだという。

「そうなんですか。初めて聞きました」

「ふはは。巻き込まれた連中はどこかにいってしまうし、巻き込んだ魔術師は内緒にするからなあ」


 奇跡の魔術で飛ばされた被害者たちは、一体どこに行ってしまうのだろう。

 結局、巻き込んだ魔術師すら知らぬのだとわかって、コルフは真剣に取り組まねばと心を新たにした。


「あれ、道が直ってる」

 私塾を出ると、魔術師たちの仕掛けた迷い道は消えてなくなり、ごく普通の街並みが広がっている。

「さっき知らせがきたよ。商人や神官たちが怒って殴りこんできたんだと」

「殴りこみを?」

「あとで聞きに行ってみようかな。とにかく、道はまともに戻った。良かったよ、これでうちの塾にも生徒が来るだろう」


 通り抜けができるようになったのなら、マティルデも通いやすくなるだろう。

 優しく穏やかなグラジラムなら、そんなに恐ろしく感じないのではないか。

 ギアノに伝言を頼んで、案内してあげたら、仲良くなれるかもしれない。

 コルフはほのかな希望を胸に灯して、グラジラムへ挨拶を済ませ、屋敷へ戻っていった。



 そんなやり取りが繰り広げられていたグラジラム邸の裏で、もう一人、浮かれている魔術師がいた。

 ポンパ・オーエンは、前日に憧れのキーレイ・リシュラが自宅にやって来たという事実にまだ浮かれていて、豪華な夕飯を用意している真っ最中だった。


 服にはこだわらないが、食器はいいものを揃えている。

 街の南の成功者たち向けの店に赴いて、王都で流行っているというカップや皿を買っては棚に並べるのが趣味だった。

 いいことがあったから、お気に入りの食器で美味い食事を楽しむ。趣味を堪能すべく、テーブルの上に美しい布を敷き、磨いた皿をそっと置いて、カップには茶を注いでいく。

 鹿肉を柔らかく煮込んだシチューを小鍋から移し替え、お気に入りの店のパンを置き。

 昨日の来客と今日の自分の活躍を思い出し、噛み締めながらにんまり笑って手を叩く。

 好きなものだらけのテーブルから漂う香りを満喫しながら、さあ食べるぞとポンパが構えたところで、扉を叩く音が聞こえた。


 もう夜なのに。

 誰が木っ端魔術師ポンパを訪ねてきたのか。


 探索仲間たちは昼間にやってくる。夜に来たことはない。みんな夜はそれぞれに楽しむし、そんな時にはポンパは呼ばない。

 主な魔術師たちに今日の出来事は知らせたし、今更問い質したいことなどないだろうと思う。

 近所の魔術師が語らおうと誘ってきたことはないし、違うだろうとポンパは考える。


 あり得るとしたら。

 なにか思いついたか問題が起きたか、助力を求めに来た無彩の魔術師だろう。


 あの若く力のある魔術師は、ポンパを気に入っているのか時々やって来て相談を持ち掛けてくるから。

 大魔術師ラーデンに育てられ、魔術で以て育てあげられた稀有な若者。

 迷宮都市でかなり名の通った探索者であり、共に行く仲間も有名人ばかり。

 そんなニーロに頼られるのはたまらなく嬉しい出来事であり、ポンパは喜びと共に立ち上がった。


 ところが、扉を開けた先に立っていたのは見知らぬ男だった。

 もじゃもじゃと髭を伸ばした大柄な男で、ポンパが最も嫌いな粗野な空気を全身からぷんぷんと漂わせている。


「どなたかな」

「魔術師のポンパ・オーエンだな」

「どなたでなんの用か聞いている」


 ポンパの問いに、男はにやりと笑っただけ。不躾な態度が気に入らず、魔術師は扉を閉めてしまおうと手をかける。

 だが客の男は素早く隙間をすり抜け、家の中に入ってきてしまった。


「なんなんなん!」

「そう身構えるなよ。少し聞きたいことがあるだけだ」

「まずは名乗るがいいだろう!」

「変なしゃべり方をするんだな、魔術師ってのは」

 くっくっく、と口を抑えたまま笑い、男はポンパのローブの端を掴む。

「ザックレン・カロンの家の後始末をしたのはあんたか」

「はあ?」

「魔術師のザックレン・カロンだよ。知っているだろう」

「知ってはいる……が」

 男はポンパの袖を引いて、顔をぐっと近づけて凄んでみせる。

「あいつの家は全部片付けられちまった。それは間違いないな?」

「そんなの知らない。魔術師ザックレンは知っているが、家のことには関わっていない」

「関わってない?」

「家の後始末をするのは不動産業者で、ポンパではない。ザックレンの家の場所くらいは知っているけれど。それだってほとんど大体くらいの話なのだけれども」


 男は顔をしかめながら、掴んでいた袖から手を離した。

 隙のない顔つきをしていて、頭の回転が速そうだとポンパは思う。


「そうかい。知らないなら仕方ない。魔術師さんよ、じゃあ、特別な調合をできるやつを知らないか?」

「調合とな?」

「薬草と魔術を組み合わせて、特別な薬を作る奴ってのがいるんだろう。紹介してくれないか」


 薬草の扱いは、昨日キーレイたちにとっちめられたであろうニャンクが得意だ。

 ポンパの脳裏に、無類の薬草好きの顔がよぎっていく。

 特に仲良くしてはいないが、ニャンク自体はそう悪い人間ではない。

 ホーカが好き勝手しているのを見て、自分もいいかと調子に乗って通りに悪戯を仕掛けたような奴ではあるが。

 安直なだけで、悪意に溢れた魔術師ではない。そのはず。だから、名乗りもしない怪しい男に紹介する理由はなかった。


「ポンパは薬草は専門外だし、薬を作るような邪道な魔術師も知らない」

「そりゃあ残念」

 男は肩をすくめて小さく息を吐き、いい人材が見つかったら教えて欲しいとポンパに笑いかけている。


「名も名乗らぬ者に伝えることなど、あるはずがなし」

「なるほど、それもそうだな。俺の名はジュプ。さあ、名乗ったぜ。もし教えてくれる気になったら、街の北にある『ラッサムの小枝』って宿の受付に言づけてくれ」

 

 ジュプと名乗った男は身を翻し、去っていってしまった。

 ポンパは慌てて戸締りをし、家中の窓を確認して回る。


 嫌な予感がして、ポンパは焦っていた。

 せっかく並べた食事が冷めていくのも嫌で、うろうろと歩き回っている。

 歩き回っていると時々窓の向こうが見えて、余計に焦りが募っていく。

 今朝までは窓の向こうはぼんやりと霞んで、なにがあるのかわからなかった。

 わからなかったが、守られていた。ポンパの屋敷がどこにあるのか、仲間や知り合いの魔術師しかわからなくなっていたのだから。

 

 視線を感じるような気がしている。

 気のせいかもしれないが、窓の向こうに誰かが潜んでいるように感じている。


 ポンパは家の中をうろつきながら、どうすべきか考えていた。

 仲間たちのところへ向かおうか。

 彼らが出かけていれば助けてもらえないし、後をつけられたらあまり意味はないかもしれない。

 


 ポンパ・オーエンは迷宮内の罠の専門家を目指す魔術師だった。

 魔術の力で罠をどうにかできないか考え、試し、スカウトの負担を軽減できないか日々研究している。

 なので基本的な罠がすべて取り揃えられている、「橙」の二十一層に時々出かける。

 そんな時に付き合ってくれる探索者たちがポンパの「仲間」だが、「橙」行きは歓迎されていない。

 初心者用の迷宮は長く潜っても実入りが少なく、儲からないからだ。

 それでも彼らの探索に力を貸す魔術師へのお返しとして、時々二十一層へ付き合ってくれていた。


 つまり、仲間たちとの付き合いは浅いものでしかない。

 単なる協力者でしかないから、こんな時に頼っていいのかわからなかった。


 悩めるポンパの視界の端を、なにかが走り抜けていった。

 窓の向こうに誰かが潜んでいるとしか思えない。

 先ほどの男の来訪と関係あるのだろうか。

 ザックレンの家の後片付けについては、少ししかわからない。

 確かに、ザックレンについては知っていたし、ニーロが訪ねてきた時に一緒に行った。

 複数家を持っていることもわかっていたから、すべて場所を明かしたし、不動産業者が開けられない鍵も開けてやった。

 中に溢れていた様々な道具の鑑定も手伝った。

 知らないなんて、真っ赤な嘘だ。

 嘘だとバレているのか、疑われて覗かれているのか。

 ポンパは頭に手をやり、髪の毛をむしる。

 散々文句を言われてきたが、どうしてもやめられない子供の頃からの癖だ。

 もう左側に髪はほとんど残っておらず、指はずっと空を切っている。

 結局落ち着かず、そわそわしたまま歩いて食堂へ向かった。


 部屋の灯りをつけて、こそこそと細工を凝らしていく。

 ポンパがそこで食事をしているように装って、我慢できずにパンだけは手に取って齧りながら、ひっそりと廊下へ出た。

 こんな小細工に引っかかるかどうかはわからないが、家にいるのが怖くてたまらない。

 迷惑がられてもいいから、売家街で暮らす仲間のところへ向かうと決める。

 他に頼れる者などいない。通っている神殿もない。

 昨日来てくれた高名な神官長のところに行ってもいいのかもしれないが、いきなり頼るのも気が引ける。


 裏口の扉を音を立てないように開いて、鍵を閉めていく。

 魔術は便利だ。扉の前でがちゃがちゃしなくても閉まるから。

 魔術師になって良かったと思いながら、グラジラム邸との間を抜けていく。

 売家街までは距離があるし、おなかもすいていたし、ポンパは憂鬱極まりない。

 仲間たちの家の位置を思い出しながら、ぐぅと音を立てた腹を撫でつつ歩みを進めていった。


 そのささやかな音がいけなかったのだろうか。

 それとも、最初から裏口も見張られていたのか。

 わからないが、ポンパの背後に誰かがいる。


 ほんの少しだけ振り返り、ぼんやりと浮かび上がる影に身を震わせ、ポンパは慌てて走り出した。

 魔術師が走り出して、影も足を速めたようだ。

 明らかに追われている。角を曲がれば、影もついてくる。


 どうして、なんで。


 偶然行く方向が同じだとか、ぜひ弟子入りさせてほしいと思って来ただけとか。

 希望に満ちた理由を思い浮かべてみても、すべて瞬時に弾けて消えてしまう。

 足音は複数聞こえてくるし、追ってくるくせに声をかけては来ない。

 無言のうちに魔術師に追いつこうと走る理由など、ろくでもないに違いなかった。


 掴んでいたパンをしまい、かわりに袖の中に入れていた手鏡を取り出して、背後の様子を確認する。

 外はすっかり暗くなっていたが、どうやら三人ついてきているようだとわかった。

 

 残念ながら魔術師の足は遅く、余計な真似をしたせいで足音はより近くなってきたように思えた。

 このままでは売家街につくどころではなく、すぐに追いつかれてしまうだろう。

 魔術師たちの暮らすど真ん中の終わりに差しかかって、ポンパは思い切って進路を変えた。

 急に直角にがくんと曲がって、全速力で足を動かし、建物が途切れた先に飛び込んでいく。

 息を切らせながらも心を整え、大きく跳んで、ふわりと降りていく。


 穴の底、先に見えるのは迷宮の入り口。

 四番目に挑むべき場所、誰が立てたのかわからない案内板によれば三番目の渦であるところの「藍」の迷宮の扉を開いた。

 

 ここに飛び込んだ理由は様々にあったが、一番は「さすがに迷宮の中までついてこないだろう」というものだった。

 来ないだろうと考え、来ないでほしいと願いながら、ゆっくりと暗く染まった藍色の道を進んでいく。

 最初の直線が終わり、曲がり角。その陰に身を潜めて、ポンパは息を整えている。


 ようやく少し呼吸が落ち着いてきたところで通路の向こうに人影が現れ、魔術師は思わず飛び上がり、すぐに駆けだしていった。

 どうして、なんで、なにが目的で?

 まともな用事があっての客なら、声をかけ、来た理由をまず話すだろう。

 それをしないのは、後ろ暗い理由があるからに決まっている。


 ザックレン・カロンの家の後始末について、聞かれた。


 ザックレンは危険な魔術師だった。

 最初に出会った時には、少し変わった奴だとしか思わなかった。

 すべての迷宮の底にたどり着くつもりだと話す者は少なくない。

 ニーロに同じセリフを言われた時には、そうだろうなと納得していた。

 ザックレンに対しては、やれるかもしれないと思った。

 実力はまだ足りないが、とてつもない意思の強さを感じたからだ。

 まだ若いザックレンなら魔術はもっと上達していくだろうと思ったし、実際なにを教えても熱心に学んでいた。

 

 だが、情熱の傾け方は異常だった。自分の目的の為なら、誰がなんと言おうと構わず、他人を利用できるかどうかでしか諮らなかった。


 家をいつの間に持ったのかわからなかった。一つでも維持は大変なのに、三軒もあると教えられた時は驚いた。

 無彩の魔術師に求められて協力し、死んだ探索者の残したものについて調べた。


 よからぬ企みをしていたのは間違いない。

 空になった薬瓶がいくつも転がり、奇妙な匂いが充満し、おぞましい色が床や壁に飛び散って消えなかった。

 どれもこれも、人の役に立つだとか、無害なものだったとは思えない。

 ザックレン・カロンはそういう男だった。なにをしていてもおかしくないと人に考えさせる禍々しさを秘めていたから。

 確証はなくても、異常なものを隠し持っていたのだろうとポンパは考えている。


 「藍」の迷宮の地形なら、十六層辺りまでなら暗記している。

 なのでポンパは、迷わず下へ続く階段へ向かって進んでいた。


 追っ手の気配は途切れず、足音も聞こえてくる。

 ポンパが平気で進んでいくから、平気で追いかけてきているのだろう。

 迷宮内でおいかけっこをするなら、先を行く者の方が圧倒的に不利だ。

 魔法生物が現れるし、罠だって仕掛けられているから。


 とにかく四層へたどり着こうと考え、ポンパは走っていた。

 どたどたとした走り方のせいで、進んでいるだけでやかましい。

 だから追っ手を振り切れない。迷宮に入って少し身構えていて、そのお陰でぎりぎり追いつかれずに済んでいる。


 あわあわしながら二層に降りて、更に進んでいく。

 「藍」の迷宮にはそれなりの数の探索者が挑むものなのに、まだ誰ともすれ違っていない。

 夜だから、初心者たちはもういなくなった後なのだろう。自分たちの実力に見合った探索をできた連中は今頃宿で明日の予定を考えていて、欲張って失敗した間抜けは、どこかの床の上で清掃の時間を待っている。


 藍色の道の上には誰もいないが、走るポンパの視線の先にはとうとう迷宮鼠が現れていた。

 魔法生物に構ってはいる暇などない。魔術師は頭をフルに回転させて、自分がとるべき行動はなにか考えていく。


 まずは袖にしまっていたパンを取り出し、ひとくちだけ齧る。

 お気に入りの店のパンはもう硬くなっていて、悔しくてたまらなかった。

 その悔しさを力に変えて、いくつかにちぎり、鼠にむけて投げつける。

 それは魔法生物の頭にこつんとぶつかって、一瞬の隙が生まれた。


 意識を集中して、見えない力を掴み操っていく。

 ある日突然現れた魔術師ニーロに教わった通り、心を整え鋭く尖らせていく。


 初心者が教わる呪文の類など必要ない。あれは、どんな力を掴みどう操るかの案内でしかないのだから。

 真の魔術師ならば、もう既にわかっている。だから言葉などいらない。あなたはあなた自身の腕を伸ばして、望んだ力を掴み操ることができるはず。


 まだ幼さの残る灰色の魔術師に教えられた通りに力を操り、鼠の頭上を飛び越える。

 後を追うように現れた二匹目、三匹目の向こうにぎりぎりで着地して、通路の先へ進んでいく。

 

 三匹の鼠が頑張ってくれたら、足止めになるだろう。

 とはいえ、迷宮の中まで躊躇なく追ってくるような連中だ。

 ひょっとしたらしっかり武装しているかも。ポンパは自身の考えに慄き、必死になって先へ先へと進んでいく。


 たかが迷宮鼠ではたいした戦いにはならなかったようで、再び追っ手の足音が聞こえ始めていた。

 別な鼠が現れて、今度は火で脅して避けていく。

 壁を這う蜥蜴が近づいて来て、こちらは風で吹き飛ばし、角を曲がる。

 

 浅い層で起きるあらゆる出来事には、魔術で対処できるだろう。

 だが、追われているのだから。迷宮で起きる出来事はすべて不確定だから。

 だから、力を節約して進まなければならない。助けてくれる誰かもいないし、回復する手立てもない。

 準備のないまま飛び込んで、追手から逃げ続けて。

 こんな探索は決してするべきではない。

 それは追いかけてくる男たちも同じなのだから、いつかは諦めて戻っていくはずだとポンパは考えていた。

 魔術師になんらかの用事があって屋敷を訪ねてきたのだから、食料などの用意などないはず。だが。

 充分な備えがあったらどうしようと思いながら、息を切らせながら進んでいく。


 ポンパは戦いや罠を避けながら進んでいった。

 魔法生物は追っ手にぶつかるように仕向けて。

 だが三人は腕がいいのか、もうすぐ後ろまで迫ってきていた。

 角を曲がる時にちらりと姿が見えて、一人と目が合ったとはっきりわかるほどに近づいてきている。


「どうしてポンパを追ってくる!」

 魔術師は叫んだが、返事はない。

「こんな木っ端魔術師になんの用なのだー」

 

 ザックレンについてとぼけたとか、本当は知っているだろうだとか。

 暴力的な脅迫をされる方が、無言でいられるよりもずっといい。

 迫りくる男たちがあまりにも不気味で、ポンパは胸のうちで魔術の力を操り始めた。

 「藍」の迷宮の三層の終わり。「藍」の迷宮ではここが初めての、「死ぬかもしれない罠」があるところだ。

 ポンパは意識を床に仕掛けられたくぼみに向け、走り抜けていく。

 追っ手が迫ってきて、先頭の男の手は魔術師の体を掴もうとしている。


 危険な箇所を抜けたと確信した瞬間、力を解き放って罠を作動させていった。

 明らかな突起があるので、よほど調子に乗った間抜けでないとひっかからない仕掛けだ。

 初心者であっても大抵は避けられる。だが、わざと押されれば飛び出してくるのが罠というもの。


 ポンパの力が及んで、突起が音もなく押されてしまう。

 先頭を走っていた男の右側から何本も槍が付き出してきて、通路に悲鳴が響き渡った。


「ぎゃあー!」

 痛い、痛いと騒ぐ声と、残りの二人の悲鳴が聞こえた。

 飛び出して来た槍に躓いたり、足をひっかけて転んだりしたのだろう。

「助けてくれえ」


 無情な罠にかけられた男の声は一気に弱々しくなっていった。

 ポンパは冷や汗で全身を濡らしながら、走りつつ、耳も澄ませている。


 これで諦めてくれればいい。迷宮の中にまで追って入るんじゃなかったと考え、けが人を抱えて戻れば一件落着だ。

 と、思っていたのはどうやらポンパだけだったようで、次の瞬間には怒りに満ちた雄たけびが聞こえ始めていた。


「野郎! ふざけやがって!」


 ようやく声を聞けたはいいが、低く響く怒声は敵意に満ち溢れている。

 平和なやり取りなど望めないだろう。

 そもそも最初から望めなかったのだろうからとポンパは自らを励まし、四層へ続く階段を下りていった。


 ここからは灯りが消える仕掛けがあるから、「藍」をより知っている方が有利になる。

 槍に貫かれた仲間をどうしたのかはわからないが、階段の上から再び足音が響き始めていた。

 魔術師は迷宮の地図を頭の中に広げて、通路の構成、罠の位置を確認していく。

 

 あわあわと進む魔術師のすぐ横を、なにかがひゅんと通り過ぎていった。

 それは通路の先で乾いた音を立てて落ち、転がって動かない。

 追っ手はどうやら短剣を投げたようだ。ポンパは大慌てで走り、次の角で曲がる。


「穏便になんかやってられるかよ!」

 会話の途中なのか、決意表明なのか。わからないが大声が聞こえて、魔術師は身をすくめている。

 また短剣を投げられては敵わない。

「当たったら危ない危ない!」

 怯えていたり、慌てていると魔術は乱れてしまう。

 狙ったところとは違う位置の天井の罠を作動させてしまい、結果、男たちの頭上からねばねばの液が大量に降り注いでしまった。


「なにしやがる!」

「わざとではない、わざとではなーい!」


 もっと手前の仕掛けを動かして、粘液で短剣を絡めとるつもりだったのに。

 そんな言い訳が通じるはずがなく、ポンパは急いで通路を進んでいった。


 四層の暗闇に紛れれば逃げやすいと思ったし、この仕掛けを嫌がって帰るのではないかと考えていたのに。

 なのに追っ手はまだポンパの後ろを駆けていた。


「待ちやがれ!」


 殺されるのだ、と魔術師は思った。

 何故かはわからないが追われた果てに、見知らぬ男たちを怒らせてしまい、激情のままに殺されるのだと。


 焦るポンパの前に、鼠の集団が現れていた。

 暗闇でも視界が失われないらしく、的確に足の柔らかい部分に噛みついてくる、とても嫌な敵だ。

 「藍」では鼠に噛まれて大怪我をしたり、命を落とす者が多い。浅いところでは侮られているが、「藍」での死因の一位はこの小さな魔法生物だと言われている。


 追いつかれないためにあらゆる工夫が必要だと考えて、ポンパは魔術を駆使して鼠の群れを避けた。

 自身の臭いと足音を消し、目を眩ませ一瞬の隙をついて駆け抜ける。

 行った先で落とし穴の口を開けておき、飛び出す槍はすべて出し、ねばねばを降らせて足場を悪くしておく。


 そこまでしたのに、結局魔術師には体力がない。走り方も無様で、やかましく音を立ててしまう。

 息が切れてふらふらになり、転ばないようにしているだけで精一杯なので、追跡者たちを振り切れなかった。


 ほんの少しだけ先を行ったくらいの状態で、とうとう六層目。

 体力の限界が迫っている。夜も更けているのだろう、ふとした瞬間に睡魔が顔をみせて、眠りの世界に誘ってくる。


 どんな形であれ、そろそろ決着をつけなければならないだろう。

 ポンパは必死で足を動かして、六層目の通路を進み始めた。


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― 新着の感想 ―
なんで魔術で直接攻撃しないのかな。 何か魔術師特有ルールでもあるんだろうか。
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