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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
  X10_Fellow Conspirators

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122 新装開店 5

 二人で連れ立って歩く道の先に、金髪の大男が見えてくる。

 ちょうど帰る時間が同じになったかとティーオは前に進んだが、腕を強く引かれて振り返った。


「待て」

 少年の鋭い視線の先。ティーオが再び道の先に目をやると、レテウスの隣にはもう一人金髪の男がいた。

 二人は親しげに会話を交わしている。

 少し癖のある波打った髪に、どうやら探索者ではなさそうな服装をしていることまではわかる。


 シュヴァルはティーオの腕を掴んだきりで、幼い顔に浮かべている表情も厳しい。

「どうかした?」

 返事はなく、ただ黙っているようにジェスチャーで伝えられる。

 なので仕方なく、道の端から家主の青年の様子を窺っていた。


 話はほどなく終わり、見知らぬ男は手をあげて去って行く。

 その姿が消えて見えなくなると、シュヴァルは走り出し、ティーオも慌ててその後を追った。


「眉毛!」


 鋭い声に呼び止められ、レテウスが振り返る。

「シュヴァル、ティーオも」

「急げ、すぐに家の中に入るんだ」


 どうしてそんな風に言うのか、ティーオにはわからない。もちろん、レテウスにも。

「どうしたのだ」

「いいから早くしろ、のろのろするな」

 青年の表情はみるみる曇って、横暴な小さなご主人様へ反乱を起こした。

「理由も言わずになんだ、その言い様は」

 シュヴァルは舌打ちし、レテウスの眉毛が吊り上がる。

 ティーオは間に入って、二人の間に起きそうな炎を慌てて消していった。

「ちょっとちょっと、路上でモメたら良くない。喧嘩だと思われたら厄介だよ」

 新たな住人に諭され、不満げな顔のまま、レテウスの足は早まっていく。


 戻った貸家にクリュの姿はまだなく、ティーオはそういえば夕飯のことを忘れていたと考えていた。

 だが、そんなのんきな考えはシュヴァルに吹き飛ばされていく。


「さっきの男は誰だ」

「一体どうしたというんだ、シュヴァル」

「いいから言え」

 ただでさえ吊り上がっているレテウスの眉が、更に角度を急なものに変えていく。

 おっかない顔だとティーオは考え、用心棒代わりに置いてもいいかもしれないと内心で思う。


「食事をしている時に声をかけてきてくれたのだ。この街では珍しいほどに品があって親切な男でな」

 貴族の青年は嫌みったらしく、受けた親切の内容を語ってくれた。

「探索者ではなさそうだが、なにをしているのか問われた。あまりうまく説明できなかったのだが、探索以外の仕事を紹介できると言ってくれてな」

「どこまで話した? 名乗ったのか?」

「名乗るに決まっているだろう」

「家のことは話したか」

「家? 私の家のことか」

 レテウスは記憶を探っているのか、斜め上を見上げて顔をしかめている。

「シュヴァル、なにが気になる……」

 会話に挟まろうとしても、指一本で止められてしまう。


「家のことは詳しくは話していない。王都から来たが、勘当されたとは言ったと思う」

 ようやく記憶の確認が終わってレテウスがこう漏らすと、シュヴァルは少年にあるまじき深い皺を眉間に寄せた。


「今すぐ家に帰れ」

「なんだと?」


 いつものようにふんぞり返る座り方をしていない。シュヴァルは前に身を乗り出し、鬼気迫る顔でレテウスを強く睨みつけながらこう続けた。


「本当に見る目のない男だな、お前は。品があって親切だった? あんな目をした奴が?」

「知っているのか、彼を」

「知るかよ!」

 ついに立ち上がり、少年は貴族を指さしながら叫ぶ。

「話していてわからなかったか。蛇の目をしていただろう!」

「蛇の目?」

「あんな奴に関わったら最後、骨までしゃぶられちまう。お前だけじゃないぞ、周りの人間まで全員、なにもかも奪われて、ろくでもねえ終わり方をさせられるんだ」

「落ち着け、シュヴァル」

「お前の名前をあいつは知った。家族がどこにいるかもわかった。詳しく話していなくたって、すぐに嗅ぎつける。お前の家は金も地位も持ったすげえ家なんだろう。のろのろしてたら全部滅茶苦茶にされる! 今すぐ戻って伝えろ、変な奴が来るかもしれないって」

「シュヴァル、どうしたんだ。そんなことは」

「起きないって思ってるんだろう。……俺だってそう思ってたさ!」


 少年は小さな体をぶるぶると震わせ、顔を真っ赤に染めている。

 そのあまりの迫力に、レテウスは困惑の表情をティーオに向けた。


「シュヴァル、お前の家族のところにも、その、変な奴っていうのが来たの?」


 いつでも穏やかな管理人の顔が心の中に浮かんできて、ティーオも意識して静かに問いかけ、少年の背中に触れた。

 シュヴァルの目の縁には涙がいっぱい溜まって、今にも零れ落ちそうになっている。


「最初にドームが気づいた。ドームだけが気づいたんだ。あいつはおかしい、信用しない方がいいんじゃないかって」

「ドーム?」

「だけどみんな取り合わなかった。いい話をたくさん持ってきて、明るくて、親切な奴だって思っていたから」

 シュヴァルの手下だ、とレテウスが呟いている。

 ティーオはそれに頷き、シュヴァルの背を優しく撫でていく。

「みんな取り合わなかったから、ドームはなにも言わなくなった。だけど、オンダには話してた。二人は兄弟みたいに仲が良かったから」

「オンダは、この街に一緒に来た男だ」

 つまり、あの大男のことなのだろう。シュヴァルの話から漂う悲愴の気配に、ティーオは小さく体を震わせている。

「俺がのんきに寝ている間に、なにかが起きた」

「なにかが?」

「ドームが死んだんだ。高いところからうっかり落ちたんじゃないかってことになって……」


 とうとう涙がこぼれていった。一粒ぽろりと零れ落ちると、二粒目からはとめどなく溢れて、貸家の床にぽたぽたと落ちていった。


「気付いた時には全部なくなっちまってた。なにもかもがあいつのものになってたんだ。早いうちに気付いた連中は酷い目に遭わされて、他はみんな……」

「シュヴァル」

「オンダが俺を逃がしてくれた。ドームに言われて、こっそり準備をしてたから。絶対に俺だけは逃がすって約束したんだって」


 涙を落とし、時々しゃくりあげながらも、シュヴァルの瞳は強く輝いている。


「あいつと同じ目だ、さっきの男。あいつ、お前を誉めただろう。優しい言葉で、大袈裟に」

 レテウスの眉毛に入っていた力が抜けて、かわりに眉間にぎゅっと強く皺が寄っていく。

「剣が上手そうだとか、言葉遣いがいいとか、立派な体つきだとかよ。誰にでも捻りだせる誉め言葉で調子に乗って、こいつはちょろいって思われたんだ。ああいう手合いが一番好むタイプだよ、お前は。単純で操りやすい上に、金の匂いがぷんぷんするからな」

「言い過ぎじゃない?」

「これくらい言わねえとこいつはわからないんだ」

 レテウスはふうと息をついて、全身を包んでいた熱を払った。

 暴言と言っていいであろう言いたい放題には反論せず、落ち着いた声で少年へこう話した。

「考えすぎではないか、シュヴァル。確かにいくつか誉めてはもらった。だがそれは、この街は殺伐したところで、貧しい暮らしをする探索者たちの心が荒みやすいことを嘆いているからだそうだ。できるだけ美しい言葉を使い、互いに高め合える精神を養うべきだと考えてのことだと言っていた」


 それのなにが悪いのか。

 荒々しい言葉遣いをしていては、不要な争いを生み出すだけなのだから。

 至極真っ当な意見の持ち主であり、穏やかな気持ちにさせられたと貴族の青年は語る。


 そう言われると、ごくまともで正しい価値観を持った男なのでは? と思えてくる。

 ティーオの考えはぐらりと傾き、レテウスともう一人の金色の髪の男寄りになっていく。 


 少年の話は具体的でもあり、抽象的でもあった。シュヴァルの身の上になにが起きたのか、詳細はわからない。

 ただごとではない気配はしている。なにかがあったのは間違いないのだろう。

 けれど、レテウスに声をかけてきた青年と「蛇の目をした男」、いきなり同一に考えるのは無理がある。


 レテウスが語っている間にシュヴァルの涙は止まっていた。

 すごい剣幕でまくしたてていたのに、瞳には急に冷たさが宿り、無表情になっていた。


「わかってくれたか、シュヴァル」

「あんな蛇を信じるな、レテウス。お前が信じるべきなのは俺と、あのヒゲオヤジだろう」


 ウィルフレドの名を出されたからか、家主の表情が一気に歪む。


「なんて誘われた? どんな仕事を紹介されたんだ」

「いや、まだ具体的な話にはなっていないのだ。彼がよく使う店を教えてくれて、時間のある時に尋ねて来てほしいと言われただけで」

「絶対に行くなよ。いいな、絶対に駄目だ」

「……そこまで言うのか」

 

 シュヴァルはレテウスの前に進み出て、両手を強い力で掴んだ。


「信じないのか、眉毛」

「いや、そうではない。信じない訳ではないが」

「じゃあ、ヒゲオヤジのところに行こう。あいつは俺に確認したいことがあるから。それを教えてやれば、お前の願いも叶うだろう。剣を教えてほしいんだよな?」

「シュヴァル」

「あの男に会ったら駄目だ。話すのはもっと駄目だ。丸め込まれる」

 

 もうこうするしかない。

 シュヴァルは強い顔をして呟き、ティーオに視線を向けると、ウィルフレドの家まで案内しろと話した。


「今から行くの」

「そうだ」


 十一歳の少年は小さいのに、有無を言わさぬ迫力に満ちていた。

 見えない力に圧倒されて、ティーオは扉へ向かって走り、先導するようにしてニーロの家へ向かって進む。


 ひょっとしたら留守にしているかもしれない。

 ウィルフレドだけがいるかもしれないし、ニーロしかいないかもしれない。

 これから何が起きるのか想像がつかず、ティーオはハラハラしながら歩いていた。

 

 ニーロの家まで距離はなく、一言も交わさないうちに黒い壁の家の前にたどり着いてしまった。

 シュヴァルは躊躇することなく扉を強く叩き、どうやら誰かが在宅だったようで、窓の向こうに動く影が見えた。


「不思議な組み合わせですね」


 家の主は客の姿を確認するなりこう漏らし、小さく首を傾げている。

「ヒゲオヤジに用があってきた」

「二階にいます」

 すぐに降りてくるでしょうという言葉通り、家の奥から足音が聞こえてきた。

 ニーロに促されてやってきたウィルフレドは、髭を撫でながら客の一行へこう問いかける。

「レテウス殿、シュヴァルと、ティーオが何故一緒に?」

「一部屋貸してもらうことになったんだ」

 手短な説明をさっと済ませて、ティーオはシュヴァルの背中を押した。

「ヒゲオヤジ、俺の母親の名前を知りたいんだよな?」


 突然の少年の発言に、髭の戦士は困惑の色を浮かべている。


「教えてやるから、こいつの願いを叶えてやってくれ」

「レテウス殿の?」

「剣を教えてほしいってやつだ。教えてやって、それで、こいつを家に帰らせてやってくれ」

「なにがあったのかな」

「こいつは家に帰さなきゃならねえ。俺の世話を何故だか引き受けちまったが、本当はこいつがやる必要なんかないだろう? 俺の面倒はティーオとリュードと、あとは屋敷の管理人になんとかしてもらう。だからレテウスは自由にしてやってほしい」


 事情が呑み込めないのだろう。ウィルフレドはレテウスに視線を向け、続けてティーオにも目を向けようとした。

 だが、シュヴァルの声がそれを遮った。


「俺の母親はもう死んだ。随分前だ。正直に言うと、ほとんど覚えてねえ。だけど髪の色は俺と同じだって聞いてる。……死んじまったけど、俺のためにみんな思い出をよく話してくれた。本当の名前かどうかはわからねえが、みんなは『シュミ』って呼んでた」


 一気に話すと、少年は下を向いてしまった。

 どんな因縁があってこんな話をするのかはティーオにもレテウスにもさっぱりわからないが、ウィルフレドは黙って頷き、少年の柔らかな髪を優しく撫でている。


「ありがとう」

「お前の探していた女だったか?」

 

 髭の戦士から答えはなかった。けれど顔を上げて、まっすぐに相手を見据えるシュヴァルには答えがわかったかもしれない。

 瞳に浮かぶ色で、大抵のことはわかるようだから。


「こいつはヤバい奴に目をつけられた。家に戻さなきゃならねえんだ」


 レテウスを指さすシュヴァルの様子を、四人の大人が見つめている。


 ティーオにはまだわからない。事情も、あの男がどれだけ危険なのかも。

 他の三人にもさっぱりだろう。そう思うが、どうやらさっぱりなのはレテウスだけなのかもしれなかった。


「そのヤバい奴とやらの特徴を教えて下さい」

 問いかけたのは無彩の魔術師で、シュヴァルは間髪入れずにこう答えた。

「くねくねした金色の髪の男だ。気取った服を着ていて、目は緑色」

 背の高さはレテウスより低く、ギアノと同じ程度。おそらくは二十歳前後だろうと少年は言う。


 同じ距離から、同じ時間見つめたはずなのに。シュヴァルとの情報量の差に、ティーオは口をあんぐりと開けてしまう。

 そして、特徴を聞いたニーロは小さな声でこう呟いた。


「ジマシュ・カレートですね」

「知ってんのか?」


 シュヴァルは問いかけながら、レテウスを振り返っている。

 名前は聞こえていたのだろう、貴族の青年は戸惑った顔で頷いており、ティーオも聞き覚えがあって記憶を探っていた。


「知ってはいます。けれど、詳しいことはなにも」

「嘘をつくなよ、灰色」

「残念ながら語れるほど知ってはいないのです」


 魔術師はこれだけしか答えなかった。


 ティーオはジマシュの名をどこで聞いたか思い出していた。

 シュヴァルは手短に答えた魔術師の顔をじっと見つめて、なにか勘付いたようだ。


「ティーオ、今からでも眉毛を家に帰らせる方法はあるか?」

「え? えっと、王都から来たんだっけ。王都までなら今からでも馬車を出してもらえれば、夜には帰り着くんじゃないかな」

「どこで出してもらう?」


 つい先日、自分も同じようなことをしたのだとティーオは話した。

 少しばかり謝礼を弾めば、乗合馬車の業者が引き受けてくれるはずだと。


「シュヴァル」

「ヒゲオヤジとの手合わせはそのうち頼め。ここじゃなくて、どこかちょうどいい場所を探して知らせろ」

「なあ、シュヴァル」

「金のことなら心配するな、俺が出す」

「どうして持っている?」

「そこの魔術師にもらった。迷宮探索に付き合ったんだ」


 話はそこで打ち切られ、シュヴァルに命じられるまま貸家へと戻る。

 少年はどこからか金の入った袋を持ってきて、レテウスに必要な物を持つように急かし、夕暮れが迫る街をまた進んでいった。



 ティーオが交渉をさせられて、馬車の業者ともあっさり話がついた。

 少し多めの代金が支払われ、レテウスは大きな体を馬車の中に押し込まれている。


「シュヴァル」

「じゃあな、眉毛。お前との暮らしは面倒だったが、悪くはなかったよ」


 別れの言葉もないまま、馬車が走り出していた。

 たったの十一歳なのに、誰にも有無を言わせず、すべて勝手に決めて、実行してしまった。


 馬車が遠ざかり見えなくなって、二人は貸家に戻っていく。


「夕食買って帰ろうか」


 シュヴァルはまっすぐに前を見据えたまま、ティーオの提案に「ああ」とだけ答えている。

 三人分の食事を買い込んで、歩きながら、これからなにがどうなるのかわからないのだと気づいて、新米商売人は思わず空を見上げていた。


「あ、お帰り。どうしたの、誰もいないなんて。こんなの初めてだったから心配したよ……」

 家にたった一人で不安だったのだろう。扉を開けるなりクリュが駆け寄って来て、きょろきょろと目を走らせている。

「レテウスは?」

「あいつは帰った」

「帰ったって? どこへ? 王都へ?」

「そうだ」


 あてにしていた操りやすい安全な主がいなくなって、動揺したのだろう。

 クリュはすっかり気落ちした様子で項垂れ、シュヴァルは怒ったような顔のまま座り込んで動かない。

 ティーオもまた混乱の中にいたが、なんとか気を取り直して食事を並べ、とりあえず食べないかと二人に声をかけた。


「なにがあったの、シュヴァル」

「悪い蛇が出たんだ」

「蛇って?」


 ただ、話しているところを見かけただけ。

 レテウスが王都へ帰された経緯は言葉にするとあまりにもあっさりしていて、クリュは納得がいかないらしく頬を膨らませている。


「なんで止めないの、ティーオは。めちゃくちゃだよ、シュヴァル。なんでそんなことになるの」

「お前にはわからねえよ、リュード」

「確かにわかんないよ。意味がわかんない。ねえ、ティーオ」

「いや……、実はさ」


 ジマシュの名が出て来た、二つのとても不吉で不幸な話。

 フェリクスが遭遇した男はとても親切だったが、結果はどちらも最悪だった。


「ジマシュって名前しかわからないって言ってたけど、とても上品で親切で、良い人物と出会えたと思ったって」


 「橙」と「黄」は、似て非なる穴。

 なにも知らなければそんなものかと思ってしまうであろう色の差と、まったく同じ作りの道を持っている。

 

 迷宮の中で命を落とさなければ、この街で生き返りを望むことはできない。

 獰猛な犬の餌食になった、不幸な商人の親子。「黒」ではいきなり襲われても仕方がない。運がなかったと考えるしかない。


 うっかり言い間違えた、聞き間違えた。

 不幸にも魔法生物が早く現れ、弱い者が狙われた。

 全ては神の思し召し。巡り合わせが悪かっただけ。

 そう考えていたのは、「そう考えたかった」からなのではないか?


 探索者たちは時々、暗い誘惑の声を聞く。

 いいものが見つかった時、心の底から醜い誰かに囁かれる。

 独り占めにしてしまわないか。

 誰も見ていないのならば。

 面倒なことなど、ここに打ち捨ててしまえばいい。

 死者は何も語ることなく、そのうち勝手に消えてしまうのだから。


 ティーオは探索の中で誰かを見捨てたことはない。

 けれど怒りの感情に突き動かされて、宝を独占したことがある。


 善意をもって生きているつもりなのに。迷宮のある暮らしの中では時々、志は抜け落ちてしまう。

 誰しもがそんな志を持って生きているとは、限らないわけで。 


「偶然かもしれないけど、やれなくはないと思うんだ」

「でも、迷宮の中で魔法生物に襲わせるなんてできないよね?」


 確かに、そんな方法など知らない。

 けれど。ふと、ティーオは考える。

 知らないだけで、存在しないとは限らない。探索の仕方は様々に存在しているのだから。


「俺、前に薬草業者……と探索に行ったことがあるんだけど。業者は魔物を避ける薬なんかを持っているんだ。前に、その薬を人にぶつけた奴も見たことがある」

「魔物を避ける薬?」

「うん。だったら逆に、呼び寄せるものなんかもできたりするんじゃないかな?」


 ティーオの言葉に、クリュはすっかり顔を蒼褪めさせている。

「そんなことして何になるの?」

 迷宮探索は協力して進めていくものなのに。

 クリュの意見はごく真っ当で、ティーオは答えを見つけられない。

 けれどぼそりと、シュヴァルが呟いた。


「身ぐるみ剥いで、誰にも見つからないようにうまく始末できるんだろ」

 少年の呟きは暗くて重くて、部屋の隅の暗がりに沈んで消えていく。


「怖いこと言わないでよ、シュヴァル」

「お前も気をつけろ。眉毛と似た色の髪の男だ。目は緑色で、髪はくねくねしてる。声をかけられてもついていくなよ」

「わかったけどさあ、……この家はどうなるの」


 少年はなにも答えず、クリュの瞳はティーオの方へ向いた。


「どうなるかな?」


 青い瞳がうるうると揺れて、新米商人は参ったなと呟いている。

 例えば自分のような間借り人をあと二、三人集めたら、家賃はなんとかできるかもしれない。

 だが、クリュはともかくとして、シュヴァルに支払い能力はないだろう。

 この子はただで住まわせるなんて条件を吞んでくれる太っ腹の若者など、あまりいるとは思えない。


「ヒゲオヤジがなんとかするだろう。この家で暮らすのは難しいかもしれねえけど」

「そんなあ……」

「すまねえな、リュード」


 申し訳なさのかけらもない言い方に、クリュは唇を尖らせている。

 そんな同居人に構わず、シュヴァルはこう続けた。


「明日はお前の店についていくからな」

「え、俺の店?」

「仕方ねえからな」

「明日開店なんだけど」

「邪魔はしねえよ。隅でじっとしてりゃあいいんだろ」


 むしろ手伝えとティーオは思うが、この少年相手に強く出るのは難しい。


 心境はクリュと似たようなものなのだろう。

 自分の部屋に戻り、ベッドに寝転がってティーオは考える。

 せっかくちょうどいい住処を見つけたと思ったのに。

 

 結局安宿暮らしになるのか、それとも店舗の隅で丸くなって眠るのか。

 悩みは尽きないのに、激動の一日のせいで疲れていたのか、ティーオはいつの間にか眠りに落ちていた。

 気が付いた時にはもう朝で、外から人の話す声が聞こえてきていた。

 早いうちに仕事を始めたい探索者たちが出発しているのだろう。

 外はまだ薄暗い。朝は来ているが、まだ早かった。


 今日だけは寝坊できないと緊張していたのだろう。

 そんな気分でティーオが起き上がると、真ん中の広い部屋にはシュヴァルの姿があった。


「おはよう。シュヴァル、早いんだな」

「お前もな」


 テーブルの上には本が一冊置かれている。

 どうやら文字の練習用のもののようだが、ティーオの視線に気づいたらしく、シュヴァルはそれを片付けてしまった。


 レテウスとの暮らしがどんなものだったのか、あまり見ていないからわからない。

 どちらにも不慣れな日々だったのはなんとなくわかる。

 平気で強盗をするような子供を預けられた貴族の青年と、なにもかもを失った過去を持った孤独で荒々しい少年が二人きり。


 ウィルフレドを探しに来て、失言の果てに子供の世話を任されてしまった。

 レテウスがこんな経緯を辿った理由はよくわからないが、彼の正体や人となりははっきりとしている。

 一方、シュヴァルについてわかっていることは少ない。

 彼の母親をウィルフレドが探していたようであり、あんなに幼いのに大男を子分にしていたことだけが確かだ。

 

 朝食になりそうなものが見当たらない。

 ティーオはかまどの辺りを調べ終わってから、少年へ声をかけた。


「朝ごはんっていつもどうしてた?」

「眉毛がなんとか用意してた」

「なるほど。クリュは?」

「あいつは勝手に出ていって、勝手に帰ってくるだけだ」

「朝は食べて出かけるの?」

「いや、どっかで食ってるんだろう」


 ここでようやく、ティーオはクリュについてもよくわからない奴だと思った。

 探索する仲間は毎日ちゃんと見つけられるのだろうか。

 あの美貌で佇んでいれば、声をかけてくる者などいくらでもいるだろうが。


「そういや昨日、クリュのことも変だって言ってたな」

「昨日?」

「ギアノのこと、変だって言ってただろ」

「ああ」


 二人分だけでいいのなら、近くに出ている屋台に買いに行けばいいだろう。

 財布の中身は心許なく、今日開く店がうまくいかなかったらどうしようかとティーオは思う。


「朝飯買いに行こう」

 

 声をかけるとシュヴァルは素直に頷き、ティーオの隣に並んだ。

 顔立ちは美しく整っていて、特に目の印象が強い。

 はっきりとした意思を持った、力強い目をしていると思う。

 ニーロやウィルフレド相手に物怖じせず、どうやら魔術師に探索に連れ出されたようでもある。


 ひょっとしたらとんでもない逸材なのかもしれない。

 自分の諦めた道の、更に果てにいつか立つのかもしれない。


「なんだ、じろじろ見やがって」

「ごめん」


 反省はできるし、見る目もある。頭の回転も速いのだろう。

 だったらこの荒々しい言葉遣いもいつか直せるだろうか。

 

「お客さんにはそういう言い方しないでくれよ」


 なんとかこれだけ絞り出すと、少年は鋭い目でティーオを見つめてから、こう呟いた。


「わかったよ」


 近くの路上に出ていた屋台で兎肉のサンドを買って帰りながら、ティーオは気が付いた。

 自分もクリュも不安の中にいるが、一番心細いのはこの少年なのだと。


 まだ十一歳を励まそうと、ティーオは手を伸ばしてシュヴァルの肩を抱いた。

 けれど腕はすぐに払われて、少年はふんと鼻を鳴らして歩いていってしまった。

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― 新着の感想 ―
やっとジマシュの正体に気づく人物が出てきましたね。 どうなっていくか楽しみです。
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