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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
27_Addicted 〈最果てのふたり〉

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124 魔術師たちの庭

 迷宮都市で一番忙しいのは誰か。


 ラディケンヴィルスには市長は存在していないし、調査団が頼られていた時代は過ぎた。

 少し前までなら、大勢が「カッカー・パンラだ」と答えただろう。

 そのカッカーが迷宮都市を去り、意見は少しずつ変わりつつあった。


 武器の工房で名をあげ、不動産業でも成功しているシュルケー・オリグだと言う者もいる。

 そのシュルケーの現場で工事を請け負う名工、レーレン率いる職人たちも忙しい。

 街で一番大きな飲食店のオーナーであるバルメザ・ターズの活躍も目覚ましい。

 迷宮都市で暮らす労働者たちの意見はこんな風であり、同じ質問を探索者に向けると答えはがらりと変わる。

 探索を生業にする若者たちは、カッカーに代わる新たな自分たちの代表について、こう答えるだろう。

 樹木の神に仕える神官長、キーレイ・リシュラではないかと。



「ああ、ニーロ。来てくれたか」

 噂の神官長から使いを寄越されて、無彩の魔術師は樹木の神殿を訪れていた。

 神像の裏にある神官長の部屋に通されてみれば、キーレイはひどく疲れた様子だ。

「なにか問題が起きましたか?」

 ニーロの問いに、神官長は困り顔で頷いている。

 問題はとうに起きていると呟き、解決の為に力を貸してくれないかと言葉は続いた。

「魔術師たちの住処についてだ。あの辺りはますます迷いやすくなって、どうにかしなければという話になってね」

 すべての神殿の長と大きな商店の主が集まって、話し合いがもたれたのだとキーレイは言う。

 宿屋のオーナーたちも何人か加わり、昔のように迷わず進めるようにすべきだという結論に至ったらしい。

「僕になにをしろというのですか」

「意見はすぐに一致したんだ。魔術師たちの悪ふざけをやめてもらうべきだとね。だが、誰にどう働きかけるべきかわかる者はいなかった」

 魔術師と付き合いのある人間もいるが、誰かしらと信頼関係を築けている魔術師たちは「悪ふざけ」はしない。

 妙な魔術で迷惑を振りまいているのはあまり他人と接点のない者であり、誰にどう訴えたら問題が解決するのか探らなければならず、調査が必要だった。

「私もあの辺りに住んでいる魔術師とは縁がないのに。キーレイ殿ならやれるでしょうと言われてしまって」

 大勢に「それがいい」と押し切られてしまったよ、と神官長は唸るように語っている。

「ニーロ、あの辺りで暮らす魔術師の中に知り合いがいるんだろう? 協力してもらえないか」

「わかりました」

「いいのか?」

 無彩の魔術師が即答したのが意外だったのか、キーレイは目を丸く見開いている。

「キーレイさんが頼んできたのでしょう?」

「いや、面倒だとかどうして僕がとか言うかと思っていたから」

 思わず本音を漏らした神官長に、ニーロは小さく頷いて答えた。

「街の中央部分の状態は良くありません。ほんのいたずらだと思っているのでしょうが、今はやりすぎです」

「ニーロも問題だと思っていたのか」

「進む先を本来とは違う場所にする力が複数行使されていますから。前は一つだったのですが、今は増えて、複雑に混じるようになってしまいました」

「良くないんだな」

「ええ。事故が起きる可能性があります」


 ひょっとしたら迷宮の中に飛ばされてしまうかもしれない。

 ニーロの言葉にぎょっとして、キーレイは額に浮き出てきた汗を拭った。


「そんなことが起きるのか」

「僕としては有り得ると思っています。そもそもあの迷宮自体が、街の下にあるようなふりをしていますから」

「どういう意味だ」

「あの迷宮はこの街の地下にありますが、実際にはないのです」

 不穏な物言いに、キーレイは思わず目を閉じている。

「ふふ、街の中を歩いていたはずが迷宮に出てしまうなんて、さぞ困るでしょうね」

「笑いごとじゃ済まないぞ」

 ため息を吐き出す神官長へ、ニーロは協力をすると答えた。

「助かるよ」

「まずはあの辺りにいたずらをしているのが誰なのか、はっきりさせましょう。知り合いの魔術師が手伝ってくれるでしょうから、キーレイさんも一緒に来てください」

「私がなにか役に立つかな」

「もちろんです。魔術師たちは好きこのんであの辺りに住んでいるんです。だから、影響力の強い人間には逆らいません」

「そんな力など、私にはないが」

「ありますよ。キーレイ・リシュラの名はありとあらゆる場面で有効です」


 誰よりも長く探索をしているから。

 迷宮都市で産まれて、ずっと暮らし続けているから。

 探索者として最も長く成功し続けているから。

 樹木の神官長であり、大きな商店を営む一族の一員だから。


 だからキーレイ・リシュラは忙しいし、大勢から一目置かれる。

 本人がどう思っていようが関係ない。

 問題は名乗られた側がどう思うかだ。


 またうんざりとしたキーレイに、ニーロは口の端をあげて笑っている。

「ウィルフレドにも同行してもらいましょう」

「ウィルフレドの名前も有効なのかい?」

「名前はまだかもしれませんね」

 けれど、いれば力になるでしょう。

 ニーロはふっと笑って、キーレイと共に魔術師街を訪ねる日時を決めた。





 気になっていた近所の貸家の状況がいつの間にやら元に戻っていたのがわかった次の日。

 ニーロに経緯を説明されて、ウィルフレドは樹木の神殿へ向かい、キーレイと合流して三人で魔術師たちの住処へ向かった。

 

 街のど真ん中に行くのは、シュヴァルを連れ出した時以来だ。

 あの時はヴィ・ジョンからもらった鍵があったので迷わずに済んだし、この日もニーロの案内がある。

 けれど歩いていると足元がぐらぐらとしているような、不安定な感覚があって落ち着かない。

 あまり離れないように言われて、魔術師のそばを行く。

 ニーロの向こう側にはキーレイがいて、神官長も物珍しそうに周囲を見回しながら歩いていた。


 ぼんやりとした街並みの中を進んでいくと、急にふわりと一軒の家が現れていた。

 隣や向かいにも屋敷がある。周囲の家々は見えているのに、目の前の屋敷と違ってなにがどうなっているのかがよくわからない。

 なにがわからないと感じているのかがそもそもわからないというおかしな現象は、隣の神官長の身にも起きているようだ。

「いつの間にこんな風になったんだ?」

「ごく最近です。少し前まではここまでではありませんでした」


 たどり着いた家はこじんまりとした大きさで、真っ青なドアが印象的だった。

 ニーロから離れないように扉の前に進み、ノックの音を聞く。

 三度叩く音が響いてから、ドアは開いた。

 ニーロが中に入っていき、キーレイとウィルフレドも後に続く。

 すると部屋の奥から、妙な男が三人の前にぴょんと飛んできた。


「やあやあ、ニーロちゃん。どうしたんだい、誰か連れてくるなんて珍しい。そちらの御仁たちを紹介しようとしているのかい。どうするつもりなのかい」


 やたらと痩せている体に、丸い大きな眼鏡がまず目立つ。

 次に目に入るのは白と黒が混じり合っている細い髪の毛で、なぜか右側だけが腰の辺りまで長く伸ばされていた。 


「彼はポンパ・オーエンです。ポンパ、こちらは樹木の神官長のキーレイ・リシュラ。もう一人は僕の探索の仲間で、ウィルフレド・メティスといいます」

「ななななんだって。キーレイ・リシュラが家に来たのか! これは一大事、一大事!」

 ポンパは大声で騒いで、ぱたぱたと走り去っていってしまった。

「奥に座るところがあります。行きましょう」

 長い廊下を進んでいくと、ニーロの言った通り、テーブルと椅子だけが置かれた殺風景な部屋があった。

 座って待ちましょうと言われて、三人は揃って腰を下ろした。

「ポンパは少し変わっていますが、力になってくれます」

「確かに少し変わっているな」

 キーレイはきょろきょろと、部屋の様子を見渡している。

「迷宮内の罠や術符の研究をしています。この辺りに住む魔術師は大抵私塾を開いたり、湧水の壺を作ったりして暮らしていますが、ポンパは自ら迷宮に入って謎を解明しようと試みているんです」

「罠の研究を?」

「ええ、魔術の力で罠を感知したり、解除できるのではないかと考え、試しているんです」


 個性的な髪型の魔術師はどうやらお客をもてなす気持ちがあったらしく、飲み物を用意して部屋に入ってきた。

 トレイの上には美しいカップが並んでおり、聞こえないくらいの小声でぶつぶつと呟きながら客に飲み物を振舞っていく。


「これでいい。ニーロちゃん、やあニーロちゃん、今日はどういった用事でポンパのもとへ?」

「この周辺の状況についてです」

「迷い道のことだ! わかるぞ、キーレイ・リシュラも怒っているのだな」

 キーレイに否定する隙を与えず、ポンパは続ける。

「ポンパの仲間たちも困っている。ここに来るのに苦労するから、文句を言われてしまう。つまりポンパも同様だ。こんな状態は困る」

「誰の仕業かわかりますか?」

「もちろんわかっているともだ。だがポンパ如き、こんな木っ端魔術師が訴えたところで奴らは聞き入れない……」


 勝手にしゃべって勝手に萎れて。

 ポンパが頭を下げると、頭の左側にはほとんど髪が生えていないことがわかった。


「『奴ら』とやらの名前を教えてください」

「はっ。もしやキーレイ・リシュラがなんとかしてくれるのか」

「そのつもりです」

 ニーロに勝手に答えられて、キーレイは眉間に皺を寄せている。

 ポンパはぱっと笑顔を浮かべ、勢いよく立ち上がり、その場でぴょんぴょんと飛んだ。

「おー、おー、樹木の加護を受けた不死の男が相手なら、やつらも諦めるだろう! この辺りの通りをおかしくしている魔術師は主に三人。ホーカとニャンク、ローズィンのせいだ。ひねくれ者揃いで、たぶん相当に面倒な相手だニーロちゃん」


 どうしてニーロちゃんと呼ぶのか、二人の仲がどんなものなのか想像がつかない。

 ウィルフレドが目を向けると、キーレイも苦笑いを浮かべている。


「その三人の仕業なのですね」

「他にもいるが、あやつらがやめれば他もやめるだろう。便乗して試しにやっているくらいだろうから」

 ポンパはいきなり高笑いをすると、こう続けた。

「ニャンクから詰めるのが良いぞ、ニーロちゃん。あいつは薬草が大好きでいろいろと試しているから。キーレイ・リシュラがやって来たとなれば、大慌てで反省するだろうがもう遅い!」



 ウィルフレドにはなにもかもがよくわからなかった。

 気が付いた時にはポンパの屋敷の外に出ていて、三人で並んで立っている。


「妙な魔術師なんだな」

 キーレイが絞り出すように言い、無彩の魔術師は静かに頷いていく。

「いつもはああではないのです。キーレイさんが来て興奮したのだと思います」

「興奮?」

「迷宮に潜る者のうち、長く続けて生き残っている者は皆あなたの名前を知っています。必ず知ることになるのです」

「そうかな」

「そうですよ。とにかく、名前は聞けました。ポンパの言う通り、ニャンク・ハーツゲイグのところに行ってみましょう」


 あちらです、と指をさされるが、道も景色も輪郭がぼやけているように見える。

 地面はしっかりと地面なのに、視線を上げると街が歪みだす。

 けれどニーロが歩き出したので、ついていくしかないだろう。


「薬草が大好きだと言っていたな。リシュラ商店を使うようなことはしたくないのだが」

 自分は神官の立場で来ているのだからというキーレイの言葉に、ニーロは首を振っている。

「商店の名を出す必要はありません。言うとしたら、最後の手段としてになるでしょう」

「いや、最後の手段としてもだな」

「実際にやる必要もありませんよ。禁じられたところで、誰もが従うわけではありません。リシュラ商店から協力を頼んだところで、こっそりと売り続ける輩は必ずいるでしょう」


 キーレイがやってきたこと自体に効果があるとニーロは考えているのだろう。

 力になってほしい、一緒にきてほしいと言われて同行しているが、自分がいる意味が本当にあるのかウィルフレドにはよくわからない。


 はぐれないように進んでいき、二軒目の魔術師の屋敷にたどり着く。

 直前までふわふわとして実体がないようだったのに、ニーロが立ち止まった瞬間、家が急にはっきりと浮き出したような感覚だった。


「魔術師ニャンク、ニーロといいます」


 ニーロが呼びかけながらノックをすると、扉はあっさりと開いた。

 またも長い廊下が見える。奥の暗がりから、足音が聞こえてくる。


「ニーロといえば、ラーデンが育てたという……」

「そうです。僕は魔術師ラーデンの弟子、ニーロの名は師にもらいました」


 魔術師流の挨拶なのだろうか。

 キーレイと並んで、ウィルフレドは口を閉ざしたまま待った。


 暗い廊下の奥から、ぼんやりとした顔の男が近づいてきた。

 また視界を霞ませる力が働いているのかと思いきや、現れた男の顔自体がぼんやりとしているのだとわかった。


 目を開けているのか閉じているのか、わからないほど目が細い。

 それでもぴくぴくと動いて、瞬きしているのだとわかる。


「ラーデンの弟子、ニーロがこのニャンク・ハーツゲイグになんの用事だ?」


 ポンパと違い、敵意が感じられる。

 ぼそぼそとした喋りは聞き取りづらいが、歓迎されている空気ではない。


「この辺りの通り抜けを出来なくしていると聞きました。この街は魔術師だけのものではありません」

「やめろというのか、お前のような若造が」


 目の細いニャンクはゆっくりと進んで、ニーロの目の前までやって来る。

 下から睨みつけるように若い魔術師をじろじろと見つめていたが、その背後にいる二人に気が付くと、わあ、と叫んでぴょんと飛び、後ろに下がった。


「キーレイ・リシュラ?」

「そうだが」

「はっ、もっ、今すぐに言う通りに!」

 わかりやすくあたふたとして、ニャンクは一気に態度を変えた。

 何も言っていないのに「もうしない」と誓い、キーレイにぺこぺこと頭を下げ、ニーロにも無礼をしたと謝っている。

「話が早くて助かりました」

「いえ、いえ、そんな。当然のことです、この辺りは確かに魔術師の住処ですけれど、好き勝手にやっていいわけじゃあないのだから」

 最早這いつくばっているかのような腰の低さで、ニャンクは声をあげた。

「ただ、リシュラ様。この辺りにいたずらをしていたのはこのニャンクだけではないし、ニャンクが始めたわけでもないのです。一番に始めたのはあの、悪名高い金の亡者のヒーカムだし、それならばと調子に乗ったのはローズィンの奴で、あの二人にも平等に話をつけて頂きたい!」

「もちろん、その二人も訪ねるつもりだ」

「ふぅっ、もう誰の仕業か存じていたわけですね」

 キーレイの眉間に深い皺が刻まれて、ニャンクはますます焦る。

 どうなるかと様子を見守っていると、ニーロが間に入ってぐだぐだになる前に収めてくれた。

「やめてくれるのならそれでいいのです。次はローズィンを訪ねますので、僕たちはこれで」


 ニャンクの家から出ると、景色のゆがみが少しだけ緩和されているようにウィルフレドは思った。

 まだまだ、「いつもより見えない」状態ではある。そう思う。そう感じさせられている。

 魔術師の不思議な世界について理解できておらず、なにが正常なのかさっぱり理解できていないことだけが確かだった。


 キーレイは思うところがあるのか、表情がいつもよりも険しい。

 そんな同行者の様子に構わず、ニーロはこんなことを言いだしている。


「次はローズィンのところに行きましょう。話はすぐに着くと思います」

「ローズィンにもなにか弱点があるのかな」

「ええ、大柄な男に滅法弱いとか」

 だから同行させられたのだろうかと考え、ウィルフレドは首を傾げた。

 最初からどこの誰を訪ねまわるかは、わかっていなかったようなのに。

「問題は最後です。ホーカ・ヒーカムのところに行くのは気が進みません」


 ニーロは珍しく弱気な様子で、誰か他に相応しい人間はいないだろうかと呟いた。

 無彩の魔術師らしからぬ姿に思うところがあったのか、キーレイが手を伸ばして頭をぽんぽんと叩いている。

「やめてください、僕はもう子供ではありません」

「わかっているよ。だけどそんな顔を見たのは初めてだから」

「初めてだからなんだというのですか」

 ニーロが気を悪くするのも珍しいし、それを表に出すのも滅多にないことなのだろう。


 ウィルフレドも少しおかしい気分になったのだが、それが良くなかったに違いない。

 魔術師が歩き出し、そばについていたつもりだったのに。

 何歩か進んだところでなにかにつまずいたような感覚があり、気が付いた時には二人の姿が見えなくなっていた。

 

 霧が晴れていく時のようにごく自然に、仲間たちの姿はふわりと消えてなくなってしまった。

 魔術師たちは「いたずら」で人々を迷わせているらしいが、恐ろしい力だとウィルフレドは思う。


 声をあげてみても返事はなく、どんなに目を凝らしてみても道の先がどうなっているのかわからない。

 不明瞭な世界を、仕方なく歩いていく。

 たかが悪戯だというのなら、永遠に彷徨うような事態にはならないだろう。

 

 なにも見えないまましばらく歩き続けて、ウィルフレドは誰かに囁かれたような気がして立ち止まった。

 無意識のうちに胸のポケットの辺りに触れる。

 そこには、家に置いてきたはずのヴィ・ジョンに渡された鍵が入っていた。


 魔術師たちはどこの誰がやって来て、どこに向かっているのか見張りを立てているのだろうか。

 指先で鍵の入ったポケットをなぞり、また歩みを進めていく。

 すると突然見慣れた木箱が現れて、その隣には既に紫色のプレートが掲げられた扉があった。


 ホーカ・ヒーカムの屋敷、シュヴァルの使っていた部屋に繋がっているのだろう。

 この扉の中に入れば、無事に家に戻ることができるだろうか。

 ヴィ・ジョンに案内してもらえれば可能かもしれない。

 ただ、この迷い道の仕掛け人である魔術師との交渉をいつかしなければならないのに、一人で先に乗り込むような真似をするのはいかがなものか。

 訪ねたところでホーカ本人が現れるかはわからないし、ヴィ・ジョンと話せば済むのかもしれないが。


 些細なことでも弱みに繋がるかもしれない。

 勝手なことをしたくなくて、ウィルフレドは悩んだ。

 扉に掲げられた紫色のプレートは、光を受けてもいないのにチラチラと輝いている。

 入っておいでと言われているようで落ち着かず、戦士はくるりと振り返った。


 するとぼんやりとした景色の中に、一際暗いところがあることに気が付いた。

 宙にインクをこぼしてしまったかのような黒い空間に向かって歩いていくと、その周辺の景色がくっきりと浮き出し、どこかで見かけた街角と、佇んでいる人物がいることがわかった。


「ウィルフレド」


 闇が払われて見えてきた路地に、黒い影のような人物が立っている。

 黒いローブに身を包んだ浅黒い肌の神官、ラフィが戦士を見つめ、微笑んでいた。


「ラフィ、あなたも迷われたのですか?」

「いいえ、ウィルフレド。この道がどのように人を惑わすのか知りたくて、歩いていただけなのです」


 けれどあなたに会えるなんて。

 夜の神官は大きな瞳をまっすぐにウィルフレドに向けたまま、艶やかに笑っている。


「あれから神殿巡りをしていたのです。この街には九つの神殿が揃っていると聞いたので」

「そうでしたか」

「あとひとつ、最後に樹木の神殿に行くだけなのです。あなたが神官長を紹介できると言っていたのを思い出して、また会えればいいと思っていました」


 美しい神官が二人の会話を覚えていたことが、嬉しくてたまらなかった。

 戦士のすぐ隣に進んできたラフィからは、また濃密な香りが漂ってくる。

 男のど真ん中を揺らす力を持った、たまらない芳香が満ちていく。

 

「その神官長と共にいたのですが、この道のせいではぐれてしまって」

「そうでしたか。それは残念です」


 戦士の大きな手に、神官の指が絡みついてくる。

 繋がれた手を引かれて、ウィルフレドは歩き出していた。

 ラフィのローブはうっすらと透けるほどの薄いもので、進むたびに裾がひらひらと揺れる。

 様々なことに気を取られて、戦士はなにを言ったらいいのかわからない。

 夜の神官は口元に笑みを湛えたまま迷いなく進んで、ウィルフレドを街の北側に導いてくれた。


 街の北西、安い食堂が所狭しと並ぶ辺りに立っている。

 かまどの神殿が少し先に見えているし、「青」の迷宮の入り口も近いだろう。


「この辺りからでは、樹木の神殿は少し遠いですね」


 ラフィの言葉に、ウィルフレドは頷くのみだ。

 どこに出るか、選んで進んだのだろうか。それとも、歩く者の意思とは関係のないどこかしらに放り出されただけなのだろうか。

 わからないが隣にはラフィがいて、まだウィルフレドの手を強く握っている。

 触れた部分がひどく熱くて、神官がどう思っているのか気になって仕方がなかった。


「神官長様はまだお出かけ中でしょうね」

「そうだと思います」

 それとも、はぐれた戦士の為に神殿か家に戻っているだろうか。

「紹介して頂けますか?」

「もちろんです」


 なんにせよキーレイにはすぐに会えるだろう。

 勤勉な樹木の神官長が、遠い国からやってきた者の願いを無下に断るはずもない。


「明日でよろしいでしょうか」

 ラフィは頷き、落ちあう場所を指定してきた。

 北の宿屋街に近い食堂らしいが、ウィルフレドは行ったことがない。


 神官は店の近くに宿をとるらしい。

 今日は神殿でじっくりと学んだから、少し疲れたのだという。

 そう言われてしまうと誘うことはできないし、大体今はニーロたちと「はぐれてしまった」状態なのだから。

 ウィルフレドを探しているかもしれない二人をほったらかしにするのはおかしいだろう。


 北の宿屋街の辺りまで一緒に歩くことになり、大通りを行く。


 魔術師たちの迷い道を出たからなのか、繋がっていた手は離れてしまった。

 今はすぐ隣を、寄り添うように歩いている。

 ラフィの長いローブは足元でゆらゆらと揺れて、時々ウィルフレドの足に触れた。

 服が擦れ合っているだけなのに、体が熱くなっていく。

 なめらかな細い指で撫でられているようで、誘いをかけられていると勘違いしてしまう。

 艶やかな黒い髪に、髪の隙間からのぞく耳に、華奢な首筋に、触れたくてたまらない。

 陽光を受けて輝く神秘的な黄緑色の瞳に、自分の顔を映してほしくてたまらなかった。


 激しく滾る胸のうちに気付かれたくもあり、気付かれたくない気分でもあった。

 下世話な思いで見つめていると思われたくないが、すべて察して、受け入れてほしいと願っている。

 

 葛藤で悶えながら進むウィルフレドに、ラフィは時々視線を向ける。

 零れ落ちてしまいそうなほど大きな瞳で戦士を見つめ、唇に笑みを浮かべては他愛のない言葉を投げてくる。


 ちゃんと答えられているのかわからなかった。

 なんとか返しているつもりではあったが、とてもとても、まともな状態とは言い難い。

 くすくすと笑う美しい顔を、見つめるだけで精一杯。

 ここまで続けていたという神殿巡りの間に、どこかの男の世話になっていたのではないか考えてしまう。


「ウィルフレド、あそこです」


 ふいに声をかけられて、視線を向ける。

 約束の食堂はごく普通の店構えで、麗しい神官には似合わない。

 けれど言えない。口を開いたらきっと、余計な言葉を放ってしまうから。


「では明日」

「ええ」

「あなたに夜の神の護りがありますように」


 ふわりとローブを翻し、夜の神官が去って行く。

 芳しい香りは少しずつ薄れて、ウィルフレドの熱を冷ましていった。



 ラフィと別れ、とてつもなく長い道のりの果てに、樹木の神殿にたどり着いていた。

 見慣れたカッカーの屋敷の隣に、立派な神像を備えた入り口がある。


「ウィルフレド!」

 額の汗を拭っていると、背後から声がして戦士は振り返った。

 キーレイとニーロが並んで歩いて来て、はぐれてしまったことを詫びられる。

「長く迷いませんでしたか」

「少しだけ」

「もっと気をつけておけば良かった。無事に戻れてなによりです」

 キーレイは謝ってくるが、あの魔術師たちの住処で迷わずに進むことができるのだろうか。

 魔術を自在に操るわけではないが、素養はありそうで、戦士とは違う感覚でいるのかもしれないとウィルフレドは思う。


 はぐれた後に二人はローズィンの屋敷を訪れて、話をつけてきたという。

「大柄な男がいなくても大丈夫でしたか」

「キーレイさんも大柄ではありますから」

 体格は関係ないのなら、ローズィンの為に連れていかれたわけではなさそうだ。

 ウィルフレドが思わず笑いをこぼすと、ニーロがこんな問いを投げかけてきた。

「魔術師と共にいたのですか」

「いえ、違います」

 

 前と同じ問いかけだった。

 ラフィと迷宮に行ったあと、ニーロは「魔術師と一緒にいたのか」と聞いてきたはずだ。


「実はあの迷い道の中で、神官に会いまして」

 以前にも会った異国の神官だという答えに、ニーロは首を傾げている。

「濃密な魔術の香りを感じます」

「香り、ですか」


 ラフィから漂っているのは、甘い愛の香りだ。

 それとも、魔術の香りも甘いのだろうか。

 ウィルフレドにはわからない。


「その神官に会ってみたいです」

「珍しいな、ニーロがそんなことを言うなんて」


 キーレイが笑い、ウィルフレドは内心でそわそわとしながら、明日の約束について話した。

「神殿巡りをされているのですね。異国から来た人の話なら、私にも大きな学びになるかもしれません」

 訪問を快諾して、神官長はニーロにも来ればいいと声をかけている。


 二人にも時間を伝え、約束を交わす。

 ニーロとの対面で何が起きるのか不安ではあったが、明日またラフィに会えると思うと、戦士の胸は高鳴り、夜明けを待ち遠しいものにしていった。

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